カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 前話でご報告した通り、昔からの信州の“そば処”である美麻新行地区。
昔の記憶では、松本から旧美麻村に行くには、白馬方面へのスキーでいつも通る国道148号線の木崎湖畔の海ノ口から入って行く道しか知らなかったのですが、NAVIの指示に従って、長野冬季五輪でメイン会場の長野市とスキーとジャンプ会場となった白馬村とのアクセス改善のために改善整備された所謂“オリンピック道路”の一つ県道31号線を使って、大町市街地の山岳博物館近くを過ぎて北大町から県道にアクセスすればすぐでした。
 「あっ、美麻ってこんなに近かったんだ・・・!」。
この道沿いに、NHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地の「中山高原」があります。春は黄色い菜の花、夏は真っ白な蕎麦の花が高原の丘陵一面に咲きドラマの中でも紹介されて有名になり、ロケで使われた水車小屋だったかのセットも残されていて、一躍人気の観光地となりました。
この中山高原は、元々旧大町スキー場だった場所なのだそうです。道理で朝ドラのロケで知るまで、「中山高原」という名前を聞いたことも無かった筈です。その大町スキー場は昭和初期には既にスキー場として開発されたそうで、戦後のスキーブームを受けてこの新行地区の農家はスキー客受け入れの民宿を営んでいて、その民宿のお客さんに提供していた食事が蕎麦だったのだとか。最盛期には実に18軒もの民宿があったそうで、夏は大学生の合宿などで賑わったのだとか。確かに、私も学生時代の合唱団の夏合宿は同じ大北地域である栂池高原の民宿でした。
しかし、スキーブームが去り、また温暖化に因る雪不足で大町スキー場は閉鎖。そのため、新行地区の民宿は廃業せざるを得ず、その内の4軒が宿泊客の食事で蕎麦を振舞っていたことから、蕎麦屋を始めたのだそうです。
元々新行地区は900mという標高の高い地域で、且つ火山灰土の痩せた土地だったために稲作には余り適さず、蕎麦の栽培に適していた土地。そのため、今では“そば処”として知られるこの新行や、同じ中信地域の奈川や唐沢集落などの地域は、どこも嫁入り修行の一つとして、蕎麦打ちは嫁いだお母さんたちの生活のための必須条件でした。そう云えば、松本の人気蕎麦店となった「野麦」。現在は二代目となって、観光客相手の行列店ですが、昔はお婆さんが一人ひっそりと蕎麦を打っていましたが、店名からしてご出身は旧奈川村だったのでしょうか。他にも松本の市街地に「野麦路」という蕎麦屋もあります。因みに、そうした“そば処”程ではありませんが、松本の岡田で生まれ育った私の祖母も、蕎麦は不揃いで短かったとはいえ、自分で黒い“田舎蕎麦”や“おざざ”と呼ぶうどんを打っていました。

 因みに「科野」と呼ばれていた奈良時代、信濃の国は朝廷への税として麻が納められるなど、「信濃布」と呼ばれた麻の産地で、この美麻や麻績という地名はその名残でもあるのですが、会社員時代に美麻出身の部下が職場に居て、平成の合併で美麻村が大町市との合併を選んだ時に、
 「地名だって文化財なんだから、美麻なんていう、それこそ文字通り美しくて歴史ある名前が消えちゃうのは何とも勿体無い!」
と、住む人たちの事情も知らずに憤慨して話したことがあったのですが、当時村会議員をされていたという彼のお父上のお話として、地元でも賛否両論あったのだと聞きました。
勿論、その地に住む方々の住民サービス向上は重要ですし、住民でもない赤の他人が「あぁでもない、こうでもない」と言う必要は全く無いのかもしれません。しかし、以前旧中山道の鳥居峠を歩いた時に、合併せずに自立を選んだ藪原(木祖村)と片や塩尻市と合併した奈良井(漆器の平沢とで旧楢川村)と、鳥居峠を挟んで、旧街道の道そのものだけではなく、標識や休憩所などの整備の余りの差に愕然としたこと(第1353話)を思い出すと、果たして住む人たちにとって一体どちらが良かったのか正直良く分からなくなります。

 さて、前回食べられなかった美麻新行地区の「山品」。お店には平日の水曜日で12時半前に着いたにも拘らず、既にその日打った蕎麦が足りなくなりそうなので受付終了とのことで、全くの徒労に終わりました。
そこで、人間ダメと言われれば余計食べたくなるのが道理で、(奥さまの強い決意もあって)リベンジで翌週また行くことにしました。
恐らく週末は前回以上に混むでしょうから、行ったのは平日で今回は火曜日。「山品」の開店時間の11時に合わせて行くことにしました。
準備に多少手間取り出発するのが少し遅くなってしまい、到着したのは11時20分。既に車は何台も駐車していて、この日も地元ナンバーよりも県外車などの方が多かったのですが、今回は順番待ちの行列も無くすぐに座敷に通されました。
昔はお婆さん一人で切り盛りされていた筈ですが、地元民だけではなく、最近では観光客がわんさか訪れる人気店になったためか、そば打ちは息子さんに任せ、お婆さんだけではなく地元のお母さん方が何人もで接客に当たられていました。注文を取りに来られたお母さんに、
 「先週の水曜日に来たら、受付終了で食べれなかったんです。今日、漸くいただけます!」
と言うと、
 「あぁ、その日私はお休みを貰ってたんですけど、何だかお客さんが凄かったみたいですね。でも今日は空いてますから、全然大丈夫ですよ!」
「山品」は個人経営のお蕎麦屋さんですが、地元のお母さん方が対応されているのが、何となく富士見町乙事の「おっこと亭」を思い出しました。
 「山品」は昔の民宿の名残が感じられ、茅葺(今はトタン屋根で覆われています)の古民家を使って、ふすまの座敷を何部屋も繋げた畳敷きの座敷に10卓程の座卓が置かれています。昔からの蕎麦処として知られた美麻地区の新行ですので、所狭しと有名人の方々の色紙が記念に飾られていました。
冷たいざるそばだけでなく、暖かい汁蕎麦も、山菜やキノコに月見、はたまたニシンまで何種類もあり、蕎麦以外にも季節柄でキノコやそばがき、そして信州らしいイナゴや蜂の子などの一品もあるようです。
我々は、地粉というもり(蕎麦)の竹で編んだざるでの大盛り(1000円)と家内はせいろの(普通)盛り(800円)、それに一方の名物と言う蕎麦粉の薄焼き(800円)も注文。
湯呑茶碗と小鉢の漬物が運ばれてきて、蕎麦茶は座敷のサーバーからセルフサービスで「ご自由にどうぞ」とのこと。
自家製の漬物は、家内は有明に比べてこちらの方が美味しいとのことでしたが、私は有明の方が好みでしょうか。野沢菜漬けといえば、昔母も連れて行った唐沢集落で、大皿で出してくれたべっこう色の野沢菜漬けは本当に美味でした。
二八という蕎麦は細打ちで、コシもあって美味しいのですが、やはり期待したほどの香りはありません。新そばって昔からこんなモノだったのでしょうか…?(過去の思い出が美しいのと同様で、どうやら自分の過去の記憶が美化しているのかもしれせん)。
うす焼きは、それこそガレットの様なイメージかと思いきや、決して薄くはなく結構な厚み。刻みネギを混ぜた砂糖味噌が、それこそお祖母ちゃんの味で、素朴ではありますが何とも昔懐かしい田舎の味なのです。そこで、二人共思わず、
 「美味しいネ!」
 「うん、旨いなぁ!」
と、念願だった蕎麦よりもむしろこの薄焼きに感激したのでした。そばがきもメニューにはありましたが、蕎麦と共にどうやらこのうす焼きがここ「山品」の名物というのも納得の美味しさでした。
後から来られた5人連れのお年寄りのグループは、きっと顔見知りのご近所の皆さんなのでしょう。「この前は悪かったいね!」などとお婆さんと世間話をしながら、注文で選んだのが全員温かい汁蕎麦でニシンとキノコというのが、美麻地区には多分山を下りないと蕎麦屋以外には他の飲食店が無いのかもしれません。恐らく今まで暑い夏はざる蕎麦ばかりで、冷たい蕎麦はもう食べ飽きたので、(寒くなった秋には)たまには違った温かいメニューも食べたい!という様な感じで、何とも可笑しく感じました。
そばは二八のみでしたが、帰りにお婆さんにお聞きすると。12月に入ったら十割も始めるとのこと。
 「新そばの時期は二八でも十分美味しいでね。雪が降ったらお客さんも空くで、二八の他に十割も始めるで・・・。雪が降ったら、また来てください。」
 池田町から北は北安曇郡です。真冬にスキーに行くと、明科や穂高の南安曇郡から松川や池田の北安曇に入ると、本当に一気に雪の量が多くなります。更に青木湖を過ぎて佐野坂を超えると、まさに雪国になります。
白馬から後立山連峰は既に真っ白。この美麻新行にも雪が舞い降りるとは、きっと間もなくなのでしょう。

 「ごちそうさまでした。十割とうす焼きを食べにまた来ます!」