カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
合唱界に多くの試練を与えたコロナ禍。私もそんな影響を松本で聴いた演奏会で実感していました。
それは、コロナ禍が明けた3年前に松本で行われた早慶グリークラブの演奏会でした。その時のブログ記事(第1757話)から抜粋します。
それは2年前の2024年の12月に行われた東京混声合唱団(以下「東混」)の松本公演(第1959話)でした。同じく抜粋すると、
『今回の演奏会を「松本公演」と銘打ってある通り、この日の東混は全部で26名とほぼフルメンバーでの来演(コンマスのソプラノ松崎さんは所用か、姿が見えませんでしたが・・・)。さすがは全員が藝大声楽科を始めとする音大出のメンバーで、オペラのソリストも務められる様なプロの声楽家の皆さんですので、26名の声量はその人数の倍、否三倍以上のアマチュア合唱団のそれに匹敵します。しかし何と言っても一番の魅力は、その声量の豊かさではなく、むしろ最弱音のppp(ピアニッシシモ)です。響きの良いこの音文ホールの天井から、まさにハーモニーが静かに降り注いで来るかの如き美しさ。全員が絶対音感をお持ちの筈のプロの方々ですのでむしろ当たり前なのですが、学生時代に合唱をやっていた身からすると、途中からピアノが入って来ても全くピッチがずれていないのに何度も感動してしまいました。』『続いての第二部が「東京混声合唱団が送るシアターピース」として、東混の1973年の委嘱作である柴田南雄の「追分節考」。まさに東混の十八番とも言って良い難曲で、一人一人がプロの声楽家である東混だからこそ歌える曲であり、殆どのアマチュア合唱団では演奏困難です(決して自分たちだけの自己満足ではなく、聴衆にチケット代金を払って聴いて貰える水準として演奏するのは・・・)。
(中略)今回初めて生での演奏を聴くことが出来ました。会場の通路を馬子に扮した男声陣が練り歩くかの様に歌うので、恐らく聴衆一人一人の席で聴く歌声の強弱が違うであろうこの曲の、会場で聴く生演奏の面白さと共にプロの合唱団の凄さを改めて実感した次第。』

しかし、アマチュアの合唱団がプロの合唱団を凌駕する程の輝きを放っていた時代が間違いなくあったのです。そしてその一役を担っていたのが、大学の男声合唱団、グリークラブでした。そして大学を卒業した合唱愛好家が、社会人のアマチュア合唱団としてしのぎを削っていた頃がアマチュア合唱の全盛期であり、その頃製作されていたLPレコードが、そうした我が国のトップレベルのマチュア合唱団が演奏する「現代合唱曲シリーズ」だったのです。
勿論、全員が音大の声楽科卒のプロの合唱団とアマチュア合唱団では、一人一人の技量、特に声量は段違いです。でもそれを例えば東混は20数人ですが、全盛期のアマチュア合唱団は100名近い団員が全員でそれをカバーしていましたし、以前知り合いのマエストロが云われた、決して人数だけではなくマチュアだからこその強みとして、以前もご紹介した様に、
『「演奏会に向けた練習時間が長く取れ、全員が真摯に集中した時のアマオケの演奏は、ややもするとビジネスライクで無味乾燥的になりかねないプロオケの演奏を、時として凌ぐ」のです。(数年前に「えっ、アマオケを振られるんですか?」と怪訝/不遜な態度の私に、尊敬するマエストロが諭すように穏やかに言われた言葉を思い出し、猛省しながら噛み締めていました)』
もあるとは思います。
しかし、嘗て我が国の男声合唱界の頂点に君臨していた、当時の東西4大学のグリークラブ全盛期を実体験として知る者にとってのこの二つの演奏会は、現在のアマチュア合唱団が例え“練習時間が長く取れ、全員が真摯に集中”しても演奏レベルはこの程度なのかと、残念ながら現在のアマチュア合唱界の凋落ぶりを、残酷な程に殊更印象付けられたモノでしかなかったのです。
7月中旬、大学時代のサークル(混声合唱団)の同期と後輩のメンバーが同期会を兼ねて松本へやって来てくれました。
私が不義理で京都などでの同期会へは一切行かないので、学生時代にサークルの夏合宿を毎年栂池で実施していたこともあり、彼らが久し振りに信州への旅行を兼ねてやって来てくれました。それに合わせて松本在住の先輩後輩も夜の飲み会と昼のランチにも合流してくれたので、久し振りの“松本OB会”も併せて実施することが出来ました。
さて、その際に聞いてびっくりしたこと。それは、コロナ禍も手伝っての大学の合唱界への“逆風”でした。
我々の所属していた混声合唱団は現在団員が20名ほど。そして、全日本合唱コンクールで優勝(金賞受賞)したこともある男声合唱団はナント解散してしまったとのこと。憧れのグリークラブだっただけに、ショックで信じられませんでした。しかし、ミサや礼拝などで聖歌隊として定期的に奉唱するミッション系大学の合唱団を除くと、関西の有力大学の男声のグリークラブや混声合唱団は今どこも皆同じ様な状況なのだそうです。
そんな現状とは対照的に我々の学生時代を過ごした1970年代後半は、アマチュア合唱の全盛期と言っても決して過言では無かったと思います。




私の頃の学生時代、各大学の合唱団は混声も同声も皆100人近い団員を有していました。それが次第に減少し、そして決定的にダメージを与えたのがコロナ禍だったと言います。
集団で密になること、口を開けて大きな声で歌うこと・・・。合唱練習での当然の営みが、「密を避ける」、「飛沫感染を防ぐ」というコロナの感染対策に逆行し、中にはコロナそのものの感染源として疑われたケースもあったそうです。
そんな中で合唱を続けるために、プロからアマチュアの合唱団まで、合唱界では実に様々な努力がなされていました。
コロナ禍の当時の合唱界では、練習や演奏会の大幅な自粛、マスク着用の義務化、ソーシャルディスタンスの確保など、多大なる制限と向き合うために、全日本合唱連盟などが示した指針やガイドラインに基づき、前後左右の十分な間隔(前後約2m・左右約1m)の確保や、飛沫防止用マスク・フェイスシールドの着用が行われ、学校や合唱団ではオンラインでのリモート合唱(動画の組み合わせ)の導入など、昔合唱に携わったことがある人間からすると(あんなフェイスガードを付けたら、歌いながらの息継ぎはぞ苦しかろうと)正視するのがつら過ぎる様な、涙ぐましい努力がされていたことを思い出します。
因みに、そんなコロナ禍当時の状況を、例えばプロの合唱団である東京混声や東京藝大の声楽科の皆さんなどのリモート合唱を、当時配信されたYouTubeで今でも視ることができます。
そんな最近の合唱界について、全くのど素人ながら最近感じていたことも含めて、少し考えてみたいと思います。
今までのキュウリに代わって、今年初めてプランター栽培で挑戦したゴーヤ。これまでも何度かご紹介しましたが、これは猛暑対策での“グリーンカーテン”ではなく、飽くまで“食べる”ことが目的でした。
今回栽培した「沖縄ゴーヤ」(苦味を軽減させた種類ではなく、昔ながらの苦みのある品種)と書かれた2本の苗のお陰で、今年は幸い一度もゴーヤを買うことも無く、収穫した我が家のゴーヤで4~5回大好きなゴーヤチャンプルーを食べることが出来ました。その意味では、キュウリ栽培よりも実際の成果も満足度も高かったゴーヤ栽培でした。しかも最初の頃はせっかく雌花が咲いても人工授粉をそのままにしていたら、何本かは大きく成らずに黄色くなってしまって実らなかったので、もし最初から人工授粉をしていればもっと収穫出来たかもしれません。それとゴーヤは収穫時期の見極めが難しく、最初の収穫では苦味が少なめでした。

『十分に葉が茂ったグリーンカーテンは日射の熱エネルギーの約80%をカットします。同じように遮蔽効果が期待されるすだれでは50〜60%です。また、横浜市や草加市がグリーンカーテンによる遮熱効果を検証したところ、グリーンカーテンを設置することで、窓の表面温度が約4〜5℃も下がることが確認されています。
さらに、グリーンカーテンには蒸散(じょうさん)効果も期待できます。植物は根から吸った水分を葉から蒸散させていますが、これは気化熱を奪います。そのためグリーンカーテン表面の温度上昇が抑えられ、室内への放射熱も減少します。打ち水の効果と同じ、生きた植物ならではの利点です。』
とのこと。


ゴーヤ栽培は、少し伸びた段階で親弦の先端を切る「摘心」をして、分枝させて子弦を何本か伸ばすのですが、それでもゴーヤはとにかく伸び過ぎるので、キュウリ栽培用の網を二つ折りにして、それに沿ってゴーヤの弦が折り返して下に伸びる様にもしたせいもあってか、まさに“ゴーヤジャングル”と呼べる程の茂り方でした。


そのためか、茂みの中に隠れていたゴーヤに気が付かず、黄色く熟して初めて緑の茂みの中に隠れていたゴーヤを発見する有様。熟したのは2本程でしたが、オレンジ色に完熟したゴーヤを初め見ることが出来ました。しかも中の実がまるで大きなザクロの様に真っ赤になって光っていて、その実の周りの果肉が甘いのです。知識としては知ってはいましたが、このオレンジ色に熟したゴーヤは苦みが無く果肉もほんのり甘くなって、緑色のゴーヤの様なシャキシャキ感は無くなって柔らかくなるのですが、サラダなどにして生でも食べられるのだそうです。



奥さまはNYの長女の元へ行っての留守中に全部ゴーヤチャンプルーにして、一人でしかも一夜で残さずに食べてしまいました。
次女が夏に孫を連れて帰省して来た時に作ってくれたゴーヤチャンプルーのレシピで、豚肉やベーコンだけでなく鰹節を入れるのがポイント。そうすることで更にコクが出て、実に美味しく感じられます。
ごちそうさまでした。ゴーヤに感謝です。もうキュウリ栽培はやめて、また来年もゴーヤを栽培しようと思います。
清掃ボランティア「源智の井戸を守り隊」の発足当時からのメンバーで、地元の地区にお住いの市会議員の方のお口添えもあり、小池町の「徳武の井戸」でも知られる「徳武竹材店」さんから、青竹で編まれた高級竹スダレを二面寄贈いただきました。



本当にビックリする程見た目も立派で、大変高価なスダレであることが素人でも一目で分かります。
ただしっかり編み込まれているためかなり重量もあり、その重みにちゃんと耐えられる様に工夫して井戸の東屋に掛けたいと思いますし、屋外で使うので防カビと防腐対策を施した上で、更にそんな高級スダレであれば念のための盗難対策もした方が良いとも思います。

それは250cmの黒竹を探すためでした。というのも、八角形の玄智の井戸の8ヶ所ある水口の中で、水路のために敷石が切ってある所に在る水口が大きなペットボトル用には一番汲み易いのですが、日差しが差し込まぬ様に掛けてある東側のスダレが、少し巻き上げてはあるものの、その頭上にスダレがあるために邪魔になるのか、乱暴に扱われて何度か巻き上げ機が壊れたり外れたりして、その都度直しているのです。


そこで、前回の清掃時にメンバーのお一人から、井桁の真上にスダレが来れば水汲みの邪魔にはならないので、もう少し内側にスダレを移したらどうかとのアドバイスがあり、「ナルホド、それはGood Idea!」と納得。そこで計測してみると梁と梁の間が255㎝あるので、その間に角材か棒を渡してそこにスダレを吊るすことにしました。
東屋が黒塗りなので、ホームセンターで黒竹を探したのですが、1.8m(6尺)のものしかなく(因みに今掛けているスダレも176cmとのことなので、昔からの日本の道具は尺貫法ベースのモノが今でも使われている様です)、それ以上の長さの竹は、普通の青竹(乾燥して黄色になったモノ)しかありませんでした。プラスチック製の240㎝のイボ竹はあったのですが、文化財の井戸に使うにはそれだと余りに安っぽくて風情がありません。
そこで、今回専門店の「徳武竹材店」さんに伺う機会を頂けたので、竹材を扱っておられる専門店なら長い黒竹があるのではと考えた次第です。
しかし廃業されたとのことで、「昔は色々あったんですが・・・」と見せて頂いた残った在庫の中にあったのは200cmの黒竹でした。
「同じ黒竹が松本城でも使われているので、品質はとても良いモノです。」
そこで思案の結果、先端の細い方を根元の方に太い部分にちょうど差し込むことが出来る黒竹を探して、その2本を補助金で購入させていただきました。
その上で差し込んで結合し、240cmの長さで切断。
東屋の屋根は垂木で汲んであるので、ちょうど井桁の端の真上の位置の梁の部分で、東屋の屋根裏の垂木と垂木の間の5cmちょっとの巾の間にナントか黒竹を渡して、S字フックでスダレを掛け替えて、ちょうど上手く井桁の端に来る様にしました。そうすれば確かに縦に176㎝まで一杯下げても水汲みの邪魔にはならないですし、光合成の抑制効果も上がるのでまさに一石二鳥でした。当座はこれで対応したいと思います。


今回「徳武竹材店」さんから寄贈頂いた、高級竹スダレ。
ご厚意を決して無にすることの無いよう、また利用者や地元の方々にも500年の歴史のある“地元の宝”である「源智の井戸」の“風情”として親しんで頂けるよう、重さで落ちたりせぬ様に耐荷重などの安全面や防カビ防腐対策、そして念のため万が一の盗難対策もしっかりとふまえながら、一番良い方法をメンバー皆でこれから考えたいと思います。
今年のOMF、セイジ・オザワ松本フェスティバル。
知り合いから、「オーケストラコンサートのチケットがダブってしまったので、聴きに行かないか」と誘っていただきました。
そのコンサートはオーケストラコンサートのBプロで、客演のフランソワ=グザヴィエ・ロトの指揮するブルックナーの交響曲第8番ハ短調WAB 108(ハース版)。80分以上にも及ぶある意味“超”大作で、ブルックナーの交響曲の中での最高傑作と評されています。演奏は勿論サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)です。
しかし、個人的にはブルックナーは苦手。例えば交響曲のジャンルで言えば、子供の頃に先ずは俗に三大交響曲と云われる“運命”、“未完成”、“新世界”に始まり、大好きなブラームスやシベリウス、そしてチャイコフスキーやシューマン、シューベルト、やがてマーラー・・・と次第にその範囲を拡げて聴いて来ても、ブルックナーには殆ど手を(耳を)出しませんでした。せいぜい、手持ちのLPやCDの中にも“ロマンチック”と7番がある程度。ましてや、これまで生演奏でブルックナーは一度も聴いたことはありませんし、今までは正直聴こうとも思いませんでした。
ただ、宗教曲の傑作テ・デウムだけは何度かCD等で聴いています。大地から湧きあがる様な荘厳な合唱の響き。特に終曲のフーガはベートーヴェンの“第九”の第4楽章のそれを彷彿とさせます。
ですので、ウィーンの教会オルガニストだったという彼の経歴もあって、個人的にはブルックナーの音楽はキリスト教と切っても切れない関係があり、だからクリスチャンでない自分には(何となくその表題だけで世俗的に感じられる4番以外は)彼の交響曲の根底にあるであろう、その精神性をどうしても理解出来ないのだと勝手に思っていました。

80分を超える大作ですが4楽章形式ですので休憩は無く、全曲通して演奏されます。そして、この日のプログラムはこの1曲のみ。指揮者のロトはフランス人の指揮者でドイツの楽団で研鑽を積み、問題行動で解任騒ぎも過去にはあった様ですが、カリスマ性を備えた指揮者だという評価。
演奏が始まっての感想。それはSKOの巧さとパワーでしょうか。16型の対抗配置で並んだ弦楽器群の奏でる、これが日本のオケかと思える様な(しかも結構女性奏者もいるのに)パワーに満ち溢れた圧倒的な迫力。今年もいつもの様にコンマスの席には豊島さんが、そしてその隣には矢部さんが座っていましたが、既に結成以来代替わりもしていて、若いメンバーも結構加わっているので、嘗ての様な斎藤英雄氏の指導で阿吽の呼吸で併せられるという、“弦の桐朋”出身のメンバーばかりでは無い筈です。そして、嘗てはマエストロ“世界のオザワ”の呼び掛けで集まった、手兵のBSOメンバー中心に世界中の腕利きばかりだった管楽器群も、夏のオフシーズンとはいえメンバーも変わっている筈です。
そして8本という指定のホルンは勿論ですが、金管楽器群の煌びやかさと門管楽器群のベルベットの様な柔らかさに、「本当に巧いなぁ・・・」と溜息しか出ませんでした。

教会のオルガニストらしい、神への信仰の元に何重にも重ね合わされたパイプオルガンの様な重厚なハーモニー・・・。それは、多分にブルックナーの指揮者と言えば、浮かんで来るのはギュンター・ヴァントやチェリビダッケ、そして日本ではマタチッチと朝比奈隆といったマエストロ達から受ける印象も重なっての、ある意味先入観も多分にあるのかもしれませんが・・・。
しかし、この日のロトの指揮から紡ぎ出される音楽は、宗教感や精神性ではなく、むしろフランス音楽的なミュンシュ、マルティノンに代表される様な鮮やかな色彩感・・・でした。しかもテンポも速い。それが上述のマエストロたちのブルックナーの様な重厚感を感じさせない理由だったのかもしれません。
確かにオケも巧い、演奏は鮮やかというか煌びやかで華やか・・・・。
初めて生で聴くブルックナーではあったのですが、「ウーン、そうか、これがブルックナーの8番なのか・・・?」。
唯一、指揮者の意思、意図が感じられたのは、最後終わった後に30秒近くタクトをそのままで降ろさなかったこと。我々聴衆も誰一人“フライング・ブラヴォー”を叫ぶ輩も無く、その指揮者のタクトが降ろされるのを、ホールの全員が息を潜めてじっと待っていた、まるで息苦しくさえ感じられた“永遠”の30秒間だったでしょうか。
やがてタクトが静かに下ろされると、客席からはブラヴォーの嵐!
「フーン、そうなんだ。これが心酔する“ブルックナー・マニア”が評価する“ブル8”なのか?・・・」

しかも、マエストロ・オザワ亡き後、止むを得ないとも思いますし、チケットが海外の有名オケ並みにまで高騰してしまったことも影響しているのかもしれませんが、嘗てテント村が出現するのが恒例だったメインのオーケストラコンサートですが、今やチケットが売れ残っているという現実も含め、例年通りの最後に県花リンドウをオケメンバーがステージ前のお客さんに渡すだけでなく、もっと聴衆フレンドリーであっても良いのに・・・。そんな疑問を感じて、多少モヤモヤしながら会場の県文(キッセイ文化ホール)を後にしました。
蛇足ではありますが、チケットを譲って頂いた方にそれ相応のお礼をさせてお頂いたのは勿論言うまでもありません。



