カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 山中温泉から永平寺町に至る間に通ったのが坂井市。県境のトンネルが「丸岡・山中温泉」という名の通り、「丸岡」は「福井県坂井市丸岡町」で、あの“現存12天守”の一つである丸岡城の在る場所です。
そこで、渋る奥さまのOKを得て、「丸岡城」へ初めて寄ってみることにしました。永平寺からは16㎞程で20数分との表示で、すぐに到着。松本城などと比べると、意外な程小ぢんまりとしていて、アクセス路も駐車場も狭く、駐車に少し手間取りました。

 重要文化財の丸岡城。元々は織田信長が一向一揆への備えとして柴田勝家に命じ、甥の柴田勝豊が築城したと云われ、織田家の城であった犬山城と共に戦国時代の古い様式で建てられており、現存する天守閣の中では最古とPRされてきました。小高い丘の上に建てられた平山城で二層3階の望楼型天守閣。旧法では国宝指定されていたのが、新法では重文指定となったため、地元では国宝再指定を目指して運動がされています。
松江城が5番目の国宝のお城になったのは、築城年が特定された資料が発見されたため。そこで、丸岡城も市の教育委員会の主導により近年学術調査がされました。その結果、
『丸岡城天守学術調査では、天守の柱や梁(はり)など主要部材について、年輪、放射性炭素年代測定、酸素同位体比の3つの年代調査を実施したのですが、その結果、主要な部材はなんと、戦国時代ではなく江戸時代の1620年代後半以降の用材だということが判明。つまり築城は、早くても寛永年間(1624年~1644年)ということになったのです。
当時の城主は本多成重(ほんだなりしげ=日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙」は幼児だった本多成重のこと。父・本多重次が長篠の戦いの陣中から妻に宛てた手紙)。
「丸岡城調査研究委員会」は、丸岡藩が寛永元年(1624年)に立藩したことを契機として、初代藩主である本多成重の時代に整備された可能性が高いと判断したのです。』
と、期待とは逆の結果になってしまいました。
そのため、解説文では、
『丸岡城の築城時期については、従前の、柴田勝豊が築城したとする「1576年(天正4年)説」と、初代丸岡藩主「本多成重」(ほんだなりしげ)が入城後に築城したとする「1613年(慶長18年)以降説」がありました。そして、2019年(平成31年)3月、丸岡城が建てられたのは江戸時代だったことが判明します。
16世紀に松本城(長野県松本市)が建てられていると考えられているため、丸岡城の天守閣は最古ではなくなった可能性があります。最古ではなくても、江戸時代の柱を多く現在まで残していることなど、丸岡城の建造物としての偉大さは変わりません。』
しかし、ズルイのは「最古の天守閣ではなかった」という解説文は、天守閣の最上階まで急な階段(松本城よりも急で、登山の岩場の様に補助の掴まる縄まで用意されている)を上り切らないと書かれてはいないのです。
一階や城址公園には「最古の天守閣」というPRが至る所にあり、最上階まで登って初めて「最古ではなかった」という紹介に出会うのです。
最古であることが国宝指定の要素では無い筈なので、
 「ちゃんとしておいた方がイイんじゃないかい?ちょっとズルくネェ?」と思った次第です。
それにしても、丸岡城の所在は福井県坂井市。ここは江戸時代には福井藩から分かれた丸岡藩であり、そのお城が丸岡城。どうして丸岡市でなく坂井市なのか。信州でも松代藩が長野市になっている様なモンなのでしょうか?何か政治的な背景があったのか、ちょっと不思議な気がしました。
丸岡城は確かに小ぢんまりしたお城ではありますが、珍しい五角形のお堀など魅力的な城跡です。ここ福井県には、他にも“天空の城”越前大野、内陸の郡上八幡など魅力的な城下町が点在しています。
 さて、先述の通り、丸岡城のもう一つのポイントは「一筆啓上」です。それは、有名な『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ』で、家康の家臣、本多重次が陣中から妻に宛てた手紙で、手紙にある「お仙」はやがて初代丸岡藩主となる本多成重とされています。
そこで、丸岡ではそれに因んで1993年から「日本一短い手紙コンクール」が行われています。他のお城とは一味違った文学的活動が、この小ぢんまりした丸岡城に相応しく、最古の天守閣かどうかなどよりも歴史的にも現在的にも遥かに価値があって、実に魅力的な町興しのコンテンツです。微笑ましくも何とも羨ましく感じられました。
 余談ですが、永平寺から丸岡城へ向かう途中、「一乗谷」への行先案内板がありました。
 「そうか、朝倉氏の一乗谷も近いんだ・・・」
山中温泉は石川県ではありますが、福井県に接しているので、ここまで来れば福井県の一乗谷も雲海に浮かぶ越前大野城も車で小一時間(郡上八幡は下呂から1時間足らずで行くことが出来ます)。もし、また来る機会があれば足を延ばしてみても良いかもしれません。個人的には、「兵どもの夢の跡」を訪ねて、いつか必ず一乗谷へも是非行ってみたいと思います。