カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 恒例の信州松本の夏の音楽祭、セイジ・オザワ松本フェスティバル、略称OMF(旧SKF、サイトウキネン音楽祭から名称変更。オーケストラの名称は、音楽祭の名称変更時に同様に検討されたのですが、メンバーの反対でSKOのサイトウキネン・オーケストラのまま)。

 今年のOMF2023は、映画「スター・ウォーズ」などの作曲で知られる映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズが自身の作曲した曲を振る「オーケストラコンサートB」がプログラム発表時から話題を集め、申し込みが殺到することが予想されたため当初からチケットは抽選で、結果実に14倍の倍率だったそうです。
ET、スパーマンといったハリウッドの映画音楽のみならず、1964東京大会のオリンピック・マーチと共に、個人的に過去のオリンピックの中で音楽作品として最も素晴らしいと思うロサンゼルス・オリンピックのテーマ曲もジョン・ウィリアムズの作品でした。そうした作曲の方が有名ですが、彼はオザワ・セイジが長らくボストン交響楽団(BSO)の音楽監督だった1980年に、BSOがオーケストラのシーズンオフとなる夏の間、ポピュラー音楽やファミリー向けコンサートを演奏する楽団であるボストン・ポップス・オーケストラの常任指揮者として小沢が招聘した人でもあり(95年から桂冠指揮者)、その縁もあって今回或る意味“盟友”であるマエストロ・オザワのために、SKOで自身の作品を振るために齢91歳の彼が実に30年ぶりに来日することになりました。因みに、この機を逃さず?か、ボストン・ポップスも10月に来日し、東京と大阪で公演を実施するとのこと(但し、指揮はジョン・ウィリアムズではなく、現首席指揮者であるキース・ロックハートとのこと)。
さて、ジョン・ウィリアムズは評判になった2020年のライブ盤が発売されているウィーンフィルも自身で指揮しており、またベルリンフィルも演奏会で彼の作品を取り上げるなど、最近は世界の主要オケでも彼の作品がオーケストラのコンサートでも演奏されるようになっています。そうした演奏をYouTubeでも現地での熱狂ぶりを含めて視ることが出来ますし、また彼の作品もスクリーン作品のポピュラー音楽としてだけではなく、クラシックのコンサートで演奏されるオーケストラ作品としても近年評価されてきていることが分かります。
 こうした背景もあってか、初めて“ポピュラー音楽”をサイトウキネン・オーケストラが今年のOMFで演奏することになり、しかもそれを実に30年ぶりに来日してジョン・ウィリアムズ自身が振るということもあって、大いに話題になりました。
そのため、9月2日のOMFだけではなく、創立125周年記念としてドイツグラムフォンのガラ・コンサートの日本公演としても、今回の松本と全く同じメンバー&プログラムで9月5日にサントリーホールでも演奏することになり、こちらもチケットは抽選になったそうです。
 そのOMFでの9月2日の大盛況だったというコンサートが、翌3日に地元向けにスクリーンコンサートとして、昼のまつもと市民芸術館と夜の松本城公園特設会場の二ヶ所で開催され、市民芸術館でのコンサートチケットを妹が運良く入手出来たからと誘ってくれて、一緒に聴きに行って来ました。
『オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム』と銘打って行われた前日のコンサートは、前半がジョン・ウィリアムズ90歳を祝うガラ・コンサートの指揮を任されるなど、氏の信頼も厚いステファン・ドゥネーヴ指揮による日本にゆかりのある2曲。当時の皇太子さまと雅子さまのご成婚を記念して作曲された「雅の鐘」と、盟友セイジとボストン交響楽団の4半世紀にわたる濃密な連携を祝して書かれたという「Tributes! (For Seiji)」で幕開けし、「遥かなる大地へ」組曲と「E.T.」から3曲。
そして、後半が御大ジョン・ウィリアムズ自らの指揮で自作の演奏。
「スーパーマン・マーチ」『ハリー・ポッター』より3曲、そしてこの日のコンマスを務めた豊嶋泰嗣氏のヴァイオリン・ソロでの『シンドラーのリスト』テーマ、そして『スター・ウォーズ』より3曲、そしてアンコールに「ヨーダのテーマ」「レイダース・マーチ」「帝国のマーチ」が演奏されました。
 因みに、前半のドゥネーヴもですが、後半もジョン・ウィリアムズが曲の合間にコメントし、その通訳を務めたのが桐朋出身で現在ニューヨーク・フィルのチェロ奏者の工藤すみれ嬢。前半は事前から予定されていた様で、原稿を介しての通訳でしたが、後半は突然の指名だった様で、氏が途中で遮れずに長く喋ってしまって端折って訳したのはご愛敬。でも事前に分かっていたなら、女史には演奏に専念させてあげるべく事務局から通訳を出せばイイのに・・・と思ってしまったのは私だけでしょうか。
微笑ましくはありましたが、後半はチェロの第2プルトでしたので、そこから指揮台横までいちいち出入りされるのが見ていて気の毒でした。
 さて、演奏は後半、ジョン・ウィリアムズが登場しただけで開場の雰囲気もオーケストラの演奏までもがガラッと変わってしまったのが驚きでした。
しかも、ジョン・ウィリアムズ自身のタクトは前半のドゥネーヴ氏の大振りなタクトに比べ、振るのが楽しくて堪らないとでもいう感じで、そのにこやかな表情と共にホンの少し棒先を動かすだけなのですが、それなのにオケの音色が、演奏の熱気が、全く違って聞こえたのが不思議でした。氏のオーラと言ってしまえばそれまでですが、30年ぶりという映画音楽のカリスマ来日での期待が熱気となって会場全体に満ちて、それが演奏自体を盛り上げたのかもしれません。カリスマのカリスマ足る所以でしょうか。
 演奏終了後ジョン・ウィリアムズの「セイジ!」という呼びかけに応え、マエストロ・オザワも車椅子でステージに登場し、その後も更にアンコールの演奏もあって、会場はスタンディングオベーションで大盛り上がり。
そんな昨日の会場の熱さが、タイムトンネルを越えてまるで同時中継で行われているかの様に、こちらの会場まで前日の熱気が伝わって来たのでした。

 これまでCDやYouTubeなどで聞いてきた落語家の中で、是非生で一度聴いたみたいと思っていた噺家の一人が古今亭菊之丞師匠です。
その菊之丞師匠が8月21日の松本落語会第559回に登場すると知り、これを逃すとまたいつ生で聴けるのか分かりませんので、今回聴きに行くことにしました。会場は伊勢町に在るMウィング(松本中央公民館)で、夕方6時半開演です。(*最初と最後の写真は、落語協会と師匠の公式サイトから拝借しました)
 古今亭菊之丞・・・落語界の名門古今亭の今や金看板。師匠は子供の頃からの落語好きで、中学生の頃には一人で鈴本に通い、学校の落語クラブで「芝浜」を演じたのだそうです。
1991年高校卒業後に2代目古今亭圓菊に入門し、2003年に真打昇進。前年にはNHK新人落語大賞を受賞しています。因みにお互いバツイチ婚だったそうですが、奥さまはNHKの藤井彩子アナウンサー(女性アナとして初めて甲子園実況をされ、現在は名古屋放送局所属)で、奥さまが司会を担当されていたNHK-BSでの寄席番組がきっかけだったとか。
名前からして歌舞伎役者染みて艶っぽい江戸落語の噺家であることは以前から知ってはいましたが、何となくわざとらしくも感じられる話し振りで、正直然程好きな噺家ではありませんでした。
ところがコロナ禍で生落語が聴けない時に、ネット検索していた中にあったのが、菊之丞師匠の演じた「法事の茶」というネタで、コロナ禍でしたので、無観客での寄席から中継されたという「デジタル独演会」のYou Tube動画でした。因みに、この「デジタル独演会」は、当初無観客の寄席からの配信に気乗りしなかった師匠に、奥さまの「時代に乗り遅れちゃだめ!」の一言で始めたのだとか。NHKの藤井アナ、さすがです!
「法事の茶」は所謂幇間噺なのですが、出てくるのは鬼籍に入られた名人が多く、その師匠それぞれの出囃子の中を舞台袖から出て来る時の歩き方を含めて真似をされて高座に上り口真似をするので、動画でないと音声だけではその面白さは半減してしまいます。つまり、声帯模写だけではなく“形態模写”も含めて演じるネタですので、余程の芸達者でないと務まりません。
ご自分の師匠の2代目圓菊を始め、圓生(5代目円楽の師匠)、正蔵(彦六、大喜利で弟子だった木久扇師匠が良くモノマネをしますが、菊之丞師匠も全く負けていませんでした)、談志(見た目もそっくり!)、そして現役の私メの好きなさん喬師匠と、どれもこれも特徴を見事に捉えた芸達者ぶりに「ほぅ~っ」と溜息をつきながら感心するばかりで、思わず画面に向かって「イヨッ、上手い!」と掛け声と共に中手で拍手をしていました。
そのため師匠の落語に興味を持って他のネタも聞いてみましたが、「法事の茶」の様な“イロモノ”ではなく、古典落語の大ネタも芸達者だけあって上手い。是非、生で聴いてみたいと思っていた中での今回の松本落語会でした。
 この日、一緒に一門の二ツ目古今亭佑輔さんも高座に上がりますが、噺家としては異色の経歴。
彼女は高校卒業後に二年間アメリカに留学したのですが、そこで他国の友人から日本の文化について聞かれ何も答えられなかったことを恥じて、帰国後東洋大学在学中に聞いた古典落語に惹かれ、その時の噺家だった金原亭世之介師匠に2016年に入門して20年には二ツ目に昇進するのですが、その後落語家を廃業。しかし、22年に再び古今亭志ん輔門下となって古今亭佑輔と改名したのだとか。しかも、同じ協会とはいえ異例の二ツ目のままでの入門を認められたのだそうです。
従って菊之丞師匠の直弟子ではないのですが、コロナ禍以前に一度師匠と一緒に松本落語会に出演する予定だったのが、コロナのためにキャンセルされてしまっていたことから、今回改めて師匠が彼女に声掛けをしての出演とのことでした。
因みに菊之丞師匠にも直弟子がおられ、昨年二ツ目に昇進した古今亭雛菊さんです。先述の「デジタル独演会」では、前座時代のまめ菊として師匠自身に教えて貰ったという前座噺の「元犬」と「転失気」をネタおろしで明るく元気に演じていました。彼女は諏訪市出身ですので是非故郷で演じて欲しかったのですが、今後きっとそんな機会もあることでしょう。愛嬌のある天然キャラなので落語家に向いていると思います。
余談ですが、何と二ツ目昇進と誕生日と配信日が重なったそうで、師匠の女将さん(手と声だけで顔は写ってはいませんが、藤井彩子アナウンサー)がサプライズで用意してくれたというお祝いのバースデイケーキの蠟燭を吹き消して、ケーキを食べるシーンがありました。
 さてこの日、最初に古今亭佑輔さんが高座に上がって演じたのは「雛鍔(ひなつば)」。仲入り後に「壺算」。これは同じ古今亭一門の人気噺家でもある桃月庵白酒師匠に稽古を付けてもらったネタとか。上げてもらった時に、白酒師匠が「アホな登場人物も意外と向いている」と評してくれたそうで、それを佑輔さんが、枕で自身を“アホ”とくすぐってみても、大学時代にミスコンに選ばれたという程の美人なので謙遜(悪く言えば嫌味)にしか聞こえない・・・客席が受けないのです。同じ美人でも蝶花楼桃花師匠の様な愛嬌のある美人では無く、宝塚の男役の様な(へアスタイルもボーイッシュなショートカット故に余計)“男装の麗人”的な美人なので尚更なのかもしれません。
これが桂二葉だと、あの甲高い声と住吉生まれという生粋の大阪弁とマッシュルームカットもあって(彼女自体は可愛くて愛くるしいのですが)、一言「アホちゃうかぁ、思いましてん・・・」と言うだけで“アホ”ぶりがどっと受ける・・・。
「女流落語家として美人というのも、何だか可哀想だなぁ・・・」とつくづく考えてしまった次第です。
しかし噺自体は悪くない、下手でも無い。本人の落語への一途さも伝わって来る。そして感じた彼女の一番良いところは、声がイイこと。声が女性特有の甲高さ(二葉さんはむしろそのタイプです)が無く、声質が太くアルトなので大家さんとかご隠居とか男役を演じても他の女流落語家の様な違和感が無い。そして女将さんとか花魁とかを演じれば、逆に美人ゆえに色気や艶が感じられる武器もある。
ですので、決して“美人”で売らず(売らなくても一目瞭然ですので)且つ女流であることを活かして、古典落語という王道で“もがきながら”是非頑張って欲しいと思いました。

 さて、この日の高座一席目にお目当ての菊之丞師匠が演じたのは、夏らしく「野ざらし」でした。さすがに「法事の茶」は地方の落語会で演じるのは無理なのでしょう。今は亡き名人師匠たちの出囃子を即興で弾けるお囃子さんが居ないと・・・。
さて、「野ざらし」は長屋に住む浪人の先生の所に、前日向島に釣りに行って針に引っ掛かった、その昼間の骸骨という若いキレイな女の幽霊が深夜にお礼に訪ねて来たというのを知った隣の八五郎が、「あんな美人なら、自分の所へも・・・」と先生の竿を借りて釣りに行き、土手で湯屋番と同じ様に一人で若い女とのやり取りの妄想を演じるという噺。
従って、怪談話ではなくむしろ滑稽話なのですが、幽霊が登場するので夏に相応しいネタです。ただ、本来のサゲが現代では馴染みが無く分かり辛いということから、この日もサゲ無しで「野ざらしの一席でした」と、途中で終わられました。
そして、今回のトリで演じた本寸法の大ネタは「淀五郎」でした。
枕で「季節に合わせて(一席目の幽霊が出る「野ざらし」同様に)夏らしいネタを」と断って、忠臣蔵を持ち出して笑わせてから演じられました。
確かに師走恒例の演目である、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」前半のクライマックスの四段目が題材の、この「淀五郎」。
江戸時代、座長市川団蔵が務める大星由良助が、九郎判官の代役に大抜擢した若い歌舞伎役者の沢村淀五郎。しかし判官の芝居が上手く出来ず座長の団蔵に「死んじまいな!」と叱責され、翌日本当に死ぬ気になって、その前に日頃世話になっていた名人中村仲蔵の元を別れの挨拶にと訪れ、そこで仲蔵からアドバイスを受けて翌日見事に判官役を演ずるという噺。なおこの名人「中村仲蔵」もまた「仮名手本忠臣蔵」の中の“弁当幕”と云われた五段目を演じて大評判を取る様が落語と講談の演目にもなっています。
この「淀五郎」などは歌舞伎モノだけに、劇中の歌舞伎役者の声色を真似て演じなければならず、また滑稽話でもなく、それだけに演ずる噺家の聴かせる力量が問われるネタです。
因みにこのネタは「どうらく息子」の中にも登場するので、読んで知っていましたが、切腹した判官の側に漸く駆け寄った由良助役の団蔵に、判官役の淀五郎が最後に掛ける一言「待ち兼ねた・・・」でサゲになります。いやぁ、さすがでした。
 それにしても、菊之丞師匠は噺家として気品と色気もあって、着物姿も良く似合っているので、古典落語の世界で“江戸”を感じさせてくれる噺家だと思います。刊行されているDVDなどを見ると、「明烏」や「たちきり」、「片棒」、更に本来古今亭一門のお家芸という「火焔太鼓」、そして「愛宕山」などが取り上げられているので、特に色気のある花魁や江戸の若旦那を演じさせたら絶品なのだろうと思います。
初めて生で聴かせてもらった噺家古今亭菊之丞。「イヨッ、丞さま!」と大向こうから掛け声が掛かりそうな、期待通りの、そんな「淀五郎」でした。

 長野県は内陸で標高が高く、冷涼で雨も少ないために米作が出来なかったエリアや瘦せた土地が多かったため、そんな場所でも収穫することが出来る蕎麦の栽培が江戸の昔から盛んでした(因みに、今でも長野県は北海道に次いで蕎麦の生産量全国2位です)。
そうした山間地の集落では、昔から農家の“振る舞い料理”としてソバ打ちが農家の女性の必須技能であり、お祖母ちゃんからお嫁さんへ、そして娘さんへと受け継がれ、今でもそうした伝統が残った山形村の唐沢集落や旧美麻村の新行地区、また“とうじ蕎麦”が名物の旧奈川村などは、信州のそんな“蕎麦集落”の代表格です。

           (写真は美麻新行地区の蕎麦)
こうした背景から蕎麦が信州名物となり、俳句の「信濃では月と仏とおらが蕎麦」(一茶自身も北信濃の出身ですが)や、「信州信濃のしな蕎麦よりも、あたしゃあなたのソバがいい」と都々逸にも謳われた程、 “信州蕎麦”は江戸時代には全国的に有名になりました。
そのルーツは、奈良時代に山岳修験道の開祖である役の行者(えんのぎょうじゃ)により伝えられた伊那谷で蕎麦の栽培が始まったとされ、他に何も無いと云えばそれまでですが、また信州は蕎麦切り発祥の地(注記:諸説ありますが、中山道塩尻本山宿という説が有力)でもあり、そうした蕎麦自慢の話題には枚挙にいとまがありません。
例えば“日本三大蕎麦”は信州の戸隠そば、出雲の割子そば、盛岡のわんこそばですが、出雲は信州松本藩主だった家康の孫である松平直政が出雲への国替えの際に松本から蕎麦職人を連れて行ったのが元ですし、他にも信州高遠藩ゆかりで老中を務めた藩祖保科正之の会津(その前の任地だった最上藩の山形も)や上田藩から仙石氏が移った出石など、お殿様が信州から蕎麦職人を連れて行ったことでやがて蕎麦が名物となった地域もありますので、料理では他に名物の無い(強いて言えばお焼きくらいの)信州の蕎麦自慢に関しては、多少は目を瞑っていただいても良かろうと思います。
    (写真は戸隠蕎麦のぼっち盛りと出雲の割子そば)
 そんな“蕎麦王国”信州ですので、昔から、立ち食いの“駅そば”も世間的には「さすがに信州は駅そばも美味い!」という評判でした。
JR松本駅には昔は駅そばが3店舗あったのですが、それが2店舗になり、現在は1店舗のみになってしまいしまた。
昔は何番線のホームの駅そばが旨い云々と、人により好みの違いもあって(同じ経営の駅そば店であっても)その評判を競い合っていたように思います。
その後、諸事情もあってか、駅そば店を運営していた地元の「イイダヤ軒」からJRの子会社経営になったり、その後また入札なのか民営に任されたりと、“たかが駅そば”にも色々な紆余曲折の歴史があったようです。
松本駅ではコロナ禍までは「山野草」という名前のJR系の駅そばで、6番線のJR大糸線ホームの奥にも駅そばがあり(駅舎改装とアルプス口整備前は、この店舗の先に田舎の駅の様な小さな西口改札がありました)、ここが一番美味しいという評判でした。
このホームには私鉄の上高地線も7番線ホームに併設されているので、白馬岳の大町方面や燕岳や常念の表銀座への最寄り駅の大糸線、また槍穂高へ向かう上高地線に乗る登山客も、行き帰りの待ち時間に多分ここで駅そばを食べただろうと思います。しかし、「山野草」は残念ながらコロナ禍で2店舗とも閉店してしまいました。
因みに、「イイダヤ軒」は今でも松本駅前のホテルイイダヤに併設された蕎麦店があって、駅そばを(カウンターでの立ち食いではなく椅子に座って)食べることが出来ます。蕎麦そのもの評価はともかく、“早い、安い”という駅そばで、刻みネギは今でも自由に好きなだけ入れることが出来る筈です。
また、「イイダヤ軒」は今でも南松本駅と村井駅では、駅構内では無く駅舎横の小屋の様な小さな店舗で 頑張って営業しており、昔懐かしい駅そばを食べることが出来ます(村井駅が現在建て替え工事中のため閉店していますが、駅舎完成後には再開とのこと)。

 蕎麦は、元々はせっかちな江戸っ子向けに町の屋台で提供されたファーストフード(握り寿司も然り)ですから、本来は市井の庶民の味であって、十割だ九一だと通ぶって食べる料理ではありません。ましてや永田町でいくら政治家相手に評判を取ろうが、(どちらが客か分らぬ様な横柄な態度で、店側が)あれはダメ、これもダメ、しかもメニューは2千円のたった一つ、勝手に写真を撮ったりする気に入らない客は店から追い出されるといった類の料理では決してありますまい!(・・・と個人的には勝手に思っています)。他にも、子供は入店お断り、店内スマホ禁止という店も松本に在りますが、一体何様・・・??どんな通が、或いは店側が、“されど”と息巻こうが、所詮江戸時代のファーストフードの “たかが蕎麦”ではないでしょうか!?ラーメンと蕎麦は庶民の味から決して離れてはいけない!落語の「時そば」に出てくる屋台の様に、或いは“一杯のかけそば”を兄弟で分かち合う様に、いつの世も蕎麦屋は庶民の味方であるべき!と勝手に思っています。
 話が些か横道に逸れてしまいましたが、ここらで閑話休題。
その松本駅構内の駅そば店は、今では1番線と0番線にある一軒だけ。そしてその店は、数年前から「山野草」に代わって、殆ど当時の店舗そのままで「榑木川」という名前の駅そば店になっています。
この店は、観光客で行列の駅ビルの店も含め、松本市内で蕎麦店を何軒か展開している「榑木野」の新形態での駅そば店で、この「榑木川」は、松本駅のみならず、それまでの駅そば店を引き継いで、大町駅、長野駅、茅野駅と県内何ヶ所に拡大展開している由。しかもウリが駅そばにしては珍しい“八割そば”なのです。そこまで謳うからには自信があるのだろうと気になっていたのですが、ホーム内の店舗故、松本駅の電車利用時か或いはそのためだけに入場券を買うかしかありませんので、試しにでも食べることがここ何年かずっと叶わずにいました。
たまたま駅近くでの用事があり、松本も連日33℃前後と、猛暑だった東京程ではないにしても毎日暑い日々が続いていて、特に夏休み期間中は平日でも駅の駐車場はほぼ満車で混んでいたので、マンションからゆっくり歩いて行くことにしました。
思えば、シンガポール赴任して直後、街中を歩いていて「どうして、皆なこんなに歩くのが遅いんだろう!?」と、新宿並みにスタスタと全員追い抜いて歩いていたのですが、その内どっと汗が噴き出して来て、赤道直下の熱帯ではゆっくりと歩かなければならないことを赴任早々に悟った次第。
そんな30年以上も前の赴任中でさえ、日本へ出張したローカルのスタッフがシンガポールに戻って来て口々に「シンガポールより日本の方が暑い!」と言っていましたが、梅雨以降の日本特有の暑さは(というシンガポールも赤道直下の島国故に湿度は高いのですが)日本独特なのかもしれません。
と、また横道に逸れてしまいました。
 猛暑の中を少し歩き回ったので、家への帰りは徒歩では無く、アルピコ(古い人間は松電と言いたくなりますが)の上高地線に乗って最寄りの渚駅まで帰ることにしました。
そこで松本駅で渚までの180円の切符を買って、アルピコの電車に乗る前に、せっかくの駅構内に入れる機会なので、初めて「榑木川」の駅そばを食べてみることにしました。
松本駅の1番線と0番線ホームへの階段脇にある駅そばの店は「山野草」時代そのままで、店構えも店内も殆ど変わっていない様に思います。 “石臼引きの八割蕎麦”というのが「榑木川」のウリ。
「山野草」では、普通の蕎麦とは別に、数量限定で特別な「生蕎麦」があって、そちらは値段も高く茹でるのに時間も掛かっていましたが、「榑木川」の蕎麦は二八の一種類。この日も猛暑日で暑かったので、駅そばで食べる時はいつも選ぶかき揚げなどの天玉ソバやキツネなどの温蕎麦は諦めて、二八ならばと冷たい盛りそば(410円)をチョイスすることにしました。
券売機で食券を買って、厨房のカウンターへ提出。二分ほど待ってすぐに呼ばれました。
駅そばですので、麺は二八であっても茹で時間の短い冷凍麵だと思いますが、他のつなぎが多すぎるうどんの様な蕎麦とは違い、ザラザラしていて確かに蕎麦らしい食感です。しかし、冷水で〆るのが甘くて、まだちゃんと冷えておらず温い部分もありました。
 「うーん、ちょっと残念だなぁ~!」
これではいくら忙しくても、またいくら店員さんがパートのオバちゃんであっても、お金を取って客に提供する以上“蕎麦職人”としては落第です(本社の指導の問題でしょう)。
またいくら二八であっても、やはり生麺と冷凍麺では全く違います。そして食べる方も、“八割”の宣伝文句に些か期待し過ぎた気がします。
大盛りにしなくて良かった。大盛りは+170円とのことなので、580円。だとすれば、同じ松本駅の駅ビルのヴェルデ内に入っている立ち食いの「小木曽製粉所」(駅前店以外は椅子席です)なら生麺の大盛りが640円で(つい最近まで590円だったのですが、残念ながらここでまた再値上げ。開店してから何年もずっと500円だったのが、蕎麦粉も値上げしている様なので止むを得ないのかもしれませんが・・・)、同じ二八で冷凍麺と生麵ではその差は歴然です。従って、もし冷たい盛りそばを食べるなら、同じ“立ち食いそば”でも、「小木曽製粉」の方がこの「榑木川」よりもはるかに“蕎麦らしい”ので、そちらの方がお薦めです(但し、コストを抑えるため、“手打ちそば”ではなく、機械打ちで機械切りの筈。因みに「小木曽」の店舗で“立ち食い”なのは、松本駅のみで他ではちゃんと座って食べられます)。
    (写真は同じ小木曽製粉所の筑摩店と大盛りのざる蕎麦)
しかし、電車を待つ間の駅そばは本来“速さ”が命ですので、茹で時間の早い冷凍麺で提供することは必然なので、生麺との差はある意味止むを得ません。但し、きっと温蕎麦ならこの蕎麦で十分に美味しい気がします。かけそばに始まり天玉や鴨肉などのトッピングも「小木曽製粉」よりも種類が豊富なので、温かい汁蕎麦を食べる時はこちらの「榑木川」の方が値段も安くてお薦めだと思います。
 駅前の「イイダヤ軒」もそうですが、柳家喬太郎師匠の「コロッケ蕎麦」ではありませんが、「立ち食いそばや駅そばを食べる時は、やはり(かけそばに何かをトッピングする)温蕎麦に限る!」と感じた次第です。

 リビングルームや寝室のTVだけではなく、物置兼ミニ書斎“男の隠れ家”のPCでもYouTubeを楽しんでいます。

TVでは「孤独のグルメ」や「美味しんぼ」などの過去の放送分。音楽では、例えばコロナ禍の間に配信された、今や“世界のヤマカズ”が指揮をする東京混声合唱団(内外のオーケストラのみならず、東混の音楽監督としても活動されています)とか、N響のコンサート(服部百音さんのヴァイオリンに感動したのも、コロナ禍で海外アーティストが招聘出来なかったためか、パーヴォ・ヤルヴィ指揮の定期でのチャイコン演奏に圧倒されたのがきっかけでした)や読響のマチネシリーズとかもYouTubeで聴くことが出来ます。そしてクラシック関係で今嵌まっているのは、“The Three Conductors”。日本のクラシック界を背負って立つ若きマエストロたちの会話だけなのですが、これが実に面白い。興味ある方は是非どうぞ!
少し変わったところでは、羽田空港ベースのANAの従業員の皆さん(パイロット、CA、グランドスタッフ、整備士、事務スタッフなど)が、3.11を機に「自分たちにも何か出来ることを」と、南三陸町など被災地でのイベントに参加して音楽を届けるために結成されたというアマチュアバンド「ANAチーム羽田オーケストラ」(これがかなり上手いんです!しかも皆さんが本当に楽しそうに演奏しているのが実にイイ!)。
そして落語では、過去の音源から名人圓生や志ん朝。そして現役では柳家一門の大看板さん喬師匠から若手真打の柳亭小痴楽師匠まで。更には古今亭菊之丞師匠の「でじたる独演会」の様なコロナ禍で増えた配信も含め、「寄席落語」なども気に入って聞いて(視て)います。
他にもジャズやボサノバ、また昔で云うとことのイージーリスニング。グレンミラーなどのビッグバンドや、季節毎に、例えば夏ならビリー・ヴォーンやパーシー・フェイスなどなど・・・。

また、コロナ禍での自宅でのリモートワークが世界中で増えたせいか、“作業用BGM”的なクラシック音楽やJazzなどが長時間番組として(映像は動画では無く、背景が風景写真で曲毎に変わるイメージですが)結構たくさん(世界中から)登録されていますし、しかも中には高音質の音源もあるのが有難い。
そして今夏が猛暑だったためか、或いは私自身が信州とはいえビル構造の街中の鉄筋コンクリートのマンションに暮らすせいか、はたまた自然に囲まれた里山の田舎育ち故かもしれませんが、YouTubeには清流のせせらぎの音や雨音などの自然界の癒しの音も(CDでも何枚か持っているのですが)幾つもアップされているので、これまた“書斎”で今夏はBGM的に流して楽しんでいました(せせらぎや雨の音だけでも、何だか涼しく感じます。変わったところでは、就寝時に寝室で聴くためのブラック画面の雨音などもあります)。
因みに、自然界の雨音やせせらぎの音、或いは岸辺に寄せる波の音などもそうですが、これらの音にはある程度一定のリズムがあるものの、決して規則的ではない独特の揺れがあり、これを「1/fゆらぎ」(F分の1ゆらぎ)と言って癒し効果があるとされています。またこれらの音には(作業中に眠ってはいけませんが)人間の耳には聞こえない高周波(ハイパーソニック)も含まれていて、これにより脳が快眠効果のあるα波を発するのでリラックス出来るのだそうです。
 こうしたYouTubeでドラマやアニメなどの番組を「視る」限りは、PCでも然程不満を感じないのですが、PCでYouTubeの音楽番組を「聴く」時は、どうしてもその音質(PCの内蔵スピーカーのスペック)に不満が生じてしまいます。
それは音質云々以前のレベルで、一応“音が出ている”という状態。音楽用のイヤフォンで聴いていればまだ良いのですが、大音量で外界と耳を遮断してしまうイヤフォンは不自然なので、個人的には好きではありません。
そこで、PCサイドにはそのイヤフォン・ジャックがあるので、そこから“書斎”のサブシステムのKENWOODのK-521(レシーバー本体もCDチューナー・アンプR-K521として単体で別売りされていましたので、一応ピュアオーディオとして、ドンシャリのミニコンポとは一線を画すレベル)側のAUX端子へアナログ接続して、サブシステムでYouTubeの音源を再生することにしました。
因みに、PCからの出力はアナログなので、入力側のR-K521も一応デジタルアンプですがDAC機能は搭載されていないので、もしポータブルのUSB-DACを購入して途中で咬ませればデジタル音源として聞くことも出来ますが、片やアナログ接続は安価なオーディオケーブル一本で済みます。
もし、これがメインシステムであるリビングルームのマランツM-CR612と接続するのであればポータブルのUSB-DACを購入しても良いと思いますが、飽くまでサブシステムのR-K521ではスペック的にもそこまでは不要です。
家にあるオーディオケーブルは皆ピンプラグ(両側が赤白の二本ずつ)ばかりだったので、アンプ側のAUX接続はピンプラグで良いのですが、PC側はイヤフォン・ジャックなので端子が一本のステレオ・ミニプラグが必要。
そこで、近くの家電量販店でそのオーディオ用の接続ケーブルを購入して来ました。長さにもよりますが、その量販店には1mと2mの2種類しかなかった(アマゾンとかだと、例えば1.2mとか、もっとサイズが細かく分かれています)ので、PCと背後のレシーバーとの距離をふまえ2mのケーブル(1180円)を購入しました。
 接続して、PCのYouTubeを立ち上げて試聴。
最近聞いているYouTubeの音源で気に入っているのが、夏だったからかもしれませんが昔懐かしいビリー・ヴォーン楽団のCD。それとLPでも聴いていたチューリップの「チューリップ・ガーデン」。そのLPに収録されている全24曲をYouTubeに載せてくれている人がいるので、それも聴いてみました。
アナログ接続ですし、アンプとしてのK-521の能力もあるので、音質的には満足とまでは言えませんが、“書斎”でのサブシステムとして使っているトールボーイスピーカーのKEF Coda9は、2.5cmのソフトドーム型ツイーターと、16.5cmの中低域対応のユニットを更に低域用にも追加してトールボーイのエンクロージャーに内蔵したユニットを含め2基搭載したUK製91dBの高能率3 wayですので、PCで“聴く”のとでは、まさに“雲泥の差”。ちゃんと“ピュアオーディオ的”に聴くことが出来て大満足でした(因みに、Coda9よりも遥かに古い、KENWOODの前身TRIOのLS-202 を気に入って、リビングのメインシステムとして使っています)。
例えば、ビリー・ヴォーンは高音質CDとのことなので、音質的にも素晴らしく、懐かしい「浪路はるかに」や「峠の幌馬車」、そして「真珠貝の唄」といった懐かしのビリー・ヴォーン・サウンドを良い音で楽しむことが出来ました。
音源側の状態に左右されますので音質が劣るソースも勿論ありますが、中にはビリー・ヴォーンの様な高音質の音源も結構あるので、オーディオ的にも十分聴くことが出来ますので、CDやDVD或いはサブスクといったネットソースを有料で購入しなくても、自分の好きなジャンルだけでも結構たくさんのソースを無料で楽しむことが可能です。特にJazz系のチャンネルに高音質のソースが多い様に感じます。しかも、“Summer Jazz”や“Autumn Jazz”など、季節の移ろいに合わせたソースが選べるのも嬉しいところです。
特に何か作業をしながら、例えばPCでこのブログ原稿を入力するのに、(動画は不要なので)YouTubeの「作業用BGMミュージック」を流しながら書いています。因みに、今は朝なので、「環境音+JAZZ やさしい森の喫茶店 鳥のさえずり 川のせせらぎ 自然の環境音 森の中 CAFE JAZZ - 作業用BGM」を流しながらのPC作業です。
 そして、更に時々聴きたい曲がある時は、YouTubeとは別にYouTubeミュージックを活用すれば、懐かしい日本の昭和歌謡からフォーク、そしてスタンダードからSmoothまでのJazz、更にはクラシック音楽と、色んなジャンルの曲が登録・配信されているので、聴きたい曲を検索して聴くことが出来ますし、またそうして検索した曲は自分自身のオーディオファイル化して保存することも可能なので、映像が不要で音だけをBGM的に楽しみたい時はYouTubeミュージックを無料のサブスクとして使うことが可能です。
ですので、決して最新のネットワークオーディオで無くてもPCを使うことで、“隠れ家”の些か古いサブシステムにおいても、ネットワーク上の“音の世界”を随分と拡げることが出来ました。
しかも今回はたった1000円ちょっとのケーブル一本だけで、“男の隠れ家”としては十分に満足出来る「音楽ソースとしてのYouTube」を追加することが出来ました。
 「ヤッタね!! 」(・・・と、大満足です)

 東京滞在中、午前中の多少は涼しい内に少しウォーキングを兼ねて歩いてみました。但し、赤道直下のシンガポールで学んだ、“クソ暑い日の早歩きは禁物!”で、ただ汗が噴き出るだけですのでゆっくり歩きます。それにしても、今年の猛暑は一体どうなっているのでしょうか!?

 この日は麻布台から神谷町へ下り、愛宕神社の下のトンネルをくぐって虎ノ門へ。この隧道は、東京都の東京タワーや芝公園に近い愛宕山を貫いている昭和初期に掘られたトンネルで、正式名称は「愛宕隧道」。この愛宕山の上にはNHK放送博物館や愛宕神社があります。
余談ですが、私が子供の頃って、NHKへのリクエストハガキなどの応募先住所って、現在の渋谷の放送センターではなく、確か日比谷の「内幸町」だった筈です。
あの玉音放送も、阻止しようとする陸軍から守り通したレコード盤を使って、この内幸町に在った旧放送会館から放送された筈。それが出来る以前は愛宕山に送信所を兼ねた建物が在って、それが現在の愛宕山の「NHK放送博物館」なのだそうです。いつか、神社に参拝したら併せて見てみたいと思っています。
因みにこの愛宕隧道は、東京23区内にある唯一の“道路山岳トンネル”(要するに山をくり抜いたトンネル)だと言われているそうです。愛宕神社へ上る参道の86段の石の階段は「出世階段」とも呼ばれ、3代将軍家光の時代の逸話として講談等でもお馴染みです。以前虎ノ門のマンションに長女が済んでいた時に、家内は長女のビジネスの成功を祈願するために何度か愛宕神社へお参りしたそうです。
 「(子供たちのために)お参りして行く?」
 「いや、この暑さに階段上りたくない。今度秋以降に来た時にお参りする!」
と、今回は回避させてもらいました。

 虎ノ門ヒルズは何棟目かの新しいステーションビルが完成し、これに伴い地下鉄虎ノ門の駅も改装されたのだとか。個人的にはあまり関係無いので、「はぁ、左様か・・・」程度の感想しかないのですが・・・。
むしろ個人的に興味を持ったのは、虎ノ門ヒルズの森タワーからオーバル広場に抜けて行く途中、フロアの隅に展示されていた人間大の白い“像”でした。その説明書きに由ると、
『22世紀のトーキョーからタイムマシンに乗ってきました。ネコ型ビジネスロボット、トラのもんです。』
という、どこかで聞いた様なセリフの人形が鎮座しています。これが、虎ノ門ヒルズのキャラクターとして誕生した「トラのもん」なのだそうです。これ、イイなぁ・・・グッズ欲しいなぁ・・・。
 「ネェ、ちょっと何してんのぉ!?もう行くわよ!!」
(えっ、あっ、残念・・・。でも、この遊び心イイなぁ、“座布団一枚!”級だなぁ・・・)

因みに、本家本元のドラえもん・・・。
テレ朝が入る「六本木ヒルズ」のメインエントランス前の玄関口「66プラザ」に、この夏もドラえもんが登場!その名も「ドラえもん広場」とやらで、プラザ名に因んで66体のドラえもんが並んでいました。
ドラえもんと一緒に写真を撮りたかったのですが、若い子や子供たちしかおらず、イイ歳をした年寄りが独りでその中に入って行くのはさすがに恥ずかしく、泣く泣く諦めましたが、未だに心残り(・・・でした・・・)。
 話を戻して、愛宕山方面から来て虎ノ門ヒルズへの階段を上って、新橋側入り口から入った森タワーの2階。大きなガラス窓越しに見えるスッテプガーデンの緑に囲まれて、開放感溢れゆったりした雰囲気のアトリウムと軽井沢のカフェベーカリーのサワムラがあるのですが、その真上の3階に松本の「そば切りみよ田」が出店しています。
こちらの森タワーは、カジュアルな「虎ノ門横丁」のあるビジネスタワーと比べると人も少なく、とても静かで落ち着いた雰囲気です。
以前長女が虎ノ門ヒルズ近くのマンションに住んでいた時に、コロナ禍の影響もあったのかもしれませんが、「みよ田には殆どお客さんが居なかったけど、大丈夫かなぁ?」とヒトゴト乍ら心配していました。そのため気になって覗いてみると、その日は平日ですがほぼ満席で、順番待ちリストにも何組かの記名がありました。
この東京に、しかもヒルズのビジネスタワー側のすぐ横には、道路を挟んで老舗蕎麦屋の「砂場」が店を構える虎ノ門に「みよ田」は出店しています。
その虎ノ門の「砂場」は、秀吉の大坂城建設時に資材の砂置き場に蕎麦屋を開店したことに由来するとされ、家康が天下を統一した際に江戸に下って「大坂屋砂場」を始め、江戸三大蕎麦の一つに数えられているという、その「砂場」本家から明治初期に暖簾分けをした店なのだとか。今の木造の建物は関東大震災も東京大空襲も潜り抜け、虎ノ門ヒルズなど一体の建設での道路拡張工事のため、家の土台毎今の場所に曳家工法により、何メートルか奥に移動しています(下の写真は曳家工事後、2年前の「砂場」です)。
そんな150年も続く老舗蕎麦屋のすぐ近くへ、東京では無名の信州の蕎麦屋の出店だったのですから、おそらく何年も掛かったのかもしれませんが漸くお客さんが定着した様で、こちらもヒトゴト乍ら同郷の人間としては何となくホッとした次第。
松本にも明治10年創業の「弁天」や同じく明治末期創業の「こばやし」という老舗の蕎麦屋さんもあるのですが(私が子供の頃は松本の蕎麦屋はこの二つくらいしかなく、地元での人気を二分していました)、「そば切りみよ田」はそれらに比べて遥かに新しく、2005年に王滝グループが日穀製粉から経営を引き継いだ店なのです(尚、長野市にも「みよ田」がありますが、こちらは今でも日穀製粉が自社のアンテナショップ「そば処みよ田」として経営しています)。
店頭には、松本か豊科か、自社(王滝グループ)の製粉工場(小木曽製粉所)から届けられたと思われる、この日の信州産の蕎麦粉の原産地名がメニュー表にしっかりと記載されていて、何だか「ガンバレ!!」と声を掛けたくなりました。

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