カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 秋の時期になると、京都は紅葉を楽しむ観光客でごった返しますが、 “もみじの永観堂”で知られる東山の禅林寺も紅葉の名所の一つで、昼間も勿論ですが夜のライトアップも含め長蛇の列で紅葉を楽しむどころではありません。
以前も紹介させていただきましたが、永観堂の阿弥陀如来像は「みかえり阿弥陀」として知られ、数多くの仏像の中で私が一番好きな仏さまです。
45年前の京都での学生時代、当時は今ほど混んでいなかったこともあり、一回生で京都のお寺参りをする中で一番気に入った永観堂の「みかえり阿弥陀」の前に、何か悩み事があると正座して二時間近くお参りしながら、ある種多感な青春時代の想いを聴いて頂いたことが何度もありました。
この仏さまを眺めていると不思議に心が落ち着いて穏やかになるのです。ですので、私にとっては本当にすがるべき神様の様な(というのも仏さまに対しては変な例えですが)有難い存在でした。しかも、宗派の違う仏様にすがるのではなく、幸いにも永観堂(禅林寺)が我が家と同じ浄土宗(但し禅林寺は西山派)だというのも、気兼ねせずに何だか安心してお参りが出来る気がした理由なのかもしれません。
 海外からの観光客も含め、だいぶ賑わいの戻りつつある京都ですが、“爆買いの国”がまだビザ発給を完全に認められていないので、コロナ禍前程ではありません。それに外国からの観光にはあまり季節は関係無いのかもしれませんが、国内旅行的には春の桜や秋の紅葉の時期に比べればシーズンオフの寒い冬の2月ということもあります。
そこで、せっかくの岡崎滞在なので、久し振りに永観堂へ行って「みかえり阿弥陀」さまにお会いすることにしました。

 紅葉ではごった返す永観堂も、さすがにこの時期だと殆ど観光客がいません。安心して「見返り阿弥陀」さまにお会い出来そうです。
阿弥陀さまにお会いする前に、順路に沿って拝観します。永観堂は一番上の多宝塔まで東山の傾斜を活かして建てられていて、境内には“もみじの永観堂”と呼ばれる通り、3000本の楓が植えられているそうです。多少規模は小さくとも、永観堂にも知恩院同様に「七不思議」があり、葉先が普通の日本では無く確かに三本に分かれている「三鈷の松」なども観ながら阿弥陀堂まで上って行きます。途中の釈迦堂の等伯一門という襖絵や、龍になぞらえた岩肌を這う螺旋階段の「臥龍廊」(階段を上がる所に水琴窟があり、置かれた柄杓で水を掛けると透き通った音がしました)、そして応仁の乱の際この像だけが残ったという“火除けの阿弥陀”と呼ばれる「瑞紫殿」のご本尊、そして永観堂禅林寺のご本尊「みかえり阿弥陀如来」の「阿弥陀堂」へ。
ところが、この日の阿弥陀堂は静かに佇むという感じではなく、ちょうど檀家さんなのか、何かのお参りの法要がされていました。
後で調べてみると、この日2月8日は京都市内にある阿弥陀如来像を祀る6つのお寺を毎月毎の功徳日に巡る「六阿弥陀めぐり」の日で、これを三年三月続けると無病息災・家運隆盛・祈願成就のご利益があるとも言われているのだとか。永観堂の「みかえり阿弥陀」さまもその一つで、因みに六阿弥陀とは真如堂(1番)・永観堂(2番)・清水寺阿弥陀堂(3番)・安祥院(4番)・安養寺(5番)・誓願寺(6番)だそうです。
ですので、久し振りの「みかえり阿弥陀」さまをしっかりと拝むことは出来ましたが、残念ながらその前で静かにじっと佇むという雰囲気ではありませんでした。
この「みかえり阿弥陀」については、2009年に自分の一番好きな仏様として紹介したブログ記事が一番良く書けていたので、今回もそれを紹介してこの永観堂の回を終わることにしたいと思います。
『(前略)さて、寺社仏閣観光としては「仏像を見るなら奈良へ、庭園を見るなら京都へ」と一般的には言われている筈ですが、学生時代を京都に暮らした私にとって、奈良を含めて一番のお気に入りの仏像(仏さま)は、京都東山の永観堂のご本尊である阿弥陀如来、通称「みかえり(顧)阿弥陀」でした。
高さ77cmとありますが、実際拝観するともっとずっと小さく感じます。一緒に「行」をされようと姿を現され、驚いて立ち止まった律師に「永観、遅し」と言われて左後方を振り向いた御姿と言われますが、何とも言えぬ優しく慈愛に満ちたお顔をされています。それこそ、国宝だらけの京都・奈良にあって、重要文化財指定とは言え、例えば国宝指定第一号と言われる広隆寺の弥勒菩薩(半跏思惟像)のようなメジャー級の仏像ではありませんし、永観堂そのものが、例えば清水寺や金閣・銀閣、更には竜安寺や広隆寺と言った修学旅行などの京都観光の定番コースでもなく、また嵯峨野や大原と言った女性受けするコースでもありません。
でも、入学してからの(進学で京都へ来た学生は大概一年間でお寺巡りは卒業し、その後はせっかく京都に居ても殆どお寺には行かなくなってしまいます。今にして思えば勿体無い)お寺巡りの中で見つけた、個人的には京都で一番好きな「お寺さん」でした。そして、4年間何か「煩悩」などがあると、お寺巡りではなく「阿弥陀さま」に会うために訪ねたお寺でもありました(我家の総本山である知恩院にも行かずに)。
 平日(恐らく)授業をサボって?(今となっては理由不明)一人「みかえり阿弥陀如来」の前で拝んで(佇んで)いても、2~3時間誰も参拝客が来なかったことさえありました。私自身は決して信心深い訳でもありませんが、拝んでいると何かに包まれているような安心感で不思議と落ちついてくる(それが言うなれば御仏の慈悲ということなのでしょうが、決して天上から見下ろされている感じではなくて、隣で励ましてくれるかのような)、そんな親しみやすく人間的な?仏さまでした。(後略)』

【改めての追記】
20年近くも行っていないため、「みかえり阿弥陀如来」の写真が無く、永観堂のH/Pからお借りしようと永観堂に直接メールでお願いし、快くご了承いただけましたので、ここに掲載させていただきます。ありがとうございました。  合掌(2009年7月11日追記)

*もし興味ある方はブログ内「検索」欄で「みかえり阿弥陀」で検索いただき、該当する第97話と同7月11日掲載の「付録」記事を参照ください。