カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 我が家のワンコたち。コユキとクルミのどちらも、ブリーダーから不要犬として捨てられた保護犬です。
コユキは鳴かぬ様に声帯を切られてしまったことが原因で、気管が腫れて狭くなっているため呼吸に問題があって、来てすぐに過呼吸の様になって掛かり付けの動物病院でICUに入ったこともありました。これまでも二年おきくらいに都合三度気管を拡げる手術をしていますが、他には問題が無くて普通に歩けるので、マンションの床は全てフローリングですが入居時のままにしていました。それに、コユキが我が家に来てから6年で、この4月にはもう推定14歳になるオバアちゃん犬ということもあって、家ではソファの上に載って寝ていることの方が多いということもありますが・・・。
一方、昨年11月末に引き取った推定6歳のクルミは、左の後脚が骨折したまま何の手当もされずにブリーダーから放っておかれたために脚が曲がらないという障害があり、そのため後ろ脚を引きずってしか歩けないことからフローリングは滑り易いため、もし滑って脚に更に負担が掛かってこれ以上悪化をさせてはいけないので、クルミの脚のための防滑対策として床のフローリングにタイルカーペットを敷くことにしました。
 以前、長女が東京のマンションに居た時に豆柴のマイのためにペット用のタイルマットを使っていて、それは裏面が粘着性で剥がれず、もしオシッコなどの粗相をしてもその部分のタイルだけを剝いで何度でも洗える洗濯可能なタイプでしたので、そこで今回も長女が使っていたのと同じタイプのモノを通販で購入して、クルミの行動範囲内であるリビングから廊下、寝室までの間に敷いて、クルミが滑らない様に防滑対策をしました。

 11月末に我が家にやって来たクルミ。新しい環境に慣れるまでは怖がってクレートやペットベッドに居るだけでしたが、やがて慣れるに従って徐々に行動範囲も拡がり、活動も活発になってきました。
そして、朝起きて来た時や我々が外出から帰って来た時など、テンションが高い時は、推定6歳という若さもあってか結構な勢いで廊下やリビングなどを飛び跳ねて、それこそコユキよりもよっぽど速く室内を駆け回る様になりました。
そのため、タイルカーペットを敷いてからは滑ることも無く、見た目にもクルミも走り易い様な感じがしています。

 12月上旬にタイルカーペットをリビングに敷いてから、3ヶ月。
我が家のリビングは都市ガスの床暖房が入っていて、この冬の期間は、朝夕はタイマーで自動的にスイッチがONになるので暖かいのですが、起きてワンコたちとリビングに行ってから、併せて同じく都市ガスのファンヒーターも使っています。
外出から帰って来ると、カーペットにコユキが粗相をしていることがたまにあるのですが、その場合はその部分のタイルカーペットを剥がして洗います。ですので、その部分だけを剥がせるタイル式のカーペットは便利です。
 ところが、ここで問題が起こりました。
床暖房を使う様になって3ヶ月。汚れた部分のタイルカーペットを洗うために剥がすと、裏面の粘着部分が剥がれて床にくっ付いてしまっていて、床がベトベトになっているのです。
どうやら床暖房で暖められて、カーペットの粘着部分が融けてしまったのです。それも一枚や二枚ではなく、床暖房が入る部分(リビングを4分割に分けて床暖房を着けることが出来るので、ワンコたちが居るエリアを中心に床暖房を使用しています)のタイルカーペットは例外なく、殆どが融けて床にくっ付いてしまっていました。
そのベタベタした部分を剥がすのが、これが一苦労だったのです。結果、フローリングを傷めないか試してみた上で、家内と二人でシール剥がしの溶剤を使って床に付着した粘着部分をこそぎ取り、その後は絞った雑巾とティッシュペーパーでの乾拭きまで含め何度も何度も拭いて、数時間掛かって漸くキレイになりました(ホント、疲れた・・・)。

 こちらの不注意と言えばそれまでですが、まさかこんな風になるとは思ってもいませんでした。長女のいた麻布台のマンションは床暖房では無かったので、繰り返し洗って使っても粘着性は多少落ちてもこうはならなかったため、松本の我が家でも同じものをネット通販で購入していたのですが、床暖房には使用不可との注意書きは無かったのです(逆に床暖房で使用可能との表記もありませんでしたが・・・)。
 そこで、床暖房のフローリングでも使えるペット用のタイルマットを探すと、同じネット通販の中にもちゃんとあったのです。
もしかすると、探せば同じ様な商品が他にも幾つかあるのかもしれませんが、我が家で選んだのは、『サンコー置くだけ吸着マット』という商品。同じ30㎝×30㎝のカーペット状のタイルマットです。
この、「サンコー 置くだけ吸着マット」の謳い文句に依ると、
『撥水、アンモニア消臭、洗濯可能、吸着マット、カット可能。生地が薄いので、つまずきにくく、扉の開閉の妨げにもなりません。フローリングの汚れやキズを防ぎます。掃除機をかけても、裏面の吸着効果でめくれ上がることがないので、お掃除もラクラク。』
とのこと。
このマットはその名前の通り、フローリングに置くだけで独自の吸着素材が床にピタッと吸着してズレないのです。その理由は、目には見えない無数の気孔が上からの圧力で空気が抜けることで真空状態となり、「無数の吸盤ができたようにくっ付く」のだとか。従って、これまでの粘着性のマットとは異なります。
次の特徴は撥水加工です。
一度、目を離した間にコユキがタイルの上に粗相をしたのですが、或る程度時間が経っていたにも関わらず、撥水加工のためにオシッコがこれまでのタイルの様に沁み込まず、カーペットの表面上に浮いた様な状態になっていて、拭き取れて全くシミにはなっていませんでした。撥水加工の威力を納得しました。もしかすると、洗う回数により撥水機能は徐々に低下するかもしれませんが、その時はその部分のタイルだけを交換すれば良い。
更に、このタイルカーペットはカテキン入りでアンモニア消臭効果があることと、我が家にとって何より重要なのは、独自の吸着素材で真空状態となることで床に吸着するため、粘着性ではないことから床暖房に対応可能になっていることです。
そして有難いことに、こちらの求める機能からすると前の粘着性のマットより価格が高くても止むを得ないところですが、実際は一枚当たりの値段も粘着性のタイルマットと殆ど変わらなかったのです。
 ですので、今更ながら最初からこれを選んでいれば・・・という後悔はあるのですが、それは多少なりとも止むを得ずの“授業料”だったと得心した上で、我が家にとっては、このペット用「サンコー 置くだけ吸着マット」に変えて結果的に大正解の大満足でした。

 我が家の4LDK の内、リビングと繋げて拡張出来る部屋向けには大型のエアコンと床暖房、更にガスファンヒーターが入っていて、寝室と長女の部屋はエアコンでそれぞれ冷暖房をしています。
物置兼“男の隠れ家”の書斎には、間取り設定に伴う内装工事の打ち合わせ段階では、当初は飽くまで物置という想定(空きスペースは書斎用に使っても良いとのこと)だったため、エアコンを設置しませんでした。そこで、夏は扇風機、冬は石油ファンヒーターを使っています。
使用人は私一人。夏場は結構風も通りますし、冬場もファンヒーターで足元さえ暖かければ特段問題ありません。
しかし奥さまは、灯油を使うファンヒーターだと、自分が娘の所に行っていて私が一人だけだった時に、夜うたた寝してファンヒーターを足元で着けっ放しにして、そのため加熱しての火傷や火事、長時間の灯油燃焼による密室での換気不足が心配とのこと。
昔ならともかく、次第に歳を取るとそんな心配を言下に「大丈夫だよ!」と切り捨てるのも、言葉の強さとは裏腹に段々と自信が無くなっていきそうです。
今使っている石油ファンヒーターは引っ越す前の戸建て時代から使っていた小型タイプで、まだ全く問題無く十分使えてはいるのですが、「まだ使えるから大丈夫!」とズルズル後ろ倒しにならぬ様に、“思い立ったが吉日”で、ここで思い切って買い替えることにしました。

 大前提は“灯油を使わない”暖房器具・・・ということになります。
リビングで使っている、都市ガスの床暖房とファンヒーターは内装工事が必要になりますので今からでは無理(というか面倒)。また冷暖房可能なエアコンも勿論設置工事が必要になりますが、部屋を使うのは私一人だけですのでコスト的に無駄。
またオール電化では災害時に不安がありますし、石油ファンヒーターも電気が無ければ使えません。
以前戸建てに住んでいた時は、メインの暖房として薪ストーブと床暖房があり、床暖房はに灯油を使っていたので、そのための500リットルの大型の灯油タンクがあり、灯油を自宅に配達して貰っていました。そのため、個別に使っていた石油ファンヒーターは、そのタンクから都度灯油を入れられたので、自分でイチイチ18リットルサイズのポリタンクでGSに買いに行く必要はありませんでした。
また、仮に災害時や停電の時でも薪ストーブは使えますので、暖房以外でもお湯を沸かしたり鍋で調理したりすることも可能でしたが、当然マンションでは不可。
因みに、我が家にはカセットガス利用の「やきまる君」やグリルパンの「ビストロの達人」もありますので、調理だけであれば停電時も問題ありません。
昔リンゴ栽培をやっていた時は、収穫後12月から1月にかけてお客様への発送作業は、平日は会社から帰宅して夜の作業となるため、電気不要(着火は乾電池利用)の石油ストーブを倉庫で使っていました。ただ、マンションでは灯油はどうしてもポリタンクでGSに買いに行かないといけないので、歳を取るとだんだん18リットルのポリタンクは重くなって、駐車場からエレベーターで部屋まで運ぶのも一苦労。加齢と共に段々大変になります。
また、ガスのカセットボンベ用のストーブも市場にはありますが、停電時に電気不要で使えても、ボンベ一本での稼働時間も短く、また暖房の熱源としてのパワーも低そうで、災害時には有効ですが常時使うには疑問が残ります。

 そこで、とり敢えず災害時は別に考えるとして、そんな感じで絞っていくと、工事が必要な都市ガスとエアコン、ポリタンクで灯油を買いに行く必要がある石油ファンヒーターや、コスパの悪そうなカセットガスストーブは除外。
そうすると、残るのは灯油やガスを使わない、オイルやセラミック、ハロゲンなどを熱源とするファンヒーター、またカーボンやグラファイトなどを用いた遠赤外線ヒーターなどが候補になりますが、調べてみると最近は色んなタイプがあるようです。
そこでネット情報などを参考にチェックし検討した結果、選んだのはアラジンの遠赤グラファイトヒーターです。
我が家には長女から彼女も使っていて凄く良いからと薦められて購入したアラジンのトースター(4枚焼き)があるのですが、特許技術のグラファイトヒーターは僅か0.2秒で発熱し、一気に焼き上げます。
このアラジンの特許の遠赤外線グラファイトをヒーターに使った暖房器具がグラファイトヒーターで、同じく0.2秒で立ち上がりすぐに暖まる“速暖”がウリ。
 今冬向けの新製品である二灯式のAEH-2G10BJは、ワンタッチで縦横切り替えて、しかも広範囲に熱風を届ける首振り機能付き。更に、『ゆらぎeco運転』という省エネモードが搭載され、室温に合わせてワット数を自動調整。消費電力(電源)は1000W、パワー切り替えは1000W 、または700〜300Wまでを50W刻みで調整可能で、30分〜8時間の間で好みの時間をタイマー設定すると、自動的に電源が切れます。
そして、何より高齢者とペット、そして孫たちが来た時に有り難い機能が、チャイルドロック、自動オフ、シャットオフセンサーです。
特にシャットオフセンサーは、カーテンなどの障害物が赤外線センサーをさえぎると自動的に電源がOFFになる機能なので、仮に室内乾燥用に「ヒーターを使用していて、洗濯物やカーテンがもしヒーターに被ると自動的にシャットアウトされます。
因みに、TVショッピングでお馴染みの通販会社でこの機種を紹介していて興味を持ったのですが、奥さまがチェクしたところ、送料も含めると他のネット通販の方が価格が安く、しかも色の選択肢も多かったとのことで、そちらから注文しました。
 ミニ書斎の“男の隠れ家”で、朝の早い年寄りが一人、すぐに足元を暖めたい時に僅か0.2秒で発熱してくれるのは有難いですし、私一人の時は不要でも、娘や孫たちが来た時に、タテ横回転と首塗機能があるのはリビングや寝室でスポット暖房として使う時に重宝して便利です(6.7㎏とのことですが、上部に手の掛かる取っ手部分がありますので、持ち運びも可能です)。
但し、広いリビング全体をこれ一台で暖めるのはちょっと無理ですが(公式HPや取説には記載がありませんが、通販のネット記事には「暖房適用の最大床面積は7.5畳まで」との記載あり)、狭いミニ書斎の“男の隠れ家”で足元をスポット暖房としてに暖めるのなら、これで十分でしょう。
また、ルームセンサー機能モードにして、室内温度により350Wの節電モードに自動調整して使っても十分暖かく感じられましたので、燃料費的には都市ガスや灯油よりは高くても(ネット通販の説明では、1000wで1時間使用した場合の電気代は、その時点の電気料金で31円とのこと)、特に高齢者や小さな子供たちにとっては、灯油を買いに行くことの大変さや、新たに搭載されたチャイルドロックやシャットオフセンサーによってより安全性が担保されたのであれば、何より有難いと感じた次第です。

 信州版“餃子の王将”とでも云える、上諏訪発祥の「テンホウ」。
元々は「天宝 鶴の湯」という上諏訪温泉に在った小さな温泉旅館だったそうですが、大手の温泉旅館には太刀打ち出来ないことから、昭和31年に諏訪市末広で始めた飲食店「餃子菜館」がそのルーツとか。
創業年の昭和31年(1956年)は私たち夫婦二人共が生まれた年でもあるのですが、上諏訪出身の奥さまは子供の頃、その「餃子菜館」時代にも食べに行った記憶があるとか。
創業当時は餃子とチャーメン(炒めた麺)、タンメン(湯麺)などが主な商品で、昭和48年に社名を旅館の名前にあった「天宝」から取って「テンホウ」としたのだそうです(因みに、テンホウのマスコットキャラクターも旅館の名称からでしょう、鶴がデザインされています)。

 その上諏訪発祥のテンホウは、今や諏訪・松本エリア中心に長野県下に33店舗を構え、県外に出たことがない地元の人の中には、テンホウを「王将」同様に全国チェーンと思っている人も多いとか・・・。
そんな地元民に愛されている、創業時からの八角を効かせた独特な餃子がイチオシのテンホウですが、では中華料理店かというと、中華丼はあっても(かたやきそばの餡を麺の代わりにご飯に掛けるだけなので)レバニラとか回鍋肉といった代表的な町中華のメニューは何故か皆無。なのに、駒ヶ根風のソースカツ丼があるという不可思議・・・。
ただ「餃子とラーメンの」とキャッチがついているので、独自メニューも含めて麺類はかなり豊富です。
前回(第1962話)は特製にんにくラーメン(760円)をご紹介したのですが、テンホウには他にも色々な麺類があります。その中で、私がこれまで食べたことがあるのは、醤油ラーメン、チャーメン、テンホウメン、おすすめ中華そば、濃厚中華そばとかたやきそば(皿うどん)です。

 先ずは、創業時からのメニューという「チャーメン」(740円)は、諏訪人にとってはソウルフードの様で、オリラジの藤森慎吾さんも「秘密のケンミンショー」だったかで激賞していましたが、それは奥さまも同様で、テンホウに行くと昔から必ずと言って良い程チャーメンをオーダーしています(他にはご飯を小盛でお願いしての、定食という名の「定食」でしょうか)。
このチャーメン。漢字で書けば炒麺なのでしょうが、要するに塩焼きそばで、麺よりもむしろ野菜が野菜炒め並みにたくさん入っているので、それが多分に女性受けするのでしょう。シンプルですが野菜がシャキシャキしていて美味しい。途中で豆板醤や酢で味変させるのもおススメだそうですので、試してみました。
続いての社名を冠した「テンホウメン」(800円)は、“長崎チャンポン風”と謳っているのがイイ。というのも飽くまで“チャンポン風”であって、チャンポンでは無いからです。ですので、これを長崎ちゃんぽんだと思ってオーダーすると些かガッカリします。でも最初から“風”と言っているから納得出来る(或る意味許せる)んです。
残念ながらリンガーハットが松本から全て撤退し、松本で長崎ちゃんぽんが食べられなくなってしまったので、初めて「テンホウメン」を頼んでみたのですが、確かに“風”であって、自分が知る長崎チャンポンではありませんでした。リンガーハットのチャンポンは、昔長崎に出張した時に「眼鏡橋」の近くの店で食べた様な、本場の長崎チャンポン独特のスープのコクを思い出させてくれるのですが、テンホウメンはスープの色は“らしく”ても味はあっさりし過ぎていてそれがありませんでした。
 醤油ベースのラーメン類では、先ずは「醤油ラーメン」(520円)。こちらは極々普通のラーメンで、あっさりしたガラスープの醤油味。個人的には、味噌も含めラーメンにコーンは不要だと思っているのであまり好みではありませんが、500円ちょっとという値段は評価されて良いと思います。
個人的嗜好である醤油系ラーメンの中では、テンホウのスープ麺で「特製にんにくラーメン」以外で気に入っているのが「おすすめ中華そば」(820円)。昔ながらの鶏がら主体の澄んだ醤油スープで、テンホウでは一般的な白コショウではなく粗挽きのブラックペッパーがテーブルに常備されているのですが、それが良く合います。また厚切りのチャーシューが二枚トッピングされていて、これがホロホロと柔らかで美味。
更にこれに豚骨系のコクを加えたのが「濃厚中華そば」(930円)。同じく厚切りチャーシューと味玉がトッピングされています。
因みに、テンホウのチャーシューは一本丸ごと各店舗でテイクアウト用に別売りされてもいますので、きっと自信作なのでしょう。
 さて、昼テンホウに行くとラーメン等を食べるのですが、夕食に頼めるメニューはレバニラとか中華のメニューがテンホウには無いので、止む無くほぼ一択で頼んでいるのが「かたやきそば」(800円)です。
括弧して「皿うどん」と表示している通り、揚げた麺に餡が掛けられていて、これは上田や長野の町中華でポピュラーな餡掛けの固焼きそばと比べると、確かに長崎の皿うどんといっても決して過言ではありません。しかも、ウスターソースも(もしテーブルに置かれていなければ)ちゃんと一緒に運んで来てくれます。ただリンガーハットの皿うどんはパリパリに揚げられた細麺でしたが、テンホウのそれは中太麺が使われています。
ただ惜しむらくは、餡に使う水溶き片栗粉の量が店によって、また日によってマチマチで、トロミの濃さが食べる度に異なるのと、またその濃さには関係なく、水溶き片栗粉のトロミが食べ終わるまで持たずに、最後必ず水っぽくなってしまうのが“玉に瑕”・・・でしょうか。
 麺類のメニューの中で、テンホウの押しの一つであるタンタンメンは個人的に好みでは無いので食べたことはありません。またテンホウに限らず、味噌系もどちらかというと私メの嗜好からは外れます。
でも、テンホウはラーメン専門店ではありませんが、前回の“ハルピン風”と個人的に勝手に思っている特製にんにくラーメンの他にも中華そばも結構イケますし、それ以外の麺類でも、逆に他のラーメン専門店では食べられない塩焼きそばのチャーメンや長崎風皿うどんも食べることも出来ますので、スパイスの効いた独特の餃子と併せて個人的には結構重宝しています。
あとはレバニラだけでも良いので、是非中華のメニューをもう少し増やして頂けると完璧なのですが・・・。

 “世界のマエストロ”オザワ・セイジ氏亡き後、その後を継ぐのは通称“ヤマカズ”山田和樹氏がその筆頭に挙がるといっても決して過言では無いでしょう(続くのは、沖澤のどか女史でしょうか・・・)。
あのサイモン・ラトルが率いて名を挙げたバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任し、ここで更に2028/2029年シーズンまでの任期延長が発表される蜜月ぶり。そして昨年は、アメリカのメジャーオケであるシカゴSO 、NYフィル、そして今年は遂に“世界の”BPOの定期にもデビュー。
藝大時代には同窓生と、あの“のだめ”のSオケを彷彿させるかの様に、当時は学内のアマオケとして現在の横浜シンフォニエッタを立ち上げ、そして何より個人的に注目したのが、大先輩のマエストロ故岩城宏之氏の様に東京混声合唱団の音楽監督を引き受けたこと・・・。オーケストラよりも注目度の低い合唱団の指揮をしてくれたことが、嘗ての合唱経験者としては本当に(部外者ながら)感心しました。

 その、今や“世界のヤマカズ”が、60周年を迎えたTV朝日の長寿番組『題名のない音楽会』の特別企画「未来オーケストラ」の指揮をし、その練習風景が放送されたのですが、それが本当に素晴らしい内容で、一つのドキュメンタリーとしても出色の出来でした。
弦楽器、管楽器、打楽器、全ての楽器奏者はオーディションで全国から選抜された、小学生から大学1年生まで104人の子供たち。
公式H/Pに依れば、
『18歳以下の子どもたちに「音楽の楽しさ」「共に演奏する喜び」を届けるべく立ち上がったこのオーケストラは、山田和樹によるオーディションを経て、今回初めての全体練習を迎えます。山田和樹がどのように彼らと対峙し、何を考え、何を伝えるのか』
二週に亘り放送されたオーケストラ全体での練習風景。第一回目の放送を知らず、最後の10数分だったでしょうか、途中から視聴したのですが、思わず引き込まれてしまいました。
マエストロは、子供たちに、自分自身の個性を出すこと、お互いを聴き合うこと、先を読むことなどの大切さを、子供たちに分かり易いマエストロ自身の“ことば”、表現で伝えていきます。すると、その言葉がまるで乾いた大地に沁み込む雨の様に彼等に伝わって、子供たちの音が、表情が目に見えてどんどん変わっていくのです。

 “世界のヤマカズ”から、結成後半年間に亘る指導を受け、第3週目の放送で、東京藝大奏楽堂での本番を迎えた未来オーケストラ。
真剣そのものの目をキラキラと輝かせて、しかも本当に楽しそうに演奏する子供たち。
それにしても、全員何てイイ顔をしているんだろう。中には、1stヴァイオリンとチェロのフォアシュピーラーの席で演奏する子は(チェロの子などは半ズボンでしたし)、どう見ても小学生としか思えないのですが、本当に真剣そうに、でも本当に楽しそうにニコニコと演奏しているのです。もしかすると、いつのまにか孫を見るジイジの眼の様になっていたにしても、今まで聴いた中で、恐らく一番“視覚的に”感動したオーケストラ演奏だったと思います。
1stヴァイオリンなどの弦楽器だけでなく、木管も、ホルンを始めとする金管も、そして打楽器も、どの楽器も皆真剣に且つ本当に楽しそうに演奏しています。しかも音も実に素晴らしい!ホルンなんて本当に柔らかい音色で奏でていて、時に気の抜けている様な下手なプロオケより上手い!そして、何より「音楽って、本当に音を楽しむんだ」ということを、改めて実感させられた気がしました。

 “世界のヤマカズ”と未来オーケストラの子供たちに、ブラーヴォ!本当に感動しました。思わず、画面の子供たちに向かって拍手をしていました。

 12月から毎月2回参加している、ボランティアでの「源智の井戸」清掃。
清掃活動の内容は、ブラシを使い八角形の木枠で組んだ “井筒”の中と、井筒から流れ出る毎分200リットルの8箇所の水口の両側からブラシを中に突っ込んで磨き、付いている藻を擦って落とします。
また小さな刃の鋤簾(じょれん)で井筒の中の玉砂利をかき回すようにして石に付いた藻を浮かせ、それを柄の付いた金網のザルで丁寧にすくい取ります。更に井戸の木枠の井筒の外側に緑色の水カビが繁殖して木を腐らせてしまうので、金タワシで“こ削ぎ”取ります。同様に水路にも藻や水カビが繁殖しているので、デッキブラシで擦って落としていきます。
更に井戸の周囲の雑草や落ち葉、ゴミなどを拾います。これらをメンバーで手分けして行います。通常の清掃そのものだけなら、落ち葉や雑草の無い冬場は30分から40分位で終了します。


冬は夏に比べて藻の繁殖力が弱いので、月二回。繁殖が盛んになる夏は月に三回清掃をするのと、春の桜の咲く頃や秋の落ち葉の時期は、井戸の中に舞い落ちた花弁や落ち葉をそのまま放置していると腐ってしまうので、清掃の時だけではなく、近所にお住まいの方が気付いた都度浚っているのだそうです。
また。井戸を覆う庵に張り巡らされた注連縄も、吊るした白い紙「紙垂(しで)」が風でちぎれたりするので、ほぼ毎月取り換えています。年末の大掃除の時には、注連縄はお正月に向けて全て新しく張り替えられました。
地元の宝である「源智の井戸」を誇りに感じ、これまでこうした清掃作業を何十年と続けて来られた地元有志の方々が、皆さん高齢化で次々とリタイアし、唯一残った86歳の会長さんを一人のまま放っておけず、見るに見かねて昨年の夏から参加されたという地元町会の有志の方が三人。全員60代以上、会長さんと併せて4人の皆さんを紹介されて、私もお仲間に加えていただきました。
余談ですが、驚いたことにその内のお一人は附属小で次女と同じクラスだった女の子のお母様で、家内とは女子高の先輩後輩ということもあって、附属時代のママ友のお一人だったのです。そして、その方のご主人は逆に私メの高校の先輩で、音楽部の先輩を通じて知り合い、会社員時代に長野市での会議があると、銀行にお勤めで当時長野市内の支店に勤務されていたその先輩と、会議が終わってから待ち合わせて何度か一緒に飲んだこともあり、従ってお互い夫婦同士が知り合いでもありました。
 そんな偶然の再会もありましたが、ご一緒に清掃に参加させていただいて、皆さんからお話を伺う中で、少しずつ松本市内の湧水群の歴史経過とその置かれている現状が見えて来たのです。
それは、私も松本市民の一人でありながら、ただ水を頂いている時は全く知り得なかった内容でした。そんな状況を見るに見かねて、松本市役所のH/Pにある「市長への手紙」欄に状況を知っていただくべく投書してみることにしました。
というのも、以前にもアルプス公園の展望広場からのせっかくの北アルプスの景観が、雑木が伸びて絶景が台無しになっているのを残念に思い、松本市役所の「市長への手紙」に雑木伐採をお願いしたところ、担当課から「予算の関係で2年くらい掛けて対応していくので、少し時間的容赦を頂きたい」との回答があり、実際その一年後位から数年掛けて、それまで景観を損ねていた立ち木の伐採がちゃんと行われたことがあったのです。
そんな提言をメンバーの方に投げ掛けてみたのですが、会長さんは市の担当に毎年頼んでいるがこれまで何も改善がないとのこと。また有志で参加されている町会役員の方も、「(行政の積極的な関与を)頼んでも、これまでは予算が無いの一点張り」とのことで、効果にはかなり懐疑的でした。しかも、掃除用の道具が壊れたので交換すら来るまでに数ヶ月かかったりするので、待ちきれず自腹で購入したこともあったとのこと。どうやら何年にも亘る担当課との折衝や交渉のやり取りで皆さん疲れてしまい、今ではもう諦めにも近い感情をお持ちの様でした。
そこで、どうせ“ダメ元”でも・・・と、年末に「市長への手紙」欄に、飽くまで私個人の名前で投書を送ってみました。以下がその内容です。

『12月からボランティアで源智の井戸の清掃活動に参加させていただいている者です。これまで善意で活動をされて来た方々が高齢化で続けるのが難しくなり、現在は町会の有志の方が加わって全部で4人で活動をされています。井戸そのものは文化財として市の所有になっており、これまでも何度も市の担当課に申し入れをしておられるそうですが、予算が無い等で全く進展が無く、皆さんもこれ以上善意での活動が無理とのことから、この年度終わりの3月末を以って清掃活動を止めるとのこと。
源智の井戸は戦国時代からの“当国一の銘水”として、また「平成の名水」にも選定されている「まつもと城下町湧水群」の代表格の井戸として、松本市並びに市民の宝でもある筈です。
仮に予算が付いても、それは清掃業者に外部委託するとのことですが、どこまで“おらが宝”として親身になって清掃がされるのでしょうか。しかし、もし予算が無いなら知恵を出して、市が工夫してボランティアを募るなりボランティア団体を組織するなり、そうした工夫をすることがなぜ出来ないのでしょうか。
私は10年以上も、我が家のコーヒーのドリップ用に、源智の井戸の水を月2回程汲みに行ってタダで戴いて来ており、9月頃だったか市民タイムズの窮状を報道する記事を見て市役所の広報課宛にメールをしたのですが、ずっと連絡も無かったので、きっと市や町会等で何らかの改善があったのだろうと勝手に思っていたところ、11月末になって担当課から突然電話をいただき、これまで清掃活動を善意で継続されてこられた代表の方の電話番号を教えられ、連絡をして先述の様にこの12月から清掃活動に加えさせていただきました。
以前は沢村におりましたが、終活で戸建てを売って現在は渚のマンションに引っ越しており、昔は車でないと無理でしたので、せめてお水のお礼にと行った際に祠に僅かばかりのお賽銭を入れるくらいしか出来ませんでしたが、今なら歩いて行くことが出来ますので、少しでも水のお礼になればと参加させていただいた次第です。
しかし、町会の方々も昔から何度お願いしても何も改善されなかったことから、遂にこの3月で善意での活動を止めることになったとのこと。
この松本の、そして市民の“宝”である(城下町湧水群として観光資源でもある筈の)この源智の井戸をどうか守ってください。是非、金が無いと言うだけではなく知恵を出してください。そしてCivil Servantとしての義務を果たしてください。松本市民の一人として、何卒宜しくお願いいたします。
以上、有志の方々の窮状を見るに見かねて、この現状を知っていただきたくメールをさせていただきます。』

 「市長への手紙」をお送りしたのがちょうど市役所が年末年始休暇に入った日だったため、年明け早々に担当課とは別の部署の課長さんからご連絡を頂きました。最初お電話を頂いたようなのですが、私が外出中だったため、その後メールでのやり取りになりました。
私は、どうせ先ずは秘書課が内容を見て担当課に振り分け、その担当課が回答を作って市長に報告がてら回答内容も確認するだけだろうと勝手に思っていました。それでも市長まで課題が届けば、先ずは一歩としての前進になるだろうとも・・・。
するとそうではなく、市長自身で「手紙」の内容を読まれ、担当課でこれまでは対応が進んでいなかったこともあり、市長が直接別の課に連絡をして、先ずは課題と現状を整理する様にご自身で指示をされたとのこと。そのため指示を受けた課長さんが、投書主である私に実際に会って話を聴きたいとのことだったのです。
しかし、私自身は飽くまで部外者であり、これまでの経緯経過を知る地元の方々と会われた方が良いので、数日後にちょうど清掃活動があることから、先ずはその様子を実際にご覧になって、その有志の方々にヒアリングをされたらどうかとお願いをしたところ快諾され、早朝7時からの清掃時間に来られることになったのです。

 予算の紐付けが無いと(しかし、仮にその予算が付いても、それは全て外部の業者任せ)何も始まらないという如何にも“お役所仕事”の体質には、もしお金が無いのならどうして知恵を出さないだろうと思わざるを得ません。
また担当者が課題は認識していながらボトムアップではなかなか事が進まなかったのが、いざトップダウンだと即座に物事が進みだすという現状に、嘗て民間企業にいた人間としては些か疑問を感じないではありません。
しかし乍ら、そうは言っても、「市長への手紙」による市長のトップダウンにより、例え僅か数ミリではあっても、少なくともこれまでは錆び付いていて全く動かなかった歯車が、少しずつではありますが、音を立てて回り始めたのでした。

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