カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 学生時代を過ごした京都へ来て、個人的に食べたいと思うのはラーメンです。
私メは醤油ラーメン派で、しかもどちらかというとこってりとした豚骨醤油よりも、所謂「東京ラーメン」に代表される様な鶏ガラベースのアッサリ系の方が好み。そんな人間が京都で真っ先に食べたいと思うのは、所謂“京都ラーメン”を代表する「新福菜館」。そしてもう一つが学生時代に食べに行った唯一のラーメン屋さんで、熊野神社近くの東大路にある京大病院対面の「らんたんラーメン」です。
但し、45 年前の「らんたんラーメン」で覚えているのは、その味よりもむしろ大将、ラーメン屋のオヤジさん・・・なのです。

 45年前の「らんたんラーメン」の記憶・・・。
それは、学生時代に何度か食べに行ったある時、気に入らない客を叱りつける大将のハイトーンボイス(合唱団にいたせいで声が気になったのか、大変良質なハイバリトン!)が何故か記憶に残っているのです(その客は勿論私メではありませんが、おそらく客の態度にむしろ問題があったのだと思いますが、その場面に居合わせてビビった記憶あり)。それと、メニューの中の貧乏学生用?の肉無しラーメンとラーメンライスの麦飯の存在でした。
記憶が定かでは無いのですが、また勿論毎回では無かったとも思いますが、貧乏学生にはオヤジさんの優しさで、余裕が無くて肉無しラーメンを頼むと、時に(何も言わずに)チャーシューが麺の下に隠れていたことがあった様な気がするのです・・・(果たしてそれが事実だったのか、或いは“過去は全て美しい”と思いたいが故の、自分自身で勝手に美化しただけの“作り話”で、全くの記憶違いなのか・・・???)。
でも、そんな不確かな記憶を補うべく、「らんたんラーメン」の場所を確認するためにネット検索をしていると、私メと同じ様にオヤジさんの優しさにまつわる思い出を書かれていた記事を発見したのです。それは・・・(恐縮乍ら、編集せずにその原文のまま掲載させていただきます)、
『22年前わしが新婚当時、妊娠7ヶ月でおなかの大きくなった嫁が夜中に腹をすかせたというので、ちょうど通りかかったここのラーメン屋に立ち寄った。わしはあまり腹がすいてなかったので、一人前だけ注文し、嫁に食わせていたら、しばらくたってなんともう一人前出てきた。間違いではと思っていたらそのとき、あのおっちゃんが「気にせんと食べとき、おごりや」といってくれたのです。きっと、貧乏な若夫婦に見えたのでしょう。
やさしいおっちゃんの心遣いを無にしないようにおおきにといって食べた。うれしかったよ。
当時の味は、割と濃い目のしょうゆ味でしっかりと出汁も出てお美味しかったような気がする。
おっちゃんとオバちゃんはいつも店でラーメン作りながら喧嘩してましたが・・・。』
ですので、もしかすると私メの学生時代の思い出もあながち記憶違いではなかったのかもしれません。

 学生時代を過ごした京都で、個人的にそんな思い入れのある「らんたんラーメン」。記憶では京都での学生時代に唯一親しんだ、或る意味自分にとっての“青春のラーメン”です(醤油派である私メの好みではありませんが、やはり京都で学生時代を過ごした後輩が絶賛していた「天一」は、私の学生時代はまだそれ程有名では無かった様に思います)。
家内はラーメンが好きではないので、京都に行ってもなかなかその機会が無かったのですが、唯一の機会だったのが3年前。「伊勢丹でスイーツを食べたい」という家内とは別行動になり、念願だった「新福菜館」の本店に食べに行きました。しかし昨年の京都では、長女がリモートでの急な会議が入ったために家内と一緒に行けなくなり、既に二人分予約済みという奥さまの「マドラグ」希望に負けて、予定では「新福菜館」でのリベンジ(前回スペシャルを頼んで完食出来ず)か、或いは味の比較すべく隣の「第一旭」へ行こうかと悩んでいた私メが何故か代わりに行かされることになったため、残念ながら雪辱なりませんでした。
ところが、今回の滞在中に家内が岡崎に在るドイツパンの店「ベッカライペルケオ」で買って来たパンを昼食に食べたいというので、私メは一人でランチを食べるべく、遂に45年ぶりに「らんたんラーメン」へ行くことにしました。
というのも、岡崎からは京都駅近くの「新福菜館」や「第一旭」へはバスか電車(地下鉄か京阪)でないと無理ですが、熊野神社(東大路丸太町)なら歩いて行くことが出来ます。

 観光目的だと、東山で「哲学の道」を歩いても東大路を歩くということはあまりありません。ですので、東大路丸太町界隈を歩くのは、もしかすると学生時代以来なのかもしれません。しかも、何となくこの辺りから先の百万遍付近は学生時代から避けていたのかもしれません・・・。
(ま、それはそれとして・・・)熊野神社のある東大路と丸太町の交差点(東山丸太町)を50m程上がった所、京大病院の対面に色褪せたビニールの軒先テントと赤い提灯が目印。45年ぶりに目指すその「らんたんラーメン」がありました。
狭い店内は、記憶にあるカウンターとテーブル席が幾つか。1時近かったとはいえ、まだランチタイムなのにお客さんはカウンター席に二人だけ。カウンターを挟んだ厨房には女性スタッフが二人。どうやら娘さんとバイトのスタッフの方の様です。厨房の中では、グツグツと湯が煮えている古そうな大きな鉄釜が印象的。またシンボルの“らんたん”が今でも店内の照明に使われている様です。
45年も経てば、値段が違って当然。ラーメンの並みが750円、今でもあったニクナシが600円(当時は250円位だったでしょうか)。今回はせっかくの機会なので“清水の舞台”からちょこっと飛び降りて、学生時代には絶対に頼めなかったチャーシュー麺930円をオーダー。併せて(この年でちゃんと完食出来るのかも良く考えずに)勢いで「らんたんラーメン」と云えば・・・で、名物?の麦めしの小120円もオーダーしてしまいました。
きっとオヤジさん仕込みなのでしょう、手際良くあっという間に自家製麵が茹でられ、丼にもやしと青ネギとメンマが添えられてカウンターへ。
京都ラーメンの特徴なのか、「らんたんラーメン」も「新福菜館」と同じ様に、並みのラーメンでも薄切りチャーシューが結構な枚数載っているのですが、チャーシュー麺ともなると数えきれない程。更にその上のスペシャルまであります。
先ずはスープを一口。
 「う~ん、こんな味だったっけなぁ・・・??」
豚骨と鶏ガラで出汁を取ったと思われる、薄口醤油の様なアッサリと透き通ったスープは、昔はもう少し色が濃くて塩味も勝っていた気がするのですが、昆布や野菜なども使われているのか、この日のスープはかなり甘目に感じます。
45年も経てば、また代替わりをすれば、その時代時代に合わせて味も工夫されて変化していくのでしょう。チャーシュー麺は、一体何枚あるのか途中で数えるのを止めたモモ肉の薄切りのチャーシューや、優しい味付けのメンマとシャキシャキしたネギとモヤシも良いアクセントで、自家製麺という中細の縮れ麺に良く合っています。
そして、黄色い沢庵漬けが二枚添えられた麦めし。
 「そういえば、昔も沢庵漬けが載ってたっけ・・・」
多分、麦そのものは当時よりも量が少なくて、殆ど普通のご飯の様な気もしましたが、それでも多少パサつくあの麦の独特な食感もあって、何だか懐かしくて涙が出そうでした。でも考えてみると、会社勤めの頃に新宿への出張時のランチタイムに、新宿サブナードに在った「根岸」の牛タンと麦めしを食べても、特段麦めしに何の懐かしさも感じなかったのに不思議です。それは、単に“思い出の味”というのではなく、むしろ45年前の“思い出”そのものを一緒に味わっているからなのかもしれません。そんな“思い出の味”を今回45年ぶりにじっくりと味わうことが出来ました。
もし今の好みを聞かれれば、個人的には「新福菜館」の方に軍配を挙げるかもしれませんが、45年ぶりの「らんたんラーメン」に加味された“思い出”というスパイスが、より一層その味を引き立ててくれている様でした。
食べ終わって出掛けに、
 「今日は学生時代以来なんです。オヤジさんはお元気ですか?」
 「ハイ、元気にしてます!ありがとうございます」
 「そうですか、そりゃ良かった・・・どうも、ごちそう様でした!」
ラーメンの暖かさか、何だか体も芯からほっこりして45年ぶりの「らんたんラーメン」を後にしました。

コメント

コメント追加

タイトル
名前
E-mail
Webサイト
本文
情報保存 する  しない
  • 情報保存をすると次回からお名前等を入力する手間が省けます。
  • E-mailは公開されません - このエントリーの新規コメント通知が必要なら記入します。

トラックバック