カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 観賞を終えた岡田美術館から、もう一ヶ所見ておきたかった元箱根の旧東海道の杉並木へ向かいました。
小沸園前から芦ノ湖方面行きのバスに乗って、正月の箱根駅伝のコースを走ります。箱根駅伝の山登りは、箱根湯本からだと、今は閉鎖された函嶺洞門、大平台のヘアピンカーブを過ぎ、富士屋ホテルの宮ノ下から小沸園前へ。ここからは建物も少なくなって山道が続き、足の湯で一旦下って登ると、そこがコース最高点の874m。今度は、そこから一気に下って元箱根からゴールの箱根町を目指します。

驚いたことに、ランニング愛好家にとっての憧れのコースなのでしょう、途中20人以上も思い思いにコースを走るランナーの人たちがいました。そしてこの日は日曜日でしたので、走る人たちだけではなくバスも満員ですし、芦ノ湖畔へ出る手前から観光客の車の渋滞でバスもノロノロ運転。そこで、終点まで乗らずに、元箱根で降りて歩いて行くことにしました。少し歩くと、国道に並行する杉並木が見えて来ました。
 元箱根から恩賜公園まで続く、500m、400本の旧東海道の杉並木。狭い道の両側に、真っ直ぐに天を衝くかのように“聳えて”いました。
滝廉太郎作曲の文部省唱歌「箱根八里」でも“♪昼猶闇(ひるなおくら)き杉の並木”と歌われていて、「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんが歩いた道が往時のままで残されています。曇り気味の天候のせいもありますが、作詞された明治期よりも更に樹齢を100年加え、正に“昼なお暗い”という雰囲気が増している気がしました。歩いていると、何だか往時にタイムスリップして行く様です。この杉並木は、街道を行き交う旅人に木陰を与えるために徳川幕府が植えたのだそうです。兎角、時代劇では悪く描かれがちの幕府ですが、実際はなかなか粋な計らいをしていたと知り感心。
途中、日本人観光客の方々には何組か会いましたが、外国人観光客の方々には殆ど会わず。日本史の知識の無いであろう彼等にとって、興味の無い単なる杉並木なのかもしれません(杉だけならヨセミテのセコイアの方が遥かに巨大でしょうから)。
杉並木を抜けると恩賜箱根公園があり、その先には箱根関所跡が。往時の面影が復元され資料館もありましたが、木曽谷にも中山道の福島関や贄川関が復元されていますので、信州人にとって江戸時代の関所は然程目新しくも無く、何より十分な見学時間が無さそうでしたので見学せず。
相変わらず国道は渋滞のノロノロ運転でしたので、(今度は国道の歩道を歩いて)元箱根に戻り、箱根湯本行きのバスに乗り宮ノ下で下車。
 行き先は現在改修工事中の富士屋ホテル。ホテルは休業中で中に入ることは出来ませんが、お目当ては併設されている富士屋ホテル直営のベーカリー&スイーツの「ピコット」。そこで、奥さまのために、“話のネタ”としてクラシック・カレーパンと朝食用食パンを購入。さすがに老舗ホテルの人気店。混んでいました。購入後、宮ノ下から登山電車で待ち合わせの強羅駅へ。日曜日でもあって、駅はケーブルカーから乗り替えのお客さんも含めて観光客でごった返しています。
 奥さまの参加されている第2期登山教室の、強羅駅での解散予定時刻が夕刻4時。
 「毎回多少余裕を見ているので、早ければ3時半頃には解散かも・・・?」
という事前の家内の話に、念のため15:15に強羅駅に到着しました。
考えて見れば、まだ昼食を取っていませんでしたので、強羅駅の周辺を探して少し歩いてみましたが、殆どの店がもう昼の営業を終了していて、開いていたのはカツ丼で有名という「田むら銀かつ亭」とお蕎麦屋さんくらい。トンカツ屋さんは3時過ぎても行列の順番待ちで、一体どのくらい時間が掛かるか分かりませんでしたし、一方わざわざ信州から箱根まで来て蕎麦(繋ぎに自然薯という山イモを使用した“自然薯蕎麦”が箱根の名物らしいのですが)というのもイマイチ・・・。結局、探す時間も無くなり、駅でそのまま家内を待つことに。
しかし、早いどころか待つこと1時間。予定の4時を過ぎ、20分ほど遅れて(登山口から駅まで歩いて来たのだとか)、疲れ切ったご様子のややお年を召された“山ガール”集団が現れました。家内曰く、休憩時間も少なく、ひたすら歩き続けたので、これまでで一番疲れたのだとか。
ハイハイ、皆さまお疲れさまでした!そこで、結局早めに箱根湯本に戻ることにしました。

 日曜日の夕刻。箱根湯本に向かう登山電車は、帰る観光客で満員です。幸い、増発された臨時列車に座って乗ることが出来ました。登山教室に参加されたお仲間も何人か同じ車両に乗り合わせ、皆さんお互い労いの挨拶をされていました。
乗車中に、箱根湯本への到着時刻を踏まえて、念のために事前に予約してあったロマンスカーの座席を確定。車内を見ていると、螺旋状の鉄橋を登って行くので有名なスイスのレーティッシュ登山鉄道と、箱根登山鉄道は35年も前から“姉妹鉄道“提携をしているのだとか。箱根登山鉄道も、登山列車らしくスイッチバックを何回か繰り返して(急勾配を下り)箱根湯本駅に到着。奥さまは、急ぎお土産の蒲鉾を買いにお店へ向かいます。私メはコインロッカーに預けてあったスーツケースを取り出してから家内と合流。事前の娘からの情報で、駅伝の中継地点でも有名な「鈴廣」ではなく、地元のお友達のお薦めという「籠清」で、お好みの蒲鉾をお土産用に購入出来た様です。
そして、私メは食べ損ねたお昼の代わりに車内で食べるために鯵の箱寿司を購入。家内も登山中のランチ休憩が十分取れなかった様で、富士屋ホテルのパンを食べたいとのこと。
 箱根湯本を夕刻5時半発のロマンスカーは、2018年導入という展望車両のある最新型のGSE。オレンジ色の車体が鮮やかです。もう秋の夕暮れで、すっかり日も落ちているので、沿線の景色は眺められません。
往路のVSEは設備が無かったのですが、最新車両のGSEはコンセントが各座席にあり、奥さまは早速スマホの充電です。席の前後もゆったりしている様に感じます。
箱根湯本も都心に帰られるお客さんでごった返していて、我々の乗車した「はこね26号」も既に満席。もし事前にネットで購入せず、駅到着後に窓口に行っていたら乗れませんでした。
 知り合いから頂戴した株主優待券のお陰で、思いがけずに来ることにした三泊四日の箱根旅行。そして、往復乗車券もあったので特急券を購入して初めて乗れたロマンスカー。しかも往路は展望車のVSEで、復路は最新型のGSEに乗車。
都心からのアクセスの良さと、近間の低山でもそれなりに楽しめた絶景の富士を望む登山に、自然と温泉と色々な美術館巡り。更に歴史の旧東海道や今や国民的イベントとなった駅伝の要素も加わって、観光地としての箱根の人気も何となく理解出来たような様な気がします。
箱根を色々周るには車で行った方が便利(ホテルに車を停めて置いて、食事以外はフリーパスで移動するにしても)だとは思いましたが、憧れのロマンスカーに乗れたことも合わせて、大いに楽しめた初めての箱根旅行でした。

 三泊四日で初めて訪れた、箱根旅行の最終日。
奥さまは二期目の女性だけの登山教室で、今回は箱根外輪山の明神ヶ岳から明星ヶ岳へと縦走し、夕刻強羅駅で解散とのこと。
そのため夕刻強羅駅で落ち合うことにして、それまで私メは単独行。ただスーツケースなどの荷物があるので、早朝小田原経由で集合場所に向かう奥さまと一緒にバスに乗り、荷物を持って私メは箱根湯本でバスを下車。そこで一旦駅のコインロッカーにスーツケースを預け、私メはまたバスでホテルへ戻り、時間調整の上ホテルをチェックアウト。

 今回もガラスの森ミュージアムから乗り替え無しで便利な観光施設巡りのバスに乗り、箱根駅伝でお馴染の小涌園へ向かいました。ホテルに近かったガラスの森美術館はヴェネチアン・グラスの美術館だそうですが、今回バス停として利用しただけでしたが、入口付近のクリスタルの木々も夜のイルミネーションも含めて鮮やかでしたので(バスを待つ間、係員の方にお許しいただき、正面入り口前で写真を撮らせていただきました)、次回は是非行ってみようと思います。
バスに乗っての途中、箱根美術館は10時の開館を待つ人たちで長蛇の列。この美術館は日本の陶磁器を収蔵している美術館ですが、その展示も然り乍ら、むしろ庭園のモミジの紅葉で人気なのだそうです。
小涌園は今年一月で営業を終え、温泉施設は隣接する温泉テーマパークの様なユネッサンと、宿泊は天悠へ引き継がれています。オッサン一人ではユネッサンへ行ってもしょうがないので、ここで降りたのはユネッサン目的では無く隣接する岡田美術館へ行くためです。
2013年に開館したこの「岡田美術館」。ユニバーサル・エンターテイメントの創業者が収集した膨大な美術品を収蔵展示しています。
ユニバーサル・エンターテイメントと聞くと、個人的には女子駅伝チームが思い浮かびますが、社業はパチンコやパチスロ機器の製造販売。
この美術館の壁面の全面には「風神雷神図屏風」をアレンジした大壁画が描かれていて、TVなどでも何度か紹介されてもいるので、一度観賞したいと思っていました。因みに、一度は見たいと思っている“日本のゴーギャン”「田中一村」展が特別展として9月まで岡田美術館で開催されていたのですが、残念ながら間に合いませんでした。
 岡田美術館の展示は、創業者の岡田氏が収集したという重要文化財指定を含む日本の絵画や、日本と東洋の陶磁器などの膨大な美術品がメイン。
今回は、「美のスターたち」と題した開館5周年記念展が開催中でした。
私設なので止むを得ないとしても、先述のポーラ美術館も含めて、箱根に在る美術館の入館料の高いこと。割引前でポーラ美術館が1800円だったのですが、この岡田美術館はナント2800円。ホテルに割引券があり、また箱根フリーパスでの割引もあって、双方とも200円割引で2600円になりますが、それにしても、その入館料に見合う価値はあるのかと興味津々。
なおポーラ美術館は、ご紹介した通りゆったりとした建物そのものも含めた贅沢な空間と素敵なカフェ、そして自然の森の遊歩道が楽しめ、個人的には入館料以上の満足感がありましたが、果たして岡田美術館や如何に?
余談ながら調べて見ると、国内の美術館の入館料ランキングなる記事があって、特殊なジャンルの作品を収集した私設美術館が上位を占める中で、ポーラ美術館が第10位、日本庭園と横山大観で有名な島根県の足立美術館が第5位の2300円、そしてこの岡田美術館が第4位。因みに第二位は全て名画の陶器製レプリカ(従ってホンモノは一つも無し)を展示する徳島県の大塚国際美術館で3240円なのですが、観賞後の満足度は第一位なのだとか(因みに入館料第一位は、入場者しか見られないハウステンボスの美術館とのことで、入館料=テーマパーク入場券との解釈)。
 さて、岡田美術館に入館して驚くのは、先ず受付で携帯やカメラなど一切持ち込み禁止でロッカーに預けさせられること。しかも更に空港の様なX線のセキュリティーチェックを受けて、初めて入館が許されます。照明が抑えられてブラックで統一された入口は、何だか“成金趣味の高級クラブの入り口風”と言ったら失礼でしょうか?・・・。
展示は、1階が中国磁器・青銅器、韓国陶器、2階は日本陶器・和ガラス、3階に日本絵画、4階は日本・中国・韓国の絵画と陶芸、5階は仏教美術という構成でした。最初じっくり鑑賞していたら、1階フロアの展示室だけで優に1時間を越えてしまい、こりゃイカン!と観賞のスピードアップ。
 最初の展示室に置かれていた重要美術品の銅鐸や、古墳時代の埴輪にナント出土地が記載されていません。そんな胡散臭いモノ(銅鐸)に国の美術品指定はされないので、学術的にはある程度特定されている筈。であれば、説明文に記載するのが筋ではないでしょうか。またどの展示室も照明が暗く、全てとは言いませんが、陶磁器に依っては背面や裏面を見せる必要があるので、黒い材質の展示ケースではなく、後方や底面を鏡張りにした方が良いのでは?という展示品が幾つもありました。
 また重要な展示品には、小型ディスプレイで各国語での説明や特徴などを画面を変えて説明されるようになっていたのですが、これだと録画された映像を見るのと変わらない。せっかく実物が目の前に在るのに、拡大する以外は満足感が低下します。例えば、京都国立博物館の国宝展での「志賀島金印」は底の印字部分は反射鏡、側面の微細な細工は拡大鏡で実物が見られるように展示に工夫がされていました。
 更に、幾つかに区分けされた展示室は番号が付けられているのですが、展示品にはナンバリングがされていない(因みに受付で請求した今回の展示品リストにはNo.1~No.478まで通し番号が付されています)。そのため、見学中に順番が逆順になって、見学者同士がかち合ってスタックしてしまうこともしばしば・・・。チャンと学芸員が何人もおられるでしょうに、館内の展示が如何にも不親切です。
 今回の開館5周年記念展での“美のスターたち”と題する目玉展示は、重要文化財指定の仁清作の香炉、乾山の竜田川を描いた鉢などの陶磁器。そして66年振りに発見されたという歌麿の肉筆画「深川の雪」。しかし、同じく83年振りに発見という若冲の「孔雀鳳凰図」は残念ながら展示期間外で見られず。
個人的に気に入った展示品は、中国春秋時代の青銅器の鼎。浮き出た瑠璃色との緑のカビ(緑青)の偶然の美。また信州松本藩主戸田家所蔵だったという飛青磁、そして景徳鎮の“Peach blue”と呼ばれる「桃花紅瓶」の美しさ。洋画では「セピアの肖像」と題された森本草介の近代画も良かった。
ただ、日本と東洋の陶磁器は見事でしたが、例えばポーラ美術館の印象派、山種の日本画といった様な中心軸がハッキリせず、ただ闇雲にジャンルに関係無く収集された絵画は、収集や展示の時代区分が飛んだりこじ付けだったりして、些か強引な感じがしました。
 「風・刻(風神雷神図)」と題された金屏風風の巨大壁画。
館外の足湯カフェから足湯に浸かって眺められるのですが、一人では・・・と写真を撮って早々に退散し、裏の庭園に。
美術館は、明治期に建てられたという「ホテル開化亭」の跡地に建てられていて、その庭園がそのまま使われています。個人的には、先日立ち寄った仙石原の長安寺の紅葉と羅漢さんの庭園の方がむしろ遥かに見応えがありました。
 入館した入口から感じた違和感。最初に抱いたその印象は、全ての展示を見終わって、館外の巨大壁画や庭園を散策した後も変わることはありませんでした。確かに財力に任せた膨大な収集品に“凄い!”とは思いましたが、最後まで最初に感じた違和感、もっと言えば、「これでもか、これでもか!」というような、何となく漂う“これ見よがし的な胡散臭さ”が観賞後もどうしても拭えませんでした。謂わば、“哲学”が感じられない。もし唯一評価するとすれば、海外に散逸していた日本の美術品を国内に買い戻したことでしょうか・・・。
 ここは、正直もうイイかな・・・。

 箱根三日目。この日は曇り予報で、昼過ぎからは生憎の雨模様とのこと。登山の後でしたが、昨日無理して芦ノ湖と箱根神社に行って来て正解でした。
そこで、この日は滞在している仙石原をゆっくりと観光することにしました。仙石原には幾つもの美術館があるのですが、事前にチェックして選んだのはポーラ美術館。ルノワールの帽子を被った少女像やモネの睡蓮など日本最大級と云われる印象派の絵画収蔵で知られています。
滞在先のホテルにポーラ美術館の200円割引での前売り券があり、事前に購入。美術館は同じ仙石原エリアで、歩いても30分程度とのことでしたが、天気予報も気になるのでバスで向かいました。ガラスの森美術館からだと、観光施設巡りバスが乗り継ぎ無しの一本で行けるので便利です。
 「ひめしゃら林道」沿いの鬱蒼とした森の中に佇む、モダン建築のポーラ美術館。しかし、ヒメシャラの名の通り針葉樹では無く紅葉樹林帯なので、森が明るく感じます。美術館そのものもガラスに覆われ、自然光が降り注ぐ近代的な建物で、建物自体が芸術作品の様です。

印象派の中で、ミレーやコローなどのバルビゾン派の画家たちが住んだというパリ郊外のフォンテンブローをイメージしてか、箱根仙石の広大な森の中に佇むポーラ美術館。ちょうど7月から12月まで企画展「ルドン ひらかれた夢 ~幻想の世紀末から現代へ~」が」開催されていました。
 オディロン・ルドン。新婚旅行だったか、これまで3回見に行ったパリのオルセーで買い求めたルドンの複製画「長首の花瓶の野の花」。青いデルフィニウムが実に印象的なルドンの作品で、そのまま30年以上も寝室に飾られています。今年の3月に上京した折、三菱一号館美術館で「ルドン展」が開かれていたのですが、その大好きな絵は個人蔵のためか来日していなかったので、国立新美術館で開催されていた、最後の来日となる「ビュールレ・コレクション展」を見に行って、“可愛いイレーヌ”にも会って来ました(第1307話)。
今回の「ルドン展」は、ポーラ美術館が所蔵する作品と岐阜県美術館の協力で同館が所蔵する作品の展示。正直、これほどまでルドンの作品が日本に在ったとは知りませんでした。
ただ特別展開催のため、併せて近年新たに収蔵されたというレオナール・フジタの作品群も展示されていて、他のポーラ美術館の所蔵する日本人画家の作品(所蔵品リストには、黒田清輝、岸田劉生、佐伯祐三、藤島武二、安井曾太郎などなどそうそうたる大家が並びます)が余り展示されていなかったのはチョッピリ残念でした。因みに、この後の企画展が「モダン美人誕生」と題しての岡田三郎助を中心にした展示の由。
 ゆっくりと展示を見た後、カフェで一休み。
まるで大きな風景画の様に、一面のガラス越しに外に紅葉した秋の森の景観が拡がります。贅沢な時間が流れて行きます。
そして一旦館外に出て、美術館を取り巻く広大な森の長さ670mの遊歩道を散策してみることにしました。
谷間や沢を巡る様に枕木が敷かれた森の中の遊歩道。森の所々に、サルスベリの様に樹皮の剥けた幹の太い茶色の肌の大木が目立ちますが、これがヒメシャラの木。姫沙羅は日本原産で、九州四国や、本州では静岡から和歌山の暖かな太平洋岸に分布しているのだとか。沙羅双樹の木とも云われるシャラ(夏椿)と同じような白い花を夏に咲かせるのだそうですが、ナツツバキより葉も花も小振りなのだそうです。また森の中にはブナの大木もあり、自然林に近い「自然度8」の森なのだとか。小鳥や野生の動物なども生息しているそうです。
 決して印象派だからということではなく、まるで自然と共生しているかの様に近代的な美術館が自然に近い森の中に佇んでいる様は、この美術館がここに存在していることの必然さを訪れる者に納得させてしまう気がしました。

 美術館から帰る頃、予報より早く雨が降り出して来ました。
生憎の天候ですが、美術館の後、同じ仙石原エリアの「仙石原すすき草原」を見てその近くでススキの草原を眺めながらランチを取ることにしていましたので、生憎の雨でしたが、予定通り行ってみることにしました。
乗り替えのバス停で、時刻になってもバスが来ません。先に待っていた中国人カップルが、「既に30分も待っているがここでイイのか?」とのこと。歩いてもそう遠くは無いのですが、降りしきる雨の中を歩くのも大変なので、そのまま待っていると、暫くして漸くそのバスがやって来ました。
箱根の秋の風物詩というススキの草原は、もし天気が良ければまた印象が違ったかもしれませんが、雨の中では、
 「ま、こんなモンか・・・」
中国人カップルの彼等を始め、外国人観光客の皆さんはススキの草原の中の泥濘んだ遊歩道を歩いて行かれましたが、我々は散策を諦め写真だけを撮って切り上げて、近くのレストランへ。ただ晴れていてもここからは富士の姿は望めず、イメージしていた富士山とススキの草原はどうやらこの仙石原では無い様です。
ランチの後、降りやまぬ雨に我々は早々にホテルへ戻ることにしました。そして翌日は奥さまが登山教室の箱根外輪山縦走ツアーに参加することもあって、まだ誰もいない温泉にゆったりと浸って雨に濡れる箱根の山々を眺めながらの温泉三昧。夕食も部屋食にして、ノンビリとホテルで休息することにしました。

 金時登山は早朝7時頃から登り始め、昼前にはバスでホテルに戻りました。
翌日は天気が悪そうだったので、この日はせっかく晴れたことから、当初は翌日予定していたのですが、午後に登山鉄道からケーブルカーとロープウェイを乗り継いで芦ノ湖まで行ってみることにしました。
小田急線の小田原往復分はチケットを頂いていたので、二日目から最終日の4日目までの3日間有効の小田原から先の箱根フリーパスを新宿で購入してありますので、登山鉄道からバスも含めて芦ノ湖の遊覧船(海賊船)まで、箱根の小田急グループの交通機関は全て乗り放題です。因みに同ルートだと、二日間のフリーパスが4000円、三日間は4500円です。
小田急の箱根フリーパスは二日間と三日間のパスだけで、一日券はありません。そこで、初日は箱根湯本から宿泊先の仙石原までの移動だけだったので、翌日から最終日まで3日間のパスにしましたが、箱根湯本から仙石原まではバス一本ですが、30分足らずで750円前後だったでしょうか。箱根は交通費も結構高いので、絶対にフリーパスがお薦めだと思いました。小田急以外の交通機関は使えませんが、箱根エリアは小田急系で全てカバーしていますし、美術館などの観光施設の中にも、提携していて割引されるところがかなりありました。

 ホテルのある仙石原の「ガラスの森」エリアからは芦ノ湖へは、先ず宮ノ下までバスで下りて箱根湯本から登って来る登山鉄道に乗り換え。登山鉄道終点の強羅駅でケーブルカーに乗り、早雲山で今度はロープウェイに乗って大涌谷へ。ここで更にロープウェイを乗り替え、芦ノ湖畔の桃源台へ下ります。そこから海賊船で元箱根まで行き(往復も可)、帰りはバスでホテルに戻ります。この間、交通費は全てフリーパスに含まれています(箱根には西武系のバスも走っていますが、小田急G以外は対象外)。
平日ですが結構観光客が多く、とりわけ中国や欧米からのインバウンドの外国人観光客が目立ちます。都心から近く、日本のシンボル富士山を望める箱根は、外国からの観光客にとって人気の観光地なのでしょう。
強羅からのケーブルカーは満員。早雲山でロープウェイに乗り継ぎます。途中、今朝登った金時山が望め、当初呼ばれた猪鼻山という名の通り、鼻の様に突き出ていて最後の急登を納得させてくれる山容でした。前方の視界が急に開け、眼下にもうもうと噴煙を上げる荒々しい火山地形の谷が見えました。大涌谷です。思わず、歓声が上がります。
ロープウェイを降り、一旦外に出て展望台から噴煙を上げる谷を眺めます。時間が余りないので、名物の“黒たまご”を買いに行くのは諦め、桃源台へのロープウェイに乗り継ぎます。右手に富士山が望めましたが、金時山から眺めた富士には敵いません。それに、午後になって少し雲が掛かって来たようです。
桃源台に到着し、すぐに芦ノ湖遊覧の海賊船に乗船。景色が良いだろうと3階の甲板に出てみましたが、寒いこと。湖畔の九頭竜神社と箱根神社の赤い鳥居を認めた後、湖上の寒さに負けて船室内へ。
箱根駅伝の往路ゴール地点でもある箱根町港で降り(私設の「駅伝ミュージアム」もありました)、そこからバスで元箱根へ。そこから湖畔を歩いて箱根神社へ向かいました。箱根駅伝の往路ゴール近くの鳥居が思い出されますが、その箱根神社は源頼朝を始め武家の武運長久の信仰を集めたパワースポットで、境内には縁結びの九頭竜神社の新宮もあって人気を集めているのだそうです。
我々も、子供たちの心願成就と良縁をお祈りしました。
 帰路は、元箱根からバスで強羅駅まで行き、そこから観光施設巡りバスに乗り換えてガラスの森美術館で下車し、ホテルに戻りました。
朝からの金時山登山、午後の芦ノ湖と結構疲れましたので、ホテルでゆっくりと温泉につかってその日の疲れを癒すことが出来ました。

 今回の箱根行の目的の一つが、金時山登山です。
奥さまが昨年参加されたツアー会社主催の女性だけ(お見受けするに、失礼ながら“山ガール”と云うよりも、どちらかというと我が奥さま含めて“山姥集団”)の登山教室(座学に始まり、初心者向けの日帰り登山から次第に何度を上げて、最後は山小屋泊で仙丈や立山へ)で、最初の頃に登った初心者向けの箱根外輪山の最高峰が金時山。その時は生憎の天気で、富士山は時折頂上が雲の中から顔を覗かせた程度だったので、せっかく箱根に行くのなら再度挑戦したいとの仰せ。しかも奥さまは四日目の箱根最終日に、先述の登山教室の二期目開始のツアーで明神から明星の外輪山縦走コースにも参加される予定(逆にそれに合わせた箱根旅行の日程)です。そこで連日の登山はきついので、金時山は二日目実施が必須。
ただ、一か月前から長期予報を気にしていたのですが、直前まで予報は曇り気味。一時は雨予報の時もあって諦めかけたのですが、何とか持ち直したので、二日目に決行することにしました。
 今回の宿泊先のホテルは、国道138号線沿いの仙石原の「箱根ガラスの森美術館」近く。駅伝コースからは外れるのですが、逆に金時山の登山口は仙石原の国道沿いにあります。
当日の朝起きて見ると、誰の行いが良かったのか、当初の予報からは想像出来なかった晴れ。仙石原からは矢倉沢を経由するルートが近いのですが、行き帰り別ルートとして、その先の公時神社の登山口から登り矢倉沢から仙石原へ下るルートにしました。
地元に居るので早めにと、朝7時前の箱根登山鉄道のバス一本で公時神社へ。その名の通り、金太郎伝説の坂田公時を祀る神社で、その社殿横に登山口があります。

 7時10分に登山開始。途中までは鬱蒼とした杉林の樹林帯の中を登って行きます。矢倉沢ルートも公時ルートも途中で合流して金時山頂へ登るのですが、どちらも登山口からの標高差549mとの表示。金時山は箱根外輪山の中では一番高い1212mとのことですが、登山では山頂の標高より登山口からの標高差が重要。549mという標高差は、三城からの美ヶ原登山に匹敵します。
美ヶ原の様な石の登山道では無く、土の道ですが、前日まで雨が多かったのか、結構湿っていて気をつけないと滑りそうです。しかし、登山道の急坂は石段や板の階段でしっかりと整備されていますし、また登山道に張り出した杉の根が良い手すりになっていて、たくさんの人が掴まったためすべすべしています。
登山道は杉の樹林帯を登って行くので景観は望めませんが、途中、金太郎が遊んだという手毬石や、また雨宿りをしたという宿り石など金太郎伝説ゆかりの史跡もあり、結構楽しい登山道でした。
やがて杉の樹林帯を抜けて色付き始めた広葉樹が目立つようになって、少し視界が開けて来ました。時折、眼下に仙石原が拡がっています。
事前にネットでルート確認をした時の、ほぼ標準タイムの70分で分岐点へ到着。少し休憩し、山頂へ。ここからは結構な急登が続きます。
これまで、登山道からは一度も富士山の姿は見えず、もしかすると雲の中なのか?、せっかくなのに富士は望めないのか?・・・と些か疑心暗鬼になりそうです。
分岐から30分程で目の前がポッカリと開け、先行した家内からワァーっという歓声が。登ると急に視界が開け、そこが金時山1212mの山頂でした。
そして目の前には、それこそ“ナンということでしょう!”の如く、雲一つ無い青空を背景に雪を頂いた富士山がくっきりと聳えているではありませんか!
 「おぉ、凄~い!」
 7時10分から登り始め、8時50分に山頂に到着。
山頂には金時茶屋もありますが、昼にはまだ早いですし、水や行動食は持参して来たので暫し休憩し、その後絶景の富士山と山頂に4匹居た猫の写真も撮って、下山開始。
朝早く登り始めたので登りでは殆ど人に会いませんでしたが、下りでは我々の様な中高年のご夫婦や山ガールのグループなどたくさんの登山者の方々が登って来られて、道を譲ったりお互い挨拶を交わしたり。
下りは分岐点から仙石原へ下ります。途中、最終日奥さまが縦走される明神ヶ岳に至る矢倉沢を経由して、仙石原に下山。下りは1時間10分程だったでしょうか。それなりの急登もあって登山気分が味わえ、最後に富士の絶景が待っている金時山。時間を考えないと半日で終わってしまい、頂上でのお昼休憩もままなりませんが、さすがに都心から近い人気の山でした。季節の進みは信州よりは1ヶ月遅れか、今回はまだリンドウや野菊、そして何と下りではマツムシソウまで登山道脇には結構色々な花も咲いて、金時山は四季の花を愛でながら登山も楽しめそうです。
今回の金時山登山で一つ気になったこと。それは、登山道はしっかりと整備されていてとても歩き易かったのですが、案内標識の時間表記です。
例えば分岐点から金時山山頂へは20分と書かれていますが、普通の登山者は20分では無理。優に30分は掛かります。余程の健脚者向けなのか、どの表示も少し短すぎる様に思いました。因みに、事前にネット検索して調べたルート案内の所要時間は、今回のコースタイムとほぼピッタリでした。
 下り終えた仙石原の登山口の下には長安寺というお寺があり、箱根での紅葉のスポットとして有名とことで、寄って行くことにしました。
龍虎山長安寺。1655年開山という曹洞宗のお寺さんです。紅葉で名高い京都のお寺には敵いませんが、色付き始めた紅葉だけでなく、昭和60年から建立を始めたという五百羅漢さんも山のあちこちに佇んでおられ、とても雰囲気のある素敵な寺院です。結構観光で来られている参拝の方々も多いのですが、驚いたことに長安寺は拝観料無し。お寺の奥には大きな墓地もありましたので、檀家の数も多いのかもしれませんが、お寺や庭の維持管理にもお金が掛かるでしょうから、多少でも拝観料を取れば良いのにと要らぬお節介。そこで拝観料の代わりに、本堂と境内にあった子守り地蔵さんにもお賽銭を入れさせていただいてお参りし、子供たちの安寧も併せてお願いさせていただきました。
 曹洞宗龍虎山長安寺。秋の箱根で見つけた、紅葉と五百羅漢さんの素敵なお寺さんでした。

 知り合いの方から、「使わないから」と小田急の株主優待券を頂戴しました。11月末までが有効期限で、一緒に小田急の新宿~小田原間の往復乗車券も入っていました。また優待券の中には、ホテルも含めた小田急グループの施設の割引券も入っています。そこで、11月上旬、3泊4日で初めての箱根に行ってみることにしました。

 平日でしたので満車の心配は無かろうと、朝、松本インターの高速バス利用者専用駐車場に車を停めて新宿へ移動。混んでいなければ我が家から10分足らずの道のりが、平日故の通勤渋滞で20分掛かり、途中、間に合わないかもと一旦諦めたのですが、乗車予定時間ギリギリで到着しナントカ無事に乗車することが出来ました。先が思いやられます。
行いが悪いのか、前週まで続いていた秋晴れとは一転し、今週の予報は生憎の雨や曇り模様。この日も曇天で、休憩の双葉SAからも富士は望めません。
朝の通勤時間帯を過ぎていたので高速は然程の渋滞も無くスムーズで、10分程の遅れで新宿到着。ここで翌日からの3日間用の箱根フリーパスを購入。
 小田急の人気のロマンスカー。松本からは中央線の特急あずさの到着駅である新宿は馴染でも、小田急線は箱根や小田原に行く様な機会が無いと利用することはありません。ましてやロマンスカーは乗ったことがなく、憧れの特急列車。長野電鉄に譲渡されて長野~湯田中温泉間を走っている10000系の旧ロマンスカーには、昔湯田中からの帰りに乗ったことはあるのですが、現役のロマンスカーに乗るのは初めて。せっかくなら、先頭の展望車両に乗りたいものです。1ヶ月前から売り出されるのですが、僅か4列16席のみという展望車は発売後1分で完売とのこと。家内と二人で我々も頑張ったのですが最前列は無理で、結局最後尾の4列目を何とか予約することが出来ました。

 新宿12時発のロマンスカー「はこね23号」。この日の車両は2005年に導入された50000系VSE。
初代の流線形ロマンスカー3000系SEが1957年に時速143㎞という当時狭軌での世界記録を樹立するのですが、これが国鉄と小田急の共同研究の成果であり、小田急線より直線区間の長い国鉄の東海道線で記録され、その後の新幹線「ひかり号」誕生に繋がって行ったと科学雑誌で読み、当時小学生だったと思いますが、子供心に胸を躍らせた記憶があり、そんな小田急とは無縁だった信州の田舎の子にとって(鉄オタでなくとも)ロマンスカーは憧れの存在でした。
 ロマンスカーの50000系VSE。小田急電鉄のフラッグシップとのこと。2006年の第45回ブルーリボン賞受賞車両です。なお、栄えある第1回が先述の小田急3000系SE。
因みに、これまで「あずさ」と「かいじ」に使用されて来たE257系も2002年のブルーリボン賞の受賞車両で、新型のスーパーあずさとして昨年デビューしたE353系は今年のローレル賞を受賞しました。
 入線して来た50000系VSEの車両は、白い流線形で如何にも“カッコイイ!”。皆さん思い思いに車両をバックに記念撮影をしています。
4列の展望車ですが、階段や傾斜は無いので、前方に視界が開けて見えるのは先頭の席のみ。多分エージェントが人海戦術で確保したのでしょうが、驚いたことに展望車の2/3は中国人観光客。しかも、途中から乗車して来るのか、暫く空いていた先頭の席に指定の有無などお構いなしに移動して着席し、本来の予約した乗客が来ると悪びれることなく笑って自分の席に移動。はぁ~凄いですね・・・と溜息しか出て来ませんでした。
 列車は、定時に新宿を出発し、1時間半で箱根湯本に到着。その間、町田、本厚木、小田原に停車。小田原から箱根湯本までは箱根登山鉄道の路線と併用です。小田原までは都心郊外のベッドタウンを走るためかカーブも多く、ロマンスカーは思いの外ゆっくり走ります。神奈川県に入ると、途中丹沢山系などの麓を走るのですが、本来見えるかどうか分かりませんが、残念ながら富士山を含めて曇天のため姿は見えませんでした。
小田原を過ぎると登山鉄道路線に入り更に曲線区間が多くなるため、一段とスピードを落として走り、(箱根駅伝で見慣れた)箱根湯本の駅舎に滑る様に入線しました。

 箱根湯本から、いよいよ箱根の旅が始まります。

 一坪足らずのハーブガーデンで毎年育てているバジル。今年は三株。
シーズン中は、トマトソースのパスタなどのトマト系の料理やピザなどに必要な都度必要な量の葉を摘んで来ては使っているのですが、そう大量の葉を使う訳では無いので、シーズンが終わる秋にはたくさんの“生”バジルが余ってしまいます。バジルは霜に会うと、葉が真っ黒くなってしまいますので、例年降雪前のシーズンの最後に、葉を全部積んで、奥さまがオリーブオイルや松の実などと一緒にミキサーに掛けて自家製のジェノベーゼソースを作り、冷凍保存したり、娘の所に持って行ったりしているのですが、パスタ以外では、例えば魚料理のソースに使うにしてもそう大量消費する訳でもないので消費し切れないこともしばしば。冷凍保存するにしても、“冷凍焼け”してしまうので何年も保存できません。
そのため、今年は栽培する株数も減らしたのですが、降雪の時期を迎え、結局使い切れず余ってしまいました。ジェノベーゼソースは昨年作ったのがまだあるそうなので要らないとの仰せ・・・。
そこで、頑張ってジェノベーゼではなく、生バジルをみじん切りにしてパスタにしたり、炒めモノにも使ったりしたのですが、まだたくさん茂っています。11月に入り、信州松本では文字通り“霜月“で、霜の降りる時期です。
 「ムムム、どうしようか~?」
そこで、ネット検索して調べた結果、「乾燥バジル」を作って保存することにしました。

 冬に(奥さまが)干し芋を作っているネットを使って天日干しにしても良いのですが、2~3日と時間も掛かりますし、天日干しだと色がくすんでしまうようです。むしろ、電子レンジで“チン”(600W×1分×2回)すれば、簡単に色味も良く(緑色が濃く)仕上がるのだとか。ポイントはキッチンペーパーでサンドして(挟んで)耐熱容器のバットや皿に載せて裏返して二度レンジに掛けること。
摘んで来たざる一杯山盛りのバジルの葉。我が家のハーブは全て無農薬ですが、ホコリを落とす必要があるのでさっと水洗い、バジルは傷つくとすぐに黒く変色してしまうので優しく水洗いをします。

篭などに敷いてベランダに置き、軽く天日干しをして水気を切り、その上でレンジに掛けます。レシピ上は、600Wで1分。裏返してもう一回。最初は葉が多過ぎて十分に乾燥しなかったので、30秒ずつ裏返してもう一度レンジに掛けましたが、以降は葉の量を減らしたらレシピ通り2回でパリパリ(カサカサ?)に乾燥しました。いやぁ、これなら確かに簡単だ。あっという間に乾燥バジルが完成です(注:写真は電子レンジ1回目の様子。ペーパーが湿っているのが分かります。そして、裏返して2回目の完成後)
 保存は、渡米するために長女が置いて行った調味料類の中で、終わって空になっていたペッパー・ミルがあったので、熱湯消毒をして乾かしてから、乾燥バジルをプラスチックバックに入れて手で揉んで粉々にして容器に詰めました。あれだけあった(と思った)バジルの葉が、乾燥させたらペッパー・ミルの容器ちょうど一本に納まりました。これでもスーパーなどに売っているお馴染のS&Bのドライバジルの容器4本分位あるでしょうか(同じサイズで比べてみました)。長期保存出来るので、一年くらいは十分持つでしょうから、一年後は(栽培すれば)またバジルがたくさん収穫出来ますので、一年間で使い切ろうと思います。ジェノベーゼもそうですが、乾燥バジルの大量消費レシピ、パスタ以外に何かあるのでしょうか、ね??探さなくっちゃ!
【追記】
乾燥バジルを作った翌日、今シーズン一番の寒気がやって来て、松本は1℃。朝、真っ白く霜が降りていましたので、ギリギリ間に合いました。ヤレヤレ・・・。

 前話の“秋の美ヶ原登山”。
当日はまさに秋晴れの快晴だったので、たくさん撮った写真の中から追加で何枚かご紹介させていただきます。

 三城いこいの広場の登山口から9:40頃登山開始。
先ずは、広小場への沢沿いへの登山道(10:06)。清冽なせせらぎの音が涼しげです。夏だと、マイナスイオンを浴びながらの森林浴コースです。
 ジグザグ48回という百曲りコース。木々の中を進む登山道を抜けると、一気に眺望が拡がります。登山道を登り切った「百曲り園地」からの眺望です(11:23)。左上にかすかに見える諏訪湖越しに臨む、木曽駒の中央アルプスから木曽御嶽方面です。
 霧ケ峰(車山)の向こうには、八ヶ岳(編笠岳)の右肩越しに臨む富士山(12:48 写真だとかすかに見える程度ですが)。
 王ヶ鼻から見た、眼下の入山辺の谷間から拡がる松本の市街地と、その松本平越しに臨む北アルプス(12:51)。左手に見える乗鞍から、中央右手にギザギザした穂高連峰へと続きます。
 美ヶ原高原最高地点2034mの王ヶ頭(13:16西向きの北アルプス方面)。
トレッキング気分を味わえる眺望としては、王ヶ頭より低くても無粋な人工物の無い、東側以外の三方270°?の絶景の拡がる2008mの王ヶ鼻の方が遥かにお薦めです。
 王ヶ頭の反対側に鎮座する御嶽神社(13:17背後の建物はTV塔です)。ここに神社があるが故に当然なのですが、正対する神社(祠)から鳥居の向こうに今も噴煙を上げる御神体の御嶽山が望めます。未だ不明の御霊に・・・合掌。
 帰路、百曲りコース上部から拡がる真っ白なススキの斜面(14:08)。
 三城の登山道脇にある“山の主”?の巨木(15:14)。厳かで神秘的に感じます。
 同じく三城の登山道脇に咲いていた、今回の登山で唯一見掛けた秋の花オヤマリンドウです(15:16)。
 三城いこいの広場の駐車場から、オートキャンプ場の管理棟のセンターハウス(15:20)。この建物の(向かって)左脇に登山口があります。今回も無事に帰って来ることが出来ました。

 9時半過ぎに登り始め、1時間のアルプス展望コースを経て、王ヶ頭から20分程車道を歩いて目的地の王ヶ鼻に到着。王ヶ鼻での昼休憩の後王ヶ頭に戻り、トイレ休憩から塩くれ場を経て、園地からまた百曲りコースを戻って15時半に三城いこいの広場へ下山。6時間弱の行程でした。

 10月21日の日曜日。前日まで雨や曇りの日が続いていたのですが、この日の天気予報は“全国、全47都道府県晴れ”。年にそう何度も無いのだそうです。そこで登山のトレーニングも兼ねて、また三城から美ヶ原へ登ってみることにしました。

 この日は、松本・諏訪地方で云う“出払い”(地区の共同作業。但し松本は諏訪の様な“出不足金”徴収はありません)での大門沢川清掃が早朝6時半からあって、6時前はまだ薄暗いため、ナナの散歩は“出払い”から戻ってから。母の昼食も準備した上で、遅めの9時頃の出発になりました。
“紅葉情報”に依ると、「美ヶ原は見頃」とのこと。そのためか、市内の山辺から登山口の三城いこいの広場までの道は、ビーナスラインで美ヶ原や霧ケ峰へ向かうであろう県外車で結構な交通量。自宅からはほぼ30分で9時半に到着。

 美ヶ原の登山口のある三城いこいの広場の無料駐車場は、既に上段は25台程が駐車していて満車でしたので、下段へ駐車。前回、8月下旬の美ヶ原への三城からの初登山(第1357&1358話)の時は“夏山シーズン”だったのにも拘わらずガラガラでしたのに、今回はどうしたことでしょうか。三城のオートキャンプ場は既に閉鎖されていてシーズンオフですので、県外車も多かったこの車の方々は、皆さんここから美ヶ原へ登って行った筈。
前回は朝曇っていて気が付きませんでしたが、快晴のこの日の駐車場からは王ヶ頭(おうがとう)のテレビ塔がクッキリと望めました。標高1450mという三城いこいの広場から王ヶ頭の2034mまで標高差約600mを登ります。登山靴に履き替え、リュックを背負い、9時40分にいざ出発。
管理棟横の登山口から、この日も“百曲りコース”へ。直行はしませんが、「塩くれば」まで3.5㎞との表示。先ずは森の中を歩きキャンプ場内を通って、広小場への登山道へ入ります。前回の帰路、キャンプ場からいこいの広場への登山道が見つけられずにキャンプ場の中を下ったので、今回は見失わぬようオートキャンプのNo.50~51サイトの間を下ることを確認。良く見れば舗装道路の反対側に案内板もありました。既にキャンプ場の洗い場は片付けられ閉鎖されていました。
 広小場までは鬱蒼とした森の中を、沢沿いに森林浴をしながら進みます。標準時間40分のところ、35分で到着。広小場が標高1580mとのことですから、100m程登るなだらかな登山道でしたが、小休止の後、ここから百曲りの本格的な登山道へ。百曲り園地へは標準時間90分の登山コースです。林の中を進む、板状節理で剥がれた鉄平石が敷かれた登山道。48回というジグザグを経て周囲が開ければ、もう百曲り園地の真下です。前回は全く登山客に会わなかった百曲りでしたが、この日は広小場から茶臼山に向かう家族連れや、前日泊まられて下山するカップルなど、何組かの登山グループに会いました。
途中休憩せず60分で到着した百曲り園地で給水し、そのまま絶景のアルプス展望コースを歩いて目的地の2008m王ヶ鼻(おうがはな)を目指します。
 標高2000mの高原はもう晩秋に風情で、さすがにもう花はありません。標高600mの松本もこの日最低気温が4℃だったので、ここ美ヶ原はおそらく氷点下だったのでしょう。コースの日陰には霜柱が立っていました。
園地から見えた南アルプスから中央アルプス、そして御嶽から乗鞍、穂高連峰。アルプス展望コースの名の通り、次第に穂高から槍、常念、燕と北アルプスの眺望が拡がって行きます。雲一つ無い快晴に、展望コースには何組もの登山やトレッキングを楽しむグループやカップルの方々が。王ヶ頭の下を通過し、展望コースの終点で合流する車道をそのまま歩いて王ヶ鼻へ12時半前に到着。園地からは案内通り60分でした。
岩場の上では20名程の皆さんが休息されていて、我々も岩に腰掛けて昼休憩です。それにしても、少し霞んではいましたが今回は快晴で、1400mの標高差で眼下に拡がる松本平を囲む様に日本の名だたる名峰が聳えていて、思わず「凄い!」と歓声が上がります。
南は八ヶ岳から、甲斐駒、北岳、仙丈の南アルプス、木曽駒の中央アルプス。そして山頂登山が解禁された噴煙上げる御嶽山になだらかな山容を見せる乗鞍と、北アルプスの独立峰。続いて、のこぎりの様な穂高連峰から始まり、いつもは松本平から仰ぎ見る屏風の様な北アの峰々が、ここでは目の高さにその雄姿を拡げています。五竜から、夏に登った唐松岳と続き、白馬の後立山連峰からその先は雲が掛かっていました。
そして良く見ると、雄大に裾野を広げた八ヶ岳の右肩越しに富士山の姿も認識できました。既に真っ白な雪を被ったその姿は、やはり他の山とは違い、居住いを正して立っている様な孤高の趣があります。この松本からもこれ程大きく富士山が見えたとは・・・。正直、ビックリしました。
一つ所からでは無いでしょうけれど、高原の美ヶ原からは、百名山の実に41座を眺めることが出来るのだとか(美ヶ原自体が百名山ですので、41/99ということになります)。
次々と王ヶ鼻にも美ヶ原観光の団体さんが来られるので、昼食を終えて、王ヶ鼻から王ヶ頭へ向かいます。途中、残念ながら浅間山には雲が掛かっていて、山容は望めませんでした。9月で牛の放牧は終了していますので、高原にはもう夏の間ノンビリと草を食んでいた牛たちの姿はありません。そのため、真っ青な空の下に拡がる広い高原が余計広く感じられました。
ホテルの有料トイレで用を済ませ、「塩くれ場」から百曲り園地を経由して、今回も百曲りコースを下って三城いこいの広場の駐車場へ戻ります。広小場まで下り40分(下りは標準60分)。今回は朝確認した通りにオートキャンプ場からもしっかりと登山道を下って、園地からトータル70分で駐車場へ到着しました。
 美ヶ原は、百曲りの登山道を含めて、秋の紅葉を楽しむスポットではありませんでしたが、何といっても眺望が抜群です。
夏であっても、牛たちを見ながら高原をノンビリ散策するよりも、アルプス展望コースのトレッキングコースが断然お薦め。そして頂上となる王ヶ頭よりも、王ヶ鼻からの絶景がイチオシです。雄大な峰々に、日頃のストレスなど「ちいせぇ、小せぇ!」と吹っ飛んで大らかな気分なります。
そんな気分を存分に楽しむには、やはり車で行くよりも、1時間半で登れる三城からの登山がお薦めです。
 快晴の中、今回は雄大な山並みを眺められた、“日本百名山”美ヶ原への秋の山旅でした。

 以前ご紹介した、次女が我々の誕生日のお祝いに連れて散ってくれた新宿の水炊き専門店「水たき 玄海」(第1353話)。
先ずは飲むようにと、最初に湯呑みに入れて出された白濁スープが実に美味しかったのですが、コラーゲンたっぷりですので女性には良いだろうからと、自宅でも作って試してみることにしました。勿論、技量も違えば、食材も異なりますが、“じっくり”と“丁寧”は自宅でも且つ素人でも可能です。
確か、「玄海」では8時間煮込むと伺いましたので、8時間はともかく、我が家でもじっくりと煮込むことに。鶏肉も、モモだけではなく、コラーゲンが出易い手羽元も購入。先ずは、手羽元だけを青ネギと生姜を加えて強火で2~3時間煮込みます。ここでのポイントは先ずは“強火”と丁寧なアク取り。
 「玄海」では鶏を丸ごと煮込むと聞きましたが、大きな寸胴鍋の無い家庭では無理。またラーメンの様に鶏ガラの方がコラーゲンたっぷりのスープが取れそうですが、家庭ではそれも難しい。そのため、手羽元を使うことにしたものです。確か、昔「ためしてガッテン!」では、手っ取り早くコラーゲンたっぷりに作るには手羽先を使うと聞いた気がしますが、今回は肉も食べるので手羽元をチョイス。モモ肉は後で入れて、二段階で煮込みます。量は、手羽元が10数本とモモ肉より多いくらい。
確か「ためしてガッテン」で、モモ肉をホロホロ柔らかく煮るには煮過ぎないのではなく、むしろ良く煮てから30分程火を止めて放置することで筋が切れる?と解説していた様に記憶しています。
今回は前日手羽元だけを煮込んで一晩寝かせ、翌日に鶏モモを煮ることにしました。

 翌日の鍋。コラーゲンが固まってプッリプリ。鍋を90度傾けてもそのままです。それだけたっぷりと手羽元からコラーゲンが溶け出したことが分かります(下の写真では、分かり易い様に傾けた鍋の横に一輪挿しを置いてあります。一緒に煮込んだ青ネギと生姜も見えています)
 当日、鶏モモ肉を煮込み30分程火を止めて時間をおいてから、先ずは白濁したコラーゲンたっぷりのスープをシンプルに塩味で(我が家は柚子塩で)頂きます。アクは丁寧に取ったつもりでも専門店程とまでは云いませんが、なかなか美味。それから、キャベツや豆腐なども煮て、ポン酢で頂きます。鶏肉はホロホロととろける様に柔らかく、キャベツも甘くて、
 「フム、旨い!」
家庭でもこれだけに食べられれば十分満足です。煮込む時間はそれなりに掛かりましたが、このホロホロした柔らかい食感とコラーゲンたっぷりのスープの旨味には代えられませんし、それに別に数時間煮込むにしても、火加減さえ注意しておけば何も鍋に付きっきりで居る必要はありません。
この日はお腹一杯で、〆の雑炊(おじや)までたどり着けず、翌日に回しました。
翌日、スープが濃いので余り粘り気が出ぬ様に、ご飯を事前に水で洗ってからさっと煮込んで雑炊で頂きました。結構なご飯の量かと思いましたが、鍋に一粒も残らない程に全て完食(因みに、母も自家製とは思えぬ味だと大絶賛で、「そりゃ、おかたじけ!」)

 二日間に亘りましたが、コラーゲンたっぷりの水炊きの〆で、(特に女性にとって)美容と健康に良い雑炊をいただき、
 「ごちそうさまでした!」