カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 日本列島を襲った12日から13日にかけての大型台風19号により、長野県内でも大きく報道された長野市内など数ヶ所で千曲川の堤防決壊に拠る氾濫や越水などにより、住宅地や農地が広範囲にわたり冠水するなどして大きな被害が出ています。
また、長野市以外でも土砂崩れや倒木などにより、道路や線路が寸断されて通行止めになったり停電するなど、県内各地に大きな被害をもたらしました。まだ被害の全容は把握されていませんが、これまでの局地的な地震や噴火はともかく、台風により同じ長野県内や身近でこれ程の大きな被害が発生したことに、他人ごとではないと大きなショックを受けています。
松本では終日雨は降り続いたものの幸い洪水などの被害はなく、また思いの外風も強くなかったので果樹などの農作物にも被害は殆ど無く、TVで災害発生を知るまでまさか同じ県内でそんな被害が出ているとは予想だにせず、むしろ夜間は台風進路に当たっていた横浜や東京にいる娘たちの状況を家内と心配していました。

 14日、家内がどうしても娘たちの所に上京しなければいけない用事があったのですが、中央線は大月~高尾間の土砂崩れで線路が埋まり、全ての特急が運休。高速バスも八王子JCTで崩れた土砂が道路を塞ぎ通行止めで、上京する術無し。一方、北陸新幹線は千曲川の決壊で車両基地が冠水し、間引き運転で長野~東京間のみ一時間に一本程度運転するとのこと。但し、篠ノ井線が明科以北で線路付近の土がえぐられて不通。しかし、高速道路の長野道が14日には通行止めが解除されていて通行可。そこで、新幹線は上田からも乗れますが、始発の長野の方が良かろうと車で家内を長野まで送って行って、長野から新幹線で上京することにしました(三才山峠は土砂崩れによる全面通行止めで、結果的に松本から上田へは行けませんでした)。
列車の運行ダイヤがJR東日本のH/Pでも分からないため、念のため早朝6時半過ぎに家を出て長野駅に向かいました。

 姨捨SA付近まで来ると、鉄道の「日本三大車窓」に数えられる通り、眼下に千曲川が善光寺平を流れるのが望めるのですが、河川敷の殆どが水が流れる川になっているのが遠目からでも見て取れ、声も出ません。更埴JCTを過ぎ、松代SA付近で千曲川に沿って走るのですが、水は引いたものの河川敷は水浸しです。
 高速を長野ICで降り、川中島を経由して長野市街地へ向かいますが、千曲川を渡る橋から見える河川敷の流されて来た流木やゴミが河川敷を覆いつくしている様子に息を飲みます。確かこの辺りは河川敷が畑として利用されてい、長芋などの畑が一面に整然と広がっていたように記憶していますが、全くその跡形もなく全て泥に覆われていました。
この辺りの千曲川は決壊してはいませんので、河川敷内に水がついただけだと思いますが、それでもこの惨状ですので、決壊し氾濫した地域は如何ほどかと想像すら出来ません。
昔、岡谷川岸の土砂崩れで応援に行った時に、土石流の凄まじさを体感しましたが、
 『信濃なる 千曲の川の細石(さざれいし)も 君し踏みてば玉と拾はむ 』
と、普段は万葉の時代にも歌に詠まれた程の優しい川が、ひとたび牙を剥いた時の洪水の恐ろしさをまざまざと思い知らされた様に思いました。
 ほぼ一時間、7:45に長野駅東口の市営駐車場に到着。
新幹線乗り場は東京方面へ向かう乗客でごった返していて、ローカルTV局のクルーも何組か来て取材していましたが、やはり一時間に一本程度の間引き運転。でも、8:24発のあさまに十分間に合う時間。グリーン以外は全て自由席で、駅ネットで予約済みのチケットを発券してすぐにホームへ向かったところ、ホームも既に長蛇の列だったようですが、幸いにも座れたようで一安心。
 こちらも帰路は焦らずゆっくりと運転し、途中姨捨SAに立ち寄り、千曲川の様子を撮影しましたが、見えませんがこの先で氾濫しているかと思うと、涙が流れて来そうで本当に辛くなります。
姨捨SAに「東部方面隊 災害派遣車両」と書かれた自衛隊車両が数台停車しており、高速道路でも自衛隊車両が何台も隊列を組んで走行していましたし、また川中島古古戦場付近の上空では、松本駐屯地から飛んで来たのか、今日も被災地に救助に向かうであろうシングルローターの自衛隊ヘリが一機上空を飛行して行きました。地元の松本駐屯地だけではなく、恐らくは東日本中心に各地から出動されて来られたであろう、任務とはいえ危険と隣り合うような大変な作業に向かう隊員の皆さんに心から感謝し、また作業の無事を祈りました(そう云えば、嘗て「自衛隊は暴力装置!」と罵った、時の政権の官房長官もおられましたが、既に鬼籍・・・)
 人種や民族間の争いを避けて、我々の祖先が辿り着いた極東の平和な島国は、一方で地震、噴火、台風と、様々な災害に見舞われる列島でした。しかし、自然を恐れつつも八百万(やおよろず)の神と崇め共存し、都度それに耐えて立ち向かい、辛さを皆で乗り越えて来た歴史があります。だから、今回も、
 『「ずく」出して、みんなで頑張るずら!!』
【注記】
緊急事態につき、「ナナとコユキのプチ旅」は一旦中断しました。
それにしても、W杯の試合中止後に釜石に残って「ラグビーよりも、大事なことがある」と、被災地のボランティア活動をされていたカナダチームには本当に感謝し頭が下がりました!!!そう云えば、東日本大震災後も、中には帰国を促す大使館や本国からの指示に従わずに、被災した釜石でボランティア活動を続けていたのも地元釜石シーウェイブスのラガーマンたちでした・・・。
  “One for all. All for one.”
【追記】
昨夕、家内は北陸新幹線の長野経由で、篠ノ井線が全線復旧したため、長野発名古屋行の特急しなので戻って来ました。しなのの自由席は一杯だった由。松本駅に迎えに行くと、張り紙やアナウンス(日本語以外でも)が繰り返しされていて、中央線は高尾~大月間の2ヶ所で線路内への土砂流入により普通になっていて、運転再開は10月末の見込みとのこと。当分、あずさ(かいじも)は動きそうもありません。中央道も復旧に1週間くらいは掛かりそうとのことで、松本から東京へは当面長野経由の北陸新幹線のみ。松本は、まだ行けるから良いですが、山梨県は(松本まで来ればともかく)完全に孤立していますので、復旧するまで物流等は大変です。

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