カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 長女が京都に来る当日。夕刻までの唯一二人での京都観光に、
 「さてどこへ行こうか・・・?」
紅葉の京都はどこへ行っても混んでいます。三年前の嵐山から嵯峨野、伏見稲荷から東福寺も紅葉の人気スポットですので、人でごった返していました。そこで、今回は奥さまが今まで行ったことが無いと云う大原にいってみることにしました。大原へはバスでしか行けませんので、他の観光スポットに比べると多少は空いているのではと予想。当日は二日間乗り放題の「京都観光乗車券」を購入。地下鉄と市バス京都バスが乗り放題です。但し、京福や嵐電、京阪・阪急は対象外。地下鉄とバスで巡ることが可能な観光地なら絶対におススメです。
大原へは京都駅などから直行バスも出ていますが、我々は時間節約と混雑を避け、都大路を走る駅伝の折り返し地点でもある国際会館まで地下鉄で行って、そこからバスで大原へ向かうことにしました。全て乗車券一枚で行って来られます。

 京都大原は、デュークエイセスが歌いヒットした、永六輔&いずみたく「にほんのうたシリーズ」に収められている「女ひとり」で有名になった、“♪京都大原三千院 恋に疲れた女が一人~”で女性人気が高まったように思います。比叡山の麓の里らしく、天台宗のお寺さんが点在しており、私メも学生時代に入学してすぐ一人で来たことがあります。
また最近だと、大原はNHK「猫のしっぽ カエルの手」のベニシアさんが住まれる里として有名でしょうか。キョロキョロしながら大原の里を散策しましたが、残念ながらベニシアさんをお見掛けすることはありませんでした。
 国際会館からの大原行きのバスは結構混んでいました。アジアからの観光客の方々が結構おられるのには驚かされます。皆さん良く事前に調べているんですね。バスは高野川沿いに谷間いを走り、国際会館からは20分程で大原盆地と云われる様に山に囲われた大原の里へ到着。早速坂を登り三千院へ参拝します。谷川沿いの狭い参道は、途中お土産物屋さんや大原が発祥の地とされる柴漬けのお店などが並んでいます。門跡寺院でもある三千院。客殿と宸殿からの庭園を眺めてから、三千院のシンボルでもある往生極楽院へ向かいます。お堂に上がり、目の前の国宝の阿弥陀如来さまを中心とした三尊像を拝みながらお寺さんからの解説をお聞きします。京都には国宝の仏さま数あれど、手に取る様にこれ程間近に参拝出来る仏さまは無いとの由。お堂を出て、苔むしたお庭に佇んでいる最近人気という“わらべ地蔵”も参拝。
 三千院周辺にも幾つかお寺はあるのですが、時間の関係で宝泉院へ。額縁庭園と云われるお庭で有名です。見事な枝ぶりの松に竹林と紅葉。そして背後の大原の里を借景とした心落ち着く庭園です。お寺の拝観料が800円と些か高めですが、これはお抹茶込みのお値段です。縁側の赤い毛氈から庭を眺めながら頂くお点前に心癒されます。有名な三千院に比べると人も少なめでお薦めです。
 ここから、大原の盆地の反対側に佇む尼寺の寂光院へ向かいます。
寂光院は壇ノ浦で源氏に敗れ、安徳天皇と共に入水しながら助けられてしまった建礼門院徳子が亡くなるまで平家一門の菩提を弔い続けた寺としても知られます。都から離れた隠れ里である大原はそれに相応しい場所でもあり、寂光院という名称もそれに相応しく感じます。
 ご本尊の六万体地蔵菩薩を納める本堂は、2000年に放火に拠り消失。焼け落ちた本堂の中で、黒く炭化したご本尊がそのまま立っておられたのだとか。新しく復元されたご本尊が再建なった本堂に安置されていましたが、焼けた旧ご本尊は本来なら重文指定解除される筈が、黒く炭化しても原形を留めているとして国の重文指定はそのままで、毎年春と秋の二回一般に公開されているそうです。以前TVで、その公開期間に訪れた女優さんがその姿を見て泣きながらリポートしている場面がありましたが、災難を一身に背負われた様なお姿に画面を通しても感動を禁じ得ませんでした。いつか、一度お会いしたいものだと思います。
 帰路、バス停に行くと長蛇の列。臨時便も出ているようですが、国際会館行きは満杯で乗れず、続けて来た四条河原町行きに乗車して京阪三条で降りることが出来ました。
40年振りに訪ねた京都大原の里。混んではいましたが、洛中とは違い、なんだかほっこりした京都の山里でした。

 紅葉の京都。ホテルは、この時期どこも満員だと思いますが、早めに予約し確保したので、岡崎の平安神宮の近くと好立地。東山もすぐそこです。

 そこで二日目の朝。習慣の早朝ウォーキングで、今日は京都の東山へ。修学旅行以来と言うので、先ずは平安神宮から黒谷光明寺付近を通り、哲学の道へアクセス。ハッキリと場所が分からずとも、東西南北のハッキリした京都ですので、東大路辺りから東山を目指せば必ず哲学の道にはぶつかります。
結果、大豊神社辺りで哲学の道に遭遇しました。そこから永観堂方面へ歩きます。「善の研究」などで知られる哲学者西田幾太郎博士が京都帝大の教授時代に散歩をしながら思索にふけったことから名付けられた、琵琶湖疏水沿いの「哲学の道」。春は桜、夏の深緑、秋の紅葉・・・。その季節毎に風情ある道です。この道を歩くのは、大学入学した年の一年目だけ、観光に京都中を歩き回って以来、実に40年振り。
所々紅葉も色づきを増している中、途中にはカフェや料亭などもあり、朝早くからワンちゃんの散歩やジョギングをする欧米人の方々、また哲学の道を歩いて通勤する人たちなどとすれ違いました。若王子神社で疏水沿いの道が終わり、住宅街を歩いて永観堂へ。
“モミジの永観堂”として知られる禅林寺。浄土宗のお寺さんです。“遅いぞ永観”と後ろを振り向かれた阿弥陀様のお姿、“見返り阿弥陀”でも知られており、私メが一番好きな仏様であります。京都観光は大学入学の一年目だけで、その後は地元に居ると「いつでも行ける、来られる」と結局行かなくなり、結果卒業して京都を離れてしまいましたが、この見返り阿弥陀さまだけは、何かあると参拝し、阿弥陀さまの前で一時間近くも佇んで心を静めていました。その間(紅葉の時期でなければ)それこそ一人も観光客が来られないこともあり、今程の人気では無かった様に思います。私メにとっては、永観堂も同じ浄土宗(我が家の総本山は知恩院)でもあったので、じっとお祈りをしていても後ろめたさも無かったのかもしれません。
拝観時間前の境内はひっそりしていて、お寺さんの方々が黙々と落ち葉を掃いておられます。既に紅葉のライトアップもされていて、行列用のロープが何重にも張られていてその人気の程も伺えます。
そこから南禅寺へ。“絶景かな!”の山門を抜け湯豆腐の老舗の料亭横を歩いて戻りました。
 夜、ライトアップの永観堂にホテルから歩いて行ってみました。まだ夕刻5時半頃だというのに、既に100m近くはありそうな程の長蛇の列。並んでいては夕食の予約時間に間に合いそうもないことから諦めて、後ろ髪をひかれながら永観堂を後にしました。
 近代的に改装された京都駅から始まる大混雑に、学生時代に比べ、インバウンドの方々含めて人口がまるで倍になったかのような国際観光都市京都。
 明るくなった朝6時半。早朝のウォーキングで毎朝訪れた、40年振りの岡崎公園の平安神宮や東山の永観堂と南禅寺。観光客は勿論、殆ど人もいない贅沢な空間です。
「京都で“前の戦争”と云えば応仁の乱を指す」という“都市伝説”の様な、千年続いた古都本来のはんなり、しっとりした時間がゆっくりと流れているようでした。

 米国西海岸で働く長女が、出張で東京と京都へ来るかもしれないが、松本には(時間距離が遠いので)行かないとのこと。
 「だったら、こちらから会いに行きませう!」
と、せっかくなのでこの時期の紅葉の京都に行くことにしました。もし娘の予定が変わったらしょうがない、その時は自分たちで楽しめば良いと、早めに安いビジネスホテルを予約してありました。今回は、年金生活者(しかもまだフル支給されていない)故のケチケチ旅行、節約旅行であります。

 京都で、出張中の娘と会えるのは前日の夕刻から翌日昼までと週末の正味一日だけだったのですが、せっかくなので我々は、その前後の3泊4日で紅葉の京都を楽しむ予定。京都は、3年前に会社の定年準備のセミナーで嵐山に11月上旬に来て以来。その時、30年振りくらいに、二日間だけ京都観光(嵐山から嵯峨野と伏見稲荷から東福寺へ)を楽しむことが出来ましたが、今回は4日間もベストシーズンでもあろう秋の京都散策ともう一つ、京都国立博物館で開催中の、何しろ期間中の展示作品全てが国宝という“あり得ない”「国宝展」を閲覧するのが目的です。

 朝一番の特急しなのに乗り名古屋経由で京都へ。のぞみは随分混んでいるようでしたので、我々は名古屋からですからノンビリとこだまの自由席で京都へ。岡崎のホテルに荷物を預け、早速東山七条にある京都国立博物館へバスで向かいました。明治30年に開館したと云う前身の帝国京都博物館と同年に制定された現在の文化財保護法の先駆けである「古社寺保存法」。その条文中で初めて「国宝」という言葉が用いられたと云います。今年がそれから120年ということを記念しての大規模な国宝展。寺社仏閣などの移動不可能な建築物等を除く国宝885件の美術工芸品の実に1/4に当る200件の国宝が展示されると云う前代未聞の国宝展です。展示される作品の中には東博所蔵の長谷川等伯「松林図屏風」など、これまで何度も見た展示品もあるのですが、その「松林図屏風」が今回は息子久蔵の「桜図」(京都智積院蔵)と並んで展示されるなど、見どころ満載。我々の行った前日には来場者が40万人を突破したとの報道もあり、全国的に注目の展覧会故に待ち時間80分との情報もありましたが、これは絶対に見過ごさずに行かねばなりますまい。
二ヶ月間の期間中4期に分けての展示であり、関西在住であれば全て見ることも出来ますが、たまたま我々の行く時期がⅢ期とⅣ期と節目だったため、奥さまが是非見たかったと云うⅢ期の最終日に見に行くことにしたもの。このⅢ期の目玉は先述の等伯親子、志賀島の金印、そして源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、源頼朝像(伝)でしょうか。他にも、Ⅰ期Ⅱ期では吉祥天像や風神雷神図屏風や3週間限定展示で雪舟の国宝絵画全てが、また4期では燕子花図屏風が百年振りに京都に里帰り展示されるなど、どれもこれもが歴史や美術の教科書で見た国宝中の国宝であります。
Ⅲ期での一番人気は志賀島の「漢委奴國王」金印で、目の前(前列)で見るためには40分待ちの行列とか。我々は、後列からで構わないからと並ばずにエレベーターで先ず最上階の3階に上がって順次見て行くことにしました。
 チケットは先にネット購入してあり、大混雑と聞いていたものの東京の国立博物館の様に入場制限も無く、スンナリと館の中へ。ところが館内が大混雑。どの展示も二重三重の人垣です。各フロア、各展示室で、係員の方が
「最前列の方は止まらずに、少しずつでも左へお進みください!ご協力をお願い致します!!」
と何度も呼び掛けるのですが、せっかく順番を待って最前列に並んでも、特に目玉の展示品の前ではどこ吹く風か全く動く気配も無し。結局諦めて後列に外れ、前列の頭越しに眺めるしかありませんでした。特にⅢ期の目玉とも云える金印は前列で見る人を分けており、40分待ちとのことから、気持ちが分からないではありませんが、余りに目に余ったのか、その近くで係員に個別に注意されているお爺さんが・・・。でも、そこはさすがの関西人、全く悪びれる様子も無く逆にモッケの幸い?と展示品について係員の方に質問をしていました。イヤハヤ、恐るべし・・・。ここは、やはり東博のように入場を制限して館内の流れを良くした方が良いのではないか?いくら関西での40年振りの特別展とはいえ、せっかく入場しても見られないのであれば本末転倒です。じっくりは無理でもホンの数秒でも間近で見られるように運営すべきではないか・・・そんな風に感じ、ある意味ガッカリしながら見学を続けました。その目玉の金印は“最小の国宝”と云う通りで実物は一辺僅か2.3cm。これでは、例え最前列で見ても結局は良く分かりませんでしたので、並ばずに正解でした。
 そんな中で個人的に一番感動したのは、肖像画コーナーに展示されていた伝源頼朝蔵を始めとした京都神護寺三像。三つが揃うのは23年振りとのことでしたが、思っていたより大幅で何とも言えぬ凛とした空気を鎮めるような品格を漂わせていました。また初めて実物を見た信貴山縁起絵巻も実に良かった。そしてⅡ期のみの展示だった曜変天目は見られませんでしたが、替って油滴天目が展示されていました。

 思ったより長く3時間を超えて立ちっぱなしで見学したので、歩いた距離は大したことはなくても結構疲れたので、夕刻にはまだ時間もあったのですが、ホテルに戻って夕飯まで休むことにしました。

 11月、霜月の名の通り、秋から冬へと里山の風景も変わって行きます。

 月初めはまだ秋本番と云う感じで、我が家の芝生ガーデンの2本のハナミズキの紅葉した葉が風に散って芝生の上に赤い絨毯を作っていました。隣家に舞って行かない様に早めに拾わないといけないので奥さまはヤキモキしていましたが、それはそれで、そのままにしておきたいような秋の風情が漂っていました。
 また、11月中旬にもなって“花が消えた晩秋の里山に、ひと際鮮やかに“花を咲かせている”のがオレンジ色に熟した柿です。
早朝ウォーキングで見掛けた見事な“柿の花”。今は、富有柿もスーパーの店頭に並び、美味しい甘柿が信州でも買えるようになったので、庭先に植えられた甘柿にはだれも見向きもしなくなり収穫されずにずっと木になったまま。何もない冬の間の鳥のエサですが、熟し過ぎて茶色になるまでは、オレンジの花の様で、花の無い晩秋を彩ってくれています。

 11月18日は雨模様で、それも寒気が流れ込み、松本も氷雨の様に冷たい雨が降りました。明けて翌19日は、東山もつい1500mくらいまで白く雪化粧をしていて、いよいよ里にも冬将軍が迫って来たようです。
早朝ウォーキングで、久し振りにアルプス公園へ行って見ると、北アルプスは殆ど雪雲の中でしたが、真っ白な常念のテッペンが少しだけ雲の中から顔を出していました。そして南側は鍋冠が白く雪化粧して見ることが出来ました。
寒くなって、ウォーキングも犬の散歩も誰もいないアルプス公園です。そんな公園で、コブシの木にネコヤナギの様な冬芽が一杯に付けていました。きっと、暖かくして花芽を守りながら春を待っているのでしょう。

 それぞれの、冬に向かう晩秋の里山の風景です。

 秋になると“鍋シーズン”到来。メインの肉や魚介系はともかく、野菜が大量に取れるのでヘルシーでもあります。
 最近は小分けされていて使い易いポーションタイプを始め、色々な種類のスープが市販されていて便利ですが、我が家では種類は寄せ鍋や“合点”流の水炊きであったり、以前我が家の定番だった“安鍋”(世間で云う“豚バラと白菜のミルフィーユ鍋”)にせよ、その味付けはポン酢がメインだったのですが、最近ハマっているのがキムチ鍋。しかし、キムチ鍋にハマっていると云うよりも、むしろ〆の“チーズリゾット”にゾッコン!なのです。
一般的に、鍋の〆にはうどんだったり、雑炊だったり、しゃぶしゃぶだったらきしめんでしょうし、キムチ鍋にはラーメンが定番でしょうか。
水炊きは鶏肉のコラーゲンがスープに溶け出しているので、雑炊やおじやにしてスープまで頂いた方が体にも良いでしょう。

 最近鍋スープのTVCNでゴマ味の鍋でチーズリゾットを薦めていますが、イヤイヤ、キムチ鍋の方がチーズリゾットの相性は抜群。そのチーズリゾットが食べたいので、キムチ鍋にしていると言っても過言ではありません。とろけるチーズでキムチ味が実にまろやかになります。
もしキムチ鍋の〆でラーメンにされていたら、一度騙されたと思ってチーズリゾットにしてみてください。最高です!

 毎年お米を分けていただく父方の茅野の叔父。
今年は、お米だけでなく稲藁を果樹園用に頂くことにして、軽トラックで茅野まで受け取りに行って来ました。コンバインでの借り入れもとうに終わっていて、田んぼに藁束を4つずつ円錐形の様に立てて乾かしてくれてあるのですが、10月は異様に雨が多く、また台風の影響もあって、田んぼがなかなか乾かずにいたのですが、11月に入って晴天が続いたので漸く取りに行くことが出来ました。
場所は蓼科の麓で、標高1100mの湖東(こひがし)と云う地籍なのですが、古代の諏訪湖がいくら大きくても(現在の諏訪湖の3倍ほどで、茅野まで諏訪湖だったとか)、湖の東側と云う程に、この近くまでが諏訪湖だったとはさすがに考えられません。東山魁夷で有名な御射鹿池や奥蓼科の横谷峡も近くだそうです。連休だったこともあって、今朝も県外車に道を聞かれたとか。
 「御射鹿池の紅葉もキレイでしょうね!?」
 「いやぁ、溜め池だでナ。大したことねぇけど・・。白駒の方がイイワ」
 「じゃあ、やっぱり緑のキレイな夏にします!」

 当日は2回往復する予定で、朝早めに出発。空荷での往路は時間節約のため高速を走り、藁を荷台に満載しての帰路は、街中を避けて下道をトコトコとゆっくり走って来る予定。
田んぼで、荒縄で縛って藁を“まるけ”ます(「まるける」は信州弁?で、丸く束に丸める/纏めるの意)。軽トラの荷台に6把ずつ3段積みの18把。それをロープでずり落ちぬ様にしっかりと縛ります。叔父からはもっと積めると言われたのですが、途中緩んで落としたりしてはいけないので3段にさせてもらいましたが、それでもバックミラーは荷物で後ろが見えません。交通量の多い上諏訪側(国道20号線)を避け、上社側の諏訪湖の西側(別名“西街道”)を走り、岡谷から国道に合流し塩嶺峠を超えて脇道の山麓線を走って中山から松本へ入る予定です。松本市内も“ビル街”に藁クズを播きながらは走れないので、街中を避けて遠回りに山側を走って帰る予定です。
茅野から松本まで高速だと1時間足らずですが、途中2度ほどチェックしましたがロープも緩むことは無く、下道をゆっくりトコトコと2時間掛かって無事リンゴ園に到着することが出来ました。
茅野を出る頃からにわか雨で、松本でも雨が降り出してきたのでその日は二往復せず、翌日もう一度行くことにしました。
 翌日は幸い快晴でした。
2台目も積み終わり田んぼでの作業は終了。叔父の田んぼから眺める八ヶ岳から蓼科山へ続く山並みの雄大で見事なこと。裾野に拡がる広葉樹や落葉松の紅葉や黄葉も見事で、青く澄んだ青空を背景にまさに秋本番。暫し、うっとりと見とれていました。

 翌日、早朝ウォークで蒲田駅周辺を歩きました。ウォーキング向きのコースは無かったので、蒲田駅の西口周辺で「石ちゃんの通りの達人」で紹介された店を探してテクテクと。「イオンモール松本」に出展したインド料理店「フルバリ」も発見しました。

 午前中は次女のマンションで朝から衣替えを済ませ、私メはクリーニング店へ行きがてら糀谷商店街を散策。空港関係者が多く住むと云う糀谷は、住み易そうな良い街です。

 代わりに信州へ持ち帰る荷物も整理して、作業終了。少し遅めの昼は、娘のリクエストで、いつもの「美登利寿司 活」へ。もうパラパラ雨が落ちてきていたのでバスでJR蒲田駅に向かいました。
週末の土曜日で相変わらずの外の行列したが、思いの外少なめ。程なく座ることが出来ました。ヒラメや炙りエンガワ以外に、私メはいつもの光物。この日の〆サバはイマイチでしたが、炙りトロイワシが実に旨い。3皿頂いてしまいました。また、この日は特選鯵が脂が乗っていて且つプリプリと新鮮で何とも美味! この日の鯵は、次女が成田に住んでいた時に行った「江戸ッ子寿司」で食べた鯵(何度か行きましたが、最高だった鯵は最初の時)に匹敵する程でした。この日のメインは夜なので、家内からは食べ過ぎぬようにとのこと。且つ「飲み過ぎぬ様に!」とのことにつき、生ビールも1杯だけ。会計時に
「わぁ、今までで一番安かったーっ!」(そりゃ、そうでしょ)
「ウン、如何にお酒が高いかだネーっ!」(イヤ、食べる量もセーブしましたから)

 娘とは蒲田で別れて我々は一旦ホテルへ戻りました。
夕飯は、事前に「俺の割烹」を予約済みです。「俺のフレンチ」だけでなく、以前長女から連れて行ってもらって感激したのだそうで、私メにも絶対おススメと、今回予約してくれたものです。2時間毎の入れ替え制だそうで、う予約は7時から。一緒に行く筈だった次女は、友人との別の約束が出来たからと、この日も我々二人だけ。事前にその旨予約を変更してあります。
前回は長女に連れて行ってもらったので場所が分からないとのことで、夕刻、台風の影響で雨足が強まる中、店は銀座8丁目だそうですが、新橋駅からGoogle Mapの案内で無事到着。1階は立ち呑みではなく、カウンター席中心でしたが、狭くてギュウギュウ詰めの様相。2階は鏡張りで些か落ち着きませんが、テーブル席(ジャズの生演奏があり、ミュージックチャージが掛かります)。2階もかなりテーブルを詰め込んでいますので、(鏡張りも手伝い)多少圧迫感はありますが、「俺の・・・」コンセプトで、フレンチやイタリアン同様に「割烹」でも「一流シェフ」による調理で高級食材を他店より少しでも安く提供するためには一等地で地代が高い分それは止むを得ないのでしょう。
30分ほど早めに到着したのですが、幸い予約席が空いていて幸運にも座ることが出来ました。1階は不明ですが、2階席は女性のグループが多く、また我々の様なシニアやミドルのカップルを含め、意外と若者が少なく年齢層は高目です。
 オーダーは、昼にお寿司を食べたばかりなので刺身はパスして、「カサゴの一本揚げ」、「白子の天婦羅」、「俺のおでん」、「出汁巻き玉子」。アテには鯵のナメロウを注文。奥さまはほうじ茶で、私メは生ビールですが、料理から(特に最初に出て来たのがナメロウでしたので)すぐに冷酒に変更。お得メニューの「なみなみ日本酒」です。受け皿が無いのが辛いのですが、表面張力で文字通りなみなみ注がれています。
料理はどれも美味しくて、味付けに品があります。白子もクリーミーで、全く臭みが無く新鮮です。食わず嫌いに近くて普段白子にあまり食指が伸びない奥さまも、この白子の天婦羅には感動していました。カサゴは、骨まで食べられるほどには揚げられていませんが、回転を良くするためにはしょうがないでしょう。おでんは関西風に薄味で素材の味が損なわれておらず、また出汁が実に良く効いていて美味。フロアスタッフの方に聞くと、わざわざ厨房に確認に行ってくださり、かつおといりこ出汁とのこと。そう云えば我が家にも「茅乃舎」の出汁(いりこではなくアゴですが)が買ってありましたので、今度大根を煮てみようと思いました。
他にも食欲をそそられるメニューがあったのですが、もうお腹も一杯。奥さまがデザートを注文して終了。年寄り二人だけではあまり多くのメニューを頼めません。
 お会計時に、たまたま来店時間が予約より早くて終了までに生演奏が無かったので、ミュージックチャージ分を引いてくれました。それもあってか、結構私メが日本酒を頂いた割には二人で9千円弱と、銀座の一等地でこの味でこの値段。「俺の・・・」のコンセプト通りとはいえ、驚きのコスパの良さ。台風の雨の中を来た甲斐がありました。他にも美味しそうなメニューが幾つもあったので、また次回の楽しみに取っておきます。ごちそうさまでした。

 翌日は朝から雨。台風22号が関東接近とのことだったので、次女のマンションで荷物を積み込み、早めに東京を出発しました。
東京から松本まで帰路はずっと雨。それもあってか、日曜日でしたが首都高から中央道も意外と交通量は少なめです。途中雨脚が強く50km制限の箇所もありましたが、何とか無事に我が家に帰還することが出来ました。ヤレヤレ・・・。

 週末の関東に台風接近という中、季節の定期便で、次女の所に衣替えの冬物を持って車で上京しました。

 幸い金曜日はまだ影響なく晴れ。奥さまが昼前から予定があるので9時半までに到着したいと、朝6時に出発。途中、石川PAまでノンストップ。府中の辺りから20㎞近い渋滞表示。どうやら事故渋滞の様です。NAVIの到着予想時刻が段々遅くなって行きます。石川で都会の運転に慣れた奥さまと(助手席のナビゲーターが私メの方がより信頼出来るので?)運転交代し、予定よりも1時間遅れで糀谷に到着しました。娘の所で荷物を積み換えホテルへ。いつもの大鳥居では無く、今回は新しくオープンしたらしい蒲田のホテルです。

 それぞれ予定を済ませ、この日の夕食は、娘は友人との予定があるとのことで我々二人だけなので、これまで天気が悪く何度も諦めた“蒲田の羽根付き餃子”です。今回はホテルがJR蒲田のすぐ近くですので、例え雨が降っても数分で行くことが出来ます。
“蒲田の羽根付き餃子”の有名店は、元祖と云われる「你好」(ニイハオ)と、その創業者の妹弟が始めた「歓迎」(ホアンヨン)と「金春」(コンパル)が所謂“御三家”とか。
今回は元祖「你好」ではなく、娘のお薦めで区役所隣接の大田区生活センター1階「歓迎 本店」へ。ホテルから歩いてホンノ数分でした。「歓迎 ホアンヨン」と看板にも書かれていましたが、マンダリンでの「歓迎」の発音は「Huanyingホアンイン」じゃあないのかなぁ・・・と、独りブツブツと・・・(ま、どうでも良いのですが)。
 まだ6時前でしたが、既にかなりの混雑です。後で娘から言われて知ったのは、その日がちょうど“プレミアム・フライデー”だったこと。そう云えば山手線も4時前から凄く混んでいて、家内と二人で「今日はエライ混んでるね」と訝っていたのですが、それもその筈でした。
店内はテーブルが並べられているだけで、現地“大陸の中華飯店”の様な殺風景。壁にたくさん張られた有名人の色紙が目立ちます。我々は予約無しだったので、中華風の丸テーブルに並んで座らされ、同様のお客さんは次から次へと相席となり、6時過ぎにはあっという間に店内満席になりました。都会は“プレミアム・フライデー”とはいえ、イヤハヤ大したモノです。
 我々の注文は、“名物”羽根付き焼き餃子(300円)を二皿、小籠包(500円)、エビ入り水餃子(500円)、レバニラ(780円)。そして生ビールとジャスミン茶。
あっという間に小籠包が運ばれて来ました。レンゲも小皿も無く食べにくいのですが、肉汁がたっぷり。猫舌の私メは少し冷めてから頂きました。焼き餃子は、サラメシで昼に食べても良い様にニンニク不使用とのこと。そのためか、少し肉の臭みを感じます。皮はモチモチでこちらも肉汁たっぷりです。奥さまは幼少から慣れ親しんだテンホウの餃子(八角がかなり効かせてありますが)の方が好みとのことでしたが、分からんでもありません。
水餃子はエビがプリップリです。そして今回、私メが一番感動したのはレバニラでした。
 「旨っ!最近食べたレバニラの中で一番ウマイ!!」
レバーの柔らかさ、モヤシのシャキシャキ感、トロミのあるやや甘めの味付けが何とも絶品で、全てが好みの味でした。
 「イヤぁ、ホント旨いなぁ・・・昼に定食で食べたら最高かも・・・!」
他にも美味しそうなメニューがたくさんありそうでしたし、焼きも水餃子も追加して食べたいくらいでしたが、年寄り二人では既に満腹気味で断念しました。

 念願だった“蒲田の羽根付き餃子”。水餃子も美味しかったし、何よりレバニラが最高!大満足でした(奥さまはジャスミン茶を絶賛していました)。
元祖「你好」など他の店もまた次回の楽しみにしたいと思います。

 10月末、信州の里山は秋も深まり、欅などの広葉樹の紅葉が次第にその色を増しています。紅葉の名所も良いですが、こうした田舎の里山の秋の風情もなかなか味わいがあります。また、民家の雑木林風の庭の紅葉も見事です。

 台風の後、冷たい雨が上がった25日の午後、初冠雪の常念が里から望めたという記事がタウンペーパーに載っていました。
我々も翌26日の早朝ウォーキングでいつものウォーターフィールド方面に行った際、常念を始めとする北アルプスの峰々の初冠雪で、白く帽子を被った頂を城山山系越しに臨むことが出来ました。
 里は秋の風情ですが、山からは初雪の便りが届いて既に冬。
信州は、何だか足早に季節の歩みを進めているようです。11月は霜月ですが、10月の31日松本地方では初霜が降り、翌11月1日、そして今日と三日連続で霜が降りました。里にも冬はもうすぐそこまで来ているようです。