カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 新型コロナウイルス禍で3月に予定していた旅行もキャンセルしてしまいましたが、春分の日の三連休を前にして、或る程度感染拡大を抑え込めているという報道もあったので、せめて近間にナナとコユキも連れてドライブに行くことにしました。
選んだ行先は木曽奈良井宿です。奈良井は、旧木曽郡楢川村から平成の合併により現在は塩尻市になっていますが、個人的には奈良井宿はやはり木曽路の宿場町で、塩尻市と云われてもピンときません。塩尻はせいぜい本山宿まででしょうか。
さて、前回の日帰りでの横浜往復で、コユキもクレートに入らずに車に乗ることに多少は慣れた筈。今回はクレートも持たずに、奥さまとナナと一緒に後部座席に座ります。そうは言っても、どこへ連れて行かれるのかという不安での緊張はいつも通り。すぐにはリラックスという訳にはいかない様子です。
 奈良井へはいつも通り、奈良井川の堤防道路から洗馬を抜けて、本山で国道19号へ合流します。途中、塩尻から朝日村一帯での畑から巻き上げられた砂嵐に初めて遭遇。地元紙に依れば朝日村のレタス苗の植え付けに農家の方がゴーグルを着けて作業をしているとのことでしたが、そうした畑から舞い上がった土埃なので或る意味農家の方は自業自得かもしれませんが、住宅地では勿論洗濯物は戸外には干せず、ひどい日には数センチ庭先に砂が積もるなど、いくらこの春先の風物詩とはいえ、ここまでひどいと最早公害のレベルでしょう。

国道19号に入って、日出塩と贄川の間、カーブが連続し道幅が狭くなる桜沢地籍で新しいトンネル(1.5㎞とのこと)の掘削工事が行われていました。
この桜沢が尾張藩と松本藩の境界で、平成の合併までは木曽郡楢川村と塩尻市の境界でもありました。奈良井川の谷合で両側に山が迫り、国道脇に「是より南 木曽路」の石碑が建っています。ここを車で通過する時には、
「さぁ、いよいよころから木曽路に入るんだ。」
と、急カーブが続き事故の多い木曽路の国道を運転するのに気を引き締めたものですが、トンネルが開通したら一体この碑はどうなってしまうのでしょうか?・・・。因みに、中山道の馬籠宿・落合宿間に「是より北 木曽路」の碑が在って、この碑と対を成しています。
 松本の自宅からは1時間半。ガラガラかと思っていた駐車場には、意外と車が停まっていました。しかし、県外車を含めて普通車だけで、前回来た時の様な大型観光バスは一台もありません。やがり、コロナ禍で観光ツアーは自粛されている様です。
中山道六十九次で江戸から来ると、街道で一番の難所と云われた鳥居峠を控えて旅人が歩を休めたのが、この“奈良井千軒”と云われて栄えた奈良井宿。東西1㎞に亘り、今も江戸時代にタイムスリップしたかの様な町並みが続きます。今回はドッグバギーも積んで来たので、江戸側からは下町、中町、そしてクランクになっている「鍵の手」を曲がり、朝ドラ「おひさま」のロケも行われた上町へと、久し振りに宿場の端から端まで歩いてみることにしました。
さすがに三連休ですので、我々の様なワンコ連れなどの観光客が多少は歩いておられましたが、奈良井は1㎞にも及ぶ長い宿場ですので殆ど疎ら。自粛、自粛では息が詰まりますから、きっと皆さん同じ思いなのでしょう。しかし、インバウンドの団体やツアー客の姿は全くありません。いつもの週末に比べれば閑散としています。
まだ11時半でしたが、奈良井宿で唯一ワンコOKというお蕎麦屋さん「越後屋」で早めにランチにすることにしました。
こちらは、ウナギの寝床の様な間口の狭い町屋の建物は、中に入ると奥までずっと続いていて想像以上に広いのですが、奥のテーブルではなく、二階へ上がる階段で仕切られた入り口から入ってすぐのスペースにある4卓だけは、ペットも一緒でOKとのこと。女将さんから、
 「ワンちゃん、出してもらって構いませんヨ!」
とのことでしたが、しかし背もたれの無い和風の椅子で小型犬でも座りにくいので、店内でもそのまま二匹一緒にバギーに載ったままにしました。人間より先に、おやつを食べて水を飲ませてから、我々の食事の注文です。
一応手打ちとの書かれていた店先の看板に、私メはザル(2枚)、奥さまは温蕎麦で木曽名物のすんき蕎麦。それと五平餅。
ソバは手打ちとのことでしたが、まぁ観光地ですから・・・。でも奥さまの頼んだすんきは自家製らしく大変美味!それと、それぞれ小鉢で付いて来たお漬物の中の木曽らしい赤かぶ漬けも美味しかったです。先人の知恵でもある、塩を使わないすんき漬けは、山奥で塩が貴重だった昔から木曽地方に伝わる国内でも珍しい発酵食品。赤かぶの菜を使います。
コロナ禍で、食べている間のお客さんは我々だけ。女将さんも手持無沙汰の様で、給仕をしながら世間話です。3.11の時は、その後放送された朝ドラ「おひさま」のお陰で奈良井宿は観光客が増えて助かったそうですが、今回は収束するまでは止むを得ないでしょうね、とのこと。
因みに、奈良井宿は町並み保存で電柱を地中化していたため、「おひさま」の時は昭和初期にタイムスリップして、ロケ用にとわざわざ木製の電柱を建てたのだとか。
 食後、中町から上町を経て鎮め神社まで。
戻る途中で、いつも閉まっていた「クローマ」が開いていたので覗いてみました。こちらは本物の草花を使ったアクセサリーを販売している店で、何年も前、上の娘と家内がブローチを購入しました。
眺めていると、バギーに入っているナナを認め、
 「そのワンちゃんはシーズーですか?」
聞けば、17歳になるシーズーを飼われていて、若い頃ナナと同じ病気をして今でも薬を飲み続けているそうですが、頑張って17才になるとのこと。
 「シーズーは意外と強いのかしら・・・ネ?」
まるで同じような境遇に、何とも励まされました。
その後、私メは今回も看板犬のいる喫茶店にワンコたちの一緒に入りたかったのですが、奥さまは寄らずに直帰して、午後遅くなると売り切れてしまう人気店に寄って、明日の来客用のお団子を買って帰りたいとのことで、食事も含めて1時間程度の滞在だけで早々に奈良井宿を後にしました。
 帰路は家内は助手席に乗って、ワンコたちだけで後部座席に。
半分以上はバギーに乗っていたとはいえ、お出掛けに緊張して疲れたのか、二匹で仲良く寝ていました。