カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 芦ノ湖畔に佇む“関東総鎮守”の箱根神社。ロープウェイで大涌谷から芦ノ湖に下り、海賊船の遊覧船で箱根駅伝のゴール地点の元箱根に向かう際に、左舷から見える湖の中に浮かぶように見える神秘的な赤い鳥居。それがこの箱根神社です。
古くは山岳信仰における神仏習合の神が祀られ、源頼朝をはじめとする関東武士の崇敬を受けてきたという歴史のある神社。現代でも、勝負事や事業の成功、良縁や安産などに強力なご利益があるとされ、政財界から若い女性まで、多くの人が参拝に訪れているのだとか。

 箱根神社の由緒書きに依れば、
『箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。』
とのこと。
 前回参拝した3年前は、まだ保護犬コユキが来る前で、ナナも心臓病の発症前だったので妹に預かってもらい、是非一度乗りたかったロマンスカーの先頭車両で新宿から初めての箱根湯本に来て、ケーブルカーとロープウェイで大涌谷を経由し、芦ノ湖では遊覧船に乗ってと、箱根登山鉄道や路線バスで移動した箱根滞在でしたが、今回は車。そこで、娘たちのことを色々お願いすべく、箱根神社へ再度お参りに行くことにしました。
仙石原からは、湖尻を経て芦ノ湖畔の元箱根の町営駐車場(無料です)に車を停め、湖畔を歩いて箱根神社に参拝します。車道とは別に湖畔沿いにも遊歩道の様な小道もありますが、途中で車道を渡って鳥居をくぐって境内に入り、参道を歩きます。因みにこれが箱根神社の第三鳥居で、手水舎で清めてから次の鳥居をくぐって、太い杉並木が続く100段近い石段を登ります。その石段下の鳥居が第四鳥居で、因みに駅伝の元箱根港の往路ゴール直前に選手たちが駆け抜ける鳥居が第一鳥居とのこと。

石段を登り終えて最後の第五鳥居をくぐると、朱色の社殿が現れます。門の先に箱根神社の本殿、そして右側が九頭竜神社の新宮です。本宮が不便な所に在るので、本宮に代わりこの新宮でお参りが出来るのだそうです。
戦勝祈願や事業の成功祈願は箱根神社で、良縁祈願が九頭竜神社。そしてその社殿横の大きな杉の木が、源頼朝・政子が安産祈願をし、鎌倉三代将軍実朝を無事出産出来たと伝わる“安産杉”なのだそうです。娘たちと我が家のことも含め、その全てにお参りしました。
因みに、本殿に行く石段途中に、境内社として祠の様な社殿の曽我神社があります。仇討ちの“曽我物語”で知られる曽我兄弟を祀っているのですが、弟が箱根神社の別当に元服前に稚児として預けられていて、仇討ちに際しては、別当から今も伝わる神社の宝刀を兄弟に授けられたのだそうで、箱根神社は曽我兄弟ゆかりの神社でもあります。曽我兄弟の仇討ちは、鎌倉時代以降“武士の鑑”として仰がれ、能や浄瑠璃、歌舞伎にも取り上げられているので、日本人は何となく頭の片隅に記憶や残像として残っているのでしょうか。そういえば、3年前に初めて箱根に来た時に、バスで駅伝ルートを走りましたが、往路最終区の山登りの最高地点を過ぎて芦ノ湖畔に下る前に「曽我兄弟の墓」と書かれた案内板を見たような気もしますが・・・。
 石段を下り、車道を渡って芦ノ湖畔に下りて行くと、そこに鳥居が湖の中に建っていて、これが遊覧船から見える赤い鳥居の「平和の鳥居」。フォトスポットだそうなので、我々もここで写真を撮り湖畔沿いの道を元箱根に戻りました。途中、元箱根港に停船している海賊船と駅伝ゴールのシンボル第一鳥居が見えました。