カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 市役所へ衆議院議員選挙の期日前投票に行って来ました。
ウォーキングを兼ねて渚から歩いて行ったのですが、大名町から松本城公園への土橋を渡り、松本城の二の丸から太鼓門を出て、市役所の本庁を抜けて期日前投票所の在る東庁舎に向かいました。

 途中、松本城公園内にあった旧市立博物館「日本民俗資料館」が大名町の市営大手門駐車場横の場所に新たに「市立博物館」として建設移転されたのに伴い、古い博物館の建物が一年近く掛かって漸く全て解体され、その跡地が更地化されました。
そして、これまで建物が堀の近くまであったため重機が入れず、修理工事が出来なかった外堀南側の崩落した二箇所の石垣(石積み)の復旧工事が現在行われていました。また同時に年度毎に段階的に進められている、長年の懸案だったお堀に溜まったヘドロの浚渫工事も、ちょうど今はこの外堀で実施されていました。
 元々この旧博物館の在った場所は「古山地御殿跡」で、江戸時代まで松本城の小さな御殿が在った場所とされます。松本城の紹介頁に依ると、
『古山地(こさんじ)御殿は、16 世紀後半、松本城の初代城主である石川数正(1592 年没)の私邸として建てられたとされている。建物の名前は、数正が "箇山寺"と名乗っていたことにちなんでいる。
古山地御殿の 跡地は、現在、旧博物館前広場になっている。 古山地御殿は、面積が約 587 平方メートルで、本丸御殿の 4 分の 1、部屋数も 30 室と小規模なものであった。1712 年頃の絵図をもとに、建物の中央に坪庭が設けられている。南側に座敷、北側に台 所などの設備があった。風呂や茶室、タカの飼育室などもあり、古山地御殿は城主のプライベートな憩いの場として作られたことがわかる。』
本丸御殿を火事で焼失した時の藩主戸田氏は、享保12年(1727年)にこの御殿を拡張して新御殿を造ったのですが、この古山地御殿の中には「ててまがりの井戸」という名水があり、昔の博物館(日本民俗資料館)内にはガラスで囲まれたスペースにその井戸が在り保存されていました。“ててまがり”とはカタツムリのことだそうです。
当時の旧博物館時代の紹介記事に依ると、
『松本市立博物館一階の一角のガラス越しに望めるこれは「ててまがりの井戸」。かつては外縁部からが、でんでん虫の殻のように見えたことからその名があるとのこと。松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられました。そのうちの古山池御殿の井戸です。
古山池御殿は一番最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっています。
廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、その時代も現役の井戸として活用されたそうです。』
旧博物館解体後も、この井戸はキチンと保存されているそうです(白いポールで囲われた、2m四方の狭いエリアが井戸とのこと(旧博物館時代の井戸の写真は市の紹介頁からお借りしました)。
 すっかり更地化されて広々とした二の丸エリア。いくら本丸御殿の1/4で30室の小さな御殿とは言っても、現代のイメージからすると相当な広さです。
こうして何も無いエリアが出現してみると、平山城の様な3Dの立体的な上下への広さは感じませんが、平城である松本城の平面的な横の広さを十分に感じることが出来ます。しかも、旧博物館の建物が在った時には見られなかった光景、例えば南側から見る太鼓門やその石垣、そして外堀の東南の角から望む大天守だったりと、こうした今までは見ることの無かった松本城の貴重な景観を、常日頃毎日の様にお城を眺めてきた我々松本市民も初めて見ることが出来ています。
戦時中の空襲で焼け落ちるまで天守や本丸御殿が現存していた名古屋城の様に、しっかりとその裏付けとなる写真等の資料が残っていれば、(100年後の国宝再指定を目指して!?)実物通りに再現出来るのですが、明治初期に筑摩県の県庁舎として使われていて(筑摩県が長野県へ併合される引き金となった、放火とも云われる)火事で焼け落ちてしまった二の丸御殿や、明治になって廃城後に取り壊された古山池御殿は、残念ながらどちらも証拠となる実物を撮影した写真が未だ見つかっておらず、今のところ復元することが出来ません。
 ただ更地化されたことに依り、その代わりに先日の氷彫フェスティバルは昨年までによりも広々としたこのエリアを使って行われましたし、今後もイベント会場として当面は使われるとのこと。
二の丸御殿を含め明治初期の写真が見つかるまでは、そうしたイベントでの活用で、お城を中心に松本の街を大いに盛り上げてくれれば良いと思います。

 待ちに待った、松本エリア初出店となるハンバーガーチェーンの「バーガーキング イオンモール松本店」が、暮れも押し迫った昨年の2025年12月30日(火)に漸くオープンしました。
長野県内では、ここ数年スキーシーズンのみの限定出店してきた栂池スキーリゾートを除くと、昨年の年初と同じく年末にオープンした長野市と上田市に次いで県内3店目の出店ですが、他2店は郊外型店舗なのに対して、松本店はショッピングモール内に新規テナントとしての出店です。
 長野や上田は、以前のローカルニュースで開店後は営業開始前の朝6時から並んだり、大行列だったりという様子が流されましたし、ご多分に漏れず松本店もオープン初日は1時間待ちの行列だったとのこと。
しかも、最初からそこを目的に行く郊外店舗よりも、たまたま店舗の横を歩いていて気が付いて急に思い立って立ち寄るお客さんもいるであろう、ショッピングモール内のテナントの方が集客力は大きい筈・・・。
ですので、そうした混雑ぶりに或る意味“怖気づいて”、「暫くして落ち着いて、行列が無くなってから行けばイイや!」と思い、今まで一度も行ってはいませんでした。
しかもオープンする12月末には、その年末年始に松本へ帰省して来る次女に、いつものバーガーキングのワッパーの私と奥さまの分を、横浜の自宅近くのバーガーキングの店舗からテイクアウトして、わざわざ松本まで“お土産代わり”に横浜から3時間掛けて持って来て貰ってさえいた・・・のです。

 そこで、オープンからほぼ一ヶ月経った一月末の平日。遅れ馳せ乍ら、遂にバーガーキングの松本店に行ってみることにしました。
イオンモール松本は元々は明治時代から片倉製紙の製糸工場があった場所で、市街地に在りながら広い敷地を持ち、ショッピングモールは3つの建物が渡り廊下などで繋がっていて、飲食店は真ん中の建物「風庭」の1階に個別レストランが入り、3階にも広いフードコートがあって、それぞれ10数店舗ずつが集約されています。ですので、バーガーキングもフードコートのKFCなどと同じ様に、てっきりフードコートにあるものとばかり思っていたのですがそうではなく、またその「風庭」1階の飲食店街でもなくて、バーガーキングの在る場所はイオンモールの一番大きなメインの建物「晴庭」の1階。以前は「ビストロ ヒカリヤ」だった場所を改装して、新規テナントとして入店していました。
ショッピングモールの中核となるイオンスタイルや、目玉テナントの無印良品などが入るメインの建物の「晴庭」は、1階は屋内駐車場で、4階建ての建物的には店舗フロア1階が実質2階になっています。
その店舗フロア1Fにバーガーキングの注文受付のカウンターとイートインの二人掛けのテーブル席が10卓程。そして店内から駐車場フロアに階段を降りたエリアにも、その倍近いイートインスペースが設けられていました。
11時半前に着いたのですが、意外とテーブル席は空いていて、その場で食べずに結構持ち帰りの客さんが多い様です。我々は1階(実質2階)のテーブル席で食べることにしましたが、テーブル間がかなり狭いので、特にお子さん連れの場合はテイクアウトして、1100席近くあって広々しているフードコートで食べた方が、ベビーカーのまま利用できるボックス席もあるので、もしお子さんが騒いでも安心して、店内よりもむしろ落ち着いて食べられるのではないかと感じた次第です。
 この日我々がオーダーしたのは、奥さまがいつものアボガドではなく珍しくマッシュルームワッパーJrと私はワンパターンでスモーキーBBQワッパー(下の写真はH/Pからお借りしました)をそれぞれセットで。更にオニオンリングを追加しましたが、ナゲットは購入せず(スモーキーチキンは美味しいのですが、バーガーキングのナゲットは何となく粉々している感じで、残念ながらナゲットに関してはマックの方が上。特に期間限定だった黒胡椒ガーリックはレギュラー化すべき逸品)。
いやぁ、これまでわざわざ横浜からテイクアウトして貰って来て食べたバーガーキングも、今までは松本では食べることが出来なかったので或る意味貴重で、時間が経っていても美味しく感じていたのですが、出来たてのワッパーに挟んであるオニオンスライスってこんなにシャキシャキしていたのか、そしてレタスもこんなにパリパリしていたんだ・・・と、当たり前なのかもしれませんが再認識。やっぱり後で(しかも場合に依っては翌日)再加熱するよりも、出来立てを食べた方がさすがに美味しく感じました。
 「ヨシ!これならまた平日に食べに来よう!」
場合に依っては私がテイクアウトして、その日の嗜好次第で家内はフードコートで別の品をオーダーして、フードコートで一緒に食べても良いかもしれません。
しかし食べている途中で「そうは言っても」と、私メ用に朝食用のタルタルチキンバーガーと昼食用にはスモーキーBBQワッパーをモバイルオーダーし、それぞれ単品でテイクアウト。しっかり家に持ち帰り、翌日また楽しんだのでありました。でも、それはそれでそれなりに美味しかったので、
 「・・・ん?バーガーキングは二度美味しい⁉・・・」
 今回、オープンから一ヶ月も経っての遅れ馳せではありましたが、バーガーキングが松本にも出店してくれて万々歳!・・・を漸く実感したのでありました。

 今の信州は東京のキー局の系列の地方局があり、民放の番組の殆どは視聴できる中で、唯一放送されていないのがテレ東、昔のテレビ東京です。
ただ、テレ東の番組でも、例えば「開運!なんでも探偵団」の様な全国的な人気番組は、地元のローカル局が数週間遅れにはなりますが放送時間を変えて放送していますし、今ではTVerで視聴することも可能です。
そうした中で、私もTVerやBSテレ東などで「アド街っく天国」や「孤独のグルメ」、また「ワカコ酒」などを楽しんで視聴しています。

 30周年を迎えたという「出没!アド街っく天国」は、首都圏のみならず軽井沢や松本など信州の観光地も何度か取り上げられていて、娘たちが住んでいる(いた)街などが取り上げられた時は勿論ですが、行ったことの無い街でも、その街の魅力を知ることが出来るので、東京のみならず首都圏の街もいつか旅行などで行った時の参考として、ナルホドと感じる山田五郎さんのウンチクを含めて毎回楽しんでいます。
その中での個人的なお気に入りは、ベスト3直前に放送される、その街の一日を100枚の映像で切り取った「アド街 百景」と、その映像のBGMとして流れる、“街の宣伝部長”三代目MCのイノッチこと井ノ原快彥氏の作詞作曲した「あの街この街」。
これは30周年の1500回放送記念に作られた曲ということですが、何ともホンワカした心温まる内容の優しさが感じられる曲で、聴いていると何だかほっこりします。
朝街が目覚めて動き出す夜明けから深夜街の灯りが落ちて眠りに就くまでの、何気ないその街の切り取られた日常の様々な風景に、しみじみ「あぁ、日本てイイなぁ~」と毎回視る度に感じています。
 ご近所さん同士の人と人との触れあい。近くの公園や路地で遊ぶ子供たち。
 「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」・・・
その街角で毎日繰り返されているだろう、何気ない風景と当たり前の日常。
そんな風景が感じられる、ほっこりするとてもイイ曲だと思います。
(検索しても歌詞が見当たらなかったため、YouTubeを何度も繰り返し見ながら文字起こしをしたので、もしかすると間違っているかもしれません)

『 ここはどこなのか?
  初めての駅、見も知らぬ街
  ドラネコは言う 「まずはちょっと散歩してみな 」

  迷い込んだ路地裏の隅の 植木だらけのどんつきを
  カメラに収めるその瞬間 太陽がレンズを弾いた

  そうさ、あの街にも  ほらね、この街にも
  人々の暮らしがあるわけで
  「ただいま、(お帰り)、夕飯は何? 」

  そうね、あの人にも  ほらね、その人にも
  守りたい誰かがいるんだな
  「そんじゃね、おやすみ、また明日」  』

 きっと路地裏や小さな街の公園で駆け回ったりして、日が暮れるまで遊び回っていた子供たちが、夕暮れになって「じゃあね!」と友達と別れて、「お腹空いたぁー!」と駆けて家に戻って来た様な風景・・・。
途中出会った近所のおばちゃんやおじちゃんと交わす挨拶。
 「宿題ちゃんとやったんかぁ?」 
 「うん、大丈夫!ご飯食べてからやるからー」
こうした何気ない日常が、当たり前に繰り返されることの大切さと幸福・・・。

 30周年記念として、番組初という調布での生収録も行われた中で、最後は番組30周年を記念して、井ノ原さんが手がけた楽曲「あの街この街」の生演奏&生歌唱が披露された中で、山田五郎さんが多分ご自分のエレキギターで特徴あるフレーズを見事に生演奏されたのには驚いたのですが、イヤイヤさすが、お見事でした。
 そしてもう一曲は、朝ドラ「ばけばけ」の主題歌、夫婦のフォークデュオのハンバートハンバートが歌う「笑ったり転んだり」。
 「世の中色々あるけど、ま、散歩でもしましょうか」・・・と、力が抜けててイイ。この脱力感が素晴らしい・・・。
もう色々書かれているので何を今更なのですが、知る人ぞ知るグループだったのかもしれませんが、唯一付記するとしたら、それは彼らに主題歌作曲をオファーしたNHK大阪のスタッフの慧眼ではないでしょうか。
 「エライ!」

 娘が以前京都滞在中に地元の食通の友人に連れて行ってもらって以来、京都に来ると必ず行くという地元の食通の方々に評判の割烹と共に、今回娘が我々を連れて行ってくれたのが、同じく「瓢亭別館」の朝粥でした。
奥さまは昔娘に連れて行って貰い、また次女が二人目の孫が生まれる前に皆で一緒に京都へ来た時も、私が孫を見ている間に、彼女のリクエストで「朝粥」を母娘三人で食べに行ってもいるのですが、お粥は多分に男性よりも女性に受けが良いのだろうと思い、私はこれまで一度も食べに行ったことはありませんでした。
今回も正直二の足を踏んだのですが、娘が予約サイトを通じて予約してあり、既に決済済みで人数を減らすなどの変更は不可とのこと。そこで止む無く、予約通りに皆で行くことになりました。 

  「瓢亭」は江戸時代に南禅寺参道の腰掛茶屋として暖簾を揚げたのが始まりで、400年以上の歴史を持つという京都でも屈指の老舗料亭であり、ミシュランの3つ星を15年以上も連続維持している、日本を代表する京料理・茶懐石の名店です。
以前NHKのBSだったと思いましたが、正月準備をする京都の老舗の様子を取り上げた番組で、伝統的な正月用の各種料理の出汁を取る様子で紹介されていたのがこの「瓢亭」でした。それ程に、今やユネスコの無形文化遺産にも認定された「和食」の京料理を代表する料亭の筆頭格でもあります。
場所は蹴上の無鄰菴のお隣。住所は南禅寺草川町で、「瓢亭」の店名の横には今でも創業の由来を示すように「南禅寺畔」と付記されています。土塀に囲まれたお屋敷の中に本店と別館があり、朝粥は別館で供されます。ただ本店でも真夏の二ヶ月間だけ、別館とは少し内容を変えて(値段も上がり、アユの塩焼きなどが加わり)食べることが出来るのだそうです。
 朝9時。入口前の道には打ち水がされていて、店のシンボルの瓢箪が染め抜かれた茶色の暖簾をくぐって、良く手入れされて静けさ漂う前庭の石畳を通って玄関へ。仲居さんに案内されて、囲むように中庭を挟んで二部屋ある食事処の部屋の予約席へ向かいます。本館は一室毎の畳の個室とのことですが、別館は6卓程の大小のテーブル席で腰掛けて座る様になっています。
奥さまに依れば、以前来た時は二回共外国人観光客も含め満席だったそうですが、今回は窓越しに見える別の部屋に一組、そしてこちらの部屋には我々だけの二組(途中でもう一組来られ、朝粥は三交替で一時間の時間制とのことですが時間内に3組だけで、インバウンド半減の影響なのか家内も大層驚いていました。そう云えば今回の滞在中、京都の天ぷらの名店という「圓堂」岡崎店の横を夕食時に歩いていた時に、こちらも一組しかお客さんがおられず家内が驚いていましたが、一時期とは様変わりとのこと)。
 着物を着た年配の仲居さんが、最初に梅干しと昆布が数枚入った一口の梅湯を持って来てくれ、最初食べる前に先ずはサッパリと口の中を整えるということなのでしょう。
ところで、学生時代の京都で一番しっくり感じられたのは、例えば芸妓さんや舞妓さんは生粋の京女ではない方が多いので、むしろ旅行者に道を聞かれた時などに着物を見事に着こなされた地元の老婦人の話される京都弁でしたが、こちらの年配の仲居さんの京言葉も実にしっくりと馴染んで聞こえ、今京都にいることを耳でも実感しました。
因みに、この時間帯に接客を担当されていた仲居さんは三人で、内一人はマレーシアかインドネシア出身と思しき若い女性。その所作や言葉使いはさすが老舗でしっかりと指導と躾がされていて、他店のヘタな日本の若いコよりも余程キチンとして見事でしたが、何年後かの海外出店のための準備ならともかく、もし人手不足が瓢亭の様なこんな老舗にまで及んでいるのだとすれば、元人事担当者の性とはいえ、何だか考えさせられてしまいました。
 閑話休題。さて、続いてお茶が香ばしいほうじ茶に代わるといよいよ食事になって、最初に八寸と瓢亭らしい瓢箪型に重ねられた3段のひさごの器がお膳に載って運ばれてきます(因みに“ひさご”とは瓢箪のこと)。
八寸は取肴と半熟具合が絶妙なその名も“瓢亭玉子”が美しく盛り付けられ、瓢箪の形をしたひさごの三つ重ね鉢には、和え物、蒸し物、炊き合わせなどが月替わりであしらわれていて、食材や月毎にメニューが替わるそうです。
江戸の茶店の頃から出しているという、名物の瓢亭玉子。今ではラーメンでも珍しくはない黄味がトロっとした半熟卵なのですが、薄っすら醤油ベースの出汁が利いているのがさすがです。
(以下写真を見ながら思い出しているのですが、もし記憶が違っていたらご容赦ください)
八寸には京らしい押しずしと、これまた名物という“ぶどう豆”。見事な大粒で、最高級の丹波の黒豆なのでしょうけれど、全く皺が寄らずに炊いたばかりのようにふっくらとしているのに驚きます。絵札の形をした伊達巻には今年の干支の馬の焼き印が押され、他にも子持ち昆布など正月らしい品が並んでいます。
 そして三つ重ねの鉢。和え物と蒸し物、そして京野菜中心の炊き合わせ。特に印象的だったのは二段目の蒸し物です。魚の種類が分からない・・・鯛にしてはホロホロしているし、まさか鱈・・・?お聞きすると甘鯛とのこと。京都で云う“ぐじ”。おそらく少し天日に干して身が凝縮している感じです。そこに大根おろしと、キツクなく薄っすらと酢を効かせたもずく酢が添えられ、薄味の餡の汁が掛けられています。妙な言い方ですが、「薄味なのにしっかり味がする」・・・。
料理は八寸と三段重ねのひさごの器だけなのですが、まるでミニ懐石。その料理のどれも薄味なのですが、京料理らしく出汁が良く利いていて、素材の旨みがしっかり感じられます。決して主張し過ぎることなく、驚く程の薄味なのにしっかりと素材と一体となって下支えする、京料理の出汁の凄さと奥深さ・・・。NHKが京料理の出汁の紹介した番組の中で、瓢亭が登場していたのも納得でした。
そしてその奥にはきっと京都の水の力があり、同じく京料理を代表し「和食」のユネスコ無形文化遺産登録に尽力した、こちらもミシュラン3つ星の名店「菊乃井」(ご先祖が北政所の接客や給仕を行う「茶坊主」として仕えていた時代に、茶の湯に用いる「菊水の井」という井戸を大事に守っていたのが店名の由来で、今も同じ東山で高台寺に隣接して本店を構える)の村田氏曰く、「煮る、さらす、浸す、茹でるといった水を中心とした調理法で、微妙な味わいで素材を引き立たせる日本料理は、京都の軟水だからこそ進化した」ということを自分の舌で実感として納得することが出来ました。
でも実際にこうした京料理を食べてみると、それは単なる薄味ではなく、妙な言い方ですが、“しっかりとした薄味”であることに気付かされるのです。お酒でも伏見は“女酒”と云われますが、京都の地下水は千年以上にわたって一定の味と温度を保っているため、他の軟水に比べて硬度が低く、よりまろやかで繊細な味わいが特徴なのだとか。素材の味をより引き出すこの地下水があったからこそ、京都では出汁を重んじる薄味の文化が生まれたのでしょう。
 途中、汁物が運ばれて来て、如何にも京都らしい白味噌仕立てのお汁でした。菜花とお麩が入っているのですが、南禅寺麩とのこと。当方信州ですので白味噌に馴染みが無いと云えばそれまでですが、この汁、まるでポタージュの様に濃厚で滑らかで甘味もあり、味噌汁と云うよりもむしろクリームシチューの様で驚きの一品でした。
 そして最後に名物の朝粥です。今回は「鶉粥」で、冬季限定(12月1日~3月15日)のお粥だそうです。
因みに、朝粥が瓢亭の名物になったのは、何でも明治初期、祇園で夜遊びをした旦那衆が早朝に芸妓を連れ立ち店へ訪れ、店の者を起こし朝食を作ってくれと言われ、その時のあり合わせの食材で粥を出したのが始まりとのこと。
そして冬の季節の鶉粥は、瓢亭のH/Pの紹介をお借りすると、
『寒い季節に体が気軽に温まるものとして13代目が作ったのが、この名物の「鶉がゆ」の始まり。本当はおかゆではなく雑炊なのですが、夏の「朝がゆ」と揃えて、瓢亭では「鶉がゆ」と呼んでいます。炊いたご飯を一度洗ってサラサラにし、鶉のお肉とスープで炊いてせりを散らした、体が芯から温まるひと品』ということで、昔瓢亭には鶉小屋があったのだとか。
この鶉粥は、ご飯を鶉のガラと野菜から取った出汁で炊き、細かく刻んだ鶉の肉を加えた雑炊で、刻んだセリが加えられています。ほんのりセリの香りと、鶏よりも濃厚な鶉の旨味を感じられ、確かに底冷えのする京都の朝には暖まる一品なのでしょう。付け合わせの京漬物のかぶらと瓢亭特製のちりめんじゃこで、途中味変も楽しみながらご飯茶碗に優に二杯、しっかりと残さずに頂きました。因みに、箸よりも茶碗によそうのに使う木べらで食べた方がお粥は食べ易いのでおススメです。
但し家内と娘は、出汁の効いた葛餡を掛けて味変を楽しみながら食べるいつもの白粥の方が、ここ瓢亭でしか味わえない何とも言えずシンプルながら絶品のお粥で、冬の鶉粥よりも好きとのことでした。もしかすると好みが分かれるのかもしれませんが、個人的にも確かにそうかもしれないと感じた次第です。
 瓢亭の朝粥。以前はずっと4500円だったそうですが、昨今での肝心のお米を始めとするあらゆる食材などの諸物価高騰もあって、別館では現在5445円(税サ込み。夏2ヶ月限定の本館の朝粥は7590円だそうです)決してお安くはありません。否、もしかすると日本一高い“お粥”なのかもしれません。しかし一見の価値、イヤ“一食の価値”あり・・・かも。
食べ終わって感じるのは確かな満足感。何だかシンプルなのにその奥深さに「う~ん美味しい・・・」と、その後の言葉が続かず、むしろ垣間見たその奥深さに何だか気圧された様な気さえしたのでした。
  「ナントモ恐れ入りました。さすが、400年続く伝統は伊達じゃない・・・」
但し、次回も食べたくなるかは何とも・・・??(あっ、でも白粥は食べてみたい・・・かな!?それと一度でイイから、本館の個室と庭も是非とも見てみたい気も・・・)

 奥さまと娘は、二人がとても気に入っているという、清水五条の高瀬川沿いに在るレバノン料理店に今回はブランチを食べに行くと言うので、私は一人で久しぶりに「新福菜館本店」で朝ラーを楽しむことにしました。

 京都駅から東へ少し行った塩小路高倉の線路を跨ぐオーバーパス、通称“たかばし”。ここに目指す「新福菜館本店」が在ります。10時前に着くと、隣のこれまた人気店で朝6時開店の第一旭本店も、お目当ての「新福菜館本店」にも開店前から並んでいたであろうお客さんは既に一巡したのか、どちらも店の外には行列はありませんでした。
昭和13年(1938年)創業で、所謂“京都ラーメン”のルーツとされる「新福菜館」。因みにお隣のこれまた“京都ラーメン”を代表する「第一旭」は、その15年後の創業とか。どちらも“京都ラーメン”を代表する名店です。
一階の店内はカウンターが一杯で、二階にも客席があるのですが、一階奥のテーブル席へ相席で案内されました。
6年前に来た時は特大の新福そばにしましたが、今回は中華そば(並み950円)と同じく「新福菜館」名物の焼き飯(600円)を注文しました。
以前長女が住んでいた麻布台のマンションに行った時に、京都ではその後食べられなかった新福菜館が麻布十番にもあると聞き、勇んで食べに行きました。その時は中華そばの並に小の焼き飯が付いたセットメニューがあったのですが、この京都の本店のメニューには小の焼き飯は無し。でもあの真っ黒なヤキメシも、ラーメンと共に新福菜館の名物メニューですので外せません。そこで、この歳には少々キツイかもとは思いつつも、ここは止む無く普通のサイズでお願いしました。
 程なく運ばれて来た並サイズの中華そば。鶏ガラベースに豚骨の旨みも合わさった、新福菜館の代名詞の真っ黒なキレのある醤油スープに、どっさり盛られた九条ネギ。その下に 京都の近藤製麺特注という中太のストレート麺と、これまた名物のスライスされた柔らかな豚バラチャーシューがこれでもかと(確か6枚だったか)隠れています。
先ずはスープをレンゲですくって何杯か味わって、今確かに新福菜館にいることを舌でも実感します。
続いて、ラーメンと同じ醤油ダレで味付けて、香ばしく焦げた褐色の焼き飯も登場。
せっかく「新福菜館本店」に来たのですから、中華そばの「小」では物足りないので、中華そばは普通の「並」サイズが必須。しかしせいぜい年に一度しか食べられないのであれば、こちらも逃したくはない焼き飯が、本館は普通サイズしか他に選択肢が無いのでこれまたしょうがない・・・。
ラーメンに続き、焼き飯をスプーンで二度三度・・・。やはりどちらも捨てがたい。ただ、全部食べられるかどうか不安を感じつつ、残しては申し訳ないので頑張って何とか完食出来ましたが、その分、スープを全部飲み干せずに少し残さざるを得なかったのが、少々心残りではありました。
ただこの日いつもよりスープの塩味が濃く感じたことも、もしかするとそれに影響したのかもしれません。しかしそれは、店の味が変わったのではなく、恐らく少々風邪気味だったその日の自身の体調が、この日の自分の味覚に微妙な影響を与えていたのではなかろうかと思います。
いずれにせよ、焼き飯も一粒も残さずに完食して満足満腹になった「新福菜館」の朝ラーでした。
ただ出来れば、減塩などとは決して言いませんので、我々高齢者のためにせめてメニューにヤキメシの「小」も加えて頂けると大変助かります。
ごちそうさまでした。また来ます!

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