カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 京都を発ったのが2月10日。京都は朝から雨模様だったのですが、今季二度目の寒波襲来に伴い、関東甲信地方では早くから降雪予報が出されていて、TVでは盛んに大雪に警戒するよう事前にアナウンスがされていました。
本来なら京都からまっすぐ松本へ帰る予定が、たまたま長女が国内の住所を松本に置いたままなので松本で確定申告をする必要があり、今回東京経由で彼女をピックアップして一緒に松本へ帰ることにしていました。
そのため、今回は10日に京都から松本へは直接帰らず、この日は京都から東京へ行って長女の所に一泊し、翌2月11日に皆で松本へ帰ることにしました。

 当日、京都から東京へNAVIの示したルートは、新名神から伊勢湾岸道を経由し新東名の終点まで行って東名に合流するルート。途中の新名神の御在所岳付近の菰野町周辺は、前回の大雪で長時間立ち往生したという報道がされた記憶があります。
この日、西日本から東海は幸いずっと雨模様。名古屋を過ぎ新東名に入っても雨が降り止まず、浜松のSAでワンコたちも含めトイレ休憩に立ち寄ったのですが、結構強い雨。そのため我々は昼食も諦め、ここから先はノンストップで東京を目指すことにしました。
というのも、名古屋付近で「中央道は中津川以北雪で通行止め」の表示が出されて以降、豊田付近から土岐で中央道にリンクする東海環状でも「中央道通行止め」の表示が出されていて、もしこの日松本へ帰ろうとしたら、中津川で高速を降ろされ、国道19号で木曽路を通って行くしかありませんでした。
(後日ニュースで、中央道と長野道だけではなく長野県内の国道も通行止めになったと知りましたので、結局その日は松本へは辿り着けませんでしたが・・・)
予報では長野県の平野部で20㎝程度の積雪とのことでしたが、通行止めになるというのはそれ以上の積雪かもしれず、従って、もし関東地方も予報通り、いやそれ以上の積雪なら都内の雪も心配です。勿論我々はスタッドレスタイヤを履いていますが、東京はノーマルタイヤの車も多いでしょうし、少しの積雪でも立ち往生する車が出たりしますので、今回も混乱を避けるため首都高の計画的通行止めが事前に予告されています。そのため、一刻でも早く都内に入った方が良いだろうと判断した次第です。
浜松から静岡、新清水と新東名を走る中で、東名の静岡から中央道に山梨の双葉JCT繋がる中部横断道も雪で通行止めとの表示。中央道は西からだけではなく、東側からもこの日は甲府昭和から先が中津川まで降雪で全線通行止め。当然岡谷から分かれる長野道も雪で通行止めになっていました。
 「しかし全線通行止めって、長野県の中南部はそんな大雪なんだ・・・」
幸か不幸か、結果としてこの日松本には直接帰らずに東京経由にしたのは大正解だったのです。

 東名に合流する御殿場周辺では、みぞれや場所によっては雪になり、路肩にも除雪された雪が見られるようになりました。この様子だと箱根も雪で真っ白でしょう。我々は信州に住んでいるので、例え雪が降ろうが降るまいが冬の間中スタッドレスタイヤを毎年必ず履きますが、ノーマルタイヤで雪道を走るのは自殺行為です。例えスタッドレスを履いていても、体験上凍結路での「急」の付く運転は“ご法度”と、雪国のドライバーは皆知っています。ですので、降雪予報の中、周囲の迷惑を顧みず警告を無視し、ノーマルタイヤで雪道を走行して立ち往生した場合などは言語道断で、迷惑行為として処罰するというのも当然だと思います。
東京23区でも降雪の可能性という予報で、降雪時の混乱を避けるために交通量を減らすべく、この日は実際に首都高の一部が通行止めになっていましたが、御殿場を過ぎてからは幸い港区までずっと雨。NAVIの誘導に従い無事港区の娘のマンションへスムーズに到着することが出来ました。
娘の所に着いてニュースで確認すると、高速道路だけではなく、長野県内の国道は松本から塩尻、塩尻から木曽、岡谷諏訪間、松本上田間の三才山峠などあちこちで通行止めになっていて、スリップに依る事故も多発していた様なので、この日は松本へ帰らずに良かったと家内と胸を撫でおろした次第です。

 翌朝、中央道は甲府昭和から先の通行止めが一向に解除されなかったのですが、朝8時に早めに出発することにしました。
一旦NAVIをセットすると、ルート案内が示したのは関越道から上信越道経由のルート。しかし、更埴JCTからの長野道は安曇野インターから先は通行止めになっていますので、松本へはそこから一般道の筈。そこで、遠回りはせず甲府昭和から先の通行止め解除を待って、通常ルートで首都高から中央道で松本へ向かうことにしました。
しかし一向に通行止めは解除されません。そこで、八王子の石川SAで朝食を兼ね休憩することにしました。八王子辺りからは昨日の雪が残っていました。石川SAの駐車場は、スノボーを積んだ車や、諏訪ナンバーなど長野方面に向かうと思しき車も駐車中で、パーキングエリアはほぼ満車。皆さん同様に解除を待っているのでしょう。
1時間近く待っていても甲府昭和から先の通行止めはまだ解除されていませんでしたが、アルピコ交通のバスが1台下り線を走って行きました。高速バスが一番道路事情に詳しいでしょうから、高速バスが走り始めたということは間も無く解除されるやも知れず、我々も出発することにしました。すると案の定、暫く走行すると甲府昭和から先の通行止めが加除され、全線通行可能(但し伊北飯田間の上下線の何れかは翌日まで通行止めだった様ですが・・・)になりました。
途中、上野原の手前から談合坂辺りまで冬用タイヤ規制のためのチェックが行われていて7㎞近い渋滞が発生。抜けるのに30分以上を要し、ワンコたちのためにトイレ休憩で双葉SAで休憩。甲府盆地も20㎝位の積雪で、駐車場はしっかりと除雪されていましたがSA周辺は真っ白。この辺りまで来ると、雪の影響か普段よりも交通量がかなり少なく、高速道路も走り易い感じで順調に松本へ到着することが出来ましたが、途中通行止め解除の時間調整や渋滞もあって、普通なら3時間のところ、いつもよりかなり時間も掛かって、都内から5時間半のドライブでした。

 後日ローカルTVや地方紙の報道で分かったこと。
松本市の積雪は測候所のデータで27㎝。長野県の中部(中信地方)や諏訪や伊那谷(南信地域)に雪が降るのは、西高東低の気圧配置となる冬の季節では無く“カミ雪”と呼ぶ春の時期。日本海側の意影響を受ける長野県北部(長野以北の飯山や大町以北の白馬など)と違い、北アルプスに遮られる中南部で雪が降るのは、春先の南岸低気圧が関東に雨を降らせる時に、まだ寒い信州中南部では雪になるというパターン。通常は2月中旬から3月にこの“カミ雪”が振るのですが、今回の2月10日の“カミ雪”は確かに5年ぶりの20㎝を超える“大雪”ではあったのですが、各地で多発した大雪に依る道路での立ち往生を防ぐべく、今回高速道路と主要国道などを“計画的”に通行止めにして、その間で24時間後の通行止め解除を前提に除雪作業を集中させるためだったとのこと。

 そこで思い出したのが亡き父の四十九日の法要があった2014年の2月8日。忘れもしない40㎝を超える前日からの大雪で、確かに高速道路は通行止めだったかかもしれませんが、その時のブログ記事を参考まで。
『(前略)前日(8日)にあろうことか、松本は過去3番目という49㎝の記録的な大雪(これが、もし一週間後15日の70㎝超の大雪でしたら、交通も麻痺してアウトで法要も延期せざるを得なかったでしょうから、不幸中の幸い)。前日は、朝から高速道が上下線とも通行止めになる中、往復6時間掛かって(国道で)茅野まで実家の両親を迎えに行って来てからの雪掻き。当日も、朝5時から法要開始直前まで雪掻きをして、何とか参列者用の通路と駐車スペースを確保しました。前日途中から運休していた新宿からの特急も、遅れながらも運行され、東京組も終了前には合流出来て、法要の終わるまでには全員揃って旅館のマイクロバスで金宇館へ。雪の中でしたので、バスでの送迎は大助かりでした。(後略)』
この時も確かに雪に依る混乱はありましたが、8日の日の国道は通行出来ましたし、あずさも遅れたとはいえ運行されたので、東京から電車で来る長女と従弟も法事に参加出来ました。
しかもこの時の大雪は49㎝だったのです。そして混乱を避けるとはいえ、今回は27㎝での高速道路と中南部の国道全線(19号、20号、伊那谷から善知鳥峠を越える153号、上田から三才山峠越えで松本への254号)が通行止め。果たして高速道路だけでなく全ての国道を通行止めにする必要があったのでしょうか。中には、その結果いち早く除雪作業がなされたことを評価する声もある様ですし、当方は地元では無く東京(当日までは京都)にいたから分からなかっただけかもしれませんが、事前に「積雪が何㎝を超えた場合は、高速道路のみならず主要国道も通行止めにして除雪作業を優先する」旨のアナウンスがちゃんとなされていたのかどうか・・・?しかも運送事業者などのことも考えると、ある程度広域に告知されないと意味がありませんが・・・。

 個人的には、49㎝の雪でも国道は走れた2014年を思うと、雪にはある程度慣れている筈の信州で、そこまでの対応は些か“over‐anxious”ではなかったかと感じた次第です。