カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 何の“前触れ”もなく、2月になって日本経済新聞の1面と最終頁(紙面構成に依って日々異なりますが、大体30面前後)が突然カラー印刷になりました。

 会社勤めをしていた頃ですので、少なくとも10年近く前、東京支店に出張して(前日宿泊した際は)始業前や会議の待ち時間に、東京支店の総務の居室で日経新聞の朝刊でニュースを確認するのですが、その時点で東京版(?)は既にカラー印刷になっていて、特に最終頁は文化欄のコラムではテーマに沿って国内外の絵画が取り上げられることがあり、それもカラー印刷されているので、解説記事を読みながら元々の色からその説明がより理解され易いのは当然のことなのですが、片や自宅に読む日経新聞はずっとモノクロ印刷でしたので、白黒の絵画を見ても(知っている有名な絵であれば、記憶の中の色彩を創造しての理解は出来ますが)初めて見る絵画ではモノクロの絵では色彩の陰影や色使いとかを説明されても、文字から受ける想像の中だけでしか把握することが出来なかったのです。
その時点でも長野県(中信版?)の紙面全てがモノクロでは無く、例えば中の(広告主が費用負担するであろう)企業広告や、土曜日の別刷りのNIKKEI PLUSや日曜日の中刷り頁の「NIKKEI THE STYLE」などは、ずっと以前からカラー印刷でしたので、長野県で(印刷されて)配布される日経新聞はカラー印刷が出来ないということでは無かった筈です。
 日経に限らず全国紙の新聞は、各地の新聞の専売所からエリアの各新聞販売店にトラックなどで配送するのが大変な作業ですので、配布エリアに依って、本社(印刷所がある地点)から遠くなればなる程、早く印刷して送らないと朝の“新聞配達員”の方の配達(折り込み広告を中に挟むなどの作業をした上で)に間に合わなくなります。
そのため、その印刷所からの配送時間に合わせて遠くなればなるほど早く印刷して配送する必要があり、そのため分かり易い例で言えば、遠くなればなるほど、例えばプロ野球のナイター(ナイトゲーム)の結果が途中で終わってしまっていて勝ち負けの結果が分からないということになります。
 会社勤めの頃、社外役人の方との会話の中で、諏訪の本社での朝の会議に出席いただくために前日来てホテルに泊まって頂くのですが、朝来られて、ホテルで配布された日経の記事を読んで所属会社の役員に何か確認や指示するために電話をすると、例えば埼玉の自宅から都内の本社に通う役員だと、自宅に届いた朝の日経にはその記事が載っていないということが時々あったのだとか。
それは長野県(少なくとも中信版)で配布されている日経新聞の方が後刷りの版でその記事が掲載されていたらしく、長野県の中信地区で配布される日経新聞は首都圏で配布されるものと同じ締め切りで印刷されている“一番新しい”版だったのです。
そしてその理由は、日経新聞が印刷を当時は塩尻市に在った信濃毎日新聞の印刷センター(松本印刷センターが今年新設されて移転)に印刷が委託されており、通信衛星等に依り送られてくる首都圏と同じ紙面の最終版での印刷が行われていたからでした(因みに読売新聞や報知新聞などもそこに委託印刷されている由)。
 今回の一面と最終面文化欄のカラー印刷への変更で、これまでの記事の新しさ(少なくともプロ野球のナイトゲームは、子供たちの受験のために取っていた朝日新聞では途中で終わっていて結果は分からなくても、例えどんなに遅く終わっても日経では結果が確認出来た)も含め、都区内と同じカラー刷りでの最新版がここ信州松本でも読める様になりました。
何より一番嬉しいのは、文化欄の絵画がモノクロから多色刷りに変わったので、色使い、その色の陰影や濃淡などに込められた画家の意図や狙いなどの解説記事の内容が実際の映像通りに見ることが出来る様になったことでしょうか。これからはそのコラムを見る楽しみが倍増しました。

 毎年紹介させていただいている、我が家のシンビジウムの鉢三つ。
ほぼ隔年で花が咲く「ミルキーウェイ」と名付けられたシンビジウムは、やはり二年振りに今年はちゃんとした花芽を付けてくれました。
毎年花を咲かせる別種の二鉢のシンビジウムは、今年もしっかり3本、2本とそれぞれ花芽を付けてくれて、どの鉢もちょうど今見頃を迎えています。

 このシンビジウムは、義母の喜寿のお祝いで戴いた鉢の株分けですし、ミルキーウェイは世義母が世話をするのが難しくなって家内が引き継いだ鉢でもあります。いずれにしても、いただいた喜寿から数えると実にもう17年にもなりますが、以来、家内がお義母さんの想いを引き継いで丹精込めて育ててきましたし、戸建て時代に庭の管理をお願いしていた高校の同級生の園芸店「ナカツタヤ」で、このシンビジウムも何度かの鉢の植え替えや都度の養生もして頂いてきたので、その結果元気に毎年花を咲かせてくれているのかもしれません。
 今年も昨年11月末に花芽が顔を出し、少しずつ成長しながら蕾も膨らんで、やがて年が明けて1月にはその蕾が色付いて来て、遂に1月19日にミルキーウェイが、そして25日には他のシンビジウムも最初の花が開き、2月の中旬にはどの鉢も満開になりました。


 蘭の開花している期間はとても長いのですが、我が家のシンビジウムも今年もきっと5月一杯は花を咲かし続けてくれる筈です。
『一般的に蘭は高価というイメージがあるが、咲いている期間がとても長いので、その期間の日数で割れば、花が楽しめる一日当たりのコストで考えると、むしろ他の花よりも安くなる位コスパが良い!』
と、ご自身も「世界らん展」に毎年ブースを出展されているという、華道家の假屋崎省吾氏が仰る通りなのです。
しかも、我が家のシンビジウムがそうである様に、もう20年近くも毎年咲き続けてくれる程に長寿命でもあります。そして何より、この花の少ない冬の季節に目を楽しませてくれる貴重な花でもあるのです。
 今年もしっかり咲いてくれたシンビジウム。春まだ遅いここ信州で、その貴重な花を楽しみたいと思います。

 市役所へ衆議院議員選挙の期日前投票に行って来ました。
ウォーキングを兼ねて渚から歩いて行ったのですが、大名町から松本城公園への土橋を渡り、松本城の二の丸から太鼓門を出て、市役所の本庁を抜けて期日前投票所の在る東庁舎に向かいました。

 途中、松本城公園内にあった旧市立博物館「日本民俗資料館」が大名町の市営大手門駐車場横の場所に新たに「市立博物館」として建設移転されたのに伴い、古い博物館の建物が一年近く掛かって漸く全て解体され、その跡地が更地化されました。
そして、これまで建物が堀の近くまであったため重機が入れず、修理工事が出来なかった外堀南側の崩落した二箇所の石垣(石積み)の復旧工事が現在行われていました。また同時に年度毎に段階的に進められている、長年の懸案だったお堀に溜まったヘドロの浚渫工事も、ちょうど今はこの外堀で実施されていました。
 元々この旧博物館の在った場所は「古山地御殿跡」で、江戸時代まで松本城の小さな御殿が在った場所とされます。松本城の紹介頁に依ると、
『古山地(こさんじ)御殿は、16 世紀後半、松本城の初代城主である石川数正(1592 年没)の私邸として建てられたとされている。建物の名前は、数正が "箇山寺"と名乗っていたことにちなんでいる。
古山地御殿の 跡地は、現在、旧博物館前広場になっている。 古山地御殿は、面積が約 587 平方メートルで、本丸御殿の 4 分の 1、部屋数も 30 室と小規模なものであった。1712 年頃の絵図をもとに、建物の中央に坪庭が設けられている。南側に座敷、北側に台 所などの設備があった。風呂や茶室、タカの飼育室などもあり、古山地御殿は城主のプライベートな憩いの場として作られたことがわかる。』
本丸御殿を火事で焼失した時の藩主戸田氏は、享保12年(1727年)にこの御殿を拡張して新御殿を造ったのですが、この古山地御殿の中には「ててまがりの井戸」という名水があり、昔の博物館(日本民俗資料館)内にはガラスで囲まれたスペースにその井戸が在り保存されていました。“ててまがり”とはカタツムリのことだそうです。
当時の旧博物館時代の紹介記事に依ると、
『松本市立博物館一階の一角のガラス越しに望めるこれは「ててまがりの井戸」。かつては外縁部からが、でんでん虫の殻のように見えたことからその名があるとのこと。松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられました。そのうちの古山池御殿の井戸です。
古山池御殿は一番最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっています。
廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、その時代も現役の井戸として活用されたそうです。』
旧博物館解体後も、この井戸はキチンと保存されているそうです(白いポールで囲われた、2m四方の狭いエリアが井戸とのこと(旧博物館時代の井戸の写真は市の紹介頁からお借りしました)。
 すっかり更地化されて広々とした二の丸エリア。いくら本丸御殿の1/4で30室の小さな御殿とは言っても、現代のイメージからすると相当な広さです。
こうして何も無いエリアが出現してみると、平山城の様な3Dの立体的な上下への広さは感じませんが、平城である松本城の平面的な横の広さを十分に感じることが出来ます。しかも、旧博物館の建物が在った時には見られなかった光景、例えば南側から見る太鼓門やその石垣、そして外堀の東南の角から望む大天守だったりと、こうした今までは見ることの無かった松本城の貴重な景観を、常日頃毎日の様にお城を眺めてきた我々松本市民も初めて見ることが出来ています。
戦時中の空襲で焼け落ちるまで天守や本丸御殿が現存していた名古屋城の様に、しっかりとその裏付けとなる写真等の資料が残っていれば、(100年後の国宝再指定を目指して!?)実物通りに再現出来るのですが、明治初期に筑摩県の県庁舎として使われていて(筑摩県が長野県へ併合される引き金となった、放火とも云われる)火事で焼け落ちてしまった二の丸御殿や、明治になって廃城後に取り壊された古山池御殿は、残念ながらどちらも証拠となる実物を撮影した写真が未だ見つかっておらず、今のところ復元することが出来ません。
 ただ更地化されたことに依り、その代わりに先日の氷彫フェスティバルは昨年までによりも広々としたこのエリアを使って行われましたし、今後もイベント会場として当面は使われるとのこと。
二の丸御殿を含め明治初期の写真が見つかるまでは、そうしたイベントでの活用で、お城を中心に松本の街を大いに盛り上げてくれれば良いと思います。

 待ちに待った、松本エリア初出店となるハンバーガーチェーンの「バーガーキング イオンモール松本店」が、暮れも押し迫った昨年の2025年12月30日(火)に漸くオープンしました。
長野県内では、ここ数年スキーシーズンのみの限定出店してきた栂池スキーリゾートを除くと、昨年の年初と同じく年末にオープンした長野市と上田市に次いで県内3店目の出店ですが、他2店は郊外型店舗なのに対して、松本店はショッピングモール内に新規テナントとしての出店です。
 長野や上田は、以前のローカルニュースで開店後は営業開始前の朝6時から並んだり、大行列だったりという様子が流されましたし、ご多分に漏れず松本店もオープン初日は1時間待ちの行列だったとのこと。
しかも、最初からそこを目的に行く郊外店舗よりも、たまたま店舗の横を歩いていて気が付いて急に思い立って立ち寄るお客さんもいるであろう、ショッピングモール内のテナントの方が集客力は大きい筈・・・。
ですので、そうした混雑ぶりに或る意味“怖気づいて”、「暫くして落ち着いて、行列が無くなってから行けばイイや!」と思い、今まで一度も行ってはいませんでした。
しかもオープンする12月末には、その年末年始に松本へ帰省して来る次女に、いつものバーガーキングのワッパーの私と奥さまの分を、横浜の自宅近くのバーガーキングの店舗からテイクアウトして、わざわざ松本まで“お土産代わり”に横浜から3時間掛けて持って来て貰ってさえいた・・・のです。

 そこで、オープンからほぼ一ヶ月経った一月末の平日。遅れ馳せ乍ら、遂にバーガーキングの松本店に行ってみることにしました。
イオンモール松本は元々は明治時代から片倉製紙の製糸工場があった場所で、市街地に在りながら広い敷地を持ち、ショッピングモールは3つの建物が渡り廊下などで繋がっていて、飲食店は真ん中の建物「風庭」の1階に個別レストランが入り、3階にも広いフードコートがあって、それぞれ10数店舗ずつが集約されています。ですので、バーガーキングもフードコートのKFCなどと同じ様に、てっきりフードコートにあるものとばかり思っていたのですがそうではなく、またその「風庭」1階の飲食店街でもなくて、バーガーキングの在る場所はイオンモールの一番大きなメインの建物「晴庭」の1階。以前は「ビストロ ヒカリヤ」だった場所を改装して、新規テナントとして入店していました。
ショッピングモールの中核となるイオンスタイルや、目玉テナントの無印良品などが入るメインの建物の「晴庭」は、1階は屋内駐車場で、4階建ての建物的には店舗フロア1階が実質2階になっています。
その店舗フロア1Fにバーガーキングの注文受付のカウンターとイートインの二人掛けのテーブル席が10卓程。そして店内から駐車場フロアに階段を降りたエリアにも、その倍近いイートインスペースが設けられていました。
11時半前に着いたのですが、意外とテーブル席は空いていて、その場で食べずに結構持ち帰りの客さんが多い様です。我々は1階(実質2階)のテーブル席で食べることにしましたが、テーブル間がかなり狭いので、特にお子さん連れの場合はテイクアウトして、1100席近くあって広々しているフードコートで食べた方が、ベビーカーのまま利用できるボックス席もあるので、もしお子さんが騒いでも安心して、店内よりもむしろ落ち着いて食べられるのではないかと感じた次第です。
 この日我々がオーダーしたのは、奥さまがいつものアボガドではなく珍しくマッシュルームワッパーJrと私はワンパターンでスモーキーBBQワッパー(下の写真はH/Pからお借りしました)をそれぞれセットで。更にオニオンリングを追加しましたが、ナゲットは購入せず(スモーキーチキンは美味しいのですが、バーガーキングのナゲットは何となく粉々している感じで、残念ながらナゲットに関してはマックの方が上。特に期間限定だった黒胡椒ガーリックはレギュラー化すべき逸品)。
いやぁ、これまでわざわざ横浜からテイクアウトして貰って来て食べたバーガーキングも、今までは松本では食べることが出来なかったので或る意味貴重で、時間が経っていても美味しく感じていたのですが、出来たてのワッパーに挟んであるオニオンスライスってこんなにシャキシャキしていたのか、そしてレタスもこんなにパリパリしていたんだ・・・と、当たり前なのかもしれませんが再認識。やっぱり後で(しかも場合に依っては翌日)再加熱するよりも、出来立てを食べた方がさすがに美味しく感じました。
 「ヨシ!これならまた平日に食べに来よう!」
場合に依っては私がテイクアウトして、その日の嗜好次第で家内はフードコートで別の品をオーダーして、フードコートで一緒に食べても良いかもしれません。
しかし食べている途中で「そうは言っても」と、私メ用に朝食用のタルタルチキンバーガーと昼食用にはスモーキーBBQワッパーをモバイルオーダーし、それぞれ単品でテイクアウト。しっかり家に持ち帰り、翌日また楽しんだのでありました。でも、それはそれでそれなりに美味しかったので、
 「・・・ん?バーガーキングは二度美味しい⁉・・・」
 今回、オープンから一ヶ月も経っての遅れ馳せではありましたが、バーガーキングが松本にも出店してくれて万々歳!・・・を漸く実感したのでありました。

 今の信州は東京のキー局の系列の地方局があり、民放の番組の殆どは視聴できる中で、唯一放送されていないのがテレ東、昔のテレビ東京です。
ただ、テレ東の番組でも、例えば「開運!なんでも探偵団」の様な全国的な人気番組は、地元のローカル局が数週間遅れにはなりますが放送時間を変えて放送していますし、今ではTVerで視聴することも可能です。
そうした中で、私もTVerやBSテレ東などで「アド街っく天国」や「孤独のグルメ」、また「ワカコ酒」などを楽しんで視聴しています。

 30周年を迎えたという「出没!アド街っく天国」は、首都圏のみならず軽井沢や松本など信州の観光地も何度か取り上げられていて、娘たちが住んでいる(いた)街などが取り上げられた時は勿論ですが、行ったことの無い街でも、その街の魅力を知ることが出来るので、東京のみならず首都圏の街もいつか旅行などで行った時の参考として、ナルホドと感じる山田五郎さんのウンチクを含めて毎回楽しんでいます。
その中での個人的なお気に入りは、ベスト3直前に放送される、その街の一日を100枚の映像で切り取った「アド街 百景」と、その映像のBGMとして流れる、“街の宣伝部長”三代目MCのイノッチこと井ノ原快彥氏の作詞作曲した「あの街この街」。
これは30周年の1500回放送記念に作られた曲ということですが、何ともホンワカした心温まる内容の優しさが感じられる曲で、聴いていると何だかほっこりします。
朝街が目覚めて動き出す夜明けから深夜街の灯りが落ちて眠りに就くまでの、何気ないその街の切り取られた日常の様々な風景に、しみじみ「あぁ、日本てイイなぁ~」と毎回視る度に感じています。
 ご近所さん同士の人と人との触れあい。近くの公園や路地で遊ぶ子供たち。
 「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」・・・
その街角で毎日繰り返されているだろう、何気ない風景と当たり前の日常。
そんな風景が感じられる、ほっこりするとてもイイ曲だと思います。
(検索しても歌詞が見当たらなかったため、YouTubeを何度も繰り返し見ながら文字起こしをしたので、もしかすると間違っているかもしれません)

『 ここはどこなのか?
  初めての駅、見も知らぬ街
  ドラネコは言う 「まずはちょっと散歩してみな 」

  迷い込んだ路地裏の隅の 植木だらけのどんつきを
  カメラに収めるその瞬間 太陽がレンズを弾いた

  そうさ、あの街にも  ほらね、この街にも
  人々の暮らしがあるわけで
  「ただいま、(お帰り)、夕飯は何? 」

  そうね、あの人にも  ほらね、その人にも
  守りたい誰かがいるんだな
  「そんじゃね、おやすみ、また明日」  』

 きっと路地裏や小さな街の公園で駆け回ったりして、日が暮れるまで遊び回っていた子供たちが、夕暮れになって「じゃあね!」と友達と別れて、「お腹空いたぁー!」と駆けて家に戻って来た様な風景・・・。
途中出会った近所のおばちゃんやおじちゃんと交わす挨拶。
 「宿題ちゃんとやったんかぁ?」 
 「うん、大丈夫!ご飯食べてからやるからー」
こうした何気ない日常が、当たり前に繰り返されることの大切さと幸福・・・。

 30周年記念として、番組初という調布での生収録も行われた中で、最後は番組30周年を記念して、井ノ原さんが手がけた楽曲「あの街この街」の生演奏&生歌唱が披露された中で、山田五郎さんが多分ご自分のエレキギターで特徴あるフレーズを見事に生演奏されたのには驚いたのですが、イヤイヤさすが、お見事でした。
 そしてもう一曲は、朝ドラ「ばけばけ」の主題歌、夫婦のフォークデュオのハンバートハンバートが歌う「笑ったり転んだり」。
 「世の中色々あるけど、ま、散歩でもしましょうか」・・・と、力が抜けててイイ。この脱力感が素晴らしい・・・。
もう色々書かれているので何を今更なのですが、知る人ぞ知るグループだったのかもしれませんが、唯一付記するとしたら、それは彼らに主題歌作曲をオファーしたNHK大阪のスタッフの慧眼ではないでしょうか。
 「エライ!」

| 1 / 100 | 次へ≫