カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 現役唯一の人間国宝の落語家だった柳家小三治師匠(本名・郡山剛蔵さん)が7日、心不全のため亡くなりました。まだ81歳でした。
師匠の柳家小さん、桂米朝に次ぐ三人目の“人間国宝”であり、“昭和の名人”と云われた噺家でした。
高座を大事にした噺家なので、あまり録音や録画に触れる機会が無く、勿論生で聴いたことも無いのですが、図書館のCDコーナーにある古い録音で、「芝浜」と「高砂や」を聴いたくらいでした。
それが、最近なのか、「令和の新シリーズ 小三治の落語CD」と題された全6巻のCDがコーナーに並んでいたので、その中の2枚組の「ま・く・ら」2巻をたまたま借りて聞いていたのですが、その借りて聞いていた間に師匠の訃報が飛び込んで来たのです。
訃報を伝えるTVのテロップに、「えっ・・・」と一瞬絶句。そして、ちょうど師匠のCDを借りていた、まさかの偶然に唖然・・・。

 本来落語のまくらはネタへの導入部分なのですが、小三治師匠の「まくら」は「まくら」そのものが芸で、その「まくら」を聞きに来る客も多いという“伝説”があり、その結果「ま・く・ら」と題した師匠の「まくら」だけを集めた本やCDが出版されているのです。前述の「芝浜」などの古典落語のCDは、当然ネタがメインのCD故、まくらを楽しむことは出来ません。
そこで、1999年から2011年までに行われた「朝日名人会」での音源から厳選されたという、この全集に収められた師匠の十八番と云われる「猫の皿」や「鰻の幇間」、「厩火事」といった古典落語のネタではなく、先ずはこの「ま・く・ら」のCDを借りた次第です。

 2巻4枚のCDには、「あの人とってもこまるのよ」と「人形町末広の思い出」(注)と題された「まくら」が2題入っているのですが、その「まくら」がそれぞれ1時間半~2時間・・・。これって「まくら」じゃない・・・。それもその筈で、最初から「まくら」だけを演ずる前提の独演会だったのだそうです。
他の独演会の高座でも、まくらを1時間近くしゃべった後でネタを15分話して終わりという様な高座もあったといいます。そのネタは前座ネタである「道灌」だったとも・・・。是非一度師匠の演ずるその「道灌」を一度聴いてみたかったと思います。というのも、師匠の弟子である柳家三三師匠が落語監修をした尾瀬あきら氏の「どうらく息子」で、酒に溺れた夢六師匠復活の高座ネタが「道灌」でした。
 落語ではなく、ピアニストを頼んで好きな歌を歌うだけのステージもあったという師匠だけに、「あの人とってもこまるのよ」では好きだという師匠の歌う中田喜直の曲も収録されているのですが、正直、師匠の歌を聞きたいとは然程思えませんでした(残念ながら、所詮は素人の域)。
一方の「人形町末広の思い出」には前座時代からの思い出が語られますが、芸に厳しかった「名人圓生」に憧れ、その三遊亭圓生からも可愛がられて一時は圓生一門より自分の方が上手かったという亡き圓生のモノマネ。一字一句変えてはいけないという圓生に稽古をつけてもらった「蒟蒻問答」で、後で正蔵(彦六)師匠と師匠の小さんに圓生の間違いを指摘されて直し、或る日その「蒟蒻問答」を高座に掛けていた時に、人形町末広の楽屋に圓生、小さん、正蔵の師匠三人が火鉢を囲んで黙って自分の口座を聴いているのを見て、高座で一体どうしたらいいのかと七転八倒し冷や汗をかいたというエピソード。“圓生のモノマネ”と兄弟子に馬鹿にされ“脱圓生”を目指したことや、やがては小さん師匠の云う「了見」を自然と目指すことになったことなど、「“放し飼い”にしてくれたのが良かった」という師匠小さんの思い出。更には、“兄さん”と慕った志ん朝師匠との弥次喜多道中の様な欧州旅行でのハプニング・・・などなど。
因みに、日常の世間話の様な師匠独特の「まくら」を話すようになったきっかけは、昔ラジオ東海で数年間深夜放送のDJ(ナナハンを乗り回し、スキーやオーディオなどの多趣味で知られる師匠が、好きなクラシック曲を何でも放送中に掛けても良いというので引き受けた)をしていた時に、毎回の深夜放送では台本が無いので、その日にあったことや感じたことなど、そんな世間話をただ喋っていたことだったという裏話も・・・。聴きながら、ライブでの聴衆同様に笑い転げていました。

 東大工学部卒のヘヴィメタ専門誌の編集長にして落語の評論もされる(というより、個人的にはブラスロックくらいならともかくヘヴィメタは一切聴かないので、落語に関する評論でしか氏を知らないのですが)広瀬和生氏の言を借りれば、小三治師匠は、
『落語という「形式」を語るのではなく、高座の上に「人々の日常」を描き出す。そこにあるのは誰もが共感する「人間という存在のかわいさ」。声のトーンや表情のちょっとした変化だけで笑わせてしまうのはまさに「名人芸」だ。』
写真(注:落語協会のH/Pから拝借しました)からも分かる通り、照れながら高座でニコッと微笑む顔が本当に可愛いとさえ感じられる小三治師匠なのでした。

 最後の高座は10月2日、東京・府中の森芸術劇場での「猫の皿」。更に、亡くなった数日後にも高座に上る予定だったという、最後まで現役を通した“昭和の名人”噺家小三治師匠。まさにアッパレなPPKでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします-合掌。
【注記】
「人形町末広」は1867年開業という、江戸時代以来の客席全て畳敷きの落語定席で、1970年に閉場。(写真はカード会員誌の2016年「落語特集」に掲載)

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