カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 庭の改修の時に、雑木林(風)のシェードガーデンのグランドカバーとしてのポテンチュラの中に、家内のリクエストで20株ほど植えていただいたクリスマスローズ。
一番最初に植えた一株は、下の娘が小学生の時に学校の斡旋で欲しいからと買って自分で大事に植えた赤紫の花でした。
種類によっては、その名の通りクリスマスの頃咲く物もあるようですが、我家のそれは2月から3月にかけての早春が花の時期。
 白、赤、黒、ピンク、オレンジ、また一重、八重咲など、まだ肌寒い信州の早春の朝に、生まれ故郷であるヨーロッパの荒野を連想させるように、クリスマスローズが寒さにも負けずに気高く凛として咲いています。

 29日の朝は、庭にも薄っすらと雪が積もりました。健気にも頑張って咲いているクリスマスローズを眺めていると、何だかこちらも背筋が伸びるような気がしてきます。頑張れ、頑張れ!

 桃山時代を代表し、我国の水墨画の最高傑作とも言われる長谷川等伯の国宝『松林図屏風』(東京国立博物館所蔵-しかし京都のお寺などではなく、どうしてここにあるのか不思議ですね)。

 一昨年でしたか、上野の国立博物館で開催された『巨匠対決』展(含む狩野永徳vs.長谷川等伯)の中でも一番見たかった展示品でしたが、行った時は残念ながら期間中の入れ替えの後で見ることが出来ませんでした。

 今回、同じく上野で、長谷川等伯没後400年の特別展(東京の後京都へ巡回)として、他の作品と一緒に『松林図屏風』も展示されるとのことで、生涯に亘る80作品もが一堂に会する機会は今後もう無いだろうと言われる特別展です。
たまたま東京に私用で行く機会と重なったことから「今度こそ!」と何とか時間を作って、一度振られた恋人にでも合うような気持ちでいそいそと上野に向かいました。 

 国立博物館に着くと、私同様“恋人に振られた”人が多かったのか、また特別展最終日の前々日ということもあるのか、30分待ち。思ったほどではありませんでしたが、松林図初め、重要文化財『枯木猿候図』(京都龍泉庵)や狩野永徳に比肩されると言う金碧障壁画の国宝『楓図壁貼付』(京都智積院)など目玉の作品前では黒山の人だかりで、じっくりと観賞することはできませんでしたが、とにかく教科書や歴史年表で見た“本物”が目の前にある感動と幸福感で一杯でした。

 特に念願叶った松林図は、見ていると次第に絵の中に吸い込まれて、そしてどこからともなく風の音や何か音楽(平家琵琶か笙の笛とでも言いたいところですが何故かその時に自分の脳裏に聴こえてきたのはエンヤでした)が聞こえてくるような、そんな不思議な感覚に包まれていきます。しかも、言い古されていますが、確かに何も描かれていない余白が、透明な筆で描かれたかの如き意志を持って能弁に主張しています。また、猿候図はその生き生きとした様子で今にも動き出しそうです。やっぱり等伯は水墨画が凄いの一言です。

 さて、見終わってからいつものように考古館へ。
ここにも教科書に載っているような国宝、重文を含む、土器や土偶、埴輪、そして矛や銅鐸などの青銅器が所狭しと並べられていて、正に圧巻。特別展の時は見学する人もまばらで思う存分に眺められるため超穴場。
元“考古少年”は「スゴイなぁ!」と独り言のように連発し、何度も溜息をつきながら古代日本に思いを馳せて、その文化の豊かさを実感したのでありました。

 25日は終日冷たい雨。夕方には雪に変わりました。信州でも23日には南部の飯田で桜が開花するなど春めいていましたが、また冬へ逆戻り。

        (写真はリンゴ園越しの東山々系-美ヶ原方面です)
26日の朝は、松本は標高800m付近を堺に上は雪景色で、山は白と黒の見事なツートンカラー。でも、せっかく雪が消え、春色になりかかっていたのに、里山までまた冬景色で、気分まで何となく寒く感じてきます。これから暫くは、寒気が南下してきて、松本では朝晩氷点下5℃を下回る日が続くとか(予想では日によっては-9℃・・・オイオイ。また不凍栓締めなくっちゃ)。3日に修正された松本の桜の開花予想も、また後へ戻るかもしれません。

 『散る桜 残る桜も 散る桜』(良寛禅師)

・・・とは言え、桜好きの日本人としては少しでも長く咲いていて欲しいもの。既に桜が開花した東京などでは、この寒の戻りでお花見の期間が少し延びるかもしれませんね。
(写真は一足早く家の中で咲いたヒガンザクラ)

 『咲き急ぐ 桜を冬が 連れ戻し』(オソマツ)

「暑さ寒さも彼岸まで」、「三寒四温」と言いますが、こうした一喜一憂も四季がある日本だからこそ。
光に、風に色を感じながら、やがて来る春を、そして行く春を、時には心にゆとりを持って、ホンのちょっと立ち止まって感じてみたいものです。

 伊那谷に春を告げるという『春の高校伊那駅伝』(男子は今年で33回)が春分の日の3月21日に行われ、長野県内では今年もTVで生中継(女子は録画)されました。因みに解説は今年も山梨学院大の上田監督です。どなたかと違って身贔屓も無く、子供たちへの暖かなコメントが印象的です。

 この大会は、地元長野の佐久長聖を始め、今回の優勝候補筆頭の須磨学園、対抗馬の西脇工業、昨年の都大路の覇者世羅、そして今年から仙台育英も初参加するなど、全国の強豪がこぞって参加することから、秋の都大路に向けての前哨戦として、各校の新チームの力量を占う大会でもあります(ここ2年は春の伊那駅伝での優勝チームがそのまま秋の都大路を制してします)。

 春とは言え時折り雪が舞う中、レースは1区から抜け出した須磨を3区で西脇が逆転し、最後2位に1分以上の差をつけて優勝しました。
佐久長聖は1年生エースともう一人の主力2人を故障で欠きながら(翌日の地元紙によれば、両角監督は最悪10位台も覚悟していたそうです)、3区新チームの主将臼田の区間新、最終6区山浦の区間賞の走りもあり、最後競技場直前で須磨を逆転しての2位。特に臼田は昨年の都大路3区で1位で襷を受けながらの失速、同じく1年生アンカー山浦は都道府県対抗でインフルエンザで走れなかった先輩の代役で急遽出場し、やはり先輩村沢から1位で襷を受け失速していただけに、二人共見事汚名返上の快走でした。また1区上野弟が最後遅れての5位とはいえ、兄裕一郎を彷彿させる積極的な走りで最初から先頭を走り、後1キロの体力が付けばと期待を抱かせてくれました。
       
 昨年優勝の世羅は留学生を含む主力数人を欠いたとは言え21位、同じく留学生を擁する仙台育英は5位、九州学院が4位でした。
しかし、11位の報徳を含め、兵庫県は予選を勝ち抜くのも至難の業。嘗て(留学生が出場する前)『全国で勝つよりも兵庫を勝つ方が難しい』と言われた報徳と西脇の黄金時代を思い出します。

 各高が春の新1年生を加え、これからどう鍛錬し秋の都大路に臨んでくるのか、駅伝ファンとしては大いに楽しみです。みんな頑張れ!

 好きなエッセイスト(本職は評論家のようですが)に川本三郎さんがいます。毎月送られてくる某会員誌に連載をされていて、毎号読むのを楽しみにしています。

 66歳となった氏の、日本の情緒や日本人の慎みなどを感じさせる、すっきりとして少し枯れた文体が気に入っています。くどくどとしか書けない私メは反面教師として読むたびに感心し、反省させられます。
しかし、聞けば氏は若い頃、某全国紙の新聞記者で、反体制派に取材をして預かった証拠品を隠滅して刑事責任を問われ新聞社を辞めざるを得なかったのだそうです。齢を重ねたとは言え、氏のエッセイは嘗ての“熱き闘志”を微塵も感じさせないタッチで、そんな経緯を知りむしろそのギャップに驚いたほどでした。
 ただ気になるのは、殆ど毎回と言っていいくらい、亡くなられた奥さまの思い出が書かれていること。「妻に先立たれた中年の哀愁」と言えばそれまでですが、きっと周囲も認める「イイ夫婦」だったのでしょう。50代で急逝されたという奥様は、ファッション評論家としても活躍されていたのだそうですが、どれほど愛されていたのかが(氏が淡々と書けば書くほど)苦しいほどに伝わって来て、むしろ読んでいるこちらが辛くなるほどです。
 心の中では奥さまを大切にしながらも、今回は前向きなエッセイが掲載されているだろうかと、お節介ながら毎号気を揉んでいます。

・・・と常々思っていたところ、その会員誌が送られてきました。氏のエッセイは、今回は『ただの水のうまさ』と題して、一人旅で訪ねた全国各地の「水」の美味しさについて書かれていて、読みながら「あっ、今回は大丈夫かも・・・」と思いきや、最後の最後にまた奥様の思い出が登場していました。「あぁ、今月号もか・・・。」

その会員誌の新刊本の今月の書評に掲載されていた、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏という方が書かれたという『妻を看取る日』。
詩人でもあるという井坂洋子女史の書評を何気なく読んでいると、
『妻の写真を肌身離さず持ち歩いたり、これでは妻が悲しむと思い生活の見直しをしたり、亡くなっても(著者は)彼女の気配とともに生きている。著者は意志の人だが、だからこそ守りぬける愛もあると思う。』
というくだりを見つけて、はっとしました。

「そうか、川本さんもまだ奥さん(の気配)と一緒に生きているんだ。決して嘆いているんじゃないんだ。しかも過去の思い出だけではなく、過去をベースに『もし家内だったら』と、今目の前のそれを重ね合わせて、また新たな二人の想い出を一緒に作ろうとしているんだ。」

だから、このままでもイイのかもしれません。
きっとそうなのでしょうし、そう考えなければ人間辛すぎます。

 前話の第249話でのおでんの時のゆで卵。たまたま土日が雨雪で、外での仕事が全く出来ず、上京された奥様からのいつものようにリストアップされたノルマのお仕事をちゃんと済ませて、何気なくTVを見ていたら、バラエティー番組のダイジェストが放送されていて、その中で紹介された一つが「ゆで卵の殻剥きを短時間で済ませるスゴ技」でした。

 卵の鮮度や、茹で加減、冷やし方にも因るのか、なかなか剥けない時はイライラしますよね。
そこで興味津々で見ていると、ナルホド、目からウロコでした。
それは、水を卵が被るくらいに入れた大き目のタッパーに、卵を数個入れ蓋を閉めて数秒間揺するだけというもの。それだけで、放送の実演ではキレイに殻が剥けていました。上下左右ぶつかり合うことで均等にひびが入り、水があることで保護されながら殻が剥がれて行くのだとか。

 おでんに当然ゆで卵を入れるので、数個ずつ2回に分けて早速試してみました。放送ほどタッパー中でキレイには剥けなかったものの、取り出すとすぐに剥がれますので、確かにあっという間に出来上がり。
じゃあ2回目はもう少し剥がれるようにと、少し強めに長く揺すったら、一つは割れて黄身が飛び出してしまい大失敗。何事も過ぎたるは及ばざるが如しのようです。

 コツをつかんでしまえば、うん、これは使えます!

 (少し前の話で恐縮ですが・・・)
 奥様が娘のところに行かれて不在の3月上旬の週末。しかも、雨と雪で外での仕事が出来ず・・・。残された仕事メモに沿ってノルマを終わらせ、夕刻いつものスーパーへ食料品の買出しに出掛けました(男一人での買い物って何となく気が引けますね)。

 何となく、今シーズン最後?の「おでん」を食べたくなったのですが、冬の間あれほど山積みだった「おでん用食材(おでん種)」が激減していました。でも太くてりっぱな大根が1本99円。卵だけではなく大根も物価の優等生ですね。

 太田和彦氏の『居酒屋放浪記・立志編』(第5話参照)の静岡の章『黒はんぺんにむせび泣く』に出てくる静岡名物という「黒はんぺん」が何となく食べたくなり練り物コーナーを探したのですが見当たらず。
鮮魚コーナーに「鰯のつみれ」が売っていたので「ま、いいか?」と替わりに買ってきました。本当は(赤?)味噌おでんにして試したかったのですが、赤味噌を(定番のコンニャクも!)買うのを忘れてしまいました。
 さて、先ずゆで卵を作り、大根の皮むきから始まり具材を入れて最後に静岡名物の「黒はんぺん」作りです。油で揚げればいいんだと思い、一応念のためにネットで調べてみたら、トンデモ8分、揚げるのは(考えてみれば当然ながら)薩摩揚げ。あっそうか。じゃあ「はんぺん」て・・・?何だ、ただ茹でるだけなんだ・・・と目からウロコでありました。
 しかし、今やネットは便利で親切ですね。詳しいレシピにはすりおろしの山芋を入れ、云々とありましたが、澱粉質なら小麦粉でいいや、と臭み消しも手抜きでチューブ入りの生ショウガで代用。
小判状に捏ねて熱湯に入れ茹でること2分強。
うーん、はんぺんと言うには歯応えが少し足りないか・・・。これじゃ、ただのつみれ?澱粉質が足りなかったか?シンプルなものほど、やっぱりプロには敵わないですね。

 さて、前日夕刻からじっくり煮込んで味が染みたおでん。
雪の一日で冬に逆戻りしたので、ちょうど良かったかもしれません。
奥様が帰られて(夕飯の支度をしなくても済み)喜ぶ顔が目に浮かびます。
(いつものことですが期待ほどの反応は無し。ま、人のことは言えないか?世の旦那様方反省しましょ!「美味しい!」くらいたまには言わなくっちゃ!・・・美味しかったら・・・ですが)

 一応、“黒はんぺん?”もそれなりに好評・・・ではありました。
やっぱ、赤味噌かなぁ?・・・今度(来冬?)こそ。

 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言われるように梅は徒長枝が多く、毎年切らないと大変なことになります。

 週末の天候が悪くノビノビになってしまい、漸く梅の剪定をした3月14日。我家の梅も既にチラホラと綻び始めていました。また、リンゴ園のオオイヌノフグリが、春の陽気に一層その青さを増したようです。枯草色の冬から色を変え始めた緑の絨毯の中で、青い帯が春の日を浴びて一際鮮やかに映えています。
気が付かない間に、リンゴ園の片隅にある蕗畑?ではフキノトウがたくさん顔を出していて、早いものはもうすっかり董(トウ)が立って花が咲いていました。

 松本では、先週25cm近く積もった上(カミ)雪もすっかり融け、山はまだ冬の装いですが、里は春の気配がそこ彼処に顔を覗かせています。心なしか日差しも春の匂いがするような・・・。
 
冬の間、土が凍ってしまうのを避け玄関に入れておいた寄せ植えの鉢。春めいてきたので、ここで日の当る玄関先に出してあげました。
 咲きかけた梅の枝を切ったのも忍びなく、二本ほど部屋に持ち帰り一輪挿しに飾ったので、部屋の中にも少し春の気配が漂いました。
母や妹も、梅の枝を部屋に飾るからと持って行ってくれました。

 第204話でご紹介した我家のシンビジウムの花芽?

 年末に“発見”してから既に3ヶ月近く経ちますが、筍のような芽が漸く当時の倍の長さの10cmくらいまで成長した程度です。寒いからでしょうか、少し成長が遅いような気がします。しかも、花芽なのか葉なのか、今だ良く分かりません。でも、もし葉ならこんな形状ではなく、もっと早く蘭の葉っぱらしく伸びてくるのではないかと思いますので、花芽ではないかと期待をしています。

 東京にいる娘達も、それぞれの目標にチャレンジしています。
彼女達のためにも、見事な花が咲きますように・・・。

 親としては、シンビジウムにそんな願いを重ねて花芽を見守る日が続きます。

 バレンタインデーのお返しとして『さかた』のおやきを発送手配するために、先月末の週末に松本市新村のお店に行ってきました。その場で買うには、朝行かないと売り切れてしまいますが、後日の発送依頼のため、手の空いた昼頃出掛けました。しかし相変わらずの混雑振りで、ひっきりなしにお客さんが訪れますが、種類によっては既に売り切れも・・・。
 新商品で「豚味噌」が登場していました。ナス(鉄火味噌)は夏の7月から9月くらいまでの限定商品で、残念ながら今だ試食ならず(勿論この時期はありません)。

 娘たちや職場の女性陣へのお返しですが、昨年好評だったのと、チョコレートを食べた張本人がご注文のため、私はただのアッシーで、ムフフ・・・お財布含めてお気楽です。

 故意か、偶然か・・・?長女がバレンタインデーに送ってくれたゴディバのチョコレート。早速一つ口に入れ、「何これ~っ!」の叫び声が。何事かと行ってみると、一滴もお酒の飲めない奥様が食べたチョコがボンボンだったのだとか。フム、人間悪いことは出来ないものです(・・・と、翌日にはボンボンだけを残して、トリュフなど他のチョコレートはすっかりきれいに跡形も無くなっていました。さっすがぁ・・・田舎のネズミの学習能力)。

さて、第51話でも一度ご紹介した『おやきのさかた』。
松本市街からは上高地線で、長野道松本インターを越え、松本大学、サラダ街道交差点を過ぎて新村地籍の次の信号左手(右手に広い駐車場あり)。一目で分かる本棟造りを模した店舗が目印です。
中の具の量(皮の薄さ)には感動します(・・・と思います)。

 何年か前ですが、遠い縁戚でもある集落の同姓の小父さんが、趣味の庭木の剪定をしていてそれほど高くもない梯子から誤って落ち、打ち所が悪くそのまま亡くなってしまいました。

 数日後、当時勤務していた事業所で安全担当の部下に話をしたところ、こう教えられました。

「“安全の世界”ではこう言うんです。“1メートルは一命取る”って。」

「植木屋の親方は、職人が高いところで作業している時は黙って見守り、梯子を降りてきて地上1mくらいになった時に初めて『おい、気をつけろヨ!』と声を掛けるのだそうです。」

「人間、危ないところでは誰でも緊張し、気を付けて作業しますが、それが解けた時に油断が生まれ、その時が一番危険なんです。」

なるほど、でした。

 農作業での選定作業等で脚立に上る時は、いつも必ずこの言葉を思い出して自分を戒めています。『1メートルは一命取る!』
(・・・と言いつつ、2度ほど落ちそうになりました。反省です)

 これまで週末になると天候不順で作業が出来ずに残っていた梨と梅と柿の剪定と枝払い。この週末は何とか出来そうなので、“梅切らぬバカ”となる前に、気を付けながら済ませてしまおうと思います。

 リビングの液晶TV用にはヤマハのホームシアター用擬似5.1チャネルのフロントスピーカー(配線が見えるのがイヤなので)を購入して楽しんでいます。

 ここで、地デジ化に向けて、寝室用のブラウン管TVをエコポイントがある内にと先日中型の液晶TVに買い換えたので、
「何とかしたいなぁ・・・、そうかと言って高いしなぁ・・・」
リビングは光ケーブルでHDM1端子からデジタルで取っていますが、そこまで拘る必要もなし。
購入したテレビが、幸いTVの音声そのままでアナログの音声出力(アンプ経由)も可能でしたので、海外にも持って行った大昔の2代目ミニコンポのアンプ(昔懐かしいサンスイです)と自作組み立てした小型スピーカー(これも真面目なスピーカーメーカーだったコーラルの組立キット。今でもちゃんと鳴ります)を探し出して繋げて見ると・・・。
そう言えばアンプ側に問題があったらしく、全く音が出ません・・・。(不在中の娘の部屋から彼女のミニコンポを持って来る訳にもいかず)
ムム、ダメか・・・と迷った末、そう言えば有名ブランドでなければ、音量はそれほど出ませんが、10~20Wくらいでアンプ内臓2.1chホームシアター用?スピーカーが1万円以下で(安いモノだと2千円台で)ホームセンターで売られていた筈(家電量販ではお目にかかれないブランドですが)。
オモチャみたいなモノかもしれませんが、さすがに全く音が出ないということは無いでしょうし、これなら我家の大蔵大臣(今は財務大臣ですか)の厳しい“仕分け”を受けずとも自分のポケットマネーでも買えそうです。

(奥様からは「安モノ買いの・・・」と白い目で見られながら)早速、この週末に購入してきました。
ホームセンターの店頭価格で3890円、ドウシシャ(?)という福井の会社(製造は勿論中国製)のモノ(ブランド名はRAPHAIE)にしました。アンプ内臓のサブ・ウーファー付き2.1chでちゃんと木製のキャビネットを使っています。陳列品をチェックして音声入力端子等接続に問題無い(逆に当然ながらデジタル端子は無し)ことも事前確認済み。どちらかと言うと、TVゲームやPC用のようです。世の中デフレとは言え、確かにウーファーのコーンは安っぽいですが、木製キャビネットは思いの他しっかりしており、定格出力25Wで総重量も5kg(3.5+0.8×2)あります。
「これで、この値段で変動費出るんだろうか?」(勿論固定費もカバーしないと儲かりませんが)
と製造業に身をおく人間としては些か心配になってしまいます。

 さて、配線して音出し・・・。この準備の時間が(値段に関係無く)オーディオ好きにはタマラナイですね(・・・楽しみ、楽しみ)。
結果は・・・、これが4千円とは思えないほどちゃんと低音を含め“それなりの”音がしました。
たまたま試聴した時に、松本ケーブルTVでハーモニーホールでの室内楽演奏会の録画を放映していましたが、繋いで音を出すと、それまでと比べてチェロやコントラバスのピチカートの“音の粒”が立ってクッキリと聴こえるようになりました。さすがにリビングの本格的なそれとは比べるべくもありません(逆に同等だとむしろ問題です)が、寝室ですので、至近距離で且つ小音量で楽しむには十分です。
家内からは「どこが変わったの?」とツレナイお言葉・・・。
「ふん、素人は分かってないなぁ」。とかく“マニア”は独善的傾向はありますが、イイんです。自己満足で・・・!
やはり、バラエティなどのトーク番組ではなく、音楽番組や効果音の入った映画とかじゃないとそれ程の違いは現れません。

 いや、ビックリ。ディスカウント価格とは言え4千円はお買い得。充分に“買い”だと思いました(後は耐久性がどうか、ですね)。

 「うーん、でもメーカーは辛いよなぁ・・・。」

 また冬に逆戻りで、松本は一日中雪降りだった日曜日。

 明けての8日月曜日。早朝5時半、チロルとナナの散歩に出かけました。
 湿った雪でしたので、道路は融けて雪はありませんが、木々には湿った雪が着いて白く花が咲いたようです。里山もすっかり雪化粧のし直しです。
 そんな散歩の道すがら、普段は何の変哲も無い柿の木ですが、雪化粧をして黒い木の肌と白い雪が見事なコントラストで、一片の水墨画を見るようでした。


 雪舟ならぬ大自然という絵師による見事な一幅です。

 第132話でご紹介した上諏訪駅前の割烹『味宏』へ、2月下旬また大先輩にお誘いいただき、ご一緒に伺いました(ここの常連である大先輩に事前予約いただいて、ご一緒しないとスペシャル・メニューは出てきません)

 ただ、まだ今は、春の山菜や秋のキノコのシーズンではありませんので、正直あまり期待していなかったのですが、この日の“スペシャル”は、何と「猪汁」。
何でも、(おそらくこの日のために)頼んでいた「ドングリ林に住む野生の猪」が手に入ったとかで、それを豚汁のようにして出してくれました。
驚いたことに全く臭みが無く、しかもドングリを食べて脂が載っているというお話の通り、豚肉よりも脂に“甘味”があってとても美味しくいただきました。

 そして、先付けの「フキ味噌」(この他、天婦羅でも諏訪湖名物のワカサギと一緒にフキノトウが出されました)。お酒の肴にはモッテコイです。
早春とは言えまだまだ寒い諏訪ですが、日当たりの良い所では、もうフキノトウが出ているのだとか。蕗らしい苦味で、一足早く“春の味”を、冷酒(この日は、近年評判の「御湖鶴」の純米)の肴として楽しむことが出来ました。

満足、満足・・・。ご馳走様でした。

 このところ、こちら信州でも春を感じさせるような暖かな日が続いています。
      
 あまり暖かすぎて、早く芽吹いて花が咲いてしまい、その後に昨年のように遅霜が来ると果樹は心配ですが、こればかりはお天道様次第・・・。

 さて、週末の朝は、少し遅めの7時くらいのチロルとナナの散歩です。
 道すがら、ご近所の道端の梅が、2月末には早くも一輪、二輪とほころんでいました。我家の梅は漸く蕾が膨らんできたところ。早咲きの梅なのか、昨年もこの木はどこよりも数週間早く咲き出したように思います。

 山はまだ冬の装いで、平地もまだ朝晩は氷点下に下がる日もあり、寒い日の方が多い信州ですが、リンゴ園の日当たりの良い所ではオオイヌノフグリが小さな青い花を付けていたり・・・。
でも、来週の松本はまた冬に戻って、予想最低気温が最も低い日が氷点下-5℃と、一転して寒い日が続くようです。また手袋とマフラーを出さないと・・・。

 この時期は、春と冬が綱引きをしています。
“春は名のみ”の暦の上だけではなく、三寒四温と言いますが、二歩進んでは一歩、一歩進んでは半歩下がりながらも、確実に春が近付いて来ているようです。

 オリンピックが終了しました。しかし、週刊誌も相変わらず喧しいですね。
第231話で「非国民宣言」をして、選定作業中だった開会式を含め、今回は全くと言ってイイほど(ニュース報道を除き)TV中継を見ませんでした。

 そんな今回のオリンピックでの新聞報道を読んで、印象に残った選手たちの一言。

(金)メダルを期待されながら、4位に「終わった」地元白馬村出身の女子モーグル上村愛子選手。試合後のインタビューで悔し涙を流しながら「どうして一段ずつしか上れないんだろう?・・・」。
 長野オリンピックで、18歳で出場して以降4大会連続出場。7位、6位、5位で、今回のバンクーバーは4位。

 前回の金メダリストでも入賞圏外に去る競技者もいる中で、一度として順位を下げることなく、4大会連続で順位を上げている・・・これって凄くないでしょうか?一段であれ、必ず前回を上回る、しかも世界最高の舞台で。これが偉業でなくて何でしょうか?しかも4回とも入賞、世界のトップエイトです。大いに賞賛されて然るべきでしょう。ましてや「メダルが取れずスイマセン」などと謝らずとも・・・。そして、その妻の分まで取り返そうと、イチかバチかで果敢にメダルにアタックしたご主人の皆川選手ではなかったのでしょうか。

 むしろ、反省すべきは他種目を含め「メダル確実」のように煽り立て、取れなければ(自分達が煽ったことなど忘れたかのように、今度は本人たちに自己反省を求めて無理矢理悲劇のヒロインに仕立て上げ)懺悔の言葉を引き出そうとするマスコミではないでしょうか?(イケナイ、段々興奮してきた)。

 そして女子フィギアの鈴木明子選手。摂食障害を乗り越えてオリンピック初出場での8位入賞。
フリー演技を終えて涙を流してのコメント。「幸せな4分間でした!」
33kgまで体重が落ちてリンクにも上がれなかったという日々の苦しさを、想像はしても他人が本当に理解することはできませんが、こちらまでジーンと来ました。「良かったなぁ・・・」感涙に溢れるトレードマークの大きな目がとても印象的でした。

 そして、スピードスケートの女子団体パシュート。選手たちではなく、銀メダル後の日本選手団の橋本聖子団長のコメント。「金メダルのチャンスなんてめったにない。取らせてあげられなくて悔しいです。」さすが、100分の一秒の世界を戦った元銅メダリスト。チャンスはモノにする。勝負というのは、おそらくそうなんでしょうね。僅かコンマ02秒、されど0.02秒。

 最後に、その一員である小平奈緒選手。オリンピック開幕直前の朝日新聞長野版の記事から。
去年の夏の水害で幼馴染を亡くした彼女。葬儀に参列できず、遠征から戻り実家にお参りした時に、ご遺族のお母さんにお願いして彼女の遺品であるペンダントを貰って、メダルを霊前に誓ったのだとか。それまで不調だったのが、ペンダントを身に着けて以降好調になり、選考会で優勝しての代表入り。友達と一緒に滑った1000mと1500mは、惜しくも5位続きでしたが、最後のレースで見事約束を果たし、茅野に戻って幼馴染の霊前に報告をすることでしょう。

 さて、順位やメダルとは関係無く、“自分を誉めたい”ほどの満足感や達成感の一方で、確かに悔しさや後悔もあるでしょう。アスリートたちの更なるチャレンジに期待します!(しかし期待するなら、頑張れだけではなく、仕分けでカットなんぞせずに、政府もちゃんと支援しなくっちゃ!)。

 そして舞台はパラリンピックへ。
身近にも代表に選ばれた選手がいます。オリンピックほど注目されずとも、ハンディと正面から向き合い克服した、彼等も正真正銘のアスリートたちです。

【追記】
日経によれば、長野オリンピックでの剰余金30数億円が、この12年間細々と冬季競技の強化費として充てられてきたそうですが、それも今回のバンクーバー向けで底をついたのだとか。

 先日、朝直行で塩尻に外出しました。
 松本平の南端に位置する塩尻からは、松本や安曇野とは違った風景が望めます。
松本や安曇野からのシンボルである常念が鍋冠山に殆どが隠れて見えない代わりに、逆に松本からは鍋冠や大滝山に隠れて全く見ることの出来ない、“北アルプスの盟主”にして山男達の憧れである穂高連峰がその雄姿を現してくれます。
そして、穂高を過ぎて、南側に目を転じていくと3000m級の山々は消え、馬の背の高原状のなだらかな山容が木曽方面へ繋がっています。


 この日も、朝電車から降りて歩きながら、穂高連峰の特徴ある鋸の歯のようなギザギザした稜線を眺めつつ外出先へ歩を進めながら、清々しい気分で何となく上高地からの眺めを思い出していました。

 何となく、ちょっぴり得をした気分の朝の出勤です。