カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
松本市が今年「東アジア文化都市2026」の日本での開催都市に選ばれ、この5月を皮切りに12月までの半年間に様々なイベントが開催されることになりました。
この「東アジア文化都市」は、日中韓文化大臣会合での合意に基づき、日中韓3か国において、文化芸術による発展を目指す都市を選定し、その都市において、現代の芸術文化や伝統文化、また多彩な生活文化に関連する様々な文化芸術イベント等を実施する国家プロジェクトで、日本では文化庁が統括しています。
あまり浸透しているとは言えませんが、初回は2014年。日本が横浜市、中国が泉州市、韓国が光州広域市を開催都市に開かれました。今回松本市は、前回2025年の開催都市である鎌倉市からバトンを受け継いでの開催なのだそうです。
5月17日に市内の中心市街地で開幕イベントが開かれました。
本町通りから大名町通りが歩行者天国になり、 日中韓や東アジアをイメージした出店、ライブパフォーマンスやステージパフォーマンス、祭舞台の展示が行われたのですが、その舞台を曳行する際の人数(曳き手)が足りないとのことから、我々の「源智の井戸」の清掃ボランティアにも応援要請があり、有志で参加しました。
当日は、早朝6時からそれぞれの舞台庫から出して所定の場所まで舞台を移動し、日中は街中に展示します。そして午後3時にまた展示場所から舞台庫まで戻すのです。
この舞台というのはお祭りの山車のことで、松本市の祭舞台は、主に松本城下町の鎮守である深志神社の祭礼などで曳き回される伝統的な山車です。江戸時代から各町会毎に受け継がれ、豪華な彫刻や松本平独自の形式を持つ18基が「松本市重要有形民俗文化財」に指定されています。
この内、16基が天神祭りの深志神社の舞台。氏子は商人の町であった女鳥羽川の南側の町会。残る2基は女鳥羽川の北側の東町2丁目と六九町だけで、それぞれ岡宮と四柱神社の舞台なのだそうです。
当日はこの内8基が駅前広場など4ヶ所に展示されました。

六九町舞台は建造が明治30年(1897)と伝えられ、江戸時代には六九町には舞台は無かったのだそうです。
というのも、深志神社の天神祭りは女鳥羽川の南側の商人町のお祭りであり、女鳥羽川の北側は大名町に代表される様に基本的に武家町で、「六九」という珍しい町名はこのエリアが桝形の隣ということで、武家屋敷と細長い厩があって、6×9=54頭の馬が飼われていて、その54頭の馬を飼育する「六九厩」がおかれたことが町名の名前の由来と言われているのだそうです。
今回参加したことで、六九町会の長老の方々からそんな初めて聞く様なお話を伺うことが出来ました。
私の子供の頃の六九と云えば、嘗ては松本市の中心的な商店街として栄えていた通りで、昭和の頃は「松本の街で買い物」といえば、この六九のアーケードの商店街と隣接する老舗デパートの井上百貨店が定番でした。それが、井上が松本駅前に移転したのを契機に六九商店街から賑わいが消え、2001年(平成13年)にはその象徴だったアーケードも撤去されました。
しかし、今では新しく若者向けのファッション系の店舗も増えているそうですが通いの方が多く、それが応援要請の理由でもあるのですが、この町会も空洞化で住人は減っているのだとか。
因みに、六九町の舞台は、やや小ぶりながら、端正で典型的な深志舞台の姿をしていて、明治になってから女鳥羽川の北側の地に創建された四柱神社の神道祭りに合わせて、伝統的な手法で飛騨の匠により造営された舞台だそうです。


朝6時。集合場所である今町の六九舞台庫へ。
町会の方々が倉庫を開けて舞台を覆ってあったシートを外すなど、運び出す準備をされてから、舵棒を舞台に差し込んで金串で固定して引き出し、我々曳き手は全員六九町会の法被を着て、舵棒と舞台本体を押す形で曳行を開始します。
今町から西堀通りを通って、曳行先の市立博物館前まで。朝6時とはいえ、車の通行もあり先に行かせて安全を確認しながら、且つ道路脇の街頭に当たらぬ様に気を付けながら慎重に押して行きます。
(下の写真の中で、黄色い枠で囲んでいるのが舵棒です)

今回曳行される舞台の中では、六九の舞台は舞台庫の在る今町から市立博物館の在る大名町までですのでせいぜい300m弱。そう長距離の移動ではなく、また小振りの舞台とのことで思ったよりも楽でした。それに前へ進むだけなら、女性だけでも10人弱でも動かすことが出来ます。
市立博物館前に到着し、慎重に歩道から玄関前のスペースに車止めで固定し、町会の方々が提灯やスダレなどの外観の飾り付けをし、全員で記念撮影をして終了しました。反対側の枡形広場には小池町の舞台も到着していて、同じく飾り付けがされていて、小池町の井戸清掃メンバーの方や知り合いの方も何人かおられてお互い労いの挨拶。小池町は深志神社の舞台なので、六九の舞台に比べると一回り大型で、二本の引綱で引っ張って来られ、曳き手の人数も倍の20人以上おられました。



朝とは逆に市立博物館前から今町の舞台庫まで舞台を押して戻ります。早朝と違い、街中の歩行者天国でイベントも行われていることもあって、人出も多く、舞台を曳いて行く西堀通りは、“ホコ天”で通行止めの道路を迂回して来る県外車も含めた車の通行も多くて、時々後ろにずらりと並んだ車列を警備会社のスタッフが交通整理をしながらの運行です。道端の街灯に当たらぬ様、また交差点では力を合わせて舵棒を担いで方向転換をしながら、無事に舞台庫にお納めすることが出来ました。
町会の方々から口々にお礼を言われ、我々はお互いを労って現地解散です。
帰路、伊勢町で飯田町の舞台が“ホコ天”の本町を大きく迂回して戻るところ。そこで飯田町の清掃メンバーから声を掛けられ、今度は飯田町の舞台の曳行を手伝うことに。飯田町の舞台は一回り大型で、引き綱二本を前方で10人程で引っ張りながら、舞台と舵棒をまた10人程が手分けして押しながら、神明町から駅前通り、そして最後は深志神社の参道でもある狭い一方通行の天神通りを両側の家の“ひさし”に当たらぬ様に慎重に進んで、漸く深志神社境内に在る舞台庫まで戻り、中に納めて終了しました。

今回の三泊四日での箱根行。
往復の移動日を除くと、三泊でいつもより短かったこともあって、終日自由に使えるのは中二日だけ。その日は、それぞれ金時山登山とポーラ美術館へ行くことは最初から決めてあったので、今回は小田原漁港の「やまや」の絶品の地魚「どど丼」を食すのは断念しました。
箱根での夕食には、恒例の仙石原の「相原精肉店」のローストビーフやミートローフなどのお惣菜と箱根別荘族御用達の「JAコープ」で調達した食材が結局食べ切れず、二日間はドッグヴィラでワンコたちと一緒に過ごすことになりました。
となると、今回の滞在で外食出来たのは夕食が一回、ランチが往復の移動日はそれぞれの途中で食べるので、二回しかありませんでした。
「いやぁ、3泊だとやっぱり短いね・・・」
でもジジババが孫たちを優先した結果なので、こればかりは止むを得ません。
そこで、厳選して選んだのは・・・??
勿論箱根は富士屋ホテルを筆頭に明治期から開かれた国際観光地ですので、箱根グルメも和洋中それぞれピンからキリまで色んな選択肢があるのですが、しかしここ箱根もワンコたちと一緒に食べられる場所は少なく、もしワンコたちに留守番をして貰って食べるとなると、遠出は避けてドッグヴィラの在る仙石原周辺に限られます。そんな状況下での、今回の滞在中の独断的箱根グルメの総括です。
先ず松本から箱根への移動日ですが、箱根で食材を調達すべく早めに松本を出立したこともあり、途中のSAではなく御殿場から箱根への途中の乙女峠の「FUJIMI CAFE」でランチにしました。ここは箱根エリアでも数少ないワンコOKのテラス席があり、残念ながらこの日は雲の中でしたが、晴れていれば富士山を眺めることが出来るのです。

この日は外国人の団体客がちょうど着いたばかりで、団体でテラス席を使うために少し待たされましたが、幸い一卓だけ空きが出来るらしく我々も座ることが出来ました。
ところが団体客が皆さんカレーを注文した様で、ちょうど売り切れとのこと。そのためランチメニューはハンバーガーのみ(ローストビーフ丼は相原精肉店が控えているので最初からパス)。
奥さまはケーキセットにするとのことで、止む無く私メは「FUJIMI BURGER ガーリック醤油ソース(ドリンクセット 2640円)」をチョイス。



続いて、すぐ近くの「JAコープ」で、朝食用の食材と共に、これまた当地で人気の「勝俣豆腐店」(お店もすぐ近くですが、JAでも購入可能)の笹豆腐等も購入しました。
これで、滞在中の朝食と、結果的に二日間の夕食手配となりました。

横浜の次女の所に行った時には、私の好みをふまえて、いつも家の近くの「まいもん寿司」に連れて行ってくれるのですが、箱根の宮城野にも昨年その「まいもん寿司」が出店。そこで今回初めて行ってみることにしました。
観光地とはいえ“山の中”の箱根と都会の横浜ではお客さんの回転率も違うでしょうし、ネタの種類や鮮度は今回は多少目を瞑るつもりで行ったのですが、意外にも横浜の「まいもん寿司」と殆ど遜色ないレベルで、我々“海無し県”の信州人からすれば十分に満足出来ました。
ただ箱根は相模湾が近いので、(いくら金沢が本拠とはいえ、ノドグロや白エビといった北陸からのネタよりも)もう少し相模湾で採れる地魚を増やしてくれると有難いのですが、多分センター方式で店舗独自での仕入れはしていないのでしょう。
今までの我々の数少ない箱根ランチでの洋食としては、レストランだけでの利用が可能で、広い中庭を眺めながら食べられるルネ・ラリック美術館のレストランが我々のイチオシだったのですが、一昨年に行った時にメニュー内容がそれまでと変わってしまっていました。
またテラス席がワンコOKだったレストランだけでも利用可能だった星の王子さまミュージアムは閉店し、小田急ハイランドホテルは現在全館建替え中。ガラスの森美術館は食事目的だけではレストランには入れません。
そこで、今回奥さまはポーラ美術館の「レストラン・アレイ」でまた食べたいとのこと。こちらは森を見ながら食事が出来、解放感ある光に溢れた気持ちの良いレストランです。因みに、レストランだけなら美術館に入館しなくても利用が可能です(カフェは不可)。
展示作品をじっくりと鑑賞した後、私がヒメシャラの森の「森の遊歩道」を歩きたいと誘ったのですが、家内は翌日の金時山登山に備えて体力を温存したいとの仰せ。そこで止む無く一人で歩くことにして、その間彼女は「カフェ・チューン」で待っているとのこと。
散策して戻り(チケット提示で再入館OK)、私もコーヒーを頼んで一休み。こちらもランチの軽食でホットサンドなどが食べられるのですが、待っている間に既にケーキセットをしっかりと食べられていた奥さまが、「それじゃ、貴男はモノ足りないでしょ!?」
とのことで、余り洋食に食指が動かぬ私メを察して、こちらのレストランではなくて他に行っても良いとのことから、“渡りに船”で選んだのは前から一度行きたかった仙石原に在る喜多方ラーメンの「蔵一」です。しかもネット検索すると、ラーメンだけでなく、カツカレーやソースカツ丼もあるとのことから、奥さまも承知して仙石原に戻ることにしました。

喜多方ラーメンと言っても残念ながら現地には行ったことがなく、唯一昔新宿の南口近くに在った「坂内食堂」で何度か食べたことがある(いつも決まってチャーシューメン)だけですが、喜多方ラーメンの特徴は、何と言っても平打ちのちぢれ麺の醤油ベースのラーメンだと認識しています。
こちらの「蔵一」は醤油の他、塩も味噌もあるようですが、醤油スープは煮干し・鶏ガラ・豚ガラ・背脂を使った伝統的な醤油スープとのこと。麺は勿論平打ち麺でしょう。
メニューの中から選んだのは、「坂内食堂」のそれとはビジュアルはちょっと違いますが、自家製の大判チャーシュー3枚がトッピングされた醤油のチャーシューメン1280円(税込)。

ラーメンのスープは最初意外と塩味が強い感じがしました。坂内食堂のそれは、かなり昔の舌の記憶ですがもう少し甘かった様な・・・。勿論平打ちの麵は、モチモチでかなりコシがあります。そしてチャーチューは柔らかくホロホロ。
家内の頼んだカツカレーは、松本で食べた「南海食堂」のそれよりも彼女好みで美味しかったそうです。

ポーラ美術館鑑賞とランチの後、留守番をしてくれていたワンコたちへの罪滅ぼしに、芦ノ湖へ皆でドライブ。
仙石原界隈もそうでしたが、芦ノ湖も驚いたことに、日本人は旅行シーズンのGWが過ぎたばかりのせいか少なく、インバウンドと思しき外国人観光客の方がむしろ多いのです。例えば、桃源台港から元箱根港への芦ノ湖遊覧の海賊船は、恐らく強羅から大涌谷を経由してロープウェイで来たと思える外国人観光客ばかりで唖然・・・。
そのためどこも混んでいて、このエリアで知る限り3ヶ所ほどしかないワンコOKのカフェとかも一杯そうなので、ワンコたちと湖畔を散歩しておやつを食べさせて戻ることにしました。


箱根三日目での、金時山登山と長安寺拝観後の最後のランチ。
せっかくなので、湿生花園近くの魚料理が評判の「うおせい」でアジフライを食べようかと思ったのですが、行ったらナント定休日。この近くの中華も、仙石原に戻っての定食屋さんもチェックしたらいずれも定休とのこと。
また湿生花園の近くにあるインド料理店「アズール・ムーン」(ここもテラス席はワンコOKでした)は、コロナ禍以降外国人シェフが来日出来なかったこともあってか閉店してしまった様で、建物も随分印象が変わって釜飯屋さんになっていました。
更に、今回は夕食で食べようと思ったのですが、相原精肉店の総菜を結局二日間食べたので行けなかった「ソロピッツァ・タロウズ」も、調べたらこの日は定休とのこと。そして、最悪二日連続でもと思った「蔵一」も同じく定休・・・。
チェックしたところ、どうやら少なくとも仙石原界隈の飲食店は皆水曜日が定休日の様です。そのため、「もうどこでもイイ」と湿生花園近くで唯一営業していたお蕎麦屋さんで、(信州から来てわざわざ)食べたくも無かった蕎麦を食べるハメになってしまいました(ざる蕎麦は食べる気になれず、汁蕎麦のセットメニューにしましたが、蕎麦も論外ですがツユがただ塩辛いだけで飲む気にもなれず。家内は箱根名物?の自然薯?のとろろ蕎麦にしましたが、特にコメントなし。こんなんだったら、コンビニのお弁当の方がマシだったかも・・・)。
故に、毎年来ている箱根でしたが、今回の貴重な教訓・・・、
『箱根仙石原では、水曜日だけは外食は絶対に避けるべし!!』
金時山登山からの帰路、金時山から無事下山したお礼を兼ねて、久し振りに仙石原の長安寺に立ち寄ってお参りをして行くことにしました。
参拝目的からすると、本来は坂田公時(金時)を祀る公時神社(金時神社)の方が相応しいのかもしれませんが、私たちは長安寺の佇まいを気に入っているので、観光も兼ねてこちらのお寺さんに参拝です。長安寺へはNYへ渡航する前に長女と来て以来ですので、3年振りでしょうか。

交通量の多い国道から少し入っただけですが、皆さん仙石原に来ても立ち寄らずに通過してしまうのか、いつ来ても箱根の喧騒から離れて、山間に抱かれる様に静かに佇んでおられます。






驚くのは、檀家さんが多いのか(お寺の奥にキチンと整備された広い墓地が拡がっています)、これが京都だったら最低でも500円位の拝観料を“取る”のが当たり前の筈なのに、拝観料が無料なこと。しかも日夜“極楽浄土”への道を説いているお寺さんが多い筈の京都では、嘗て市が財源確保のために「古都税」として寺社の拝観料への課税を試みて寺社側が強く反発し、拝観停止などの強硬措置で対抗して大騒ぎになったことさえあるというのに・・・。ですので、余計有難く感じられて、本堂だけでなく他のお堂にもお賽銭を自然とお納めしないといけなく感じます。

「ありがとうごいざいました」 -合掌
箱根滞在3日目。
朝起きたら、この日は窓から見える大涌谷方面には青空が拡がっていました。これなら金時山の山頂からの富士山の雄姿も期待出来るかもしれません。
そこで、早目にワンコたちの朝食と散歩を済ませ、自分たちも朝食を取って出発です。
奥さまが毎月横浜の次女の所に“家政婦”に行っていて、「体力に自信が無い」と登れなかった昨年。今年も4月になってから、登山のトレーニングを兼ねて漸く城山までウォーキングで数回歩いただけなので、今回も「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから矢倉沢峠を経て登るという金時山登山ルートの中での最短コースにしました。
見晴らしパーキングからは、登山口の標高が初回の時に登った公時(金時)神社コースより160mほど高く、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標高差360mで、仙石原の登山口からの標高差550mのコースに比べて30分以上短い、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。
二年振りの金時山登山ですが、以前「女性のための登山教室」に2年間参加していた奥さまは最初の頃に初級コースとして登っており今回で7回目、私が6回目になります。



見晴らしパーキングから矢倉沢峠までは緩やかな登りで、背丈を超える程もある「箱根竹」(アズマネザサの一種とのこと)と呼ばれる笹原の中の登山度を進み、5分程で到着です。仙石原からはここまで30分程歩いて標高差も150m程は登って来ないといけないのですが、見晴らしパーキングからのルートでは実質ここからが本格的な登山開始です。


10分程登ると笹原を抜け、木々の中を進みます。やがて振り返ると背後に大涌谷が見え、噴煙が立ち上っているのが確認出来、ここが外輪山だということを認識します。






最後、眼の前に林の中にぽっかりと空いた円形の空間が現れると、そこがいよいよ箱根外輪山の最高峰、1212m金時山の山頂です。
「今日は果たして、どうか・・・??」

乙女峠や足柄峠からの登山ルートとは異なり、箱根からの公時(金時)神社や仙石原からの登山ルートでは、この山頂に来るまで富士の姿は金時山の向こうに隠れているため一度も見ることが出来ません。ですので、登り切って初めて「今日はどうだろうか?」と、ドキドキしながらその日の富士の姿を初めて確かめることが出来るのです。
やはり、雲が多そうだった昨日ではなく、今日にして正解だったのでしょう。山頂には茶屋の女将さんと常連と思しき登山者の方々が談笑されていて、
「お疲れさま!」と声を掛けていただき、その旨お伝えすると、
「あらっ、昨日も見えてたわヨ!」
とのことではありましたが・・・(ま、イイか。自分たちの中では今日で正解だったということで・・・)。
ただ、北アルプスもそうですが、特に夏山は朝の出来るだけ早い方が雲が掛からない筈なので、もっと早く登って来た方が良かったのかもしれません。
昨年も箱根には来たものの、トレーニング不足で美ヶ原も含め昨年はどこも登れなかったので、今回の金時山が二年振りの登山でした。そのためゆっくり登って来たつもりですが、8時40分に到着。ほぼヤマケイのコースタイムと同じ1時間05分で登って来ることが出来ました(しっかりと整備された金時山の登山道ですが、標識のコースタイムだけは余程の健脚者向けなのか早過ぎます。例えば分岐から頂上まで20分との表示ですが、実際は30分掛かります)。
山頂で富士山を見ながら、平らな岩に腰を下ろして暫し休憩。そして行動食と水分補給をして、写真を撮って娘たちにLINEで送りました。
その間20分程でしたが、頂上を目指して次々と登って来られます。ただこの日は平日なので、それ程多くは無いように感じます。

今回、ポーラ美術館もですし、仙石原界隈も、ワンコたちとドライブがてら行った芦ノ湖も、今まで以上にインバウンドの箱根への観光客が増えた様に感じましたが、金時山も例外では無い様で、段々国際的になって来たのかも・・・。
帰路は、早朝よりも登って来る人数が増えた様に感じます。多分、小田急等で首都圏から朝金時山を目指して来た登山客が、箱根湯本を経由してちょうど登って来られるタイミングなのでしょう。すれ違い出来そうな場所を見つけて、お互いが譲り合います。こうした登山の時だけでなく、下界の道路などでも同じ様になれば、もっとこの世の中は穏やかになるのだろうに・・・などと、お礼の声を聴きながらふと考えてしまいます。

途中、登山道脇に少し花も咲いていましたが、以前来た時の貴重なコイワザクラやタチツボスミレ、サラサドウダンやボケ、ヤマザクラなどが咲いていた4月頃に比べると、5月中旬の金時山は春の花の時期はもう過ぎた様で、今回は道端の花は少なめでした。
見晴らしパーキングの登山口には、帰路もコースタイム通りの50分で無事到着しました。


「今年は、美ヶ原くらいはまた登りたいね!」
二年振りの金時山では富士山の雄姿も見え、金太郎のご利益か、お陰さまで登山へのチョッピリの自信と意欲も金時山から頂けた様で、達成感と満足感を得られた今回の山旅でした。
今年も毎年恒例の箱根に行って来ました。
例年ですと箱根が桜の時期を迎える4月中旬前後なのですが、今年は孫たちが4月初旬に春休みを利用して松本に来て、最後は軽井沢のドッグヴィラにも行っていたので、今回は5月中旬、且つ滞在もいつもより短めの3泊4日での箱根行となりました。
行きはいつも通り、中央道で大槻から富士吉田を経由して、東富士五湖道路を経て御殿場から箱根へ登ります。所要時間は3時間ですが、途中ワンコたちの休憩とランチタイムを含めて、ゆっくり走って4時間の行程です。
途中双葉SAでワンコたちのトイレとオヤツタイムの休憩をして、乙女峠の「FUJIMI CAFE」で今回もランチにしたのですが、残念ながらこの日の富士山は雲の中で、その雄姿を見ることが出来ませんでした。
そして、いつもの「相原精肉店」と「箱根のJAコープ」で食料品の買い出しをしてから、仙石原のいつものドッグヴィラにチェックイン。
この日はどこも出ずに、温泉にゆっくり入って相原精肉店で買ったお惣菜で夕食を済ませ、この日の松本から箱根までの運転で多少疲れたこともありますが、翌日に備えて早目に就寝しました。




『春、生命が再生する時間。テクノロジーが社会を覆い尽くす現代において、私たちは身近な自然の驚異や足元に広がる土地の記憶、そして人間の内なる根源的な力を見つめ直し、いっそう鋭敏に感じ取ろうとしています。本展覧会「SPRING(スプリング)わきあがる鼓動」は、アートにおける飛躍する力に光をあて、人間やこの世界の奥底から春の芽吹きのようにわきあがる鼓動を宿し、私たちの存在と感性をゆさぶる絵画、彫刻、工芸、インスタレーション作品を紹介します。
ポーラ美術館は、古くから人々の心身を癒し、感性を研ぎ澄ます場として旅人を惹きつけてきた箱根にあります。本展覧会では、この地に培われた風土と記憶を出発点に、過去と未来、ここから彼方へとつながる想像の旅へ皆様を誘います。静かに、あるいは力強くわきあがる作品の響きと共鳴し、時空を超えて豊かに躍動する創造の鼓動をご体感ください。 』
とのこと。
(下の写真は、企画展のプロローグ作品 大巻伸嗣「iminal Air Space-Time」:空間その全体を作品とみなすinstallation)

その中で個人的に気になったこと。
それは、あの有名な歌川広重の東海道五十三次の「箱根湖水図」と、歌川国貞の通称「美人東海道」と呼ばれる「東海道五十三次之内 箱根之図」の箱根の山の形と色使いが全く同じだったことでした。


『初代歌川広重の風景画「東海道五十三次 箱根湖水図」と、歌川国貞(三代豊国)が描いた「美人東海道」などの作品で色使いや背景が一致するのは、国貞が広重の風景画を背景画としてそのまま借用(パロディ化や引用)して描いたためです。具体的な関係性は以下の通りです。
背景のオマージュ:役者絵や美人画の大家であった国貞は、広重の風景画が大ヒットした際、自身の美人画の揃物「美人東海道」などにおいて、広重の「箱根 湖水図」の奇抜な山並みや構図を背景として流用しました。
色使いの共有:広重の木版画特有のモザイク状にデフォルメされた山や、色鮮やかな多色刷り(錦絵)の色彩が、国貞の作品の背景としても同じ版元(版木)または同じ配色を元にして摺られたため、共通の色使いが見られます。』
歌川派の三代目を継承した国貞と当代きっての売れっ子絵師だった広重は、弟弟子の国芳と共に歌川派の三大絵師と呼ばれる兄弟弟子で共作もしており、この二つの絵も最初から意図的に描かれたものだったのです。

今回の『箱根をはじめとした東海道の風景から触発された表現を、江戸時代から現代に至るまで横断的に紹介』した企画展。作品毎の解説無しに印象に残った作品の幾つかです(参考までに今回の展示されていた作品は、ピカソとレオナール・フジタ以外は全て撮影OKでした)。





奥の壁に掛けられているのがパット・ステア「Waterfalls of Ancient Ghosts」)
(下の写真が企画展のエピローグとしての作品 名和晃平「PixCell-Deer」)


そして、因みに今回私が一番見たかったのは、その企画展ではなく常設展で展示されていた、以前記念切手の図案にもなった岡田三郎助の「あやめの衣」でした。



(他に、村山槐多「湖水と女」とピエール・オーギュスト・ルノワール「レースの帽子の少女」)
それにしても今回もポーラ美術館で感じたのは、美術展を見た後で散策した、昨年は雨で歩けなかった美術館の周囲に拡がる広大なヒメシャラの森の野外彫刻の遊歩道を含め、この地に美術館建設を決意した創業者(二代目だそうですが)の、正にノブレスオブリージとでも言えるその精神が今もしっかりと息づいているポーラ美術館と、以前見終わって正直“反吐を履きそうだった”程に嫌悪感を禁じ得なかった成金趣味の岡田美術館との、同じ箱根の地に在りながら、或る意味好対照とも言えるその精神性の違いについてでした。







