カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
我が家は浄土宗ですが、7月になると菩提寺からお盆の「おせがき法要」の塔婆申し込みの案内が来て、8月になって申し込んでいた先祖供養の塔婆などを受け取りに毎年お寺に伺います。
因みに、この「おせがき」というのは、仏教で死者の霊魂に食べ物や飲み物などを施して供養する法会(儀式)のことを「施餓鬼(せがき)」と云うのだそうで、その施餓鬼の目的は、飢えや渇きに苦しんでいる死者の霊魂を救済することであり、その施餓鬼には多大な功徳があるともされているので、ご先祖様へ功徳を振り向けること(「回向(えこう)」)で、追善供養にもなるとされているのだそうです。そのため、多くのお寺ではお盆の時期に盆法要と合わせて施餓鬼法要を実施しているとのこと。
今年我が家は新盆になるので、新盆と併せて先祖供養の二本塔婆を申し込み、先日お寺に受け取りに伺って来ました。

「これ見てください!さっき見つけたんです。」
指差す方を見ると、本堂前の古木のかつらの木の枝に、セミの抜け殻が“数珠繋ぎ”になっているではありませんか。抜け殻一つなら別に珍しくもありませんが、確かに同じ場所に7つも連続しているのはこれまで見たことはありません。
「ナルホド、数珠つなぎというのは流石にお寺さんらしいですね!」
皆兄弟なのか、7年経ってこの真夏の同じ日に土の中から出て来て、同じ枝に登り7匹一斉に脱皮して飛び立っていったのでしょうか。

前の家では、家庭菜園で夏野菜と食用ハーブを栽培して楽しんでいました。
“自家製”の野菜は買ったモノと比べると、例えば敢えて小指大で収穫する“姫”キュウリを、“モロキュウ”で食べる時のパリッと折れる程のみずみずしさ。そしてまだ青い内に収穫して出荷する市販のトマトとは違って、真っ赤になってから収穫する畑のトマトの、「もしかすると、トマトはフルーツかも・・・」と思える様な本来の甘さ。また、付け合わせで捨てるなどトンデモナイ!と思える程の、ハウス栽培モノとは全く別モノだったパセリの美味しさなどなど・・・。自分で育てた方が安いというよりも、その美味しさが何より格別でした。
引っ越したマンション。当然畑に出来るような庭はありません。田んぼは父の頃から農協(JA)に貸して耕作して貰っていますし、山にも(父の代から)知り合いの方にタダで貸している小さな畑もあるのですが、引っ越して距離も離れてしまい仮に毎日車で行くのも難儀ですし、何よりそこには水利も無いので野菜栽培には不向き(植えっ放しでも栽培可能な玉ネギとか、ダイコンなどの漬け物野菜なら良いかもしれませんが)。
以前、長女が虎ノ門のマンションに居た頃、“キッチン菜園”でバジルと青ジソを育てていて「便利だよ」と言っていたのを思い出し、どうしても家庭菜園や庭いじりが出来ないのに我慢出来ず、一昨年ベランダで野菜を育ててみることにして、ホームセンターの園芸売り場に行って、30㎝以上の深さのあるプランター2個と浅目で長さのあるプランターを1個、そしてプランター用の土(培養土)を購入。そしていつもの園芸店で購入した苗は、キュウリ、ミニトマト、ナス、バジル、パセリ、青ジソ。
一昨年初めて“プランター野菜”にトライしてみたその結果は、パセリや青じそは問題無かったのですが、肝心のキュウリは「花は咲けども実の一つだに無きぞ悲しき・・・」で、漸くナスが数個とミニトマトがちょっと収穫出来たくらいで、家内からは、
「あらっ、買った方が安いんじゃない・・・!?」
プランター栽培は初めてでちゃんと収穫出来る自信も無かったので、自分の小遣いの中から出費しており、家内にしてみれば、無駄な出費(“百害あって一利なし”)にしか過ぎなかった昔のタバコやお酒と同じ印象だったかもしれません。
そして、昨年は夏場出張で数週間不在となる長女のために、家内と一緒にコユキも連れて麻布台の彼女のマンションで柴犬のマイの面倒を見てあげなくてはいけなかったので、その間プランターへの水遣りが出来ないことから夏野菜の栽培は断念しました。

そこで、今年は一年振りに再チャレンジしてみることにしたものです。本来ですと夏野菜はGWの頃からもう植えられるのですが、ただ信州では遅霜がある可能性もあり、特にウリ科の野菜は霜に弱いので、中長期予報をチェックしてリスクがあるなら遅めに植えるか、或いは防霜対策をする必要があります。
但し今年は6月下旬に南紀白浜旅行があって、一週間不在で水遣りが出来なくなることから、少し植えるのは遅くなるのですが、戻ってから6月末に苗を買って来てプランターに植えました。キュウリとミニトマトがそれぞれ2本。あとは、青じそ、パセリ、バジルが一株ずつ。
一昨年、初めて畑ではなくプランター栽培に挑戦し失敗。或る意味完敗と言って程の状態でしたが、栽培に関しては、昔の沢村の頃の母屋の果樹園脇の家庭菜園で色々な夏野菜を植えて収穫して、市販のモノと全く違うその美味しさを楽しんでいたので、その延長線上で同じ様に管理していました。しかし、これがいけなかったのだと思います。
というのも、我が家の果樹園は昔父のリンゴ栽培の仲間の人たちから「カネヤマの畑は土がイイだで」と羨まれる程の土壌の良さだったのです。
そんな肥えた土だったので、植えてただ水遣りさえしていれば美味しい野菜が毎年採れたのです。勿論、毎年春にはトラクターで耕して有機肥料を撒いて攪拌してはいましたが・・・。
ベランダ栽培のプランターも買って来た「元肥入り」の腐葉土を入れていますが、やはり畑の土とは違うのでしょう。そこで今年は定期的に追肥をしてみることにしました。ホームセンターで所謂3要素、チッソ、リン酸、カリが1:1:1の小さな袋の肥料を購入し、それぞれのプランターに撒いて土に混ぜます。
すると数日して効き目が表れて来ました。目で見て分かる一番の違いは、特に今まで少し黄緑っぽかったキュウリの葉っぱが、上部の方から次第に緑が濃くなってきたことでしょうか。木が元気になってきた証拠かもしれません。そして、以前は雄花ばかりで時々せっかくの雌花が咲いても黄色くなって萎れて枯れて落ちてしまっていたのが、緑色のまま成長し“ちゃんと”キュウリに成長し始めたのです。ナスも結実したのは最初だけだったのが、追肥をしたらまた花が咲き出しました。
「ナルホド、いままでダメだったのは肥料不足だったんだ!」

その父が突然倒れたので、祖父からも父からも野菜の育て方は何も聞いたことが無く、見様見真似での家庭菜園だったのですが、リンゴもですが、そうかぁ、やっぱり土が一番大事なんだ!と改めて実感した次第です。






朝夕の水やり一つとっても、毎日のルーティーン化すると何だか小さなやりがいにもなります。そして、今年の失敗は来年取り返すべく、来年もやってみようと思っています。
日経の毎週日曜日に掲載されている特集頁、「 NIKKEI The STYLE 」。
7月28日の日曜日は「藤沢周平の日記」でした。
藤沢周平が43歳にして作家デビューし45歳で直木賞を受賞したことで、それまでの業界新聞編集長との二足のわらじを止めて作家に専念します。それまでは教員退職を余儀なくされた結核療養や、生まれたばかりの長女展子さんを残しての先妻の死にあたり、「人の世の不公平への憤怒や無念さを吐き出すために書かざるをえなかった」小説から、6年後に再婚した下町育ちで飾らず明るい女性和子さんにも支えられて作家に専念し、その家族を養うために今後も作家を続けるには「作風の飛躍がなければならない」と感じていたと云います。もがき続ける中で、それまでは書くことだけを考えていた氏が、「書いたものが読まれること、つまり読者の存在に気付いた」時、自身の小説に「“大衆小説の面白さ”の大切な要件である明るさと救いを欠いていた」ことに思い至って、48歳の時に作風が変化したのだそうです。
数ある時代小説の中で、私が一番好きな藤沢周平作品。
その中でも、市井の人々を扱った作品よりも、武家を扱った、所謂士道を扱った作品に私は特に惹かれます。中には「蝉しぐれ」の様な長編もありますが、「たそがれ清兵衛」に代表される短編も実に味わい深く感じます。
しかし、映画化された作品では、山田洋二監督による三部作は、例えば「たそがれ清兵衛」の様に、他の短編である「祝い人助八」と「竹光始末」の短編3篇を原作にして、時代設定から始まりエピソードやストーリーをかなり膨らませています。ですので、映画はあくまで藤沢周平作品をベースにした山田洋二監督の映像作品であり、この映画を見てから短編小説「たそがれ清兵衛」を原作と思って読むと、少々面食らうかもしれません。
そうした映像作品の中で、異色?なのが、1980年に発表された短編「山桜」を原作とした、2008年の篠原哲雄監督作品です。こちらは多少膨らませてはいるものの、全て本作の短編のみをベースにしているのです。
この「山桜」という短編。藤沢周平全集で云うと僅か13頁、文庫本でもその倍程度の短編作品です。しかし、作家の田辺聖子女史曰く、『声高な主張ではなく、文章的声音は、あくまで清音で、低い。水のように素直、端正な文章だが、品高い』と評した藤沢周平作品の中で、この「山桜」は、まさにそのことを実感させてくれる短編の様な気がします。
藤沢周平の作品は、読んだ後の余韻、そして貧しくも士道の持つ気品と気高さを感じさせてくれるのですが、この「山桜」は正にそうした作品なのです。
そして、映画化された作品もそれを忠実に守っている気がします。

『実際に出来あがった映画は、まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚える映画でした。本のページをめくるように父の原作の映画を観たのは初めての経験でした。父の小説は日ごろ「無駄のない文章」と言われていますが、その行間にあるものを、篠原監督は見事に映像として表現して下さいました。
桜の花びらが舞うシーン一つとっても、映像と原作が一体化し、さらに篠原監督の世界が、見る人を幸せな気持ちにさせてくれる。そして暖かく包んでくれる、そんな風に感じながら拝見させていただきました。
その気持ちを伝えると、「遠藤さん、だって原作通りですから。」と小滝氏は笑って答えてくださいました。』
因みに、文中の小滝氏というのは「山桜」の映画プロデューサーの方だそうですが、実際に短編を読んでその映画を見ると、ナルホドと感じます。出来ればこの「山桜」は、先に映画を見てから、後に短編を読んだ方が絶対に良い様に思います。
というのは、文章の方が絶対に余韻に深く浸り、そして自身で膨らませたその余韻に実際の映像以上に酔いしれることが出来るから・・・です。
この作品、結末は書かれていませんし、主人公である野江と弥一郎の二人は、冒頭に偶然山桜の下で一度会って以降全く会っていません。しかし、遂に耐えかねて自らの意思で離縁されて家に戻っていた野江が、弥一郎不在の家を訪ねる途中、村人に頼んで手折ってもらった思い出の山桜の枝を手に訪れ、弥一郎の母に家に上がる様に促された時、
『履物を脱ぎかけて、野江は不意に式台に手をかけると土間にうずくまった。ほとばしるように、目から涙があふれ落ちるのを感じる。
とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりとわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう。』
結末は何も書かれてはいないのですが、弥一郎の母の「野江さん、どうぞこちらへ」という優しい声が、幸せな結末を読む者に感じさせてくれるのです。
次女一家がアパートから戸建てに引っ越すこととなり、病院勤務と2人の育児に追われ忙しい次女夫婦のサポートに、7月上旬コユキも連れて車で横浜に向かいました。
既に家内は南紀白浜から戻ってすぐ、6月下旬から先に行って荷造りなど引っ越し準備を手伝っており、私メは飽くまで“力仕事”と、不要な家具や家電製品などの粗大ゴミの地区での収集予約が間に合わなかったため、レンタルした軽トラでの横浜市の処理場へ自分たちで運ばねばならず、次女夫婦は二人共ペーパードライバー故に軽トラドライバー兼運搬係です。
引っ越しそのものは勿論専門の引っ越し業者にお願いしてあり、アパートへのアクセス道路が狭く大型車両が駐車して作業が出来ないことから、中型トラックで二度に分けて搬送。残った廃棄物などの処理と新居での片付けなどの作業を、我々も一緒に一週間ちょっと掛かって無事終わらせることが出来、最後は庭木の剪定と手入れを済ませ、残って育児と家事のサポートを継続する家内を残して、先にコユキと松本へ戻って来ました。
この横浜での一週間ちょっとの滞在中にランチで何度かお世話になったのが、新居の近くに在った「バーガーキング」でした(因みに、近くにはバーガーキングだけではなくて、マックもモスも、はたまたサブウェイもフレッシュネスバーガーの店舗も在ったのですが)。

昔、家族で赴任して6年半暮らしたシンガポールで、住んでいたコンドミニアムの近くにはマックもバーガーキングも、そして赴任中に日本から進出して来て、現地でも行列が出来る程人気になったモスの第一号店もありましたが、家族でテイクアウト(シンガポールではイギリス英語のTake away を使うのが一般的)したのは専らバーガーキングでした。子供たちが通っていた英国式スクールのママ友と子供たちに人気だったのも、マックよりもやはりバーガーキングが人気だった様です。理由は単純で、マックよりもバーガーキングの方が美味しいから。それにオニオンリングがあるから。また個人的には、シンガポールではハンバーガーショップなどではオーダーすると必ず無料で付いてくるのが当たり前で、お願いすると更に何個か追加して貰えた個袋のチリソースですが(帰任してハンバーガーショップのどこにも無いのにガッカリし、家では常備しているユウキのスイートチリソースを必ず使っています)、バーガーキングのチリソースが断然美味しくて、片やマックはガーリックが効きすぎていて好みでは無かったのもその理由でした(そう云えば、長女がコンサル勤務時代、シンガポールの日系企業コンサルに3ヶ月間長期出張した際に、バーガーキングのチリソースの小袋を帰国時のお土産にたくさん貰って持ち帰ってもらって、松本でマックのハンバーガーなどをテイクアウトした時に大事に使ったことを思い出しました)。
但し、マックの店舗の中には子供用に遊具などが置かれたプレイルームを備えた店が在り、そこでマックの商品を注文する前提で、子供たちの誕生日会などに無料での貸切が可能でデコレーションもしてくれるので、子供たちもシンガポール時代に友達のバースデーパーティーではバーガーキングではなくマックに何度もお世話になった様です。

新居での作業中、子供たちをあやすために気分転換に外出した次女が、ランチのテイクアウトで、「モスかバーガーキングか、どっちがイイ?」と言うので、松本には無いので迷わずにバーガーキングを希望したのですが、家内はモスの方が・・・とのこと。その選択は行った様子で娘の判断に任せることにしました。
暫くすると娘から電話があり、バーガーキングは何を買えば分からないからモスでもイイかとのこと。その時家内が二階で作業していたのをこれ幸いと、30年以上経った今のメニューなぞ私メも分かる筈もありませんが、シンガポールでの記憶を頼りに、
「バーガーキングだったら、確かWhopper Jr.とかがある筈だから、それとオニオンリングとポテトとか、後は任せる!!」
と家内の意向は無視して、バーガーキング一択でお願いしました。
間も無く娘たちが戻り、久し振りに食べたWhopper Jr. 。実に30年振り?でしょうか、
「あぁ、これバーガーキングの味!シンガポールで食べてたのと同じだ・・・」
懐かしい味でした。そしてこれまた懐かしのオニオンリング。
そして、娘が「これも味見してみて!」と一口食べさせてくれた、彼女と孫のために買って来たというハンバーガー。これが旨いのナンノ!
「えっ!これ何?“肉々しくて”ペッパーも効いてて、美味しい!」
聞けば、新製品のグリルド・ビーフとか・・・。

『2024年6月28日(金)より、直火焼きの100%ビーフパティを最大限美味しく味わえるシンプルな本格バーガー「グリルド・ビーフバーガー」を新発売いたします。
自慢の直火焼きの100%ビーフパティ2枚に、パルメザンチーズとカマンベールチーズを合わせたホワイトチーズソースで仕上げました。バーガーキング最大の特長である、ジューシーで香ばしい、直火焼きの100%ビーフパティを最大限美味しく味わえるシンプルな本格バーガーです。』
とのこと。
何となく、会社に入って生まれて初めて西海岸に海外出張した時に、米国子会社に行く前に、託された日本からのお土産を渡すために挨拶で立ち寄った兄弟会社のオフィスで、出向赴任していた先輩が「ランチで外に食べに出る時間が無いから」と、オフィス近くに来ていたキッチンカーから買って来てくれて初めて食べた本格的なハンバーガー。粗挽き肉のパティがまるでステーキを食べているかの様で、大袈裟ながら「これがアメリカか!」と感激した記憶があるのですが、何だかそれを思い出しました。
僅か一週間ちょっとの横浜滞在中、娘たちには飽きられながら、私の希望でこのグリルド・ビーフバーガーを私メが自分でテイクアウトして来て皆で三度食べました。しかも日曜日のランチタイムは大混雑で、注文して受け取るまでに優に30分以上も掛かりながら・・・。
コストか或いは食材調達の都合か、このグリルド・ビーフバーガーは残念ながら期間限定商品とのことですが、実に勿体無い!通年で販売すれば多少高くても(単品で790円)絶対に看板商品になれる筈!

(因みに、以前の日本進出時は西武系、その後はJTと組んでのフランチャイズ展開は上手くいかず首都圏のみで撤退し、その後ロッテリア傘下となった既存店舗と、併せて日本での営業権を持つ外資投資会社が設立した日本法人が新規店舗を自社展開しているとのことですが、今度は是非地方にも展開して欲しいものです)
6月30日。この日の早朝、家内がまた横浜の次女の所へサポートに出掛けて行きました。
暫くはまたコユキと私メだけの生活です。いつもは家内にべったりのコユキも、この二人しかいない状況を理解すると彼女なりの諦めもつくのか、コユキなりのツンデレ気味ではあるのですが、ゴロニャンならぬゴロワンとすり寄ってきます。但し、大好きな家内が戻って来ると、それまでの恩義(何宿何飯かの義理・・・)など即忘れてしっかり元に戻るのですが・・・。
さて、そんなコユキに独りでお留守番を頼んで、この日の午後私メは一人でお出掛けです。
この日マチネでの松本室内合奏団の第63回定期演奏会を聴きに、ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール、略して音文)に行って来ました。
松本室内合奏団(英語表記も室内管弦楽団のChamber orchestraではなく Matsumoto Chamber Ensemble)は2管編成の地元のアマオケですが、8年前に一度同じく音文での定演を(その時はプログラムのエルガーのチェロ協奏曲を生で聴きたくて)聴きに来て、その時のチェロ独奏には正直些かがっかりしたのですが、いくら“楽都”松本がスズキメソードの本部とはいえ(夏休みになると、小さなバイオリンのケースを提げた世界各国の子供たちが駅前通りを歩いています)、その後のメインの“ブライチ”でのアマチュア離れしたオケの巧さに正直驚いていました(第1108話)。
そして昨年も、演奏会で取り上げられることの少ない同じくブラームスのハイドン・バリエーションを生で聴きたくて、チケットを購入していたのですが、その時はまだ東京に居た長女の所に行く用事が急に出来てしまい、チケットは妹にあげて自分は残念ながら聴けませんでした。
今回は、SKFにも参加している京都市交響楽団(京響)主席の山本裕康氏が指揮振りで、ハイドンのチェロ協奏曲と彼の指揮でのメインがシューベルトの「グレイト」というプログラム。2月のN響の松本公演以来の久しぶりのコンサートですが、両曲とも楽しみにしていました。
1曲目のハイドンのチェロ協奏曲第2番ニ長調。生で聴くのは初めてです。ハイドンらしい優雅な旋律。今回のチェロ独奏は京響のチェロ主席を務める山本裕康氏。SKFにも参加されており、松本でもお馴染みです。前回がっかりしたエルガーの時とは違い、さすがでした。なお、今回は指揮がメインなのか、独奏者のアンコール曲の演奏はありませんでした。
休憩を挟んで、後半にメインのシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」。昔は9番もしくは発表順で7番とされてきましたが、今回は8番となっています。
これは、シューベルトは生涯に計6曲の交響曲を発表したのですが、シューベルトが死去して10年後の1838年、作曲家のシューマンがシューベルトの「新しい」ハ長調の楽譜を初めて発見し、彼の依頼を受けたメンデルスゾーンが手兵のゲヴァントハウス管で初演しました。そして、この曲はシューベルトの第7番の交響曲と呼ばれるようになり、後年になって楽譜出版社により先に発表されていた規模の小さい第6番の同じハ短調の交響曲と区別するために、「大」ハ長調という意味で「グレイト(The Great))」と名付けられました。
しかしその後、1865年になってシューベルトのもう一つの2つの楽章だけが完成された交響曲が見つかり、「未完成」と名付けられます。書かれた順番からすると、ハ長調の交響曲より先だったのですが、既に「第7番」はあったため、「第8番」の交響曲「未完成」と呼ばれるようになりました。従って、昔小学校の頃?だったか、音楽の授業での習った「未完成」は、個人的にはどうしても8番というイメージが拭えないのですが・・・。
しかし、作曲順で云えば「未完成」の方が早いことから、グレイトの方は7番とする場合も注釈付きで9番と併記されたり、或いは「未完成」の飽くまで後ということを強調する場合は敢えて9番とも呼ばれたりしていました。
しかし最近では本来の完成順で呼ぶ方が主流となっており、有名な「未完成」が7番、この「グレイト」を8番とする方が多い様で、今回のプログラムもそれに倣い8番と表記されていました。

第一楽章、冒頭のホルンのパートソロから始まります。管楽器の中で一番難しいとされるホルンですが、なかなかお見事。
そして、第二楽章冒頭で主旋律をソロで奏でるオーボエ。ハイドンのコンチェルトの時から感じていたのですが、オーボエが活躍するこのグレイトでは柔らかで滑らかな音色のオーボエの旨さが際立っていました。パンフレットのメンバー表では、プロの助っ人であろう賛助会員は今回1stVn、Cl、Tbにそれぞれ1名ずつでしたので、ホルンもオーボエも皆さんオリジナルメンバーでアマチュアなのでしょうけれど、練習の成果とはいえ本当に素晴らしい演奏でした。
松本が“楽都”と呼ばれるのはSKOが松本に来る前からであり、むしろスズキメソードの本拠地であることが本来はその理由ですが、メンバーの中にはメソードの先生方も弦楽パートにおられる様で、生徒さんと思しきお子さん方がたくさんお母さん方と一緒に聞きに来られていました。ですので、弦が玄人はだしなのは当然としても、管楽器群の演奏にも拍手でした。
このシューベルトの「グレイト」は、ベーム指揮SKドレスデン盤のCDを持っているのですが、以前生で一度聴きたくて選んだのが、信州からではマチネでしか日帰りが無理なので、8年前のインバル指揮都響の東京芸術劇場の大ホールで週末に行われているマチネシリーズでした。その時の都響は倍管でしたが、今回は楽譜通りでオリジナルの2管編成。ですので、作曲された当時は室内管での演奏が本来であり、音響の良いこの700席というどこで聴いてもまるでS席の贅沢な音文ホールには相応しい演目なのかもしれません。
昔、懇意にさせていただいたマエストロ曰く、
『演奏会に向けた練習時間が長く取れ、全員が真摯に集中した時のアマオケの演奏は、ややもするとビジネスライクで無味乾燥的になりかねないプロオケの演奏をも時として凌ぐ。』
昔、マエストロに対して「えっ、アマオケを振られるんですか?」と怪訝/不遜な態度で失礼な質問をした私に、尊敬するマエストロから諭すように穏やかに言われて自分の無知を猛省したことがあるのですが、この日の演奏を聴きながら今回もその言葉を思い出していました。
勿論、それを引き出すのはオーケストラビルダーとしての指揮者の力量だとしても、この日の山本裕康指揮松本室内合奏団の演奏にも大拍手です。
この日はカーテンコールだけでアンコール演奏はありませんでしたが、例え地方都市でも“楽都・松本”の実力に十分納得し、大いに満足出来た演奏会でした。ブラァボ!