カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 伊勢神宮(内宮)参拝の後、今回もランチを食べに五十鈴川沿いの「おはらい横丁」へ向かいました。
三重県は「まん延防止措置」対象県では無いのですが、この日は平日だったことも手伝い前回来た時程ではないにしても、修学旅行か高校生の団体客も含め今回のおはらい横丁は結構たくさんの人出で混雑していました。

 初めて伊勢にツアーで来た時も、団体向けの大きな土産物屋さんの二階の食堂で伊勢うどんを食べましたが、前回奥さまと来た時も、その前に娘と来た時に食べたというおはらい町通の「岡田屋」で伊勢うどんを食べ、この横丁整備の推進役となった「赤福本店」で名物の赤福を頂きました(第1587話)。
今回は、「もう伊勢うどんはイイよね」ということで(その日は「岡田屋」は臨時休業日でした)、違う店へ。
また奥さまがダイエットついでの願掛けでの“甘断ち”で、今回は赤福には行かないとの強い意志(私メだけが食べ、本人がほうじ茶だけを飲んでいるのも許さぬとの理不尽な仰せ)故、デザート無しの食事のみ。そこで、伊勢名物の松坂牛ではないですが、牛丼の店を推薦すると意外にもOKとのことで、その店を目指します。
 その店は、おはらい横丁からT字に交わる路地の「おかげ横丁」の外れに在る「豚捨」という、何やら曰く有り気な店。店舗案内からそのままお借りすると、
『名産伊勢肉 豚捨(ぶたすて)は、明治42年創業の和牛の専門店です。
創業以来、厳選された上質の伊勢肉だけを販売しております。
「松阪肉は知ってるけど、伊勢肉なんて知らない」といわれる方も多いと思いますが、もともと三重県には伊勢牛と伊賀牛しかありませんでした。
当時、明治10年頃、伊勢市田丸町(現在の玉城町)から東方へと行われた牛追い道中の勇壮な商いにより、伊勢肉の名は全国に知れ渡りました。
その後昭和10年頃から松阪牛が登場し、昭和35年頃から各地の食肉店で“松阪肉” を看板にあげる店が増えてきました。当店では創業以来、この伊勢肉を守り続けています。』
とのこと。ナルホドでありました。また映画監督で脚本家の故松山善三氏(夫人は女優の故高峰秀子)が著した、食に関するエッセイで紹介されたという一文も載っていましたが、
『“豚捨”、なんてふてぶてしい屋号だろうか。
その昔、豚を飼っていた捨吉という男が食肉店をはじめた。人呼んで「豚捨…ぶたすて」。それがいつの間にか屋号になった。
ところがおかしな伝説も生まれた。この店の牛肉があまりにもうまいから「豚なんか捨てちまえ!」と客が豚肉を投げ捨てた。というのが豚捨のはじまりだという。』
店の由緒書き的には、捨吉さんよりも豚を捨てて伊勢牛を選んだという、こちらのエピソードの方が遥かにインパクトがあります。かくいう私メも、この店名に惹かれ選んだ口です。「豚捨」は、現在でも和牛専門の精肉店と飲食店を営んでおられるようです。
 牛丼だけではなく、牛挽肉を使ったコロッケも名物とのことで、食べ歩きのみならずコロッケを店頭で買って席に持ち込み、牛丼と一緒に食べることも出来るのだとか。我々も食べようかと思ったのですが、揚げ物は良くない!との仰せに諦め・・・。他人が食べるのを見ると如何にも(実際の味以上に?)美味しそうに見えるのですが、そこは我慢、我慢・・・。
 メニューには、牛鍋やすき焼き、またあみ焼きなどもありましたが、ここは名物の牛丼を選択。奥さまは、炭水化物はヤメておくと、煮込んだ牛肉を載せたミートサラダ(1000円だったか?)をチョイスとのことで、だったら牛丼も「上」じゃなくて「並」(1100円)でイイや・・・(大盛りも可能)。
運ばれて来た牛丼。全国チェーンの牛丼と違って、かなり濃い目の味付けですが、これが実に美味しい。色んな部位の端肉を使っているとのことで、チェーン店などの他の牛丼と違って、豚捨ての牛丼は煮るのではなく肉を一度焼いてから甘辛いタレで絡めている感じです。このタレが絶品でした。ナルホド、これなら豚を捨ててまでも牛に専念して正解だったのかもしれません。ごちそうさまでした。
また、年配の女性中心のスタッフの皆さんの応対も感じが良く、味だけではなくとても雰囲気も良い店でした。

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