カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 大相撲初場所は、まるで初夢が正夢となった様な御嶽海の3度目の優勝で幕を閉じました。場所前の事前の報道で、29歳になった御嶽海が、
 「20代最後の場所なので、大関取り目指して頑張りたい」
という抱負を聞いて、一体今まで何度裏切られて来たのか!?と、どうせ今場所もと(そうは言っても毎場所期待半分ではありますが)それ程期待しなかったのですが、初日から見事8連勝で給金直し。
 「でも、どうせまた負けるよナ~・・・。負けると、またズルズル連敗するんだよナ~・・・」
2度も平幕優勝して、大関になっていない力士は過去にいません。ですので、以前も書いたのですが、
『二度の幕内優勝と三役在位が通算26場所と、その素質を高く評価される長野県木曽郡上松町出身(注)の関脇御嶽海。
これまで何度も大関昇進の可能性がありながらことごとく失敗し、同じフィリピンハーフの先輩力士の高安、学士力士の先輩正代、後輩貴景勝、隣県富山出身の朝乃山・・・と、後からチャンスを掴んだ力士が皆追い越して先に大関に昇進。気が付けば、もう28歳・・・。
(中略)こうしたことを考えると、歯痒いと、それこそ毎場所歯軋りをしているであろう北の富士(「何度も裏切られたが」と言われながら、今場所も優勝した新横綱照ノ富士の対抗馬に御嶽海を挙げられていたのですが)や舞の海といった解説者の方々のみならず、TV桟敷で何度も溜息をつく我々地元ファンなのであります。
(中略)だから、もう少し“多め”に場所前に稽古して、毎場所優勝争いをする様な地力が付いてから大関に昇進すればイイと思います(そうでなければ、今のままでイイ。カド番で毎日ヒヤヒヤするのは心臓に悪い!)。
でも、そんな日がいつか来ることを願って・・・、一応“ガンバレ御嶽海‼”』

 ところが、今場所は最後まで横綱との優勝争い。そのため、そうは言ってもと、せめて千秋楽の大一番だけはしっかり生で見て応援しようと思ってTVを着けたら、もう既に表彰式が始まっていて・・・、
 「えっ、御嶽海が勝ったんだ・・・」
前日の一番で、古傷を痛めたであろう横綱が、当たり負けし土俵際でも粘れずにあっけなく押し出されたのは痛々しかった・・・のですが、しかし、それにしても「長野県出身で雷電以来227年振りの大関」で、まさかTVの相撲中継で伝説の「雷電為衛門」まで出て来るとは・・・。
強すぎて横綱になれなかったという雷電は、小県(ちいさがた)郡大石村(その後、滋野村から東部町を経て現在の東御市)出身(注)ですが、それを言うなら江戸時代故「長野県では」ではなく「信濃国」か若しくは「信州」でしょうか・・・。
ただ、NHKのアナウンサー氏が雷電に続けて、数少ない長野県出身の最近の幕内力士として「大鷲」関の名前を挙げ、解説の北の富士さんもちゃんと覚えていてくれたのは、チョッピリ嬉しく感じました。そして、その北の富士さんもファンを公言しているという、お母さまのマルガリータさんも久し振りにTV画面に登場(インタビューで、御嶽海の「コロナ禍なので、もう少し静かにしていてもらいたいのにスイマセン」というコメントもなかなかウィットが効いていて良し!でしょうか。)

 閑話休題・・・で、御嶽海は、押し出しや寄り切りで相手力士が土俵を割った際、決してダメを押すことをせずに、土俵下に落ちない様にすっと支える心優しき関取です。
大関になった以上は、怪我や一時の勢いだけで陥落したりカド番続きの大関ではなく、少なくとも毎場所優勝争いに絡むよう、今まで以上に稽古に精進し、綱を張らなくても良いので、嘗ての清国(些か古過ぎますかなぁ・・・)の様に、その品格で是非“令和の名大関”と謂われて欲しいと願っています。
 「ガンバレ、大関(イヨッ!)御嶽海‼!」
(それにしても、御嶽海を大関って呼べるなんてなぁ・・・実に感慨深いですね!新年早々、長野県民へのビッグなお年玉のプレゼントでした。アリガトウ御嶽海‼)

 正式な大関昇進を受けて、部屋の大先輩でもある北の富士さんが、一言。
 『今夜は私もお祝いに一杯やりたくなった。近くのホテルのバーにでも行って「マルガリータ」でも飲みますか。』
イヨッ、座布団一枚!
【注記】
平成の合併で、東部町と北御牧村が合併して出来た市。御牧は平安時代に置かれた朝廷直轄の勅旨牧に由来。東御(とうみ)市は、全国の市の中で読みが難解の地名なのだそうですが、御牧村なら分かっても東御では何のことやら・・・。他にも、例えば長野県内では大町市に合併した美麻村(みあさむら)など、平成の大合併でそうした歴史的由緒ある地名が次々と忘れられていきます。
因みに、東御市の旧東部町の出身であるその雷電は、江戸時代の松江藩のお抱え力士だったのですが、それは家康の孫で松江藩松平家の祖となった直正公(現存する国宝5城の内の二城の城主だったことになりますね)が松本から松江に移封された縁で、茶人大名でも知られる松平家7代目不昧公が雷電を松江藩のお抱え力士にしたのだと云います。

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