カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 毎年次女夫婦から「父の日」のプレゼントとしていただくのが、宮崎の高級ブランドマンゴーである「太陽のタマゴ」です。
この「太陽のタマゴ」は、宮崎県独自の「完熟マンゴー」のブランドで、「重さ350g以上」、「糖度15度以上」、「色形が整っている」など幾つかの条件があるため、全体の15%程しか「太陽のタマゴ」として出荷されないのだとか。“完熟”と謳う通りの芳醇な香りと濃厚な甘味で、口の中でとろけるような舌触りが特徴です。
一般の「完熟マンゴー」より手間がかかる分、価格も高めで贈答用として人気の商品だそうですが、「太陽のタマゴ」の人気が高くなったのは、当時宮崎県知事だった東国原氏の全国展開でのアピールに依るものだとか。その意味では地域起こしに大いに貢献されていました。嘗て“関アジ・関サバ”などの「一村一品運動」を提唱した大分県の平松知事とか、時代は異なれど九州には地域起こしになかなか長けた知事さんがおられました。

 この宮崎県の「完熟マンゴー」は、マンゴーが実り、少し赤みがかかったタイミングで一つ一つ丁寧にネットをかけていきます。マンゴーが完全に熟成し、自然落下するのを待つのです。ハサミで切って収穫するのではなく、甘さや旨味がギュッと詰まった完熟状態になるまで待って、ネットに“自然落下”したものを収穫します。
その「完熟マンゴー」の中でもより糖度が高く、特別なブランドとして販売されるのがこの「太陽のタマゴ」です。太陽のタマゴは「糖度15度以上、重さ350g以上」の厳しい審査を通過したものだけが、その「太陽のタマゴ」の名を背負って出荷することを許されるのです。
宮崎県内で生産される完熟マンゴーの内、「太陽のタマゴ」として認定されるマンゴーはたった15%程度だそうですので、そんな希少なマンゴーを毎年送って頂き、夫婦で有難く頂戴しました。
 そのマンゴー。生まれて初めて食べたのは40年前、シンガポールへ赴任してからでした。家族が私より遅れて3ヶ月後にやって来るまでに、会社が休みの週末を使ってシンガポールの衣食住のこと(何はどこで買えば良いか、ジャンル毎のおススメのレストラン、そして地下鉄やバスの乗り方などなど)を色々知っておこうとした中で、マンゴスチン、ライチやランブータン、スターフルーツ、そしてパパイアやマンゴーなど所謂トロピカルフルーツも色々食べてみました。その中で一番好きになったのはマンゴスチンだったでしょうか。また、あの強烈な匂いが特徴のドリアンも、赴任中に食べてみたいと希望する日本からの出張者の案内などの後学のために、ホーカーセンター(屋台街)で食べてはみました。結果食べられはしました(一般的に、ドリアンは先ずは食べられるか否かでその後の好き嫌いが分かれると云います)が、然程好きにはなりませんでした。
そうした現地で初めて食べるトロピカルフルーツの中で、「一体どうやって食べるのだろう?」と一番悩んだのがマンゴーでした。真ん中に固くて大きな平たい種があって、上手く切れないのです。そこで切れる部分だけをブツ切りにして食べたのですが、後日会社で先輩赴任者からだったか、魚のアジの様に三枚におろすのだと聞いて目から鱗。種を骨に見立てれば良いのです(そういえば、マンゴスチンも最初食べ方が分からずに、固い皮に噛りつきましたっけ・・・)。
 当時のシンガポールで、一般的に売られていたのはパキスタンマンゴーでした。「太陽のタマゴ」よりも小振りで、色も赤くはなく、黄緑色から完熟すると黄色になります。今の値段は分かりませんが、このパキスタンマンゴーは当時の記憶が不確かですが一個数ドルで、日本円に換算してせいぜい200円程度で、決して「太陽のタマゴ」の様な高価なフルーツという印象は全くありませんでした。
このパキスタンマンゴーは実は世界一甘くて美味しいと言われているそうで、イギリス王室への献上品とか。近隣国のドバイ(UAE)の王族たちもこぞって買い占めているとのことです。今回調べてみて驚いたのがその糖度です。
青い状態でも糖度16度以上(宮崎マンゴーの最高クラス「太陽のタマゴ」でも糖度15度以上が基準です)にもなり、追熟させたら糖度20度前後まで上昇し、7-8月頃の最盛シーズンになると糖度24~25度とも云われているそうです。
現在でも日本のマンゴーより安く、世界一甘くて美味しいといわれているフルーツとか。
そんなパキスタンマンゴーを当たり前の様に年中食べていましたし、中華料理のデザートは、ハニーデューサゴかマンゴプディングが定番でしたので、この高価な「太陽のタマゴ」を頂いて想うのは、何とも贅沢な生活のシンガポール時代だったということでした。
 尚「太陽のタマゴ」とは等価交換には全然ならないのですが、信州も梅雨が明けましたので、太陽の下で糖度が上がり、シャキシャキした食感でこの時期人気の松本の波田産の5Lの大玉のスイカを、これも毎年恒例で次女夫婦と婿殿のご実家にお礼とお中元にお送りしました。

 奥さまが月例で、7月度の“家政婦”に横浜の次女の所に2週間行って投票日には不在になることから、参議院議員選挙の期日前投票に行って来ました。
この日は登山トレーニングを兼ねて城山まで登り、そこから下って松本城公園を経て松本市役所の期日前投票所へ。そこからまた渚に歩いて戻ります。家を出たのが10時近くになってしまい、もうかなり暑くなっていましたし、夏は山並みを望める日の方が少ないのですが、この日の北アの峰々も霞んでいて見えなかったので、いつもの“城山トレイル”でアルプス公園まで行くのは諦めて城山公園までとしました。

城山公園のベンチで少し休憩です。春には花で満開だった藤棚が、今では葉で覆われて良い日陰を作ってくれていて、吹く風が心地良く感じられます。
(注:対比するために、春に花が咲いていた時の藤棚の写真も掲載しました)
そして公園の一角にある花壇では桔梗の花が満開でした。桔梗は秋の七草なので何となく秋をイメージしてしまいますが、花の時期は6月から10月とか。ですので、桔梗は梅雨の頃から夏を通して咲く花なのですね。
暫く休んで城山から下り、途中久しぶりに塩釜神社にお参りして孫たちの健やかな成長を祈り、旧開智学校から松本城へ。
『文武両宝』、松本信用金庫が旧開智学校と松本城を並べたポスターに使っていて個人的にも気に入っているこのキャッチフレーズの通り、二つの国宝を巡る贅沢なウォーキングコースです。
 旧開智学校は耐震工事等も終わり、昨年末から再び開館されています。
また平城で、元々は湿地帯だった軟弱な地盤に建てられた松本城も、文化庁の指針に基づく耐震診断の結果、震度6強から7の大地震に対して耐震性が足りず、中でも乾小天守は倒壊の恐れがあるとの診断結果を踏まえ、5層6階の大天守については1~5階の内部に国宝5城としては初めて鉄骨フレームを設けて柱や梁(はり)を補強するなどの案を文化庁と協議し、乾小天守など天守を構成する他の建物についても、鉄骨フレームで補強する方向で了承を得たことから、天守閣の1階から5階に鉄骨フレームを入れるという耐震補強工事を2028年度以降に実施するとの発表があり、その間(「少なくとも2~3年で終了できる工事ではない」との市長のコメント)は天守閣への入場は出来なくなるそうです。そして工事完成後は、敢えて鉄骨フレームを見える様にするのだとか。その理由は、鉄骨は現状の木材との区別が容易で、1955年の「昭和の大修理」から150年後となる2105年頃に予定されている次の解体修理時に、もしかすると鉄骨を使わない画期的な耐震方法が考案されている可能性もあり、その際には原状復帰が可能というメリットも踏まえての結果だそうです。
従って、築城当時のままの天守閣内部の姿が見られるのは2028年の工事開始前まで。明治維新後の廃城の危機を先人の市民の手で守り抜いてきたお城ですので、現代に暮らす我々松本市民が“オラホの宝”として未来の子孫たちへキチンと残していくためには止むを得ません。80年後の未来に期待しましょう。
あの熊本地震での熊本城の被災中継には本当に涙が出る程ショックを受け、その後少しでも復興のお役に立てばと僅かばかりの寄付をさせて頂きましたが、松本城にも同じことが起こらぬ様に市民としては願うしかありません。
 さて、その松本城では現在も幾つかの工事が行われています。先ずは、お堀の浚渫(しゅんせつ)工事です。市のH/Pに依ると、
『近年、松本城では、経年の堆積物により、堀が埋まりつつあります。また、降水量の少ない時期や地下水の流入量が少ない場合、堀の水面上に堆積物が露出し、悪臭を発生するなどの課題が生じています。
そこで、堀の堆積物除去(浚渫)と水質浄化のため、史跡松本城の堀の全面的な浚渫を令和5年度から実施します。』
吸い取った汚泥を脱水圧縮する大規模なプラントが公園の北西角に設けられていて、その近くのお堀にはこの時期、ハスとスイレンの花が咲き始めていました。
そして壊れたままだった埋橋も先月補修工事が終了し、赤い欄干がキレイに塗り直され、モノクロのお城と赤の対比が映える人気の撮影スポットとして、この日も観光客の皆さんが写真を撮られていました(但し、これまで同様渡ることは出来ません)。
そして公園の南東角、古山地御殿(こさんじごてん)跡に在った旧市立博物館(日本民俗資料館)の解体工事。フェンスで覆われていますが、どうやら建物は壊されてほぼ無くなりました。
期日前投票の市役所からの帰り、太鼓門を通らずに内堀沿いに大名町まで歩いて来ましたが、2階建てだった建物が無くなった結果視界が開け、外堀の堀端の松並木越しに天守閣が望める様になりました。
そして、それだけで松本城公園の旧二の丸エリアが随分広く感じられる様になりました。以前は公園の周囲ギリギリまでビルなどが建っていたので、松本城は平城ということもあるのかもしれませんが、小高い丘に聳える平山城などの他の城郭公園に比べ、実際の10.5haという面積程は広くは感じられなかった松本城公園ですが、周囲の建物が撤去されて数年後に南西エリアの外堀も復活すれば、お城のエリアは更に視覚的に広く感じられる様になるかもしれません。

 リタイアして以降でしょうか、全てではないのですが、「エール」や「虎と翼」など気に入った作品の時は楽しみにして毎日視聴しているNHKの朝ドラ。そして、その後もそのまま朝ドラ受けから視ている「あさイチ」。
(因みに最近の朝ドラに関しては、「おむすび」はストーリーも全く面白くも無かったのですが、何となくこれまでの流れでTVを付けてはいました。それにしてもヒロインがこれ程までに母親役が“様にならなかった”のは本人の演技力の責任でもあるにせよ、それよりどう考えても局側のミスキャストでは?・・・と思えるのですが・・・。そして今放送中の「あんぱん」も含め、「うるわしの白百合」や「長崎の鐘」などを挿入した「エール」など、最近の朝ドラの多くが戦争にキチンと向き合ってその残酷さや悲惨さを描こうとしているのは、今こんな時代だからこそ大切なことだと感じています。) 

 さて、朝ドラ後の「あさイチ」の中で、時々気になる料理レシピが登場することがあります。今回気になったのは、6月2日に放送された有名料理店の「まかない」レシピでした。そしてその中で一番気になったのが、“世界一のピッツァ店風「まかない フリッタータ」”でした。
フリッタータとは「イタリア料理の伝統的な卵料理で、多様な具材を混ぜ込んで作る厚焼きオムレツの一種」とのこと。
Wikipedia的にもう少し詳しく解説すると、「イタリア料理の一つ。オムレツやタルト生地を省いたキッシュに似た卵料理である。肉、魚介類、チーズ、野菜、パスタ等の具材を多目に入れ、塩胡椒と刻んだハーブ等で味付けすることが多い。アンティパスタまたは軽めの主菜として供される」料理とのこと。
あさイチで紹介されたのは、余ったパスタにミートソースと生卵を絡め、パルメザンチーズ(粉チーズ)を振り掛けてオムレツ風に両面焼いて完成・・・というシンプルなレシピ。
このあさイチの番組内で紹介されたレシピの中では、以前5月22日放送の「ご飯ですよ」で紹介されて、番組内の試食で“革命的”と絶賛された「豆腐と豚バラの塩にんにく煮」を(一応レシピ通りに作ったつもりですが)試してみたのですが、個人的には番組内の評価程(と言うよりも全然)美味しく感じられなかったこともあったのですが、この「フリッタータ」は如何にも“まかない”風でレシピは非常に簡単ながら、でも視ている側にもとても美味しそうに感じられたのです。

 幸い我が家には新たに買い足さずとも、レシピ上の全ての食材が常備されています(バジルもプランター栽培で育てています)ので、そこで自分でも作ってみることにしました。

番組内のレシピで示された材料(二人分です)は、
ゆでたパスタ160g、ミートソース200g、粉チーズ 大さじ2、卵 2コ
オリーブ油 小さじ2、粉チーズ(仕上げ用)、お好みで 仕上げ用にバジルの葉とオリーブ油
【つくり方】
 ・ボウルにゆでたパスタ、ミートソース、粉チーズ、卵を入れ、全体がよくなじむ
  まで混ぜる
 ・フライパンにオリーブ油を入れて中火で熱し、混ぜたパスタをオムレツのよう
  な形に広げて焼く
 ・約3分焼いて焼き色がついたら、オムレツの要領で裏返し、さらに約3分焼く
 ・皿に盛りつけ、お好みで粉チーズやバジルの葉をトッピングし、仕上げにオリ
  ーブ油をかければ完成
 先ず何より忙しいレストランの“まかない料理”らしく、フライパン一枚で調理出来るのがイイ。そして出来上がりの見た目もインパクトがあり、皆でピザの様に分け合ってスタッフが一緒に食べられるのも如何にも“まかない料理”らしくてイイ。
今回、余ったパスタは無いので二人分を作るのに、我が家の常備食材の都合上、パスタの分量に対し、ミートソースがレトルトのパックだったので少し少な過ぎたのですが、それでも美味しく戴けました。特に、溶き卵でオムレツの様に形がまとまり、また具材に混ぜ込んだパルメザンチーズが(粉チーズ)が、イメージ的にはタラコスパの様な感じで、味も食感的にもアクセントとして効いている感じがしました。
 フライパン一つで結構簡単に作れて出来上がりの見た目のインパクトもあるので、これからの夏休みに作れば子供さんなんかは喜ぶかもしれません。
ミートソースのスパゲッティに飽きたら少し目先を変えて、この「まかないフリッタータ」を作ってみるのも良いかもしれません。

 私たちの住む渚地区のマンションの周囲には、市街地でありながら松本地方の伝統的な古民家である本棟造りの家がまだ数件残っていて、そうした家を囲む屋敷林の様なエリアもあって結構なたくさんの木々が残っています。。
今年になって、春先以降、そんなエリアを回る朝のワンコの散歩の時や、昼間マンションの部屋からも近くに屋敷林の周辺に見慣れぬ鳥を見掛ける様になりました。
少なくともマンションに引っ越してからの昨年までの3年間には見たことも無い鳥で、というよりも、個人的には里山の岡田や沢村地区に棲んでいた時も、そして学生時代の京都や新婚時代の諏訪でも(赴任した、気候帯の異なる熱帯のシンガポールでは当然ですが)見た記憶の無い、自分の記憶の中では生まれて初めて見る鳥でした。

 その鳥は、ムクドリくらいの大きさですが、ムクドリよりも遥かにスマートで、頭が黒く、体が灰色がかった青っぽく、何より更に濃い青味がかった尾が長いのが特徴です。とりわけ頭の色が黒いのが、何だか帽子を被っている様にも見え、オシャレでエレガントな感じです。全体から受けるイメージはスマートなツバメにも似ています。
でも、鳴き声は容姿からするとキレイな鳴き声ではなく、些かしゃがれ気味のだみ声のギェーギェーという様な鳴き声で、姿から連想してキレイな鳴き声を期待していると少々がっかりしてしまいますが・・・。
そこで、気になって特徴を入力して調べてみました。すると、該当し掲載されていた写真からも「この鳥で間違い無い!」と確信出来たのが、オナガでした。
     (以下掲載した2枚の写真は、ネット記事からお借りしました)
 Wikipediaに依ると、
『オナガ(尾長、Cyanopica cyanus)は、スズメ目カラス科オナガ属。
ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域に分かれて分布する留鳥である。分布の一方はロシア東部、中国東部、日本など東アジアで、もう一方はイベリア半島の一部である。
なお、日本では分布を狭めており、1970年代までは本州全土および九州の一部で観察されたが、1980年代以降西日本で繁殖は確認されておらず、留鳥として姿を見ることはなくなった。現在は本州の福井県以東、神奈川県以北で観察されるのみとなっている。わずか10年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因はまったくわかっていない。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に敗れたという説がある。このように分布域を狭めてはいるが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にある。
全長は 34-39cm で、キジバトより一回り大きい程度。ただし尾羽が 20-23cm と長く、頭と体の大きさはムクドリ大。 名前の由来は、尾羽が長いことによる。なお、黒色に見える頭部の羽毛は濃紺。』
とのこと。
また違う鳥類図鑑の記述の中に、
『オナガは中部地方より北の、本州だけにいます。従って、関西のバード・ウォッチャーにとっては、是非お目にかかりたい鳥の1つです。尾が長いのでオナガと呼ばれています。良くテレビドラマで京都の話題の背景にオナガが鳴いている場面がありますが、自然ではありえない状況です。』
という記載もありました。
因みに、文中に在る「留鳥」(りゅうちょう、英語では: resident bird )とは、年間を通して同じ場所に生息し、季節による移動をしない鳥の総称。移動をする「渡り鳥」とは異なり、繁殖も越冬も同じ地域で行い、日本列島に生息する留鳥の身近な代表例としては、スズメ、カラス、そしてキジなどが挙げられます。
 我が家周辺で見掛けるオナガは群れを成した集団ではなく、どうやらつがいの様です。仲良く電線に止まっていることもあります。もし巣があるならヒナが生まれてやがて家族が増えるかもしれません。
ただ警戒心は強い様で、ベランダに出て写真を撮ろうとするとサッと飛び立ってしまうことも良くあり、なかなか上手く撮影出来ません(今回掲載した写真は、ネット記事からお借りした2枚と、ぼやけていますがスマホと、そしてまだ使っているSonyの“レンズスタイルカメラ”QX-10でも、それぞれズームを最大にして撮影した写真です)。
また縄張り意識が強いのか、或いは巣を守るためだったのか、ある時はオナガがカラスを攻撃しながらしつこく追いかけまわしていて、カラスは“ほうほうのてい”で逃げて行きました。もしかすると家族を守るためだったのかもしれませんが、姿に似合わず意外と気が強い面もあるのかもしれません。

 冬の間は一度も見掛けたことが無かったので、多分この春以降だと思いますが、“留鳥”の名の通り頑張ってこの辺りに留まって元気に生息し、そして家族を増やして我々の目を楽しませてくれたら・・・と願っています。

 最近の野菜価格の高騰も背景にあるのか、今世間で静かに注目されているのが“リボベジ”とか・・・。
このリボベジとはReborn Vegetableの略で、生の野菜を調理したり、食べたりした後に残った根や“へた”などから、再び食べられる部分を育てて収穫する方法のこと。
家庭から出るゴミの内、調理くずや食べ残しなどの生ゴミが約28%と凡そ1/3近く占める中で、このリボベジは野菜の生ゴミを減らすことが出来きて且つ家計にも優しいエコ活動として、最近注目されているのだそうです。
ネット記事に依ると、この“リボデジ”を育てるコツは、
 ・日当たりの良い場所に置く(直射日光は避けてください)。
 ・水は少量にして、野菜全体を浸さないように
 ・水は1日1回取り替える
 ・容器が汚れたら、キレイに洗う
 ・カビや異臭が発生した時は捨てる
 ・再生は1~2回まで
とのこと。
生の野菜を調理したり、食べたりした後に残った根や“へた”を今までの様に捨てずにそのまま使っての水耕栽培ですので、誰でも簡単に実行可能です。

 たまたま、今回奥さまが豆苗を買って来たので、料理に使った後の豆苗を使って、この“リボデジ”に挑戦してみることにしました。
料理に使う豆苗を長さ5㎝程残して切り取った後の、スポンジに生え揃った根の部分。これを水を張った容器に入れて準備完了です。後は毎日水を取り替えればOKです。
たまたま使える容器が無く、そのために容器を購入するのも例え100均であっても何だか本末転倒ですし、同じ根を再生用に使えるのも僅か2回なので、ここは工夫して2ℓのペットボトルを切って容器を作成することにしました。
たまたま手許に在った容器を水が漏れない様にピタッと隙間無く貼り合わせると、長さが豆苗のスポンジより2cm程短くなってしまいますが致し方ありません。半分に切り取って瞬間接着剤で密閉する様に貼り合わせ、少し時間を置いてしっかり乾いてから、根の張ったスポンジをその大きさに合う様に2㎝程切り取って出来上がった容器に入れて、根の部分が浸る様に水を注いで完成です。
キッチンには日が当たらないので、日当たりの良いベランダでプランターの脇のスモークガラスで直射日光が遮られる場所に置いて、毎朝水を取り替えることにしました。
 最初にスタートしたのが5月31日でした。次の写真が一週間後の様子で、大分茂ってきました。ところが、ニ週間後には成長度合いに対して水が足りなかったのか、朝見たらクターっと倒れてしまっています。
そこで朝夕一日二回水遣りをすることにして、収穫したのが18日。スタートしてから、19日目です。ビニール袋一杯の量でした。
そして調理したのは、シンガポール時代を懐かしんでシンプルにガーリック炒めです。ニンニクを二欠け細かく刻んでゴマ油で炒め、豆苗を投入して醤油に少しオイスターソースを足して味付け。
ところが食べてみると、味付けは良かったのですが、肝心の豆苗が強い(コワイ)のです。ネット情報では10日からニ週間で収穫と書かれていたのですが、18日間は長過ぎた様です。“欲をかかず”に、どうやら10日以内で収穫した方が良さそうです。
 最近のスーパーの野菜売り場では(田舎の信州でも)、豆苗以外の根付き野菜として、昔からお馴染みのカイワレ大根だけでなく、最近ではブロッコリースプラウト、そして個人的には豆苗よりもシンガポールで大好きだったチリカンコンで良く食べていた空心菜も売られていますので、サラダ用にはカイワレやブロッコリースプラウト、そして自宅中華用には空心菜でリボデジをやってみるのも良いかもしれません。

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