カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 新型コロナウイルス禍で3月に予定していた旅行もキャンセルしてしまいましたが、春分の日の三連休を前にして、或る程度感染拡大を抑え込めているという報道もあったので、せめて近間にナナとコユキも連れてドライブに行くことにしました。
選んだ行先は木曽奈良井宿です。奈良井は、旧木曽郡楢川村から平成の合併により現在は塩尻市になっていますが、個人的には奈良井宿はやはり木曽路の宿場町で、塩尻市と云われてもピンときません。塩尻はせいぜい本山宿まででしょうか。
さて、前回の日帰りでの横浜往復で、コユキもクレートに入らずに車に乗ることに多少は慣れた筈。今回はクレートも持たずに、奥さまとナナと一緒に後部座席に座ります。そうは言っても、どこへ連れて行かれるのかという不安での緊張はいつも通り。すぐにはリラックスという訳にはいかない様子です。
 奈良井へはいつも通り、奈良井川の堤防道路から洗馬を抜けて、本山で国道19号へ合流します。途中、塩尻から朝日村一帯での畑から巻き上げられた砂嵐に初めて遭遇。地元紙に依れば朝日村のレタス苗の植え付けに農家の方がゴーグルを着けて作業をしているとのことでしたが、そうした畑から舞い上がった土埃なので或る意味農家の方は自業自得かもしれませんが、住宅地では勿論洗濯物は戸外には干せず、ひどい日には数センチ庭先に砂が積もるなど、いくらこの春先の風物詩とはいえ、ここまでひどいと最早公害のレベルでしょう。

国道19号に入って、日出塩と贄川の間、カーブが連続し道幅が狭くなる桜沢地籍で新しいトンネル(1.5㎞とのこと)の掘削工事が行われていました。
この桜沢が尾張藩と松本藩の境界で、平成の合併までは木曽郡楢川村と塩尻市の境界でもありました。奈良井川の谷合で両側に山が迫り、国道脇に「是より南 木曽路」の石碑が建っています。ここを車で通過する時には、
「さぁ、いよいよころから木曽路に入るんだ。」
と、急カーブが続き事故の多い木曽路の国道を運転するのに気を引き締めたものですが、トンネルが開通したら一体この碑はどうなってしまうのでしょうか?・・・。因みに、中山道の馬籠宿・落合宿間に「是より北 木曽路」の碑が在って、この碑と対を成しています。
 松本の自宅からは1時間半。ガラガラかと思っていた駐車場には、意外と車が停まっていました。しかし、県外車を含めて普通車だけで、前回来た時の様な大型観光バスは一台もありません。やがり、コロナ禍で観光ツアーは自粛されている様です。
中山道六十九次で江戸から来ると、街道で一番の難所と云われた鳥居峠を控えて旅人が歩を休めたのが、この“奈良井千軒”と云われて栄えた奈良井宿。東西1㎞に亘り、今も江戸時代にタイムスリップしたかの様な町並みが続きます。今回はドッグバギーも積んで来たので、江戸側からは下町、中町、そしてクランクになっている「鍵の手」を曲がり、朝ドラ「おひさま」のロケも行われた上町へと、久し振りに宿場の端から端まで歩いてみることにしました。
さすがに三連休ですので、我々の様なワンコ連れなどの観光客が多少は歩いておられましたが、奈良井は1㎞にも及ぶ長い宿場ですので殆ど疎ら。自粛、自粛では息が詰まりますから、きっと皆さん同じ思いなのでしょう。しかし、インバウンドの団体やツアー客の姿は全くありません。いつもの週末に比べれば閑散としています。
まだ11時半でしたが、奈良井宿で唯一ワンコOKというお蕎麦屋さん「越後屋」で早めにランチにすることにしました。
こちらは、ウナギの寝床の様な間口の狭い町屋の建物は、中に入ると奥までずっと続いていて想像以上に広いのですが、奥のテーブルではなく、二階へ上がる階段で仕切られた入り口から入ってすぐのスペースにある4卓だけは、ペットも一緒でOKとのこと。女将さんから、
 「ワンちゃん、出してもらって構いませんヨ!」
とのことでしたが、しかし背もたれの無い和風の椅子で小型犬でも座りにくいので、店内でもそのまま二匹一緒にバギーに載ったままにしました。人間より先に、おやつを食べて水を飲ませてから、我々の食事の注文です。
一応手打ちとの書かれていた店先の看板に、私メはザル(2枚)、奥さまは温蕎麦で木曽名物のすんき蕎麦。それと五平餅。
ソバは手打ちとのことでしたが、まぁ観光地ですから・・・。でも奥さまの頼んだすんきは自家製らしく大変美味!それと、それぞれ小鉢で付いて来たお漬物の中の木曽らしい赤かぶ漬けも美味しかったです。先人の知恵でもある、塩を使わないすんき漬けは、山奥で塩が貴重だった昔から木曽地方に伝わる国内でも珍しい発酵食品。赤かぶの菜を使います。
コロナ禍で、食べている間のお客さんは我々だけ。女将さんも手持無沙汰の様で、給仕をしながら世間話です。3.11の時は、その後放送された朝ドラ「おひさま」のお陰で奈良井宿は観光客が増えて助かったそうですが、今回は収束するまでは止むを得ないでしょうね、とのこと。
因みに、奈良井宿は町並み保存で電柱を地中化していたため、「おひさま」の時は昭和初期にタイムスリップして、ロケ用にとわざわざ木製の電柱を建てたのだとか。
 食後、中町から上町を経て鎮め神社まで。
戻る途中で、いつも閉まっていた「クローマ」が開いていたので覗いてみました。こちらは本物の草花を使ったアクセサリーを販売している店で、何年も前、上の娘と家内がブローチを購入しました。
眺めていると、バギーに入っているナナを認め、
 「そのワンちゃんはシーズーですか?」
聞けば、17歳になるシーズーを飼われていて、若い頃ナナと同じ病気をして今でも薬を飲み続けているそうですが、頑張って17才になるとのこと。
 「シーズーは意外と強いのかしら・・・ネ?」
まるで同じような境遇に、何とも励まされました。
その後、私メは今回も看板犬のいる喫茶店にワンコたちの一緒に入りたかったのですが、奥さまは寄らずに直帰して、午後遅くなると売り切れてしまう人気店に寄って、明日の来客用のお団子を買って帰りたいとのことで、食事も含めて1時間程度の滞在だけで早々に奈良井宿を後にしました。
 帰路は家内は助手席に乗って、ワンコたちだけで後部座席に。
半分以上はバギーに乗っていたとはいえ、お出掛けに緊張して疲れたのか、二匹で仲良く寝ていました。

 最近、後継者問題も含めて、長い間親しまれて来た老舗店舗の店じまいが目立ちます。
松本でも、3年ほど前に土蔵造りで親しまれていた中町のカレーの「デリー」が閉店してしまいました。確か、私が中学生くらいの頃開店したと思います。カレーではカツカレーの「たくま」も閉店してしまいました。
“蔵の街”中町に相応しいデリーの建物は、松本民芸作家のギャラリーとして再出発するとのこと。
 最近地元紙で、大名町にある古書店「」が閉店するという記事を見ました。「青翰堂」は古本だけでなく、切手や古銭も扱っていて、切手収集に熱中していた小学生の頃、お年玉やお小遣いを貯めては、「見返り美人」や「月に雁」に代表される切手趣味週間の切手やや国際文通週間の「東海道五十三次」の切手など、自分が集める前に発行され値段が高くなっていた切手を一枚、また一枚と買い集めるのが夢で、買えるだけのお小遣いが溜まると、それを握りしめて自転車に乗って「青翰堂」まで勇んで買いに行ったものでした。
その「青翰堂」は、松本城天守を模した三層の建物。閉店を知らせる記事に依れば、
『「若い山バトの羽」を意味する「青翰」。なじみだった画家が名付けた。時代の流れを読み、新たな感覚と価値観を提案する店に―との思いが込められている。松本出身の花岡重雄さん(故人)が終戦直後、中心市街地に創業した「花岡書店」が前身。現在地に移転したのをきっかけに現店名に変更した。
郷土誌、歴史、美術書、文学書、和紙を糸でとじた明治時代を中心とした「和本」など学術関係の他、漫画、女性向け雑誌なども置く。古い記念切手や海外の切手、戦中の絵はがきなども扱った。
国宝松本城天守が1950~55年の「昭和の大修理」で覆われ、姿を見られなくなったのを寂しく思った花岡さんが、それまでの店舗を現在の形に建て替えた。「祖父(重雄さん)は商売好きでサービス精神旺盛だった。人が思い付かない、すごいことをやったなと思う」と2代目店主、頼充さん(84)の長女(56、山形県)。
頼充さん夫妻が高齢となり、経営が難しくなったため店を畳むことに。頼充さんは「約70年の長きにわたり、多くの人に来店してもらい、感謝しかありません」。借り手は既に決まっており、貸店舗として再出発する。』
私も、昭和の大修理で松本城の天守閣が見られない観光客のために、店舗を松本城を模した三層のミニ天守閣に改築。街の名物として、店をバックに記念撮影をしていくお客さんが絶えなかったそうです。
私メは切手だけで古書を購入することは無かったのですが、今は亡き先代の店主さんには子供の頃お世話になりました。

松本城に行った折、大名町まで足を延ばして「青翰堂」まで行ってみました。前日が最終営業日だったらしく、店は閉まっていて中に入ることはかないませんでしたが、子供の頃のお礼をして帰って来ました。
「子供の頃お世話になりました。長い間ご苦労様でした」

 旧制高校があったからとはいえ、以前の“学都”松本は地方都市としては異常なほど本屋さんが多かったのですが、少子化やネット社会、そして子供たちがゲーム依存で本を読まなくなったことも手伝って、本屋さんがどんどん減ってしまいました。そして、古書店とはいえ「青翰堂」もその中に含まれてしまいました。
書店数というのは、或る意味その都市の文化度を測るメジャーだとか。残念ですが、また一つ松本の老舗が姿を消してしまいました。

 コロナウイルス禍で、インバウンドは勿論、国内旅行も皆出控えているため、観光地はどこも閑古鳥でしょうか。

 先日市役所に行く用事があり、当然平日ですが、ついでに松本城へも行ってみました。
松本城もですが、図書館や美術館や博物館、公民館などの市の施設は、現在新型コロナウイルスの感染防止のために閉鎖されています。
三寒四温で時折雪が舞う寒い日でしたが、気候だけでなく、殆ど人のいない松本城公園も寒々した風景が拡がります。
黒門へ行ってみると、「閉鎖中」の案内板に記載されていた注意書きの文章。
「現在新型コロナウイルスの感染防止のために閉鎖中ですが、せっかくお越し頂いたので、天守閣には入れませんが本丸庭園は無料開放中です」とのこと。
閉鎖中であることは知っていましたが、本丸庭園が無料開放されていることは知りませんでした。入ってみると、県外から来られたのでしょう。数人の観光客の方々が思い思いに写真を撮ったり、説明版を診たり、本丸庭園を散策されていました。併せても10人もおられなかったと思います。独り占めではありませんが、国宝のお城をゆっくりと眺められて随分贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
余談ですが、昨年の旧開智学校の国宝指定に合わせ制作された「文武両宝」と記載された松本城と開智学校のポスター。「なかなか上手い!」と思いませんか。市民の誇りである二つの国宝も残念ながら今は閑散としていますが、いつになったら普段の賑わいがまた戻るのか。

 松本城公園では梅が満開でした。桜は例年4月の上旬なのですが、今年は当初の3月29日予想が更に早まって27日がソメイヨシノの開花日とのこと。沢村にある松本測候所が無人化されて以降、松本の桜開花は松本城のお堀の桜が観察木となり管理事務所の職員の方が毎日チェックをされています。市内沢村の高台にある測候所から、松本では一番早く咲くと云われる外堀沿いの片端の桜の場所に近づいたため、高台にあった測候所内の標準木よりも数日開花が早くなりました。
松本城の桜が咲くと、開花宣言の三日後から夜桜会として女鳥羽川河畔から松本城の内堀周辺の桜がライトアップされ、本丸庭園も無料開放されて、観光客の皆さんだけでなく我々市民も繰り出して大変な賑わいなのですが、果たして今年は花を愛でることが出来るのか・・・。どんな年であっても桜はいつもの様に咲いてくれると思いますが、せめて花を愛でる心のゆとりが持てる様な社会になっていて欲しいと願いつつ・・・。
【追記】
コロナウイルス感染拡大防止のため、公開中止や閉鎖されていた松本城天守閣、旧開智学校、市立美術館等の市の施設は、殆どが本日25日から公開再開或いは開館となりました。
【追記2】
渡航歴などの無い松本市内在住者の感染が確認されたことに伴い、27日より市の管理する殆どの施設が再度公開中止や閉館となりました。

 3月中旬。新型コロナウイルス禍でワンコたちとの泊り掛けでの旅行を取り止めたこともあり、人が集まらず密集するような場所で無ければ良かろうと、ワンコたちとどこかドライブがてら出掛けることにしました。
思えば、米国滞在中の長女はともかく、横浜に住む次女はコロナウイルス禍のために昼間は一人で家に閉じ籠りがち。世間では今や“コロナ鬱”とまで言われるケースもあるとのことから、どうせ行くのなら次女の気晴らしになればと、ワンコたちを連れて日帰りで次女の住む横浜まで初めて車で行ってみることにしました。

 前回、上田まで行った時に、コユキは初めてクレートから出てドライブをしたのですが、後部座席に家内と一緒にいても、最初は一体どこに連れて行かれるのかという不安で震えていたのですが、結果的に家内とナナも一緒であれば、最後はリラックスして二匹で寝ていられるようになったので、今回も後部座席に家内とナナとコユキが一緒。ドッグバギーをトランクスペースに載せ、隣の助手席には念のために空のクレートが鎮座まします。
NAVI設定で、次女の住む横浜へは、中央道の八王子JCTから圏央道に入り、海老名JCTから東名の横浜青葉IC経由で3時間半の行程。同じ横浜に住む母方の叔母たちが、いつも松本まで帰省して来るルートです。

 途中、中央道の談合坂SAでトイレ休憩。双葉SA同様ここにもドッグランもあるので、ナナとコユキは小型犬用のドッグランへ。誰も居ませんでした(SAそのものもコロナ禍の影響なのでしょう、経験無い程ガラガラでした)ので、リードを外して占領です。水を飲んでおやつも食べて。店舗で次女の好きな信玄餅をお土産に購入し、一路横浜を目指します。
中央道に比べ、圏央道は混んではいましたが、常に渋滞する海老名JCTも然程ではなく(伊豆に行った時の帰路は大渋滞でしたが)スンナリと東名へ。考えてみると、初めて東名を走ります。横浜青葉ICも混雑はなく、一般道を走り次女のアパートへ無事到着。
直ぐに、ワンコたちも一緒に近くの遊歩道へ1時間程のウォーキングへ。家内と娘がワンコを連れ、私メは疲れたら載せるためにドッグバギーで。
アパートから暫く歩いたところにある都筑区の茅ケ崎公園へ。ここは都市公園ですが、雑木林や里山が自然のまま残されていて、園内の起伏のある丘陵地帯に芝生の広場や溜池、プールなどが配置され、林の中を遊歩道が結んでいます。都会にこんなにも自然が残されているのを感心する程です。山ではありませんが、何となく松本のアルプス公園を連想させます。
ウォーキングやジョギングをされている方々は勿論、学校が休校中のため、広場には子供連れの若いお母さん方が目につきました。家の中に籠ってばかりはいられないでしょうし、近くにこうした場所があれば救われます。
1時間半ほど親子(母娘)で散策。ワンコたちもバギーにも乗りましたが、思いの外一生懸命歩きました。時々ウォーキングをしているようですが、家に籠っていては“コロナ鬱”にもなりかねませんので、久し振りにナナとコユキに会って母親とも話が出来て多少なりともストレス解消にもなれば幸いです。
それにしても、近くにこんな素敵な場所があって、住むのに本当に良い所です。人気の程が理解出来ました。
 写真は、遊歩道の途中で見つけた、彼岸桜と緑のトンネル。そして小川の縁に自生していたアジアンタム!?です。
都会では逃げ出したインコが野生化して群れを作っているという話を以前聞いたことがありますが、温暖化とはいえ、熱帯アメリカ原産という観葉植物が野生化して自生しているとは・・・驚きでした。

 先日、ネット配信の中で見つけた、諏訪地方中心とする地方紙「長野日報」の1月14日付けの朝ドラ「スカーレット」に関する記事。

 それは、今回の朝ドラ「スカーレット」のモデルとされる女性陶芸家神山清子さん、そのお弟子さんだった方が茅野市に在住なのだとか。
その記事を引用させていただくと、
『弟子入りしたのは、茅野市宮川在住の濵瑞香さん(52)。会社勤めをしていた24歳のとき専門誌で見た神山さんの作品に魅かれ弟子を熱望。最初は断られたが「窯を焚くから見においで」と誘われて出掛け、車の免許を取ることを条件に許可が下り、1991年7月から15年間住み込みで働いた。
濵さんは「弟子というより家族として受け入れてくれ、母と娘のような関係だった。聞いていた昔の話もまさに波乱万丈で、いつも『朝ドラ』にぴったりだと話していたので、ドラマになると公表された時はうれしくてすぐに電話をかけた。いつも前向きで何があっても笑い飛ばす強さを持っていた」と振り返る。
神山さんは、子どもを育てながら研究を重ねて「信楽自然釉」の再現を果たした女性陶芸家の草分け。陶芸家で息子の賢一さんが急性骨髄性白血病で倒れ、闘病を支えながら骨髄バンク設立に尽力。賢一さんは若くして亡くなるが、その半生を映画化した「火火」(2005年)は日本のみならず韓国や中国などでも高く評価された。映画では、田中裕子さんが神山さんを演じた。06年には濵さんの仲立ちで、諏訪市で上映会と神山さんの公演(諏訪市男女共同参画市民協議会など主催)も行われた。陶芸の道には進まなかった濵さんだが、茅野に戻ってからも連絡は取り合い、結婚のときには、絵付けの角皿30枚を贈ってくれ、出席者の記念品にしたという。
濵さんは、自身で成型し、先生に焼いてもらった緋色の壺や、賢一さんが手掛けた天目茶碗など思い出が詰まった作品を広げ「ドラマを通じて信楽がもっと身近になってもらえたらうれしい。関連の書籍もたくさん出ているので読んでみて」と話している。』

 来週が最終週となり、いよいよ今月末で終了する朝ドラの「スカーレット」。
スカーレットというのは日本語で云えば緋色ですが、神山清子女史の生み出した自然釉がその緋色なのだとか。それを知って、初めて作品名に納得がいきました。
どんなに辛くシンドイ場面でもボケとツッコミを忘れずに、“可笑しくてやがて悲しき”で泣いて笑って・・・。松竹新喜劇や吉本的で、如何にも大阪制作だと感じますが、その「スカーレット」で一番感心しているのが主題歌「フレア」です。歌っているのは、ヒット曲「愛をこめて花束を」で知られる「Superfly」。ボーカル越智志帆嬢の歌声に感心しています。比較して申し訳ないのですが、「いきものがたり」のボーカル吉岡聖恵嬢の様な耳障りな音質ではない。プロの声楽家の様な本格的なボイストレーニングを受けている訳では無いでしょうが、高音も伸びやかでしっとりとした、天性の声質です。そして、「フレア」という主題歌がイイ。以前、「あまちゃん」の主題歌は、甲子園のブラバンの応援曲向きと感じ、実際にそうなっていますが、今回のこの曲は合唱曲に向いている様に感じます。

 残りの放送も、あと僅か。ストーリーは、どうやらハッピーエンドにはなりそうもありませんが、未来に向けてどんな「完」を描くのか・・・。特にファンではありませんが、でもやっぱり戸田恵梨香は上手いなぁ!

 前回ご紹介したモズのモッくん。
実際の姿は見ておらず、薪割理の際に薪の中から出てきた芋虫を並べておくと、無くなっていることがあったので、多分モズが現れて食べているのだろうと思っていたのですが、先日とうとう姿を見せてくれました。

 3月7日の土曜日。翌日が雨かみぞれ予報だったので、晴れ予報だった土曜日に一週間分の薪を用意しておくことにしました。
いつもの様に太めの薪を半分に割っていると、いつもの様に芋虫が何匹か出て来ました。そこでまたいつもの様に近くの排水溝のコンクリートの蓋の上に芋虫を並べておきました。
割った薪を竹蓑に入れてその場を少し離れると、背中が黒でお腹が橙色をした小鳥がさっと近くの木の枝に飛んで来ました。間違いありません、モズ(百舌鳥)です。
漸く姿を現してくれました。しかし、薪割の最中も警戒することもなく、近くの枝に留まって薪割が終わるのを待っていた10年程前の最初のモッくんとは違って、警戒して人間がいなくなってもすぐには舞い降りては来ません。もし、人間の姿をちょっとでも認めるとパッと飛び立ってしまいます。
そこで見ているのを諦めて薪を運んでから戻ると、その間にモッくんが安心して食べたようで、芋虫はキレイに全部無くなっていました。
二度三度繰り返していると、少しは安心したのか、10m程離れて見ていると、枝から舞い降りて啄む様になりました。
 一代目のモッくん程は未だ慣れてはくれていませんが、多少は安心してエサを食べられると分かってくれたのでしょう。
また一週間後の再会を(勝手に)約束して、三代目のモッくんに暫しのサヨナラを・・・。
 「また、来週来るからね !♪」
【注記】
遠目のため写真がボケていますが、黄色の枠内がモッくんでピンクの枠内に芋虫が並んでいます。

 新型コロナウイルス感染は、この先一体どうなるのでしょうか?
感染状況の実態の怖さよりも、むしろウイルスそのものが未だ完全に解明されておらず良く分からないこと、そうした見えないものへの恐怖、得体の知れないことへの漠然とした不安感が先行している様に思います。
そのため、何もかも後ろ向きにならざるを得ず、我々もワンコと一緒に3月中旬に旅行に行く予定だったのですが、旅行先のレジャー施設が閉鎖になったり、人込みは危険だったりという不安もあり、せっかく予約出来ていたペットホテルもキャンセルし、結局旅行は取り止めにしました。更に、毎年この時期に実施する予定だった同期会も残念ながら中止(延期)せざるを得ませんでした。

 それにしても気になるのは、クルーズ船対応から始まった政府の対応に全て満足は出来ないまでも、朝のワイドショーなどは各局のアナウンサーも含めた専門家でもない素人のコメンテーター諸氏の、何の根拠も無い憶測での偉そうな批判ばかりにはウンザリします。少なくとも、公共の電波である以上、発言しっぱなしではなく、発言したこと(内容)への責任を持つべき。もし、事後で発言が間違っていたことが分かったら、キチンと訂正して謝罪すべきでしょう。聞いているだけでムカついてくるので、勢い、客観的事実だけを述べるNHKの報道中心に視聴するようになってしまいます。

 9年前の今日、3.11の東日本大震災の時は、(東北産品を)買ったり食べたり、或いは観光をするなど、萎縮せずにむしろ行動することの方が経済活動など社会全体が好転していくことに繋がったのですが、今回は(全体像が見えるまでは)行動せずに萎縮せざるを得ない分、経済活動も含め社会全体が余計に萎縮せざるを得ないという悪循環になっています。それを脱却するためには、世界中の科学者と薬品メーカーが協力して情報を共有化した上で、ウイルスそのものを解明し、一日も早いワクチンや簡便な検査方法の開発と即効性のある特効薬なり処方箋の確立が第一義です。

 長野県内で初めての感染者が松本市内で確認された時に、ご自身が医師でもある菅谷市長がいみじくも、「感染予防として一番重要なのは、人間が本来持っている免疫力、抵抗力を高めることだ」と指摘していましたが、まさにその通りだと思います。

 陽気は次第に春めいて来ましたが、社会全体の一体いつになれば“春近し”と実感出来るのか・・・。それこそ、神頼みでも、“春よ来い!早く来い!”

 温泉の後、久し振りに「勝味庵」に向かいました。茅野市宮川にある“とんかつとイワシ料理”の「勝味庵本店」です。
思えば、この日は改元しての初めての天皇誕生日。せっかくの連休なのに、残念ながら新型ウイルス禍で普段よりも旅行客は少ないとはいえ、そこは三連休ですので少なくとも平日よりは混んでいる筈。
 ということで、開店時間の11時半に合わせて向かったのですが、到着すると既に行列で、20台程ある駐車場も残り数台。そして、呼ばれる順番を持っている間に駐車場は満杯になりました。殆どは諏訪や松本などの地元ナンバーばかりですが、県外ナンバーの車も数台。茅野という場所柄、観光客の一見さんというよりは蓼科の別荘族の方々だろうと拝察しました。因みに、3月末に茅野市内に東信が本拠のスーパーマーケット「ツルヤ」が初出店するのですが、軽井沢に近い御代田町の店舗同様(例えばチーズ類など、他の店舗とは全く品揃えが違うのだとか)、茅野店も別荘族相手なのだそうです。
 諏訪エリアの飲食店では、茅野のビーナスライン沿いにも蕎麦屋はたくさんありますが毎回蕎麦では飽きるでしょうし、またリゾートエリアにもジビエやビストロ系の有名店もありますが毎度毎度は厳しいでしょうし、あとは諏訪岡谷のウナギくらいなので、ファミレス(すかいらーく創業者兄弟は諏訪出身)やラーメン屋さん(餃子のテンホウは諏訪中心の中華チェーン)を除けば他にこれぞという店は余り無いので、分かりづらい場所に在るこの店にも地元を良く知る別荘族の方々なら多分来られるでしょう。それにしても、決して便の良い所でもないのに、しかも車でしか来られないのに、いくら他に行く処が無いとはいえ、この繁盛ぶりは大したものです。
その後も、何台も車が入って来るのですが、駐車場が一杯で諦めて帰って行く車が多い中で、玄関先や路上に停めて店舗に入って行く方も・・・。すると、暫くしてたくさんの箱を抱えて来られました。どうやら、事前に電話でお弁当を注文されていて取りに来られたようです。自宅の場所にも寄りますが、これなら多少冷めるとしても待つことも無く食べられますのでグッドアイデアだ思いました。

 さて、テーブル席に案内されると直ぐに取り皿やゴマの入ったすり鉢、野沢菜漬けなどの小鉢が運ばれて来ました。待っている間に、いつもの様に、お義母さんと家内がミックスフライ、私メには鰯定食、そして季節限定のカキフライも一品で追加して既に注文してくれてありました。
そこで、ゴマをゴリゴリと摺って待ちます。お母さんによれば、木曽檜のすりこ木は本数が限られるので、ゴマをすり終われば回収して他のお客さん用に使うのだそうです。摺りたての何とも香ばしい香りがします。単に摺りゴマでサーブするよりも、待つ間の時間つぶしも兼ねてなかなか良い趣向だと思います。
 たっぷりの千切りキャベツも。ご飯とシジミのお味噌汁もお替りOK。
鰯定食の、ショウガ醤油で食べる刺身はプリプリ。ポン酢での揚げ物、フライもさくさく。鮮度の良さが分かります。カキフライも岩ガキかと見紛うほど大粒。どれも確かに旨い!前回同様、店のイチオシのトンカツは当然として、山国信州で、このイワシとカキの鮮度なら文句なしどころか大満足。
築地、松本、甲府の市場から都度新鮮なイワシを毎日買い付けているのだそうですが、需要さえあれば、山国でも海浜に負けぬ鮮度で食べられるのだと納得しました。
そういえば、昔、松本市内の割烹での忘年会の時、その店の売りである“活魚”の旨さに感動してご主人にその旨感想を伝えたら、お客さんの需要次第で、見合うコストを払って食べてもらえれば、松本だってこの程度の魚はちゃんと食べてもらえるのだと教えてくれました。だから、時間とお金を掛けてでも、長野や伊那谷からもわざわざ食べに来るお客さんもいると仰っていましたっけ(第581話参照)。

 それにしても、タイやヒラメならばいざ知らず、鰯料理です。しかも同じ庶民の魚である鯵よりも更に足の短い鰯です。確かに、過去に一度だけその日イワシが確保出来なかったらしく、鰯ではなく鯵だった時もありましたが(三昧にはならず、刺身とフライでした)その意味で、いくら需要次第とはいえ、フム、「勝味庵」恐るべし! そして、女将さん始めスタッフの皆さんの気持ちの良い接客もこの店の人気の理由でしょうか。今回も、
 「ご馳走さまでした!」

 2月末の三連休。当初、長女が帰省して来る予定だったのが、コロナウイルス禍の影響で、入国禁止になる前にと米国に長期出張することになりました。そのため、日帰りで家内の実家に一緒に行くことにしました。第一の目的は温泉。そしてその後で、久し振りに「勝美庵」で鰯料理、です。
本来なら三連休の最終日で松本市内も高速道路も混んでいる筈ですが、市内ではそれなりに県外車を見掛けましたが連休中の様な渋滞も無く、皆さん外出や旅行を控えてか高速道路は拍子抜けするほどに空いていました。

 実家で仏壇にお線香を上げてから、お義母さんと一緒に先ずは温泉へ。
温泉地である諏訪エリアには、日帰り入浴可能な温泉旅館やホテルだけではなく、各地に公共の温泉施設があります。上諏訪では源泉のある地区毎に共同浴場がありますが、利用出来るのは会員である地元住民だけ。無料で利用出来ますが、その代わり清掃当番があって住民の自主管理です。一方茅野は公共の日帰り温泉施設で、実に羨ましい限りです。茅野市のH/Pから引用させていただくと、
『 茅野市には、7つの公共日帰り温泉施設があります。
25mの室内温水プールを備えた「アクアランド茅野」、露天風呂から八ヶ岳や蓼科山が望める「尖石温泉 縄文の湯」、約42度の温泉と約35度の冷泉の交代浴ができる「米沢温泉 塩壺の湯」など、その設備や泉質、環境はさまざま。21時まで営業しているので、ドライブや山登りの後でも、ゆっくりと過ごせます。市民なら1回400円、市民以外でも1回600円(小中学生は300円)の気軽な料金も魅力です(白樺湖温泉 すずらんの湯を除く)。』
実家の近くにも「玉宮温泉 望岳の湯」という公共温泉があるのですが、昔から義母は専ら「米沢温泉 塩壺の湯」です。

 「望岳の湯」は、その名の通り浴室からも八ヶ岳が望め、個人的にはこちらの方が好きですし、昨年家内が参加した女性のための登山ツアーでの八ヶ岳の帰路にツアー一行が立ち寄ったのもこの「望岳の湯」でした。一方の「塩壺の湯」は、どちらかというと如何にも共同浴場的な鄙びた良さがあります。その意味で地元の特に年配の方々に愛されている地域密着型の温泉です。そういえば、北山に住む叔父夫婦も「塩壺の湯」の愛用者でした。因みに地元の方々は、「塩壺」を「しょつぼ」と呼んでいます。
この「塩壺の湯」は、ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物冷鉱泉とのこと。「冷鉱泉」とある様に、源泉温度は24.7℃なので冷泉、或いは鉱泉扱いになります。「望岳の湯」はアルカリ性単純泉で源泉温度は50.7℃ですので温泉です。因みに日本では、25℃以上が温泉と規定されています。
 「塩壺の湯」は、市のH/Pに拠ると、
『江戸時代から効能があるとして知られてきた、由緒ある「塩壺温泉」の源泉を使用しており大変温まります。浴室内に大浴場と併せて六角形の冷泉風呂(源泉使用)を設けました。湯温が41度程度の大浴場と35度程度の冷泉風呂を交互に入浴する「交代浴」が行えます。』
大浴場は結構熱めなので、多分42℃はあると思います。蓼科温泉に似て、お湯が茶色っぽいので、鉄分も含まれているのかもしれません。
浴室には20ほどの洗い場もあり、広々としています。三連休とはいえ、ここには観光客の姿は無く、地元の方々10人程が入浴されている程度でした。
42℃という熱めのお湯は気持ちイイ。そして、狭い冷泉の浴槽は浅めで足を延ばして入れるので、4人入れば一杯になってしまいます。冷泉ですので、のんびりと長く浸かっていられます。そのため皆さん気持ち良さそうにずっと寝たままお風呂に浸かっています。たまたま一ヶ所空いたので、私メも入ってみました。熱めの42℃のお風呂から移ったということもありますが、35℃というのは思いの外冷たくて、最初は水風呂の様に感じます。
しかし、そのままじっくりと肩まで浸かっていると、5分ほど経って次第に首の辺りがポカポカと温かく感じられる様になってきました。これが冷泉の良さなのでしょうか、何とも心地良くて不思議な感じがしました。
最後、改めて熱い方のお風呂で十分に温まってから上がりましたが、体中がポカポカとして、
 「気持ちイイ~♪ あぁ、ほんとイイ湯だな!」

 「米沢温泉 塩壺の湯」。近くの「望岳の湯」と比べると、お年寄り向け?の、何とも地味ではありますがとても気持ちの良い温泉でした。でも、そんな比較が出来る茅野は何とも羨ましい・・・。

 暖冬の今シーズンで、関東に早くも春一番が吹き荒れたという2月22日。松本も風の強い一日でした。
 翌日、奥さまが雑穀を買いたいとのことで、内田のJAの直売所とアルプス市場の二ヶ所に買いに行ってきました。この日もまだ少し風が強かったのですが、内田の高台にある直売所から松本平を眺めると、山形村から朝日村方面一帯だけが茶色の霞に包まれた様に染まっていました。

 この時期、特に春一番の吹く頃になると、西風に乗って黄砂が中国大陸から舞って来るのですが、この地域だけが茶色に煙るのは、その黄砂ではなく、長芋や西瓜の名産地であるこの一帯は細かな砂地の畑が続いています。塩尻から松本平の西側のこの辺り、松本平の風の通り道で、その風が畑の細かな砂をもうもうと巻き上げて土埃となって辺り一帯を覆うのです。
 遠くから見ると、まるで土煙の様に薄茶色の膜に覆われた様に見えます。或る意味、松本平の春先の風物詩でもあるのですが、遠くから眺めるのはともかく、そのエリアに住む方々にとっては、例えばどんなに快晴でも洗濯物を戸外に干せないでしょうし、車はまるで火山灰が降ったように土埃まみれになってしまいます。この時期、何ともうっとうしい有難迷惑な日々が続きます。
【注記】
分かりづらいですが、写真は内田の直売所からと、その後下った村井地区から眺めた“土煙”の様子です。