カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 定年まで上田に通っていた時の通勤路沿いには、三才山峠を下った所に在る鹿教湯温泉に始まり、信玄の隠し湯という大塩温泉、そして霊泉寺温泉と幾つかの温泉があり、これらをまとめて丸子温泉郷と呼ばれています。
その中で、一番上田の市街地側になる平井地籍に在るのが霊泉寺温泉。
大きなホテルなどもある鹿教湯と比べて、小さな温泉旅館が4軒だけという静かで鄙びた温泉です。

 この霊泉寺温泉に古びた共同浴場があり、以前先輩から、「華やかさは無いけど良い温泉だ」と聞いていました。
この共同浴場は、年中無休で朝7時から営業していて、しかも入浴料はたったの200円。温泉はアルカリ性単純泉のかけ流し。
奥さまが娘の処に上京し、母はデイサービスで不在。勤めていた時に購入した有料の三才山トンネルの回数券がまだ手許にあり、今年の9月で無料になることから、有効な今の内にと平日の午前中に行ってみることにしました。
自宅からはゆっくりと走って30分ちょっと。
案内板に従って、国道254号線から細い横道に入り1㎞。霊泉寺川の谷合にお寺のお堂が見えると、そこが名前の縁の霊泉寺です。

 この「霊泉寺」が霊泉寺温泉の入口で、お寺の横に無料駐車場がありましたので、そこに車を停めて50m程でしょうか、古びた旅館が数軒道の両側に達つ先に公民館の様な共同浴場がありました。
入口で入浴料200円を払い中に入ると、狭い脱衣場がありました。先客で地元のお爺さんが入っておられ、平日の午前中ということもありましょうが、結局最後までこのお爺さんと二人きりでした。
浴
槽は2m×4m程の内湯のみですが、浴室はガラス窓が大きくて明るいので開放感があって広め。しかし、洗い場に石鹸やシャンプーの備えもありませんし、蛇口も4つでどこにもシャワー設備はありませんので、どちらかというと洗うというよりも温泉に浸かる・・・という感じでしょうか。
単純アルカリ性という無色透明のお湯は思った程熱くは無く、割と長く入っていられそうでした。しかしシャワーも無いので髪は洗い辛く、結果体だけをさっと洗ってお湯に浸かるのを楽しんで帰ることにしました。
 駐車場に戻り、せっかくですので横の霊泉寺にお参り。結構広い境内を持つ立派なお寺で、寺の由緒書きの看板に依ると、安和元年(968年)に鎮守府将軍の平維茂が開基し、空也上人の開山によって創建されたという伝承があるそうです。弘安元年(1278)平頼臣繁有を開基に霊峰源興禅師を開山として臨済宗建長寺の末寺として再建され、その後、天正二年(1574)に武田信玄の助力により高井郡谷厳寺魯庵俊誉禅師を中興の開山として復興、曹洞宗の寺となった由。本堂西側には阿弥陀堂があって、ご本尊の阿弥陀如来は鎌倉末期の作といわれ県宝に指定されているとのこと。この地も外れとはいえ早くから開けた塩田平の一角ですので、北条氏が治め庇護した“信州の鎌倉”に在る寺として古い歴史がありそうです。
そして、入り口の門の横には、樹齢900年、太さ9.4mだったという大ケヤキが在ったそうですが、平成20年(2008)7月26日に倒壊、伐採されて、今はその太い幹と根っこが大きな切り株として残っているのみでした。
 この霊泉寺温泉は、平維茂が鬼女紅葉退治の後にここの湯で傷を癒し、霊験あらたかな湯であると寺を建立し霊泉寺と名付けたところからこの名が付いたと伝えられていて、元々は寺湯。
まるで、昭和30年代のまま時計が停まった様な静かな佇まいの風情のある、山間の古びた温泉です。嘗て、白樺派の文豪、武者小路実篤がこの中の旅館に逗留したこともあるのだそうです。
そんなレトロな“山の出で湯”として、都会の喧騒を避けての温泉好きの人に親しまれているそうですが、真冬の平日故かどの旅館にも人の動きは無く、どうやらこの日は宿泊客は誰もいなさそうでした。

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