カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年の追加指定も含め、昨年国指定史跡となった小笠原氏城跡。その指定記念事業として松本市の教育委員会が開催した二つのイベントに参加してきました。

 室町時代に信濃国守護に任じられた小笠原氏。武田信玄に追われ、上杉謙信を頼りその後流浪の身となりながらも松本藩主として復活。大坂の陣で武功を挙げて最後は北九州の小倉城主として“栄転”し、明治維新まで大名家として生き永らえただけでなく、小笠原流として武術や礼法までにその名を遺す名族でもあります(伝説的には小笠原諸島発見も)。
戦国時代を経て江戸時代に至るまで、大名家として最後まで続いた室町時代の守護大名の系譜を引く家は、佐竹(秋田)、京極(丸亀)、島津、宗(対馬)と小笠原の僅か五家にしか過ぎないのですから、これはこれで凄いことでもあります。途中、武田信玄に塩尻峠で負け、その後攻め込まれてこの林城を捨てて退散するなど、些か情けないところもあるのですが(江戸時代は仙石氏が藩主だったのに、ずっと真田氏を慕う上田に比べ、松本の藩祖というべき小笠原氏は松本を捨てて逃げて行ったためか、松本ではあまり人気が無い気もしますが?・・・)、大坂夏の陣に出陣し武功を挙げて認められ、その後明治維新まで続く小笠原氏の“栄転”につながります。
その小笠原氏が守護職から戦国大名まで治めていた信濃国の国府である深志(府中或いは信府)で、彼らの館であった井川城と戦国時代を迎えての居城としての林城(大城、小城)の城跡群が、昨年から今年に掛けて揃って国指定史跡に登録されました。因みに松本市内の国指定史跡は松本城、弘法山古墳に次いで小笠原氏城跡が三つ目。松本では開智学校の国宝指定で沸いていますが(確かにこんな田舎に隣接して二つの国宝建築があるのは凄いことですが)、全国にたった12の現存天守で、その内6つしかない国宝の天守閣を持つ平城の松本城だけではなく、山城の林城の二つも国指定史跡のお城がある松本という街は客観的に(城好きにとっては?)凄い所だと思います。
 その国指定となった記念事業の一環として行われたのが、10月26日に山城の林城址を実際に歩いて登り、その山城の縄張りを現地で見学しながら、最後は主郭(本丸)跡での専門家の解説を聴くという現地講座。
小笠原氏が居城を構えた林城址は大城と小城からなり、以前松本歴史ウォークで館(城下町)があったとされる大嵜埼(おおつき)地区の登山口から急坂を上り、金華橋へ尾根を下ってきたことがありますが、今回は金華橋から尾根沿いに残る山城の掘割などの遺構を確認しながらの“登山”となります。

 当日は、金華橋の袂にある林大城への登り口が集合場所。
前日はかなりの雨が降ったのでぬかるんでいるかもしれず、薄川沿いに駐車スペースに車を停めて、山道で滑らない様にと登山靴を履いて向かいました。市教育委員会の担当の方に受付をして、待つこと暫し。やはり中高年の方が多かったのですが、城好きの方が50人程集まり、全体説明の後、順番に登って行きます。途中のポイントポイント毎に係りの方からの現地説明を聞きながら歩を進めます。
戦国時代になって、小笠原氏もこの二つの尾根に大城と小城を構え、その谷合(大嵜埼地区)に館(林山腰遺跡)を建てて城下町を形成していました。金華山の尾根伝いに林城の縄張り(城の設計図)が現れてきます。林城の大城は標高差200m。全長1㎞近い尾根筋に、大きなV字型の堀切や三日月状の無数の平場、土を積み上げた土塁(土手)、急な壁のような切岸など、群雄割拠の戦国乱世を迎え、平地の井川館から移り、防御のための築かれた山城です(武田信玄に攻め込まれてこの林城は自落し、戦わずして退散)。
 今回の講師の中井均先生(滋賀県立大学教授城。我が国の中世城郭研究の権威)に拠れば、ジャンルとして見ると、近世城郭の天守閣は建築だが中世城郭の山城は土木なのだとか。どの様な意図を以って土木工事を進めたのかが山城の縄張りであって、今も残る土木工事の後を見ると、その狙いが手に取るように読み取れるのだとか。
そして、近代城跡の二の丸と本丸風の、土塁に囲まれた広い副郭、主郭という平場。主郭は幅23mで長さ60mの大きさ。そこに立て籠もるための櫓のような建物があったとされています。
信長が安土城を築く前の15世紀の山城には、近代の城のような大きな石垣も天守閣も無く、土塁や板張りの館だったとされます。
 城郭考古学の専門家である中井均先生と長野市の中学教諭で同じく城を研究されている遠藤公洋先生、そして地元の林古城会の事務局長さんによる、主郭で行われたミニトークショー。因みに、ガイドマップに掲載されている林城の縄張図は遠藤先生が調査計測されて描かれたのだそうです。
興味深かったのは、この山が入会地だったことから戦後まで植林されていなくて、今よりもっとはっきりと縄張が確認出来たということでした。現在の松林はいずれ倒れて縄張りを壊す可能性があることから、松を伐採することが史跡として維持保存するための課題となり得ること。そうすれば、草刈りなど大変な部分はあっても、「障子堀」の遺構で有名な静岡県三島市の山中城の様に縄張が実感出来るでしょう。そして更には、林城の後方に位置する、水利確保のために築かれた山城「水番城」も小笠原氏城跡であり、谷合を守る三角形を形成する林大城・小城と合わせた三つの城で小笠原氏城跡として本来指定されるべきこと・・・などなど。
 “地元の宝”を守る林古城会の事務局長さんは当然として、城跡研究の専門家の皆さんが熱く語る林城の魅力など、松本に住む市民としては、なかなか興味深いお話を聴くことが出来て、とても楽しめた林城ウォークでありました。

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