カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 2年前のドラフト会議。ヤクルトに指名された奥川やロッテ佐々木などがドラフト1位候補の目玉とされた中で、オリックスに1位指名されたのが沖縄興南高校のエースだった宮城大弥投手でした。
彼は172㎝と決して体は大きくないのですが、U-18 の日本代表に選出されて、外国人選手相手に最速149㎞の直球と鋭いスライダーを武器に好投する宮城投手を見て、貴重なサウスフォーでもあり「いいピッチャーだなぁ・・・」と感心し、個人的にはドラフト会議でも注目していました。
指名が重複した星稜の奥川や大船渡の佐々木に対し、宮城は外れの外れでの1位指名でした(従って、2巡目の入札でどの球団も彼を1位指名で獲得出来たのです)。

 その日の夕刻の恒例のTBSのドラフト特番で、宮城投手が取り上げられ、父上が若い頃に遭った交通事故の影響で左手が不自由になり、定職に就くことができなかったために、食費もままならないほど困窮し、家計が苦しくなると毎日のように具のないカレーが食卓に並ぶなど、或る意味、貧乏を通り越して極貧とも言える生活の中で小さい頃から野球を続けて来たことを知りました。ボロボロで継ぎ接ぎだらけのユニフォームや、子供用のグローブを使い続けるなど、チームメイトから馬鹿にされることもしょっちゅうでも、彼はいつもニコニコしていたのだそうです。だからプロ野球選手になってお金を稼ぎ、一日も早く家族に楽をさせたいという一倍強い思いを持っていた宮城投手だったのす。
最後にご両親への感謝の手紙を読む彼に、恒例の“お涙頂戴”のヤラセ企画だとしても、その背景を知りTVの前で貰い泣きをする自分が居ました。
しかも、オリックスからの契約金7000万円の内の2000万円を、出身小中学校や野球チーム、宜野湾市、那覇市、豊見城市などへの寄付にあてたと後で知り、そんな彼のプロ入り後の活躍を期待し応援していました。
どんなに学生時代に活躍しても、プロで大成するとは限りません。ドラフト1位で入って、一軍で全く活躍することも無く消えて行った選手は山ほどいます。そうした中、彼は一年目の秋に高卒同期で真っ先に勝利を挙げ、二年目の今年は山本投手と共にオリックスの二枚看板のエースとして、お互い最多勝争いをしながらリーグ優勝を目指して活躍しています。
そうした活躍で、家族全員にUSJの年間パスポートをプレゼントしたという、先月末二十歳の誕生日を迎えたばかりの今時珍しい純な若者です。

 「本当に良かったなぁ! 野球の神様はチャンと見てるんだなぁ!」

これからも、ケガには気を付けて、ガンバレ!宮城投手。