カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

  “蔵の町”松本中町の蔵造りの老舗の“カレーの店”「デリー」。その「デリー」が、惜しまれつつ閉店してしまったそうです。

 先日の夜、久し振りに中町を歩いてみると、その建物と「デリー」の看板はそのまま残っていて、同じく建物に掲げられた「テナント募集」の看板が寂しく目に映りました。この蔵造りの建物は白壁ではなく、戦時中の空襲対策のままか、黒く塗られた壁の蔵が“蔵の町”では重厚で却って新鮮に映ります。「デリー」は昭和45年創業という40年以上の歴史の、当時松本では珍しかったカレーの専門店でした。
 シンガポールで生まれて初めてインド料理(注)の奥深さ(他にはベトナム料理)に触れてしまい、所謂カレーライスは家庭でしか食べなくなりました(家庭でのインド料理は無理。カレーライスは家庭毎の味でイイ)ので、帰国後は「デリー」に行くことも無かったのですが、日本的で懐かしい昭和のカレーだと思いました。そう云えば、トンカツとカレーの「たくま」も同じ頃閉店してしまったとか。
その老舗の店も最近遂に閉店してしまい、“昭和も遠くなりにけり”?でしょうか。
 でも、CoCo壱番屋の様なチェーン店だけではなく、神田の名店の暖簾分けだという「キッチン南海」もまだ頑張っています。日の出町にあり、目の前に「イオンモール松本」が開店して日の出町も人通りが増えたので今まで以上に繁盛するかもしれませんね。
【注記】
インド料理は、基本的に北インド料理と南インド料理に分類され、窯(タンドール)で焼くナンが主食なのは北インド。米作地帯故ご飯が主体なのが南インドとされます。従って、タンドーリチキンやサモサも北インド料理になります。
南に比べ、北インド料理の方が繊細な感じがして、シンガポールでも名店(高級の意味ではない)とされていたのは北インド料理でした。どちらも各種スパイスを調合したグアムマサラでの味付けが主体。因みに良く知られた様に「インドにはカレーという料理は存在しない」。
インドに出張した時も、毎昼毎晩と現地スタッフが現地のジャンルの異なる“有名店”に連れて行ってくれましたが、正直シンガポールのインド料理の方が美味しいと感じました(飽くまで個人の感想です)。
東京では北/南を表記したインド料理店がちゃんとありますが、松本では純粋なインド料理店は少なく(看板にあっても、シェフがネパール人だったり)、日本人向けにアレンジされていたり、また良く見かけるネパール料理やスリランカ料理も隣国であるインドの影響を受けていますが(スリランカは地理的に南インド)、純粋なインド料理とは大分違う様に思います。

 ダイソーやキャンドゥなどに代表される所謂“百円ショップ”。
消費税導入後は、実際は今なら税込108円ですが、調理器具や日用品など様々な商品が100円で並んでいて、「えっ、これも百円?」と驚くほど。
実際我が家で使って私メが重宝しているのは、玉子焼き専用のフライパンです。母用の常備菜として出汁巻き玉子を定期的に作っているのですが、以前は小さ目の丸いフライパンで焼いていたのでどうしても均一にならず、オムライスの様な真ん中が膨らんだ感じになっていました。

 たまたま以前、近くの百円ショップに別の商品(台風接近の中、家内が娘の所に上京するので、糀谷の駅からマンションへの雨中の移動用にと、使い捨てのビニール製のキャリーケースのカバーと念のための同じくビニール製のレインスーツ、所謂カッパ)を探しに行った時に、「あっこんなモノもあるんだ・・・」と見掛けたモノでした。
後日、購入して早速使ってみました。やはり便利で、丸いフライパンと比べて仕上がりは段違い。
また、家内が先日たまたま見掛けたのでと、買って来てくれたのは長靴の様な格好をした可愛らしい小さな計量カップ。いつもは、キッチンにあった大中小の計量スプーンで調味料などを測っているのですが、その計量カップには大さじ1~3、小さじ1~5、それぞれ目盛が刻まれています。取っ手も付いていて持ち易く、その都度大さじ小さじと一々変えなくても良いので、使い勝手は良さそうです(但し、例えば大さじ一杯は15㏄、小さじ一杯は3.5㏄なのですが、目盛が正確であろう計量スプーンと微妙にズレテいるのがご愛敬・・・?ま、そこまで敏感な舌でもありますまい・・・)。
 いやぁ、コスパが良くて便利な世の中になったものですね。
そう云えば、長女のMBAの卒業式に米国行った際、観光で行ったサンフランシスコにも目抜き通りに“DAISO”ショップが結構な大きさで店を構えていて、海外にも進出しているのかと驚いた記憶がありますが、当然ながら、コスパと使い勝手の便利さには国境は無いのかもしれません。それに、製造場所は日本よりもむしろベトナムなどの東南アジア諸国でしょうから、流通上は日本を経由する必要もありません。
そう云えば、10年程前、ダイソーで見つけた丈夫そうな布製ベルトを農作業時など普段履きのジーンズ用に使っていますが、多少擦り切れた部分もあるとはいえ、今だ問題無く使っていますので、そのコスパたるや驚くほど・・・です。
また、この前行った時に見掛けて、次回その季節になったら買おうと思っているのが、弦を絡ませるための「キュウリ用のネット」。今年はホームセンター購入したのが100数十円。これも税抜き100円で並んでいました。
 「へぇ~、こんなモノもあるんだ!」

 決して安かろう悪かろうでは無く、安かろう、良かろうで・・・スゴイデスネ!と大いに感心した次第です。
(勿論、全てが安いのではなく、ペットボトルやスナック菓子或いはボールペンなどの文具等、モノによってはスーパーマーケットやホームセンターの方が特売日のみならず、常時-例えば98円とかで-安く売っている場合もありますので悪しからず)

 台風21号が過ぎ去った10月23日の朝。
松本も土曜日から降り続いた雨と夜半から明け方まで吹き荒れた暴風雨で、リンゴが落ちたり木が倒れたりと長野県内でも爪痕を残して行きました。松本でも明け方20mの強風が吹いたそうですが、近くの美須々にある護国神社ではその風で老朽化も手伝ってか境内の鳥居が倒れ、またあがたの森横の蚕糸公園では大きなヒマラヤスギが根こそぎ倒れたとの報道もありました。

 朝5時過ぎまで吹いた風も治まり、ナナの散歩の後で、奥さまとウォーキングでいつもの大門沢ウォーターフィールド(松本市陸上競技練習場)へ。途中、借り入れが終わった田が水浸し。風もですが、雨も結構降りました。実家横を流れる西大門沢川も水嵩を増して濁流が流れています。一方、ウォーターフィールド横を流れるのは東大門沢川。どちらも小さな川ですが、岡田地区から松本の市街地を流れて奈良井川に注ぐ一級河川です。途中でいくつもの用水路などが注ぎ込むこともあり、過去(記憶にあるのは30年位前だったか)には市街地で溢れたこともあります。そのため、そうした水害を避けることを目的に、遊水地として設けられたのが大門沢ウォーターフィールドで、その容量は3万㎥とのこと。普段は、総合体育館と県の文化会館が建設するために転用された県営陸上競技場の代わりに、このエリアの陸上競技練習場として松本市が400m6コースのトラックを周囲に設けてくれてあり、学生たちが良く陸上競技の練習で利用しています。

 ウォーターフィールド横を流れる東大門沢川も勢い良く濁流となって水が流れています。速歩で4周する奥さまのタイムをスマホのストップウォッチで計るべく事前にセットアップし、ウォーターフィールドに到着。するといつもと様子が違います。それは・・・、
何とトラックの内側が一面の池になっているではありませんか!こうして見ると、結構大きな“溜め池”です。川からは、勢い良くフィールド内部に水が流れ込んでいました。
「凄いなぁ・・・」
唖然として、暫し池を眺めていました。
家内は2年程、私メはこの1年毎日の様に来ていますが、池が出現したのを見るのは初めてです。3万㎥の容量一杯かどうかは分かりませんが、これが全て下流に流れて下って行けば相当な量ですので、水害防止という本来目的を今まさに果たしているのでしょう。万が一と云うのは確かに万に一つなのかもしれませんが、こうして見ていると確かに防災上のリスク回避というのは大切な事なのだと実感した次第。

 現役の噺家さんの高座をTVやCDで聴く中で、是非一度生で聴きたいと思っていたのが、柳家さん喬師匠と柳家権太楼師匠のお二人。
故柳家小さん(五代目)を師匠或いは大師匠に仰ぐ柳家一門。同門で年も近い事もあり、東京では毎年8月に二人会が行われている落語協会の大看板です。
 1973年から続いていると云う「松本落語会」。地方の落語会の草分け的存在として一二を争う程の歴史があり、落語界では有名な存在とか。2年前の「二ツ目の会」に気になっていた柳亭小痴楽さんが来られたので、私メも一度聴きに行きました。そして9月例会に記念の第500回の落語会が開かれ、この10月例会は次代1000回へ向けての再スタートとして「500回突破記念」と銘打たれた第501回の落語会で、ナント「さん喬&権太楼二人会」。これは絶対外してはなりますまい。この松本に居ながらにして、お二人の高座を聴くことが出来るのですから(5年前の落語会40周年の時もお二人は来演されていまいた)。そのため、会場もいつもの瑞松寺(落語会の時は、骨の髄から笑う“髄笑寺”と表されます)では無く、松本中央公民会(Mウィング)の6階ホールでした。

 事前にネット予約をしての10月19日は、朝から生憎の雨降りです。
前回初めて知ったのですが、会社の先輩が松本落語会の世話人をされていて、さすがに元技術者らしくH/P等は全て先輩の作成。先輩曰く、お盆に上野鈴本で聴いた二人会も素晴らしかったとのこと。
公民館に出掛けると、会社の別の大先輩方も来られていてご挨拶。さすがに客層は高齢者中心ではありますが、名人お二人の来演とあって大盛況。椅子席と階段状の座席の会場もほぼ埋まって300人近くはおられたと思います。
先ずは、さん喬師匠の一番若いお弟子さんである柳家やなぎさん(2015年に二ツ目昇進とのこと)の「松竹梅」というおめでたい噺で開演。声に張りがあり明るいのがイイ。
続いて、権太楼師匠の六番弟子柳家さん光さん(同じく2013年昇進)が「悋気の独楽」(りんきのこま)。「権助魚」にも似た、お妾さん通いをする旦那さんの噺。「どうらく息子」で銅ら美も演じていましたが、珍しい噺なのか中央図書館のCDライブラリーにも音源は無く、実際に聴くのは初めてでした。さん光さんイイですね。キャンキャンとした声が女将さんやお妾さんなど女性を演じるのに合っています。とぼけた“与太郎振り”(この噺では定吉ですが)もナカナカ。
そして、前半のトリに権太楼師匠が登場。さすがは“寄席の爆笑王”。本題に入る前の枕で歌まで歌ってくれて、そして大いに笑わせてくれます。枕の最後で「そろそろ落語しましょうか、ネ」と沸かせた上で、演題は「不動坊」。音だけでは分かりませんが、笑顔も勿論なのですが師匠の仕草の可愛いこと・・・。大爆笑でした。イヤ、さすがです。クラシック音楽もですが、落語もやっぱり生に限ります!
 仲入り後は500回突破記念の「口上」。
ステージ上に設えられた舞台に、後援する市の教育長、落語会の会場を提供している瑞松寺の前ご住職(東堂)、松本落語会々長、そして権太楼師匠とさん喬師匠が並ばれます。お二人共、この日はお祝い高座故、黒い紋付の羽織袴での正装。司会はさん光さん。些か緊張気味で、冒頭の出席者の紹介でナント「柳家権太。・・・楼」。すかさず、さん喬師匠から「お前の師匠だろっ!」と突っ込みが・・・。権太楼師匠もそれを受けて「・・・、今日で破門にします」。一気に会場が和みました。それから壇上で順番に口上を述べて、最後さん喬師匠の発声で恒例の三本締め。
 一旦緞帳が下ろされ再び幕が開いて、この日のトリに柳家さん喬師匠が登場。
師匠曰く、二ツ目に成り立ての頃、第4回か5回目の「松本落語会」に小さん師匠のお伴で参加したのが松本へ来た最初だったとか。人間国宝だった故柳家小さん最後の直弟子です。そうした思い出話を枕に、「松本にも昔お殿様がおられましたが、お大名は世継ぎを作るのが大変でして・・・」と本題が始まりました。
 「あっ、これはもしかして・・・妾馬!?」
案の定、そのマサカでありました。
 「あぁ、さん喬師匠の妾馬が生で聴けるとは・・・!」
これまで、「妾馬(八五郎出世)」はCD音源では志ん生、圓生、そして志の輔で聴いています。また「まつぶん新人寄席」で二ツ目柳亭市弥さんが演じられたのが生で聴いた唯一です。
さん喬師匠のしっとりとした話芸。柔らかく穏やかで、しみじみとして品格があります。イイナぁ・・・。今一番(生で)聴きたい噺家さんでした。それが目の前で、しかも妾馬(注)を演じてくれています。随所で笑わせながらホノボノと、妹のお鶴の方に向かって何度も諭します。
 「おめでとう、でも驕るんじゃない、みんなに可愛がってもらうように頑張るんだぞ!」
イイナぁ・・・。八五郎の酔っ払い振りがナントも微笑ましい。妹への愛情溢れて諭す言葉も、何だかフウテンの寅さんを見ている様でした。さん喬師匠の妾馬では、他の噺家さんのそれと異なり、生まれたばかりの赤ちゃんも登場させます。笑わせて、やがてホロリとさせられて・・・“さん喬落語”の真骨頂。
少々時間が押していたので、多少端折った部分もあった様に感じましたが、最後に「八五郎出世の一席でした」でお開きに・・・。
 本当に良かったなぁ・・・。落語界の大看板である柳家権太楼、柳家さん喬両師匠の噺を生で、しかもこの松本で聴くことが出来たのですから。
外に出て見ると朝からの雨はまだ上がっていませんでした。そぼ降る小ぬか雨の中、何だか幸せな気分で「秋雨じゃ、濡れて帰ろう・・・」
【注記】
めかうま。大ネタの一つで、「大工調べ」同様に、通常高座に掛かる時は八五郎がお屋敷に呼ばれた場面の前半だけで終わるため、馬は登場しない。お殿様に気に入られ、八五郎が士分に取り立てられる後半に馬が登場。

 前に何年も探しても地元では見つからなかった作業着用のラガーシャツが通販では即見つかったということをご紹介しましたが(第1188話参照)、今回も同様ですが「質」に関してのお話です。
以前(第1122話参照)、『最近の靴下が昔より弱くなって(履き方や使い方が荒いのか)すぐ穴が開いてしまう』と書いたのですが、例えばユニクロでまとめて購入した冬用の靴下がやはり数回履いたら全て穴が開いてしまったので、久し振りに映画を見に行った際にシネコンに隣接する全国チェーンのスーパーで靴下をまとめて購入しました。
ユニクロには申し訳なかったのですが、ユニクロ同様、イヤそれ以下の弱さで、あろうことか一度洗濯をしたらもう穴が(しかも両足共!)開いてしまいました。

 「おいおい、いくら何でも一度の洗濯で穴が開くかなぁ・・・!?」
と、さすがに唖然とする他はありませんでした。奥さまは相変わらず、
 「アナタは無理やり引っ張って履いたりするからでしょ。履き方が悪い!」
と、メーカーの肩を持ちますが、果たしてそうなのでしょうか(???)。

 先日、何となくネットで「丈夫な靴下」と入れて検索してみました・・・。
すると、チャンとあるではありませんか!!
“安全靴用”とか“作業用”、“つま先&かかと補強”、或いは“超強力、超弾性”などといったキャッチフレーズの付いた靴下がたくさん出品されていて、中には1足千円を超える様な高価格帯から「何足まとめて・・・」という衣料スーパーやユニクロ並みの値段のモノまで選り取り見取り・・・です。
何となく「作業用」というキャッチが目に付いたので、もしかすると地元にある「ワークマン」にもるのでは?7と思い行ってみましたが、ワークマンも衣料スーパー同様の品揃えで、そうした類の頑丈な靴下は見つけることが出来ませんでした。
そこで、やはり通販で購入することとして、送料込みで1足300円程度の「強さヘビー級」という作業用の靴下を選んでみました。配送までに5日程掛かるとのことでしたが、別に急ぐ訳ではないので一向に気になりません。
 そして届いた5足セットの靴下。奥さま曰く、
 「何だか、エラク地味だね・・・」
とのご感想。確かに黒、紺、茶、グレーと暖色や明るい原色はありませんが、飽くまで作業用であり、汚れを目立たなくさせるためにもダーク系中心の配色で当然だと思います。
貼られたシールに「超極厚-その強さヘビー級」とありましたが、最初に触った感じは、イメージ的に昔の足袋の様に何となくゴワゴワしています。でもそれは、キャッチコピーに書かれている通り、「強度のあるしかりした靴下が欲しい」という声に応えるべく「通常の靴下の2倍の太さの糸」を使っているからなのでしょう。むしろ、こちらの要望通りです。そして、実際履いた感触では、そうした“ゴワゴワ感”は全く気になりませんでした。
 そして、これまでの“穴空き”靴下同様に履いた結果は・・・?
履き心地も含めて、大袈裟に言うならば、軟(やわ)な靴下ではなくそれこそ足袋を履いている感じでしょうか。何足かを交互に履いていますが、確かに丈夫!です。これなら、今までの様に簡単に穴は開くまい!・・・そう思わせてくれる丈夫さでした。

 穴が開くことにストレスを感じているユーザーって少ないのでしょうか?「これなら、衣料スーパーや作業着のワークマンで扱っても良いのにな・・・」と感じる程のクオリティーの高さ&コスパの良さでした。
【追記】
決して穴が開かない・・・ということはなかったのですが、しかしこれまでのモノと比べて、やはり糸の太さが倍の効果か、これまでのモノよりは実際にモチが良いと実感しています。

 前回ご紹介した(第1247話)ニンニクの栽培。
先に植えたニンニク2球は27日に発芽しました。9月5日に寒冷地用のホワイト六片を植えたので、日当たりや施肥などの畑の環境で一概には言えませんが、我が家の菜園では3週間程で発芽したことになります。通常植え付け後30日前後で発芽すると云われますので、通常より少し早目の発芽でした。30日後で12片、35日後には15片が発芽していますので、発芽率は優に90%を超えています。

また、場所を変えてハーブガーデンに植えた残りの1球はこの三連休の10月8日に3片が先ず芽を出し、その後8片全てが発芽しました。
 ニンニクは中央アジア原産で、古代エジプトで既に栽培されていたと云われる程、古くから人間に利用されて来た野菜です。どちらかと云うと植えっ放しに近く育てやすいそうですので、発芽した全ての芽が冬を超えて収穫する春までにちゃんと球を結ぶかどうか分かりませんが、追肥等をしながら春まで見守ろうと思います。
春先になると花芽が出るので、球(鱗茎)を大きく成長させるために董が立たない様に摘み取る必要があるそうですが、お馴染の“ニンニクの茎”として中華料理の食材にもなります。

 以前から行ってみたかった白馬八方池。唐松岳の四方八方に拡がる尾根から“八方尾根”と名付けられたアルペンリゾートにして、長野オリンピックでの滑降コースでもあります。その中腹に横たわる八方池は、湖面に映る白馬三山の雄姿が印象的な、北アルプスを代表する山岳風景でもあります。本来なら登山でしか見ることが出来ない景観ですが、ゴンドラやリフトを乗り継いで、トレッキング気分で八方池までは行くことが出来ることから、近年人気の観光コースでもあります。

 天候不順でスッキリとした快晴が見込めそうもないことから、快晴を待っていると紅葉シーズンも過ぎてしまいそうなので、色々予定もある中でのピンポイントで、午後から晴れ予報だったことから10月3日に行って見ることにしました。
8時半に自宅を出発し、白馬には10時頃到着。昔に比べると随分近くなりました。八方インフォメーションセンターで前売り券を購入すると、兎平(別名“ピョンピョン平”)までのゴンドラとリフトの往復券が通常2900円から2610円に割引になります。ゴンドラの八方駅まで徒歩10分弱とのことから、駐車場も無料でしたので、車はそこに停めて歩いて行くことにしました。
 「上は今霧が巻いていますが、午後からは晴れ予報です。私達も霧が晴れるように祈ってます。上は寒いので気をつけて!」
と、インフォメ受付のスタッフの方から見送られていざ出発。途中、同好の士は誰もいませんでした。
八方のゴンドラリフト「アダム」。ちょうど2年前に行った栂池自然園のゴンドラリフト「イブ」と対になっています。係員の方から、
 「上はとても寒いですよ。風もあるので気をつけて下さいヨ!」
との念押しが・・・。我々も、事前に「山の天気予報」で八方の標高2000mでの気温予想2℃を確認済みでしたので、一応それなりのトレッキング用の服装をして来ました。でも・・・、
 「・・・大丈夫かなぁ・・・」
兎平でアダムを降りて、その後リフトを2本乗り継いで、標高1830mの八方池山荘へ。囲われたゴンドラから、吹き晒しのスキーリフトに乗り換えるとその寒いこと・・・。しかも霧に巻かれて何も見えません・・・・。
 「帰ろうか・・・?」
弱音も出ますが、途中で帰ると次回この往復券は無駄になってしまいます。
 「ま、上まで行ってみますか!?・・・」
唐松から白馬岳への縦走か、重装備の登山者の方々がおられます。我々も八方池山荘から唐松岳への登山道へ。山荘から八方池までの距離は1.5kmで、標高差230mです。
暫く石畳の道が続きますが、霧に巻かれて視界も利かず全く見えません。霧で濡れて石も滑り易いので、一歩ずつ注意しながらゆっくり進みます。途中から木道へ。昨年行った白駒池から丸山経由の北八のトレッキングコースの木道は、朽ちかけたりグラついていたりしていましたが、さすがは人気の北アルプス。しっかりと整備されていて、すれ違いも容易なように右左両側に分かれています(山では左側通行が基本です)。
第2ケルン手前のウッドテーブルで一休み。すると空が明るくなり、霧も次第に晴れて来ました。これは期待できるかも・・・と思うとまたガスに巻かれたりの繰り返し・・・。
登山ルートとしても勿論ですがトレッキングとしても手軽に本格的な山岳風景が味わえる人気コースなので、途中我々よりも軽装で歩かれている方々もおられますし、平日だったこともあってか我々よりも年配の方々の多いこと。お馴染のクラブツーリズムのワッペンを付けたグループの方々も。途中下って来られる方から、
 「八方池からは山が見えましたヨ!」
との嬉しい情報も教えていただきました。
中間地点の標高2005mの第2ケルンを過ぎ、尾根沿いに2035mの八方ケルンを経て本日の最高地点2080mの第3ケルンへ向かいます。残念ながら五竜や鹿島槍は雲の中。すると、頂上こそ望めませんが、八方池越しに唐松岳から不帰ノ嶮がその山肌を見せてくれていました。白馬三山もその頂きは望むことは出来ませんでしたが、山肌も赤や黄色に彩られていて、ちょうど紅葉の見頃。
 「いやぁ、絶景だぁ!」
皆さん、池の周りのベンチに腰掛け思い思いに休憩中。我々もベンチに座って朝早く奥さまの作ったオニギリのお弁当。雄大な景色を見ながら、山の上で食べるお弁当は最高です。
 冒頭のパンフレットの表紙の様にスカッと快晴・・・とはいきませんでしたが、池越しに紅葉に染まる雄大な山容を見ることが出来ましたので、登って来て正解でした。途中で日が差したこともあり、歩いている時はむしろ暖かく感じましたが、むしろ吹きっ晒しのリフトに乗っている時の寒かったこと。
八方池は(リフト終点からの)距離が1.5kmと短い事もあり、コースとしては北八や入笠の方が遥かにタフ。
しかし、八方池山荘から第3ケルンのある八方池周辺までのこのコースは、本来森林限界を超える2500m以上のでないと見ることが出来ないハイマツ帯が続くこともあって、北アルプスを間近に臨む山岳気分を手軽に味わうことが出来るコースです。これは、この辺りまでは水分吸収能力を低下させるというマグネシウムや鉄分が多く含まれる蛇紋岩の地層が続くために低木のハイマツの方が繁殖し易いのだそうで、それを超えると蛇紋岩から花崗岩の地層に代わるため、ハイマツ帯の上にダケカンバの林が現れるという珍しい植生の逆転現象が見られるのだそうです。
 秋の紅葉も良いのですが、高山植物を愛でながらの夏山トレッキングも良さそうです。今度は、天候を見ながら、快晴の日に白馬三山を見にまた来たいと思います。

 夏野菜が終わり、秋向けの大根とまだ元気に花を咲かせるオクラとケール以外はさすがに葉も枯れて来たので、もう収穫終了。キュウリもトマトもたくさん収穫できましたが、日当たりが悪かったのか、ナスは大失敗でした。来年は、連作障害を避けるためもありますが、植える場所を考えないといけません。大根は一般的な青首ではなく、所謂“固ダイコ”と地元で呼ぶ信州地大根と、自宅で古城蕎麦を辛いオロシソバで食すべく、試しに植えて見た「ネズミ大根」(但し“門外不出”の坂城町のネズミ大根とは別種)です。

 そして収穫の終わったキュウリやトマト、一本ネギのスペースは、冬に耕運機で起こすまでそのまま放っておこうと思いましたが、奥さまからのリクエストで冬用野菜を植えることにしました。我が家ではもう樽やぬか床での漬け物は漬けないので野沢菜では無く、野菜の少ない冬の時期に、あれば便利な小松菜と冬スーパーに並ぶといつも購入していた好物の“寒縮み”ホウレンソウ、更には鍋用に春菊の3種類を選択。春菊は防虫効果もあるのでコンパニオンプランツにもなります。因みに、ホウレンソウは「寒ちぢみホウレンソウ」という個別の種類があるのではなく、ホウレンソウは寒くなると凍らない様に体内の水分を減らすために、結果として糖度が高まるため食べると甘くなるのです。
 先ずは収穫の終わったトウモロコシの畝から耕運機で耕し、苦土石灰や有機肥料を蒔いて二週間ほど土と馴染ませて、9月19日に畝を三等分してそれぞれ播種。すると、小松菜、春菊、ホウレンソウの順番で芽が出始め、ほぼ一週間後の27日には生え揃いました。一番面白かったのはホウレンソウ。ユリの様な細い子葉が出て来ました。多少切り込みはありますが、丸い見慣れたホウレンソウの葉とは思えません。葉先にはピンク色の種子の殻が付いています。
 あの見慣れた本葉は10月上旬になって出て来ました。漸くホウレンソウらしくなりました。春菊も丸い子葉から、あの切れ込みの入ったお馴染のシュンギクの本葉が出芽しています。春菊は霜に弱いそうですので、信州での地植えは冬までは持ちませんが、ホウレンソウは霜が降りてからが甘くなる“寒縮み”の季節。種はたくさんあるので、もう一畝種を播いて育てて見ようと思います。

 9月21日にイオンモール松本がグランドオープンを迎えました。
場所は、旧カタクラモール。旧制松本高校の「あがたの森」にも近く、駅から東にちょうど1km。全国のイオンモールの中ではむしろ小さな方で、最大規模のイオンモールは松本の4倍とか。しかし、長野県下では最大規模となるショッピング・モールなのだそうです。
確かに、次女が成田空港勤務の時に住んでいた成田では、成田市そのものは人口13万人ほどで松本よりも小さくて駅周辺にはスーパーも無いのですが、唯一のショッピングモールである郊外の成田イオンモールは松本よりも大規模でした。そして何でも揃い、京成成田駅からはシャトルバスが頻繁に発着していました。しかしイオンモールの中ではこの松本は小規模でも(郊外の南松本にも以前からイオンがありますし)、松本の様に、郊外では無く市街地にオープンする大型のショッピングモールは最近では全国的にも珍しいのだとか。

 OMFや山雅で盛り上がり、またクラフトフェアやそば祭りなどのイベントでも全国から人が集まる松本ですが、駅前のアリオや東急インも閉店するなど(ヨーカドーの駅前からの撤退はイオン開店の影響にせよ)商業的には些か盛り上がりに欠ける中でのイオンモールのオープンは、“商都松本”としては久々に明るい話題なのでしょう。

 オープン前から交通渋滞が懸念(報道)された中で、9月21日のグランドオープン前に、市内の近隣の住宅街だけにチラシを投げ込んでのプレオープンとして、“ソフトオープン”が17日から行われました。
このネット社会故、近隣だけでの集客という試みの効果も殆ど無く、結構遠方からも客が詰め掛け、初日は駐車場は数10分の順番待ちだったとか。
 奥さまが、モール内にオープンする最近流行りの“ホットヨガ”のお試しコースを申し込んだので、事前に場所を確認しておきたいとのこと。
そこで、グランドオープン前の平日夕刻なら然程混んではいないだろうと、“偵察”に行って見ることにしました。案の定すぐ駐車も出来、一番大きな「晴庭」から「空庭」、「風庭」へとコンセプトの異なる3棟の建物エリアを歩きます。
ファッションなどのテナントには個人的には余り興味は無いのですが、県内初出店となる飲食店等には興味津々。また数年前にクローズしてしまったエンギザを最後に、松本の街中からは消えた“映画館”でしたが、イオンモールにはシネコンも併設されており、南松本や郊外の山形村まで行かずとも近くに映画館が出来たのは嬉しい限りですし、同様にKFCやリンガーハットも近くに出展してくれたのは有難い(そう云えば、ドトールも松本に再出店)。
新規出店では、十勝の豚丼の店や最近流行りのローストビーフ丼、炙り牛タンの店など。そうした中で、県下初出店と言う「いきなりステーキ」や新潟上越の寿司屋さんなども楽しみです。
我々が行ったのは夕刻5時頃でしたが、時間制限での食べ放題という、セルフでの串揚げビュッフェやステーキの店は既に行列でした。
県下初出店の店など色々あった中で、個人的に一番楽しみだったのは、大田区(しかも蒲田駅前だとか)の人気店と云う「フルバリ」というインド料理店。松本には本格的な北インド料理店が無い(=“南”に非ず、ネパールやスリランカでもなく)のですが、こちらはナンやタンドーリにサモサもあったので、正統派の北インド料理だと思われます。この店はグランドオープの21日からの営業開始とのことで、この日はまだインド人と思しき方も含めスタッフの皆さんが忙しく開店の準備中でした。大いに楽しみ。
 またカジュアルなフードコートもあって、こちらにはKFCなどが出店。
奥さまがフードコート内にあったベトナム料理のフォーが食べたいと言うので、早めの夕飯を食べて行くことにして、私メは同じくフードコート内でメニューに生ビールがあった(2店舗くらいしかメニューにありませんでした)リンガーハットをチョイス。次女の住む糀谷で食べて以来久し振りです。
奥さま曰く、フォーのスープが牛ではなく鶏ガラだったとか。私メの久し振りの皿うどんは、テンホウよりも塩分が少なく優しい味付けでした。リンガーハットは(ちゃんぽん、餃子も含め)全て国産材料使用に切り替えてから(そのために値上げしたにも拘わらず、結果として)業績を伸ばしていますが、もしかすると(値段も少し高いのですが)麺の量もリンガーハットの方が多いかもしれません(テンホウでは麺の量ダブルの大盛を食べますが、こちらの麺の量ダブルの大盛は、見た感じ、私メは食べられそうもありませんでしたから・・・)。

 グランドオープン初日は、平日なのに4千人が列を作ったとか。しかし、心配された車の渋滞は予想以下だったとのこと。但し、グランドオープン後の初週末は2300台という駐車場は満車で道路に溢れた車列が200mとなり、駐車までは2時間待ちだったとのこと。イヤハヤ・・・。
しかし、信州≒“進取の精神”故の“新し物好き”かもしれませんが、まぁ暫くすれば落ち着くことでしょう。そうしたら、インド料理を食べに行こうと思います。
 ところが、まだオープンして間もない9月30日。奥さまが食料品の買い出しで、最初の“お客様感謝デー”に行きたいとの仰せ。しかもオープン後二度目の週末土曜日と重なりましたので混雑が予想されましたので、食料品の「イオンスタイル」だけは9時開店とのことで、他が開店する10時前なら多少は良かろうと、開店時間に合わせて行くと、拍子抜けするほどまだ駐車場はガラガラで、スンナリと停めることができました。開店時には駐車場側入り口に50人ほどの行列。皆さん何かお目当ての先着何名かのプレゼントがベーカリーであるようでダッシュで並んでしましたが、我々は食料品売り場へ直行。
買い出しが終わるとちょうどモール全体の開店時間である10時頃だったので、この時間になるとさすがにモール内は混雑しています。奥さまはスタバで休憩したいとのこと。そこで私メは、前回のインド料理店を覗いて来ることにしました。
レストランフロアでは、開店したばかりだというのに「いきなりステーキ」は既に大行列(はぁ~、朝から“いきなり”ステーキですか?皆さん、凄いですね・・・)。また串揚げビュッフェの店も行列が出来始めていました。インド料理店はまだお客様は皆無でしたが、
 「今度、平日にでも一人で食べに来よう!っと・・・。」

 恒例となったキッセイ文化ホール(県文)での「まつぶん新人寄席」。“あしたは真打”と題して二ツ目さんが毎回二人登場します。
9月23日開催の第18回となる今回は、柳家花禄一門から柳家花ん謝と圭花のお二人が高座に上がられます。しかも柳家圭花さんは地元の大町市出身で、高校時代(予備校時代も含め4年間とのこと)は毎日松本に通っていたとか。昨年の5月に二ツ目に昇進されたばかりで、地元出身らしく、当日は200人超という盛況ぶりでした

 先ずはベテラン二ツ目の花ん謝さんがお馴染の「長短」で会場を温め、続いて圭花さんの「樟脳玉」。江戸時代に樟脳を丸めて“長太郎玉”と呼ばれたという子供のオモチャは、何でも火を着けて掌で転がしても熱くないのだとか。これを使って、天井裏から吊るして人魂に見せかけて女将さんを亡くしたばかりの同じ長屋の住人を脅し、カミさんが成仏するようにお寺に金品を納める様に仕向けてそれを横取りをしようとする噺。何となく「不動坊」にも似ていますが、初めて聞く噺でした。
前座噺で兄弟子の花ん謝さんが煽ったこともありますが、親類縁者の皆さんか、圭花さんが登場すると掛け声も掛かり、ご本人も緊張もされて、固い感じが聴く側にも伝わって来るような高座でした。

 「仲入り」の後は、圭花さんの「本膳」。これも初めて聞く噺でしたが、滑稽噺の「茶の湯」にも似て、村長の娘さんへの婚礼祝いを贈った礼にと村長から会席の場に呼ばれた村人たちが、本膳の作法礼式が分からないので同席する村内唯一の博識の先生に相談した結果、その所作、一挙手一投足を全て真似るという噺。この高座では圭花さんも緊張がほぐれたのか、ズーズー弁の様な訛り方など、とても良い味を出して客席も大いに盛り上がりました。
 今回のトリは花ん謝さんの「竹の水仙」。前半のストーリーが似ているので「抜け雀」かと思いましたが、旅籠の亭主が一文無しで大酒のみの客から宿代代わりに用意するように命じられるのが筆ではなく大工道具だったので、
 「ははぁ、左甚五郎ですか・・・」
「抜け雀」を聴いたのは柳家さん喬師匠のCDでしたが、「竹の水仙」は柳家小さん師匠のCD。言わずと知れた人間国宝にして花禄師匠の祖父であり、さん喬師匠は小さん師匠の最後の直弟子。
そう云えば、「長短」も中央図書館から借りた小さん師匠のCD撰集の中にありましたが、「長短」、「本膳」、そして「竹の水仙」も大師匠である柳家小さん一門の得意ネタだそうですので、さすがは花禄一門の兄弟弟子である柳家花ん謝、圭花お二人の高座です。
トリに掛けた「竹の水仙」は爆笑ネタではなく、かといってコテコテの人情噺でもなく、恐らく演じ聴かせるのは難しいネタだろうと思うのですが、花ん謝さんは颯爽と演じれていました。二ツ目になって丸10年だそうですから、そろそろ真打昇進の声が掛かってもおかしくないのだろうと思います。
この「まつぶん新人寄席」は、いつも通りの県文「国際会議室」に高座を設えて200席のパイプ椅子を並べた会場で結構広いのですが、柳家花禄一門のお二人共マイクが要らないほど声が大きく張りがあって実に聞き易い。そう云えば「どうらく息子」で、師匠の銅楽が入門した銅ら壱に初稽古をつける際に、腹式呼吸の出来ていた銅ら壱の発声に驚き褒める件がありましたが、噺家にとっては「声が大きくて(通って)聴き易い」というのはとても大事なことなのでしょう。

 プロ野球でも、一軍の試合より二軍戦の方が面白いと感ずるのと同様、下積みに堪えてやがて花開くであろう明日のスターを(人より先に)見つけるべく、二ツ目さんだけが上がる高座を見るのも、それはそれで大変楽しい気がしますし(その意味で、個人的に今一番期待しているのは柳亭小痴楽さん!前回来られた入船亭小辰さんも良かったナぁ。お姉様が松本に嫁いでおられるそうだし・・・)、この信州の片田舎で定期的に開催していただけるのも本当に有難い気がしています。
 次回年明けの2月に開催される第19回は春風亭一門だそうです。楽しみ、楽しみ・・・。