カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 好きなエッセイスト(本職は評論家のようですが)に川本三郎さんがいます。毎月送られてくる某会員誌に連載をされていて、毎号読むのを楽しみにしています。

 66歳となった氏の、日本の情緒や日本人の慎みなどを感じさせる、すっきりとして少し枯れた文体が気に入っています。くどくどとしか書けない私メは反面教師として読むたびに感心し、反省させられます。
しかし、聞けば氏は若い頃、某全国紙の新聞記者で、反体制派に取材をして預かった証拠品を隠滅して刑事責任を問われ新聞社を辞めざるを得なかったのだそうです。齢を重ねたとは言え、氏のエッセイは嘗ての“熱き闘志”を微塵も感じさせないタッチで、そんな経緯を知りむしろそのギャップに驚いたほどでした。
 ただ気になるのは、殆ど毎回と言っていいくらい、亡くなられた奥さまの思い出が書かれていること。「妻に先立たれた中年の哀愁」と言えばそれまでですが、きっと周囲も認める「イイ夫婦」だったのでしょう。50代で急逝されたという奥様は、ファッション評論家としても活躍されていたのだそうですが、どれほど愛されていたのかが(氏が淡々と書けば書くほど)苦しいほどに伝わって来て、むしろ読んでいるこちらが辛くなるほどです。
 心の中では奥さまを大切にしながらも、今回は前向きなエッセイが掲載されているだろうかと、お節介ながら毎号気を揉んでいます。

・・・と常々思っていたところ、その会員誌が送られてきました。氏のエッセイは、今回は『ただの水のうまさ』と題して、一人旅で訪ねた全国各地の「水」の美味しさについて書かれていて、読みながら「あっ、今回は大丈夫かも・・・」と思いきや、最後の最後にまた奥様の思い出が登場していました。「あぁ、今月号もか・・・。」

その会員誌の新刊本の今月の書評に掲載されていた、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏という方が書かれたという『妻を看取る日』。
詩人でもあるという井坂洋子女史の書評を何気なく読んでいると、
『妻の写真を肌身離さず持ち歩いたり、これでは妻が悲しむと思い生活の見直しをしたり、亡くなっても(著者は)彼女の気配とともに生きている。著者は意志の人だが、だからこそ守りぬける愛もあると思う。』
というくだりを見つけて、はっとしました。

「そうか、川本さんもまだ奥さん(の気配)と一緒に生きているんだ。決して嘆いているんじゃないんだ。しかも過去の思い出だけではなく、過去をベースに『もし家内だったら』と、今目の前のそれを重ね合わせて、また新たな二人の想い出を一緒に作ろうとしているんだ。」

だから、このままでもイイのかもしれません。
きっとそうなのでしょうし、そう考えなければ人間辛すぎます。