カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前話の“肌色”で感じた、日本人の無知故の無意識での差別。
我々日本人が、偉そうに“Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)”を持ち出す前に、そもそも我々日本人自身もそうした人種差別をしてきたのではないか?それは、明治維新後欧米列強に追いつき追い越せと国を挙げて“富国強兵”に突き進んだ結果、そのスローガンであった“脱亜入欧”教育が結果として招いた弊害ではないか?・・・と思うのです。

 然るにそれは、当時の先進技術を持つ国が優位であり遅れた国は下位であるという経済的地位だけでの判断により、結果として欧米人(白人)が上で、有色人種は下という意識に繋がり、であるからこそ日本人はその下位から脱し一刻も早く上位に追いつかなくてはならないという国を挙げての富国強兵政策が思想教育にまで繋がっていったのです。
しかし、当時の世界情勢からすれば、それは或る意味止むを得ない部分もあり、欧米列強によるアジアアフリカ諸国の植民地化のよる経済搾取をふまえ、日本も植民地化を免れるためには欧米に追い付かねばならないという、国の存続を掛けた危機感の表れでもあったと思います。
しかしその結果、日本が植民地化を免れたとしても、その後の帝国主義の台頭と、「大東亜共栄圏」の美名の下に東南アジア侵略に繋がっていたことは、我々日本人としてキチンと認識しまた反省すべきであることは論を俟ちません。
それはそれとして、その結果が我々日本人の中に戦後も続く白人崇拝意識と“後進国”としてのアジアアフリカ諸国蔑視、同じアジア人でありながら日本人の優越感で彼らを見下した意識がずっと今日まで続いて来ているのではないでしょうか。

 そのことは決して批判ではなく、むしろ自分自身にも当て嵌まることでした。しかし海外赴任先として、欧米ではなくシンガポールへ赴任したことでそんな自分自身の意識が変わりました。
最初赴任先が当時の中心市場であった欧米でないことにガッカリし、更にどうせ行くなら欧米の方が語学も上達し(キャリアにも)箔が付くと二重にガッカリした記憶があります(事実、シンガポール赴任で英語は“シングリッシュ”にすっかり染まり、you knowばかりを繰り返すAmerican Englishはいまだに良く分かりません。ネイティブ並みの娘はまるで宇宙人の様にすら感じます)。
赴任した当時、ローカルスタッフの部下たちに最初意見を求めると(給料の高い)マネージャーのお前が判断するのが当然とばかりの態度だった彼等が、やがて日本人的な考え方(任せて経験させることで部下を育てる)を理解してくれる様になり、一生懸命自分で考え工夫し発言する様になっていきました。そんな彼等と仕事だけではなく、休みに遊びに誘われたりしてプライベートでも接してみると、何となく考え方や感じ方など、同じアジア人であるからこそ似ている部分やお互い理解できる部分があることに気付かされたのです。
アジア人と言っても、多民族国家故のシンガポールは、中国人、マレー人、インド人と人種も様々。人材以外の資源を持たない小国故に様々な課題を抱えながらも、当時漸く、たとえ“移民国家”ではあっても、それぞれの人種ではなく、国民としてのシンガポーリアン(Singaporean)という意識が(シンガポールらしく国家主導ではありましたが)醸成されつつある時期でした。
また7年間の赴任中は、シンガポールのみならず、周辺のパキスタンやインド、マレーシアやインドネシア、タイに出張する機会もあり、アジア各国を自分の目で見、そこに住む人や文化に直接触れることも出来ました。そしてやがて、欧米ではなくアジアのシンガポールに赴任したことに感謝し満足している自分がいました。同じ“アジア人”として理解し認識出来たシンガポールへの赴任経験でした。もしこの赴任経験が無ければ、未だにアジア蔑視のままの自分だったのかもしれません。
因みに、当時の部下は皆その後会社を辞めてしまいましたが、そして帰任して25年以上経った今でも季節の挨拶をくれたり、近況を報告してくれたりする当時の部下もいます。

 元々、日本列島は原始の時代に世界各地から民族が移動して来て混血を繰り返した寸詰まりの地であって、元々の純血など無かった筈です。従って、そこには血による区別も差別も本来は無かった筈。しかし島国故の閉鎖性と国家として成立し熟成していく過程において、時代時代の為政者に拠って、知らず知らずの内に植え付けられていった区別や結果としての意識なのです。
例えば、昔の日本には黒人に対する差別意識など無かった筈です。というのも、黒人など見たこともなかった筈ですから。
戦国時代に南蛮船の宣教師の護衛として来日した黒人で、謁見した織田信長に気に入られて彼の家臣として召し抱えられた弥助。小姓ではなく、キチンとした侍である士分として仕えていたといいますので、当時は全くそうした差別感情など日本人には無かったのです。
事程左様に、そうした意識に中には島国故の無知もありましょう。また、国の当時の為政者の政策を受けて、無意識の内に染まっていってしまった思想もありましょう。そして、それを拭うには無意識ではなく意識すること、無知であれば直接知ること。受動ではなく、能動的に自らが行動するしかないと思うのです。今や、閉ざされた島国ではなく、瞬時の内に情報が地球上に拡散されるネット社会であるのですから・・・。情報化社会の現代は、島国、村社会を理由とした無知や無意識では決して許されない時代になっていると云えます。
先ずは無知を脱し、意識して知ることからその第一歩が始まります。

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