カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 定年後の最初の作業は、不要な物を処分することから。最近の言葉で言えば“断捨離”。収入が無くなるわけですから、当然ですが会社員時代と同じである必要はありません。

 先ずは、これまで3紙購読してきた新聞から。
地元紙(タウンペーパー)は別として、これまで購読して来た全国紙は朝日と日経の2紙。そして、残したのは日経です。両紙を比較すると、(朝日の偏った論評が嫌いで、一切読まなかった)政治経済面を含め、読む記事が圧倒的に多かったのは日経でした。また、紙面は少ないのですが、スポーツ欄も意外と日経の記事の方が個人的には好きでした。更に、選択理由の一番のポイントは、日経は松本(塩尻にある信濃毎日新聞の印刷所)で委託印刷されているため東京23区同様の最終版が印刷されていること。片や朝日は東京(?)から配送されて来るため、例えばプロ野球のナイターなど試合終了が間に合わずに途中経過だけになっている場合もしばしば。従って、事件事故含め最新の記事は日経に軍配が挙がります。これが朝日ではなく日経を選択した理由です(取次店からは、「残すなら朝日を」と懇願されましたが、数年前の捏造報道とその事後対応の拙さで購読数を落としていますので、朝日新聞も状況は苦しいのでしょうね)。
 続いて、奥さまから命じられて、クローゼットを中心に「不要な物を捨てる」こと。
 「もう会社に行かないんだから、スーツもシャツも、要らなくなるモノがイッパイある筈だよね!」とのこと。
これからは農作業中心の生活になるのですから、確かにそうかもしれません。一応週三日程度の働き口があれば・・・という前提で職安(ハローワーク)には登録をしましたが、私が経営者ならフルタイムの人を求めるでしょうから、そんな都合の良い仕事は難しいでしょうし、少なくともスーツを着て出勤する様な仕事は無いでしょう・・・という前提で、不要なモノは捨てる。
家内が言うように“イッパイある”かどうかは分かりませんが、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ、靴下と順番に見て行きます。すると、
「これは、あの時の・・・」とか、「このネクタイは誰ソレから・・・」とか、モノにまつわる「思い出」が次から次へと沸き上がって来ます。その都度、「あぁ、そうだったよなぁ・・・」と、ひと時その思い出に浸ります。そして、一度ざっと目を通したのですが、擦り切れていたりしていれば一目瞭然なのですが、どこも傷んでいないと「勿体ないなぁ・・・」となってしまいがちで、結局自分でも情けないほどに捨てるモノが出ませんでした。
そこで、「こりゃイカン」と再度見て、心を鬼にして(?)漸くそれなりの量を捨てることが出来ました。

 日本人の「勿体ない」という感性は大切ですが、“断捨離”で重要なのは「勿体ない」という感情を捨てること。そして一番重要なのは、「思い出」を断ち切ること。「思い出」そのものを(心の中に記憶としては残しても)、それにまつわる「モノ」との関係を断つことがポイントだと感じました。
それにしても“断捨離”は、「言うが易し」でなかなか難しいと感じ入った次第です。