カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 桜の蕾しか見られなかった、先日の氷雨の中での「梓川・桜ウォーク2017」。
余りに悲惨だったので、リベンジとばかり4月18日の平日午後、お城までウォーキングを兼ねて家内と歩いて行って来ました。

 個人的には、その前の日曜日(16日)に「食蔵バサラ」での仲間との定例会への道すがら、無料開放されている松本城の本丸庭園とお堀端の桜を愛でてから向かったので、一応今年のプチ“花見”済み。その時は、ライトアップには未だ時間が早かったのですが、海外からの観光客の方々も含め、例年以上の人出でした。冷たい雨の降った土曜日とはうって変わった春の陽気で、お堀の桜はせいぜい6分から7分咲きといったところ。この分では、お城の桜も1週間は持たないでしょう。従って、その日が多分今シーズン唯一であろう“桜サンデー”の人の波だったと思います。
 案の定、その後暖かい日が続いた18日は、残念ながらたった二日違いで既に桜吹雪でした。ウォーキングがてら、家内と歩いてお城まで出掛けてみましたが、お堀には“花筏”が浮かんでいます。しかし、「花筏」とは、誰が名付けたのか、日本的で何とも風流な言葉ではありませんか。それはそれで、桜の風景としても風情がありました。
 この日、未明に降った雨のお陰か、大気中の塵が浄化されたかの様に空気が澄んで、北アルプスの見事なこと。
松本城と桜、お城の白黒と薄墨色の桜。そして、バックに残雪をいただく北アルプスの山並みの“屏風”。“北アルプスの城下町-信州松本”というキャッチフレーズそのままに、桜も咲いて、シーズンベストの景観なのかもしれません。“岳都”松本の市民であることに、そしてお城を取り壊さずに残してくれた先人に感謝するのみ・・・でありました。
 帰路は旧開智学校と中央図書館の横を通って坂を上って帰宅しました。

 国道20号線塩尻峠の岡谷側にある焼き肉店「縁結び」。塩尻側には同じく」「東山食堂」と、峠を挟んで焼き肉の名店が相対しています。
「縁結び」は、上諏訪出身の奥さまの昔からのお馴染の店でもあり、30年程前に上諏訪の社宅に住んでいた時に、時々諏訪から食べにも行っていましたが、松本に移ってからは高速道路を使うことが多くなり、国道で塩嶺峠を越えることもなくなると、その国道沿いの店にも行くことが全く無くなりました。

 先日(第1198話)の実家の義父の納骨の後の宴席が「縁結び」とのことで、てっきり茅野に出来た支店(茅野店)だとばかり思っていました。ところが、義弟が予約してくれてあったのは塩嶺峠の「縁結び」岡谷店(本店)でした。
松本まで帰るこちらのことを慮って、わざわざ茅野から塩嶺峠まで30分程走っての訪問でした。しかも、コースの宴席料理を事前に予約してくれてありました。
塩尻側からだと、峠を登り切って下り始めてすぐの諏訪湖側(左側)に店舗があり、丁度昼時でしたが、県外車も含め結構駐車していました。今でも繁盛している様で何よりです。私達は諏訪に住んでいた時以来、実に30年振りです。店内は改装されて、何だか随分キレイになった様な気がします(昔はもっと油っぽくて、且つ煙っていた気がしますが・・・?)。
既に配膳されていたコースメインの肉の“船盛り”。和牛やイベリコ豚、福美鶏と云ったプレミアムなブランド肉が山盛り一杯で、一人ずつ席に置かれていました。
 昔懐かしい縁結び独特の肉を焼く鉄板の中央には、独特の野菜の塩茹で用の容器と縁には焼いた肉から出る余分な油受けも。この焼き肉用の縁結び独特の鉄板も昔通りで変わっておらず、本当に懐かしい限り。謂わば縁結びのトレードマークです。それを、「縁結び」特製のタレに浸けていただきます。このタレ・・・30年振りの懐かしの味です。
 焼き肉だけでも十分なのに、始まると小鉢や麺類、ちらし寿司風の海鮮丼(海鮮ビビンバとのこと)、更に〆のデザートと次から次へと運ばれて来ます。昔は無かったであろう蕎麦は手打ちで二八の本格派。イヤハヤ畏れ入りました。更に回海鮮丼、最後にデザートと続き、到底食べ切れません。聞けば、これで一人3千数百円なのだとか。飲み放題を付けると、一人五千円丁度だそうです。この圧倒的なコスパ。団体客にはマイクロでの送迎もありますが、峠の上の方にあるため、立地上のハンディを補うための量的サービスなのかもしれませんが、それにしても驚きとも云える圧倒的なコスパの良さでした。
少々街中からは外れますが、峠の中腹から岡谷の夜景を見ながらの焼き肉での宴席も、特に若い人たちの多いグループであれば絶対にお薦めです。
30年振りの、本当に久し振りの訪問でしたが、接客も良く、
 「これは、なかなか大したものだ!」
と感心至極でありました。娘たちが帰省してきたら、また来ようと思います。ごちそうさま!でした。
(豪華な和牛などの盛り合わせも感動モノではありますが、個人的には、昔ながらの「縁結び」のジンギスカンにも郷愁をそそられます)

 春の遅い信州松本でも桜開花が宣言されて1週間が経った4月15日の土曜日。『梓川・桜ウォーク2017』が翌16日と二日間開催されました。
当初16日の梓川周辺の桜スポットを巡る「桜コース」28kmを申し込んでいたのですが、生憎奥さまが実家に行く用事が出来たため、前日15日の清流梓川の河畔を歩く「梓川コース」21kmに変更してもらいました。上高地から流れ下る、この梓川河畔のコースは「新日本歩く道紀行100選 水辺の道」認定コースなのだとか。
 それぞれの体力に合わせてコースを選ぶのですが、15日は9kmと21kmで、16日は8km、13km、28kmという設定です。因みに、参加費は事前申し込みで1000円(二日間だと1500円で、高校生以下無料)。
帰路のことも考え、十分な駐車場が確保されていると事前に確認出来たので、車で集合場所の松本市波田体育館へ向かいました。

昨秋の「松本城ウォーク」(第1154&1155話)は650人程の参加でしたが、今回の初日の梓川コースは400人とのこと。しかも三割の方々は県外からのご参加とか。凄いですね。桜のシーズンで、上高地から流れ下る“清流”梓川の好イメージなのでしょうか?・・・。ゴールデン君や柴、トイプーも飼い主さんと一緒に参加のご様子。皆さんも21kmの様です(大丈夫かなぁ?・・・)。この日の早朝は風こそ強かったものの天気は晴れていたのが、9時のスタート時には、あろうことかにわか雨の様相。
 「オイオイ、マジかよ~!?」
 我々は、出発地点から少し離れていたので、ちょうど列の真ん中辺りでのスタートとなりました。
10ヶ所のチェックポイントを回る「松本城ウォーク」と違い、梓川ウォークの途中でのチェックポイントは1ヶ所のみ。しかも地図を頼りにコースを探すのではなく、梓川河畔の両岸を歩くという分かり易いコースであるためか、要所には係員の方々やコース案内の矢印が掲示されています。
おそらく(パンフレット写真の様に)本来であれば、河畔の桜も咲いて、天気さえ良ければ残雪の北アルプスを眺めながらの絶好のウォーキングコースである筈。しかしあろうことか、この日は生憎途中から時折雨風混じりの悪天候。そのため、ロゲイニングでもないのに皆さん只ひたすら歩くのみ。しかも途中のチェックポイントも一つだけなので、極端に云えば“八甲田山死の彷徨”的に、とにかくゴールを目指します。
途中、松本平の枝垂れ桜で有名な安養寺もチラホラ咲き始めたところ(殆どの方々は立ち寄らずにそのまま歩かれて行きます)。また、倭橋辺りの“北アルプスと桜の絶景ポイント”も、冷たい雨に煙って前山すら見えず、河畔の桜も咲いてもおらずに殆ど蕾のまま。
梓水園でのチャックポイントでスタンプを押印してもらい、幸い張られていたテントの下で雨を除けてお弁当を食べてトイレ休憩もそこそこに、(暖も無い寒い中では)長居は無用(家内ではありませんが、隣の屋根付きのBBQスペースで何やら集まっていた若者グループのBBQの火が、何とも暖かそうで羨ましく感じられました)。
とにかく、見るべきビューポイントも無ければひたすらゴールを目指して歩くしかありません。コース途中で、唯一工場団地で咲いていた(普段なら珍しくも無いであろう)2本のヒガンザクラを皆さん記念写真としてカメラに収めていました。
最後の折り返し点の八景山(やけやま)付近(上高地線の新島々駅近く)では、水芭蕉が咲いていたり、珍しい沈下橋を渡ったりという興味深いポイントもあったのですが、とにかく氷雨の中(きっと北アルプスの山頂は吹雪だろうと予想しつつ)ひたすらゴールを目指しました。
 全長21km。休憩時間も含め、9時にスタートして13時半にゴール。弘法山や林城址に登った松本城ウォークに比べ、距離は3㎞程長いものの、梓川の両岸を歩くだけでしたので(殆どが舗装されていない堤防上の砂利道であることを除けば)大変歩き易いコースです。
二日目の波田から梓川や三郷エリアの桜の名所を巡るという最長28㎞のコースは、途中室山へ登るアップダウンがあるので、結構大変かもしれません。しかしこの日の悪天候では、梓川河畔の平坦なコースも只々長く感じられたのみ・・・。その21kmを歩き切って、スタート地点の波田体育館へ到着。 「ゴ~~ル!」
・・・と、先にスタートしたゴールデン君が、雨に濡れて伏せていました。(“ゴール”でん君もちゃんと“ゴール”したんだね、お疲れ様・・・などと洒落も言う気力なし・・・しかも、ゴールしたら晴れて来たんジャン!)
 トホホ・・・漢字で書けば正に“徒歩々”な“感じ”でありました・・・!?
奥さまは、いたく残念がって、(本来であれば、パンフに写っている写真の様に、桜が咲いて絶景の北アルプスが望めるであろう)来年も同じコースを再チャレンジ(≒リベンジ?)されるそうです(トホホのホ・・・!?)。

 先日(4月4日深夜0時過ぎ)、何気なくNHK-BSを見ていたら、昨年11月に放送されたというNHKスペシャルが再放送されていて、引き込まれ最後まで見入ってしまいました。
それは「足元の小宇宙 ~絵本作家と見つける生命のドラマ~」という番組。登場したのは、京都の嵯峨野在住で御年86歳の甲斐信枝さんという現役の絵本作家。この(失礼ながら)お婆ちゃんがスゴイ!のです。何とも唖然とするばかり・・・。

 現役の絵本作家である甲斐さんの“その”凄いところ。
それは、何気ない足元の雑草を、それこそ“地べた”に新聞紙を敷いて腰を下ろし、絵筆をふるいながら一日5時間も6時間も観察し続けること。そして、それが一日だけではなく何日も何日も続くのです。その日々の観察から描き出された絵本。それは彼女の観察結果(例えば、彼女が「舞い舞いしているのよ!」という、タンポポの様なノゲシの綿帽子が風下だけではなく、草の周りを舞うように渦巻いて風に乗って拡がっていく様子。それがNHKのハイスピードカメラの撮影で実際に証明されていくところなど)により、単なる絵本ではなく「科学絵本」と呼ばれるジャンルなのだそうです。
しかも、時に“地べた”に這いつくばって虫眼鏡で観察しながら、その雑草たちを「コイツは、アイツが、この人は・・・」などと、本当に親しげに愛情を持って呼び接しているのです。いつの間にか、視ているこちらがニコニコとして、時々吹き出してしまいました。
そして素敵なモノを見つけると、歩いている見知らぬ人に声を掛け、その“宝モノ”を見せてあげるのです、「だって、こんな素敵なモノ、独りで見てらた勿体ないでしょ!」。
そして何よりも、そんな甲斐さんの姿が実にチャーミング!。子供の頃から家の中での勉強よりも野山に居る方が大好きだったという甲斐さん。そんな汚れを知らない純粋な少女がそのまま大人になった様な感じで、ある意味、そんじょそこらの“うら若き”乙女よりも遥かに可愛らしくて魅力的でした。特に“はにかんだ”様な笑顔が実に可愛い!のです。甲斐“嬢”とでも呼びたくなる程本当に、実にチャーミングな女性なのでした。
【追記】
先日、松本中央図書館で彼女の科学絵本を借りて来ました。
そこには、まさにTVで視たままの“小宇宙”が拡がっていました。
(本の巻末にあった著者紹介から。発刊が1972年でしたので、45年前の甲斐さんです。知的な佇まいで写っておられますので、先日のTVで拝見した86歳の今の方が可愛らしいかも・・・)。
因みに館内の端末で検索をすると、松本市立図書館だけで(分館を含め)30冊以上の蔵書がある筈ですが、本放送の時もそうだったそうですが、今回の再放送でもその後の(お子さんではなく大人の人たちからの)反響が大きいとのことで、私が伺った日も彼女の著作は僅か2冊しか見つかりませんでした。

 一周忌を前に、春めいて雪の消えた3月末に義父の納骨を済ませることが出来ました。義父は長男ではないので、生前に市営墓地を抽選で申込み事前に確保してありました。忙しい義弟に代わり、事前に義母と家内で石材店と打ち合わせてしっかりと墓石も用意されていました。

 茅野市の永明寺山の南斜面に、昭和50年から造成されたという市営の永明寺公園墓地。実家の墓地は第3期造営部分とのことですが、家内の道案内で車で登って行くと、結構な高台で南側に開けた茅野の市街地が望めます。
しかも、お墓に行く途中には、石室跡と思しきスペースに「釜石古墳」、「一本椹(さわら)古墳」という案内板が建てられています。
 「えっ、古墳!?」

案内板に拠れば、ここは6~7世紀という古墳時代後期の円墳が50基程固まっている「永明寺山古墳群」の一部なのだとか。そう云えば、この付近の地名「塚原」というのも、この地の古墳群の存在に由来しているのでしょうか。
しかも、造成中の2013年には直径11mという諏訪地域最大級の7世紀の円墳「永明寺山古墳」が発見され、ほぼ未盗掘で鉄製の直刀6本を始めとする300点余りの埋葬品が出土。墓地の上部にその円墳が復元されていました(この古墳発見により墓地造成が遅れたのだとか。縄文と仮面のビーナスの二つの国宝土偶が発見された茅野であれば、市内の遺跡に一体どんな古代の“お宝が”埋まっているやもしれず、それも止むを得ないでありましょう)。
説明書きに依れば、この永明寺山古墳の石室へ至る進入路(羨道)は入口からやや東に曲がっているのが特徴的で、この標高872mの高台から晴れた日に臨める富士山と正対しているだとか。古代から富士山(不死山?)を崇め奉った故ではないかとの説明がありました。
確かに古墳時代もまだ富士山は、科学現象を説明出来ぬ古代人にとって、鎮まれぬ神の怒りとしての畏るべき活火山ではあったのでしょうが、しかし思うに、古代この地に至近の目の前に聳ゆる八ヶ岳の方が、むしろ畏敬の神の如く(八ヶ岳の裾野に住まいし縄文の諏訪の民から脈々と受け継がれた)畏れ崇め奉る存在ではなかったのか・・・と個人的には感じられました(但し、この古墳のある場所からは永明寺山の山肌に遮られて八ヶ岳を望むことは出来ませんし、八ヶ岳の最後の噴火は遥か130万年前とされています)。
 古墳時代前期とされる3世紀の前方後方墳で、東日本最大級の松本市の弘法山古墳。前方後円墳では、東日本最大級の石室を持つという千曲市(更埴)の森将軍塚古墳(4世紀)。それらに比べると、出雲族の関わりが考えられる諏訪(須羽)国は円墳中心であり、ヤマト王朝との関わりは科野(信濃)国よりも遅かったように思われますが、登ると一目瞭然での弘法山同様に、この地一帯を眼下に見下ろして眠るのは、やはりこの地を治めた首領に違いないであろうと納得させられる絶景の場所でありました。
 その意味で、古来この地は、古代ミシャクジ信仰にも繋がる諏訪国の民の子孫の行く末や安寧を願って、この地に関わった人々が眠るのに相応しい場所の様にも感じられ、諏訪の人だった義父を偲びながら暫し眼下に広がる茅野の街を眺めておりました。

 諏訪で同期の飲み会があったので、電車で向かうために久し振りに松本駅のホームへ降りて行くと、新旧の特急あずさが停車しているのが見えました。

現役の一番古い薄紫色のスーパーあずさと普通のあずさ(甲府までの特急かいじも同一車両)。そしてスーパーあずさの後継となる新型のE353系試験車両です。 “テツオタ”(鉄道オタク)ならずとも、いやぁ壮観!です。
 確か昨年「特急あずさ運行開始50周年」のイベントが開催されたと思いましたので、登場は1966年でしょうか。狩人の「あずさ2号」で全国的に知られるようになりましたが、3時間近い乗車は苦痛でしかありません。
長野市の様に北陸新幹線で東京まで1時間!などと決して言いませんので、せめて新宿~松本時間が2時間程度にはなって欲しいのですが、都内の中央線の混雑と、山梨県内のカーブ区間と長野県内の茅野~岡谷間の単線区間が解消されない限り、高速化は夢のまた夢で到底無理。そのため、新型のE353系も高速化ではなく(ある意味諦めて)快適化を目指しているとのこと。
まぁ、しょうがないのでしょうね。
従って、松本諏訪エリアはリニアも関係無く、ある意味高速鉄道網の中では取り残された“陸の孤島”になってしまいそうです。
 そこで、長野県内の中央線でも静岡の大井川鉄道や山口線のやまぐち号や貴婦人号の様にSLでも走らせて、「松本や安曇野には泊まらないと来られません!」とでもしたらどうでしょうか?観光的には不便さをもう坂手に採って、もう“わびさび“の中で生きて行く・・・と開き直ってやるっきゃない!

【追記】
先日駅周辺に行く機会があり、近くにて車両を撮影することが出来ましたので追加しておきます。

 この日の夕刻は、「今度こそ絶対に蒲田の羽根つき餃子!」と宣言していたのに、いざ出る頃になったら外は生憎の雨模様・・・。蒲田へは歩いて行く予定だった(同じ蒲田駅でも京急とJRは離れており、電車だと品川経由のため、バスか歩いた方が早い)ので、「えっ、雨!?」となり、「じゃ、止めよう!」とあっ気なく前言撤回(だそうです・・・)。
 「(電車で行ける)空港なら濡れないし、傘も要らないから・・・」
と、次女の働く羽田空港へ行くことになりました。

 勤務中の娘に会える訳ではありませんが、そこはやはり雰囲気だけでもと国内線ではなく国際線ターミナルへ。
出発ロビーを見下ろす4階が「江戸小路」。和と江戸をイメージしたという通りに土産物屋さんやレストランが軒を連ねます。出発ロビーを見下ろす通路やフロアには、ちょうど時節柄桜がイメージされていて、ホンモノの山桜の大きな生け込みや造花の桜があちこちに飾られて春を彩っていました。また、5階には本物のヒノキで造られたという縮小サイズの「はねだ日本橋」も架けられていて、海外からの旅行者に如何にも喜ばれそうでした。レストラン街では、女性に人気の「つるとんたん」は相変わらず20人ほどの行列。ラーメンの「せたが屋」にも10人程の行列でした。
 結局、我々は前回も来た串揚げの「串の坊」へ。大阪法善寺が本店とのことですが、二度付け禁止の大阪の庶民の味の串揚げよりは遥かに高級店。
子供が生まれる前は良く行った新宿の伊勢丹会館の「串の坊」はとんと御無沙汰で、前回(昨年10月末)、米国から一時帰国する羽田着の長女を迎える前に、次女と3人で(女性陣が「つるとんたん」での代わりに、私メのために)「串の坊」で食べたのが本当に30年振りくらいだったのでしょうか(後で聞いた娘の言に拠れば、その時の久し振りの「串の坊」を気に入って、家内は再訪を希望していた由。ふ~ん、餃子じゃ無かったんだ・・・)。
 この日も我々はお任せコースです。お代り自由の野菜スティック(ニンジン、大根、キャベツなど)が先ずサーブされ、器に特製ソースやゴマ岩塩、ポン酢、辛子などを用意して串揚げを待ちます。お口直し(揚げ物が続くと油っぽいので)の細ネギも乙な味わいです。
お任せコースは、先ずは大好きな芝エビのシソ巻きからスタート。芝海老がプリプリで新鮮です。その後、牛フィレ、生椎茸のタルタル(刻みネギが良いアクセント)、茄子の味噌田楽、蟹の鱚巻き、鶏手羽先(但し鶏のチューリップの骨にツクネを巻いた感じ)、子持ち昆布と続きます。中でも、定番人気の、芝エビ、生シイタケ、ポン酢で食べる蟹の鱚巻き、そして(頭の殻を剥いだだけでミソとカリカリした足も付いた車エビが美味。基本はソースや岩塩ですが、串に併せて、都度適する調味料をアドバイスしてくれます
串の坊のお任せは、全部で100種類近いメニューの中から旬の食材を使った30種程が季節毎にサーブされて来るそうですが、この日も10種類ほどで満腹気味なってきたので、最後にアスパラの一本揚げだけは必ず出してもらう様にお願いして、早めにストップを伝えしました。
その旨声を掛けても、既に揚げるべく準備されていた串が2~3本はストップ後にも出されて来ます(と事前にその旨お断りがあります)ので、満腹になる少し前にストップした方がベターです。最後にデザートで黒糖ゼリーが出されてコースは終了。
 飲み代(私メのみで、生ビール2杯と「凱陣」で二千円也)も含め、二人で1万円とか。串揚げ店としては決してお安くはありませんが、大いに満足でした。
(昔、茅野市蓼科の三井の森の別荘地にも支店があって、諏訪の社宅に住んでいた頃一度行きましたが、まだあるかなぁ?・・・。もしあれば、信州でも「串の坊」で食べることが出来ますが、果たして食材の鮮度は如何に?)

 次女のワンルームのクローゼットスペースが狭いために、恒例の衣替えで、春物を実家から運び代わりに冬物を持ち帰るべく車で上京した折、その日の昼食は(夜だともっと混むからと)結局ワンパターンで蒲田の回転寿司「活登利寿司」へ。本当は(せめて一度は)蒲田を代表する有名な“羽根つき餃子”を食べてみたいのですが、なかなか同行者の賛同が得られません。
この日「活」到着は平日の1時頃だったのですが、かなりの行列。大したモノです。この回転の良さが更に鮮度を高める好循環なのでしょう。
 オーダーは、いつも通りではありますが、奥さまはヒラメに始まり、娘に教えてもらって以来ハマッタという炙りホタテや中トロ・・・。
私メは、卵をつまみに(昼間故ビールのみで、お酒は我慢我慢・・・)、ヒラメから炙りエンガワ、炙りトロイワシ、〆サバ、中トロ・・・。そして、この日のお奨めだった生サバ(鹿児島長島町特産という「むじょか鯖」の由)と生アジ。どちらも新鮮で脂の乗りも良くて、何とも美味!でした。いやぁ、満腹&満足で、二人(私メのビールも)合わせて20皿超でしょうか。
仕事で帰りが遅かったので、持ち帰りで握ってもらった次女の分(10貫)も全部併せても6千円ちょっとだったとか。
 「えっ、嘘!(松本で他の店よりネタの鮮度と質の良い)キトキト寿司で食べたら1万円近いのに・・・」
と、驚いておられました。やはり、この回転の良さ、客の多さが、鮮度の良いネタを安価で大量発注することを可能にし、その結果、またそれに満足した客を更に呼び込むという好循環・・・なのでしょう。やっぱり市場あるところに良い食材が集まるのは自明の理。しかも、そうした市場性が回転寿司から銀座の高級店までというピンキリでの更なるユーザーフレンドリーの選択肢を拡げていく・・・。
しかし、一度見放される(評判を落とす)とあっという間に悪循環に陥るというネット社会故の怖さもあるとは思いますが・・・。それにしても、選ぶのは消費者。選択肢の少ない田舎からすれば、(行列で並ぶという都会の大変さを割り引いても)羨ましい限りではありました。
 「イイなぁ、都会は・・・。」

 3月26日の朝から降り始めた雪。翌朝には松本も3cm程の積雪でした。
東京では桜が開花したというのに、松本は季節外れの雪の華が咲きました。
これで名残の雪になるのでしょうか?・・・。

 その週末、松本中央図書館にCDを返却に行くと、建物脇のロトウザクラ(魯桃桜)が咲いていました。一番最初に咲く桜として信州で親しまれています。日露戦争でシベリア近くの満州から軍人が持ち帰ったとかいう謂れもあり、長野県立図書館から接ぎ木や株分けで県内の図書館等に広まったとされています(第1075話参照)。いずれにしても、信州に桜の季節を告げてくれる早咲きの桜です。因みに、個人的に春の訪れを感じさせてくれる花は、オオイヌノフグリ。野良仕事の中で、遠目に緑色の中に瑠璃色の絨毯を見つけた時でしょうか。多分、そう感じているお百姓さんは多いと思います。
 三寒四温とは良く言ったモノ。弥生三月から暦が変った4月1日。薄らではありましたが、いきなりの雪化粧。
「おいおい、エイプリルフールかよぉ!?」
とでも言いたくなります。
幸い新しい年度の開始は、1日が土曜日だったので、学校も会社も新年度のスタートは実質月曜日の3日でしょうか。思えば、私の入社式も1日が日曜日だったため4月の2日だったのですが、朝起きたら結構な積雪で、雪の中を出社した記憶があります。県外出身の同期の連中は、驚くやら呆れるやら・・・。真っ白な、まっさらな気持ちで新しい年をスタート!と思えば良いのでしょうか。
 学校の入学式もそれぞれ行われているようです。ランドセルの方が大きそうなピカピカの一年生も、やがていつか馴染んでいくのでしょう。気分も新たにミンナ頑張れ!

 諏訪が発祥の地である、中華料理のローカルチェーン店の「テンホウ」。
同地ご出身の奥さまは、子供の頃、チェーン展開する前の発祥の店「餃子会館」の頃から家族で良く食べに行っていたそうです(・・・どころか、女子高下校後に親友と通ったこともあったとか。謂わば、当時の“スタバ”だったのでしょうか?)
 現在の「テンホウ」は、ギョウザだけではなく、ラーメンや担担麺などの麺類や定食類などメニューの種類も多く、何より全国展開する大手チェーン店と比べても値段の安さを武器に、今や中南信を中心に長野県内30店舗とか。謂わば“信州版餃子の王将”と言ったところでしょうか。なかなか大したものだと感心しています。奥さまによれば、諏訪に1店舗だった時代からギョウザは美味しかったそうですが、二代目が積極的に拡販展開し、三代目の現在に至るのだとか。

 松本エリアでも郊外を中心に展開しており、我が家の近くの追分や渚にも「テンホウ」があるので、子供たちが小さかった時から勿論、今でも夫婦で昼の外出時などで簡単に済ませたい時などに利用しています。
独特のシーズニング(八角系?)が効いた焼きギョウザ(一人前6個で270円)がイチオシでしょうか。ラーメンは極々普通のラーメン(390円!)で、余り特徴が無い(鶏ガラが効かず、醤油味のみ)ので好みではありませんが、担担麺は人気の様です(ただ炒めモノの定食は野菜炒めのみで、ニラレバが無いのが残念。しかし、何故かソースカツ丼があります)。

 以前から、私メのイチオシは長崎風の「皿うどん」(600円)。
松本周辺にはありませんが全国チェーン「リンガーハット」の「皿うどん」同様に、長崎風の餡かけ固焼きそばです。ただ、店(調理人)によって多少味(特に塩気)に差があります(セントラルキッチン方式でなく、レシピに沿って、各店で調理している証左だと逆に評価しています)が、全体的に水準以上だと思います。大盛り(麺の量がダブルで770円)だと、食べ切れないくらいの量になります。細麺がパリパリに良く揚がっていて、あん(餡)の具材も、野菜だけではなく、カマボコにエビやイカなど(冷凍モノにせよ)のシーフードも入っています(使ったことはありませんが、店によっては長崎風にウスターソースが一緒に運ばれて来ることもあります)。
ただ分からないのは、必ず小さなポーションタイプのレモン果汁が付いてくること。個人的には(たくさん掛けたいので、これだと量が少な過ぎて)、食卓に置いてあるギョウザ用の酢で十分だと思います。

 “固焼きそば”といえば、県内では上田の「福昇亭」(第841話参照)等に代表される様に、東北信では「焼きそば」或いは「五目焼きそば」というと固焼きそばというのが一般的なようですが、松本ではどちらかというと固焼きそばはマイナーで、焼きそばはあくまで「たけしや」の様なソース焼きそばが一般的。ただ松本でも、「本郷食堂」や嘗ての“中華の名店”「竹乃屋」のように「固焼きそばをウリにするお店もありました。中でも“食通”池上正太郎にも愛されたという「竹乃屋」の五目焼きそばは、ビーフンの様な極細面で独特でした。そして、その流れを汲む「麗山」で今でも食べることが出来ます(五目焼きそば1350円)。極細の麺はパリパリとして繊細で良いのですが、ただ餡の味付けがお上品過ぎて、また量もおショウビンなので、個人的には些かモノ足りません(あくまでコース料理の中の一品として食べるべきメニューなのでしょうか)。固焼きそばでは、いかにも庶民的な「テンホウ」の長崎風皿うどんの方が個人的にはむしろ好みです。
今回も皿うどんを大盛で。一方、諏訪育ちの家内は、テンホウではいつでもチャーメンをご注文。塩焼きそばと言えば良いのか、要するに野菜炒め風の焼きそばです。子供の頃から変わらぬ懐かしい味とのこと。シンプルですが、奥さまにとってのソウルフードなのでしょうね、きっと。

 テンホウは、“安かろう旨かろう”で、昼も夜も家族連れでかなり混んでいます。隔週の土曜日はサービスデイでギョウザが半額の130円。なかなか頑張っています。