カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 京都に行ったために今年は参加出来なかった“松本歴史ウォーク”の代わりに、タウンペーパーに案内があって参加した“中山史跡ウォーキング2017”。先月末の11月25日に行われました。

 この中山地区は、平安時代「延喜式」によれば、官営牧場(勅旨牧)32ヶ所中、信濃国には半数の16牧が置かれたとされ、この中山の埴原牧に全体を統括する役所「牧監庁」があり、また7世紀を中心とする円墳の古墳群80余基が点在するなど、松本平では早くから開けた場所とされています。その地域の史跡を巡りながら歩くのがこの“史跡ウォーク”で、距離は7km程度と長くはありませんが、ポイントの史跡で地元の方からの解説を聞きながら歩くと云う歴史好きには興味深い内容でしたので参加することにした次第。
主催は地元の地域づくりセンターで定員50名とのことでしたが、当日集合場所の中山公民会には30名程度の皆さんが集まっておられました。我々の様な中高年層が中心です。
 朝8:30分に受付をして、最初に主催者からの挨拶や注意事項の説明、準備体操をしてから9時にスタート。松本歴史ウォークなどと違い、途中ポイント毎に市教育委員会のOBの先生や地元の方々からその史跡の説明を伺いながら、参加者全員がゆっくりと縦列になって一緒に歩を進めます。
 最初は、市営の中山霊園内にある中山15号古墳(鍬形原古墳)。直径20mの円墳で、古墳群の中で最も状態が良く保存されています。中山古墳群の中には、市の予算の関係や緊急性/重要度などからまだ発掘されていない古墳もあり、おそらく未発見の古墳もあるだろうとのこと。また中山地区には古代の住居跡が見つからないことから、松本平に点在していたムラの有力者が(中山地区の高台から自分の集落を見守るかのように)眠る墓が古墳群として集合しているのではないかとのこと。その意味で、今市の霊園が置かれるのにも相応しい場所なのでしょう。
 続いて、古代の砦だったらしいという鍬形原砦跡に向かいました。以前の発掘調査では深いV字型の空堀跡が見つかっており、近くの大型の山城「埴原城」の見張り番所だったかもしれないとのこと。
 そして、中山霊園の最上部付近から中山北尾根の遊歩道を通って、尾根の先端部分にある弘法山古墳に向かいました。
この北尾根。僅か2㎞とはいえ、緩やかな下り道では無くて結構なアップダウンがあり、市街地からほど近いこの場所にこんな本格的なトレッキングコースがあったとはビックリしました。
 東日本最古級とされる前方後方墳である弘法山古墳。松本平が一望に臨める高台にあり、3世紀末に松本地方を治めていた首長が、自分の国を見下ろすこの地に葬られているとされています。その後の発掘調査による研究では、前方後方分墳は濃尾平野がその中心として考えられることから、狗奴国との関連が考えられるとのことでした。
そこから、弘法山の下にある「泉小太郎」の像(この地を流れる和泉川に由来するとの地元に伝わるそうです。同種の民話はそこらじゅうにありますが・・・)から、地元の溜池である生姜池(松本藩から諏訪高島藩へ藩領が移された際に、これまでの様に松本藩から用水を取水出来なくなったために造られた農業用水とのこと)などを通って地区のセンターで昼休憩。そこで地元の愛好団体の方々が休耕田を利用して育てている蕎麦で打った本格的な新そばを昼食にいただきました。
 休憩の後、午後は保福寺(ほうふくじ)へ。中山でも上和泉地区はかなりの高台にありますが、保福寺はその更に上の山の麓。急坂を上って行きます。臨済宗妙心寺派のお寺さんだそうです。旧四賀村の保福寺は字が同じですが「ほふくじ」で曹洞宗の寺。本堂で気さくなご住職から由緒等のお話を伺いました。境内には二代目と云われる「重玉の松」(「ちゅうぎょく」の松。「しげたま」と記載されている記事が多いが命名者自身の記載が残されているそうです)や武田信玄に追われた信濃国守護小笠原長時の妻女の墓お墓があります。 ここが最後のポイントで、坂を下ってスタート地点の中山公民館へ戻りゴール。
 隣接する市立考古館がこのウォークの共催なので、参加者は今回無料で見学出来るとのことから、終了後考古館に立ち寄り、一緒にウォーキングに参加された館長さんと学芸員の方から展示品の解説を直接伺うことが出来、一度は来たかった考古館だったので、望外の感激でした。
 “中山史跡ウォーク”。今回で7回目だそうですが、「霊園だけではない」中山地区を知ってもらうために、今回初めて地元以外の市民にも参加を呼び掛けたのだそうです。
設定されたスポットを回りながら20km近いコースを歩く松本歴史ウォークや梓川ウォークと異なり、ウォークラリーとしては7kmと短く、またとてもゆっくりとしたペースで参加者が一緒に歩きますが、ポイントポイントで歴史的な説明が聞けるので、ただ黙々と歩くよりも(氷雨の中の梓川ウォーク18㎞は辛かった)個人的にはむしろ楽しめました。
考古館長さん曰く、「埴原城など、他にも中山地区には面白い所がありますよ」
とのこと。今回とは違う歴史スポットを廻るようであれば、また是非参加したいと思います。

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