カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 秋晴れが続いた、11月中旬の朝のウォーキング。城山トレイルでアルプス公園へ。家を出た時から多少靄が掛かってはいましたが、北アルプスの峰々が雲一つない青空をバックにキレイに望めました。
今年の夏は梅雨明け後に雨の日が続いたりして天候不順だったのか、松本平からの北アルプスは、例え早朝は見えていても昼頃には雲に覆われて終い、日中もクッキリと峰々が望めた日は数えるくらいしかありませんでした。秋になって漸くその雄姿を現わせてくれるようになりました。
マンションの在る渚地区から歩いて行くと、宮渕から急に城山々系への坂が始まり、丸の内中学から義民塚を過ぎて城山公園への急坂を登ります。標高差は100mですが、一気の直登なので登山並みの結構な急登が暫く続き、トレーニングにはもってこいです。

 城山公園の奥からアルプス公園までは「城山遊歩道」(891mの芥子望主山まで続いています)を歩きます。勝手に我々が“城山トレイル”と呼ぶ、城山々系の尾根沿いに、斜面を使って江戸時代から続く“鳥居火”(送り火)が行われる鳥居山(743m)を過ぎてアルプス公園へ続く遊歩道で、途中、楢林の中を歩き、鳥居山の山頂付近には安曇野越しに北アの絶景を望む東屋があるので、いつも我々はそこで一休みです。
途中の晩秋のナラやコナラの林は、落葉とドングリが敷き詰められた小道で、日が差す黄葉のナラの林は、まるで療養中に秋の武蔵野を描いた菱田春草の代表作「落葉」を彷彿とさせてくれます。
 このところ夏の雲が嘘の様に秋晴れが続き、毎日北アルプスがクッキリと望めます。この日も多少靄が掛かってはいましたが、鳥居山の東屋からは常念を始めとする北アルプスの峰々がキレイに望めました。
例え世間様から“山の民”(第1771話)と言われようが、信州に暮らす幸せを感じる瞬間です。
 先日の11月21日、前日から未明に掛けて降った久し振りの雨は、山では2000m級位まで雪だった様で、雲が晴れた後の北アルプスは雪化粧。白馬方面は以前からですが、乗鞍も真っ白になりました。いよいよ信州は冬山の趣です。

 10月下旬、義姪の結婚式で、秋色に染まる軽井沢に行ってきました。
式と披露宴が行われる時間が週末の午後遅めの時間設定だったので、その日は軽井沢に泊まる必要があり、義弟夫婦やお義母さんたちと一緒に、最近TV番組でも紹介されて人気だという結婚式会場の軽井沢のホテルにも泊まれたのですが、そのホテルではワンコ連れは無理なので、我々は結局いつものドッグヴィラに宿泊しました。

 我が家のことでは無いので式の詳細を書くことは差し控えますが、二年前の入籍時はコロナ禍で式を挙げられず、今秋になって漸く挙げることが出来た結婚式も、未だコロナが収まらない中での近しい親族と親しい友人だけの小ぢんまりとしたお式ではありましたが、和やかでほのぼのとした良い式でした。長女も軽井沢なら新幹線で東京から1時間足らずなので、日帰りで参加。久し振りに姪とも会えて感激していました。翌日は朝から会議があるからと、夕刻の披露宴終了後、トンボ返りで新幹線に乗って東京へ戻って行きました。
 さて、我々はせっかくの軽井沢ですので、式の翌日に軽井沢のアウトレットに寄ってから帰ることにしました。 滞在中は若いカップルを祝福するかのような秋晴れに恵まれ、浅間山もクッキリ。軽井沢はアウトレット周辺もすっかり紅葉していて目に鮮やか(注)で、プリンスホテルのスキー場には既にスノーマシンで作られた雪が紅葉の山肌とは対照的に白く輝いて見え、日本一早いというスキー場開きを間近に控えているようです。
“ドッグ・フレンドリー”を掲げる軽井沢町ですので(個人的には、ワンコ連れにとって、県内は勿論、国内でも軽井沢が一番優しい所だと感じています)、アウトレットも半分以上の店はドッグバギー等に入っていれば入店可(抱いていてもOK)ですので、芝生広場も含めてワンコ連れがたくさんおられます。そのため、奥さまが買い物中に芝生広場でワンコと散歩していると、同じシーズーやマルチーズを連れた方々が寄って来られ、お互いのワンコ談議に花が咲きます。ただ、我が家のワンコたちはドッグランに行っても走り回ったり、芝生の上でも歩き回ったりしてくれませんので、おやつを食べた後は結局車に戻ってワンコたちはモッタリと休憩。
 そこで、我々もその間を使ってランチをすることに。アウトレット内にはたくさんの飲食店があり、フードコートなどワンコOKのテラス席がある店も幾つかあるのですが、ワンコたちは車内でお留守番してくれているので、今回は「味の街」で食べることにしました。この飲食店街には中華や洋食など色々なレストランが軒を連ねていますが、以前食べた中華はイマイチ(第1628話参照)でしたので、今回選んだのは地元長野県の店、ソースカツ丼の「明治亭」です。こちらはソースカツ丼で知られる伊那谷の駒ケ根に本店を構える有名店で、前回(第1775話)の長野駅のMIDORIにも店舗があり、その時蕎麦を選んで後悔したことも手伝ってか、今回は奥さまも珍しくOKとのこと(因みに、我々は11時半頃の入店ですぐ席に座れましたが、この日は月曜日だったのですが、食べ終わって出る頃には順番待ちになっていました)。
ソースカツ丼にはロースとヒレ、またミックスフライや信州蕎麦とソースカツ丼のセットメニューなどもありましたが、本来私はロース派で家内はヒレ派なのですが、先ずここは基本を押さえるべく二人共ロース肉の駒ケ根ソースカツ丼(1590円。因みにヒレは1620円)を注文しました。
待つこと暫し・・・、蓋が閉まらない程に山盛り一杯に盛られた丼が運ばれて来ました。ご飯の上に千切りキャベツが敷き詰められ、その上に特製ソースがしみ込んだトンカツが載っています。しかもちょうどその日から新米に切り替わったとかで、“花を咲かせた”(=素揚げした)稲穂が添えられて秋の風情を演出しています。
 「えーっ、こんなに食べられるかなぁ・・・?」
と、山盛りの丼を見た奥さま。確かに一見すると女性が食べ切れるのかと思うのですが、衣に滲み込ませたウスター系のフルーティーなソースは意外と見た目よりもサッパリしていますし、ご飯の上にたっぷりと敷かれた千切りキャベツも丼の厚みを増しているので、見た目程はご飯の量は多くはありません。ロースカツの端の筋の部分は多少固い所も無いではありませんでしたが、真ん中の肉の部分は柔らか。キャベツもさっぱりとアクセントになるので、思いの外もたれる感じはしません。もしソースが足りなければ、練り辛子のパックの小袋と一緒に明治亭オリジナルという特製ソースの瓶もテーブルにも置かれているので、自分で追加して味を調整することも可能です。
見た目の量を心配した家内も多少時間は掛かりましたが、残すことなくちゃんと食べ切ることが出来、
 「あぁ、もうお腹一杯!今日は、夕飯はもう要らないよね!?」
ま、そこまでかはともかく、満腹、満腹・・・で、ごちそうさまでした!
食での町おこし的に云うと、松塩地域の山賊焼き同様に、駒ケ根にはソースカツ丼をウリにする店が何軒もありますので、いつか一度食べに“本場”の駒ケ根に行ってみようかと思わせてくれる様な“信州B級グルメ”の逸品でした。
【注記】
ドッグヴィラ周辺の紅葉の木々の中で、葉の重なりがまるで深紅のバラの花弁の様に見えたドウダンツツジ(多分そうだと思うのですが)の植え込みです。

 前回(第1774話)、トラットリア「ビエーニビエーニ」でご紹介した通り、中町通りから東のイオンモールまで続く日の出町通り沿いに幾つか新しい店がオープンしています。片倉モールの跡地に大規模ショッピングセンターとなるイオンモールが出来ることになった時は、地元でも必ずしも賛成ばかりでは無かったように思いますが、中町からそぞろ歩く観光客の人たちを見るにつけ、この古い通りにもイオンモールに拠って活気が出てきたように感じ、それがこの通り沿いへの新規開店の理由だと思います。

 そんなお店の一つ、2年前にオープンしたのが和食店「しき」。「糦」と書いて「しき」と読むらしいのですが、夜は居酒屋風で日本酒のラインアップが豊富。そして昼はランチ営業もしている由。店主は松本駅近くの居酒屋で修行し、ここに念願の自分の店を出したとのこと。
以前、長女とウォーキングがてらあがたの森公園からイオンモーで買い物をした後、日の出町を歩いていた時に店の前に行列があり、見ると「しき」という店名があったのですが、「えっ、知らないなぁ・・・」ということで、興味を持った次第。

 先日、奥さまとウォーキングがてら銀行回りをしつつ、昼時にランチを食べようと思った店がまさかの臨時休業。そこでイオンモールのフードコートで久し振りの長崎ちゃんぽんを食べようと思ったのですが、奥さまが拒否。その前を通った時に、「しき」には既に何人かが行列をしていたのですが、家内曰く、「あの店がイイ!」との仰せ。そこで「ヘヘェ~」ということで、行ってみることになりました。
 混んでいて順番待ちの行列かと思いきや、営業開始が12時からとのことで、まだ開店前でしたので、開店と同時に入店出来ました。我々は二人なのでカウンターへ。メニューの中から家内がおばんざい定食(1100円)、私メがチャーシューエッグ定食(950円)をチョイス。ご飯の量も選択できますし、お替りも出来るとのことでした。女性のお客さん方にはおばんざい定食が人気の様です。信州で“おばんざい”という言葉はそれ程“市民権”を得ているとは思いませんが、ま、イイか・・・。

 チャーシューエッグ定食は、厚めのももチャーシュー二枚の上に目玉焼きが二つ。ドレッシングの掛かった千切りキャベツがサラダ風に添えられていて、小松菜と油揚げの煮浸しの小鉢と、お新香にご飯とお味噌汁の構成。煮浸しはかなり薄めの味付け。おばんざいだから京風なのでしょうか?
おばんざい定食の方は、大皿の上に幾つかの料理がおばんざいとして載せられています。メインは肉じゃがでしょうか。他にお刺身とアサリの佃煮や春菊の白和え、白滝の和え物、の煮付けとナスの煮浸し。同じ小松菜の煮浸しの小鉢に、ご飯とお味噌汁。家内曰く、濃い目の味付けもあるので、必ずしも京風ではないとのこと。ただ、彼女曰く、こういうおばんざい風の料理を出してくれるお店は松本では珍しいので、女性受けは良いのでは?ということで、大いに満足とのこと。個人的には特段の満足とは言えず、可もなく不可も無くで・・・普通かな?むしろ、ケースに並べられていた、信州の地酒中心の全国の日本酒の品揃えが素晴らしくて、そちらを見惚れていました。むしろここは(飲兵衛にとっては)ランチではなく、絶対に夜来るべき店なのだ!としっかり脳裏にインプットした次第です。

 10月24日の月曜日。「松本落語会」の第549回例会に参加して来ました。
今回の例会は、個人的に好きな噺家の一人である柳亭小痴楽師匠の独演会。
小痴楽師匠の落語を聞くのは2回目ですが、調べてみたら前回は7年前(第1037話)で、その時はまだ二ツ目。その年のNHKの「新人落語大賞」に出場し準優勝だったのをTVで視て、その時のキップの良い江戸弁が心地良くて大いに興味を持ちました。

 因みに、「松本落語会」は地方の落語会の草分け的存在とか。他界された先代の会長さんが勧進元となって、オイルショックの時に「街を明るくしたい」と1973年に創設され、時には私財を投げ打って40年以上も毎月例会を開催し続けて来られたのだそうで、落語界では有名な存在なのだとか。しかも演目は古典落語が中心とのこと。先代亡き後、遺志を継いだ会員の皆さんがコロナ禍も乗り越えながら頑張って落語会を続けていらっしゃいます。私が一番好きな噺家である柳家さん喬師匠の生落語を聞けたのも(東京でも二人会をしている柳家権太楼師匠と一緒に)この落語会でした。
 さて、今回の柳亭小痴楽師匠は五代目柳亭痴楽の息子さんで、高校を中退し16歳で父親の元に弟子入りした直後に師匠が倒れ、その後別の師匠に預けられますが、前座時代に寝坊癖でナント破門されて別の師匠の元に移ったのだとか。そんな紹介通りに、今風の、謂わば“チャラ男”風のパーマ頭のイケメンが登場。しかし、演じたのはコテコテの古典落語で、その見た目とのギャップに驚くと共に、“ちゃんと”古典を演じるその姿に感動すら覚え、「おお、この噺家、ホンモノだぁ・・・!」と感心し、この時からこの二ツ目の噺家に大いに興味を持ったのでした。
入門当時から当時芸協会長だった歌丸師匠に「ちぃ坊」と呼ばれて可愛がられ、自分の師匠でもないのに前座時代から二ツ目になっても指名されて付き人として全国あちこち連れて行ってもらったそうで、人間としての礼儀作法から始まって、高校中退故に書けなかった漢字の添削までしてもらったのだとか。その歌丸師匠だけではなく、小遊三やヨネスケなど、痴楽師匠の同年代の師匠方から「親父さんには世話になったから」と色々教えてもらったという柳亭小痴楽さんは、そんな憎めない素直な一面も感じられた若者でした。
今は亡き父上の五代目痴楽師匠もこの松本落語会に出られたことがあるのだそうで、HPのネタ帳で確認をしたらナント第一回目に「小痴楽」の名で登場されていました。親子共に縁がある「松本落語会」なのです。
前回のトリで演じられた「大工調べ」は、大家相手に大工の棟梁政五郎が切る江戸弁の啖呵が一番の聞かせ処で、早口で威勢良く延々とまくし立てる口調の見事なこと。啖呵が終わると期せずして拍手が起こり、「イヤ、この人、ホンモノだぁ!」と感心した次第。

 その小痴楽さんが、2019年に見事5人抜きで真打に昇進(落語芸術協会)、しかも15年振りという、期待の一人真打で昇進しての今回の凱旋公演。今や若手落語家の中でも実力派として注目される一人となった小痴楽師匠。コロナ禍に私自身にとってもこれまた3年振りの生落語ですが、これは何としても聞きに行く他ありません。
会場のMウィング(中央公民館)6階ホール。コロナ禍前は源智の井戸の横に在る瑞松寺を“骨の髄から笑う”髄笑寺と洒落て、お寺の本堂で行われていましたが、コロナで客席との間隔を広く取れるホールに変えたとのこと。椅子と椅子の間も空けてあり、席数は100席ちょっとでしょうか。さすがは若手の人気落語家である小痴楽師匠ですので、用意された席はほぼ満席の盛況でした。
この日一緒に出演予定だった弟弟子の柳亭春楽さんが体調を崩したとのことで、女性噺家の前座、三遊亭美よしさんに交替。急な代演でめくりも間に合わず、前座故に「開口一番」のまま。彼女はお隣の富山県出身とかで、来年には二ツ目昇進が内定しているとのこと。女性らしく声の通りも良くちゃんと声が出ていて、多少とちろうが前座ならでのご愛敬。仲入りを挟んで、関西弁での長ゼリフで口を鍛えるための前座噺という「金明竹」、次に「権助芝居」をキチンと演じられました。

 お目当ての柳亭小痴楽師匠は、仲入り前に「湯屋番」、トリに「猫の災難」を熱演。前回は江戸弁のキップの良さが印象的でしたが、今回は声色を含め、話芸としての旨さが光ります。もう立派に寄席のトリとしての一枚看板の噺家でしょう。特にこの日の「湯屋番」の様に、どこか憎めない道楽者の若旦那を演じさせたら当代一かもしれません。
この日特に印象的だったのは、トリで演じた「猫の災難」。熊さんが兄貴分の買って来てくれた五合の酒を遂に飲み干して酔っぱらった挙句、鯛同様に隣の猫のせいにすべく言い訳を練習するのですが、酒のツマを買いに行った兄貴を待っている間、「今日は仕事休みで、暇で時間があるから落語でも練習するか」・・・と、暮れには演じたいと言って語り出したのが、ナント「文七元結」。吾妻橋の欄干から飛び込もうとする文七を必死に止める長兵衛さんが、手を滑らせてしまい文七がまさかの大川に落ちてしまったというところで熊さんが寝てしまい、戻った兄貴分に叩き起こされ、目の前の兄貴を見て(川に落ちたと思っていた文七と勘違いして)「あっ、生き返った!」。
本来は「猫の災難」の噺の中には出て来ない「文七元結」をもじった場面を盛り込む師匠独自の工夫に、
 「あぁ、師匠は本当に演じたいんだろうな・・・。暮れの松本落語会にまた来てもらって、いつか本当に小痴楽師匠の演ずる文七元結を聴いてみたい!」
と思わせてくれた高座での熱演でした。

 三年振りの落語会。音楽もですが、落語もやっぱり“生”がイイなぁ・・・。
 「何だかまた、さん喬師匠の人情噺が聞きたくなっちゃったなぁ・・・」
会場の外はもう冬の寒さでしたが、何となくほっこりした気分で、余韻を楽しみながら、
 「ホンジャま、歩いて帰ろうか・・・。」

 以前長女を長野駅に送って行った時に、新幹線に乗車する娘と別れた後は家に帰るだけの我々ですので、駅の東口駐車場に車を停めていたこともあり、昼時間を過ぎていたのでそのまま駅で遅めの昼食を食べて行くことに。
北陸新幹線延伸に合わせてか、長野駅も建て替えられて随分キレイになりました。そこで、その新しい駅ビルMIDORI内にある飲食店街で食べて行くことにしました。

 飲食店街の中には、駒ケ根のソースかつ丼の有名店「明治亭」もあって心惹かれましたが、家内が拒否。結局、無難な信州蕎麦になりました。
フロアには、以前長野バスターミナルの地下にあった「草笛」と、松本にもある「みよ田」が入っていました。
「草笛」は昔県庁への会議に来た時に一度食べたことがあり、大盛りを頼もうとしたら店の方から「初めてなら先ずは普通盛りを食べてから」と窘められた程ボリュームは半端無いのですが、如何せん余りに不味い。つなぎの小麦粉が多過ぎて蕎麦の味が全くしないのです。多分六四(下手をするとそれ以下)ではないかと思える程で、「これは蕎麦じゃない、うどんだろっ!」。
家内も子供たちの学校のイベントでママ友たちと長野に行った時に、地元の有名店と薦められて皆で食べたそうですが、やはり「二度と行かない」との評価。因みに、定年前の上田勤務の時代に、「草笛」は上田にも支店がある(本店は小諸)のですが、一度も入ったことはありません。
本社勤めの頃に月一で長野市には会議で来ていたことがあり、駅周辺で何度か蕎麦を昼食時に食べたのですが一度として満足したことが無く(結局、長野でのランチの楽しみは「ふくや」の中華そば一択!)、当時長野市に単身赴任されていた先輩に「長野市には美味しいそば屋が無い!」と言ったら、「そんなことは無い!」と紹介されたのが権堂に在る「そば処かんだた」だったのですが、日帰の外出ベースでは権堂には行く機会は無いので残念ながら一度も行けずに終わりました(従って、長野駅と県庁界隈でしか食べたことはありません)。
仕事ではなく家族と来た時に食べた中では、長野市では蕎麦で知られる戸隠でも超有名な行列店も(接客は抜群でしたが肝心の)蕎麦は全然美味しくはなく、個人的にこれまで長野市で唯一美味しいと思ったのは善光寺参道の十割蕎麦「大善」だけでした。

後で知ったのは、島根の出雲蕎麦(注2)、岩手のわんこ蕎麦と共に「日本三大蕎麦」に数えられる戸隠蕎麦は、本来高地では蕎麦粉よりも小麦粉の方が貴重で、宿坊等で客人をもてなす際にはその高価な小麦粉を多くする方が“おもてなし”だったとのこと。そのため本来の戸隠蕎麦は小麦粉三割の七三が基本なのだと知り、それだったらと得心した次第です。ただ現在の戸隠の蕎麦屋が例えスタイルは皆「ぼっち盛り」(注1)ではあっても、全て七三ではないと思いますが、しかし今まで数回食べた戸隠蕎麦は私の好みではありませんでした。
 前置きが些か長くなりましたが、従って長野駅前にも戸隠蕎麦の店や他の蕎麦店もありますし、駅ビル内には地元の有名店「草笛」もあって、「そば切り」の様子が外からも見えるので旅行客の皆さんが何人も眺めていましたが、これまで食べた経験上どこも好みに非ずで、結局選んだのは「みよ田」でした。
「みよ田」は長野市に本社のある日穀製粉の直営店です。松本にも「みよ田」はありますが、王滝グループが経営権を取得して名前はそのままで営業していますが、今では日穀製粉とは無関係。元々寿司や海鮮が主体だった王滝はそこでノウハウを収得したのか、自社製粉工場を持って「小木曽製粉」というセルフサービスでコスパの良い蕎麦店も展開しています(コスト優先のため、例えば手打ちではなく機械打ち)。また「虎ノ門ヒルズ」にも「みよ田」を出店しています(前に虎ノ門のマンションに住んでいた娘に依れば、残念ながら客の入りは余り良くないのではとのこと)。
昔の日穀製粉時代の松本の「みよ田」も何度か食べていますが、蕎麦店には珍しく夜も営業しており、一品もあるので県外からのお客さんと飲むにも便利ですし、〆の蕎麦もまずまずでした。王滝の経営になった今は支店もあり、どちらも観光客の行列店になっています。
そのため元々の日穀製粉なら安心できると思ったのですが、あに図らんやで蕎麦の味がしない・・・繋ぎが多過ぎるのです。これは二八ではなく、七三以下です。値段はリーズナブルですが、蕎麦としての味は全然美味しくない!少なくとも同じ日穀製粉の直営だった頃の松本の「みよ田」の蕎麦は、こんなに酷くは無かった筈・・・。値段はリーズナブルでしたが、原価が上がっているのならむしろ質を落とさず値段を上げた方が良い筈なのに、これじゃ食べてもガッカリするだけではないでしょうか!?

 蕎麦屋がひしめく本場戸隠まで行けば良いのかもしれませんが、県都の玄関口である長野駅の蕎麦屋の二店がこんな蕎麦では、“信州蕎麦”の看板が泣くし“信州蕎麦”の名折れでしかない!・・・と心配になりました。
 「蕎麦なんか食べなきゃ良かったネ・・・」(明治亭がありましたから・・・)
と、ガッカリして駐車場に向かうと、長野駅東口の一階に「八割蕎麦 榑木川」なる蕎麦店がありました。
 「えっ、榑木川?榑木野じゃないの?」
松本市内に何店舗か構える「榑木野」をもじった様な店名に些か胡散臭さを感じつつも、もし本当に「八割」ならこっちの方が良かったかも・・・??
【注記1】
「ぼっち盛り」とは、茹でて冷水に晒した蕎麦の水を切らず、根曲り竹で編んだ円形のざるに一口大ずつ束状に丸く束ねて5~6束並べる盛り方。“ひとくくり”のことを戸隠では“ぼっち”と言う。また、漢字で“ぼっち”は法師と書くので、一人で山に籠る修験者が語源ともとされる“ひとりぼっち”という言葉もまた、戸隠山は修験道の場でもあることから“ぼっち盛り”の語源ではないかとされる。
【注記2】
島根の出雲蕎麦は、島根松江藩の明治維新まで続く松平家の藩祖となった松平直正が、信州松本藩からの国替えの際に松本から蕎麦職人を連れて行ったのがそのルーツとされる。謂わば信州蕎麦が出雲蕎麦のルーツ。但しそのスタイルは「もり」や「かけ」ではなく、漆器の器(割子)に個別に盛られた蕎麦の方に色々な薬味を載せてつゆを掛けて食べる割子そばが主体で、三段重ねが一般的。
(今回掲載した写真は、以前食べた戸隠のボッチ盛りと出雲の割子そばです)

 長女が帰国して暫く松本の自宅に滞在していた時に、彼女のリクエストに応えて食べに行った幾つかの店。信州蕎麦は勿論なのですが、日本に居ないとなかなか食べられないモノ、それは例えば田舎の信州であっても、また住んでいる地元の我々が知らなくても、意外と「えっ、こんな店があるんだ!」とビックリしたり、その味に感心したり・・・。

 長女が連れて行ってくれたそんなお店の中で、「へぇ~!」と思った店が今回のお店。その名は、イタリア家庭料理のトラットリア「ビエーニビエーニ」という、地元民の我々が聞いたことも無かったご夫婦で営む小さなレストランでした。何でも長女が時たまチェックしているインスタグラマーの中の女性の方で、その人が松本を好きで毎年松本に訪れている中で紹介していたのだとか。そしてトラットリアとしての料理だけではなく、ワインの品揃えも激賞していたお店なのだとか。
新しいお店なのか、少なくとも地元民の我々は全く聞いたことも無いお店です。自分たちが知らないだけで、こんな何も変化が無い様な田舎でも日々変化しているのだなぁと妙な感心しきり・・・。

 そのお店は、地元的に云うと、日の出町という通りに在ります。蔵の街である中町からそのまま東に続く通りで、イオンモールへ至ります。
松本市の旧町名の解説記事に拠ると、
『明治二十三年片倉組が、当時水田であった清水の地に松本最初の製糸工場を開設。その後日本の製糸業が日の出の勢いで世界へ進出していくのにともなって、同工場も明治三十三年には片倉製糸紡績株式会社へと規模を拡大し隆盛に向かった。町名の由来は、日の出の勢いで発展する片倉にあやかり、また松本市の東に位置し日の出を拝する町という意味を込めて日ノ出町と命名された。』
とのこと。
その片倉製糸工場跡が、カタクラモールを経て現在のイオンモールになっているのです。日の出町には昔からのカレーの「キッチン南海」や「三重寿司」などの老舗が在りますが、イオンモール効果か、中町から歩いて向かう買い物客や観光客もおられるので、「ビエーニビエーニ」の様な新しい店も増えているようです。

 ランチタイム。行くと「予約で満席です」との張り紙が。都内の有名店やイタリアでも修行されたシェフのご主人が、奥さまの出身地である松本を気に入って自分の店を出店された由。因みに、店名はイタリア語で「おいで」という意味なのだそうです。
店内は狭く、カウンター含め18席とのこと。土日だけランチ営業があり、ランチは2種類のパスタのいずれかとサラダとドリンクが付くパスタセット(1,200円)に、スープと前菜、デザートがそれぞれ300円で追加可能なので、全員前菜と家内と娘がデザートも追加。更に私メと娘はビールとワインも昼飲みで注文させていただきました。
この日のスープはカボチャのポタージュ、前菜は生ハムとルッコラにチーズが添えられていて、ワインに合います。パスタはワサビ菜のジュノベーゼとトマトソースのボロネーゼの二種類でしたが、我々が3人なのでその二種類を1.5人前ずつも可能とのことで、それでお願いしました。パスタは、1.5人前をちゃんと3人分に取り分けて個別にサーブしてくれました。中では、ワサビ菜のジュノベーゼが独創的でまた美味。ワサビ菜そのものはスーパーの野菜コーナーに並んでいるのを時々見ることはありますが、こういう食べ方もあるのかと目から鱗で、美味しくいただきました。
娘に依れば、イタリアワインの品揃えも厳選されていて、婿殿が大好きな赤ワインもあったとか。我々も白赤それぞれワインを追加でオーダーさせていただきました。奥さま曰く、
 「もう、二人共昼からそんなに飲んで!」
とのことでしたが、飲まずにはいられぬ程美味しかったということでどうかご勘弁を!

 以前、9月頃だったと思いますが、興味深い記事をネットで見つけました。
それは、信号機の無い横断歩道手前で止まらない車が多いという茨城県で、県警が行っているキャンペーンに対し地元で賛否が上がっているという記事でした。全国の都道府県中42位だったという茨城県ですが、曰く、
『(前略)そのために茨城県警が制作したのが、信号機のない横断歩道を渡る時は手を上げ、止まってくれたドライバーには会釈をするなどして感謝の意思を示そうと促すキャンペーンです。その名も「その手で合図!止まってくれてありがとう大作戦」が、ネット上で、なぜか物議を醸しているのです。ネット上の声:「言いたいことは分からなくもないが、『感謝しよう』は違くないか…合図は大賛成」「『歩行者優先の原則』をドライバーに厳守させるのが先でしょうよ!!と強く強く言いたいです」そもそも法律には、「歩行者優先」が定められていて、「感謝を求めるのはどうなのか、まず違反者を取り締まるべきでは」という意見が出ています。(略)
(改善するために茨城県警が)そこで、参考にしたのが、85%で1位となった長野県の取り組みでした。長野県では、幼い時から横断する時に手を上げ、ドライバーに一礼する教育が推進されていて、運転する側になっても横断歩道の前での一時停止が習慣化しているといいます。(後略)』
という内容でした。

 以前、本ブログの第759話でも書いたのですが、
『松本市内の小学生は、多分学校で指導されているのか、手を挙げて渡り終わるとくるっと振り向いて、横断歩道で停まってくれたドライバーへのお礼で90度近いお辞儀をしてくれます。それはそれで嬉しいのですが、以前お辞儀をした3年生くらいの男の子。ランドセルがちゃんとロックされておらず、お辞儀と同時に中の教科書やノートなどが一緒に落ちてきたのにはビックリ。運転していた当方はどうしようもなく、発進しながらただ後ろを心配するだけでしたが、微笑ましい思い出です。』
確かに、子供たち、特に可愛らしい小学生が横断歩道で停車するとキチンとお辞儀を返してくれるから、こちらとしてもチャンと停まってあげよう・・・こうした停車すると返って来るお辞儀が、次の時もまた停まらなきゃ!と思わせる・・・この繰り返しが好循環となり結果的に習慣化して行ったのではないか?確かにそんな風に思えます。
ですので、もしかすると習慣として定着するまでには時間が(何年も)掛かるかもしれませんが、恥ずかしがる年齢の中高生や懐疑的な大人たちではなく、先ずは(ポスターなど目立たせずに静かに)学校だけで(それも素直な心を持つ幼稚園児・保育園児と小学生たちだけに)横断歩道で手を挙げて、もし車が停まってくれたら(渡った後で振り向かなくても良いから)『その運転手さんへ停まってくれたお礼としてお辞儀をしながら渡る』ことを指導することから始めたら如何でしょうか。子供にお辞儀をされてイヤな気になる大人はいない筈。例え急いでいる朝の通勤時であっても、お辞儀を返されたことで、何だかホッコリして朝から穏やかな気分になる筈です。もしかすると、そんな気持ちが車同士も道を譲り合う様な相乗効果に繋がっていくのかもしれません。
「北風と太陽」ではありませんが、茨城県警も県民の皆さんに強制するのではなく飽くまで自発的に・・・。そして、「先ずは小学生から始めよ!」

 横断歩道手前停止では模範とされる長野県ですが、一方で悪しき習慣として全国的に報道された松本の運転マナーが、悪名高き「松本ルール」或いは「松本ばしり」です(第359話を参照ください)。
そうした中で、自分自身も過去に憤慨した結果、ずっと個人的に心掛けていること・・・それは、右左折時のウィンカーの早めの点滅です。
松本では、信号が変わろうが関係なく、自分が曲がる直前になって初めて右左折時のウィンカーを点滅させる車がまだ結構います。そこで、例えば交差点の右折レーンで一番前に停まった時に、率先して先頭で右折信号を点滅させると、対向車線の左折車も呼応して左折信号を出してくれることがあります。また右折レーンの後続車も前の車に倣って右折シグナルを点滅するなど連鎖して周囲に拡散いくことが結構あります。右折時のウィンカーを出すのが遅いのは、決して松本や長野県だけではなく、県外に車で行くとどこも大差無い様に思われます。だったら、悪しき「松本ルール」の逆に、「松本の車は右左折のシグナルを出すのが早い」といつか云われる様になったら良いと思うのです。
ましてや、もし世間のドライバーの皆さんが「右左折のウィンカーを早めに点滅させることでランプ寿命が早く終わってしまう」などと思っているとしたら、そういうことなど現代の技術を持ってすれば決してあり得ないことだと思うからです。
松本の車は右左折でウィンカーを出すのが早いと云われる様になればイイなぁと思いつつ・・・。現状は・・・青になっても自分が曲がる直前に申し訳程度に出す車、中には出さずに右折する車・・・先は長いと溜息が出そうですが、諦めずに今日も率先してウィンカーを出そうと思います。