カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 奥さまが娘たちの手伝いに上京して不在の平日、久し振りに松本市埋橋の通称“国体道路“沿いにある「若松食堂」へ。
看板には「拉麺の店 わかまつ」と表記されています(いつの頃からの看板か分かりませんが、拉麺という漢字が何だかイイですね)。
前回来たのは定年前の上田の子会社勤務だった時で、上田から塩尻の事業所への外出途中にランチで立ち寄ったと記憶していますので、少なくとも7年近く前の筈。「わかまつ」は街中のラーメン屋さんにしては珍しく、すぐ裏手に6台近く停められる結構広い駐車場が在るので、車で来ても助かります。

 7年前と同じ擦りガラスの引き戸の入り口で、如何にも昭和の頃からそのまま何も変わっていない感じの、所謂“町の食堂”といった雰囲気です。もし徒歩だと、松本駅からあがたの森方面まで駅前通りを直進して、手前の秀峰学園を右折してすぐ。駅からは凡そ2㎞近くあるでしょうか。ですので、駅周辺などで飲んでも、〆でラーメンを食べるには少々遠過ぎます。従って、ご近所さんはともかく、一般の人にとってはふらっと入れる店では無く、最初からここ「わかまつ」でラーメンを食べるために来る店です。
入る前から入り口付近の換気扇から噴き出す煙で分かりましたが、店内も煙でもうもう・・・。どうやら出前用なのか、餃子を焼く煙の様です。
「わかまつ」は地元の人気店ですので、行ったのは混雑する昼休みを避けて1時半頃でしたが、カウンターに食べ終わった常連さんが一人だけ。
狭い店内はテーブル2卓とカウンターが5席なのでカウンター席に座ろうとしたら、オジサンが「煙くてワリイね」とテーブル席を勧めてくれました。
 壁に貼られた短冊のメニューには、ラーメン類以外にも、カツ丼、中華丼、焼肉ライス、ソース焼きそば、固焼きそばなどもあるので、正式な店名通り“町の食堂”なのでしょうが、殆どは「ラーメンのわかまつ」として認識されている筈。餃子を焼く煙が店内に立ち込めていましたが、テーブルには2年位前からだそうですが、「餃子始めました」の案内がありました。
その手書きのカラーイラストもですが、併せて壁には松本観光大使も務める山好きの漫画家鈴木ともこさんのイラスト入りのサイン色紙が何枚か・・・。松本在住故、どうやら彼女も「Doon食堂インド山」に加えて「わかまつ」の常連さんになったのでしょうか。
 さて、私メの注文はラーメン大盛り。普通のラーメンが650円で大盛りは+100円。前よりは多少値上げされていますが、それでも他店よりはリーズナブルです。
注文すると“こってり”か“アッサリ”かを聞かれます。こってりは冷め難い様に鶏油をスープの表面に膜の様に張ってくれますが、私メはアッサリでお願いしました。
「わかまつ」のラーメンは、店構え同様に昭和の味。鶏ガラ主体のスープに、チャーシューの煮出したタレを“かえし”で足して、おそらく昆布か野菜の出汁も利いていて・・・。ただ今回感じたのは旨味というか何かが弱く、むしろ和風の出汁に近い感じがしたのですが・・・??
トッピングは、豚バラチャーシューが二枚にメンマ、焼き海苔、刻みネギ。海苔も今風のこれ見よがしな大判ではなく、控えめな名刺判サイズで飽くまで“昭和”の昔風。これに更にナルトが載っていれば、完璧に昭和でしょうか。
個人的に気に入っているのは麵が固茹での中細の縮れ麺。スープが良く絡み、カンスイが効いているのか、別にこってりをお願いしなくても大盛りで食べるのに少々時間が掛かっても、最後まで麺がのびないこと。
そして特筆すべきは、バラチャーシューの美味しさ。ほろほろと口の中で溶けていきます。これならチャーシューメンを食べたくなります。また、テーブルコショウが粗挽きのブラックペッパーなのもイイ。ラーメンには白よりも黒の方が絶対に合うと思います。
昔ながらの「支那そば」風で殆どスープも完食。値段も、ラーメン一杯650円、大盛りが+100円の750円と非常に良心的です。大盛りも軽く平らげて、
 「どうも、ごちそうさまでした!」
 派手さの無いシンプルなラーメンですが、昔子供の頃に連れて行ってもらって食べた、“三丁目の夕日”に出て来る様な懐かしい味。いつまでも変わらずにずっと続いていって欲しい、松本のそんな昭和レトロな“中華そば”。そう云えば、「Always 三丁目の夕日」の山崎貴監督の母校もこの直ぐ近くでしたっけ・・・。

 シンガポールからの帰任後、一新したオーディオセットの中のレコードプレーヤー。東京への出張帰りに電車を予定より少し送らせては秋葉原に何度か寄って、自分なりに選んだオーディオ専門店で担当者のアドバイスをもらいながら一式全部揃えたのですが、限られた予算の中で担当の方が勧めてくださったレコードプレーヤーがDENONのDP-37Fでした。
 今回の狭いマンションへの引っ越しを機に、その時に購入したアンプもCDもMD(一体何だったんだろう?あっという間に消えてしまいました)もFMチューナーもカセットデッキも置く場所が無いので全て廃棄し、アンプとCD、チューナーはマランツのネットワークCDレシーバーM‐CR612一本に統一。
三本あったスピーカーも置くスペースが無いことから、自作した長岡式バックロードホーンの名器スワンは泣く泣く諦め、結局1979年に社会人になって買った、手持ちのスピーカーの中では一番古い(でも音に変なクセが無く音場感があって、エンクロージャーも頑丈で一本21.5㎏もあった)LS-202(KENWOODではなく前身のTORIOです!)に絞りました(秋葉でクラシックを聴くならと薦められ、実際に試聴した上で気に入って購入したKEFのトールボーイCoda 9は設置面積が狭いので、物置兼書斎のサブシステム用に使っています。因みにCoda 9は10.5㎏とLS-202の半分の重さでした)。
そして、最後に残ったのがこのDENONのレコードプレーヤーです。
廉価版で再版されていた嘗ての名盤など、学生時代からコツコツと買い集めた130枚程のLPレコードは捨てられず、そうかといって、それらの手持ちの古いレコードを聴くためだけにまた新たにプレーヤーを買い替えるのもバカバカしいので、些か古くてもこのDENONのレコードプレーヤーを新居でもそのまま使い続けることにしました。

 DENONのターンテーブルDP-37Fは、1984年に発売が開始されたダイレクトドライブのフルオートプレイヤー。ちゃんと取ってある付属のマニュアルに拠ると、SN比は78dB以上、ワウフラッター(回転ムラ)が0.012%という、スペック的には当時の上位機種と遜色の無い、世間的にもハイコスパという評価を得ていたモデルで、1984年の発売当時の価格は54,800円だったとのこと。
今でもネット上のDENONのH/Pで見ることが出来る当時の紹介記事に拠ると、
『ダイナミックサーボトレーサー採用アームを搭載したフルオートプレイヤーで、ターンテーブル部には磁気記録検出方式のDENONクォーツターンテーブルを採用して、磁気記録検出方式とクォーツロックの組み合わせに両方向サーボを追加することにより、安定した回転性能を実現しています。
トーンアーム部にはダイナミックサーボトレーサーを搭載した電子制御式無接触トーンアームを採用。ダイナミックサーボトレーサーではカートリッジのコンプライアンスとトーンアームの実効質量による低域共振を水平、垂直両方向ともに電子的にダンピングしており、クロストークの悪化や混変調歪を効果的に抑制しています。なお、アーム本体には軽質量ストレートアームを採用しています。
また、鏡面仕上げが施されたキャビネットで、カートリッジとして楕円針付き軽自重MMカートリッジであるDL-65を装備しています。』

このレコードプレーヤーを購入したのは、シンガポールから帰任して2年後の1996年くらいだった筈。従って、発売後既に10年以上も経っていたことになりますが、時代は既にCDが主流になっていて、レコードプレーヤーは脇役で隅?に追いやられていました。従って、新たに開発費を掛ける程の市場規模では無くなっていたのでしょうし、また一方で、ターンテーブルとしても技術的にはモデルチェンジを繰り返す必要が無い程に熟成もしていたのでしょう。
社会人になって買ったSONYのベルトドライブ方式のレコードプレーヤーは手動でしたので、ややもするとズレてガガガというノイズを立ててしまう(基本は最初にヴォリュームをゼロに絞っておいて、針を降ろしてからボリュームを上げるのが本来なのですが)など、苦労したレコード盤に針をピンポイントで“溝”に静かにそっと下ろす作業が、このプレーヤーはフルオート故に、スタートボタン一つで殆どノイズも立てずに自動的にピタッと接地するのが実に感動モノでした(今でも凄いと思います)。
しかし、このレコードプレーヤーを購入した当時も、時代は既にCD中心になっていて、そのため購入する新盤も全てCDでした。
1980年代になってCDが世の中に登場した初期は、LPとCDが併売されていた期間もあったのですが(個人的にはジャケットが小さいCDよりも音源に関する説明の情報量が遥かに多いLPの方が良かったのですが)、やがて新たな音源は全てCDのみとなり、結果としてシンガポール赴任中も現地のCDショップで購入したモノ(日本で云う輸入盤)も含め、全部で300枚程になったCDが日常的な音楽鑑賞(死語?)の中心とならざるを得ず、社会人になって揃えたシステムコンポもシンガポールに持って行ったサンスイのCDミニコンポも全て廃棄して、日本へ帰任してレコードプレーヤーも含め一式買い替えた当初は結構レコードも聴いていたのですが、結局は新しい音源が増えないことから次第に使わなくなってしまいました。

 マンションへの引っ越し前にオーディオ類をどう整理しようかと迷い、一応の動作確認もふまえて全部試聴しようと思ったのですが、どのモデルも購入して四半世紀が経っていますので、電化製品は経年劣化で特にアンプは接続不良気味。それまでもCDは問題無く聴けていたのですが、久し振りに駆動させたレコードプレーヤーはちゃんと動いて回転しているのですが、アンプ側の接続不良か、或いは針が寿命なのか、上手く音出しが出来ませんでした。こうした電化製品の経年劣化は止むを得ません。
そのため既にご紹介した通り、新居の狭いマンションでは設置スペースがありませんので、アンプとCDプレーヤー、チューナーを個別に揃えるのは諦めて、スペース効率が良いマランツの最新一体型のネットワークレシーバーに替え、更にネットワークオーディオ故に新たな音源としてインターネットラジオや音楽のサブスクも楽しめるようにしました。
マランツのネットワークレシーバーM‐CR612は、サイズはミニコンポ並みに小型ながら、ピュアオーディオ機器として他のフルサイズの機種にも引けを取らないくらいに高性能で、オーディオ専門誌では発売以来何年もベストバイモデルとして非常に高い評価を受けている機種なのですが、ただ残念ながらアンプ側にPhono端子が無いため、そのままではフォノイコライザーを内蔵していないレコードプレーヤーは接続出来ず、別途(レコードの音声信号を増幅するための)フォノイコライザーを購入してプレーヤーとアンプを中継する必要があります。
DL-37Fは使用するカートリッジが専用のMM型しか使えないので、フォノイコライザーもMM対応機種でOKです。


そこでMM専用でコスパの良いモデルを探して、オーディオテクニカのAT-PEQ3を購入しました。
このモデルはMM型カートリッジ専用のフォノイコライザーで、6000円ちょっとで購入出来ます。僅か160gという小型サイズですが、高音質ICをイコライザー回路に採用したクリアな音質で、音響プロが愛用していることも多いという評判の高コスパモデルとのこと(唯一のネックは、イコライザー側に独立した電源ON/OFFのスイッチが無いこと)。
地元でも松本市内唯一となったオーディオ専門店が頑張っていて、そちらや家電量販店でも注文は可能ですが、どこもそんな特殊な製品は取り寄せになるので、そうであれば再訪不要なネット通販の方がユーザーにとっては便利。そのため現物を目で見て確認する必要が無い場合は、結局店頭販売ではなくネット注文でのオンラインショッピングになってしまう悪循環・・・。
 届いたフォノイコライザーを経由して、早速レコードプレーヤーをレシーバーのアナログ端子に接続し、久し振りにレコードの音出しです。しかし、音圧が上がりません。アナログ変換の問題もあるのか、デジタル音源と比べるとボリュームは半分位の聴感しかありません。昔聴いていた時のイメージとは随分違います。アンプやイコライザーの問題(勿論、モデルの違いによる音質などの変化はありますが)というよりも、ノイズなども結構目立ちます。オリジナルの針はカタログ上の耐用は500時間で、実際そこまで使用したという記憶は無いのですが、やはり四半世紀も経てばレコード針も経年劣化しているのかもしれません。
そこで交換針を探したのですが、当然ながら指定された交換針やカートリッジは既に製造中止。JICOというメーカーに互換針もありましたが、かなり高価。材質の違いに拠り何種類かあるのですが、最低でも9000円以上で、針先が高品質な素材だと2万円以上もしています。しかも9000円の交換針は耐用時間が150時間しかありませんが、DENONオリジナルの針は500時間です。
そこでオークションやフリマで探したところ、一年程前ですが過去販売されたDENONの交換針の未使用品が、当時の販売価格(5000円)以下でオークションサイトに出ており入札しようとしたのですが、うっかり締め切りを過ぎてしまい落札出来ませんでした。
そして、その後は時々チェックしてもなかなか見つからずにいたのですが、最近未開封の未使用品がフリマサイドに出ていて8500円とのこと。もし、ここで逃すと今度またいつになるのか分からないので、値下げ交渉もせず、思い切って言い値のその価格で購入しました。
因みに、84年からターンテーブルのDP-37Fは発売がされていて、購入したのは96年頃だとして、交換針やカートリッジは2000年代頃までは販売されていたでしょうから、未使用とはいえ出品者が購入されてから最低でも15年位は経っているでしょう。当時の販売価格が5000円でしたから、その後の物価上昇等考えれば(交換針自体の価値が上昇しているかどうかは別として)止むを得ません。



届いたカートリッジを見ると、確かに未使用で外観は新品同様です。しかしさすがに15年近くも経っているため、開封してみると針先を守るクッションカバーのスポンジが湿気を帯びて加水分解でベトベトと泥の様になっていました。
止む無く、つまようじでその“泥”を慎重に且つ丁寧に取り除きました。目視では、幸いそれ以外の異常は認められませんでした。
 マニュアルに沿って慎重に針を交換し、音出しです。
・・・すると、まるで見違えました!(勿論、見たのではなく耳で聴いた音なのですが・・・)アナログレコード特有の、あの柔らかいサウンドが蘇ったのです。しかもフォノイコライザー経由の音圧も、CDやインターネットラジオなどのデジタル音源に比べるとアナログ入力では聴感上1.5倍くらいのボリュームが必要ですが、前回の倍程にアップしてします。そうです!これがレコードの音です。暫くウットリと聴き惚れていました。
単純に云えば“まろやか”で、音に優しく包まれる感じ?・・・でしょうか。これが、久しく忘れていた“アナログ”の魅力・・・なのでしょうか?
本当に久し振りで、先ずは大好きだったオトマール・スウィトナー、そしてカール・ベームのモーツァルト。それからラファエル・クーベリックのシューマンとマーラー(彼のモーツァルトも大好きなのですが、CD全集で持っています)、そしてイシュトヴァン・ケルテスのドボルザークと、ザンデルリンクのブラームスにケンペのベートーヴェンetc・・・往年の名盤の数々。
更にジャンルを変えて、ふきのとうやオフコース、そしてチューリップ・・・。洋盤(死語?)ではABBAやQEEN、更にはアール・クルーなどなど・・・。音と共に懐かしい昔(大袈裟に云えば“青春”)が蘇ります。
こうした私の様なレコードを懐かしむ“昔の若者”のみならず、最近では若者世代の間でもまたアナログレコードが秘か?なブームになっているといいます。そのため、最近ではPhono端子が無いアンプも増えていることから、そうした流れに対応してフォノイコライザーをプレーヤー側に内蔵し、しかもBluetooth機能が搭載されたワイヤレス対応で入門用のお手頃なレコードプレーヤーも発売されているので、手軽にアナログレコードを楽しむことが出来るようになっています。
また海外では、70年代から80年代の日本の所謂“ニュー・ミュージック”が“シティ・ポップス”と呼ばれて人気を博しているとかで、NYに居る長女の婿殿も日本の“シティ・ポップス”に嵌まり、その類のレコードを集めて、わざわざ最新のレコードプレーヤーを買って聴いているのだとか。娘からそれを聞いていたので、80年代中心の“Jポップ”の手持ちのシングル盤数十枚を、昨年コロナ禍明けで久しぶりに来日出来た折に全部プレゼントして喜んでもらいました(いずれ私メの亡き後は、手持ちのLPもきっと引き継いでくれるでしょう)。
 ・・・とまぁ、最近の時流に合わせてという意味では決して無く、何周かの周回遅れだったのが、知らない間に先頭がまた追い付いて来ただけなのですが、世間の時流がどうこうではなく、飽くまで懐かしい昔をまた“良い音”で楽しんでいこうと思っています。

 我が家のコーヒー。ずっとUCCのモカブレンドを粉で買っていたのですが、このところの値上げラッシュの中でのコーヒー豆の値上げ後、UCCのラインナップが変わりモカブレンドが無くなってしまいました(豆の配合が変わった≒モカの割合を減らしたためか、値上げした上で“リッチ・ブレンド”とかに変更・・・)。
そこで、少なくともこれ迄10年以上は購入してきた筈の(ポイントも軽く1000点を越えていたのですが、その点数では特に欲しいモノも無く)UCCを止む無く諦め、松本にも全国チェーンのジュピターコーヒーが松本駅の駅ビル内に店舗があるので、それ以降定期的にジュピターのモカブレンド(勿論UCCよりもかなり高くなりますが)を豆で買って、自分でカリタの手動のミルで挽いて、ドリップ式のメリタのコーヒーメーカーで淹れて毎日飲んでいます。
水は勿論、「源智の井戸」のミネラルウォーターです。もう何年も前ですが、ドリップ用の水を松本湧水群の中で唯一の硬水である「源智の井戸」に替えたら格段とコーヒーが美味しくなったので、以来隔週くらいで珈琲専用に湧水を汲みに行っています。
以前、引っ越す前まで(マンションでは活けた花を飾るスペースが無いので諦めた由)毎週来られていた家内の活け花の先生が、湧水に替えたら「コーヒー豆、変えた?」と味の変化に驚かれていましたが、それだけ水の違いが大きいのです。勿論、松本にも自家焙煎をしている喫茶店や全国的にもコーヒー好きに知られる三澤珈琲や丸山珈琲などの専門店もあって美味しい豆も買えるのですが、そうした高い豆ではなく年金生活者ですので普通の安い豆と松本の銘水でコーヒーを楽しんでいます。
唯一、家内が寝る前にもコーヒーを飲む時があり、その時用に三澤珈琲のデカフェのグァテマラを粗挽きで買って飲んでいますが、それが少し高いくらいでしょうか。長女は松本に来ると、自家焙煎の店のコーヒーや丸山珈琲を買っていますが、我々は安い豆で十分。ただ、酸味が強い方が個人的に好きなので、唯一モカには拘らせてもらっていますが、それとてモカ・マタリとかではなく、飽くまでモカブレンドです。
他の店のモカブレンドも実際は色々試したのですが、結果的にジュピターのそれが結構他よりも酸味があったので、安いからだけではなく嗜好的にも個人的に気に入っています。ジュピターコーヒーのモカも豆で買って飲んでみたのですが、飲み比べてみると個人的にはモカよりもむしろモカブレンドの方が酸味も含めて何故か美味しく感じたため、以来ジュピターコーヒーではモカブレンド一択としました。
 そんな我が家のコーヒー好きを知っているので、以前の東京滞在中の川越観光のお土産に娘たちに買った漬物が美味しかったからと、そのお返しで婿殿がコーヒー豆をお土産に買って来てくれました。
それが「 PANAMA ESMERALDA GEISHA 」のコーヒー豆。最近人気のスペシャリティコーヒーの一つ、“ゲイシャコーヒー”です。
スペシャリティコーヒーとは、曰く、定義された品質基準をクリアした「シングルオリジンまたはシングルエステートコーヒーを使用する、利用可能な最高級のコーヒー」とのこと(ですので、何だかまるで“エビで鯛を釣った”様で、ホントおかたじけ・・・です)。
そして、その中で最近人気なのが“ゲイシャコーヒー”なのですが、その解説に依れば、
『ゲイシャ種は、もともとエチオピアのゲシャという村に自生していたことからゲシャ種と呼ばれていましたが、やがてゲイシャ種として知られるようになりました。名前の由来には他にも、現地に出入りした日本人業者が「ゲイシャ」と聞き間違えたという説もあります。
ゲイシャ種は病気に弱く、樹高が4m近くもあって栽培の難しいコーヒー豆です。さらに収穫量が少ないこともあり、長い間、コーヒー農園からは生産には不向きと敬遠されてきました。
コーヒー豆の品種としての歴史は浅く、ゲイシャ種がエチオピアで発見されたのは1931年のこと。1950年代にはさび病対策に使われる目的で南米・コスタリカへと渡り、1960年代に中米・パナマへ伝わりました。
ゲイシャ種の栽培を続ける数少ないコーヒー農園の一つが、パナマにあるエスメラルダ農園。エスメラルダ農園は標高1,600mほどに位置する世界有数のコーヒー農園。豊かな自然と降雨量に恵まれる上、無農薬や手摘み収穫など、こだわりある生産姿勢に定評があります。
ゲイシャ種が再び脚光を浴びるキッカケとなったのが、2004年に開催されたコーヒーの国際品評会です。エスメラルダ農園がゲイシャ種を出品したところ、これまでにない高値で落札されて優勝。ゲイシャショックと呼ばれるこの出来事から、ゲイシャ種は1日にして世界一有名なコーヒー豆となったのです。
ゲイシャコーヒーは、オレンジやグレープフルーツを彷彿とさせるフレッシュな酸味、はちみつやチョコレートのような濃厚な甘みが特長。ワインのように繊細で複雑なフレーバーを楽しめます。』
とのこと。

 確かに、豆を挽きドリップで飲んでみると、素人故にオレンジなのかグレープフルーツなのかまではバリスタの様に識別は出来ませんが、確かにフルーツの様な爽やかな酸味と、同様に由来はともかく甘みも感じます。確かに“スペシャリティ”と称するだけあって、決して伊達ではありません。しかし、どんな有名(≒高価)な豆であっても、必ずしもそう感ずる訳ではありません。例えば、以前頂いた「コピ・ルアク」。その由来はともかくとして、こちらも世界で最も高いコーヒー豆の一つとして知られますが、家内は「スッゴク美味しい!」と感激していましたが、確かに爽やかさは感じたものの酸味が少なくあっさりとしていて、個人的な嗜好とは違いました。
しかし、このゲイシャは確かに美味しいと思います。例えば、日本酒では大吟醸よりも純米酒の方が個人的には好みです。辛口、甘口、酸味の強弱、水、日本酒にも様々な違いに依る個性がある中で、自分に合った日本酒は同じ銘柄でも高価な大吟醸ではなく、辛口の純米酒でした。そんな自分好みの一本を探すのが面白いのと同様に、ワインもきっと同じだと思いますが、コーヒーも豆の種類や焙煎、はたまた生産地、そして豆のブレンド割合の違いなどに依る自分好みの味を探す(作る?)のが醍醐味なのかもしれないと感じた次第です。
(奥が底無しに深そうなので、泥沼に嵌まらぬ様、シンプルにモカブレンド一本で良し・・・とします)

 以前1744話でご紹介した通り、4LDKの中で一番狭く北向きで日当たりも良くない通路側の部屋を物置として使用しているのですが、その中の空きスペースを好きに使っても良いとの許可が(奥さまから)あったので、前の家からは大き過ぎて持って来られなかったデスクの代わりに、前回ご紹介した通りにL字型の机とそれと同じデザインの4段シェルフを購入し、私メのミニ書斎を兼ねて“男の隠れ家”として使っています。

付属の4段シェルフは、本来は机の横に付けて置くのですがスペースが無いので、離れた壁に密着させて写真スタンドやオーディオのサブシステムなどを置いて使っており、机の脇の2段の棚はスペースの有効活用で、100均ショップの積み重ね可能な高さの違うトレイを5個購入して、それぞれ2~3段積みの収納トレイとして活用。また机上には、前の家でも使い勝手が良かった小物入れ用の大中小の引き出し8つの木製の棚(収納棚の上部分で、横に伸縮可能)をそのまま載せて活用しています。
ここで、子供たちが高校生まで使っていたのを引き継いだ蛍光灯スタンドが寿命で切れてしまいました。代わりの蛍光管を買うことも出来ましたが、机上のスペース効率を考えて、クランプ式でフレキシブルアームのLEDデスクライトに変更。アームが70㎝ありますので、机の隅に取り付けても全体を照らすことが可能です。そして、先述の引き出しの木製家具で机上のスペースが結構取られているので、パソコンの作業スペースや、何か書いたりするためのスペースなど、更に限られた机の上をより有効に活用するためには、水平ではなく机の上部を使うしかありませんので、色々調べた結果、こちらもクランプ式をチョイス。
こちらは、『幅60cm クランプ式の机上ラックで、2段の棚は9段階(6cmピッチ)での高さ調整が可能。モニター下や壁面といったデッドスペースを収納スペースに変えることができる机上ラック』とのこと。従って、PCの上も使うことが出来ます。
一体型のミニコンポは本来引っ越し時に捨てても良かったのですが、サブシステムはネットワーク機能が無い古いタイプなのでインターネットラジオは聞けません。また構造故か、マンションのFM受信状態が劣悪で、北の通路側しか受信できないため、アンテナを張る場所的にこのミニコンポが“隠れ家”での唯一のFM受信ツール。従って、アンテナを張る通路側に近い場所にある机のどこかに置かざるを得ず、結果机上ラックの下にはPCを置き、その上にミニココンポを乗せることが出来ました。
因みに、リビングでは殆どFMが受信出来ないので、M-CR612でNHK-FMを聴きたい時は、インターネットラジオのNHK「らじる・らじる」で聴くことが出来ます。
また、長女から不要になった3段折り畳み式のクランプ式のタブレット用アームスタンドをもらってあり、これをdマガジン専用のタブレットに使っているのですが、こちらもスペーシャスです。
家内や長女からは“Messy!”と呆れられ、且つ非難もされてもいるのですが、スペースが限られているのですから、そこは美的よりも効率性を優先せざるを得ません。
 しかし、スペース効率とコストを優先して選んだ結果、問題もありました。
LEDデスクライトは中国企業で、机上ラックは日本メーカーなのですが、どちらもMede in China。
先ず、デスクライトは説明書が全くもって不親切。調光・調色機能とも何色かも、また変わる順番も記載がありません。そのため自分で試してみるしかありませんし、ONをする時はそのスイッチだけは赤色のライトが付いていますが、他の機能は印刷されているだけなので、暗闇(夜ライトを着けても、上部は暗くて判読不能)で、しかもOFFにする時はON/OFFのスイッチは点灯していないのでどの場所か不明。横のスペースに触れると都度設定してあった輝度や色が変わってしまい、またやり直さないといけない。
そこで仕方なく、自分で位置確認用のマーキングの印をテープで張り付けた次第。まぁ、日本製の半値でしょうから文句は言えませんが・・・。「中国製ではこんなモノ」と割り切った方がイイでしょう。
また机上ラックは日本企業なので、案内はそれなりに親切なのですが、Mede in China故に造作が“ヘボい”。組み立てに際し、スパナがキチッと嵌まらず、しょうがないので、何箇所かはスパナの代わりにラジオペンチで抑えて使いました。ナットも微妙で、嵌めるのに四苦八苦。パーツの精度がアバウトなので、例えばはみ出ない様にとかの微調整や微修正をしながら自分で工夫していかないといけないので、完成には思ったより時間が掛かりました。まぁ、これも値段を考えると止むを得ないでしょう・・・。
そうした問題はありましたが、掛けたコストを考えると、自画自賛ではありますが完成形は十分満足出来る状態を作ることが出来ました。
故に、これにて一件落着。“男の隠れ家”、私メのミニ書斎の完成!・・・です。
 その後、気分転換も兼ねて、特段の理由も無いのですが(強いて言えば、フロア型スピーカーの音が左横の一方向だけから来るのが不自然なので、せめて昔のカーオーディオ的に、背後左右の両方向からステレオ的に聞こえてくる様にと)それまでの東西方向に置いていた机を、南北方向に変更。それに伴い、壁に密着させていた4段のシェルフは側面も使いたいので、壁にくっ付けずに机の背後に移動させ、椅子を背後から遮るようにして、より“隠れ家的”(≒狭く囲まれた雰囲気)に配置しました。
以上、これでより“男の隠れ家”になって、私メのミニ書斎の最終形!・・・です(もし飽きたら、また気分転換で前の配置に戻します・・・)。

 5月下旬、朝のウォーキングの帰路で、城山から下って塩釜神社にお参りし、松本城公園を抜けて四柱神社へ。
途中、開智小学校の横を通って行くのですが、その開智小近くの住宅街にある小さなお店が、子供たちが小中学生の頃に随分お世話になったサンドイッチの店「グルメサンド」です。駐車場が無いため、常に買い求めるお客さんの車が店の前の道路脇に停まっているのですが、その日はお休みなのか車が停まっておらず、また店内にも人の気配も無く、定休日かと思って何となく店のドアを見ると、貼り紙があって「閉店」の文字が・・・。
そこには「長い間おせわになりました」との感謝の言葉が手書きで綴られていました。
確か袋には「プティグルメ」と印刷されていましたので、そちらが正式な店名だと思いますが、我が家ではいつも「グルメサンド」と呼んでいました。
時々ウォーキングで朝店の前を通ると、良く「パスコ」と書かれた食パンを入れる青いケースの空箱が何段にも積み重ねられていました。

 ガラスの扉にも書かれているように、タマゴ、野菜、ハム、ポテサラ、コロッケ、トンカツ、エビカツ、ミックスと色んな種類の手作りサンドイッチが200円台からカツサンドでもせいぜい400円位と、大変リーズナブルな値段で販売されていました。
 シンガポールから帰任して子供たちが通った小学校が、自宅から一番近い信州大学の附属松本小でした。因みに、信州大学の教育学部は長野市に在ります。従って長野市にも本校である附属長野小があるのですが、これは“タコ足大学”の信州大学(旧制高校が松本、また各学部の前身となる旧専門学校が、例えば医学部は松本医専、繊維学部が上田製糸、農学部の県農林学校が伊那谷など県内各地に分散していた)の中でも、教育学部の成り立ちが嘗ての前身となる長野師範学校と長野県松本女子師範学校の二つがあり、最終的に統合されて長野市に学部が置かれたという歴史的経過故の所産です。
元の沢村の我が家は開智小の学区だったのですが、自宅からだと開智小は附属小の倍くらいの距離があり、しかも帰りはずっと上り坂になるので、特に下の娘はまだ一年生だったのですが、小さな子供の足では(しかもシンガポールのインターナショナルスクールではスクールバスでしたので、それまで彼女たちは一度も通学で歩いたことが無かったので)大変かと思い、一番近い附属小に通わせることにしたのです。
反面、附属は小中学校とも給食が無い(市立ではないので市の給食センターからの配食は無く、また自校給食の設備も無かった)ので、小学校から中学卒業までの最長6年間、子供たちはずっとお弁当でした。従って家内はその分さぞ大変だったろうと思います(勿論、高校になってからも給食はありませんでしたが・・・)。
そして、時には作れなかったり、持たせられなかったりする時があると、その時に良くお世話になったのがこの「グルメサンド」だったのです。
パンは市販の食パンでも、中身のお惣菜は全て手作りでしたので、安心して持たせられたのだと思います。しかも美味しくてコスパが良いので、開智や蟻ケ崎といった市内北部の住宅エリアの人気店でした。
 開智の店はテイクアウト専門で、店内にはイートインスペースも無く、ラップで包装されたサンドイッチが並んだショーケースのみ。併せて飲み物が入った販売機もあり、中央図書館利用者などがサンドイッチと一緒に買って、近くの公園や職場でランチに食べる人も多かったろうと思います。ですので、多分お昼過ぎには、朝調理された分が殆ど売り切れる人気店でした。
朧気な記憶では、昔は縄手通りにサンドイッチが食べられるカフェを兼ねた姉妹店が在った様に思いますが、その後開智店のみとなりました。
時には、ホームパーティー用に大皿のサンドイッチのオードブルをお願いしたこともありました(探してみたらありました。同じ様な記載内容でしたが、11年前の第653話も参照ください。因みに冒頭の2枚はその時の写真です)。
 ご夫婦お二人で、長年(少なくとも40年以上?)サンドイッチ作りの調理から販売をされていた筈ですので、恐らく高齢化か或いは後継者問題か、その理由は分かりませんがここで閉店を決断されたのでしょう。
 長い間ご苦労様でした。そして、その節は大変お世話になり、ありがとうございました。とても美味しかったです!

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