カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 大相撲初場所は、まるで初夢が正夢となった様な御嶽海の3度目の優勝で幕を閉じました。場所前の事前の報道で、29歳になった御嶽海が、
 「20代最後の場所なので、大関取り目指して頑張りたい」
という抱負を聞いて、一体今まで何度裏切られて来たのか!?と、どうせ今場所もと(そうは言っても毎場所期待半分ではありますが)それ程期待しなかったのですが、初日から見事8連勝で給金直し。
 「でも、どうせまた負けるよナ~・・・。負けると、またズルズル連敗するんだよナ~・・・」
2度も平幕優勝して、大関になっていない力士は過去にいません。ですので、以前も書いたのですが、
『二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝、隣県富山出身の朝乃山・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。
(中略)こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
(中略)だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”』

 ところが、今場所は最後まで横綱との優勝争い。そのため、そうは言ってもと、せめて千秋楽の大一番だけはしっかり生で見て応援しようと思ってTVを着けたら、もう既に表彰式が始まっていて・・・、
 「えっ、御嶽海が勝ったんだ・・・」
前日の一番で、古傷を痛めたであろう横綱が、当たり負けし土俵際でも粘れずにあっけなく押し出されたのは痛々しかった・・・のですが、しかし、それにしても「長野県出身で雷電以来227年振りの大関」で、まさかTVの相撲中継で伝説の「雷電為衛門」まで出て来るとは・・・。
強すぎて横綱になれなかったという雷電は、小県(ちいさがた)郡大石村(その後、滋野村から東部町を経て現在の東御市)出身(注)ですが、それを言うなら江戸時代故「長野県では」ではなく「信濃国」か若しくは「信州」でしょうか・・・。
ただ、NHKのアナウンサー氏が雷電に続けて、数少ない長野県出身の最近の幕内力士として「大鷲」関の名前を挙げ、解説の北の富士さんもちゃんと覚えていてくれたのは、チョッピリ嬉しく感じました。そして、その北の富士さんもファンを公言しているという、お母さまのマルガリータさんも久し振りにTV画面に登場(インタビューで、御嶽海の「コロナ禍なので、もう少し静かにしていてもらいたいのにスイマセン」というコメントもなかなかウィットが効いていて良し!でしょうか。)

 閑話休題・・・で、御嶽海は、押し出しや寄り切りで相手力士が土俵を割った際、決してダメを押すことをせずに、土俵下に落ちない様にすっと支える心優しき関取です。
大関になった以上は、怪我や一時の勢いだけで陥落したりカド番続きの大関ではなく、少なくとも毎場所優勝争いに絡むよう、今まで以上に稽古に精進し、綱を張らなくても良いので、嘗ての清国(些か古過ぎますかなぁ・・・)の様に、その品格で是非“令和の名大関”と謂われて欲しいと願っています。
 「ガンバレ、大関(イヨッ!)御嶽海‼!」
(それにしても、御嶽海を大関って呼べるなんてなぁ・・・実に感慨深いですね!新年早々、長野県民へのビッグなお年玉のプレゼントでした。アリガトウ御嶽海‼)

 正式な大関昇進を受けて、部屋の大先輩でもある北の富士さんが、一言。
 『今夜は私もお祝いに一杯やりたくなった。近くのホテルのバーにでも行って「マルガリータ」でも飲みますか。』
イヨッ、座布団一枚!
【注記】
平成の合併で、東部町と北御牧村が合併して出来た市。御牧は平安時代に置かれた朝廷直轄の勅旨牧に由来。東御(とうみ)市は、全国の市の中で読みが難解の地名なのだそうですが、御牧村なら分かっても東御では何のことやら・・・。他にも、例えば長野県内では大町市に合併した美麻村(みあさむら)など、平成の大合併でそうした歴史的由緒ある地名が次々と忘れられていきます。
因みに、東御市の旧東部町の出身であるその雷電は、江戸時代の松江藩のお抱え力士だったのですが、それは家康の孫で松江藩松平家の祖となった直正公(現存する国宝5城の内の二城の城主だったことになりますね)が松本から松江に移封された縁で、茶人大名でも知られる松平家7代目不昧公が雷電を松江藩のお抱え力士にしたのだと云います。

 今まで使っていた家具類を持って行けるスペースが無いことは前に書いた通りですが、一方私メは持って行くつもりだったのに家内と娘から「No!」というキツイ駄目出しをされてしまったのが、私メのオーディオ類でした。

 大型のプリメインアンプは勿論、レコードプレーヤー、カセットデッキ、MDプレーヤー、CDプレーヤー、チューナーとスピーカーです。
家の新築時に買い替えたので、これも24年。しかも、スピーカーは社会人になった時に買った40年前の3ウェイと自作スピーカーの長岡式スワン。さらに、サブシステムとして使っていた、KEFのトールボーイの合計3組のスピーカー。
アンプ類はさすがに古いので、家電同様買い替えることにしましたが、スピーカーだけはどちらも気に入っている云わば“愛機”ですし、世の中が如何にデジタル化されようと、最後にはアナログ変換での音の出口であるスピーカーだけは、ユニットの特性だけではなく、剛性や内部の形状など箱の作りにも左右されますので、良い材料を使ってしっかりと仕上げてあれば、銘器と言われるバイオリンのように昔のスピーカーであっても良い音がする筈です。私メのLS-202もスワンもその意味で個人的には銘機だと思っています。従って、これからも壊れるまで聴き続けるつもりでいました。
しかし、どちらも底辺30㎝四方以上の大型スピーカーですし、ソファーや飾り棚などを置くリビングルームのスペースとの兼ね合いから、色々置き方を考えつつ何度測ってみても確かにスピーカー2台を置くスペースは生まれないのです。
 「ウーン、どうしよう・・・?」
 LS-202はKENWOODの前身であるTRIOが本格的にスピーカー制作に進出したLSシリーズのスピーカーで、25cmウーファーのフロア型の3 wayバスレフ・スピーカー。片やスワン(初代D-101)は、スピーカー自作派の“神様”故長岡鉄男氏が設計した点音源の傑作と云われるバックロードホーンスピーカーで、ユニットはフォステクス往年の銘機FE106∑を用いた僅か10cmのフルレンジ1発。面で鳴るか点で鳴っているかの違いと、スワンは点音源ですので、出来るだけ耳の高さに合わせた二等辺三角形の頂点で聴くのがベストなスピーカーです。
しかもスワンは1987年の赴任直後の慣れないシンガポールで、引越し荷物と一緒にカットされた板材キットを送って、家族がシンガポールに来るまでの3ヶ月間、休日や夜などやる事が無い時に、一人黙々と組立作業をし、サンドペーパーでしっかり磨いて、探し当てたDIYショップで購入したラッカーを三度塗りして仕上げた思い出のスピーカーです。その後、次女がヨチヨチ歩きの頃、音の出る所が不思議だったらしく、スプーンで叩いてコーンを凹ませてしまい、出張帰国の際に秋葉原で交換用にスピーカーユニットを再度購入し、併せて保護用にガードグリルも購入して取り付けてあります。
 そこで、今回新居に持って行くスピーカーを絞り込むに辺り、メイン・スピーカーのLS-202とスワンD-101を改めて聴き比べてみました。
3WayのLSの方が高音は勿論なのですが、バックロードホーンとは言えフルレンジ1発(しかもたったの10cm!)のスワンよりも、特にダブルベースなどの低音も音の粒が立ってくっきりしています。
一方のスワンはバックロード特有のクセとして、どうしても「ブン」ではなく「ボン」という感じになりがちです。しかも低音は音道を通って増幅されて背面から出て来るので、何となく遅れた感じがします。逆にLSが面で響いてくるのに対し、スワンは点音源の名の通りクリアに左右のピンポイントから抜群のステレオ感で響いてくる感じでしょうか。
二つを比べてみると、謂わばシャープなLSとマイルドなスワンという違いはありますが、ステレオ的な「音」としてのまとまりはスワンの方があるような気もします。最後は聴く人の好みでしかないのですが、でも想像以上にLS-202はクセの無い素直でイイ音作りでした。

 どう考えても二つは無理なので、どちらか一つに絞らざるを得ません。悩みに悩んだ結果、最終的にはバックロードのスワンに比べ音が透明でクセの無いLS-202を新居で使うことにしました。
そこで、スワンは家内に頼んでメルカリに出品することにしました。オーディオには全く興味のない家内の「こんなの、どうせ売れる訳無いわよ!」という冷たいお言葉に対し、ところが、あろうことか直ぐに買い手が現れたのです。家内も、「えっ、ウソッ!?」と絶句。
 そこで、売れたのは大変有難いのですが、次なる問題はどうやって送るかでした。
初代のスワン(D-101)は、首の部分(スロート)が(耳の高さに合わせるために)可動式で外れる設計になっています(二代目となる長岡式「スーパースワン」は固定です)ので、スロートを外してバックロードの折り曲げ部分である箱と二つに分け、傷付かぬ様にエアクッショで包み、それぞれ大きさに見合う段ボール箱に入れて発送しました。
すると到着後、すぐに買い手の方からメールが届きました。
『(略)やっとセッティングが終わり、お気に入りのモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いております。
高域が足りないとのお話でしたが、あまり気にならずむしろ抜群の音場感が素晴らしいです。今まで使っていた3ウェイスピーカーは何だったんだろうと感じました。やっと求めていた音に出会えたと感動いたしました。
梱包も大掛かりで大変だったと思います。その上ご主人から丁寧なお手紙まで頂き、本当に良いお取引できたと感謝しております。末永く大切にスワンを使っていきたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。』
 まるで愛する娘を嫁がせた親の様な気持ちで、泣く泣く手放したスワンでしたが、メールにある様に大切に使って頂ける新しいオーナー様に出会えて本当にホッとしました。文中に、モーツァルトのピアノコンチェルトを聴いているとありましたが、私も好きな20番、或いは21番の第2楽章でしょうか?
私メ同様に、スワンを聴くのに一番相応しいクラシック音楽好きなオーナー様のようで何よりです。しかも、「今まで使っていた3ウェイスピーカーは何だったんだろう?」という、スピーカー自作派にとってはこれ以上ない最高の誉め言葉まで頂くことが出来ました。
今も日本のどこかでモーツアルトを奏でているであろう、我が愛しのスワンに向かって、
 「良かったなぁ!新しいご主人さまに末永く可愛がって貰うんだぞ!」

 引っ越しに当たっての断捨離で、先行したのは奥さまです。
元々、何でも取っておくタイプの私メに対し、それ程モノに執着することなく、不要だと判断すればまだ十分使える状態であっても躊躇なく捨てられるタイプの奥さま。
弁解がましく思うに、恐らく捨てられないタイプの男性に対し、然程躊躇することなく捨てられるのが女性なのではないか・・・と?
ただ夫婦間で考えれば、両方共捨てられないのもモノが溢れて困りますし、逆に何でも捨ててしまうカップルだと、時に大事なモノまで捨ててしまって後の祭りということもありましょうから、凸凹なことで夫婦間のバランスが取れている方が良いのではないでしょうか・・・?(と自己肯定をしておきます)。

 そんな奥さまが活用されたのが、メルカリ・・・でした。
我が家には、シンガポール赴任中に家内が集めた食器類を飾るために、一階の吹き抜けのリビングルームの構造上必要だという柱を上手く使って、飾り棚を設計士の先生が作ってくださってありましたが、当然新居のマンションにはそんなスペースはありません。そこで、ロイヤルコペン、ウェッジウッド、リヤドロ、スワロフスキーなどの中から、娘たちが将来使いたいというモノだけを残して出品してしまいました。他にも、新居のクローゼットには収まり切れないからと、同様のバッグ類や洋服などなど・・・。
そして、家内曰く、
 「気を付けないと、メルカリに嵌りそう・・・。」
とのこと。
何でも、写真の撮り方一つ、紹介文の書き方などで、「イイネ!」の付き方が変わり、売れた時もその梱包の仕方でメルカリ上での評価が変わるのだとか・・・。そして、それが嵩じていくと、本来の目的である“売る”ことそのものよりも、売れて“評価される”までの過程の方に快感を覚える様になってしまうのだとか・・。謂わば“メルカリ中毒”でしょうか。その“中毒症”になる前に、我に返り「アブナイ、危ない・・・」と独り言・・・。
家内曰く、まぁ、そうした本末転倒の様な快感は別として、リサイクルショップに持って行けば、例えブランド品であっても本当に二束三文に買い叩かれてしまうのが、モノによっては、不用品で売りたい側とそれが欲しくて探していた側が出会うことで、リサイクルショップで買う時の売値には届かないまでも、それに近い金額で買って貰える場合や、捨てるしかないと思っていた、例えばシンガポールでブランド品を購入した際にタダで貰ったノベルティーも、その年々の限定品で、そのシリーズを集めているコレクターがいる場合もあって、買って貰えるケースもあるのだとか。
また売り買いも、個人的な恨みつらみなどに繋がらぬ様、売り主飼い主が最後まで分からぬ様にメルカリやメルカリ指定配達業者が介在するので安心なのだとか。「ナルホドなぁ・・・」と感心し、“フリマアプリ”のメルカリが個人のリサイクルユースとしての有効な手段、ツールになっていることを今回つくづく認識したのでした。

 リサイクルショップは、売り手から店が買い取ります。人が多く介在する以上、その一番コストが掛かる人件費含め利益を出すために、如何に安く買い叩くかという命題が発生し、買い叩かれた売る側は買い取る店に対し、少なからぬ“恨みつらみ”が発生する可能性があります。しかし、メルカリは飽くまで場を提供するだけ。高く売りたい売り手と、安く買いたい買い手が、個人を特定出来ない匿名同士で存在するだけ。仮に売買に不平不満があっても、それは飽くまで売り手買い手の匿名の個人同士間であって、一見メルカリは直接的にはその中には介在してしいないのです。しかし、その“場の提供代”として、しっかり売値の10%を回収する仕組み。しかも自身がその間に介在しないことで、当事者からの直接的な批判を避けながらも、その裏でしっかりと手数料を稼ぐ・・・実に上手い仕組みだと思います。
勿論、個人が相手だけにこれまでもルールを逆手に取る身勝手なユーザーや犯罪まがいのユーザーなど色々想定外のケースもあって、都度様々な社会的批判にも晒された様ですが、或る意味それは先駆者としての宿命であるのかもしれません。そうしたケースで授業料を払いながら、そうした事例について、今後想定し得る、若しくは派生事例として将来的に考えられるケースについてリスクヘッジをしながら、その都度メルカリは進化し続けていると感心した次第です。

 前回書いた様に、『新居のマンションは、60坪近い今までの我が家の半分の広さしかありません。(中略)ふんだんにあった我が家の収納スペースと比べると、新居のマンションの収納スペースは、恐らく半分どころか1/3位ではないでしょうか。』

 建築後24年経った我が家ですが、設計士の先生が相見積を取った中から(最低価格を提示した工務店ではなく)選ばれた地元の滝沢工務店も良かったのだと思いますが、襖や障子などもいまだに寸分の狂いもありません。また日頃の奥さまの使い方や手入れも良かったのでしょう、決して手前味噌ではなく、四半世紀経った家とは思えません。特に家具類は、私メは“安物買いの・・・”ですが、家内は良いモノを買って長く使うタイプなので、家を建てた時に、東京のカリモクのショールームまで行って選んだ6人掛けのダイニングテーブルとチェアも、またL字のレザーのソファーもコーヒーテーブルも、傷は勿論ガタつきも全くありません。今でも十分に使えるのですが、もしマンションへ持って行くと、ダイニングテーブル、或いはソファーだけで新居のリビングルーム(LDK)を占領してしまうので、残念ながら持って行けません。また新居には和室がありませんので、螺鈿の卓袱台もそのまま。他のビルトインタイプの家具や食器棚などは、当然ですがそのままです。
唯一、新居に持って行くのは、寸法を測ってギリギリ新居の寝室に入りそうだった我々のベッドです。それと、家内の和箪笥とクローゼットに入りそうな小さめの洋服ダンス二棹。しかし、長女のベッドは置くと部屋が狭くなるので不要とのこと。また子供が巣立った後に書斎代わりに使っていた、ファミリーコーナーの机と椅子も新居では置くスペースがありません。
そして最後に、これだけは狭くなろうがなかろうが絶対持って行かなくてはならないのが、明治時代に購入したモノでしょうか、先祖代々受け継いできたであろう古めかしい我が家の仏壇です。
 一方の電化製品は、調べてみると2011年にそれぞれ買い替えていましたので10年経っているのですが、今でも全く問題無く使えています。しかし、10年前の製品と最新の家電を比べれば、機能的には最新家電には当然ですが見劣りしますので、せめて家電製品だけは気分一新となるべく買い替えることにしました。
ただ今まで使っていた大型冷蔵庫も洗濯機も、壁掛けにしたリビングの52インチのハイビジョン液晶TVも、寝室の壁掛けの40インチの液晶録画TVも普通に使えますので、もし次の方に使って貰えるならと、そのまま置いておくことにしました。
 更に、家具ではないのですが、マンションでは使えないモノ。
それは、それぞれ2年前に寿命で新しく入れ替えたばかりの薪ストーブと天井埋め込み式のエアコン。どちらも本体そのものも高額ですが、工事費も掛かるので総額は結構な額になりましたが、マンションでは薪ストーブは論外ですし、エアコンも天井型は不可でしたので、まだ新品同様ですがこちらも泣く泣く諦めるしかありませんでした。
 そして、持ってはいけないものの最大?は・・・庭・・・です。
自分で作庭した芝生、24年経って立派に成長して正にシンボルツリーとなったプンゲンスホプシー。今年もたくさんの花芽を付けている紅白のハナミズキ。端正なヤマボウシなどの雑木林ガーデンと、家内が丹精込めて育てて、雑木林の樹下を彩る60株にも増えたクリスマスローズ、などなど・・・。
こればかりは残念ですが、マンションへ持って行ける訳も無く、せめて年老いて雑草だらけになった庭を見なくて良かったじゃないかと自分たちを慰めて泣く泣く諦めるしかありませんでした・・・。
 丹精を込めた庭を含め、我々の“終の棲家”のつもりだったこの家を大事に引き継いでくれル方の出現に期待するしかありません。

 既にご紹介した様に昨年末マンションへ転居しましたが、その結論に至るまでは記載した程は簡単ではなく、我々夫婦間では毎日の様に冷静と感情の狭間で繰り返された言い合いも、最後は「じゃあ、一体どうするの?」で終わってしまい、その都度先送りにして結論出ずの日々がずっと続いていました。

 突然倒れた父、父任せでいたために家のことを聞いても何も分からない母。その結果、手つかずで10年間放り出されたていた母屋と、宅地化により周囲を住宅に囲まれ、ご近所さんからの警察や市役所への騒音クレームもあって栽培困難となっていた果樹園・・・。
結局自分たちで何とかするしかなく、一昨年母屋の整理の時に我々が味わった同じ苦労や責任を子供たちに押し付けることだけはするまいと誓った筈でした。
今はまだ良いのですが、やがて動けなくなれば、“終の棲家”と定めた我が家もいずれは母屋と同じ様になってしまうでしょう。
ご近所にも年老いたご夫婦を面倒見るために、我々より年配の娘さんがお一人で毎月1週間ほど戻って来られる首都圏ナンバーの車を見掛けます。我々は、長女が海外では月一で頼む訳にもいきませんし、遠くに嫁いだ次女に頼ることも出来ません。そうなると、やがて老夫婦だけになれば、いずれは老々介護となって、いつか車も運転出来なくなれば(食料品はネットスーパーがあるとしても)買い物などの用を足すことも出来ません。

 そんな頭では分かっていることと、「イヤ、そうは言っても・・・」と理屈では割り切れない感情が交錯する日々。結局は自分たちが動ける内に自分たちで出来ることは片を付けておくしかない・・・。
そんな繰り返される葛藤の中で、気持ちの中で一番の後押しとなったのが、介護度が進んで目の離せなくなった、93歳の母の特養入居でした。
地元にあるその施設には、ここ何年かデイサービスで毎週通っていたり、時にはショートステイでお世話になっていたこともあり、施設の方々も母のことを良く知ってくださっていたことも大きかったかもしれませんし、ケアマネさんの尽力のお陰もあって、またコロナ禍故に広域での人の移動が少ないこともむしろ幸いだったのか、予想以上に早く入居させていただくことが出来たのです。
そして、長女が勧めてくれたマンション入居。当たり前と言っては何ですが、今のマンションはペット入居可能という物件が多くあることも初めて知り、今のままでワンコたちと一緒に住めることも背中を押してくれた一因でした。
昨年コロナ禍で、長女が「リモートワークなので東京に居てもしょうがないから」と松本に帰省して来て自宅で働いていた時に、たまたまそういう話になって、彼女が検索するとペット可の新築応募中というマンションが偶然見つかり、リモートワークの合間にそのマンションギャラリーに行ってみたのでした。
すると、本来は(コロナ禍対応もあって)事前予約が必要だったと知ったのですが、その時にたまたま手透きだった責任者の方が「イイですよ!」と飛び込みだった我々の応対をしてくださり、既にもう半分以上が売れていた中で、長女が松本でのリモートワークで使えばいいからと、その場で買うことを即断即決してしまったのでした。

 勿論、高価な買い物であり、重要な案件であればある程じっくり考えた方が良いことは言うまでもありません。しかし、時に「拙速は巧遅に優る」ことがあるのも事実。多分、持ち帰って我々だけで検討していたら、上述の思考過程の繰り返しで、結局また出口の無い迷路に入り込んでいたでしょう。その意味では、今回は多分に彼女の即断即決に助けられたのかもしれません。
後で、「本当にイイの????」と、私メの性格と我が家の“歴史”と置かれた事情を知る家内が、心配して何度も確認のために聞いてくれましたが、優柔不断で悩みに悩んだ挙句に結論が出ない(=決断できない)よりは、色々迷わずに一度出た結論に委ねてみるのも良いのではないかという結論に至った次第・・・です。
ということで、最終的に・・・、
 「ま、イイか!?」

 そして、そこから今度は別の苦労がスタートしました。
それは“断捨離”です。新居のマンションは、60坪近い今までの我が家の半分の広さしかありません。
“終の棲家”のつもりで建てた我が家は、地元で著名な建築家である児野先生が家内の要望をトコトン聞いて設計してくださった家で、特に収納スペースは入れる家具(例えば、家内の着物を仕舞う和箪笥など)の寸法を測ってキチンと収まる様に広さや高さまで設計されています。
物置、階段下収納、ウォークインクローゼット、押し入れ、コートクローク、はては玄関のシューズクローゼットに至るまで、ふんだんにあった我が家の収納スペースと比べると、新居のマンションの収納スペースは、恐らく半分どころか1/3位ではないでしょうか。
 定年後の断捨離は、どちらかというと“気持ち”の断捨離でした。ある意味、気持ちに整理を付けるべく、“心理的”に捨て去るべきモノを“物理的に”選ぶのですが、今度は精神的ではなく物理的な断捨離であり、それこそ我々夫婦の終活です。精神的に余韻や感傷に浸っている暇は無いのです。何しろ、物理的なスペースが無いのですから。従って、命題は、
 「物理的に限られたスペース、容量に収めなければならない。」
そのために、“終活”に向けて、果たして何を残して何を捨てるか・・・? 後から振り返ってみて思うに、実にこれが“本当に本当に”大変だったのです。

 この冬は寒い日が続いていて、珍しく諏訪湖も薄っすらではあるものの全面結氷となり、御柱年での久し振りの御神渡出現に地元では期待が高まっています。
豪雪地帯の北陸などの日本海側だけでなく、山陰や滋賀でも年末積雪がありましたが、年明けの6日には首都圏でも10㎝近い降雪で大雪警報が出されました。雪に慣れぬ地域では、僅か数㎝の積雪でも交通マヒが起こりますが、今回も長時間首都高で雪のために動けぬ車が立ち往生したり、街中でも人も車も滑って転倒したり事故ったりするなど各地で混乱が見られ、その様子が全国ニュースで報道されました。しかし、豪雪地帯や北国からは、
 「雪国暮らしからしたら、この程度で大雪かよって話だよね」
といった雪国出身者からの「この程度の雪で・・・」の声も多く、ネット上では“上から目線”ならぬ「北から目線」や「雪国マウント」などといった揶揄する言葉も生まれました。

 そこで思い出したのが、会社員時代に、都会から会社に中途入社された方が、松本でも珍しい大雪の後に感心して仰った、
 「松本の人って、すごいですねぇ。雪で凍った道でも転ばずに平気でスタスタ歩いていて・・・。自分なんか、もう何度も転んで、もし車が来たら轢かれそうでした!」
ということでした。しかも、決して冗談やオーバーな話ではなく、実際に転んで骨折されたと聞くのも珍しくはありません(その時も或る会合で某銀行の支店長さんが腕を複雑骨折したと伺いましたが、やはりその方も県外からの転勤族でした)。
 しかし思うに、これは単なる“慣れ”の問題。雪に慣れていない地域では、凍結路や雪道でもいつもと同じように歩いてしまいますが、雪に慣れている人は雪道では決して大股に歩かずに、いつもより歩幅を狭くして小股で慎重に歩いています。更に違うのが、靴そのものです。
先述の会社員時代の話に戻すと、松本の人たちの歩き方を感心していた方の履いていた靴の裏を見せてもらうと、底がツルツルだったのです。そこで自分の履いていた靴を見せて、こういう滑り止めが付いた靴を履かないと駄目だということを教えてあげました。すると、「あ、そうなんだ!」ということになって早速買われたそうです。以降その方も、松本の住人「らしく」雪道でも全く転ばなくなったのは言うまでもありません。
また車も同様です。凍結路ではノーマルタイヤはともかく、例えスタッドレスタイヤを履いていても安心は禁物。スタドレスでも滑るからです。しかし、慣れていない方は、多分スタッドレスタイヤを履いていることに安心して、「滑らない」と過信してしまうのではないでしょうか。
最近は殆どオートマ車なので、昔のマニュアル車時代の「積雪路ではセカンド発進」など最早死語でしょうが、スタッドレス(当時は雪国では“スパイクタイヤ”)でも急に発進させるとスタックしてしまいます。雪道での運転で肝心なのは、急発進、急ブレーキなどの「急」が付く運転を絶対しないこと。そうすれば、車は普通(バランスが取れていれば)曲がらずに真っすぐに進むのです。“急”が付くような無理な運転さえしなければ、個人的には、シャーベット状とか凍結する前の圧雪路はむしろ非常に走り易くさえ感じます。歩くのも、運転も、飽くまで慣れの問題だけで、道具を過信せずに慎重な行動さえしていれば大丈夫です。
大切なのは、例え“上から目線”あっても良いので、そうしたノウハウやコツを教えてあげることでは無いでしょうか。

 今週もまた明日くらいから日本列島に寒波が襲来し、降雪が予想されるとか。スキー場の雪や諏訪湖の御神渡り出現は大歓迎ですが、雪に不慣れな地域の方々はスタッドレスを履いていても“急”が付くような運転は決してせず、また歩道を歩く時は是非小股で慎重に歩いてください。

 昨年11月末に末に引っ越して、新居のマンションで迎える初めての年末年始でした。
例年、最低でも三日間ほど掛かった大掃除。家の内外の窓拭きで、リビングは2階までの吹き抜け故に届かない窓は、伸縮式で延長すると5mにもなるT字型の水切りワイパーとかT字モップとか呼ばれている器具を使って実施。吹き抜けのリビングは、内側のクロスの壁のすす払いも大変。また廊下やリビングのフローリングは、ワックス掛けだとツルツル滑ってワンコに良くないので、毎年手でゴシゴシと水拭きでの雑巾掛け。
また、所謂LDK的なリビングダイニングは、広々として開放感もあって暮らし易い反面、大掃除的にはキッチンのみならず結構広範囲に油が飛び散っていますので、奥さまはキッチン周りの油汚れと格闘。
そして、お互い担当した大掃除が終わると、今度は黒豆や伊達巻、年越し魚のブリを煮る奥さまと、家内外の正月の松飾りをする私メと分担が別れ、漸く新年を迎える準備が大晦日のギリギリまで掛かって終了・・・というこれが、我が家の例年の年末風景でした。

 ところが今年は引っ越して1ヶ月足らずということもありますし、それ以上に狭いが故に、勿論部屋全体の掃除や正月の飾り付けもしましたが、今までと比べると些か物足りず、拍子抜けする程にあっという間に終了してしまいました。
また、今年の年末年始は、いまだ収まらぬコロナ禍への不安と生後3ヶ月で首も座らぬ赤ちゃん故に娘たちの帰省も無く、従ってこれまでの様なおせち料理の準備も無し。
尤も、未だ家具も無く、娘たちが帰省して来てもくつろげるのは炬燵のみ・・・という生活。そのため、結果、夫婦二人だけでの静かな年末年始でした。
そんな普段と変わらぬ平凡な中で、幸い正月三が日は寒かったものの、新居から初日の出を拝むことも出来、またバラ色に染まる北アルプスのモルゲンロートと真っ白な峰々を眺めながら静かに過ごすことが出来ました。

 しかし乍ら、そうはいっても少しはお正月らしくと、ウォーキングを兼ねての初詣。
昨年よりも今年は参拝客も多かろうと思い、元旦二日は避け、三日の午後に行ってみたのですが、四柱は拝殿前から縄手通りまでL字型で50m近く続く大行列。また深志神社も神楽殿を巻くような列で、両方とも参拝は諦めウォーキングのみ。
初詣の代わりに、二人で高砂通り(通称“人形町”)の開いていた人形店に入って(「今日は見るだけですが」とお断りの上)、孫の初節句向けの雛人形を色々見せていただきながら、お店の方から最近の状況や購入する際のポイント、注意点などを教えていただきました。
 4日は寒かったこともあり、結果、今年の初詣5日の朝早めに、ウォーキングを兼ねて松本城から四柱、天神の深志神社と参拝する7㎞弱のコースを歩いてお参りをして来ました。
松本城のお堀はマイナス10℃を記録した今年一番の寒さで薄っすらでしたが一面の氷。黒門近くから見る天守閣と背後に聳える真っ白な北アの峰々。
5層6階の白黒天守と雪化粧の北アルプスが一番映える季節でしょうか?
5日とはいえまだ松の内故、四柱も深志神社もいつもよりは参拝客も多く、順番を待ってお参りを済ませます。
印象的だったのは、天神さま深志神社の手水鉢。色とりどりの菊などの生花が氷に覆われていて、正月らしい何とも華やいだ雰囲気でした。
 今年こそ、普段が戻り、どうか落ち着いた年になりますように・・・。

 『 新年あけましておめでとうございます。
皆様におかれましては幸多き新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。昨年は大変お世話になり、誠にありがとうございました。

 さて、突然ではありますが、私共ここで転居いたしましたのでご報告させていただきます。

 一昨年、長年の懸案でありました手つかずでいた母屋を整理致しました。片付けには数ヶ月掛かり、不要物を軽トラに満載し、30回以上もゴミ焼却場とリサイクルセンターを往復。持ち込めないモノは、専門業者に依頼して引き取ってもらいました。その際、私共夫婦がつくづく感じましたことは、同じ苦労を子供たちには絶対にさせまいということでした。
今の我が家はシンガポールから帰任後に終の棲家として建て、私共夫婦にとっては人一倍の愛着もあり、例え我々が居なくなった後であっても、もし娘のどちらかでも戻って来てくれるのなら最後まで大切に維持していこうと考えておりましたが、幸いにもしっかりと独立してくれた娘たちは、将来も二人共この松本に戻る意思は無いとのこと。
然れば、いずれあの大変だった母屋の二の舞にもなりかねず、そこで熟慮に熟慮を重ねた結果、将来子供たちに迷惑を掛けぬためには、我々自身の手で家を処分するしかないのではないかとの決断に至りました。

 93歳を迎え常時介護での見守りが必要となった母も、コロナ禍の中でしたが、幸い亡き父と同じ特養に昨春入所させていただくことが出来、母の心配も無くなりました。そこで二人共 齢65歳を迎え、まだまだ動ける内に終活として家を整理し、長女からの勧めもあり、彼女が購入してくれた市内のマンションにここで転居いたしました。今までに比べれば狭い我が家ではありますが、夫婦二人の生活には十分な広さであり、ペット可の物件故 ワンコたちも一緒に暮らすことが出来ます。
来たるべき老後をふまえ、これからは常念を始めとする北アの峰々の眺めを楽しみに暮らしていきたいと存じます。

 ご報告が遅れましたこと、また今後のことにつきましては、ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、何卒事情ご賢察賜りますよう重ねてお願い致します。

 末筆ながら、コロナ禍も収束とはいえず、まだまだ不安な日々が続いておりますが、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
                                     令和4年 元旦 』

 この文章は、今年は年賀状ではなく、転居報告を兼ねた「年賀手紙」に記載した文章です。
そして掲載した写真は、その“年賀手紙”用のお年玉付き年賀切手と、2022年正月二日、新居から撮影した常念岳を中心にモルゲンロートに染まる今朝の北アの峰々です。

 今年一年の皆さまのご多幸を、ここ信州松本より謹んでお祈り申し上げます。どうかコロナ禍が今年こそ収束し、どうか穏やかな“普通の”日常が戻って、依然と変わらない“普通の年”になりますように。

本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

                 カネヤマ果樹園一同+ナナ&コユキ💛