カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 7月16日。家内が娘たちのところへ上京し、汗だくで農作業を終え、風呂上りでのビール片手にほっと一息。
何気なくTVを付けると、NHKで祇園祭の宵山のライブ中継をしていました。歩行者天国の四条河原町から始まり、灯が入った提灯に照らされた長刀鉾を皮切りに鉾や山が次々と紹介されています。
コンチキチンというお馴染みのお囃子の音。町屋での「チマキ、どうですかぁー」という町内の子供たちの声。

 懐かしいですね。通りを埋め尽くし身動きも出来ないほどの人出の中で、こちらはTV桟敷に居ながらにして、宵山の雰囲気を35年振りに懐かしく思い出して暫く見入っていました。

 私の学生時代でも既に宵山はもの凄い人出のため、一度で懲りて、行くにしても宵々山、更に宵々々山と次第に前倒ししていったような気がします。

 夏の京都の風物詩、祇園祭の直接の起源は、今年の震災で話題となった貞観地震のあった869年(貞観11年)とか。
怨霊の祟りにより都では疫病が流行し陸奥では大地震などが起こったため、鉾を立てその鉾に怨霊を集めて鎮めるために始まったと聞き、その巡り合わせに何だか感慨深いものがありました。
今年は震災を受けて、この国の安寧を祈るべく特に熱が入っているようにも画面から感じられます。
囃し手の方がインタビューに応えて曰く、10歳の息子さんが今年お稚児さんを務められると話しながら、ご自身も10歳の時に稚児を務めたと紹介されていたのが、さすが京都だなぁと感心した次第。
一方で、町内によってはマンションが立ち並び、古くからの住民は少子高齢化で小学生が一人しかおらず、そのため余所から移ってきたマンションの住人や子供たちが町内のお婆ちゃんから指導を受けて、今や立派に祭りの担い手とか。形を変えながらも、親から子、子から孫へと、子々孫々と1000年以上ずっと伝承されてきたお祭りです。
千年の古(いにしえ)の都と言いますが、千年前のことも、千年前の人も、それこそまるで昨日のことのように、また親しい知り合いのように、当たり前に語られ行なわれているのが京都の凄いところ。長年帝を守ってきた町衆の心意気なのでしょう。
京都の人々にとっては「ホンのちょっと、東京に行かはってるだけや。何しろ千年もの間、ずっと京が都だったんやから。」ということなのでしょう。

 祇園祭のハイライトが翌日の山鉾巡行であるにしても、“らしさ”はやはり夜の宵山、宵々山ではないでしょうか。
宵山の様子をTVで見ながら、千年とはいきませんが、35年前が昨日のように思えてきました。

 コンチキチン、コンチキチンと宵山の京の夜が更けていきました。