カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 入試に際し、東京医科大が女性受験生に対して一律減点させていたという差別問題が明るみに出て以降、他大学の医学部でも女性や多浪生に対して同様の事例があることが公表され、大学側が都度謝罪する事態となっています。医学部だけではなく、大学に依ってはOBの子弟の受験生を優遇したというケースも発覚しました。

 このケースでの問題の本質は何なのでしょうか?
もし、それが「いかなる場合も全て平等であるべき」という指摘であるとすれば少々違うのではないか、と個人的には感じています。
問題の本質は、“差別”では無く、“区別”することを事前に公表していなかったことの“不公平”ではないでしょうか?
(医師に限らず、入試での学力試験の点数だけで将来の適性までが判断されている現在の入試制度の是非は、また別の問題としてありますが)

 例えば、長女が卒業した米国スタンフォード大学のMBAコース。
受験の際、留学生としての日本人枠があって、試験成績での順位に依りその枠内に入れために彼女は合格することが出来ました。
それは大学として、人種差別をせずに全世界からあらゆる人種に門戸を開放していることの証明とするために、事前に人種毎の枠が設けられているのだそうです。それは各人種に対する公平性を確保するために設定されている“区別”なのです。これを“差別”と言えるのでしょうか?
娘は一般入試でしたが、更に企業に依っては、大学への寄付額に応じた自動推薦枠を持っており、(大学毎に設定されているTOEFLなどの点数がその大学の合格レベルに達すれば)その企業からは自動的にMBAへの入学が認められます。勿論、民間企業だけでは無く政府機関も同様であり(例えば、彼女の在学中の一番の親友は、シンガポールの経済開発庁EDBから派遣された女性でした)、また日本だけではなく他の国々も、ハーバードやスタンフォードなど世界のトップレベルの大学に人材を送り込むために同様の寄付行為を行なっています。
またアグネス・チャンの息子さん方も皆スタンフォードですが、これは彼女が大学のOGでもあることが(おそらくOBとしてそれなりの寄付もした上で)当然考慮されている筈です。
そして、こうしたことは“秘密裏”ではなく、入学枠を得るための手段として事前に公表されていて、その権利を得るために当然の行為として行われてもいるのです。
 要約すれば、国籍や人種毎に決められた枠があり、その上位から選別される際に、個々の枠の応募状況に依っては下位の点数/成績であっても合格するケースがある。企業やOB枠に至っては(その個別枠内での選別は当然あるが、その結果)ある一定水準以上の学力があることは大前提として、そのラインに達すれば無条件に合格が許される・・・と云うことになります。

 極論すれば、中学や高校などの男子校や女子校は果たして男女差別なのでしょうか?
我が国においても、例えば信州大学の医学部でも実施されていますが、近年“地域推薦枠”を設ける地方大学が増えつつあります。これは地方の過疎化の進展に伴い発生している“無医村”などの医療問題を解消すべく、卒業しても地元に残ってくれる医師を一人でも多く排出させるためと云っても過言ではないでしょうし、事前に公表されているその地域枠に対して、不平等と云う批判や指摘は受験生からも聞こえて来ません。例えば、最近なり手の少ないという産婦人科医を確保するために、もしどこかの地方大学の医学部が同姓の女性枠を男性より多く設けるといっても、そこには男女差別では無い合理性/整合性、更には納得性すらも生まれるのではないでしょうか?

 要するに、医学部において地域枠同様に、例えば(それ以上は合格させないという)女子枠や浪人枠を設けて、それを「ウチの大学はこの人数しか合格させません」と事前にアナウンスしておけば、それは差別ではなく、地元出身かどうかという地域枠同様に、単なる“区別”に過ぎないのではないか?そして、もしそれが嫌なら受験生からの人気が下がる(=受験料収入が減る)ということで良いのではないか?・・・と単純に思いますが、如何???

 従って、今回の問題の本質は、決して“差別”ではなく、そうした“区別”を事前にキチンと公表していなかったことの“不公平さ”にあるのではないか?と思います。
但し、その“区別”の合理性については、是非をキチンと議論して評価されるべきであることは論を待ちません。