カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 日清の「ラ王」以来なのか、最近のカップ麺の高価格化路線。
個人的には、お湯を注ぐだけという便利さを別とすれば、袋麺もカップ麺も、生麺風と言うなら、むしろ生麺自体を買って自分で調理した方が良いと思います。やはりカップ麺の真骨頂は、忙しい時などのお湯を注ぐだけの手軽さとコスト(せいぜい150円以内)ではないでしょうか。
また最近の豚骨系主体のコッテリブームは、昔の支那そば的(或いは東京ラーメン風?)シンプルな鶏ガラ醤油をこよなく愛する私としては、カップ麺においても、色々目先を変えての“こねくり過ぎ”で余り食指が伸びません。

 そんな中で最近気に入っているのが、『ホームラン軒 鶏ガラ醤油』。
スーパーでは100円弱で売られています。「醤油系の安いカップ麺でイイや」と特に根拠も無く選んだのですが、やや甘味のある鶏ガラスープが思いの外美味で、珍しく最後の一滴まで完食。その後は指名買いで我が家(私メのみ)の常備品となりました。
 “ホームラン軒”と言えば、昔懐かしい「カネボウ(フーズ)」だった筈ですが、その後加ト吉に譲渡され、JTを経て、今の社名はテーブルマークとなっていましたが、こうして続いているということは、根強いファンがいるのかもしれません。個人的には、なかなか侮れぬカップ麺だと感心した次第。

 久し振りに本屋さんで手に取って買った、時代小説の文庫本2冊。
一冊は、2012年の直木賞受賞作である葉室麟著『蜩ノ記』。二冊目は、野口卓著『水を出る-軍鶏侍④』。どちらも祥伝社文庫です。

 葉室作品は初めてです。この「蜩ノ記」は、ノミネート5度目の正直となったという直木賞選考で、その筆力や骨太の構成、時代考証などを評価する大方の意見の一方で、「既視感に満ちた話」(桐野夏生女史)という批判もあったやに聞きましたが、個人的にも全く同感でした。
著者本人も、この本に限らず、時代小説を書くに当たって藤沢周平を意識したそうですが、この「蜩ノ記」の清涼感、筆力、骨太さなどを理解した上でなお、題名からして、ましてや藩主側室となった幼馴染を守り通し、藩主亡き後出家したその側室と庵での二人での昔話、家老からの脅迫まがいの藩命により幽閉中の主人公の監視役となる檀野庄三郎、背景の山河の自然描写、凛とした静謐さ・・・等々、どうしても「蝉しぐれ」を思い出さずにはいられないのです。勿論、ストーリーや設定は異なれど、また豊後(羽後藩)と庄内(海坂藩)という温度差はあれど、どうしても読み手としては既視感(デジャブ)という呪縛から逃れられない。そして、不器用に義を通す潔さは感じつつも(そうまでして秘すべき程の大義かとの疑問は残りますが)、悪役としての家老まで含めて真の悪人が居ない小世界に思えてなりませんでした。

 そして、「軍鶏侍」シリーズ4作目となる「水を出る」。
4冊目が出たというのを、電車通勤でなくなったせいもありますが、新聞の新刊広告なども含めて目にした記憶がありませんでした。その意味で、余り話題にならなかったのかと思えた水準でした。今回は短編集といった構成で、3作目までのワクワクするような骨太のストーリー展開(第639話参照)に比べ、事件性もなく、ただ淡々と小宇宙のような日常を記述しただけ・・・・。特に秀作だと感じた第3作「飛翔」に比べ、この作品の持つ良さである、庄内の海坂藩に対しての四国の園部藩の温暖さも手伝っての、登場人物の暖かさ、ペーソスが、凛とした剣豪小説にプラスされて、なんとも言えない味わいがありましたが、それもストーリー展開があればこそ。最後の「水を出る」くらいでしょうか、前作までの味わいを彷彿とさせてくれて読み返したのは。「口に含んだ山桃は」など、「蝉しぐれ」の主人公文四朗の父同様に切腹させられた矢田作之丞の未亡人で、同じ長屋に住む淑江を連想しながらも、頁稼ぎとしか(だからどうしたという、少年の成長記としか)思えませんでした。
 そして、その次に読んだのは、ガラっと変わって、NHK合唱コンクールを題材にした「くちびるに歌を」(小学館文庫)。文庫本化を待っていました。長崎五島列島の中学校合唱部を舞台に、2008年の中学校の部の課題曲となったアンジェラ・アキの名作「手紙~拝啓十五の君へ~」を通じて、子供たちの成長を描きます。
次女の時のNHKホールでの全国大会銅賞を筆頭に、娘たちの小学校合唱部の“追っかけ”をしていた頃を懐かしく思い出しながら読みました。如何にも若者向けの日常の爽やかさを感じつつ、オジンにとっては非日常への期待感が些か強過ぎたようです。

 因みに、先述の「蜩ノ記」と「くちびるに歌を」の両作品とも、映画化されるそうです。ただ個人的には、軍鶏侍の「水を出る」の方が過去の経緯も背景とした短編であり(長編だとかなり割愛しないと二時間では描き切れない)、読後に爽やかな余韻も残る秀作なので、むしろ映画化に向いているのではないかと思います。

 そうこうしている内に、いよいよ待望の高田郁著「みをつくし料理帖」第9巻『美雪晴れ』が発売となりました。大事に読もうっと!

 3月16日。朝暗い内にチロルとナナの散歩を済ませ、京都市交響楽団の東京公演を聴くために、日帰りで6時台の高速バスに乗り新宿へ向かいました。
奥さまは午前中別件があるので、私は一人上野へ。
東京都美術館で、ちょうど日本美術院再興100年を記念した特別展が開かれていて、3月1日からの後期展示で、教科書でもお馴染みの狩野芳崖「悲母観音」(東京藝大所蔵の重要文化財)などが公開されています。

 上野公園には既に提灯も飾られて、お花見の準備万端の様子でしたが、2月の大雪などで今冬は寒かったせいか、ソメイヨシノはまだ固い蕾のまま。美術館への道すがら、一本の彼岸桜が綻んでいたのが“春近し”を想わせてくれました。
 1月25日から開催されている「世紀の日本画」と題された特別展。
前後期入れ替えで、3月1日から4月1日までの後期展示の中で、岡倉天心や盟友橋本雅邦と共に東京美術学校開設に尽力しながら、開校前に亡くなった狩野芳崖の代表作「悲母観音」が公開されています。
教科書などで見たイメージではもっと大きいのかと思いましたが、それでも高さ2m弱でしょうか。幼子に注ぐ、何とも言えぬ慈愛に満ちた表情。どこかラファエロの聖母子像に通ずる優しさを感じます。完成させて僅か4日後に死去したという、芳崖の絶筆でもあります。
他にも、同じく重要文化財の橋本雅邦「龍虎図屏風」(東京静嘉堂文庫美術館蔵)、横山大観の「無我」(東京国立博物館蔵)と「屈原」(厳島神社蔵)などが後期展示されていました。東京美術学校を追われた恩師岡倉天心に重ねたという「屈原」。嵐の中に前を向いて立つ屈原に、気概と勇気をもらいました。思いの外館内は混んでもおらず、近くから十分に絵を堪能することが出来ました。ただ、日本美術院創設にも関わり、当時、大観、観山、同郷春草と共に、“雅邦門下の四天王”と謳われた西郷孤月の名も作品も全く無かったのが残念でした。
 展示の中で一番感動したのは、北海道出身の日本画家という岩橋英遠の「道産子追憶之巻」(北海道立近代美術館蔵)。8面30m近くにも及ぶ大作に圧倒されました。
北海道の大自然の四季の移ろいを、朝昼晩にも併せながら、冬春夏秋冬に掛けての自然と動物、屯田兵などの人の営みを絵巻物のように描いていて、その自然の雄大さと静寂に包まれた描写が実に感動的でした。北の大地に生まれ、そこで四季の日々を過ごして育った人でないと描けない世界でしょうか。そして、北海道でこそ所蔵されるべき作品です。
信州の四季にも通じ、肌で感じられる自然の風景。
真っ白な大地から、早春のコブシや一面のリンゴの白い花。カラマツの若葉、無数の赤とんぼなどなど・・・。まさに息を飲むような圧巻の絵巻でした。いつかまた、北海道で再会する日を念じて・・・。
 コンサート前の駆け足での鑑賞でしたが、久し振りの名画の数々に癒されました。最後にもう一度、「悲母観音」と「屈原」を拝観し、その優しさと強さを脳裏にしっかりと刻み込み、何とも満ち足りた気分で上野の森を後にしました。
それにしても、名画鑑賞をしてから名曲鑑賞へ。
田舎との文化“密度”(濃度?)の違い(まだ、市立のハーモニーホールや、芸術館と美術館、更にはJ2山雅のある松本は、地方都市の中では随分恵まれている方かもしれませんが・・・。大事にしないと)とはいえ、いいなぁ都会は・・・。時間とお財布に余裕があれば、ハシゴ出来ちゃいますものね。

 以前もご紹介(第393話)したように、平日のリンゴの箱詰めの夜なべ仕事で疲労困憊の中、元気が出るように深夜の作業場で聴いていたのがマーラーの交響曲第1番“巨人”(略してマラ1とか)。特に壮大なファンファーレが鳴り響く第4楽章(最初に付けられた表題も「地獄から天国へ」・・・)は、まさに“元気の出るマライチ”でした(その次には、チャイコの5番とサン=サーンスの3番「オルガン付き」でしょうか)。
 いつか生で(せめて一度は。“チャイ5”は思いがけず3度も聴けました)聴きたいと思っていたのですが、2010年の生誕150年、2011年の没後100年と二年連続でのマーラーイヤーも過ぎてしまったので、最近は演奏回数も減り、これまで聴く機会もありませんでした。
ここで学生時代に時々聴いたり、また第九でも一緒に歌わせていただいた京都市交響楽団(当時の常任は、今は亡きヤマカズさん)が、東京公演でマライチを演奏すると知り(他にも数団体が演奏するようで、東京シティ・フィルは5月でスケジュールが合わず、また比べれば久し振りの京響の方に関心がありますし、来日オケでは1月のオスロフィルや、名門フィラデルフィア管も6月の東京で演奏するようですが、最低でも1万円以上するので諦めました)、まだ行ったことのないサントリーホールで、しかも日帰り可能なマチネだったことから、発売開始から既に4ヶ月近くも経っていましたが、何とか並びで端の席を確保することができました(最終的にはチケット完売とか・・・。最近好調を伝えられる広上&京響コンビ、恐るべし!)。クラシックの殿堂、“サントリーホール・デビュー”です。

 3月16日。朝暗い内に、チロルとナナの散歩を済ませ、6時台の高速バスで新宿へ。奥さまは午前中別件があり、私メは一人上野へと向かいます。
都美術館での特別展(次回ご紹介予定)を見てから、午後ホール正面で待ち合わせ。
 プログラムは、94年チャイコフスキーコンクール最高位というロシアのピアニスト、ルガンスキーでラフマニノフの2番と休憩を挿んでのマーラーの1番“巨人”。指揮は常任広上淳一氏。
「ぶらぁぼ」3月号でのマエストロの紹介記事によれば、6年間鍛え上げた京響を率いて、満を持しての東京公演での“巨人”選曲は、「弦と管のバランスやアンサンブルなど、オケの力量が試される楽曲だから」とのこと。
ヴィンヤード型ホールは、ミューザ川崎以来2度目。席も前回チェコフィルと同じ2LA(正面ステージに向かって、左手後方2階席部分)。
テンポを揺らしながら、如何にもロシアの男性ピアニストらしく、力強くてロマンチックなラフマニノフでした。席の場所にもよるのか、オケはやや弦が管に埋没気味。アンコールにラフマニノフと同世代のメトネルの作品(イリーナ・メジューエワさんが盛んに取り上げておられます)。
実は、開場前にホールの外通路にある喫煙所で、練習中のラフマニノフのパッセージが聞こえて来ましたが、音の透明感が何とも印象的でした。
 休憩後、お待ちかねのマーラーの交響曲第1番。指定通りの4管編成で、ホルンは7本。ステージに団員が溢れそうです。
演奏は、地方オケの満を持しての東京公演という情熱もありましょうし、一言でいうと、意欲的で若々しく熱気に溢れた“マライチ”でした。
これまで、BSで見たラトル&BPOやCDで聴くオザワ&SKOのライブに比べれば、技量的な巧さでは負けてはいても、全身からほとばしるような指揮者の情熱もあって、オーケストラもエネルギー全開。打ち鳴らされる打楽器と咆哮する管楽器群は勿論、人数の増えた弦楽器群も前半とは見違えるような音の厚みで、ホール全体を揺らすほどの熱演でした。
学生時代に聴いた、半世紀近く前のこじんまりした京響とは別オケの様相。半信半疑だった、「関西楽壇で、今や大フィルを凌ぎ京響が一番!」という評判も頷けます。朝比奈さん時代の大フィルの様な“熱いオケ”になりました。
2LAの席から斜め正面に見る広上さんは、一見メチャクチャ踊るような指揮振り(外観からすると、失礼ながら“タコ踊り”風?)ですが、その踊るように全身を使ったジェスチャーでの感情表現と指示は的確。時折、特に管楽器に向けて左手でサムアップしてのグッドを何度も示しながら、にこやかな表情で団員を統率していきます。正面から見るマエストロは、団員や聴衆からの圧倒的な支持というのも納得の指揮振りでした。
「こういう指揮もあるんだ・・・。」
全体にゆったりしたテンポで、第一楽章の「はるか遠くで」というバンダ(舞台袖)での3本のトランペットや、第2楽章でのオーボエやクラリネットの“のだめ張り”に持ち上げての奏法(ベルアップ)、葬送行進曲の第3楽章冒頭の「足を引きずるような」というコントラバスソロ、そして第4楽章コーダへ突入するファンファーレでのホルンパート全員の起立・・・、いずれもマーラー自身による細かな楽譜指示通りとか。
「やっぱり、生で聴く1番はイイなぁ。」
しかも、青年マーラーの苦悩から歓喜へという曲想が若々しいオケに合っていて、スカッとした快演で、元気を一杯もらった気がします。
ブラヴォーが飛び交い、鳴り止まぬ拍手に応えてのアンコールは、R・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から間奏曲とか(その前に、「京都に観光がてら、ぜひ京響を聴きに来てください」とのマエストロのPRもあり。因みにパンフレットによると、3月30日のE-テレで、同じプログラムでの京都定演が放送予定とのこと)。

 奥さまも殊の外堪能されたようで、「また、マーラーの1番が聴きたぁい!」とのこと。「ちょっと高いけど、6月にフィラデルフィア管がまたここで演るけど・・・」と言うと、「それでもイイ!」との仰せに、「オイオイ・・・」。
平日で、その日は既に重要会議予定が入っているので諦めてもらいましたが、今日のような熱狂的な生“マライチ”を聴けば、その気持ちも良く分ります。

 松本からでも日帰りで聴きに行けるように、またどこかの在京オケがマチネで取り上げてくれるのを探そうと思います。
「あとネ、サン=サーンスの3番も元気が出るんだけどさぁ・・・」

 松本からだと国道254号線の三才山峠を下り、鹿教湯トンネルを抜けてすぐの道路沿い。上田からだと、鹿教湯の温泉街に向かう信号手前に、駐車場が広く、黄色い看板がやけに目立つ「丼。あすか」という食堂があります。
建物はお世辞にもキレイとは言い難く、失礼ながら“掘立小屋”のような場末の食堂といった趣。最初入るのに些か勇気がいる、といった雰囲気の店。しかし、食事時には、大型トラックが何台も停まっているのを見掛けますので、長距離ドライバーの方が食事をする店ならば、コスパ(味と量)が良いのでは?と思わせる、気になっていた店でした。しかも、手書きの看板に「幻の手打ち中華そば」なるもっと気になる文字も・・・。

 会社の同僚から、そこの肉うどんや丼モノが旨い!と聞いて、外出で会社へ戻る途中、ちょうど昼時だったので思い切って入ってみることにしました。
 店内は、コの字型のカウンターと小上がりに2卓で20席ほどの小さなお店で、70過ぎと思われる老夫婦が切り盛りをされています。
「幻の手打ち中華」はちょっと勇気がいるので、先ずは“味試し”で、普通のラーメン(600円)を注文。ランチだけかもしれませんが、また体力を使うドライバーの方たちへのサービスもあるのか、小ライスと自家製の漬物(この日は結構な量の野沢菜漬け)と小鉢(同キンピラゴボウ)が一緒に付いて来ます。これで600円は、非常に良心的と感心しました。
 肝心のラーメンは、煮干の出汁が良く効いた甘めのスープで好みの味。トッピングに、厚めのバラチャーシュー2枚(ちょっと筋が固め)、シナチク、ナルトに、モヤシと刻みネギ。麺は中太麺。惜しむらくは、麺がやや茹で過ぎで柔らかめだったので、もう少し固茹での方が個人的には好みですが、スープはなかなかの味で、昔懐かしい昭和の支那そば風。失礼ながら、店構えからは想像出来ず、なかなか侮れません。店内に貼られたメニューに、手打ちうどんは数量限定との但し書き。
また、お聞きすると、「幻」という手打ち中華そば(800円)も醤油系のようですが、太麺ではスープの絡み方が異なるので、この日食べたラーメンとは別スープなのだとか。今回初めてラーメンを試してみて大いに興味が湧きました。
「幻の手打ち中華そば」とやら・・・「ヨシ、今度食べてみよ!」っと。

 社会人となって、6年半の海外赴任中(シンガポールでは、紀伊国屋書店で購入)も含め、35年間毎号欠かさず購入して読んできた、隔週発行のビッグコミック・オリジナル(小学館)。

 現在連載中の「ひよっ子料理人」や「深夜食堂」、復活した「Masterキートン」など珠玉の作品群の中で、今一番ハマっているのは、前座からの落語家修行を描く尾瀬あきら作『どうらく息子』です。
落語家柳家三三(さんざ)師匠の監修も手伝い、落語界や古典落語など、噺家の世界が実に丁寧に描かれています。

 保育士を辞めて26歳で惜春亭銅楽師匠に弟子入りし、前座から、失敗を重ねながらの厳しい修行の中での、周囲の人々の暖かな応援と交流の中で少しずつ成長していく惜春亭銅ら壱こと関谷翔太。そこに飲んだくれの夢六師匠の復活や名人慎蔵師匠の愛情、前座同士のあや音との不器用な恋などが絡みつつ、ほのぼのと、そしてまたしみじみと、古典落語の世界と相俟って味わい深く描かれていて、併せて一昨年初めて歌丸師匠と円楽師匠の生落語を聴きに行ったほどに落語の世界にも興味を持ちました。

 尾瀬あきら氏と言えば、代表作「夏子の酒」はシンガポール時代に、日本酒とりわけ地酒の深さに目覚めた際のバイブルでした。他にも、オリジナルで連載された「光の島」や酒造りを描く「蔵人」もありました。しかし、この「どうらく息子」は、時に涙し、時に笑い・・・プロの落語家がキチンと監修しているのも手伝い、手抜きが無く、落語の人情話同様に何とも温かくなる作品だと思います。

 何度も読み返した夢六師匠の「芝浜」や慎蔵師匠の「紺屋高尾」(生で初めて聴いた歌丸師匠の演目でした)など、いつもは読み終わると資源ごみに出してしまうのですが、まだ捨てられずに手許にとってあります。
そして、慎蔵師匠の粋な計らいで遂に二ツ目昇進が決まり、夢六師匠から約束の稽古を付けてもらったばかりの大根多(ネタ)「紺屋高尾」を朝霧亭でのお祝いの高座で見事に演じ切りますが、見開きで描かれた満開の桜の中を高尾が久蔵の元へ向かう情景などは、モノクロなのに色彩が鮮やかに感じられて、これまた涙、涙の感動モノでした。
「紺屋高尾」の久蔵と高尾太夫ばりに「二ツ目昇進まで3年間待って欲しい」と言ったあや音との恋の行方も相俟って、今後の展開に期待してまーす!
【追記】
お馴染み村松誠さんの2月5日号の表紙絵。
バックは直ぐに尾形光琳の最高傑作と云われる国宝「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)がモチーフと分かりましたが、メインとなる一匹の猫。
毎号村松さんは細密な犬や猫を描かれていますが、今回の猫のポーズをどこかで見た気がする中で思い出したのは、振り向きが左右逆ではありますが、以前実際に生で見た竹内栖鳳の重要文化財「斑猫」(山種美術館蔵)。ご本人は謙遜されていましたがなかなかどうして、実に見事でありました。

 デアゴスティーニに代表される「分冊百科」。
「城」や「仏像」など、テーマやジャンルを絞った特集や、毎号少しずつ付いてくる部品を組み立てていく“パートワーク”。
これまでどんなに興味深いシリーズがあっても、例えば帆船に代表されるパートワークは根気に自信が無く、途中での挫折を恐れて一度も買ったことはありません。
 この1月4日に、小学館から「クラシックプレミアム」というシリーズが、全50巻で創刊になりました。
作曲家別で、毎号70分近いSHM‐CDと20頁の解説マガジン(僅か20ページですので、内容的には然程目新しい記事は無し)のセット。
創刊号はカルロス・クライバーで、ベートーヴェンの5番&7番と、更に今回はヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲(バイエルン国立管)も収録。中でも、天才クライバーがVPOを振っての熱狂と怒涛の如き7番は、とりわけセンセーショナルな名演でした。1975年から翌年に掛けての録音といいますが、天才カリスマ指揮者による、いまだ色あせぬ伝説的名演です(個人的に大好きだったスウィトナーさんを除けば、これまで世界的指揮者の訃報で一番ショックだったのは、ベームでもカラヤンでもアバドでもなく、クライバーだったかもしれません)。抜粋かと思ったら、何と5番・7番とも全曲入りの80分CD。この手の分冊百科の慣例で、創刊号が800円、2号目以降は1200円(税別)という設定ですが、音源が独グラモフォン、デッカ、EMIなど(を傘下に持つワーナーとユニバーサルミュージックが参加)の往年の名盤揃い。指揮者だけを見ても、カラヤン、ベーム、バーンスタインから、アバド(1月20日に逝去)、ゲルギエフ(マリインスキー劇場管)、ティーレマン(前任のミュンヘンPO)など今をときめく大物まで。曲によっては、パイヤール(ランパル&ラスキーヌでのフルートとハープのための協奏曲)や、ミュンシュ(幻想交響曲)とクリュイタンス(ラヴェル)のパリ管や、ケルテス&VPOの「新世界」(水難事故で夭逝したケルテスのドヴォルザークでは、その後常任を務めたLSOを振った7&8番のLPが手許にありましたが、VPOとの9番は若きケルテスの情熱ほとばしる名演。1961年録音という古い音源ですが、元の録音も良いのでしょう、今回のCDの音質の良さも手伝ってか、半世紀も前という古さを全く感じさせないのが驚きでした)などの歴史的名盤も収められています。しかも入門用のオムニバス形式の抜粋盤ではなく、交響曲や協奏曲は全曲入りの本格派です。

 松本では、最近本屋さんだけではなくCDショップも減っていて、昔のようにクラシックの往年の名盤を揃えた廉価盤シリーズなど殆ど目にしませんので、廉価盤相当額の1200円で音質の良いSHM(Super High Material)‐CDを買っていると思えば、決して高くはないと思います(但し、2年分全50巻一括払いだと6万円を超える金額になりますが・・・4月からの消費税増税分を失念していました)し、持っているLPやCDは些か偏食気味で、大好きな作品は演奏者違いで何枚もあるのに、意外と超有名な小品などは買ったことがないので、バロックから現代(シェーンベルク等)まで有名作曲家の代表曲を殆ど入門編的に網羅しているこのシリーズは重宝です。また、音質が良いので、オーディオファンにとっても魅力的。勿論今回収録されている音源の中には、既にLPも含めて手許にある録音も幾つかありますし、多少作曲家の偏り(ベートーヴェンやモーツァルトは各5枚収録されるのに、マーラーやブルックナーは1枚しかないので交響曲が1曲のみの収録。またシベリウスはフィンランディアだけで交響曲は無く、フランクやレスピーギに至っては1曲も収録無し)とかもありますが、足りないものは自分で買えば良いし、こういう機会でもないと揃えないかもしれません。
「まぁ、いずれ子供か、将来、もしクラシック好きの孫でも出来たら全部引き継いでも良いし・・・。」
(その後、法事で戻った長女が「これ、私も欲しかったんだーっ♪」とのこと。早速、クライバーと、アバドの振ったモーツアルトのピアコン、ピリスとの21番とグルダの27番が売約済みとなりました)

 以前のような電車通勤なら、発刊の都度、駅ビル内の本屋さんにいつでも立ち寄れますが、田舎道の峠越えでは、いつ本屋に行けるか分からないので、悩んだ末に、思い切って(泣け出しのヘソクリから)自宅直送で全巻購入を申し込みました(一括購入者には、89年と92年の二度、クライバーが指揮したVPOニューイヤーコンサート抜粋版のDVDプレゼントの特典あり)。
既に、宅配メール便で、2号~5号とプレゼントのDVD(収録48分)が送られて来ました。

 毎月2回、これから2年間続く音の宅急便です。

 家内が丹精込めて世話をして、毎年花芽を出して見事な花をさかせてくれていたシンビジウム(同「顛末記」第458&498話参照)。

 2年前の2012年の3月だったでしょうか?。
暖かくなってきたので、それまで寒さを避けて入れていた玄関から、玄関先に出したのですが、季節外れの寒波で花芽が霜害に合って、せっかく膨らみかけていた蕾が全て落ちてしまいました。そればかりか、株も幾つか枯れてしまいました。
その影響か、株分けして増えた2鉢共、昨年は全く花芽が出ず、今年も半ば諦めていました。
ところが、その内の一鉢から12月に花芽が顔を出したのです。それも2本。
今年も外の寒さを避けて、12月には玄関の中へ移動。

 ところが12月末に急な葬儀もあり、玄関では客呼びの邪魔になることから、一旦シンビジウムの鉢を、全て2階の階段の踊り場へ避難させました。
我が家は、1階の薪ストーブで2階まで吹き抜けになっているので、玄関に比べて2階も暖かなためでしょう。普通なら4月くらいにならないと咲かないのに、今年は2月上旬には花が咲き始め、やがて二本とも満開になりました。2年前は霜害で咲かずに落ちてしまったので、3年ぶりのシンビジウムです。
花が咲かなかった2年間もしっかり液肥をやったりして、世話をしてきた奥さまも大層嬉しそうです。良かった、良かった・・・。

 そして、葉ばかりが生い茂り花が咲かないからと、数年前に家内が世話を引き受けた茅野の実家の蘭。花の時期が終わったら休眠期に入るので、園芸店にお願いして株分けをする予定とのこと。ところが同じように世話をしても、6年前に義母さんが喜寿のお祝いで頂いて以降、その後の5年間全く咲かなかったのに、何と生い茂った葉の中に花芽が伸びていたのです。家内も気づかずにいたので、体が触れた折に途中から花茎が折れてしまったのだとか。全部で8つの蕾を付けて、その残った蕾がやがて大きな花を咲かせました(折れた花芽も一輪挿しで見事な花を咲かせています)。他の2鉢とは種類が違うらしく、薄いピンク色をした華やかな花で、プロムナード「ミルキーウェイ」という種類でした(株分けした2鉢は、家内が名札を捨ててしまったらしく品種名不明ですが、花色はグリーン系のホワイトです)。

 しかし、これまでと何が違ったのでしょう。水や液肥は例年同様だとか。家内曰く、法要での客呼びで、寒い玄関から暖かい2階に移したのが良かったのでは、とのこと。
また株分けをすると2年ほど花芽が出ないかもしれませんが、ちゃんと花芽が出ることが分かったので、家内も世話のし甲斐があろうかというもの。
今年は、何か良いコトありそうな・・・予感。

 父の四十九日の法要後の会食を、美ヶ原温泉の老舗旅館、「鄙の宿 金宇館(かなうかん)」にお願いしました。松本市東側の山辺の里に位置する美ヶ原温泉郷は、日本書紀にも「束間(つかま)の温湯」としてその名が登場する古くから知られた名湯です。

 こちらの「金宇館」は、いずれも昭和初期に立てられたという風情ある木造3階建ての本館と渡り階段を昇る山際の新館の客室全9室という小さな和風旅館。その名の通り、鄙びた佇まいが懐かしさを感じさせてくれます。
以前、家内がこちらで会食があって気に入り、その後娘たちも含めて家族全員で食事会を兼ねて一泊したことがありましたが、手の込んだ料理と調度品まで含めて館内のレトロな雰囲気(サロンでは、真空管アンプで静かにジャズが流れていました)に感激し、自宅で法要した後、送迎用のマイクロバスも手配いただけるとのことから、今回の法要後の会食の席をお願いしたものです。

 前日(8日)にあろうことか、松本は過去3番目という49㎝の記録的な大雪(これが、もし一週間後15日の70㎝超の大雪でしたら、交通も麻痺してアウトで法要も延期せざるを得なかったでしょうから、不幸中の幸い)。
前日は、朝から高速道が上下線とも通行止めになる中、往復6時間掛かって茅野まで実家の両親を迎えに行って来てからの雪掻き。当日も、朝5時から法要開始直前まで雪掻きをして、何とか参列者用の通路と駐車スペースを確保しました。前日途中から運休していた新宿からの特急も、遅れながらも運行され、東京組も終了前には合流出来て、全員揃って旅館のマイクロバスで金宇館へ。雪の中でしたので、バスでの送迎は大助かりでした。

 会食は、先付けに始まり、お願いしたこちらの予算上決して高級食材ではないものの(それでも、お造りは鮮度の良い鯛にヒラメやウニ、焼き物にはブリなども供されました)、それ以上に手の込んだ調理が光ります。例えば、芯に鶏挽肉を詰めて丸めた長芋のお団子の餡かけ。味付けも優しく上品で絶品でした。有田焼という盛り付けの器も、どれも品があります。最後の〆は、ご主人の打った外二八(通常二八の2:8ではなく、そば粉10に対して、つなぎ2の割合)という蕎麦。
途中サロンで、上田市に本社のある城下工業製の真空管アンプと筐体が竹製のスピーカー(Sound Warriorブランド。製造終了)から流れるジャズを聴きながら、甥たちとのオーディオ談義にも花が咲きました。

 ご家族で切り盛りされている小さな料理旅館ですが、工夫の凝らされた料理の数々と心のこもった丁寧な接客に、(恐らく予算以上に)参列者にも満足いただけ、また色々気遣いもいただき喪主側としても大変助かりました。
決して大きくはありませんが、宿自慢の洞窟風呂に入る時間はありませんでしたので、今度はゆっくりと宿泊を兼ねて家族でまた来ようと思います(今回、喪主で接待に専念しており、建物含めて写真撮影を失念してしまいました)。

 2007年に市制100周年を記念して結成された古楽器アンサンブルである、小林道夫氏率いる松本バッハ祝祭アンサンブルの第4回公演が2月11日にマチネで行われました。しかも今年は、J.S.バッハの最高傑作とも云われる大作「ロ短調ミサ曲」の全曲演奏会。私は、初回の「管弦楽組曲」を除き、「ブランデンブルク協奏曲」、「フーガの技法」のそれぞれ全曲演奏会に続いて、今回で3回目の演奏会になります。
 この日は、先週の講演を用事で聞けなかった奥様も一緒にハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)へ。8日の大雪の影響もふまえ、早めに家を出ましたが、その雪の影響か、或いは些か近寄りがたいバッハの宗教曲というイメージのためか、両端に少し空席があったのが残念でした。
キリエ、グローリアが前半(拍手は無くても良いのでは・・・?)。休憩をはさみ、ニカイア信条(クレド)以降が後半。演奏中、歌詞が難解なラテン語の典礼文ゆえ、磯山先生の訳詞がステージ向かって右側の壁にプロジェクターで投影されていました(追記)。

 今回は指揮に専念された小林道夫氏率いる松本バッハ祝祭アンサンブルは、常設ではなく臨時オーケストラですが、東京芸大(バッハカンタータクラブ)のOBを中心に、今回はBCJなどでも活躍する古楽器奏者26名で編成され、コンサートマスターは長野市出身の才能教育で学んだバロックバイオリンの第一人者と云われる桐山建志さん。音文事務局によれば、今回の編成も彼を中心に選抜された由。また、磯山先生同様に早朝のNHK‐FM「古楽の楽しみ」でお馴染みの大塚直哉さんが今回オルガンを担当されましたが、大塚さんは確か年末恒例の“藝大メサイア”では指揮もされた筈。
 合唱は、各アリアの独唱者9名を含めた(コンチェルティスト方式)27名で構成。サンクトゥスが6声、オザンナから最後は8声という難曲ですが、さすがはプロの声楽家の皆さん。人数以上の声量で、見事な合唱でした。それにしてもオーボエ・ダモーレなどのバロックの木管の柔らかな響きと、如何にも演奏が難しそうな、バルブの無いトランペットやホルンのバロックの金管楽器の輝くような響きが印象的。
また、アニュスデイ(神の子羊)に代表されるアリアや各合唱も荘厳且つ透明な響きで、合唱曲では子音が礼拝堂内の残響のように残る終わり方も効果的。
北アルプスと大きなヒマラヤ杉に囲まれて、ヨーロッパの教会の尖塔を思わせるハーモニーホールの佇まいと音響はミサ曲に相応しく、敬虔な祈りに満ちた感動的な演奏でした。全27曲、2時間の演奏があっという間で、クリスチャンならずとも途中何度も目頭が熱くなりました。臨時編成とはいえ、この素晴らしい「ロ短調ミサ」が一回限りとは・・・。何とも勿体ないほどの素晴らしい演奏でした。

 演奏終了後、暫し静寂に包まれて、指揮者の手がおろされ客席に振り向くまで拍手が起きず、そして静かに、やがて盛大な拍手に包まれたのもミサ曲演奏会らしくて良かったと思います。
客席からはブラヴォーの声も掛かる中で、後ろから「グローリア」という声も掛かりましたが、ベートーヴェンの“ミサソレ”を歌ったり、レクイエムの演奏会を聴いたりした中で、今まで「グローリア」という掛け声は聞いたこともない初めての経験でした。もしかすると、J.S.バッハが宗教曲の最後に必ず記したという“Soli Deo gloria”「神のみに栄光あれ」というサインと何か関係があるのかとも思いましたが?・・・(磯山先生にお聞きしたところ、先生も過去に聞かれた経験が無いとのことでした)。

 鳴り止まぬ拍手にカーテンコールが何度も繰り返され、最後一礼されて袖に下がる団員の皆さん。合唱団の最後のお一人が退出されるまで、ずっと暖かな拍手が続いていました。私事ながら、四十九日の法要が終わったばかりということも手伝い、本当に心洗われたコンサートでした。松本でこんな素敵なバッハが聴けるなんて・・・。関係された皆さんに深謝でありました。  
【追記】
歌唱に沿って投影されたミサの訳詞。行きつ戻りつしながら何度も同じ歌詞が繰り返されますので、曲の進行(スコア)を知らないと大変ですが、都度しっかりと切り替えられていました(掲載した開演前のステージ写真の右の側壁に、縦書きで「バッハ ロ短調ミサ」と投影されているのが見えます)。
後で分ったこと。歌詞投影は急遽決まったたらしく、準備が間に合わずぶっつけ本番となったため、何と訳された磯山先生がホール後方の最上部の小部屋に周囲の反対を押し切って梯子を昇られて、ご自身でPC操作をされていたのだとか。そりゃあ、完璧の筈です。
レクチャーの時に、「私も、演奏会当日は聴きに参ります」とは仰っておられましたが、まさか裏方までされて天井部屋で聴かれていたとは。いやはや何ともご苦労さまでした。

 今年も“大バッハと過ごす至福の時”と銘打って、2007年に市制100周年を記念して結成された古楽器アンサンブルである、松本バッハ祝祭アンサンブルの第4回公演が2月11日に行われました。しかも、今年は大作「ロ短調ミサ曲」の全曲演奏会です。

 それに先立って、今回も地元松本出身の(高校音楽部の大先輩でもある)国立音大(定年で退官され現在は)招聘教授の磯山雅先生の講演会が、1月26日にハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)で、「バッハのロ短調ミサ曲~何を聴くか、どう聴くか」と題して開催され、事前勉強のために聞きに行って来ました。因みに演奏会チケット(メイト価格5000円、一般6000円)で講演会と演奏会両方に入場出来ます(講演会は全席自由)。
 今回奥様は別件があり、止む無く一人で出掛けました。せっかくの機会なのに700席の大ホールは三分の一程度しか埋まっておらず、チョッピリ寂しい講演会でしたが、個人的には聞きに行って大正解。2月11日のロ短調ミサ全曲演奏会を、より深く理解した上で聴くことが出来ました。

 ステージ上のスクリーンに資料を投射しながらの説明の中で、十字架音形、溜息の音形、嘆きの低音、降臨を象徴する下降音形など、バッハが初めて作曲したカトリック音楽であるミサ曲へ織り込んだ様々な工夫を初めて知ることが出来ました(因みに、磯山先生は、元々音大ではなく東大の文学部美学科出身ですので、楽器演奏を専攻された訳ではありませんが、講演中に特徴ある旋律をご自身でピアニカを吹かれて説明されていました)。
1733年、カトリック教国であるポーランド国王兼任を機にルター派からカトリックへ改宗したザクセン選帝侯に献じた第一部(キリエ、グローリア)から15年後。1748年に作曲を再開し、クレド(ニカイア信条)、サンクトゥスから、独立させた終曲ドナ・ノビス・パーチェムまでを、死の半年前までの2年がかりで病魔と戦いながら完成させたのは、単なるカトリック典礼音楽作曲に留まらず、当時盛んに行われたカトリックとプロテスタントの神学論争の対立を超越した「人類普遍の平和」を晩年の大バッハは求めたのではないか、という磯山先生の説に深く感銘を受けました。
 冒頭の重要な4小節というキリエの部分を、世界初録音から始まり、カール・リヒターの名盤、大規模編成でのジュリーニ盤、近年の古楽演奏などに混じり、全パートをソロで演奏する“リフキン方式”の元となったというリフキン盤など、6枚の比較試聴もあり、大変興味深い内容でした(写真は、開始前のステージの様子と真面目にしっかりメモ書きした当日配布資料で、演奏会にも持参)。
ただ、「松本バッハの会」では6回シリーズで行ったという「ロ短調ミサ」の解説を、エッセンスのみとはいえ僅か2時間で終わらせようと言うのはどだい無理というもの。終盤はかなり割愛しながらも、結局40分近く延長されて漸く終了しましたが、郷土出身の先生のお話を、皆さん殆ど最後まで席を立たずに熱心に聴講されていたのが印象的でした。私自身も、今まで近寄りがたかったバッハの宗教曲をチョッピリ身近に感じことが出来ましたので、本番の演奏が大いに楽しみになりました。