カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 奥さまと娘は、二人がとても気に入っているという、清水五条の高瀬川沿いに在るレバノン料理店に今回はブランチを食べに行くと言うので、私は一人で久しぶりに「新福菜館本店」で朝ラーを楽しむことにしました。

 京都駅から東へ少し行った塩小路高倉の線路を跨ぐオーバーパス、通称“たかばし”。ここに目指す「新福菜館本店」が在ります。10時前に着くと、隣のこれまた人気店で朝6時開店の第一旭本店も、お目当ての「新福菜館本店」にも開店前から並んでいたであろうお客さんは既に一巡したのか、どちらも店の外には行列はありませんでした。
昭和13年(1938年)創業で、所謂“京都ラーメン”のルーツとされる「新福菜館」。因みにお隣のこれまた“京都ラーメン”を代表する「第一旭」は、その15年後の創業とか。どちらも“京都ラーメン”を代表する名店です。
一階の店内はカウンターが一杯で、二階にも客席があるのですが、一階奥のテーブル席へ相席で案内されました。
6年前に来た時は特大の新福そばにしましたが、今回は中華そば(並み950円)と同じく「新福菜館」名物の焼き飯(600円)を注文しました。
以前長女が住んでいた麻布台のマンションに行った時に、京都ではその後食べられなかった新福菜館が麻布十番にもあると聞き、勇んで食べに行きました。その時は中華そばの並に小の焼き飯が付いたセットメニューがあったのですが、この京都の本店のメニューには小の焼き飯は無し。でもあの真っ黒なヤキメシも、ラーメンと共に新福菜館の名物メニューですので外せません。そこで、この歳には少々キツイかもとは思いつつも、ここは止む無く普通のサイズでお願いしました。
 程なく運ばれて来た並サイズの中華そば。鶏ガラベースに豚骨の旨みも合わさった、新福菜館の代名詞の真っ黒なキレのある醤油スープに、どっさり盛られた九条ネギ。その下に 京都の近藤製麺特注という中太のストレート麺と、これまた名物のスライスされた柔らかな豚バラチャーシューがこれでもかと(確か6枚だったか)隠れています。
先ずはスープをレンゲですくって何杯か味わって、今確かに新福菜館にいることを舌でも実感します。
続いて、ラーメンと同じ醤油ダレで味付けて、香ばしく焦げた褐色の焼き飯も登場。
せっかく「新福菜館本店」に来たのですから、中華そばの「小」では物足りないので、中華そばは普通の「並」サイズが必須。しかしせいぜい年に一度しか食べられないのであれば、こちらも逃したくはない焼き飯が、本館は普通サイズしか他に選択肢が無いのでこれまたしょうがない・・・。
ラーメンに続き、焼き飯をスプーンで二度三度・・・。やはりどちらも捨てがたい。ただ、全部食べられるかどうか不安を感じつつ、残しては申し訳ないので頑張って何とか完食出来ましたが、その分、スープを全部飲み干せずに少し残さざるを得なかったのが、少々心残りではありました。
ただこの日いつもよりスープの塩味が濃く感じたことも、もしかするとそれに影響したのかもしれません。しかしそれは、店の味が変わったのではなく、恐らく少々風邪気味だったその日の自身の体調が、この日の自分の味覚に微妙な影響を与えていたのではなかろうかと思います。
いずれにせよ、焼き飯も一粒も残さずに完食して満足満腹になった「新福菜館」の朝ラーでした。
ただ出来れば、減塩などとは決して言いませんので、我々高齢者のためにせめてメニューにヤキメシの「小」も加えて頂けると大変助かります。
ごちそうさまでした。また来ます!

 今回の京都滞在中、娘が友人と食事する以外の我々との食事は殆ど娘のおススメする処に行ったのですが、まだ彼女が一度も行ったことが無いと言うので唯一我々が案内して食べに行ったのが、出町の和食「ろろろ」でした。
この「ろろろ」は、我々も二年前に初めてランチのおばんざい弁当を食べに行って感激したお店で、今回が二度目の訪問です。
京都で合流してからでないと娘のスケジュールが分からなかったのですが、こちらは予約必須の人気店ですので、事前に奥さまが車で京都へ向かう途中に車内から電話をして、取り敢えず今回の滞在中で空いている日の空いている時間に予約を入れました。
「ろろろ」は和食の料理人ご夫婦二人で切り盛りされている小さなお店で、こちらのランチは20食限定とのこと。最初希望した三日目のランチは最後の午後1時半からの組しか空いておらず、そこで二日目の明日の予約状況をお聞きしたところ、翌日が水曜日だったせいか運良く11時半開店の最初の一組目に空きがあり、無事予約することが出来ました。

 当日、出町には11時頃着いたので、先に人気の「出町ふたば」で豆餅などを買ってから「ろろろ」に向かうことにしました。
コロナ禍前まで、息子さんが京都で勤務医をしておられる友達と一緒に毎年京都旅行に来ていた家内は、その時にこの「出町ふたば」にも一緒に買いに来ていたそうで、家内に依るとこの日も順番待ちの行列は折り返しての三列でしたが短い方とのこと。
店舗の前では行列の整理専門のスタッフの方が、お隣のお店や歩道を歩く方々の迷惑にならぬよう都度列に並んだ人に案内をされていて、店内には注文を聞く店員さんが4人と品物を手配準備するスタッフも同じ位いて、テキパキと注文を捌いているので意外と早く進んで行きます。
豆餅だけなら伊勢丹店や、また事前に買う品が決まっていれば予約も出来るそうですが、当日の品揃えを店頭でじっくり見て季節ものなども買いたいので、その場合は列に並んで買う他ありません。
時間が11時20分を過ぎたので、念のため彼女たちは先に「ろろろ」行って時間通りに配膳を開始して貰うことにして、私が一人残って彼女たちの希望の品を購入してから向かうことにしました。
結果ギリギリで11時半の2分前に無事購入。先ずは豆餅、そして私メの希望した季節の桜餅は関西らしく勿論道明寺で、塩漬けの桜の葉二枚に包まれていて美味。更に娘のリクエストで好評だった芋餡の福豆大福と家内の希望でヨモギ餅の田舎大福も購入(商店街を含め、前回の二年前の時の写真です)。
急いで「出町枡形商店街」を通って、「ろろろ」に向かいました。この「出町枡形商店街」は、嘗ての“京の台所”と云うよりも今や観光スポットとなってしまった錦市場とは異なり、地元の方々の日々の生活に密着したアーケード商店街です。“町の映画館”「出町座」や古書店など若者向けのスポットもありながら、生鮮食品店や青果店、乾物屋さんやお茶屋さん洋品店など、どちらかというと、地元の人に長く親しまれる個人商店も数多く営業している謂わば“街の台所”で、今でもその日の夕飯の材料を求める様な地元の買い物客も多く、枡形商店街には随分活気がありました。
 「ろろろ」に到着すると既に店の前には行列も無く、私も靴を脱いで中に入ります。
町家を改装した店内は、コの字のカウンター席8席に加え、テーブルは4人掛け1卓と1人掛けが1卓。私たち家族はテーブル席で、お客さんは殆ど女性。男性客は、後から来られたカップルの男性と私の二人だけでした。ランチは20食限定なので、二回転すれば終わってしまいます。ネットで見つけた紹介記事に依ると、
『「ろろろ」は揃って和食の料理人というご夫婦が営むお店です。肩肘張らない雰囲気のなか、本格会席を気軽に味わえるとマダムを中心に人気を集めています。料理には、店主が惚れ込んだ大原の旬の野菜をふんだんに使用。お昼の「ろろろ弁当」は、豆皿に少しずつ、趣向を凝らした料理が盛り付けられ、見ているだけで楽しくなります。一段目には8品。二段目は、おこげがポイントの土鍋ご飯とおかず2品、そこに野菜の味噌汁が添えられます。この内容でこの値段は相当お値打ち。京都マダムご愛用というのも納得です。』
昨今の値上げでお弁当の価格もですが、土鍋ご飯も以前はお替わり自由だったのが今回は追加料金になっていましたが、昨今の事情ではそれも止むを得ません。しかし、それでもこちらのコスパは最高だと思います。
 お昼のメニューは、おばんざい弁当(税込1500円)と事前予約が必要なおばんざいのミニ懐石(同2650円)の二つのみ。ミニ懐石はおばんざい弁当に魚介の焼き物が一品追加されるのですが、断然おばんざい弁当の方がおススメ。
ですので、我々は今回もおばんざい弁当です。京都らしい炒り番茶が香り高くて美味(今回はビールを我慢しました)。
盛り付け担当のご主人がせわしなく動かれ、10人分程の弁当もミニ懐石も同じ一段目のおばんざいを次々とお膳に盛り付けをされています。
店名の由来は今回も分かりませんでしたが、この日も観光で来られたお客さんなど次々と来店されるのですが、予約客以外は全員断られていました。
また、こちらのお店の支払いは現金清算のみ。京都にはそんな個人商店が多いので注意が必要です。
さて、一段目のおばんざい8品の中では、前回同様に九条ネギの煮干し煮、そして今回では金時人参の海苔煮とゴマトウフの胡麻揚げが美味しく感じました。
二段目では、やはり今回も出し巻あられあんかけが絶品。日本酒が欲しくなります。写真はありませんが、セロリが具材のお味噌汁が土鍋ごはんに添えられます。個人的には追加でご飯を頼みたかったのですが、30分単位の予約で12時に来られたお客さんへの配膳対応で忙しく、カウンターから出て来られないので、結局ご飯もお茶の追加も諦めざるをえませんでした(大きな声でお願いすれば対応いただけたかもしれませんが・・・)。
この日のかき揚げはやや揚げ過ぎか、前回の方が美味しかった気がします。家内も娘も一つ食べてもう要らないとのことで、残りの二つは結局私が全部戴いたのですが、さすがに胃がもたれました。
 小さな豆鉢に入ったおばんざいは見た目には量も少なく感じますし、しかも野菜ばかりなので何となく物足りなく感じるかもしれませんが、その一品一品は味付けが工夫されて、京都らしく出汁を利かせた薄味での調理方法もそれぞれ異なっているので、これが食べてみると意外と十分で、結構お腹が一杯になります。初めて食べた娘も満足した様子で、かなりの高評価でした。
ごちそうさまでした!また来ます。

 本来なら京都へ行くとしたら、そのベストシーズンは秋の紅葉か春の桜か、或いは新緑の青モミジも(そして、その後で川床もイイかも)・・・と思うのですが、いずれにしてもその時期はインバウンドで大混雑して歩くのが大変そうで、歩道の往来すらままならない様な嵐山や東山の紅葉スポットなどがニュースで報道されると二の足を踏んでしまい(ましてや祇園祭で宵山なんぞは以ての外)、せいぜい行くのは年末年始の初詣も過ぎて落ち着いたであろう、一月中旬から二月に掛けての旅行的には冬の閑散期狙いだったのですが、昨年は春節の中国からの大量の団体客に恐れをなして結局行くのを諦めた京都に、娘につられて今回二年振りにやってきました。

 学生時代を京都で過ごしたので、冬の京都の代表的な景観であろう、例えば雪化粧した金閣や雪で白く浮き出た大文字ばかりでなく、東山魁夷の「年暮る」の様に京町家や街中に佇むお寺さんなどに降る雪景色を眺めているだけで古都の風情が感じられて感動するのですが、短期間の旅行ではそんな“雪の京都”にそうそう巡り合える訳ではありません。
そんな冬の京都の冬の時期の楽しみは、閑散期の集客狙いで始まったであろう「京の冬の旅」キャンペーンでしょう。
年末の12月から2月頃までの冬の時期に、毎年顔触れを変えて普段は非公開で見ることが出来ない寺社仏閣の建物や庭、また秘仏とされている様な仏さまや襖絵などが何年、或いは何十年振りかで見られるのはこの時期だけの特典です。
この「京の冬の旅」キャンペーンは、1967年(昭和42年)の1月に始まり、今年で60回目を迎えるのだとか。その60回目となる今回の「京の冬の旅」の特別企画として、1月から始まったNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」の放送に合わせて、今回の特別公開では北政所ねねの隠居所にもなった高台寺や秀吉を祀る豊国神社、そして徳川家康が難癖をつけ「大阪冬の陣」のきっかけとなった「国家安康」の梵鐘で知られる秀頼が再建した方広寺など、豊臣家ゆかりの寺社仏閣がその特別公開の対象となっていました。

 そこで東山エリアで行き易いこともあって、今回我々が選んだのは高台寺です。豊臣秀吉の没後、正室だった北政所ねねが1603年(慶長8年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜され、秀吉の菩提を弔うために徳川家康の支援も得て建立したのがこの高台寺。
今回の特別公開の紹介頁に依ると、『伝小堀遠州作の庭園や、「霊屋(おたまや)」(重文)の華麗な装飾の「高台寺蒔絵」など、桃山文化を伝える建築や寺宝が数多く残っています。そして今年の年夏頃には237年ぶりに客殿(小方丈)が再建される予定で工事が進んでおり、今回の「京の冬の旅」期間中、その客殿の襖絵が本堂にて先行公開されるとのこと。再建に向け日本画家の志村正画伯が描いた、桃山絵画を思わせる「春の草花図(牡丹)」や、秀吉愛用の「鳥獣文様陣羽織」(複製)、「浅井長政夫人像」掛軸などが特別展示される』とのことでした。

 この日は別々のブランチで、仲の良い母娘(おやこと読みます。そこに「父」という漢字は入りません)は人気のレバノン料理とかで、私はそれを“毅然と断って”一人「新福菜館」の朝ラーを食べ、それぞれ11時に高台寺へ集合予定。
時間があったので、満腹の腹ごなしを兼ねて、塩小路高倉から清水寺界隈まで歩いて行くことにしました。河原町を歩いても面白くないので鴨川を渡り、高瀬川沿いの道に興味を惹かれつつも、数日後に通し矢が行われる三十三間堂を過ぎて、突き当りの東山七条から東大路通りを上がることにしました。
東山五条から五条坂を上り、途中で産寧坂(三年坂)を下ります。ここに「清水三年坂美術館」があって、幕末から明治の工芸品を展示する日本で唯一の美術館で一度見てみたいと思っているのですが、改装の期間が伸びて無期閉館中で残念ながら見ることは叶いませんでした。因みに、この三年坂美術館は京都の村田製作所創業者のご子息が収集したという、幕末から明治期の金工・七宝・蒔絵・彫刻・京薩摩を常設展示する我が国初の美術館で、今では再現不可能とされる超絶技巧の名品が展示されているのですが、何か運営面や財政面に問題があるのか、このまま閉館とならぬ様に願います。
 そのまま二年坂を通り高台寺方面へ向かいます。
清水さんへの参道や三年坂は、さすがに欧米人の観光客や制服を着た修学旅行生など人通りも多く混雑はしていましたが、歩けない程では無く、嵐山や金閣、伏見稲荷などのインバウンド観光の定番スポットとしては、予想したよりもずっと空いていました。
やはり中国からの団体客が減っているのでしょう。確かに貸衣装の着物を着たカップルや家族連れなどの個人客は見掛けましたが、でもいつもの声高でウルサイ程の会話が聞こえて来ず、思いの外静かな清水寺界隈でした。
 二年坂を過ぎ高台寺の方へ向かうと、人通りがパタッと無くなります。
受付から中に入ると、最初に在るのが茅葺きの茶室の「遺芳庵」。17世紀に京都の豪商で茶人でもあった灰屋紹益が建てたものと伝わっていて、明治期にここ高台寺へ移築されたとのこと。「吉野窓」と呼ばれる大きな丸い円窓が特徴です。
お寺の本殿となる「方丈」に上ってお参りをして、庭園を通って一段高くなった敷地に立つ「開山堂」と臥龍廊で繋がった「霊屋」(おもたや)へ。こちらは秀吉とねねの木像が祀られていますが、この「霊屋」の地下2mにはねねの遺体が安置されているとのこと。教科書くらいでしか知らぬ北政所。天下人にまで昇りつめた夫秀吉を支え、その豊臣家の滅亡までを見届けた、彼女の波乱万丈の生涯を偲びます。
次に更に階段になっている坂を上り、重文指定の茶室「傘亭」と「時雨亭」へ。こちらは伏見城から移築されたものだといい、“わびさび”を唱えた千利休作の茶室らしく質素でシンプルな佇まい。ただ特に時雨亭の方は何かあると今にも朽ち果てそうな感じで、小方丈再建よりもこちらを先に改修した方が良いのではと要らぬ心配を・・・。。

そこから竹林の中を通って下へ下って行きます。人気の嵯峨野の竹林のミニ版の様な感じですが、ご多分に漏れずこちらの通路の周辺の竹にもアルファベットの名前などがイタズラであちこちに刻まれていました。因みに、もし竹林を見るなら、嵯峨野郊外の化野念仏寺の「竹林の小径」の方がここよりも立派で人も少ないのでおススメだと思います。
その後境内を出て台所坂を下って圓徳院へ。ここは、伏見城の化粧御殿とその前庭を境内に移築して、北政所ねねが亡くなるまで過ごした場所であり、ここから高台寺へ通っていたことから、圓徳院の前にある小道は「ねねの道」と呼ばれているのだとか。
縁側に座って、ねねが毎日見ていたであろう枯山水の庭を眺めます。
そして長谷川等伯が襖に描いたという、後の傑作である国宝「松林図屏風」を連想させる様な松の図や、境内に在る小さなお堂に安置されている秀吉の念持仏という三面大黒天にお参りして、圓徳院を後にしました。
 今回、個人的に一番印象に残ったのは、今回の特別拝観で高台寺の方丈に展示されていた「浅井長政夫人像」の掛軸でした。後日ネットで調べても、この掛け軸のことは何も書かれてはいませんでしたが、“戦国一の美女”と称えられた織田信長の姉であり、浅井長政、柴田勝家に嫁ぎ、賤ケ岳の戦いの中で、淀君とお江の方等三姉妹を秀吉に託し自害して果てたお市の方。教科書で見たあの「お顔」でしたが、その大元は高野山の塔頭寺院の持明院に所蔵されている重文指定の掛軸とのことで、その唯一の模写が東博にもあるそうですが、この高台寺の絵との関連やこの掛軸の故事来歴等は結局何も分かりませんでした。
戦国乱世を生きたお市の方、北政所ねね。そうした500年近くも前の歴史上の人物がこうして身近に感じられるこの京都の街にいると、何だか「京都で耳にする“この前の戦争”とは応仁の乱のこと」というのも、あながち冗談では無いのかもしれないナ・・・と疑いも無く自然に感じられたのでした。

 正月の松の内も三連休も明けた1月第三週。
NYから帰国中の長女が、以前日本の大手企業の西海岸でのスタートアップビジネスをサポートするために、研修を兼ねて数ヶ月京都に滞在していたこともあって、この日本滞在中に当時の友人に会ったりするために京都に行くとのことから、我々もそれにかこつけて一緒に京都へ行くことにしました。
 今回は次の予定もあったので、三泊での短い京都旅行です。長女は別件で先に行っていた東京からの新幹線移動で、我々とは京都で合流。そのため、我々はワンコも一緒に車で京都へ向かいます。コユキは何度も来ていますが、クルミにとっては初めての京都行です。
松本から京都へは330㎞ちょっと、4時間のドライブ。途中のトイレ休憩とワンコのオヤツタイムもふまえ、ゆっくり走るべく5時間前に出発。数日前には日本海側の降雪で関ヶ原でも13㎝の積雪があったと報道されていましたが、この日も松本からの中央道は時折吹雪いていて、その着雪のため途中でACCが作動しなくなってしまいました。そこで車のバンパーなどのフロントエリアのセンサー部分に付着した雪を落とすべく、恵那峡SAでワンコのトイレ休憩とオヤツを兼ねて我々も早めのランチタイムにしました。
 松本から京都までは、長野県から岐阜県を経て愛知県の小牧JCTで東名に合流し、その後大垣辺りから再度岐阜県に入って雪の吹き溜まりとなる関ヶ原を経由して滋賀県を東西に縦断しながら、最後に大津から東山をトンネルで抜けて京都府へと、5つの府県を走行します。
その中で先ずは恵那山トンネルを抜けるまで、中信地方の松本から南信地方の飯田を超えて南北に長い県の半分を縦断するので、長野県だけで110㎞とルートの1/3を占めているため、恵那山トンネルを抜けて漸く岐阜県に入ると、気分的にはもう半分近く走って来た様な気がして何だかホッとします。その意味では、いつもは小さなドッグランもあることから尾張一宮PAで休憩するのですが、恵那峡SAも広くて気分的にはここで休憩するのも良いかもしれません。
恵那峡SAでセンサー部分への着雪を取ったので、休憩後ACCは無事復活しましたが、ACCがあると無いとでは右足の疲れ方が違い、高速道路の長距離ドライブでのACCの有難さを身に染みて実感します(但し、前に急に割り込まれるとACCはブレーキランプが点滅せずに急減速するので、後続車への注意が必要です)。
中央道から小牧JCTで東名に合流し名古屋を抜けて名神へ。昔教科書で習った“太平洋ベルト地帯”を結び、その物流を担う日本の大動脈ですから、走行する大型トラックの多いこと。その意味で、相互に補完する新名神は一部6車線化が遅れてはいますが既に全線開通済みなので、大いに新東名の全線開通が待たれます。
順調に走行し、ホテルのチェックインまでにまだ少し時間があったので、今回も京都東IC直前の大津SAで時間調整し、山科を抜けていつものドッグヴィラの在る京都東山のホテルへ無事到着しました。

 今回の京都は二年振りになります。
というのも、インバウンドで大混雑する京都では、マナー違反行為が横行して住民とのトラブルが頻発するなど、“オーバーツーリズム”問題が盛んにマスコミで報道されていたので、ご多分に漏れず我々も京都へ行くのは躊躇していました。
しかし、今回中国が嫌がらせの“戦狼外交”で日本への渡航自粛を促した結果、傍若無人な中国からの団体客が減少しているとの報道もあり、だったら「今しか無いでしょ!」と二年振りに京都へ行ってみることにしました。
 今回の京都滞在中、インバウンドの観光客が必ず訪れる清水寺界隈に、今回の冬の特別拝観で公開される高台寺と、一度見てみたかった「清水三年坂美術館」にも行ってみましたが、美術館は昨年6月に改修明け開館予定だったのが延びて現在開館時期未定とのことで、残念ながら見ることが出来ませんでした。
さてその清水寺界隈。東大路からの参道や、二年坂・三年坂(産寧坂)はさすがにインバウンドの欧米人観光客や修学旅行生で混んではいましたが、中国人団体客の姿は無く、道は人で埋まってはいるものの歩けない程ではありません。
今回は嵐山や金閣寺など他の外国人観光客の人気スポットへは行っていませんが、外国人観光客に人気の清水寺界隈でもこの程度であり、他の南禅寺や平安神宮などの東山エリアはこれまでの京都にすれば観光客も疎らでどこもこれ以下でした。
また移動時の市バスでも、迷惑な大きなスーツケースを持った観光客も少なく、平安神宮周辺、二条から四条河原町、八坂神社や祇園などの東大路界隈でも、今回の滞在中に市バスが満員で通り過ぎるなどということは一度もありませんでした。
娘がお茶が切れたので購入したいという寺町二条の老舗の一保堂に行った際に、対面に在る京寿司の老舗の末廣や東山三条の東大路に面する京中華のマルシン飯店などの人気店は、確かにどこもランチ時には行列になっていましたが、それはインバウンドとは無縁の、京都での日常的な普通の光景の筈。
ですので、今回は何だかこちらが拍子抜けする程の“静かな京都”・・・なのです。これなら我々同様に、日本人観光客も京都にまた戻って来るのではないかと実感した次第。
今年の正月は孫たちが居て松の内の間に松本で行けなかった初詣と、地元で毎年行く小正月前の厄除けのお詣りを今回は兼ねて行った八坂神社も、お詣りをする本殿の3本の鈴緒の前には舞殿との間には参拝客の行列はありましたが、四条通側の西楼門の石段も外国人観光客含めパラパラとしか観光客の姿は無く、思ったよりも空いていました。
今回の八坂神社への遅れ馳せながらの初詣の後、別の女性向けのお寺さんへもお詣りに行きたいという奥さんと長女と別れ、私は終わってしまった黒七味とゆず辛の補充のために「原了郭」へ行って、お目当てを購入してから少し足を延ばして祇園の花見小路のお稲荷さんの辰巳大明神周辺も歩いてみましたが、外国人観光客中心に人通りが多かったのは祇園周辺の四条通くらいで、他はそれ程の観光客の人通りは見られませんでした。
外国人観光客に絶対的人気の京都では、インバウンド需要は確かにありましょう。けれどもそれ以上に、あの傍若無人な中国人団体客の目に余るマナー違反の行為に蝕まれてもいた京都です。
しかも、中国からの観光客の多くは現地の旅行社が現地決済で斡旋し、旅行客の中には日本に来ても中国人の経営する時に違法な民泊に宿泊し、中国人の営む白タクで移動しての観光も多いと云います。そんなケースでは、日本への旅行でも中国資本傘下の世界の中で金が回るだけで、せいぜい日本に落ちるのは土産物の購入代くらいでしょうか。
特許や順法意識などお構い無しで、マネをした商品を自国の巨大市場で販売出来る恩恵で国が豊かになって、今や“同じ様なモノ”が自国でも購入出来る様になり、また更には最近の中国Z世代を中心とした自国ブランド購入志向の愛国的“国潮”消費もあって、昔の様な来日しての爆買需要は今はありません。だったら、インバウンドが落ち着いた今の方が日本にとっても、京都にとっても良いのではないだろうか?

 シンガポールに赴任していた時に、日本へ出張帰国して来ると、同じ顔をした単一民族しか見ないことに異様な感じがしました。排他的ではなく、グローバリゼーションの恩恵を受けて来た日本ですので、多民族国家のシンガポールまではいかずとも、日本社会ももっと多様化すべきではないかとも感じました。
そして、国外に出たことによって、より一層自分が日本人であることをイヤでも意識せざるを得ず、その結果日本人としてのアイデンティティーを確立すべきことを認識しました。ですので、多様化するからこその、先ずは“日本ありき”であって、決してそこには日本人中心主義的での排他的な意識はありませんし、またあってはならないのだと思います。
国を愛することがどうして“右”なのか?自分の国を愛してはいけないのか?
こうした発言をすると、我が国ではややもすればすぐに右だ左だという短絡的且つ断定的な色分けがされてしまう。
しかしそうではなく、その国で暮らす(≒所得を得て生活する)なら当たり前にその国のルールに従う(=先ずはその国で得た所得に対する税金をその国にキチンと払う)必要があります。もし従いたくなければ出て行けば良い(=脱税するのではなく税率の低い国に移る)のです。
シンガポールが或る意味で秩序が保たれているのは、狭い国土という国の統制・管理のし易さもありますが、“Fine City”と揶揄される様な罰金国家であることもその大きな理由でしょう。
例えば、シンガポールには(以前は金融、最近はバイオなどのエリート層の海外からの人材やシンガポール人夫婦の共働きをサポートするための)フィリピンやインドネシアなどからの住み込みのメイドさんがたくさんいます。現地ではアマさんと呼ばれるそのメイドさんたちは、全員メイド用のWork Permitで働いているのですが、今では半年毎に雇用主負担での妊娠監査が義務付けられていて、もしシンガポール人や永住権保持者と結婚して妊娠する以外の場合の妊娠が分かると、即座にビザが失効し、帰国費用は雇用主負担で国外退去となり、母国に強制帰国させられてしまうのだそうです。それを外国人労働者差別なり人権侵害と批判することも出来ましょう。でもシンガポール政府は「イヤなら(稼ぎに)来るな!」という方針を変えることは決して無いでしょう。
余談ながら、15年近く前に久し振りのシンガポール出張で驚いたのは、朝散歩をするワンコの多かったこと。我々が暮らした90年代には全くと言って良い程見られなかった光景ですが、それ程国の生活水準が上がり、日常の生活にも潤いを求める様な“ゆとり”が生まれたのでしょう。
と言うのも、例えば私が赴任した1987年当時のオフィス内のグリーンインテリアの鉢は全て人工観葉植物で、今では“フェイクグリーン”と呼ばれる程本物と見間違う程精巧なモノもありますが、当時は如何にも人工と分かる様なモノでしたので、私などからすれば熱帯のシンガポールでは蘭や観葉植物の鉢植えが驚くほど安く、まるで“天国”の様に感じて赴任中は何鉢も買って自宅に飾って楽しんだのですが、ローカルのスタッフ曰く「生の植物は枯れてしまうので、そんなモノにお金を使うのは勿体ない!」という“ゆとり”とは或る意味対極的な意識だったのです。
しかし良く見てみると、そのワンコたちを散歩させているのは全員がメイドさんだったので、仮に犬を飼う“ゆとり”が生まれたとしても、これでは真の愛犬家とは言えないのではないかと疑問にも感じたのですが、片やメイドさんたちからすれば犬の散歩は(ウルサイご主人さまから逃れて)街で知り合いのメイド仲間とペチャクチャ喋りながら、一時間近くのんびりと散歩出来る“至福”の時間なのかもしれないナ・・・とも感じた次第です。

 インバウンドの団体客が減って喧騒が消えウソの様に静かな京都で、スムーズに移動する市バスの中から何だか落ち着いた雰囲気が漂う京都の街並みを見ながら、そんなことまで考えた今回の京都行でした。

 婿殿が松本での正月休みを終えて、一足先に横浜に戻る正月三日。
蕎麦好きの婿殿のために、事前に色々ネットで調べて三が日も営業してしる蕎麦屋を探し、漸く見つけて予約してあったのが安曇野の穂高有明地区の人気店「そば処 時遊庵あさかわ」です。
以前、大町方面からの帰りに山麓線を走っていたので寄ろうとしたら、まだ2時前だったのにその日打った蕎麦が既に終了とのことで諦めたことがありました。こちらは蕎麦店が点在している山麓線沿いの有明地区でも人気の行列店です。
その「あさかわ」が正月三が日も営業して且つ予約が出来ると知り、こちらも1ヶ月前に婿殿のために事前に予約をしてありました。

 松本から穂高の有明へ行くだけのためにまたアルファードをレンタルするのは無駄なので、「今日はちっちゃい車ダネ・・・」という上の孫のガッカリした感想をジィジとしては「アハハ・・・」と冷たく受け流し、二台に分乗して有明山麓線沿いの店舗を目指して出掛けました。
店は11時半の開店で、我々は12時の予約で行ったのですが、駐車場には既に10数台の車が停められていて、店内にはもう何組もの順番待ちの方々がおられ、名前を書く受付表には30分待ちとの表示がされていました。
我々は小さい子供が居るので、店側が畳の小上がりに二卓に分かれて我々の予約席が用意されてありました。
(注:冒頭の2枚は、婿殿をもてなせる店かどうかチェックのために、11月末に試しに一度伺った際に撮った写真です。時遊庵という名を付けられている通り、店内には土壁の装飾やインテリア、そしてテーブルに置かれたちょっとした小物にも店主のご主人の遊び心が感じられます)
娘たちも婿殿も家内も、皆天ざるをオーダーとのこと。私メは頑なに大ざる(蕎麦の香りの邪魔をする刻み海苔は掛かっていないので、実際には本来の「もり」なのですが)一択。つゆの味が変わるので天ぷらを蕎麦つゆに付けるのは個人的に御法度ですし、仮に天つゆが別にあっても、天ぷらの油で味覚が変わるので、個人的には純粋に蕎麦の味を楽しみたいため、天ざるはあまり好きではありません。蕎麦自体を楽しむのなら、飽くまでもりそば一択です(但し、京都のにしんそばの様に、具材を楽しむ温蕎麦の場合はその限りに非ず)。そして、こちらの名物のそば玉の素揚げは、今回は天ぷらがあるからと一皿だけ頼んで皆でシェアすることにしました(一皿十数個あります)。
満席でもそばを茹でるのはご主人一人だけでしょうから、サーブまでは結構時間が掛かります。入口の受付表には「待ち時間30分以上」とありましたが、おそらく1時間近くは掛かるでしょう。これが夏なら、ご主人が丹精込めて育てたという、数千株というアジサイが咲く広い庭を散策して時間を潰せば良いのでしょうが、冬場はそうもいきません。
 結構時間も掛かって運ばれて来た天ぷらは、ナス、カボチャ、大えび、山菜(何の葉か不明ですがセロリ?)、舞茸、そして珍しい油揚げと蕎麦の素焼き揚げ。
二八のそばは季節の葉が一枝添えられていて、ご主人の遊び心と風情を感じます。私と婿殿は大盛りですが、女性陣の頼んだ並盛りでも結構な量があります。
そば玉の素揚げは、そばがきをもっと粘り気が出るまで練って、団子状にして揚げたもの。外はカリっと中はモチモチしていて、塩を付けて食べるのですが、そば粉の味だけで素朴で美味。
そして、ご主人自らテーブルまで運んで来て下さるサービスのそばの薄焼き。そばがきより水を少なめにして、練って延ばしたガレット状の薄焼きを少し焼いて、蕎麦の実をまぶして塩と味噌を塗った素朴な薄焼きです。
そして、その薄焼きに粉をまぶして揚げた天ぷらと油揚げの天ぷらは珍しい。ただ一度揚げてある油揚げを更に天ぷらにしてまた揚げるのは、天ぷら素材としては面白いものの、些かoily過ぎてもたれてしまい今一つで、我が家のメンバーには不評でした。むしろ揚げ出し豆腐の様に、水気を絞った木綿豆腐を薄く切って天ぷらにした方が良い様に思います。因みに、家内は天ぷらがもたれてしまい、次回からは天ぷらはやめてそばだけにするとの仰せ。
 婿殿はこちらの蕎麦に大満足の様子。勿論お世辞もあるのでしょうけれど、今まで食べた蕎麦の中で一番美味しかったとか。個人的には、最近行けてはいませんが、二八ではのど越しの良い安曇野翁が一番でしょうか。
地元安曇野産と北海道産、茨城産のそば粉をブレンドして打ったという「あさかわ」の玄ソバも二八そばで、こちらの蕎麦ものど越しが良く風味豊かで、今年食べた幾つかの秋の新蕎麦では初めて香りを感じました。
また量も十分で、食べ応えもありました。そして何より、正月三が日に営業していただいていて、県外からのお客さまを信州そばでもてなす場合は大変助かりました。
また婿殿が来たら、一度夏のアジサイの庭も見てみたい気がしますので、安曇野をドライブがてらお邪魔しようと思います。ごちそうさまでした!

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