カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 京都を散策したり、食事に行ったりした時に思いがけず出合った我が懐かしの京都。

新京極の四条寄りにある「京極スタンド」へ行く途中、三条から歩いて行ったのですが、途中入口にあった「十字屋」。学生時代、廉価版中心でしたが、いつもレコードを買いに行っていた楽器店で、楽譜やレコードを扱っていました。現在の称号はJEUJIAに変っていましたが、懐かしいですね。店の正面には、カラヤンの指揮姿の写真が飾られていました。これは、ドイツ・グラムフォンのモノクロの陰影の深さが印象的だったクラシック演奏家のカレンダー(年末に何枚かレコードを購入するともらえました)にもしばしば使われていたカラヤンの代表的な肖像写真です。懐かしいなぁ・・・。
そして、帰りは寺町を通って帰りました。途中、“京都の台所”錦市場(もう夜遅かったので、残念ながら店は閉まっていました)に入る辺りにある錦天満宮の石の鳥居。良くTVでも紹介されますが、両側の商店の壁に鳥居が食い込んでいる様に見えます。
 河原町今出川の「出町輸入食品」。最初の下宿で、同志社の先輩から教えてもらった珈琲ドリップ。自分でもドリップをするようになり、豆を買っていた(例えばブルマン・ブレンドが他よりも随分安く買えました)のがこの「出町輸入食品」でした。卒業してから40年ですが、
「あぁ、あの頃と同じ場所、同じ建物で、まだちゃんとしっかり営業してたんだ!」
と、実に感慨深いものがありました。実際は、会社も発展したようで、暫く歩くともっと大きな販売店舗があり、従業員の方々が何人も働いていて、あの懐かしい焙煎する芳しい香りが漂っていて、一瞬40年前にタイムスリップした様でした(旧店舗はどうやら倉庫か何かに使われているようです)。
そして、バス停の府立病院前。以前は「広小路」。既に立命館の広小路学舎はありませんが、府立医科大に当時の懐かしい建物が残っていました。
 三条から河原町を通学で通った市電。今はもう廃止されて走ってはいませんが、懐かしいですね。もし残っていたら次世代型のライトレールになっていたでしょうか?古都に似合っていたかもしれませんね。
そう云えば、京都人の友達に教えてもらった通りの名前の数え唄・・・“♪ まる たけ えびす に おし おいけ~、 あね さん ろっかく たこ にしき ~、し あや ぶっ たか まつ まん ご~じょう ”。これは東西の通り名ですが、(本来の)お上りさんにとっては大変分かり易かった記憶があります。通りの名前を確認しては「あっ、なるほど!」と納得したものです。
今回も丸太町から南方向へ歩きながら、
 「そうだ、押小路から下がるから次が御池だ!」
などと、何となく昔の感覚(≒たったの4年間とはいえ、京の都に住んだ人間としてのプライド)が少しだけ蘇って来た様な気がしました。
 これで、お昼には今ならにしん蕎麦か夏だったら冷麺。そして夕飯には、当時お世話になった河原町三条の「王将」でジンギスカンかエンザーキ定食でも食べれば完璧に“我が青春の京都”・・・でしょうか。

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