カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 奥さまが封切りになった映画を見たいというので、イオンシネマへ。
リタイアしてから結構映画を視ています。勿論暇な年金生活者故ということもありますが、シルバー割引があるからというのも大いに助かりますし、しかも空いている平日に視られるというのも誠にありがたい。
途中、前回の朝のウォーキングで寄れなかった天神さま(深志神社)へお参りして行きたいというので、ウォーキングを兼ねて歩いて行くことにしました。多分、家からイオンモールまでは2.5㎞くらいでしょうか。この日事前に予約した上映が初回で終了時刻がちょうど昼時でしたので、イオンモールでランチを食べてから帰ることにしました。
選んだのは私のチョイスですが、珍しく家内がOKしてくれたインド料理の「フルバリ」です。
以前、次女が羽田空港勤務で糀谷に住んでいた時に何度か羽根つき餃子などを食べに蒲田には行ったのですが、JRの蒲田駅の南口から歩いてすぐの所に「フルバリ」の本店があったので、イオンモール松本に出店すると知って、いつか来てみたいと思っていました。
ただ家内が、昔松本に在ったインド料理店(既に閉店)で食べて油が当たったのか具合が悪くなったことがあり、それ以降インド料理には拒否反応だったのですが、松本の「Doon食堂 インド山」で食べてからは、その拒否反応も治まり、また食べられるようになりました。そのためGW前後の東京滞在中も神谷町のインド料理へも行ったのですが、今回も「フルバリ」でのランチにOKとのこと。

 イオンモールには食堂街の他にフードコートもあり、そこにあって何度か食べに行ったリンガーハットが閉店。南松本のイオンに入っていた店舗も閉店した由・・・。残念ながら、松本で気軽に長崎ちゃんぽんが食べられる店が無くなってしまいました。
因みに、長野県の中南信を中心に展開している「テンホウ」にも、ちゃんぽん風の「テンホウ麺」があるのですが、クリーミーなスープではあるものの、長崎ちゃんぽんとは似て非なる味。一方で、テンホウの「皿うどん」は結構本場の味に近く、ちゃんとウスターソースも一緒に持って来てくれるので、リンガーハットで無くても皿うどんはテンホウで十分“許せる”のですが、長崎ちゃんぽんはちょっと違うなぁ・・・。但しテンホウ麺は、店側もあくまで“ちゃんぽん風”と説明していますので責めることは出来ませんが・・・。
・・・と、些か前置きが回りくどかったのですが、リンガーハットが無くなって長崎ちゃんぽんが食べられなくなってしまったので、今回はフードコートでは無く「フルバリでもイイよ!」となった次第です。
イオンモール松本が開店して既に5年以上経つ筈ですが、漸く「フルバリ」で食べることが出来ました。

 ランチメニューの中から、カレーが二種類選べるレディースセットとフルバリセットをオーダー。それぞれミニサラダとドリンクが付いていて、ナンかライス(但し日本米)を選べ、さらに後者はサイドメニューとしてチキンティカとシークカバブ(インドのソーセージ)が付いています。
カレーは、家内はバターチキンとサグチキン(ほうれん草とチキンのカレー)、私メはチキンとシーフードを選びました。
ナンは大きくて美味しい。チキンティカは神谷町の「ラージャ」で食べたタンドーリチキンのソースの方が好み。肝心のカレーはどれも砂糖甘い様に感じます。
 「うーん、これ甘過ぎる。ちょっと違うなぁ・・・。」
家内ではありませんが、これならスーパーに並んでいるS&Bの「噂の名店」シリーズのレトルトカレーの神田の北インド料理店「マンダラ」のバターチキン、また無印良品のレトルトカレーの中で、「プラウンマサラ」を始めとするインドカレーの幾つかの方がむしろ美味しい気がしました。
ですので、北インドの家庭料理であれば松本には「インド山」がありますが、カレーの種類も限られますし家庭料理にはタンドール釜は無いので、ナンやタンドーリチキンは諦めて、もし松本でインド料理を食べるのであれば、プラウンマサラ、バターチキンや他の種類のカレーや市販のナンも含めて、松本でも買えるレトルトカレーで十分だと感じた次第。

 大正期に誕生したとされる東京早稲田とか福井とか、ソースカツ丼発祥には幾つかの説(注)があるそうですが、今では他の地域にもソースカツ丼があって、長野県では伊那谷の駒ケ根がその本場。駒ケ根は「喜楽」という店が昭和3年にソースカツ丼の提供を始めたと云いますから、全国的に見ても相当古い歴史があります。
駒ケ根では平成に入り、“町おこし”的にそれまで提供していた各店が連携して団体を作り、ソースカツ丼を提供する際の統一規定を制定するなどして、“ご当地グルメ”としてソースカツ丼の普及やPRに努めた結果、今の様に地域に定着していったのだとか。
その駒ケ根の有名店の一つ「明治亭」が軽井沢にも出店していて、以前軽井沢で食べたのですが、残念ながら松本では卵とじのカツ丼の方が主流なので本格的なソースカツ丼を出す店が無く(蕎麦チェーンの小木曽や、餃子チェーンのテンホウのメニューにもソースカツ丼がある様ですが)、だったら自分で作ろうかと思った次第・・・。

 駒ケ根のソースカツ丼のスタイルは、必ずご飯の上に千切りキャベツを敷いて、その上にトンカツが載っていて、一番の肝となるのがそのソース。単純にトンカツソースやウスターソースを掛けたのではなく、各店秘伝のオリジナルソースが掛けられていて、記憶の中での「明治亭」(他で食べたことが無いので、それ以外を知りません)のソースは、普通のトンカツソースに比べて甘味の中にもフルーティーな酸味があり、色もトンカツソースの黒よりも茶色がかっている感じでした。その明治亭の“秘伝”のソースは瓶詰にされて店でも販売されていたので、それを買ってトンカツと千切りキャベツを用意すれば良いのですが、そう頻繁に(しかも自宅で)食べるメニューではないのでソースの瓶が邪魔になります(他の料理にも使えるかもしれませんが・・・)。
 「だったら、自分で作るしか無かっぺ!」
ということで、自分でソースを作ることにしました。

 家内が手伝いに娘たちの所に月一恒例で上京して不在。一人での食事なので、もし失敗しても大丈夫。揚げ物は下拵えの衣を付けるのが面倒臭いし自宅だと調理での油跳ねが大変なので、ここはスーパーから総菜のロースのトンカツを一枚買って来て、自宅では千切りキャベツを用意します。因みに他の地域のソースカツ丼は千切りキャベツがありませんが、信州は高原野菜の本場だからということでもないのでしょうが、普通のトンカツにもキャベツは付き物ですから、野菜を食べるというヘルシーな食事のバランスもふまえれば、他の地域のソースカツ丼に比べて駒ケ根のソースカツ丼が必ず千切りキャベツを添えるというのは、健康意識の高まった現代では更に理に適っていると思います。
肝となるソースに関しては、ネットで調べると中にはソースだけではなく醤油も使うものとか、幾つかレシピがあったのですが、その中からイメージ的に「これかな?」と気に入ったレシピで作ってみることにしました。
ポイントは先述の“フルーティーな甘味と茶色”です。味は、イメージ的にはカレーで云えば“リンゴと蜂蜜”風に、多少フルーツ系が加味された様な感じ・・・でしょうか。
その素となるのが、ソースは中濃とウスターソース、そして“フルーツ系”のポイントが多分ケチャップで、更にみりん(或いは料理酒と砂糖)を加え甘味を出します。場合によっては、好みでマーマレードなどを混ぜても良いかもしれませんが、まぁ自分独りなら取り敢えずそこまで拘らなくてもイイか・・・と。
我が家にはウスターソースが無いので、トンカツソースだけでケチャップとみりんと(水っぽくなり過ぎぬよう)砂糖も少し加えて甘味を調整します。そして、ソースとケチャップを混ぜ合わせると、あの茶色に近付きます。一度過熱して混ぜ合わせ(味見をして、うーん、まぁこんなモンかと)、冷まして味を馴染ませて出来上がり。

 ご飯を温めて丼に盛って、その上に用意した千切りのキャベツをたっぷりと敷いて、スーパーで買って来たトンカツをオーブンで温めて切って載せてソースをスプーンですくって上から掛ければ完成です。
因みに、個人的にはトンカツはヒレよりもロースの方が好みなので、今回もロースカツです。些かオーブンで焼き過ぎて、焦げて少々固くなった部分があったのは玉に瑕でした。また、ソースはもう少しフルーティーでも良いかもしれませんが、自家製のソースの味付けとしては十分合格ライン。カツも自家製の方が(良い肉を使うので)柔らかくて美味しいのでしょうが、手間暇を考えればスーパーのお惣菜でも十分です。反省点は、ソースをもっと多めに作って、うな丼や天丼の様にご飯にまでタレが少し染みるくらい掛けた方が良かったかなというところでしょうか。
 いずれにしても、お手軽に“駒ケ根風”のソースカツ丼を自宅で楽しめて、個人的には十分満足でした。
 「ごちそうさまでした!! 」
【注記】
ソースカツ丼文化発祥の地にはいくつかの説があるそうですが、福井県の情報ページに由ると、福井出身の人がドイツの日本人俱楽部で料理を学び、ドイツのシュニッツェルを真似てウスターソースを使用してご飯に載せ、日本へ帰国してから大正2年に東京の料理発表会で披露した後、早稲田に開いた『ヨーロッパ軒』で“ソースカツ丼”として売り出したのが最初とのこと。その後大正12年の関東大震災で店が被災倒壊したため地元福井に戻り、再び「ヨーロッパ軒」を開いたことによるものという説が濃厚だそうです。
ソースカツ丼の発祥説を調べてみると、他にも色々と興味深いことが分かります。
先ず大正初期の年までハッキリしているのですから、上記の東京早稲田と福井の「ヨーロッパ軒」に確定で良さそうに思われるのですが、他にも“我こそは!”と名乗る地もあるらしいのです・・・。
例えば、福島県会津も発祥の地とされる場所の一つで、昭和5年(1930年)に会津のソースカツ丼の元祖とされる「若松食堂」が創業し、洋食屋のコックがウナギのかば焼きからヒントを得て、とんかつを甘辛いソースにくぐらせてご飯に乗せたのが始まりとしているとのこと。
また、本文で紹介した長野県の駒々根も有力な候補地の一つとされるそうですが、こちらは昭和3年に開店した駒ヶ根にある飲食店「喜楽」がソースカツ丼の発祥で、初代の店主が当時の流行だった洋食をベースにして考案した料理がソースカツ丼で、ご飯の上に千切りキャベツを敷き、秘伝のたれにくぐらせたカツを乗せるのが特徴です。
そしてお隣の群馬県桐生もソースカツ丼の発祥地とされる地域で、別名“上州カツ丼”とも呼ばれる程地元では定着している由。元祖は昭和元年(1926年)創業の「志多美屋」という食堂店で、元々は鰻の卸商だったため、食堂として開業するにあたり、鰻丼を参考にして、ご飯の上にソースにくぐらせたカツのみというシンプルなカツ丼を提供したところ、それが人気となり、やがて他のメニューを止めてソースカツ丼の専門店になっていったとのこと。
他にもやや趣を異にして面白いのは、大正10年(1921年)に早稲田高等学院の学生が、下宿近くの軽食店で日々食事をしていて毎日同じメニューに飽きたため、店主に許しを得て自分で調理場に入り、切ったカツを丼ご飯の上にのせ、小麦粉でとろみをつけたウスターソースをかけて食べてみると美味しかったので、店主にかけ合って「カツ丼」という名前で新メニューにしたのが発祥という異説があるとのこと。ただ、この学生が“考案”する8年前に、既に早稲田の地で創業した「ヨーロッパ軒」がソースカツ丼のルーツというのはハッキリしているので、 “学生の街”早稲田として話を面白くするための些か“眉唾モノ”と感じられなくもありません。個人的には一番古い大正2年の発表、或いは翌年のヨーロッパ軒創業を以て、ソースカツ丼の発祥と断定して良いと思うのですが、他の地域はどうしてそこまで“我こそは!”に拘るのかが理解出来ません・・・(別に一番古いからと言って売れるとも限りませんので・・・。ただ煎餅やお餅でも、元祖や本家とか、酷い時には親戚筋で裁判で争ってでも一番を競うアホなケースもたくさんありますから、やはり商売上は何かそれなりの意味があるのかもしれませんが・・・??)。
なおソースカツ丼の発祥とは別に、個人的に面白いと感じたのは、ソースカツ丼のご当地の福井と長野は同じ北信越エリア、そして長野と群馬は隣県同士。更には群馬と福島も僅かとはいえ県境が接していることです。従って、もし岐阜県内にも何らかのご当地ソースカツ丼があれば、福井から福島まで一本で繋がることになり、謂わば“ソースカツ丼ベルト”が誕生することになります。
まぁ、それはともかくとして、日本列島の真ん中付近にソースカツ丼が集中しているのは、そのエリアの県民の味覚、性格、気候や地理など、何か特別な理由があるのかどうか・・・?偶然とはいえ、面白いと感じた次第・・・。

 2021年のNHK新人落語大賞で女性初の大賞を、これまた史上初の満点で受賞した上方の噺家、桂二葉。或る演芸評論家をして、「圧倒的な勝負強さ、透明感、集中力」と言わしめた、今注目の女流落語家です。
キノコの様なキレイなオカッパ頭。その“マッシュルームカット”に、ニコニコと愛嬌のある(≒可愛らしい)顔、そして自身で「落語界の白木みのる、て言われますぅ」と紹介する甲高い声(白木みのるって、お笑い時代の藤田まことと一緒に「てなもんや三度笠」に確か出ていた筈ですが、上方でもお年寄り以外で知っている人は今ではもう少ないと思うのですが・・・)。
色っぽいというよりも(本人曰く、「色っぽさの微塵も無い」)、子供っぽく見えるためか、その甲高い声も手伝って、実際にもそういう定評なのですが、丁稚や小僧さん、アホな与太郎などを演じさせると絶品で、本当に上手い!

 個人的にはコミックスの「どうらく落語」で落語に嵌まったのをきっかけに、品のある圓生、これぞ江戸っ子という気風の志ん朝、そして現役では粋なさん喬師匠に爆笑落語の権太楼師匠と、好きな噺家は江戸落語ばかりなので、上方落語も枝雀米朝と決して嫌いでは無いのですが、どちらかというと何となく苦手で余り上方落語は聞いていないのですが、「どうらく落語」にも出て来るNHKの新人落語大賞は毎回注目していて、その中で当時はまだ二ツ目だった若手の実力派小痴楽師匠を知り、6年前の“500回突破記念”でのさん喬師匠と権太楼師匠始め、小痴楽師匠も二ツ目時代と真打ちになってからの二度来演された「松本落語会」で生落語を聴かせてもらいました。
NHKの新人落語大賞は二ツ目の若手落語家の登竜門でもあることから、そうした二ツ目の噺家が毎回登場する「まつぶん寄席」も興味を持って、スケジュールさえ合えば毎回の様に聴かせてもらっています(しかもありがたいことに、シルバー料金は500円というワンコインなんです!)。
 そのNHK新人落語大賞で二葉さんを聞いて、どちらかと云えば上方落語は苦手なのに、
 「あっ、この人ホンモノだ・・・面白い!」。
と個人的にも大いに感心したので、権太楼師匠を初めとする審査員全員の満点評価にはビックリしましたが、結果の大賞受賞は“我が意も得たり”で大いに納得出来ました。
そして後日、大賞受賞後の囲み取材で感想を聞かれ、今や“名言”でもある「ジジイども見たかぁ!!」と啖呵を切ったと知り、これまた大いに印象深く感じた次第です。イイじゃないですか、「その言やヨシ!」(*写真はオフィシャルサイトからお借りしました)。
しかも後で知ったのは、決して前年に審査員の権太楼師匠にボロクソ貶された(と本人は感じたらしいのですが)からではなく、前座からの修業時代に「女に落語は出来ないから座布団返しだけやっとけ!」とか「女に古典は無理や、新作だけやっとけばエエんや!」、と散々批判され続けて来たのが皆年寄りのオッサンばかりからで、云われる度に「今に見とれ!」という、そんな大阪の東住吉出身という“こてこて”の難波オンナの“ジジイども”への反骨芯から口に出た言葉だったとか。
彼女ばかりではありませんが、男社会だった落語家の世界でやって行くには、むしろそのくらいの気概が無いとやってはいけないでしょうから、大いに「その意気やヨシ!」ではないでしょうか。

 YouTubeで見ることが出来る、大賞受賞をきっかけに開催された、大阪朝日放送のABCラジオ主催の「桂二葉しごきの会」。この「しごきの会」は、若手が一度に3席ネタおろしするという、大変なもの。そして、しごき役として彼女の師匠である桂米二と同じ米朝一門の桂吉弥の両師匠で、ネタ出しは次の通りで、前座話でもある「味噌豆丁稚」、「幽霊の辻」、そして大ネタ「らくだ」。その本番の高座が始まって、
 「気ぃですよ!気ぃですけど、しごけるもんなら、しごいてみろ!」
と開口一番。そして、最初の一席目の「味噌豆」で、丁稚の定吉と旦那さんの演者のセリフを取り違えて途中を飛ばしてしまい、本人もすぐに気が付いて、少し間をおいて
 「あっ、・・・これ間違うてますネェ~。えらいこっちゃ!」。
そして戻した後で取り違えた本来の箇所に来て、ちゃんと喋ってから一言、
 「此処やがな!ホンマに・・・」
と、独り言のように呟いて、トチリさえ笑いに変えて大いに客席を沸かせます。ご本人もTwitterで書いていましたが、
 「一席目の途中で間違いに気ぃついた時は、ほんま心臓止まるかと思た!」
でも、それでちゃんと笑いを取る所が上方の噺家らしくて実にイイ!

 大賞受賞をきっかけに、関西のみならず東京のキー局でのレギュラー出演もしている今や超売れっ子ですが、YouTubeで幾つかその後?の高座を聞くと(限られたYouTubeでしか聞く機会がありませんので、聴くことが出来るネタは限られますし、以前に収録された高座が多いので、もしかすると取り越し苦労で実際は違うのかもしれませんが)、枕が毎回ほぼ同じ(近所の“悪ガキ”の男の子との無邪気なやりとり)なのが少々気になりました。
バラエティー番組のレギュラー出演も全国的な人気取りには大切なのかもしれませんが、“大きなお世話”ながら、むしろちゃんと落語の修業を積んで、権太楼師匠が言われた通りもっと持ちネタを増やして、“女流”という修飾語など一切関係無い上方落語の実力派の噺家になって欲しいと、他人事ながら心配し、また大いに「 期待してまーす!! 」
(そして願わくば、大阪はちょっと無理なので東京の定席で、いつか一度は生で聴いてみたいと思っています。)

 奥さまが娘たちの手伝いに上京して不在の平日、久し振りに松本市埋橋の通称“国体道路“沿いにある「若松食堂」へ。
看板には「拉麺の店 わかまつ」と表記されています(いつの頃からの看板か分かりませんが、拉麺という漢字が何だかイイですね)。
前回来たのは定年前の上田の子会社勤務だった時で、上田から塩尻の事業所への外出途中にランチで立ち寄ったと記憶していますので、少なくとも7年近く前の筈。「わかまつ」は街中のラーメン屋さんにしては珍しく、すぐ裏手に6台近く停められる結構広い駐車場が在るので、車で来ても助かります。

 7年前と同じ擦りガラスの引き戸の入り口で、如何にも昭和の頃からそのまま何も変わっていない感じの、所謂“町の食堂”といった雰囲気です。もし徒歩だと、松本駅からあがたの森方面まで駅前通りを直進して、手前の秀峰学園を右折してすぐ。駅からは凡そ2㎞近くあるでしょうか。ですので、駅周辺などで飲んでも、〆でラーメンを食べるには少々遠過ぎます。従って、ご近所さんはともかく、一般の人にとってはふらっと入れる店では無く、最初からここ「わかまつ」でラーメンを食べるために来る店です。
入る前から入り口付近の換気扇から噴き出す煙で分かりましたが、店内も煙でもうもう・・・。どうやら出前用なのか、餃子を焼く煙の様です。
「わかまつ」は地元の人気店ですので、行ったのは混雑する昼休みを避けて1時半頃でしたが、カウンターに食べ終わった常連さんが一人だけ。
狭い店内はテーブル2卓とカウンターが5席なのでカウンター席に座ろうとしたら、オジサンが「煙くてワリイね」とテーブル席を勧めてくれました。
 壁に貼られた短冊のメニューには、ラーメン類以外にも、カツ丼、中華丼、焼肉ライス、ソース焼きそば、固焼きそばなどもあるので、正式な店名通り“町の食堂”なのでしょうが、殆どは「ラーメンのわかまつ」として認識されている筈。餃子を焼く煙が店内に立ち込めていましたが、テーブルには2年位前からだそうですが、「餃子始めました」の案内がありました。
その手書きのカラーイラストもですが、併せて壁には松本観光大使も務める山好きの漫画家鈴木ともこさんのイラスト入りのサイン色紙が何枚か・・・。松本在住故、どうやら彼女も「Doon食堂インド山」に加えて「わかまつ」の常連さんになったのでしょうか。
 さて、私メの注文はラーメン大盛り。普通のラーメンが650円で大盛りは+100円。前よりは多少値上げされていますが、それでも他店よりはリーズナブルです。
注文すると“こってり”か“アッサリ”かを聞かれます。こってりは冷め難い様に鶏油をスープの表面に膜の様に張ってくれますが、私メはアッサリでお願いしました。
「わかまつ」のラーメンは、店構え同様に昭和の味。鶏ガラ主体のスープに、チャーシューの煮出したタレを“かえし”で足して、おそらく昆布か野菜の出汁も利いていて・・・。ただ今回感じたのは旨味というか何かが弱く、むしろ和風の出汁に近い感じがしたのですが・・・??
トッピングは、豚バラチャーシューが二枚にメンマ、焼き海苔、刻みネギ。海苔も今風のこれ見よがしな大判ではなく、控えめな名刺判サイズで飽くまで“昭和”の昔風。これに更にナルトが載っていれば、完璧に昭和でしょうか。
個人的に気に入っているのは麵が固茹での中細の縮れ麺。スープが良く絡み、カンスイが効いているのか、別にこってりをお願いしなくても大盛りで食べるのに少々時間が掛かっても、最後まで麺がのびないこと。
そして特筆すべきは、バラチャーシューの美味しさ。ほろほろと口の中で溶けていきます。これならチャーシューメンを食べたくなります。また、テーブルコショウが粗挽きのブラックペッパーなのもイイ。ラーメンには白よりも黒の方が絶対に合うと思います。
昔ながらの「支那そば」風で殆どスープも完食。値段も、ラーメン一杯650円、大盛りが+100円の750円と非常に良心的です。大盛りも軽く平らげて、
 「どうも、ごちそうさまでした!」
 派手さの無いシンプルなラーメンですが、昔子供の頃に連れて行ってもらって食べた、“三丁目の夕日”に出て来る様な懐かしい味。いつまでも変わらずにずっと続いていって欲しい、松本のそんな昭和レトロな“中華そば”。そう云えば、「Always 三丁目の夕日」の山崎貴監督の母校もこの直ぐ近くでしたっけ・・・。

 シンガポールからの帰任後、一新したオーディオセットの中のレコードプレーヤー。東京への出張帰りに電車を予定より少し送らせては秋葉原に何度か寄って、自分なりに選んだオーディオ専門店で担当者のアドバイスをもらいながら一式全部揃えたのですが、限られた予算の中で担当の方が勧めてくださったレコードプレーヤーがDENONのDP-37Fでした。
 今回の狭いマンションへの引っ越しを機に、その時に購入したアンプもCDもMD(一体何だったんだろう?あっという間に消えてしまいました)もFMチューナーもカセットデッキも置く場所が無いので全て廃棄し、アンプとCD、チューナーはマランツのネットワークCDレシーバーM‐CR612一本に統一。
三本あったスピーカーも置くスペースが無いことから、自作した長岡式バックロードホーンの名器スワンは泣く泣く諦め、結局1979年に社会人になって買った、手持ちのスピーカーの中では一番古い(でも音に変なクセが無く音場感があって、エンクロージャーも頑丈で一本21.5㎏もあった)LS-202(KENWOODではなく前身のTORIOです!)に絞りました(秋葉でクラシックを聴くならと薦められ、実際に試聴した上で気に入って購入したKEFのトールボーイCoda 9は設置面積が狭いので、物置兼書斎のサブシステム用に使っています。因みにCoda 9は10.5㎏とLS-202の半分の重さでした)。
そして、最後に残ったのがこのDENONのレコードプレーヤーです。
廉価版で再版されていた嘗ての名盤など、学生時代からコツコツと買い集めた130枚程のLPレコードは捨てられず、そうかといって、それらの手持ちの古いレコードを聴くためだけにまた新たにプレーヤーを買い替えるのもバカバカしいので、些か古くてもこのDENONのレコードプレーヤーを新居でもそのまま使い続けることにしました。

 DENONのターンテーブルDP-37Fは、1984年に発売が開始されたダイレクトドライブのフルオートプレイヤー。ちゃんと取ってある付属のマニュアルに拠ると、SN比は78dB以上、ワウフラッター(回転ムラ)が0.012%という、スペック的には当時の上位機種と遜色の無い、世間的にもハイコスパという評価を得ていたモデルで、1984年の発売当時の価格は54,800円だったとのこと。
今でもネット上のDENONのH/Pで見ることが出来る当時の紹介記事に拠ると、
『ダイナミックサーボトレーサー採用アームを搭載したフルオートプレイヤーで、ターンテーブル部には磁気記録検出方式のDENONクォーツターンテーブルを採用して、磁気記録検出方式とクォーツロックの組み合わせに両方向サーボを追加することにより、安定した回転性能を実現しています。
トーンアーム部にはダイナミックサーボトレーサーを搭載した電子制御式無接触トーンアームを採用。ダイナミックサーボトレーサーではカートリッジのコンプライアンスとトーンアームの実効質量による低域共振を水平、垂直両方向ともに電子的にダンピングしており、クロストークの悪化や混変調歪を効果的に抑制しています。なお、アーム本体には軽質量ストレートアームを採用しています。
また、鏡面仕上げが施されたキャビネットで、カートリッジとして楕円針付き軽自重MMカートリッジであるDL-65を装備しています。』

このレコードプレーヤーを購入したのは、シンガポールから帰任して2年後の1996年くらいだった筈。従って、発売後既に10年以上も経っていたことになりますが、時代は既にCDが主流になっていて、レコードプレーヤーは脇役で隅?に追いやられていました。従って、新たに開発費を掛ける程の市場規模では無くなっていたのでしょうし、また一方で、ターンテーブルとしても技術的にはモデルチェンジを繰り返す必要が無い程に熟成もしていたのでしょう。
社会人になって買ったSONYのベルトドライブ方式のレコードプレーヤーは手動でしたので、ややもするとズレてガガガというノイズを立ててしまう(基本は最初にヴォリュームをゼロに絞っておいて、針を降ろしてからボリュームを上げるのが本来なのですが)など、苦労したレコード盤に針をピンポイントで“溝”に静かにそっと下ろす作業が、このプレーヤーはフルオート故に、スタートボタン一つで殆どノイズも立てずに自動的にピタッと接地するのが実に感動モノでした(今でも凄いと思います)。
しかし、このレコードプレーヤーを購入した当時も、時代は既にCD中心になっていて、そのため購入する新盤も全てCDでした。
1980年代になってCDが世の中に登場した初期は、LPとCDが併売されていた期間もあったのですが(個人的にはジャケットが小さいCDよりも音源に関する説明の情報量が遥かに多いLPの方が良かったのですが)、やがて新たな音源は全てCDのみとなり、結果としてシンガポール赴任中も現地のCDショップで購入したモノ(日本で云う輸入盤)も含め、全部で300枚程になったCDが日常的な音楽鑑賞(死語?)の中心とならざるを得ず、社会人になって揃えたシステムコンポもシンガポールに持って行ったサンスイのCDミニコンポも全て廃棄して、日本へ帰任してレコードプレーヤーも含め一式買い替えた当初は結構レコードも聴いていたのですが、結局は新しい音源が増えないことから次第に使わなくなってしまいました。

 マンションへの引っ越し前にオーディオ類をどう整理しようかと迷い、一応の動作確認もふまえて全部試聴しようと思ったのですが、どのモデルも購入して四半世紀が経っていますので、電化製品は経年劣化で特にアンプは接続不良気味。それまでもCDは問題無く聴けていたのですが、久し振りに駆動させたレコードプレーヤーはちゃんと動いて回転しているのですが、アンプ側の接続不良か、或いは針が寿命なのか、上手く音出しが出来ませんでした。こうした電化製品の経年劣化は止むを得ません。
そのため既にご紹介した通り、新居の狭いマンションでは設置スペースがありませんので、アンプとCDプレーヤー、チューナーを個別に揃えるのは諦めて、スペース効率が良いマランツの最新一体型のネットワークレシーバーに替え、更にネットワークオーディオ故に新たな音源としてインターネットラジオや音楽のサブスクも楽しめるようにしました。
マランツのネットワークレシーバーM‐CR612は、サイズはミニコンポ並みに小型ながら、ピュアオーディオ機器として他のフルサイズの機種にも引けを取らないくらいに高性能で、オーディオ専門誌では発売以来何年もベストバイモデルとして非常に高い評価を受けている機種なのですが、ただ残念ながらアンプ側にPhono端子が無いため、そのままではフォノイコライザーを内蔵していないレコードプレーヤーは接続出来ず、別途(レコードの音声信号を増幅するための)フォノイコライザーを購入してプレーヤーとアンプを中継する必要があります。
DL-37Fは使用するカートリッジが専用のMM型しか使えないので、フォノイコライザーもMM対応機種でOKです。


そこでMM専用でコスパの良いモデルを探して、オーディオテクニカのAT-PEQ3を購入しました。
このモデルはMM型カートリッジ専用のフォノイコライザーで、6000円ちょっとで購入出来ます。僅か160gという小型サイズですが、高音質ICをイコライザー回路に採用したクリアな音質で、音響プロが愛用していることも多いという評判の高コスパモデルとのこと(唯一のネックは、イコライザー側に独立した電源ON/OFFのスイッチが無いこと)。
地元でも松本市内唯一となったオーディオ専門店が頑張っていて、そちらや家電量販店でも注文は可能ですが、どこもそんな特殊な製品は取り寄せになるので、そうであれば再訪不要なネット通販の方がユーザーにとっては便利。そのため現物を目で見て確認する必要が無い場合は、結局店頭販売ではなくネット注文でのオンラインショッピングになってしまう悪循環・・・。
 届いたフォノイコライザーを経由して、早速レコードプレーヤーをレシーバーのアナログ端子に接続し、久し振りにレコードの音出しです。しかし、音圧が上がりません。アナログ変換の問題もあるのか、デジタル音源と比べるとボリュームは半分位の聴感しかありません。昔聴いていた時のイメージとは随分違います。アンプやイコライザーの問題(勿論、モデルの違いによる音質などの変化はありますが)というよりも、ノイズなども結構目立ちます。オリジナルの針はカタログ上の耐用は500時間で、実際そこまで使用したという記憶は無いのですが、やはり四半世紀も経てばレコード針も経年劣化しているのかもしれません。
そこで交換針を探したのですが、当然ながら指定された交換針やカートリッジは既に製造中止。JICOというメーカーに互換針もありましたが、かなり高価。材質の違いに拠り何種類かあるのですが、最低でも9000円以上で、針先が高品質な素材だと2万円以上もしています。しかも9000円の交換針は耐用時間が150時間しかありませんが、DENONオリジナルの針は500時間です。
そこでオークションやフリマで探したところ、一年程前ですが過去販売されたDENONの交換針の未使用品が、当時の販売価格(5000円)以下でオークションサイトに出ており入札しようとしたのですが、うっかり締め切りを過ぎてしまい落札出来ませんでした。
そして、その後は時々チェックしてもなかなか見つからずにいたのですが、最近未開封の未使用品がフリマサイドに出ていて8500円とのこと。もし、ここで逃すと今度またいつになるのか分からないので、値下げ交渉もせず、思い切って言い値のその価格で購入しました。
因みに、84年からターンテーブルのDP-37Fは発売がされていて、購入したのは96年頃だとして、交換針やカートリッジは2000年代頃までは販売されていたでしょうから、未使用とはいえ出品者が購入されてから最低でも15年位は経っているでしょう。当時の販売価格が5000円でしたから、その後の物価上昇等考えれば(交換針自体の価値が上昇しているかどうかは別として)止むを得ません。



届いたカートリッジを見ると、確かに未使用で外観は新品同様です。しかしさすがに15年近くも経っているため、開封してみると針先を守るクッションカバーのスポンジが湿気を帯びて加水分解でベトベトと泥の様になっていました。
止む無く、つまようじでその“泥”を慎重に且つ丁寧に取り除きました。目視では、幸いそれ以外の異常は認められませんでした。
 マニュアルに沿って慎重に針を交換し、音出しです。
・・・すると、まるで見違えました!(勿論、見たのではなく耳で聴いた音なのですが・・・)アナログレコード特有の、あの柔らかいサウンドが蘇ったのです。しかもフォノイコライザー経由の音圧も、CDやインターネットラジオなどのデジタル音源に比べるとアナログ入力では聴感上1.5倍くらいのボリュームが必要ですが、前回の倍程にアップしてします。そうです!これがレコードの音です。暫くウットリと聴き惚れていました。
単純に云えば“まろやか”で、音に優しく包まれる感じ?・・・でしょうか。これが、久しく忘れていた“アナログ”の魅力・・・なのでしょうか?
本当に久し振りで、先ずは大好きだったオトマール・スウィトナー、そしてカール・ベームのモーツァルト。それからラファエル・クーベリックのシューマンとマーラー(彼のモーツァルトも大好きなのですが、CD全集で持っています)、そしてイシュトヴァン・ケルテスのドボルザークと、ザンデルリンクのブラームスにケンペのベートーヴェンetc・・・往年の名盤の数々。
更にジャンルを変えて、ふきのとうやオフコース、そしてチューリップ・・・。洋盤(死語?)ではABBAやQEEN、更にはアール・クルーなどなど・・・。音と共に懐かしい昔(大袈裟に云えば“青春”)が蘇ります。
こうした私の様なレコードを懐かしむ“昔の若者”のみならず、最近では若者世代の間でもまたアナログレコードが秘か?なブームになっているといいます。そのため、最近ではPhono端子が無いアンプも増えていることから、そうした流れに対応してフォノイコライザーをプレーヤー側に内蔵し、しかもBluetooth機能が搭載されたワイヤレス対応で入門用のお手頃なレコードプレーヤーも発売されているので、手軽にアナログレコードを楽しむことが出来るようになっています。
また海外では、70年代から80年代の日本の所謂“ニュー・ミュージック”が“シティ・ポップス”と呼ばれて人気を博しているとかで、NYに居る長女の婿殿も日本の“シティ・ポップス”に嵌まり、その類のレコードを集めて、わざわざ最新のレコードプレーヤーを買って聴いているのだとか。娘からそれを聞いていたので、80年代中心の“Jポップ”の手持ちのシングル盤数十枚を、昨年コロナ禍明けで久しぶりに来日出来た折に全部プレゼントして喜んでもらいました(いずれ私メの亡き後は、手持ちのLPもきっと引き継いでくれるでしょう)。
 ・・・とまぁ、最近の時流に合わせてという意味では決して無く、何周かの周回遅れだったのが、知らない間に先頭がまた追い付いて来ただけなのですが、世間の時流がどうこうではなく、飽くまで懐かしい昔をまた“良い音”で楽しんでいこうと思っています。

≪前へ | 11 / 100 | 次へ≫