カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。通称“音文”)の特徴の一  つは、メインホール正面に据え付けられた、高さ10mという独ベッケラート社製の、パイプ数3121本、ストップ数43、鍵盤3段、ドイツバロック様式のパイプオルガン。
“楽都”松本のシンボルとして音響の良さで知られるホールとはいえ、僅か700席の地方のホールとしては、或る意味随分贅沢なのかもしれません。
古くはNHKホール、またサントリーホールや国内最大級(因みにパイプ8286本、ストップ126本とか)という東京芸術劇場(しかも様式の違う裏表2台の反転式)など、今では全国各地にパイプオルガンを備えた大小のコンサートホールが増えましたが、長野県内ではここ音文が唯一の本格的コンサートオルガンとか。

 市立のホールが完成した二年後の87年にオルガンが設置されて、“宝の持ち腐れ”にならぬよう1990年に専属のオルガニストとして着任(身分は市の嘱託職員)。ここで四半世紀を経て、後進に道を譲るために退官(特別職の公務員であれば、多分65歳定年?)される保田紀子さん(なお後任には、芸大の後輩でもある、東京芸大オルガン科助手の原田靖子さんが着任とのこと)。
“ありがとう-保田紀子オルガンリサイタル”と銘打ったコンサートが、入場無料で往復ハガキでの事前申し込み抽選により、4月12日に開催されました。ハーモニーメイトとして、保田さんへの感謝の意を込めてホールを満員にして見送るべく、事前申し込みの上、当日桜の咲き始めた音文へ家内と出掛けました。
開場直後には到着したものの、オルガンと正対する2階席は既にほぼ満席で、ステージに近い1階席前方へ。ここだと、ステージ上段に据え付けられたパイプオルガンを見上げる格好ですが止むを得ません。でも盛会で何より。
 プログラムは、バッハにも影響を与えたという17Cドイツの作曲家ブルーンスに始まり、J.S.バッハを4曲。休憩を挿み、19 Cの仏の作曲家ヴィドール、フランク、最後にリストのオルガン作品。
生でパイプオルガン単独の演奏を聴くのは初めてです。演目では、ヴィドールの「オルガン交響曲第5番」からのトッカータが、サン=サーンスの交響曲3番のオルガンを連想させる華やかな響きでした。また、リストが愛嬢の死を悼んで、バッハのカンタータの旋律をモチーフに作曲したという変奏曲が印象的でした。
オルガン演奏は、3段の鍵盤だけではなく、重低音は両足でペダルを踏み、さらには両脇のストップ操作(助手の方が譜めくりとストップ操作を手伝われていました)と、思いの外重労働とお見受けしました。
以前NHK-FMでの、バッハゆかりの聖トーマス教会など欧州を代表する各教会で録音されたオルガン曲の特集で、パイプオルガンは構造上(送風機で風を送り)空気で鳴らす管楽器(鍵盤で、鳴らす音のパイプを指定し、ストップと呼ばれるボタンなどを操作して、音の強弱や響きを変える)と聞いたことがありますが、風圧を感じる重低音から柔らかな高音まで。まるで天井から降り注ぐような響きに満たされました。
満場の拍手に応えてのアンコールは、ボエルマンの「聖母の祈り」という愛らしい小品。スタンディングオベーションやお弟子さんなのか、客席の若い女性お二人からの花束の贈呈もあり、カーテンコールの拍手鳴り止まぬ中、思いの外あっさりと終了。むしろ我々地元の聴衆の方が労いと感謝の想いが強かったのかもしれませんが、演奏家としては定年も無く、生涯現役なのでしょうから、感傷的になってばかりはいられないのかもしれません。ただ、最後に生で聴きたかったバッハの「フーガト短調(小フーガ)」や「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」とか、せめてもう1曲アンコールで弾いて欲しかったと、チョッピリ残念でした。
終演後、ステージの壁には「ありがとう」の文字が映し出され、またロビーでは保田さんご自身も立たれて見送りをされていました。
音文での専属としての活動を、「オルガン仲間から随分羨ましがられた」という保田さん。長い間お疲れ様でした。こちらこそ、ありがとうございました。
 県内唯一のパイプオルガンですので、この日は松本だけではなく県内各地からも聴きに来られていたようで、ロビーに向かう途中、どなたかが「松本は羨ましいですね。」と感慨深げに仰っていたのが印象的でした。
当日配られたチラシによると、29日に音文でパイプオルガンの「新人演奏会」(日本オルガニスト協会主催 入場料1500円)があるそうです。保田さんの事前講演もあるそうですし、生のパイプオルガンの響きに魅せられたので、都合が付けばまた聴きに来ようかなと思います。