カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 漸く、自身の重い腰を上げることにしました。
父が亡くなり、母を家に呼んでから空き家になった母屋の整理です。

 この母屋は、私メが高校一年の時から住んだ家で、それまでの築300年近いであろう茅葺の家から、リンゴ園の中に祖父と父が家を建てて引っ越してきた家です。
祖母と母の女性陣は反対したと云いますが、入り婿の祖父と養子だった父は江戸時代の初めに分家した我が家を取り巻く同姓の繋がりや古いしきたり、また地域の古い因習には然程未練は感じなかったのかもしれません。
「深志高校がある場所から北は、リンゴ園ばかりだった」という昭和30年代の状況からは、その後の高度経済成長期故に宅地化が次第に進んでいたとはいえ、家を建てた昭和46年の周囲はまだリンゴ園ばかりで、殆ど“野中の一軒家”状態。そこで、祖父は「自宅で問題無く葬式が出せる様に」と、上中下の連続する座敷と居間の襖を取り払えば、廊下を含めて50~60畳のL字型の大広間が出来る間取りにしたので、確かにそういう時は便利でも、日常の生活はどちらかというと近代的な生活様式には合わない家ではありました。ただ、知らない人からは「旅館かと思った」と云われる程に100坪の大きな家だったので、それこそ押し入れや倉庫スペースがふんだんにあり、結局それが災いし、更には戦前を生きてきた人たちの勿体無い精神が加わって、結果、家中にモノが溢れた状態になっていったのです。

 父が突然倒れ、所謂“断捨離”という整理を全くしなかった母の性格も手伝い、母屋は最近話題のゴミ屋敷状態になっていました。
家が余りに広い分、部屋中にゴミが足の踏み場もないくらいに溢れているのではなく、家中の押し入れや納屋の様な別棟を含めた倉庫スペースに古いモノや、例えばそれこそ優に二百人以上の葬式も対応可能な食器や座布団が仕舞われている様な状態・・・だったのです。

 そのため、出るわ、出るわ・・・不用品の山。それを見るこっちは溜息の山・・。さて、一体どうすべぇか・・・???どこから手を付ければイイのやら・・・???
しかし、とにかく色々考えていてもしょうがない。先ずは動かなくては何も始まらない・・・。いずれにしても、やるっきゃない・・・でしょ!

 かくして、漸く空き家だった母屋の片付けが始まりました。