カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 会社員時代、諏訪方面に勤務していた時に電車通勤だったこともあり、朝は先ず日経を隅々まで読んだ後、携帯しやすい文庫本を行き帰りに読んでいました。帰りの電車では専ら読書です。当初はビジネス書よりも気楽に読める推理小説が多かったように思いますが、40代を過ぎた頃からか時代小説も読むようになりました。

 個人的に好きなエッセイストである評論家の川本三郎氏は、「大人の嗜み」として藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎の「“一平二太郎”を読むべし」と言われるのですが、思うに、個人的には恐らく時代小説好きは池波正太郎派と藤沢周平派のどちらかに二分される様に思います。
池波正太郎には「真田太平記」やTVドラマやコミックでもお馴染みの「仕掛け人藤枝梅安」「鬼平犯科帳」「剣客商売」などもあり、例えばいつも行く床屋さんでの散髪の待ち時間などでコミックの「そば屋幻庵」などを手に取ることも少なくないのですが、小説として読むとなると、私自身は圧倒的に藤沢周平派です。
その理由は、池波正太郎の作品はコミックに描かれる様に如何にも時代劇風でドラマチック、一方の藤沢周平はまるで一幅の絵画を見るような感じで多分に映像的だと感じます。読んだ後に残り香がある気がするのです。そして、そんな風に感じる理由は、藤沢周平自身の言葉に象徴されている様に思います。曰く、
『私が書く主人公たちは、武家社会の中で支流とはいえない、組織の脱落者、あるいは武家社会の中で呼吸してはいるものの、傍流にいる人々などを主として取り上げている。』
池浪正太郎を読んでヒーロー物でストレス発散するか、藤沢周平を読んで傍流の市井の人々の生き様に共感するか、人それぞれの好みではありましょう。

 数ある藤沢作品の中で、個人的にも好きなのはやはり何と言っても海坂藩モノです。それは世間的にも同様で、例えば映画化された藤沢作品を見てもやはり海坂藩モノが多く、「蝉しぐれ」しかり、「たそがれ清兵衛」しかり、「山桜」しかり・・・。そうした作品の一つにTVドラマ化された「三屋清左衛門残日録」があります。
お側用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て家督を長男に譲り、50代半ばにして国元で隠居生活に入った三屋清左衛門が主人公。妻は江戸詰めをしていた3年前に先立っており、隠居部屋を建てて若夫婦と同居しているという設定。長編ではなく15の短編からなる連作作品集です。
しかし、これまでは余り興味が持てずに読んだことはありませんでした。というのも、何となく、「蝉しぐれ」や「山桜」で描かれている様な藤沢作品の持つ清涼感とは違うような、過去を悔恨し懐かしむ隠居老人の“日めくり日記”の様な気がしたのです。
しかし、自身もリタイアして“隠居老人”になってみて、平々凡々に“残りの日”を過ごそうとしている日常の中で、そんな気分も少し変わってきました。
因みに「三屋清左衛門残日録」には藩名は出て来ませんが、主人公が磯釣りに行くので海辺の地域であり、また馴染みの小料理屋では時期になるとハタハタ料理が出て来ますので、東北地方の海沿いであることが分かります。従って、特定されてはいませんが海坂藩だろうと思えるのですが、但し小説の中で方言は使われていません(但し、BSフジで放送されたTVドラマでは雪を頂く鳥海山が何度も映し出されますので、海坂藩と断定しているのが分かります)。
因みに、海坂モノと云われる小説の中では、例えば「秘太刀馬の骨」は方言(庄内弁)が使われていますが、代表作と云われる「蝉しぐれ」では方言は使われていません。従って方言だけを以て海坂モノとは言えない様です。
藤沢作品としては珍しい隠居老人が主人公(他には、下級武士の出ながら功成り名を遂げて主席家老となった主人公を描いた「風の果て」もありますが)という「三屋清左衛門残日録」ですが、当然とはいえ如何にも藤沢周平作品らしい描写が書かれています。
例えば、
『誰もいない、丘の陰に入って小暗く見える川には、水面を飛ぶ虫をとらえる魚がはね、そしてそこだけ日があたって見える丘の高い斜面のあたりでは、一団になってひぐらしが鳴いていた。夏が終わり、季節が秋に移るところだと清左衛門は思った。やはり一団になって鳴くひぐらしがいて、ひぐらしは寄せる波音ように交互に鳴きかわしていた。』
ひぐらしの鳴く声さえも静寂さの中に静かに消え入る様に染み渡っていく様な、そんな静謐さすら感じさせるこうした記述が、如何にも藤沢周平作品だと思うのです。また一方で、
『清左衛門の年齢になると、そういうささいなことにも、ふと幸福感をくすぐられることがあった。珍重すべきことのように思われて来る。』
というような件は、以前は決して感じなかった部分であろう筈が、今では何となく親近感以上に共感出来るのです。とどのつまりは、要するに自分自身が「清左衛門の(様な)年齢に」「なった」ということなのでしょう。
因みに、原作は如何にも隠居老人として淡々としたストーリーなのですが、ドラマ化されたTVの方がむしろストーリー(山田洋二監督同様、他の藤沢周平の短編作品の要素も盛り込みながら)の展開に変化を持たせてあります。

 リタイアした今だからこそ、読みそして感じたのであろう藤沢作品「三屋清左衛門残日録」。読み終わって感じるのは、「自身もそうあるべし」でしょうか・・・然るに、『日残リテ暮レルニ未ダ遠シ』。