カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 我が家の庭は、いくつかのブロックに区切られています。雑木林、階段状花壇、そして芝生ガーデンと唯一実用的な一坪程のハーブガーデン。更に玄関の寄せ植えと蘭のシンビジウムです。

 早春の3月、先ずは雑木林ガーデン樹下で、奥様が丹精込めて育てて来て、今では60株以上に増えた(これ以上増やさぬ様に、早めに花を摘んだり、こぼれ種で増えても早めに抜いたりしているそうです)クリスマスローズが咲き出します。そして、GWになると雑木林ガーデンではコナラやヤマボウシなどの芽吹きが始まり、樹下のクリスマスローズの周りに植えてあるグラウンドカバーのポテンチュラが小さな黄色い花を絨毯の様に咲かせています。
 4月になると、傾斜地を活かして、隣家の間のコンクリート壁沿いに、芝生ガーデンのウッドチップを敷き詰めた小道との間に作った階段状の花壇で一斉に春の花が咲き出します。家内のリクエストで、一段毎に、黄色、白、赤からピンク、紫から青と色でエリア毎に区分されていて、先ずはビオラ、そしてチューリップなどの球根類。南側のコンクリート壁沿いなので日光が当たらず、我が家の花壇は他のお宅よりも咲く時期が遅くなりますが、一斉に咲き出す頃には、芝生ガーデンに植えた紅白のハナミズキも満開に。
このハナミズキ(アメリカヤマボウシ)は、元々1912年に当時の尾崎行雄東京市長が桜の苗木6040本を米国へ贈った(ワシントンのポトマック河畔の桜並木として有名です)返礼として、タフト米大統領が1915年にハナミズキを日本へ寄贈したのが最初です。その届けられたハナミズキは全部で60本。うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本で、1915年4月に、植物学者スウィングル博士が、米政府代表として来日、40本の白の苗木を東京市(当時)に手渡したのだそうです。それから僅か100年。ワシントンの桜に比べ、そうした由来を我々日本人が余り知らなくても、今や、日本全国で庭木や街路樹として当たり前の様に見られる様になりました。余談ですが、こうした経緯から、日本ではハナミズキの花言葉に「返礼」が加えられたのだとか・・・。
因みに、ハナミズキが米政府から寄贈された理由は、当時の公文書原文に拠れば、『日本国民ハ美術ノ国民ナリ』、『此樹ハ日本国民ガ桜花ヲ愛スルト同ジク 広ク米国国民ニ愛サレ白キ花カ四五月ノ交開クヤ 米国人ハ皆之レヲ各室々ニ飾リ愛観スルモノナリ』なのだそうですが、丈夫で栽培し易さからとしても、ハナミズキが家庭の庭木として普通に植えられているのですから、寄贈理由に架かれている通り、米国における桜よりもハナミズキの方がむしろ浸透したと言えるかもしれません。
街路樹としての管理のし易さもありましょうが、むしろ個人的には、寒い冬が漸く終わり待ちわびた春の桜があっという間に散った後の寂しさを、このハナミズキが埋め合わせてくれるかのように咲いてくれるからこそ、我々日本人の中に広く受け入れられたのだと思います。
そして、その華やかさの後で、まるで対照的な程にひっそりと咲く在来種のヤマボウシの静謐さにまた惹かれるのも、一方でワビサビを解する日本人ならではと云えるのではないでしょうか?・・・。
 最後は、こちらも家内が一生懸命世話をしているシンビジウムです。昨年咲いたミルキーウェイは今年花芽が出ませんでしたが、毎年咲く二鉢のシンビジウムは今年もたくさんの花を咲かせてくれました。以前、せっかく咲いた花芽が霜でやられたことがあったので、今年は霜注意報が出る度に家の中に取り込みました。お陰で枯れることも無く、長く花がもってくれそうです。