カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

  “暑さ寒さも彼岸まで”と云う通り、台風15号により巻き込まれる南風の影響か、涼しかった盆明けから一転し、先週は夏の暑さが戻って来ました。
 9月上旬の日曜日の朝8時半。この日も快晴で、暑くなりそうな日でしたが、二階から下のリビングに降りて行くと朝日が高い窓から差し込んでいて、西側の壁に無数の“虹”が現れていました。
所謂プリズム効果で、何らかのガラス体がプリズムの役目を果たして、分光スペクトルが現れていたのです。しかもその数は無数!と思える程で、実際は20個程でした。
そして、その光源となった“犯人たち”は、1階の吹き抜けのリビングの中心にある、設計士さんが柱を上手く使って造ってくれた飾り棚の中のスワロスキー。シンガポール赴任期間中から、奥さまが好きで集めた置物たちでした。
突然室内に出現した小さな虹に見惚れて眺めていました。ところが暫くすると、僅か数分で一つだけになり、そしてそれもすぐに消えてしまいました。なんだか、マジックを見せられたような不思議な感覚に包まれて、一瞬ボーっと佇んでいました。

 高い窓から差し込んだ光が当たったクリスタルがプリズムの様な効果を生み、そのプリズムで分光された光線がスペクトラムとして現れて壁に映写された・・・だけ・・・。
物理的に説明すれば、単にそれだけのことなのでしょうが、しかし人間は、古代エジプトやマヤの様に、太陽光の角度により夏至や冬至、或いは春分や秋分の日だけに現れる光の現象を作り出すことでその日を知り、農耕などの人間の営みに活かしてきた・・・。
ホンの一瞬の出来事でしたが、大袈裟ですが、何だかそんな人類の古の工夫すら思い起こさせる不思議な感覚に包まれました。
 家の中に現れた幾つもの小さな虹。
太陽の軌道が天窓から飾り窓のスワロフスキーを射すのはある一定期間であって、必ずしもエジプトやマヤなどの古代文明の様に春分と秋分の日の年2回、或いはストーンヘッジの様に夏至の日に年1回だけ現れる現象ではないとは思いますが、今まで20数年暮らして来た我が家ですが、迂闊なことに今回初めて気が付きました。
きっと季節の営みの中で現れるのだろう家の中の小さな虹。ちょっぴり不思議な気分にしてくれた自然現象に、暫し見惚れて眺めていました。

 今回参加した、松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」。さすがは公民館の数が全国一位という長野県の公民館行事らしく、上高地に関する独自資料のコピーも事前に用意していただいてあり、結構色々教えられ知ることが出来て楽しめた行事でした。

 例えば、その「ナルホド」や「へぇ~」と感じた幾つかを、興味を持ったので、後日自身で更に調べた内容も含めて紹介させていただくと・・・、

 上高地は、黒部に代表される様なV字峡谷の多い北アルプスには珍しく、1500mの高地に平坦な盆地が拡がっていて、長さ10㎞程の長さに対し、標高差は上高地が1500mで明神池が1530m、徳沢でも1560mと60mしかありません。これは、元々の鋭い峡谷が焼岳火山群の噴火活動に拠って、最終的には12000年前(縄文時代草創期)の大噴火で古梓川が堰き止められて巨大な湖が誕生し、その後5000年の間の土砂が湖底に堆積にいったのだそうです。しかも、12000年前まで梓川(古梓川)は高山方面の岐阜県側に流れていた(神通川水系)のだそうで、その大噴火で堰き止められ誕生した巨大湖である古上高地湖が、その後5000年前の地震等により決壊し、巨大洪水となって現在の様に松本方面に流れ下ったのだとか。そしてその決壊により古代湖は消滅し、その後更に緩やかな土砂の堆積により現在の様な平坦な上高地が誕生したのだそうです。そして、2008年信州大学の深300mの学術ボーリング調査により、古代の地層を分析した結果、このことが実際に確認されたのだそうです。
 小梨平を流れる清流、清水川。僅か200m足らずの川なのですが、河童橋に程近い清水橋から眺めると、清流にしか生えないバイカモ(梅花藻)が群生しているのが見られます。驚くべきはその水量。年間3000万トンと云われ、毎秒1000リットル換算とのこと。清水川はシラビソやコメツガの原生林に覆われた六百山に降り注いだ雨が湧水となって流れ下り、どんな大雨にも濁らず日照りの夏でも決して枯れることがなく、また僅か200m足らずを流れ下るために汚れることもないため、天然のミネラルウォーターとして上高地の貴重な飲料水源として使われているそうです(バスターミナルと、五千尺ホテの外に無料の給水場があります)。しかし年間3000万トンという清水川の水量は、六百山流域の降水量よりも遥かに多いため、地下のどこかで上高地の水脈と繋がっていて合流して湧き出しているのではないかとのことでした。不確かですが、以前、清水川は日本一短い一級河川と聞いた記憶があるのですが、果たして?・・・(橋の袂に良く在る「一級河川〇〇川」と書かれた看板は見掛けませんでした)。
 上高地は、河童橋の名前が芥川龍之介の小説に由来するなど、山に憧れた多くの文化人にも愛されて来た日本初の山岳リゾートです。その中の一人が高村光太郎。上高地のパンフレットの表紙に書かれていたのも、高村光太郎「智恵子抄」の中からと書かれていた一節である「槍の氷を溶かして来る あのセルリヤンの梓川に」。
これは彼の詩集『智恵子抄』に収められた「翻弄する牛」の一編。

  『 (前略)
    今日はもう止しましょう
    描きかけていたあの穂高の三角の屋根に
    もうテルヴェルトの雲が出ました
    槍の氷を溶かして来る
    あのセルリヤンの梓川に
    もう山々がかぶさりました 
    (後略) 』

ここでいう「セルリヤン」とは、“cerulean blue”という少し緑がかった空色のことなのだそうですが、確かに河童橋を流れる梓川の清流は青く透き通っていて、槍穂高からの雪解け水が滔々と流れ下って行きます。(因みに、テルヴェルトも深緑色のことだそうですが・・・?)
高村光太郎が智恵子との結婚を決意したのが、滞在していたこの上高地だったと云います。大正2年(1913年)、彼と智恵子は徳本峠を越えて上高地に二ヶ月間滞在し(当時の清水屋旅館。現在の上高地ルミエスタホテル)、ウェストンとも交流を持ったのだそうです。
 我々は、その清水屋ではなく、河童橋の袂に建つ五千尺ホテルのカフェで休憩です。週末ということもあって行列待ち。20分ほど待って、窓際の席に案内されました。
こちらの五千尺ホテルは、松本パルコにある地元でケーキが人気のカフェレストラン「ファイブホルン」の大元となるホテル。メインダイニングの名物はビーフシチュー。以前ネイチャーガイド付きの上高地トレッキングとそのビーフシチューランチが付いたツアーがあり申し込んだのですが、台風接近で中止になり残念ながら食べそびれておりました。一方の人気のケーキも、今や松本市内ではファイブホルンがケーキのサブスクリプションでの配達までしている人気店になりました。
或る意味“ファイブホルンのケーキ発祥の地”ですから、勿論奥様はケーキセット。我々の直前で夏限定の人気ケーキ「シャインマスカット」が終了したため、マロンケーキをご注文。でも「プチ贅沢!」と堪能されておられました。私メは水出しアイスコーヒーですが、眼前の窓一杯に拡がる、河童橋越しの岳沢を抱くように聳える穂高連峰が“贅沢なご馳走”です。

 今回が4度目?となる上高地。同じところに、そう何度来ても・・・と思いますが、来てみて感じたのは、何度来ても「さすがは上高地!」。
雲一つない快晴という天候に恵まれたというのも非常に大きいのですが、雄大な穂高の絶景と、セルリアンブルーと光太郎が称した梓川のあり得ない程の水色、そして清水川の驚くほどの透明感・・・。
更には、そんな上高地の水の流れに心を洗われた様に、ピュアな雰囲気を漂わせて槍穂高に向かう若者たち・・・。圧倒的な大自然の前では、ちっぽけな存在である人間は無意識の内に謙虚にならざるを得ないのか・・・。或いは、神々しささえも漂わせて眼前に聳える穂高の峰々が、自分の力だけでその孤高の頂きを目指す人間たちを、まるで修験者の様に純粋な気持ちにさせるのか・・・。
 四半世紀ぶりとはいえ、子供のころから何度か訪れてはいた上高地。従って然程目新しさは無かろうと思っていたのですが、例え何度来たとしても、上高地の持つその神秘的な魅力には感動せざるを得ない・・・。
上高地を素通りして、黙々と憧れの槍穂高の頂きを目指す若者たちに羨ましさを感じつつも、今回そんな印象を持った久し振りの上高地でした。

 9月7日の土曜日。松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」が開催され、事前に申し込み、我々も参加しました。当日は、3㎞と7㎞の2コースがあり、我々は当然上高地バスターミナルから明神池までの7㎞のコースです。以前、シンガポールから帰任しての夏休みに最初の家族旅行で行ったのが上高地。山の無いシンガポールから信州に戻り、山の雰囲気を子供たちに見せたかったこともあり、小梨平のコテージに泊まって、御船神事の行われる明神池より先の、「氷壁」の舞台でも知られる徳澤園までトレッキングをしました。途中、崖上からカモシカが孤高の雰囲気でじっと我々を見下ろしていたのが印象的でした。今回は、シニア層が参加の中心なのか、それより短い河童橋から明神池までの梓川沿いを歩く往復7㎞のコースです。

 当日、朝8:20分に松本教会前に集合。お弁当や水筒は参加者自身が持参で、上高地往復は市の公用車の中型バスをご厚意で使わせていただけることもあって、参加費は無料。いくら市の公民館の企画とはいえ、もし二人で上高地へ行けば交通費だけで往復でほぼ一万円するのですから(特に我々の様な年金生活者にとっては)大変有難いことです。
城北地区の参加者は20名。上高地線稲核地区の道の駅で4地区のバスが集合し上高地へ。多分、子供の頃から数えて4~5回目の上高地。マイカー規制前のは自分で運転して岩肌剥き出しで水が滲み出ていた釜トンネルを越えましたが、改良されて随分道も良くなりました。今でも奈川度ダム手前のヘアピンカーブ解消のために新しいトンネルが掘られていて既に貫通している由。
中部縦貫道はいつになるのか分かりませんが、松本・高山間のアクセスも更に快適になります。実際、ヘアピンを曲がりダム手前のトンネルに入る右手に、貫通しているという新しいトンネルの大きな口を見ることが出来ます。
 松本平からも、この日は北アルプスの峰々が遠く白馬までクッキリと見えていましたが、上高地も本当に雲一つない快晴で絶好の登山日和です。短い3㎞コースに参加されるお年寄りや家族連れなど大半の皆さんが大正池で先に降り、残り7名の参加者が終点のバスターミナルへ。
4地区40名弱が7㎞の明神池コースに参加。上高地での写真撮影の必須ポイントでもある河童橋は大混雑。私たちも全員での記念の集合写真を撮影してもらってから、10:30分に出発。河童橋を渡り、付き添いの市職員の方々の案内で一列になって対岸の梓川右岸の岳沢湿原を経ての散策路を歩きます。
年間120万人が訪れるという人気の上高地。この日は快晴で憧れの穂高連峰がくっきりと目の前に聳えています。しかも夏山シーズン終盤の週末だけに、上高地のシンボル河童橋は物凄い人で大渋滞。
但し、登山者は遠回りの3.7㎞の右岸ではなく3.0㎞の左岸を明神池まで歩きますので、右岸は涸沢から槍穂高を目指す登山者ではなく、上高地散策を目的の観光客が殆どです。
途中、立ち枯れた木々が残る岳沢湿原と梓川沿いの河原で小休憩。深い森の中で鳴き声が聞こえると思ったら、我々の前を家族なのか子連れの猿の一群が歩いて行きました。エサのせいか、野菜や残飯を漁るという穂高有明地区の猿よりは小型ですが、動植物の捕獲や採取が禁止されている国立公園内ですので暮らすには遥かに安全なのでしょう。
明神池には12時頃到着。3.7㎞の散策路を1時間半掛けて歩いて来ました。ここで解散し、バスターミナルに2:30集合とのこと。お弁当持参とのことでしたが、
 「これなら嘉門次小屋で名物のイワナの塩焼き定食(1600円とのこと)を食べても良かったなぁ・・・。」
但し、週末の大混雑で戸外のテーブル席を含め満席状態でしたので、自由時間が食べるだけで終わってしまうリスクはありますが・・・。
何度か参加されている方曰く、嘉門次小屋で豚汁がテイクアウト出来るので、それだけ買って、暖かい豚汁と持参したお弁当を一緒に食べるのも良いとのこと。
皆さん、それぞれ思い思いに昼食休憩です。我々は、先に穂高神社奥宮に参拝し、神域となる明神池を散策しました(拝観料300円が必要です)。
 北九州志賀島を本拠とした海洋民族の一族である安曇族。その守護神穂高見命(海神ワダツミの子)を祭神とする穂高神社。その奥宮がここ明神池に建ち、毎年10月に池に船を浮かべての御舟神事がこの山深い地で行われるという神秘。ご神体は正面に仰ぎ見る明神岳(標高2931m。実際は前穂から張り出した尾根の一つ)。この峰が本来の穂高岳であり、ここが神降地でもあった上高地の正面。従って、現在の上高地のシンボルとなった河童橋からの西穂や奥穂などの穂高連峰の景観は、実際は端から見ていることになります。
天然イワナやマガモが平和に暮らす明神の一の池、二の池。静かで神秘的な雰囲気を太古の昔から伝えているであろう明神池の畔に腰を下ろし、ご神体の明神岳を眺めながら何人かの参加者の人たちと一緒にお弁当を頂きました。明神橋袂の涼やかな梓川の川岸で食べる選択肢もありましたが、神秘的な明神池での昼食も何とも素敵な雰囲気に包まれてのお弁当タイムでした。
 昼食後明神橋を渡り、明神館から梓川の左岸の歩道を下り、河童橋に向かいました。この左岸は河童橋まで右岸より短く、ちょうど3.0㎞との標示。この日は徳沢か横尾山荘泊まりか、宿泊用のリュックを背負った登山者とすれ違います。観光客は別として、登山らしく皆さんお互い挨拶を交わしてすれ違います。槍穂高縦走か、しっかりとヘルメットをリュックに提げた登山者もおられ、「コンニチワ」、「行ってらっしゃい」と挨拶をしながら無事の山行を祈ります。中には欧米人のカップルや、家内も参加したクラブツーリズムの登山教室(彼女は女性だけのツアーですが)の年配者中心の一行もおられ(列のしんがりが以前同行してくれた女性の山岳ガイドさんだった由)、羨ましさが募ります。でも、我々には槍穂高は無理かなぁ・・・。せいぜい、この上高地からは涸沢止まりか蝶ヶ岳でしょうか。

 帰路の途中、河童橋手前の小梨平で、テントの張られたキャンプ場に隣接して丸太小屋風のコテージが何棟かあり、四半世紀前に、山の無いシンガポールから帰任した子供たちに山の風景を見せたいと、帰国後初めての家族旅行での上高地に来て、泊まったロフトのあったコテージだったのを思い出し、暫し家内と二人で懐かしんで眺めていました。
帰路は、河童橋に1時間で到着。まだ集合時間までに1時間あるので、ここでコーヒーを飲みながら休憩をすることにしました。
時間より早めにバスターミナルへ。マイカー規制の走りだった上高地。広いバスターミナルですが、団体客の観光バスで満車。しかも、出発直前までエンジン停止。そのためエアコンが効かないので、皆さん車外で待機。
まだ時間があったので、バスターミナルにある水飲み場の蛇口で新たに水筒に補給。岩を模した給水場に8つくらいの水道の蛇口があり、上高地の水源は清水川の湧水ですが、天然のミネラルウォーターが無料で汲み放題です。これから登る登山者は皆さんここで給水していくようです。これも上高地の大いなる恵みです。
 帰路、我々の城北地区だけ沢渡のバスターミナル隣接の足湯公園にある沢渡温泉の無料の足湯に立ち寄って、少しだけ足の疲れを取ってから松本へ帰りました。
 今回初めて参加させていただいた、市内4地区公民館合同企画の上高地ウォーキング。四半世紀振りの上高地ということもありますが、自分たちだけでのトレッキングやウォーキングと違って、勉強にもなり楽しめた日帰りウォーキングでした。

 今回、保護犬だった「こゆき」を引き取るにあたって感じたこと。

 各地に保健所や私設の保護団体がありますが、最近松本保健所管内でも保護された犬猫の殺処分ゼロとの報道がありました。そうした保護される犬たちの中には、多頭飼いのブリーダーからのコユキの様な“不要犬”も決して少なくないと言います。毛の抜けないシーズーなどは、保護された時に毛が伸び放題で汚れていて、どこに目があるのか分からいことも多いのだとか。
今回「こゆき」を引き取って3ヶ月間面倒を見られた保護団体の方は、今までに50匹近い保護犬を引き取って世話をされてきたそうです。勿論、新しい飼い主に譲渡される犬の方が圧倒的に多い中で、中には譲渡が成立せずに終わる犬も勿論いるのだそうで、今その方のお宅には全部で4匹のワンちゃんがおられ、最後まで面倒を見ると決められたシニア犬等を除き、2匹が新しい里親を待っています。今回お世話になったペット病院や寄贈などで支援をしてくださるドッグフードメーカーなど、協力支援をしてくださる企業や団体などもあるそうですが、基本的には保護団体の方々(ご家族の理解と協力を含めて)の使命感と善意によって成り立っているのは間違いありません。本当に頭が下がる思いでした。
今回「こゆき」を通じて、そうした保護団体の方と知り合い、その活動状況を知る中で、ブリーダー業者の全てが悪徳とは言いませんが、日本もドイツの様に、犬を飼いたい場合は基本的にブリーダーからではなく保護犬の中から選ぶという文化が根付いて、ペットたちに優しい社会になっていけば良いと思います。
但し、保護犬活動も善意だけでは継続不可能ですので、従って保護犬譲渡に当たっては、保護してから譲渡するまでに掛かった応分の経費(混合ワクチン、狂犬病予防、フィラリア予防、マイクロチップ装着、歯科・血液など健康診断、避妊手術等の医療費、また譲渡先の家庭訪問に掛かる往復交通費)は譲渡を希望する側の負担となります。

 以前軽井沢で、喫茶店の女将さんが真夏の軽井沢をペット連れで歩く人たちに対し、
「ファッションじゃあるまいし、真夏の焼けたアスファルトを歩かされる犬が(肉球を火傷して)可哀そう!」
と大層憤慨されていましたが、仰る通りだと思いました。
それにあろうことか、ひと夏が終わると“ファッション”だった犬をそのまま別荘地に捨てていく輩が後を絶たないのだとか。本当に信じられない気がします。例え仏教の六道では下層の畜生道に属する小さな命であったとしても、それをまるでモノの様に扱う人間が、果たしてちゃんとした“親”になれるのだろうかとさえ思ってしまいます。

 保護団体の方によれば、保護犬の中には飼育放棄をする飼い主も後を絶たないそうですが、不要犬を生み出すブリーダーだけではなく飼う側にも大きな責任があります。
“生きとし生きるもの”を飼う側の責任を自覚して、最後までその責任を全うしていきたい。彼らが突然飼い主を失って路頭に迷うことの無い様に、“虹の橋”を渡る最後まで飼い主が看取ってあげたい。今回のコユキをきっかけに、そんなことを改めて強く感じた次第です。

 埼玉から帰った翌日夕刻、待っていた連絡が保護団体の方からありました。
幸いにも簡単な手術で終わり、明日にも退院出来るとのこと。保護団体の方の活動スケジュールとの兼ね合いもあり、夕刻4時に狭山の病院での待ち合わせとなりました。前回は道中ずっと不安だった道程を、今回はホッと安心して一刻も早くコユキに会いたい気持ちを何とか抑えつつ、安全運転で狭山に向かいます。
施術していただいた院長先生のお話によると、やはり「声帯除去の影響で咽頭に膜が出来て気道が狭くなっていたのと、軟口蓋過長が合わさり、呼吸がしづらくなっていた」とのこと。そのため、今回その膜を手術で切り取ったので、術前の様に過呼吸気味になることは無いとのこと。
迎えに行った保護団体の方と我々との再会で、嬉しそうにしっぽを振って興奮するコユキ。保護団体の方も家内も、それを見てお互いに涙、涙でありました・・・。

病院の方々、そして保護団体の方にもお礼を言って、いよいよ正式に我が家のワンコとなるべく松本の自宅に向かいます。家ではナナも待っているので、今回も帰路はノンストップで圏央道から中央道に合流して無事帰宅。
名前は、如何にも雪の様に真っ白なマルチーズらしいので、ブリーダーでの識別記号としてではなく、きっと生まれて初めて愛情を以って保護団体の方から付けてもらったであろう仮の名前「こゆき」のままにしました。
 翌朝から、ナナとコユキ、二匹で一緒に散歩です。
コユキはすっかり家内になついて、朝彼女が二階から降りてくると大興奮。また過呼吸にならないかと心配する程です(先に起きる私メの時は、「ナンダ、お前かよ」とでも言いたげに、一応お義理でしっぽを振る程度・・・ま、逃げてクレートに入られるよりはマシかな?)。声帯が無いのでゼーゼーという息は相変わらずなのですが、手術のお陰で幸い過呼吸気味になることはありません。考えてみれば、生まれてから8年近くもの間、ずっとケージに閉じ込められていて散歩をさせてもらうことも無かったのでしょう。嬉しいのも、楽しいのも、生まれてこのかた初めてなのですから、或る意味、はしゃぐのも当然なのかもしれません。また食糞癖があるとのことでしたが、ブリーダーの所では十分なエサをもらえなかったのでしょうか。また糞をすぐに片付けなかったりとか、衛生状態も良くなかったりしたのかもしれません。幸い我が家ではそうした兆候は全く見られません。
きっと、不要になれば捨てればイイと、単なる子供を産ませて金を儲けるだけの“道具”として決して可愛がられることも無かったのでしょう。もしかすると、彼女にとっての今までの8年間は、人間とは決して可愛がってくれる存在ではなく、むしろただ怒られるだけの怖い存在だけだったのかもしれません。
つくづく、コユキの今までの失われた8年間分の愛情をこれからは注いであげたいと思いました。
特段の術後の問題も無く、保護団体の方にもその後の様子を報告する中で二週間のトライアルが終了した結果、保護団体から正式譲渡の許可もいただき、家内が市役所に飼犬登録。
登録上の誕生日は8年前の4月12日。コユキが保護された日の8年前としました。ナナが4月16日ですので、偶然ですが二匹は4日違いで覚え易い誕生日になりました。
 お盆前の猛暑の続く中、家の中でコユキは薪ストーブ周りの大理石がヒンヤリ冷たくて気持ちが良いのが分かったらしく、その上で寝ています。すると、ナナも今までは大理石の上には行ったことが無かったのに、興味を感じたのか、ナナも行ってお腹を付けて一緒に寝そべるようになりました。
ナナやチロルは夏の雷や花火の音が怖くて大嫌いで、大きな音がすると擦り寄って来ては終わるまで離れなかったのですが、コユキはそうした“音”の恐怖経験が無いのか、不思議なほど我関せず。雷が鳴ろうが、花火の音がしようが、全く怖がることがありません。育った環境とはいえ、不思議だなぁ・・・。
ただずっとケージに入れられていたせいでしょう。足腰が弱く、お座りの姿勢が長続きせず、すぐにべちゃっとうつ伏せに寝てしまいますし、(戸外に出ることが?)大好きな散歩も、少し歩くと疲れるのかすぐに(家内に)甘えてダッコをせがみます。
また、やはり見知らぬ人が怖いらしく、娘や妹が来ても、さっとクレートの中に入って出てこようとしません。一日一緒に居ると、どうやらこの人は大丈夫そうだと漸く思えるのか、近寄っても逃げなくなります。
暫くすると、ナナは宮廷犬のシーズー(中国語で獅子狗、シーズークワ)らしく、割と“孤高の人(犬)”で我関せず・・・なのですが、一方のマルチーズは、その名の通り地中海のマルタ島原産で紀元前からフェニキア人が飼っていたという世界最古の愛玩犬なので、人なつっこくて外交的。そのため、そこは犬同士で、夜は一人(一匹)で寝ているナナの所にコユキが近寄って行っては、二人(二匹)で仲良く並んで寝ています。コユキのお陰で、ナナも刺激を受けて相乗効果で元気になってくれればと思います。
因みに、コユキが来てから、お互いの食事やおやつが気になるのかナナの食欲が戻って来ました。以前は薬を除けて食べず、その結果(ドッグフードに薬の匂いが付くのか)全体の食欲も低下するという悪循環だったのですが、食欲が出て来ると、一緒に薬を混ぜても(ただ単純に“混ぜる”のではなく、錠剤は細かく切って、ササミジャーキーの中に、爪楊枝でねじ込んで見えぬ様にしています。但し粉薬はどうしようもないので、炙ったササミを包丁で叩いて粉状にして一緒に混ぜています)食べてくれるようになりました。これも、コユキが来てくれたお陰で、お互いを意識しての相乗効果かもしれません。
 コユキの足腰の弱さと人間に対する臆病さは、生まれてからの8年という長い間ケージに入れっ放しにされた影響ですから、室内を自由に歩き回れることによってこれから少しずつ足腰が丈夫になって行けば良いし、また世の中怖い人ばかりではないと分かるように、ナナを見ながら変わって行けば良い。
そんな風に少しずつ変わっていけるように、気長に付き合ってあげようと思います。
 「コユキ、もう人間を怖がらずに人に甘えてイイんだからね!!」

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