カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 9月上旬の京都観光。夏の終わりから初秋というこの時期だと、例えばたくさんの風鈴や風車などで納涼の飾り付けがされているというモミジで有名な東福寺や、その塔頭寺院で昭和になっての作庭ですが枯山水の庭園で知られる光明院、もしくは岡崎周辺ではまだハスの花が咲いているかもしれない平安神宮(因みに風鈴も飾られた様ですが、8月一杯で終了していました)の神苑(こちらは入園料が必要です)など、事前にチェックした中でこの時期であればここへという寺社仏閣もあったのですが、結局今回の京都行で唯一拝観したのは金閣寺でした。

 「鹿苑寺金閣」。京都への修学旅行やインバウンドの外国人観光客の皆さんが必ず訪れるであろう、京都観光での定番中の定番。京都での学生時代、高校時代の友人が京都へ遊びに来た時に訪ねた様な気もするのですが、それにしても俗っぽすぎて今回が45年振りの金閣寺ですし、家内に至ってはまさに半世紀前の修学旅行以来とか。
ではなぜ金閣寺か?今回は、これまで娘たちの京都の寺社仏閣のお守りやお札をお返ししながらのお礼参りを兼ねて参拝してきた中で、清水寺や八坂神社、下賀茂神社などは家内が既にお礼参りを済ませているのですが、唯一金閣寺だけがまだだったのです。

 岡崎からは、丸太町通りから西大路を上がって直接金閣寺道まで乗り換えずに行ける市バスの路線があったので、それに乗り向かいました。
バスを降りると、金閣寺道の両側は往く人、帰る人の波が続いています。そしてその殆どが学生さんで、修学旅行の皆さんです。今でも金閣寺は、銀閣寺に平安神宮や清水寺と並んで京都での修学旅行のメッカなのでしょう。
受付で拝観料を払い、以前頂いたお守りの供養のことを伺うと、境内にも返却する箱があるそうですが、「宜しければ、こちらでお預かりします。」とのことで、有難くこれまでのお礼を添えてお返しし、供養のお願いをさせていただきました。

 境内はそれこそ、学生服とセーラー服で溢れていました。でも昔と違うのは、娘たちの頃にはもうそうなっていた様ですが、大型バスで移動してバスガイドさんを先頭にクラス毎の集団でぞろぞろ行動するのではなく、何人かずつでのグループ毎に計画を練って行動している点。しかも安全を考えてか、各グループに付き添いの先生やボランティアの方か大人が必ず付き添っています。中には、まとまって観光バスで来て、拝観時にグループ毎で行動する学校もある様です。我々が伺った午前の時間帯は、どうやら高校生ではなく中学生の一団が多かったように思います。それにしても、昨年までのコロナ禍の2年間は修学旅行を諦めざるを得なかった子供たちが殆どでしょうから、本来に近い形で京都に修学旅行で来られているこの子供たちは本当に良かったと思います。
 40年振りの金閣の鹿苑寺。臨済宗相国寺派。「そうか、禅宗のお寺だったんだ・・・」と改めて認識。鎌倉時代から室町時代に掛けて隆盛を振るった禅宗の、鎌倉と共にその中心である京都五山。
しかし金閣寺は元々義満の別荘であったとしても、あまりに豪華すぎて禅宗のイメージは湧いてこないのかもしれません。その意味では、慈照寺銀閣の方が、ワビサビ的には禅宗としては好ましいように感じます。三島由紀夫が描いた、美し過ぎるが故に「焼かねばならぬ」とした若い学僧の気持ちも、何だか分からないでもありません。
40年振りに来て庭園を一周しながら、昭和62年に金箔が張り替えられたという眩いばかりの舎利殿を眺めてみると、溜息が漏れる程に確かに美しい・・・。
やはり金閣は、臨済宗の鹿苑寺としてではなく、室町時代足利氏華やかなりし頃の北山文化の象徴として観た方が良いのだろうと思います。
 また久し振りの金閣寺を拝観して感じたのは、確か銀閣寺は銀閣と呼ばれる観音殿以外の、書院や東求堂などの慈照寺の建物も拝観できたと思いますが(これまた40年以上も行っていませんので不確かですが)、金閣寺は庭園を順路に沿って一周して拝観終了で、ゆっくり写真を撮りながら巡っても30分も掛かりません。その意味では、予めコースが決まっていて、例えば団体行動で時間通りに移動し到着しなければならない昼食場所等を考えると、修学旅行などの集団での観光には、京都では平安神宮(神苑には入らず拝観料不要の本殿参拝のみ)と共に相応しいのだろうと、久し振りの金閣寺を修学旅行生に混じって拝観しながら感じた次第・・・。

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