カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先日、週末に農業生産者の会議に家内と出席した帰り、昼時となり、そのまま買い物に回ることから、駄目で元々と途中「井川城」へ行って、もし未だ行列のようなら、諦めて近くのマクドででも済ませることにしました。

 すると、駐車場には2台しか停まっておらず些か拍子抜け。お陰で待つこともなくゆっくりと食事をすることができました。でも、前日の土曜日は行列だったとか。この日もご親戚か助っ人の方もおられましたので、まだまだTV効果は続いているようです。
この日も、私メは二八を2枚と十割を1枚にして、奥様はいつもの三種盛り。
新そばの美味しさは相変わらず(個人的には、やっぱりここの二八の喉越しの良さが一番かな)ですが、加えて自家製のお漬物(この日は野沢菜)も美味でした。また、薬味の大根おろしが紫大根で彩りも鮮やか。
奥様がダイエットするからと言うので、サービスのそば大福(先日は餡がサツマイモに変わっていました)を初めて全部食べましたが、個人的には蕎麦の味が残らないので、蕎麦湯で終らせる方が、蕎麦の余韻が残って良いように思いました。

 お店の入口近くの色付いた柿の実が、新そばに風情を加味しているようです。「うん、秋だなぁ・・・。」
 その後も、その日が終日雨模様でリンゴ採りの作業が出来なかったので、リンゴ採りの手伝いにわざわざ来てくれた長女夫婦も一緒に食べに行きました。
(写真は、11月下旬に長女たちと行った時に最初にサービスで出していただいた蕎麦がきのお吸い物と二八そば。それと11月中旬、店の入口横の黄色く色付いた柿木の様子)

 なお、妹夫婦によれば、先日久し振りに木曽の「時香忘」に蕎麦を食べに行ったら、何でも、やはりTVで紹介された直後だったらしく(しかも、こちらは全国放送)、物凄い行列だったとか。うーん、暫くは行かない方がイイかも?・・・。
いやはや、知らない人間にとっては有難くも、地元の常連さんにとっては迷惑この上ないのかもしれませんね。

UCCの缶コーヒーBlack無糖“The Deep”の期間限定キャンペーン『最速の翼コレクション』。無くなり次第終了とのことで、全国のコンビニで1週間ほど販売されました(第681話参照)。
たまたま朝の通勤路の途中で、毎朝2本買うのですが、立地している場所柄で峠道の通行車両のドライバーが客層のためか、11月末になってもまだ棚に残っていて、ホットのロング缶での他の選択肢が無いことから買い続け、結局もう1セット全8モデルが揃ってしまいました。小さな部品にもバリも無く、感心するほど良く出来ています。      
我が家や会社にも欲しい者が皆無だった(どうしてこの良さが理解されないのか?)ことから、もし「あと1モデルがあれば全部揃うのにィ!」という方がおられましたら、送料のみご負担いただければお分けいたします。
シリーズは、F-2(保有2ヶ)、F-4EJ(以下同3ヶ)、RF-4EJ(3ヶ)、F-14(3ヶ)、F-15(3ヶ)、F-16(2ヶ)、F-22(3ヶ)、F-117(2ヶ)の全8機種。いずれも購入時の箱に入ったままで未開封です。

なお、現在リンゴ採り後の選別・発送出荷作業中で、暫くは平もし、ご希望がございましたら、このH/Pの当果樹園のメールアドレス宛にその旨お報せください。出来るだけ、「あと1モデルで全部揃う!」という方に喜んでいただければ嬉しいのですが、その後も増えて全シリーズ2セット揃いましたので、「全部まとめて欲しい!」というご希望でも結構です。
日も連日の夜なべ仕事のため少々お時間をいただきたく、リンゴ作業終了後の年末での発送となりますことをご了承ください。

 最近報道された考古学のニュースの中で、個人的にとても興味深い話題が幾つかありました。その何れもが最近の発掘成果ではなく、これまでの発掘品のDNA鑑定や放射性炭素での年代測定によるもの。謂わば、これまでの発掘成果が、最新テクノロジーを以って改めて科学的に裏付けされたことになります。

 先ず、日本人の血液をDNA鑑定し分析した結果、北海道のアイヌ人と沖縄の琉球人が近縁で、本土の日本人に一番近いのは韓国人であるという記事。
元々、日本列島には黒潮に乗って渡ってきた南方系の人々と、朝鮮半島などから渡ってきた北方系の人種の血が混じり合っているとか、遺跡から見つかる人骨の研究で、縄文人と弥生人の特徴が大きく異なることから、先住の狩猟民族であった縄文人(最近の発掘調査で縄文時代に既に農耕を営んでいた痕跡も見つかっていますが)を農耕民族の弥生人が定住し征服したとか、その後朝鮮半島経由で騎馬民族や鉄器など技術を持つ人々が渡来して古代国家を建設したとかいう学説が、これまでも唱えられて来ましたが、それを最新のDNA鑑定が裏付けたことになります(と簡単には断定は出来ないかもしれませんが)。
      
 古代ヤマト王朝の東征では、先住民を熊襲や蝦夷と呼んで、蔑視した“野蛮人”を制圧していく様が描かれていますし、地元安曇にも坂上田村麻呂が「(魏石鬼)八面大王」などの“鬼”を退治する英雄伝説が残されていますが、先住の縄文系の人たちを、次第に果てに追い遣り制圧していく、どれも勝者の書き残した支配者の歴史です。
実際に鑑定結果で、お互いが日本列島で一番離れた北海道と沖縄に似たDNAを持つ人々が残ったというのがそれを裏付けています。ただ、当然ですが、色んなルートから人が日本列島に渡って来て、違う人種を滅ぼしたというよりも、混血を繰り返していったという鑑定結果が、大陸の最果てにあるこの島国の位置付けを物語っていて、些かほっとしました。
因みに、私メは、シンガポール赴任中に韓国の人から韓国語で話しかけられたほどの、残念ながら弥生系。羨ましいですね、DNAには逆ら得ぬとはいえ、二重瞼で目がパッチリとした彫の深い人が・・・。沖縄からタレントやモデルが輩出されるのも道理ですね。

 続いて、愛媛県の縄文遺跡(上黒岩岩陰遺跡)から半世紀前に発掘された犬2頭の全身骨格を放射性炭素14による年代測定をした結果、縄文早期末から前期、7300~7200年前の骨と判断され、埋葬された犬としては国内最古の発掘例という報道がありました(発掘そのものは50年以上前で、最近某大学の資料室で半世紀振りに再発見されて年代測定したのだとか)。
古代から犬は人間と生活を共にしてきたと云われていますが、縄文初期の時代に、古代の人々も、一緒に狩をして生きるために戦ったであろう犬たちを大切に埋葬していたという事実に、ペット虐待の現代人が恥ずかしくなるような、そんな暖かな気持ちにさせられた、心和みつつ反省もさせられたニュースでした。

 12月の都大路への切符を掛けた都道府県大会が、今月各地で行われました。
長野県では、男子は佐久長聖が15回連続で出場を決めました。但し、2時間8分台ですので、もう一頑張りしないと全国で優勝争いに絡むのは厳しいかもしれませんね。女子は、県立の長野東が自身の大会記録を更新しての6連覇。昨年公立高トップでの初入賞に続き、今年も全国の私立の強豪高に伍しての連続入賞に期待します。

 さて、今年の都大路を占う早春の伊那駅伝で、西脇工、佐久長聖に圧勝した愛知県立豊川工高(第604話参照)。その愛知県には、震災影響での退学騒ぎとなった仙台育英から大量の男女の特待生10名をまとめて受け入れた豊川高校があり、愛知県予選の結果を注目していました。
そして、やはり豊川工高が自身の持つ大会記録を更新したにも関わらず、女子チーム同様ケニア人留学生を抱え、またその転入生の活躍で、2分以上も引き離す2時間4分台という圧倒的な力で豊川工の15連覇を阻止し、豊川高が優勝したと報じられていました(一方、仙台育英は宮城県予選で東北高に敗れ、2位に終わっています)。
因みに豊川高は、3月の伊那駅伝では(転入生は6ヶ月間の出場停止措置)留学生が20人抜きの結果の10位、同じく留学生を要する世羅は伊那では留学生抜きで臨み、30位台でした。

 “力は正義なり”とはいえ、何だか釈然としません。そんなに簡単に勝って良いのでしょうか。トレードや移籍が当然のプロ選手ではあるまいし、ましてや被災地。その宮城県には、外国人選手を含め被災後ボランティア活動に従事したラグビーの釜石シーウェイブズや各高校の野球部、また敢えてフランスから戻った“なでしこ”鮫島選手らのお手本もあるのに、一銭にもならない友情とか母校愛なんて最早死語なのでしょうか?彼らの大儀って一体何なのだろう?(イケナイ、興奮してきた)。そんなことまで考えてしまいました。
かくなる上は、今年も留学生に頼らず日本人だけで編成する西脇工、佐久長聖、そして九州学院などの九州勢に期待したいと思います。

 先週の朝8時頃、訳あって通勤途中の生島足島神社にお参りです。

そうか、七五三シーズンだったんですね。昔は乳幼児の死亡率が高かったので、先ずは3才、そしてそれぞれ5歳、7歳を無事に成長して迎えられたことへの感謝と次なる節目への祈りなのでしょう。医療技術が発達した現代でも、子供の成長を慈しむ風習が続いていくことは素晴らしいことだと思います(我が家の娘たちは、上は7歳、下は3歳の七五三はちょうど海外赴任中だったので、一度ずつしかお祝い出来ませんでしたが)。
神社の境内には、この季節らしく大輪の菊の鉢も飾られていました。
 生島足島神社は、周りを池に囲まれた独特の本殿。
境内にある説明書きに因れば、この「神池」に囲まれた「神島」に本殿を構える様式は、日本最古の形式の一つである「出雲式園池」の面影を残しているのだとか。決して広くない境内なのに、厳かで神秘的な雰囲気を醸し出しているのは、きっとそのせいなのでしょう。
その周囲の木々も紅葉し、まさに秋の風情。参拝を済ませ、思わず見とれて何枚か写真を撮らせていただきました。
 延喜式で式内大社に数えられ、由緒ある生島足島神社の秋の風景です。 

 11月9日の金曜日。県文(キッセイ文化ホール)で開催された、ハーモニーメイト主催のカメラータ・ザルツブルグ松本公演。

 県営陸上競技場時代からの公孫樹もすっかり黄葉していて、芸術の秋のコンサートに彩りを添えてくれています。(夜間で色が変ですが、実際は黄色)
音文が改修中のため県文の大ホールとなり、キャパが3倍近くですので心配しましたが、九割方埋まったでしょうか。会社の後輩の方も来られていて、何でも高校同期のお嬢さんが出演(ハープ独奏)するので、同期で後援会を組織して動員したのだとか。なるほど、フルートの方も松本出身なので、その効果もあったのでしょうね。

 今日は、ザルツブルグの室内オケらしく、オール・モーツァルト・プロ。
前半に、フィガロの結婚序曲、フルートとハープのための協奏曲。休憩を挟んで後半に、オーボエ協奏曲と41番ジュピター。お馴染みの曲目が並びます。(個人的には、東京での小菅優をソリストに迎えてのピアコンの連続演奏会の方が良かったのですが、松本縁のソリストですのでやむを得ません)

 序曲はまさに序奏という感じで、聴く方も含めて、腕慣らし、口慣らしといった演奏。そして、松本縁の若いソリストを迎えたフルートとハープのための協奏曲。フルートは松本出身で現在東京シティフィル主席の神田勇哉さん、ハープはお父上が松本出身の平野花子嬢というお二人の熱演はともかく、オケは抑えた控えめな演奏でした。やはり箱が少し大き過ぎたかなという印象。でも、この有名なコンチェルト。確か、ランパル&ラスキーヌがパイヤールと協演した往年の名盤LPが買ってあった筈ですが、ハープという楽器の特性上、生で聴く機会は珍しいのだろうと思います。アンコールには、メンデルスゾーン「歌の翼に」。歌唱部分をフルートが、伴奏部分がハープに編曲(スイマセン、編曲者は分かりません)されていました。

 後半は、指揮者のシェレンベルガーご自身のソロで、オーボエ協奏曲。さすが、帝王カラヤン時代のBPOの主席だっただけに正に名人芸、見事な演奏でした。特に弱音の美しさが印象的。なぜか第3楽章辺りから、ホールも暖まったのか、急に音響がふんわり暖かく感じられたのは気のせいでしょうか。
このオーボエ協奏曲。長年行方不明となっていた楽譜を発見したのは、モーツァルテウムの学長を務め、このオケの創立者でもあるパウムガルトナーとか。縁の曲でもあります。メロディーやリズムなど、どこを切り取ってもモーツァルトの音楽に、確かに本場ザルツブルグの牧歌的?な“おらがモーツァルト”といった雰囲気の柔らかな風がホールにも流れていたように思います。

 そして、締めを飾るジュピター。以前、上岡敏之さんがブッパタール響との英雄のアンコールにこの曲の第4楽章を演奏し、その繋がりを示してくれました。
今宵、ジュピターを聴きながら、もしモーツァルトが35歳で夭逝しなければ、果たして42番以降どんな交響曲を残したのだろうと、感慨深く聴き入っていました。
途中、隣で奥様がウトウトと。「何故か、モーツァルトだと眠たくなっちゃうのよネ~」。そう言えば昔(30年前?)、音文でのモーツァルテウム管の時もそうだったような・・・。モーツァルトを聴くと、脳波からα波でも出て来るのでしょうか。お酒の醸造でモーツァルトを流す酒蔵もあったので、どうやら麹と一緒。
何度かのカーテンコールに応えてのアンコールに歌劇「偽の女庭師」序曲が演奏され、団員たちが客席からの盛大な拍手に応えて、最後に日本式に全員でお辞儀をしてから、お互いの演奏を称え合って袖に下がっていきました。

 最初も休憩後も、遠路はるばる松本まで来られた楽団員の皆さんを、ステージ登場から全員を拍手で出迎えた歓迎に応えてか、和やかで暖かな演奏会でした。

 朝の通勤途中にコンビニに寄って、その日オフィスで飲む缶コーヒー(ロング缶)を毎朝2本購入しています。
夏はアイスでしたが、秋になってからはさすがに寒いので専らホットになりました。ただ、暖めるのが設備的に大変なのか、特にロング缶はアイスほど種類がなく、個人的にはRootsのアロマ・ブラックが酸味もあり嗜好に合っていたのが、ホットではUCCの“The Deep”(無糖ブラック)の一種類のみ。残念ながら、味はあまり好みではありません。

 これに、最近キャンペーンということなのでしょうが、『最速の翼コレクション』と題した全長僅か90mmの日米のジェット戦闘機の組立式モデルが“オマケ”として付いていて、毎朝2本買いますので、どうせ買うなら全部(シリーズ全8モデル)収集しようと思い1週間足らずで終了してしまいましたが、コンビニの店員さんのご協力もあり(探していたら、「もう一箱ありますよ」と言われて、最後の1モデルもゲット!深謝でありました)、何とか全部揃えることができました。
この中には、支援戦闘機F-2(当初のFS-X。結局、米との共同開発で政治決着)、米国のF-4(懐かしのファントム。航空自衛隊の前主力戦闘機)、F-14(ご存知トップガン。可変翼)、F‐15(現主力戦闘機)やF‐22(ステルス機)など。
これが、缶コーヒーのオマケと侮ることなかれ!で、専門誌「航空ファン」監修のキットで、小さなプラモデルとはいえ、彩色や機体のマーキングもちゃんと施されていて、なかなか精巧に作られています。
(写真は全8モデルと、航空自衛隊のF-4EJ・F-15飛行教導隊の新旧主力戦闘機、翼を可動させたF‐14)
 キャンペーンであれば、製造原価には含まれず、当然販促費でありましょうし、商品別採算にも含めないかもしれません。しかし、一本150円ほどの販売価格であり、販売店側のマージンを差し引けば、恐らく30円程度の利益と仮定して、そのコストでは絶対に無理じゃないかと思えるほどです。
以前(夏頃)は、昔懐かしいスーパーカー(ランボルギーニ)がやはりオマケで付いていて、この時は気付いたのが遅く、1モデル購入したのみでしたが、所謂ダイキャストカーで、これが驚くことにチョロQのようなエンジン付きでした。

 うーん、UCC恐るべし!
(・・・次は何かなぁ~?・・・)

【告知】UCCおまけ『最速の翼コレクション』お譲りします!
UCCの缶コーヒーBlack無糖“The Deep”の期間限定キャンペーン『最速の翼コレクション』。無くなり次第終了とのことで、全国のコンビニで1週間ほど販売されました(第681話参照)。
たまたま朝の通勤路の途中で、毎朝2本買うのですが、立地している場所柄で峠道の通行車両のドライバーが客層のためか、11月末になってもまだ棚に残っていて、ホットのロング缶での他の選択肢が無いことから買い続け、結局もう1セット全8モデルが揃ってしまいました。小さな部品にもバリも無く、感心するほど良く出来ています。
我が家や会社にも欲しい者が皆無だった(どうしてこの良さが理解されないのか?)ことから、もし「あと1モデルがあれば全部揃うのにィ!」という方がおられましたら、送料のみご負担いただければお分けいたします。
シリーズは、F-2(保有2ヶ)、F-4EJ(以下同3ヶ)、RF-4EJ(3ヶ)、F-14(3ヶ)、F-15(3ヶ)、F-16(2ヶ)、F-22(3ヶ)、F-117(2ヶ)の全8機種です。いずれも購入時の箱に入ったままで未開封です。
もし、ご希望がございましたら、このH/Pの当果樹園のメールアドレス宛にその旨お報せください。出来るだけ、あと1モデルで全部揃うという方に喜んでいただければ嬉しいのですが、その後も増えて全シリーズが2セット揃いましたので、「全部まとめて欲しい!」というご希望でも結構です。
なお、現在リンゴ採り後の選別・発送出荷作業中で、暫くは平日も連日の夜なべ仕事のため少々お時間をいただきたく、リンゴ作業終了後の年末での発送となりますことをご了承ください。

 子供の頃から野球が好き(しか無かった!)で、次のシーズンを占うストーブリーグ(ファンとしては一番夢の持てる季節)だけですが、時々購入している週刊誌に『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社)があります。
通常は読み終えると捨ててしまいますが、奥様に邪魔にされながらも大切に取ってあるのが、この時期に毎年発行されるドラフトの総括号です。
      
 昔から、鳴り物入りのドラフト1位選手よりも、下位指名で入団しても2軍で頑張って成長し、何年か掛かって漸く1軍に上がって活躍するという選手が好きでした。
特に、最近ではジャイアンツの成功を見習って、育成枠で(謂わば3軍として)指名される選手も各球団に増えているだけに尚更です。そうした選手の、ドラフト指名時のあまり高く無かった前評判を覆した努力に喝采を贈り、逆に期待されながら1軍にも上がれずいつしか消えていった“有名選手”のその後の人生に想いを馳せます。
(10月下旬の華やかなドラフトが行われる前に、オリックスが2006年から08年までのドラフト1位指名4名を解雇する=来期契約せず、との記事がスポーツ欄に小さく報じられていました。それにしても1位指名4名とは、スカウティングの問題か、球団の育成能力か・・・?また同様に、2004年ドラフトの主役だった“あの”一場投手とヤクルトが来期契約しないとのこと)

 手許に大切に保管してきた“ドラフト総決算特大号”。
調べてみたら、1997年から取ってありました。その15年の頁を捲ってみると、様々な人生ドラマが見えるような気がします。

 例えば、一番古い号だった97年。今でも現役の高橋由伸・川上憲伸の両六大学のスター選手に混じり、中日5位指名が井端、日ハム5位に古城選手(現巨人)が指名されています。
98年の“松坂世代”の阪神1位が藤川球児投手。大卒で巨人1・2位が上原浩治、二岡(現日ハム)両選手。また広島6位に新井貴(現阪神)、日ハム4位に森本(ひちょり。現横浜)選手が指名されています。99年の1位で今も残るのは、高橋尚成投手だけ。一方、当事近鉄の5位で岩隈投手が、また2位で高木康成投手(現巨人)、そして広島3位に栗原選手が指名されていました。
2000年のドラフト1位には阿部選手と、難病を危惧された内川選手(現ソフトバンク)を横浜が指名。この年は下位指名も当たり年で、西武5位に中島、ロッテ4位に渡辺俊介、ヤクルト5位に畠山の各選手が指名されていました。
01年から自由獲得枠が初めて導入されます。ヤクルト石川、オリックス平野恵一選手(現阪神)らが自由枠指名。西武が2位でおかわり君中村選手を指名。広島天谷選手が8位。02年は、和田、西岡、村田修選手(現巨人)らが自由枠で指名されています。横浜5位に吉村、巨人6位に矢野選手。
03年は内海、鳥谷、糸井選手(投手として)らが自由枠。下位指名にも、ロッテ6位に成瀬投手。巨人2位で西村投手、ヤクルト4位が青木選手でした。
“一場問題”に揺れた2004年は、ダルビッシュ、涌井、金子投手ら。ロッテ大松選手が5位、亀井選手、東野投手が巨人のそれぞれ4位・7位指名。05年には吉見、八木の各投手らが希望入団枠指名。この年は日ハム4位で武田勝投手、ソフトバンク5位で本多選手が指名されています。そして06年は所謂“マー君世代”と、この頃になると現在の主力級が続々と顔を揃えます。
しかし、こうやって見ると改めてメジャー挑戦組の多いことに驚かされます。なお、高卒なら5年たっても大卒1年目と一緒ですので、近年のドラフトはまだ判断するには早い気がします。
やはり上位指名の方が、その後活躍する確率は高いように思いますが、下位指名であっても、岩隈投手(5位)や成瀬投手(6位)のように、その後エースにまで上り詰めた選手もいるので、今年の下位指名の選手たちも是非頑張って欲しいものです。
【追記】
今年のドラフトの目玉だった大谷投手の直接のメジャー挑戦を否定するものではありませんが、日本のプロ野球チームも敢然と指名すべきだと思っていましたので、指名をした日ハムには拍手を送ります。

 『唐衣(からころも) 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母(おも)なしにして』(万葉集 巻20・4401 )

 これは、万葉集に納められた、防人の歌として知られる他田舎人大島(オサダノトネリオオシマ)の歌です。彼は国造丁(地方の高級役人)で、古代信濃から九州に派遣された防人のまとめ役でした。

 会社の在る上田リサーチパーク内の長野県工科短大に隣接した「いにしえの丘公園」。ここには7世紀の円墳が3基保存されており、周囲が公園として整備されています。そこで歴史好きの血が騒ぎ、この前の昼休みに出掛けてみました。

その中で一番大きな古墳が「他田塚(おさだづか)古墳」。
この古墳は南北18.5m、東西17.2m、高さ4mの横穴式石室を持つ円墳で、この地を治めた他田氏一族の墓と云われ、発掘調査時の出土品から7世紀前半と推定されています。残念ながら、周囲に柵が設けられており、石室の中に入ることは出来ません。そしてこの古墳は、一説には他田舎人大島氏の墓とも云い伝えられているのだそうですが、市の教育委員会の設置した案内板にはその旨は書かれていませんでした。
他田氏は、この小県(チイサガタ)を拠点とした信濃国の国造(クニノミヤツコ。今で言う県知事)を務めた一族で、諏訪大社下社の大祝を代々勤めた金刺氏も同じ他田氏の係累(多氏)なのだとか。この地の歴史の古さを、そして黒曜石の大産地でもあった和田峠を挟んでの、上田小県地方と諏訪との関係を感じさせます。
 古墳の築かれたこの地は、塩田平を望む高台の最上部。実際に他田氏の墓かどうか、ましてや万葉集に残る他田舎人大島かは分かりませんが、この地を治めた豪族の墓であることは間違いありません。独鈷山に抱かれるように、古代ロマンを感じさせる塩田の郷が遠く拡がります。
松本の人間からすると、凛とした北アルプスの険しい峰々に囲まれた松本平と違って、ここ塩田平は、独鈷山を始め、信州にしては穏やかな山並みに囲まれていますので、この地に住みついた古代の人々にとって、「国のまほろば」と歌った大和を、どこか懐かしむような雰囲気にさせてくれたのかもしれません。

 このところ大分寒くなって来ました。
11月に入り、ここ信州松本では、昼間はともかく朝晩は最低気温が5℃を下回る日も珍しくなく、日本列島に寒気の流れ込んだ先週末には松本でも初霜が降りました。やがて下旬ともなれば我が家では薪ストーブに火が入り、その前には床暖房が活躍するのですが、今のところ奥様はまだヤセ我慢で、ファンヒーターだけで過ごされています。

 その恩恵とトバッチリを“モロ”に受けるのが、我が家の犬たちです。
床暖房が入ればフローリングの床に寝そべり、薪ストーブが活躍するようになれば、特にチロルは我が世の春(夏?)とばかりに薪ストーブ横の特等席でゴロリ。従って、それまでの間の今の時期が、室内犬の彼(女)らにとって一番寒い時期なのかもしれません。

 ナナは、借りてきたDVDをソファーに座って夜見ている奥様に“ごろにゃん!(ワン!?)”と擦り寄って愛嬌を振りまいては、チャッカリとソファーに上げてもらって、膝掛けの毛布に潜って安眠の日々。一方のチロルは、夜は独りケージの中で丸くなって寝ています。
チロルにすれば(人間だったら)、「この差って何よぉ!」と文句を言いたいところでしょうが、毛が抜けるチロルは嫌がられて(これぞ毛嫌い?)、ソファーには乗せてはもらえません。可哀想になぁ。

 先日の朝、いつものように4時半に起きてベランダに出て、暖かいコーヒーで目覚めの一服。この時期になると、宵の明星が東の空に輝いています。
部屋に戻り、チロルのケージを見ると、ん?中に居ません・・・。ケージの扉も開いていて、どうやら奥様が閉めるのを忘れた様子。ナナは、膝掛けに包まってソファーの上で安眠中。
「チロルは、一体どこに行ったのやら・・・・?」と探すと、この日はナント、別のソファーの上で気持ち良さそうに丸くなって寝ているではありませんか。熟睡のご様子に、起こすのも可哀想で、先ずは証拠写真をパチリ!
すると、音に気が付いて漸く起き上がって、ソファーからバツが悪そうにうな垂れて降りてきました(一応これがチロルの反省のポーズですが、ブログネタに頂きますので、こちらこそ恐縮です)。
「良く眠れた?良かったね、チロル!」
 聞けば、二階のPCで作業中に一階に下りてみると、チロルがソファーに載ってナナの横で二匹一緒に丸くなって寝ていることもあるのだとか。

 薪ストーブに火が入るまで、もうちょっとの我慢です。
(写真は、ソファーで寝ているチロルとナナ。そして、気が付いて起き上がったチロルです。暗い中で撮ったらボケていたので、ナナは別の日の写真です)

 読売日響の演奏会(第671話)で配られた演奏会のチラシの中にあった、ラフマニノフの無伴奏合唱曲『晩祷』全曲演奏会。

 読響の演奏会について、長女とのメールのやりとりの中で、「日本でこの作品の全曲演奏が聴けるなんて、滅多に無い機会だから」と紹介したところ、日も無かったのですが「じゃあ、行ってみるぅ!」とのこと。最近彼等の中では、合唱曲がマイブームとかで興味を持ったようです。
 当日の解説によれば、このラフマニノフの『晩祷』は、ロシア正教での主日の前夜に夜を徹して行われる礼拝(従って、正しくは「晩祷」よりも「徹夜祷」と訳されるべきとのこと)のための15曲からなる典礼曲で、1915年にラフマニノフが発表し、月に5回以上も再演されるなどの大成功を収め、彼の最高傑作とも評されたと言います。しかし、2年後に起きたロシア革命により、ソ連の「無神論」政策下で封印され、その後70年近くロシアでも忘れさられていたのが、ラフマニノフ生誕100年(1973年)を記念して、スヴェシニコフ指揮ロシアアカデミー合唱団演奏のレコードが突然西側で発表されて大反響を呼び、知られることになったのだそうです。
      私も当時「レコード芸術」誌で、彼の合唱曲でもう一つの傑作である「鐘」と共に「晩祷」の広告を見た記憶があり、合唱愛好家の間で一時期ブームとなった曲でした。しかし、曲によっては、混声四部ではなく8声や9声にもパートが別れ、通常よりオクターブ下のバス(オクタビスト)が必要とされるなど、アマチュアは勿論プロでも演奏するのが難しいとされる、謂わば幻の合唱曲でもあります。

 それを、この曲だけを歌う「東京トロイカ合唱団」というプロの声楽家の合唱団が、毎年一回だけの演奏会を開いているのだとか。
それが10月19日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で開かれて、長女夫婦が聴きに行って来たのです。
合唱団メンバーに、たまたま高校音楽部のOGでもある芸大出身の先輩も居たと、興奮してメールをくれました。「すっごく良かった。感動したヨー!!」とのことでした(そして、わざわざ当日のパンフレットを送ってくれました)。
イイなぁ、都会は・・・。しかも大聖堂での演奏なんて。教徒でなくとも(教会内での演奏については賛否もあるでしょうが)、敬虔な気持ちになりますよね。

 残念ながら出張と重なったために聴けませんでしたが、6月末に松本に来演したハーモニーメイト主催のスウェーデン放送合唱団の演奏会でも、この「晩祷」から抜粋で何曲か演奏があった筈。
かくなる上は、松本中央図書館か中古CD屋さんで、CDか、当時貧乏学生だった私は残念ながら買えませんでしたが、いまだ名盤とされるスヴェシニコフ指揮のLPでも探してみようかな。
そう言えば、その学生時代、毎晩インスタントラーメンか、キャベツだけ入れた焼きソバを電熱器のラーメン鍋で作って独り下宿で食べては、どうしても生で聴きたかった演奏会(確か京都会館でのノイマン指揮チェコフィルのモルダウ)の一番安いチケットを買ったり、LP(廉価盤中心でしたが)を買ったりしたことを懐かしく思い出した次第。