カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 5月下旬、朝のウォーキングの帰路で、城山から下って塩釜神社にお参りし、松本城公園を抜けて四柱神社へ。
途中、開智小学校の横を通って行くのですが、その開智小近くの住宅街にある小さなお店が、子供たちが小中学生の頃に随分お世話になったサンドイッチの店「グルメサンド」です。駐車場が無いため、常に買い求めるお客さんの車が店の前の道路脇に停まっているのですが、その日はお休みなのか車が停まっておらず、また店内にも人の気配も無く、定休日かと思って何となく店のドアを見ると、貼り紙があって「閉店」の文字が・・・。
そこには「長い間おせわになりました」との感謝の言葉が手書きで綴られていました。
確か袋には「プティグルメ」と印刷されていましたので、そちらが正式な店名だと思いますが、我が家ではいつも「グルメサンド」と呼んでいました。
時々ウォーキングで朝店の前を通ると、良く「パスコ」と書かれた食パンを入れる青いケースの空箱が何段にも積み重ねられていました。

 ガラスの扉にも書かれているように、タマゴ、野菜、ハム、ポテサラ、コロッケ、トンカツ、エビカツ、ミックスと色んな種類の手作りサンドイッチが200円台からカツサンドでもせいぜい400円位と、大変リーズナブルな値段で販売されていました。
 シンガポールから帰任して子供たちが通った小学校が、自宅から一番近い信州大学の附属松本小でした。因みに、信州大学の教育学部は長野市に在ります。従って長野市にも本校である附属長野小があるのですが、これは“タコ足大学”の信州大学(旧制高校が松本、また各学部の前身となる旧専門学校が、例えば医学部は松本医専、繊維学部が上田製糸、農学部の県農林学校が伊那谷など県内各地に分散していた)の中でも、教育学部の成り立ちが嘗ての前身となる長野師範学校と長野県松本女子師範学校の二つがあり、最終的に統合されて長野市に学部が置かれたという歴史的経過故の所産です。
元の沢村の我が家は開智小の学区だったのですが、自宅からだと開智小は附属小の倍くらいの距離があり、しかも帰りはずっと上り坂になるので、特に下の娘はまだ一年生だったのですが、小さな子供の足では(しかもシンガポールのインターナショナルスクールではスクールバスでしたので、それまで彼女たちは一度も通学で歩いたことが無かったので)大変かと思い、一番近い附属小に通わせることにしたのです。
反面、附属は小中学校とも給食が無い(市立ではないので市の給食センターからの配食は無く、また自校給食の設備も無かった)ので、小学校から中学卒業までの最長6年間、子供たちはずっとお弁当でした。従って家内はその分さぞ大変だったろうと思います(勿論、高校になってからも給食はありませんでしたが・・・)。
そして、時には作れなかったり、持たせられなかったりする時があると、その時に良くお世話になったのがこの「グルメサンド」だったのです。
パンは市販の食パンでも、中身のお惣菜は全て手作りでしたので、安心して持たせられたのだと思います。しかも美味しくてコスパが良いので、開智や蟻ケ崎といった市内北部の住宅エリアの人気店でした。
 開智の店はテイクアウト専門で、店内にはイートインスペースも無く、ラップで包装されたサンドイッチが並んだショーケースのみ。併せて飲み物が入った販売機もあり、中央図書館利用者などがサンドイッチと一緒に買って、近くの公園や職場でランチに食べる人も多かったろうと思います。ですので、多分お昼過ぎには、朝調理された分が殆ど売り切れる人気店でした。
朧気な記憶では、昔は縄手通りにサンドイッチが食べられるカフェを兼ねた姉妹店が在った様に思いますが、その後開智店のみとなりました。
時には、ホームパーティー用に大皿のサンドイッチのオードブルをお願いしたこともありました(探してみたらありました。同じ様な記載内容でしたが、11年前の第653話も参照ください。因みに冒頭の2枚はその時の写真です)。
 ご夫婦お二人で、長年(少なくとも40年以上?)サンドイッチ作りの調理から販売をされていた筈ですので、恐らく高齢化か或いは後継者問題か、その理由は分かりませんがここで閉店を決断されたのでしょう。
 長い間ご苦労様でした。そして、その節は大変お世話になり、ありがとうございました。とても美味しかったです!

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