カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今シーズンは暖冬で、どこのスキー場も雪不足とか。ツアー客を見込んでいた宿泊業の人たちからは悲鳴が上がっているそうです。白馬の八方でさえ、ゲレンデの下の方は滑走出来ない場所もあると云いますので、毎年子供を連れて行っていた咲花などは定宿だったホテルの目の前がゲレンデでしたが、今シーズンは大丈夫でしょうか。
気温も、今シーズンの松本での最低気温はせいぜい氷点下5~6度でしょうか。諏訪湖も波が立っていて、もしかすると御神渡は伝説になって、今後もう二度と見られないのかもしれません。

 松本では27日の夜から降り始めた雪が、28日の朝には10㎝近く積もったので、今シーズン初めて雪掻きをしました。しかし、この雪は関東地方でも降雪予報があったように、太平洋側の低気圧に伴う降雪で、松本などの中信や南信で云うところの春先の3月頃に降る「上雪」(カミユキ)です。実際に雪を掻いても、湿った重たい雪でした。果たして、スキー場への恵みの雪になったのでしょうか?
 雪の降った28日は、我が家のワンコたちの月一のトリミングデイ。
そこで朝最初にコユキを連れて行った帰りに、お城に寄って“雪の松本城”を撮影して来ました。
白黒の松本城は戦のための城であり、武骨で、片や華やかな白鷺城には敵わなくとも、この雪を纏った姿はモノクロの松本城に勝る城はあるまい!(同じ様な白黒の熊本城ですが、熊本にはあまり降らないので)・・・と勝手に自負しています。
一面の雪で、いつもの松本城だけでなく全体がモノクロのトーンとなった風景の中に、乾子天守側に西の堀から掛かる埋橋(うずみのはし)の朱色が如何にも目に鮮やかでした。
因みにこの埋橋は、昭和30年にお城の観光用として作られた橋で、国宝の文化財として問題があるのか、老朽化のため現在は通行禁止になっています。

 さて、トリミングの終わったコユキもこの日の雪に負けじと真っ白でした。

 知り合いの方から年末にたくさんいただいた胡桃。
縄文時代から食べられていたという、所謂日本産の鬼胡桃(和くるみ)で、野山に見られる野生種は殆どがこのオニグルミとされます。
一般的にお菓子に使われる菓子グルミに比べて、オニグルミは小振りで殻が硬いのが特徴。そのため一部のメーカーではスタッドレスタイヤにも利用しているのだそうです。
因みに、上田の別所温泉の前山寺名物のクルミおはぎも、このオニグルミを使っているそうです(上田の隣の東御市が日本一のクルミ生産地だそうですが、主力は菓子グルミとのこと)。
確かにオニグルミは味が良い(濃い)かも知れませんが、とにかく菓子グルミに比べて殻を割るのが大変。クルミ割り人形とかナッツクラッカーという言葉がありますが、そうした専用の道具が無いと割るのは無理。そこでどうしようかと暫く取り掛かるのを躊躇していたのですが、そう云えば昔祖母が梅漬け(我が家ではカリカリ梅です)を作るために木製の“梅割り器”を使っていて、確か母屋の物置小屋に置いてあったのを昔見たことを思い出しました。そこで行って探してみると、案の定で有りました。
木製の洗濯バサミの様な格好をした梅割り器で、「クルミ割りにも使用可能」と書いてありました。
そこで、殻の閉じた部分に力が掛かるように凹の溝の様な窪み部分にクルミを載せて、テコの要領で力を加えると割れるには割れたのですが、力の加減が難しくグシャッと潰れてしまいました。しかも、割るのには相当な力が必要で、テーブルに毛布を敷いてその上でやったのですが、奥さまがテーブルに傷が付くのを心配する程。しかも、犬にはナッツ類は有害。そのため、床に飛び散った殻や中身をもし食べたりしたら大変なので、すぐに拾ったり掃除機を掛けたりと、クルミ一つ割るのもそれこそ一苦労で時間も掛かりますし、潰れては中身を取り出すのもこれまた大変。二時間近く掛けて三分の一程割ったのですが、大変でホトホト嫌になってしまいました。

 最近エナジーバーを自作している奥さま。買って来たドライフルーツやアーモンドやクルミなどのナッツ類もその材料として使っているので、奥さまがオニグルミの味見をしたところ、
 「味が全然違う・・・。美味しい!」
と大絶賛。
 「左様か・・・。然らば、作業を続けなくてはなるまいのぉ・・・」
ちゃんとしたクルミ割り器を購入しても、この硬いオニグルミを割るのにそれ程差があるとは考えられません。
そこで、ネットでクルミの割り方を調べてみると、ありました。その方法は、オニグルミを一昼夜水に漬けてから中華鍋の様なフライパンで5分程炒ると殻の口が開き、そうすると専用の道具が無くても、その開いた口に包丁やマイナスのドライバーを差し込んで割ることも出来るくらいに簡単に割れるのだとか。これなら試してみる価値はありそうです。
 そこで、先ずは残ったクルミをほぼ一昼夜水に漬けてから、そのままフライパンで炒ります。すると、早いモノは5分程度で、全体的には7~8分くらいでクルミの殻の口が開いた様です。
少し冷ましてからクルミ割り器でこれまでと同様に割ってみると、アラ不思議!で、いとも簡単に割れるではありませんか!
しかも、グッシャッと潰れたのがウソの様に、それ程の力を入れずとも次々とキレイに半分に割れていきます。
前回の時間と苦労は一体何だったのかと思う程に、僅か30分ちょっとで半分以上残っていたクルミを全て割ることが出来ました。
 「あぁ、こんなに簡単に割れるんだ!」
と、本当に目からウロコ・・・でした。
しかも取り出した実も大粒で潰れていないので、細かい粒の様だった前回分と同じ袋にいれましたが、その差は歴然!。
これだけあれば何回かに分けて使えると、奥さまも大層喜んでおられました。
 これでもしまたオニグルミを頂くことがあっても、“お任せあれ!”でもう大丈夫です。それにしても、エナジーバーに使う以外で、他に何か使い道は無い訳!?白和え?オハギ?・・・個人的には余り食指は動きませんが・・・。

 師走の都大路を走る高校駅伝に始まり、新春の箱根、そして京都と広島での都道府県対抗を以って(私個人として興味関心のある)駅伝シーズンが終了しました。

 全国高校駅伝の女子は、公立高校ながら全国の強豪私立に伍して昨年一昨年と2年連続準優勝だった長野東が今回は9位と、残念ながら4年連続入賞はならず。男子も、佐久長聖が自校の持つ高校最高記録まで10秒と迫る好記録ながら、留学生を擁するチームには敵わずの3位。しかし、それぞれ県内出身選手だけ、或いは日本人選手だけでの走りは見事でした。
県下に実業団チームを持たない長野県ですが、こうした長野東と佐久長聖の頑張りが、卒業したOG・OBが大学或いは実業団に進んで活躍し、その結果がシーズン最後の都道府県対抗駅伝の長野県チームの活躍に結びついています。
長野県は昔から市町村や地区対抗の駅伝が盛んで、その中から育った伊藤国光や中山竹通などのマラソン日本代表選手も嘗てはいましたが、実業団チームの無い長野県が駅伝で強くなったのは、指導者が連携して長期的な視点で小中学生の頃から地域の陸上クラブなどで育て、その中から才能のありそうな子供たちが優秀な指導者のいる、男子は佐久長聖、女子は公立高校ですが長野東に進学して継続して育成強化されて来た結果だと言えます。

 駅伝シーズンの掉尾を飾る、新春の全国都道府県対抗駅伝。
女子は京都で行われる高校駅伝の男子と同じコース、男子は広島の平和公園から安芸の宮島口への往復コースです。
 12日の女子は、長野県チームは昨年の6位に続き二年連続入賞で目標のメダル獲得には僅かに届かなかったものの、記録も順位も過去最高の4位でした。全国でも強豪となった長野東のOGが大学や実業団に進み、一般区間でも力のあるランナーが増えた結果、都道府県対抗でも優勝争いの常連となった男子だけではなく、以前は17番のゼッケンナンバー前後の順位だった長野県の女子チームも最近では男子同様に上位を狙える力を付けてきました。
今年は1区6位でスタートし、途中で一時はトップに立つ力走。しかし、今期の高校生が少し弱くその後順位を下げましたが、8区の中学生と最終9区の一般が共に区間2位という好走で、最終区で国内トップ選手の東京チームの新谷選手には抜かれたものの、アンカーのダイハツ所属の細田選手が食らいつき区間2位の力走を見せて、僅か2秒差の4位でのフィニッシュ。目標のメダルには惜しくも届かなかったものの、見事な走りでした。
大学生も含め一般の区間も充実してきましたし、今回走った中学生は二人ともまだ2年生。長野東の高校生がまた力を付ければ、念願の3位以内もそう遠いことではないと期待を持たせてくれた今回のレースでした。

 19日の男子。“駅伝王国長野”と云われる通り、これまで全国最多の7回の優勝を誇り、今回も中高生に全国トップクラスの選手を揃えていたので、3年振りとなるV奪回が期待されました。しかし直前になって、5000m13分台の主力高校生2名が故障で交代し、チーム目標を5年連続の入賞に変更と報道されていましたし、マスコミの事前予想でも長野県は優勝候補には挙げられていませんでした。
しかし、いざースが始まってみると、1区の高校生区間も交代となった2年生の越選手が10位とはいえトップと7秒差で力走し、2区の中学生区間は全国中学校駅伝でも区間新で走った小田切選手が区間3位の好走。
一時3区の一般区間で15位と順位を下げたものの、その後代役で出場した高校生二人(木村選手は女鳥羽中出身!)がそれぞれ区間2位・4位と見事な走りで3位まで順位を押し上げ、6区の中学生区間で今季3000m全国ランキング2位(県中学記録更新)の吉岡選手が圧巻の区間新記録で遂に1位浮上。
最後は、2年連続アンカーとなる中谷選手(早大2年)が、中継時点での8秒差をむしろ17秒差まで拡げて、区間賞の相澤選手(福島、東洋大)から僅か8秒差の区間2位で力走し、3位から逆転優勝を狙った優勝候補埼玉のアンカーの設楽選手にも勝って、見事1位で3年振りとなる8度目の優勝を飾りました。

 レース後は、予想を覆して全国最多8回目の優勝を飾った長野チームに対して「さすが!」という声が溢れましたが、下馬評が低かったにも拘らず“駅伝長野”の底力を感じさせる見事なレースでした。また同じように戦前の評価が然程高くなかった兵庫の2位も「さすが!」でした。
余談ですが、ゴール地点で優勝の感激に沸く長野県チームの輪の中に、長野が初優勝した時(2004年第9回大会)のアンカーとしてゴールテープを切った帯刀さん(当時富士通所属。現上田西高陸上部監督で、今回の県男子チームのコーチ)がおられ、懐かしく感じました。
この大会では留学生は走れませんので、今年は失速しましたが学法石川の福島県や西脇工や須磨学園などを擁する伝統の兵庫県、そして佐久長聖の長野県などがやはりこの大会になると毎年上位を占めています。
長野チームでは、今回力走した中学生諸君も佐久長聖へ進むでしょうし、1区の越選手や故障で走れなかった伊藤選手もまだ2年生ですので、来シーズンの佐久長聖も期待出来そうです。そして二年連続となるアンカーとして、昨年優勝した福島の相澤選手に置いて行かれたリベンジを果たした中谷選手も、3年生となる来シーズンは早稲田のエースとして一皮剥けた更なる飛躍が予想されます。

 高見澤監督も中谷選手も、優勝後のインタビューで台風災害にあった地元長野へ勇気と希望を少しでも与えたかったという想いをそれぞれ口にしていましたが、良い意味で予想を裏切られ、長野県民に勇気を与え、最後に“One Nagano”でスカッと締めてくれた今期の駅伝シーズンでした。
ムフ、やったネ!!

 1月18日の土曜日。
上田市塩田平の下之郷にある生島足島神社へお参りに行ってきました。
数年前に次女の良縁成就のご祈祷をしていただいており、些か時間は掛かりましたが、昨年の秋に無事そのお願いが成就しましたので、漸くお礼参りをすることになりました。
これまで、この生島足島さまだけではなく縁結びにご利益がある幾つかの神様にお願しております。その内、出雲大社はなかなか簡単に島根まで行けませんので、家内が上京した折に次女と二人で六本木にある出雲大社東京分祀へ既にお礼参りをしてありますし、地主神社や八坂神社、下賀茂神へは今月末に家内が京都に行ってお礼のお参りをする予定。そこで、今回残る上田の生島足島神社へお礼に伺った次第。
定年前の4年間毎日通った通勤路ですが、定年後は上田に行く要件も無いので生島足島さまへは3年振りでしょうか、久し振りの三才山峠です。
国道254号線の三才山峠。この有料トンネルも今年の9月に松本トンネルと併せて漸く無料化になるとのこと。因みに上田の平井寺は既に無料化されています。通勤の時に購入した普通車回数券がまだ手許に数枚残っていますので、この日は軽自動車ですが、この回数券を往復使用しました。
懐かしい通勤路。一般車両だけではなく、相変わらず大型トラックが多く通行しています。無料化されると、更に交通量が増えることでしょう。そのためか、上田市の平井付近で集落を迂回するバイパス工事が行われていました。

 古代から開けた塩田平の古社であり、武田信玄や真田一族の信仰も集めるなどした、式内社の生島足島神社。
そのため正月三ヶ日の初詣は付近が大渋滞になるので、この時期ならもう空いている筈と思ったのですが、駐車場はほぼ満車。境内も参拝客で結構な混雑です。しかもツアーの一環なのか、県外の大型観光バスも停まっていました。
この生島足島神社は、そのご神体が本殿(内社)の大地そのものとされる古社で、国家創建にも繋がるという生島大神(生みの神)と足島大神(足る=満たす神)の二神を祭神とし、諏訪大社の建御名方命(タケミナカタノミコト)が出雲から諏訪に下る際に立ち寄った折に、生島足島の二神に建御名方命が米粥を奉献したという言い伝えがあり、境内の摂社には諏訪明神も祀られていて、この生島足島神社でも7年に一度御柱祭が行われています。
今回、前回のお札をお納めしての次女の良縁祈願の御礼と、改めて次女たちの家内安全と長女の心願成就も含めて、しっかりとお参りをさせていただきました。
 今回久し振りに塩田平まで来たので、せっかくですので上田に通っていた頃ちょくちょく買っていた「御菓子司 喜八」に寄って、久し振りのどら焼き「鎌倉伝」を買って帰ることにしました。
人気が出過ぎたのか、今では基本的に週三日しか営業せず、しかも昔の様に電話での予約は受け付けず、営業時間中に直接来訪して買うしか無い様です。しかも(基本的には不定休ゆえ)急に休む日があるのに電話での営業日の問い合わせも受け付けないとのこと。実際、生島足島神社への初詣の際に久し振りに「喜八」のどら焼きを買いたかったので、年始に一月の営業日を問い合わせるべく何度か電話をしたのですが、呼び出し音を何度鳴らしても電話に出てくれませんでした。まだ若いご夫婦がやってらっしゃる和菓子店で、ご主人が職人気質で作ることに専念したいのかもしれませんが、しかしいくら電話受付などの対応が大変であったとしても、遠方から買いに来たいお客さんもいる筈であり、もし遠路はるばる買いに来て休みだったらガッカリですので、その意味では些か不親切。もしそうなら、せめてH/Pで案内すれば良いだけのこと。そこに然るべき知恵や工夫があっても良いのに・・・と思います。
今回も購入した看板商品の豆大福もどら焼きの「鎌倉伝」も、どちらも甘さ控えめでしっとりとした小豆餡で相変わらずの美味しさで、いずれも正に絶品。値段も豆大福が130円、どら焼きが162円と良心的。
しかし、太田和彦センセの云う良い居酒屋の条件「いい酒、いい人、いい肴」ではありませんが、品物が良いだけが“名店”の条件では決して無い筈。

 「御菓子司 喜八」。依然として商品が良いだけに、数年前と比べての“変化”が些か残念でなりませんでした。

 昨年は、国産レモン4個で作った我が家の常備調味料である塩レモン。
北アフリカのモロッコ伝統の万能調味料で、数年前から我が国でも人気となって、パスタに使ったり肉や魚のソテーに使ったりと、色々なレシピが紹介されています。
我が家での使途は、結局鍋用が殆ど。ポン酢の時だけでなく、醤油ベースの鍋つゆの時も活躍。塩レモンを使う時は、七味よりもブラックペッパーの方が相性が良い気がします。鍋以外の料理には殆ど使わず、結果レモン4個で二瓶に分けて作ったのですが、結局一年間で一瓶。従って、今回は国産レモン2個で作ることにしました。

 塩レモンのレシピを見ると、レモンの重量に対し、塩が10%~20%。マイルドか、或いは塩分を増やして長期間保存出来るように持ちを良くするかで濃度を選びます。レモンは皮毎使うので、無農薬の国産レモンを選びます。くし形でも、いちょう切りでも構わないそうですが、切ったレモンと塩を交互にまぶして瓶に詰めていきます。やがて塩が効いて熟成していくので、或る程度ギューギュー気味に詰めていっても大丈夫です。
昨年は15%作ったのですが、結果、一年経っても鮮度に全く問題はありませんので、今回も昨年と同じく15%で作りました。冷蔵庫ではなく、直射日光の当らない涼しい場所に置いて、毎日一回は(上下逆さまにする様に)振って発酵を促し、液にトロミが出てくれば完成とのこと。早ければ1週間、基本的には一ヶ月経てば十分に熟成が進みますので、冷蔵庫に入れて保存します。
 昨年作ったのが未だ一瓶ありますので、鍋だけではなく、例えばチキンソテーや鮭のホイル焼きかムニエルなど、今年は他の料理にも使ってみようかと思います。
【注記】
写真の左側が一年前に作った塩レモン。右が今年作って10日目の塩レモンです。既に少しトロミが出始めています。

 旧正月に行われる厄払い。松本地方では、連休の設定により、今では1月の12日と13日に厄除け縁日を行う寺社仏閣が多く、松本では内田の牛伏寺と蟻ヶ崎の放光寺が有名です。我が家では、歩いて行ける城山の放光寺へ毎年お参りに行っています。
日光山と号する放光寺は、元々は真言宗のお寺だったのが松本に吹き荒れた廃仏毀釈により荒廃し、その後曹洞宗に改宗して復興とのこと。その歴史は古く、730年に行基が開山し坂上田村麻呂が伽藍を整備したと伝わる、松本地方屈指の古寺です。

 同じ姉妹でも、誰に似たのか、長女の姉は親の我々が呆れる程に信心深いのですが、次女の妹の方は我々が呆れる程に無頓着。しかし、今年は次女が本厄の年となることから、昨年は我々メインにしていただいたのですが、今年は次女をメインにして、我々と長女、そして婿殿も併せてまとめて厄払いのご祈祷をしていただくことにして、12日の朝、ウォーキングを兼ねて放光寺へ歩いて向かいました。
放光寺は城山公園の駐車場が近いのですが、この厄除け縁日には遠方からもたくさんの参拝客が訪れるため、アルプス公園の駐車場も放光寺の臨時駐車場となり、そこから無料のシャトルバスが参道近くまでピストン輸送されています。
困った時の神頼みではありませんが、昨年の身近での災害や不安定な世相を反映しているのか、今年は例年にも増して多くの参拝客で、いつもは静かで然程広くはない境内もこの日ばかりは大変な混雑でした。
我々は早めに受付に並んだのですが、ご祈祷を終えて帰る頃には更に本堂での祈祷を申し込む人たちの列が更に長くなっていました。

 ご祈祷の受付を済ませ、一回200人近くか?、百数十人毎に待合室から本堂に案内され、独協が続き個別にご焼香をする間、何人かの僧侶が本堂内巡りながら、参拝者一人一人の両肩を分厚い経典で叩いていきます。その後、祈願内容と氏名が個別に読み上げられ観音様にお祈りが捧げられ、ご祈願がされたお札がそれぞれ参拝客に帰され、そのお札を持ち帰って自宅に祀り、来年までの一年間それぞれを守っていただきます。
 ご祈祷を終わった後、境内にある六角堂にもお参りをし、家族皆の一年間の安寧をお祈りし、厄除け縁日に合わせてダルマなどの縁起物を売る露店が並ぶ賑やかな境内を後にしました。
 「どうぞ、災害の無い一年になりますように!」

 江戸時代の名奉行大岡越前守忠相。徳川吉宗の享保の改革を町奉行、寺社奉行として補佐した実在の人物ですが、在任中に町火消の創設や目安箱設置などの民衆に寄り添った政策を実施して江戸庶民に人気があり、名奉行として、その後創作されたフィクション「大岡政談」により、講談や時代劇等で現在に至るまで大衆の人気を得ています。
その「大岡政談」は古典落語にも取り入れられ、中でもサゲにまで“大岡越前”が使われている「三方一両損」が大岡裁きの落語の演目として知られています。また「大工調べ」も南町奉行所に訴え出ていますので、越前が登場しない場合もありますが(昨年真打に昇進した柳亭小痴楽師匠で、以前生落語を聞いた時は大岡越前の名前は出なかったような気がしますが)、どうやら大岡裁きの落語の一つの様です。

 TV時代劇の「大岡越前」と云えば、亡き加藤剛が代表格でしょうか。その後NHKのBSでリメイクされ、主演は東山紀之。以前の源義経以来、時代劇にも適役と感心していましたが、この大岡越前もはまり役で既にシーズン5を数えます。

 今回も、年明けから第5部が全7話で開始される様で、今回は父忠高を演じた津川雅彦さんが亡くなられてしまい(同じNHK で数年前に演じられた「銀二貫」での井川屋主人和助役は、高田郁原作のイメージピッタリの好演でした)、ドラマでもそうなっているのは寂しい限りですが、他は同じ配役の由。
1月10日に放送された、第5部第一話の「頑固くらべ茶碗騒動」。この話のベースになっているのは、古典落語の名作「井戸の茶碗」。しかし、この落語は以前二ツ目入船亭小辰さんで聞いていますが、頑固者同士の人情噺であっても奉行所は登場せず、「大岡裁き」ではありません。
落語では、登場人物は頑固者同士の浪人千代田卜斎と細川藩藩士の若侍の高木佐久左衛門、その間に立つのが「正直清兵衛」と呼ばれるくず屋の清兵衛で、茶碗を最初買い上げるのが細川藩士の若侍で、最後にそれが高麗茶碗の名品「井戸の茶碗」と見抜き300両で買い上げるのは若侍の藩主である細川候です。一方、今回の「大岡越前」では、最初に買い上げるのは忠相の母妙。もし津川が生きていれば、父忠高だったかも知れませんね。そして、名品と見抜くのは時の将軍吉宗公という設定です。勿論一件落着は大岡裁きで、というストーリー。

 大岡越前では以前放送された中にも「文七元結」がベースとなっていると思われる回もありましたので、結構古典落語が使われていたりして、ネタ元を推測し一人ニタリとほくそ笑んでいます。

 正月に帰省して来てくれた次女夫婦。
婿殿の勤務の関係で、正月3日に来て一泊し、翌4日には帰京するという慌ただしい帰省ではあったのですが、帰って来て元気な顔を見せてくれるだけで、親としては何よりの孝行です。

 そこで、親バカさながらに、一生懸命おもてなし料理を作ります。
昨年は、米国から来た長女たちのために、如何にも「日本らしく!」とかなり豪華なおせちを取り寄せたのですが、結局余ってしまい、残ったおせちを捨てる訳にもいかず(我々が)食べるのに結構苦労したので、今年はおせちは無し。
そこで、いつもの黒豆と、松本の年取り魚(注)である鰤(ブリ)を今年はちょっと奮発して大きめの切目を買って、煮付けて正月のお客様用にも。里芋はいつもの煮しめではなく、婿殿の好物の煮っころがしにして私メが調理。
そしてメイン料理は、和牛ブロックでのローストビーフと、信州らしく次女の好物でもある馬刺しも用意。
更に暖かい料理もと、評判の良い地元の富成五郎のお豆腐を湯豆腐にして、食卓に用意した鍋で煮ながら熱々で食べることにしました。

 家内が一生懸命準備した甲斐もあって、おせちではありませんが、今年の正月料理も好評で、殆ど完食。作った甲斐もあろうというくらいに、キレイに食べてくれました。イヤ、良かった、良かった!

 明けての4日。家に居ても(箱根駅伝も終わって)することも無いので、どこかドライブを兼ねて、午後の帰りの電車まで観光に行くことにしました。
しかし真冬の信州ですので、松本城は天守閣が(国宝故に)吹きっ晒しの板張りの床で、火の気の暖も全く無い(首里城の火災は他人ごとではありません)ことから(勿論スリッパもありません)、寒い冬ではなく、夏にでもまた行くことにして、
 「さて、どこに行こう?」
個人的には、昨年国宝指定となった旧開智学校よりも、「どくとるマンボウ青春記」の世界そのままの旧制松本高校校舎(重要文化財)の残る「あがたの森公園」がお薦めなのですが、皆さん全く興味無さ気・・・。
そこで、まだ彼等は初詣に行っていないとのことから、車で行けて、そのまま観光にも廻れそうな安曇野の穂高へ行ってみることになりました。
海人の安曇族の祖神とも云われる穂高神社(信濃国三之宮。因みに、信濃一之宮は諏訪大社、二之宮は小野神社)に参拝してから、近くの碌山館や大王ワサビ農場に観光で行くも良し・・・という前提です。
ところが、穂高神社は駐車場の大分手前から参拝客車両の渋滞で車が動かず。昔から、穂高神社は自動車に乗ったままでの交通安全のお祓いでも有名なのですが、こんなに混んでいた記憶は無く、そこで今回はお参りを諦め。穂高神社の近くには碌山館もあるのですが、皆さん興味無しとのこと。“日本のロダン”荻原碌山もカタナシです。大王のワサビ園も、
 「今行っても、寒いだけで花も咲いてないし・・・」
と却下。
 「じゃあ一体どうすんの!?」
と選ばれた先は、観光ではなく、お蕎麦を食べに行くこと・・・。
そこで、時間節約で穂高神社近くにある「手打ちそば 上條」へ行くことにしました。
安曇野の蕎麦屋さんは山麓線沿いの有明地区に多いのですが、こちらは穂高神社や碌山館に近い住宅街に在り、写真家でもあるご主人の作品などを展示するギャラリーを併設したお洒落なお蕎麦屋さんですが、娘によると、最近嵐のメンバーが出演した旅番組でも紹介されたのだとか。そのためか、行列こそありませんでしたが、観光客の皆さんか、ほぼ満席の混み様でした。

注文は、私メが二八のもりそばを大盛りで、娘ももりそばと季節メニューの牡蠣の天ぷら。家内と婿殿は、上條の独自メニューである鬼おろしそば(辛味大根使用。でも家内に拠ると余り辛くなかったとのこと)の牡蠣天ぷらとワカサギに似たチカ(北海道根室の汽水湖である風連湖で採れる小魚とのこと)の天ぷら添えをそれぞれ注文。
蕎麦は更科系で細切りの二八蕎麦。香りは余り無かったのですが、腰は強くてまずまずでした。また、家内からお裾分けでもらった牡蠣の天ぷらは美味しかったですし、家内は、
 「カキだって買えば高いのに、5個も載っていてコスパがイイ!」
と褒めていました。
こちらでは、どのメニューも、お店の方から、最初に湯飲みに入った安曇野の湧水に浸した蕎麦を先ず食べる様にとのインストラクションがあるのですが、その“拘り”の割に蕎麦の香りがしないのは却ってマイナス効果なのでは?・・・と皮肉屋の私メ的には思ってしまいます。他でも水蕎麦をウリにしている店も無いではありませんが、果たしてどうなのでしょうか。むしろ、蕎麦よりも安曇野の天然水の方が美味しい!(ポットに入っていて自由に飲むことが出来ます)。
お三方は、ここの別の名物でもあるというアップルパイを食後のデザートにご注文。ホールのパイにふじリンゴを丸毎1個使っていて、シナモンが良く効いていて美味しかったそうです。味見をしましたが、個人的にはもう少しリンゴに酸味を(レモン果汁を多目にして)効かせた方がより美味しく感じると思います。本来、酸味のある紅玉の方がアップルパイには向いているのですが、今では入手困難なので止むを得ないでしょうね。
 食後は、せっかく安曇野まで来たので(せめてどこか観光にと)、国内有数の飛来地という豊科に在る犀川ダム湖の“白鳥湖”に寄ってみることにしました。場所は豊科田沢地籍。安曇野インターから安曇野スイス村方面へ向かう道路の途中に案内板があり、犀川方面へ向かって1㎞足らず。
田んぼの中の狭い道を行きますが、最近では結構有名になり、観光バスの駐車場まで近くに用意されているとか。自家用車は犀川の土手横に広い駐車スペースが準備されていました。ただそこまではすれ違いもやっとの狭い道と舗装されていない砂利道を進みます。駐車場には正月最後の日曜日とはいえ結構な台数の車が停まっていて、観光客や野鳥愛好家、アマチュアカメラマンなどの皆さんが(遠方からも)来られているようです。
数年前の鳥インフル禍の時は立ち入りが禁止されていましたが、今では又自由に見ることが出来ます。但し、ワンコは入場禁止。
後でネットで調べると、“犀川白鳥湖”には1984年に初めて白鳥(コハクチョウ)の飛来が確認されて以来、34年目となる今シーズンは1月1日現在で198羽飛来との情報が掲載されていました。
H/Pに拠ると朝6:30と夕方4:00に地元有志の方々が見守りボランティアでエサをあげているようですが、着いた時間が1時過ぎでその中間だったためか、自分たちでエサでも探しに皆どこかに遠征中で飛んで行っているのか、ダム湖にはホンの数十羽しか残って居ませんでした。むしろ、近くの池におびただしい数のカモがいて、こちらの方が却って見応えがありました。
多い年は1000羽近い飛来があるそうですが、余りの白鳥の少なさに些か拍子抜けで、スゴスゴと、
 「じゃ、家に帰ろうか・・・」
この日は、常念を始め北アルプスの白き峰々も雲の中。雪雲に覆われていて、せっかくの雄姿も残念ながら拝むことは出来ませんでした。
 「ま、山は逃げないし、また来いってことだね、きっと!」
と、暗に娘たちの又の帰省を促して、電車の時間まで一旦自宅に戻ることにしました。
【注記】
富山の氷見湾の寒ブリが、飛騨高山から“鰤街道”とも呼ばれる野麦峠を越えて信州松本平に運ばれて来たことから、長野県の中部以南は年取りの魚はブリ。一方、長野県の北部は新潟の日本海から千曲川を鮭が遡って来たことから、長野や上田地方の年取り魚は鮭。姨捨から下った長野寄りの稲荷山付近がその境界と云われています。

 毎年恒例の年末大掃除。
すす払い、窓拭き、床磨き・・・。一年分の垢?を落として、気持ち良く深淵が迎えられるようにと、今年も一生懸命。
勤めていた頃は、年末のカレンダー設定によっての時間的制約がありましたが、リタイア後は時間的には十分過ぎる程に余裕はありますが、逆に余り早く窓拭きをして、その後に雨や雪が降ると(風が強ければ)新年前に汚れてしまいますので、時間よりもむしろ天気予報を気にしての大掃除となります。
今回の年末は30日に雨予報だった(しかも風も強かった)ので、大晦日ギリギリでの外の窓拭きになってしまいました。

 初日に、二階のすす払いの後で掃除機掛けをしてから、拭き掃除、床磨きと内側の窓拭きをして、外側の窓拭きを残して二階は終了。
そして(いつも通りに晩酌後)早めに寝て、深夜に目が覚めて、何となく右手が“ダル、重~”。右手だけが全体に熱っぽく感じます。少し肘が晴れているような気もしたので、一階に降りて湿布薬を張ることにして薬箱などがある棚を探したのですが、良く分からなかったので、悪いと思ったのですが奥さまを起こして聞くことにしました。
そこで理由を説明して、晴れているように感じる右肘を見せたところ、家内が驚いて悲鳴を上げるではありませんか。
 「腫れてるなんてもんじゃないヨ!コブになってる。イヤだ、バイ菌が入って感染でもしてるんじゃないの!?」
自分では良く見えないのですが、どうやらコブの様にぷくっと腫れている様子。しかし、痛みは全く感じませんし、普通に動きますし、力を入れることも全く問題ありません。
 「大丈夫だよ。湿布だけして、朝起きて未だ腫れてたら医者に行くから」
 「もし感染でもしていたらそれまで待ってたらダメだってば!すぐにこれからお医者さんに行こう!」
と、自身が(骨折で)何度か連れて行かれて慣れている家内の“断固たる”勧めに従い、緊急医である相澤病院の救急外来へ行くことになりました。
着いたのが深夜の1時半。
受付と看護師の問診を済ませてから、外科医の先生の診断です。
夜勤なので若い先生でしたが、一目見るなり、
 「あぁ、これはカツエキホウエンですね!」
今迄全く聞いたことが無い単語に、「えっ?、えっ?」、「どんな字を書くんですか?」と何度も聞いてしまいました。
そのため、先生は端末のPCでグーグル検索をしてその画面を見せてくれました。
「カツエキホウエン」は漢字で「滑液包炎」。片や膝、肘などの関節などにあって、クッションの役目をしている「滑液包」に、何らかの刺激によって水が溜まり炎症が起きる症状とのこと。慢性的な刺激(例えば常に頬杖をついているとか)や、直近ではなくても、例えば半年や一年前の打撲でも発症することもあるのだとか。多くは謂わば関節の勤続疲労で、中高年や老人に多い症状とか。
先生の言われるには、痛みが無いのであればそのまま放っておけば自然に治癒するとのこと。整形外科によっては注射で溜まっている水を抜く医師もいるが、そのためにバイ菌が入ってしまうこともあるから、当院はそうした治療は実施していないとのこと。そして、
ぁ 「もし、(見た目で)気持ちが悪くて水を抜きたいのであれば、紹介状を書くことも出来ますが、どうしますか?」
と仰るので、実際全く痛みも無いことから、先生の勧めに従って何もせずにそのままにしておくことにしました。

 実際に痛みも無く、翌日からも大掃除をして無事新年に間に合わせることが出来ました。大掃除後も“滑液包炎”の方は特に痛みも出ず、年も明けての5日。腫れは引いいてきたものの、まだコブのまま・・・。
ま、機械も人間も勤続疲労で色んな所に“ガタ”は出て来るものですが、機械の様に部品を交換する訳にもいきませんので、騙しだまし使うしかないのでしょう。

 それにしても、子年を迎えて“大山鳴動ネズミ一匹”。
関節の軟骨や骨のカケラ(小骨片)が遊離して、関節内を自由に動きまわるために痛みが出るケースをネズミ(或いは“関節ネズミ”)と呼ぶことがありますが、今回は同じ関節でもそのネズミではなく、水が溜まっての炎症でした。いずれにしても、大騒ぎで、情けなくもトホホのネズミ年の年明けとなりました。
【追記】
新年早々グロテスクな写真掲載で誠に恐縮ではありますが、いずれにしても中高年のご同輩の皆さま。お互い勤続疲労には気を付けて、くれぐれもご自愛くださいますよう。以上、恥ずかしながらご参考までに。
【追記その2】
日頃の頬杖でもなるという「滑液包炎」。
毎晩奥さまとのチャンネル争いに敗れ、止む無く寝室の壁掛けTVをベッドに横になって頬杖を付いて寝ながら視ている私メ故、家内は今回の炎症はそのせいだと信じて疑わずに断定しているのですが、それって絶対違いますから!だって、TV視ている時の頬杖はいつも左手ですから!
最近は勿論、ここ一年間を遡っても、特に右肘を強打した記憶も全く無いので、従って結局は勤続疲労だろうと思います・・・。

 新年 明けましておめでとうございます。
2020年、信州松本より謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 令和での初めての元旦。朝起きてみると快晴で、空には雲一つありませんでした。そこで、日の出の時刻に合わせて、ナナの散歩を兼ねて家奥さまと初日の出を拝みに家を出ました。
ナナの病気以降は、遠出となるウォーターフィールド方面への散歩は避けているので、以来この時期の日の出を見ることはありませんでした。
そこで、念のためネットで松本の日の出時刻を調べると、6:59とのこと。記憶だと7時20分頃の筈なのですが・・・
 「そうかなぁ・・・?おかしいなぁ・・・?」
 「だって、どのサイトも6時59分てあるから、間違いじゃないと思うけど・・・」
ということで6時50分に家を出ました。今年はナナだけではなく、コユキも一緒です。コユキはブリーダーからの不要犬として捨てられて4月に埼玉で保護されたので、信州の冬は勿論、もしかすると屋外の冬の寒さは“犬生”初体験かもしれません。しかし、ブリーダーの声帯除去手術の影響で喉の咽頭に出来た膜が過呼吸気味だったのが、手術の結果嘘の様に楽になって、今では飛び跳ねる様に喜んで散歩に出かけています(しかし甘えんぼう故に、すぐに家内に抱っこをせがむのは相変わらず。そのため、伊豆の大室山リフトでお会いしたイタリアンハウンドを連れの方に教えていただいた小型犬用の抱っこ紐を家内は早速購入し、散歩の途中でコユキはすぐに抱っこ紐に入ってぬくぬくと)。
ところが、7時5分を過ぎても東山(我が家周辺から見ると、この時期は美ヶ原と鉢伏山の間から太陽が昇ります)は白んではいても、お日さまは顔を出しません。やはり、日の出は私メの記憶通り7時20分頃の様です。
7時20分、我が家の辺りからだと、この時期の太陽は美ヶ原の王ヶ頭と鉢伏山の中間、ちょうど山辺の谷の辺りから上って来ます。雲一つ無い、久し振りの見事な初日の出に、家内と(ナナとコユキも)一緒に、NYに居る長女と横浜に住む次女の分も合わせて、今年一年の家族の安寧を祈りました。 

 年末年始の我が家は、ワンコたちと年寄りだけでのお年取りと令和最初の元旦を迎えました。
NYに居る長女たちとはTV電話で“Happy New Year!”。そして、新婚の次女たちとは電話とLINEの“明けおめ”メールで年始のご挨拶。
でも次女が、先に先方のご実家への新年の挨拶を済ませてから、明日婿殿と一緒に松本へ帰省してくれる予定なので、遅れ馳せでチョッピリ賑やかなお正月になります。
 世の中色々不透明さが増してはいますが、どうかフルに一年間が令和となる今年は、災害の無い穏やかな一年であって欲しいと思います。
因みに、今日掲載した写真は、我が家周辺からの令和最初となる昨日の初日の出と、隔週でお水を頂きに行っている“名水”松本湧水の源智の井戸の祠。地元の方々が定期的に清掃をして守っていただいているので、お礼を兼ねて(水は無料ですが)毎回少額ですがお賽銭を入れてお礼をしているのですが、脇の南天の赤い実も映えて、祠も正月用の装いでした。
そして、年末に東山の東雲街道は塩尻の北熊井地区から眺めた、元旦同様に快晴だった年末の北アルプス。南は穂高連峰から常念、白馬方面と続く白き峰々です。
 今年一年の皆さまのご多幸を、ここ信州松本より謹んでお祈り申し上げます。どうか良い年になりますように。
本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

                      カネヤマ果樹園一同+ナナ&コユキ💛