カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 女の子の桃の節句、男の子の端午の節句。どちらにしても、お嫁さんの実家がお祝に雛人形や五月人形を贈る習わしです。昔ほどではないかもしれませんが、毎週水をもらいに行く「源智の井戸」がある高砂通りは、松本の人形店が両側に軒を連ね、今でも別名「人形町」と呼ばれています。

 我が家でも、長女が生まれた時に実家からは七段飾りを。また親戚からは、ガラスケースに入った親王飾りや市松人形も頂いて、ひな祭りには全て座敷に飾っていました。
しかし、海外赴任中は持っては行けないので、三段飾りの雛人形を代表して持って行って、赤道直下の常夏のシンガポールでも毎年三月に飾っていました。
しかし、シンガポールから帰国して母屋の横に自宅を建てたこともあり、いつか雛人形は母屋の屋根裏に保管したままで、三月になっても(信州松本はひな祭りも旧暦で行われるため、昔は月遅れの4月に行われていました)箱から出して飾ることも無く、娘たちや家内も女の子の節句である雛祭りに興味も無いのか、或いは幼少期に海外で育ったためか雛人形に対する執着も無く、いつしか箱から出して虫干しすることも全くないまま、そのまま屋根裏部屋で眠っていました。

 しかし、色々思うところ(飾らなかったり、飾っても片付けるのが遅れたりすると良くないという昔からの言い伝え)もあってこのところ些か気になっていました。そして、2月末に家内が次女と一緒に長女の留学先のサンノゼに行って一週間不在になることも手伝い、今年七段飾りだけですが、その間に母屋の屋根裏部屋から運び出して自宅に運んで来て、二階のファミリーコーナーへ飾ることにしました。
シンガポールから帰任して飾っていなかったとすると、20年以上箱にしまいっ放しということになりますが、それぞれの箱に入れてあった虫除け剤はすっかり空になってはいましたが、幸い虫に食われた様な穴やキズは全くありませんでした。
 「イヤぁ、良かった、良かった!」と、先ずは一安心
慎重に巻いてある紙を開き、小さな小物を確認し、箱に入れてあった説明書(但し全てに該当する一般的なマニュアル)と、更に20年前当時に飾った後で撮影したらしい写真を一番の頼りに、最下段の御所車と御駕籠から始まり、茶道具などの調度品、仕丁、随身、五人囃子、三人官女と少しずつ上段へ飾っていきます。最後に屏風を立てて親王飾りを上段に飾ってボンボリを左右に配して漸く完了しました。
それにしても、アルミ製の段と毛氈を敷いての七段飾りの大きいこと。優に畳二畳分を占め、高さも1.7m余り・・・。確かに豪華ではありますが、娘さんを嫁がせたお宅はどこも本当に大変(男も端午の五月人形があるので)だったのだと理解することが出来ましたし、飾るのも大変ですし、昔の様な田舎家でないと飾るスペース(日頃使わない座敷や客間等)にも事欠きますので、アパートやマンション住まいなどでは七段飾りなど言語道断。三段でも結構(畳一畳分程の)スペースが必要です。子供たちの成長と幸せを願い、厄や災いの身代わりとなってもらうべく江戸時代に庶民にも広まったという雛人形ですが、明治どころか、昭和も遠くなかりけり・・・ではいけません。
来年からは、七段飾りは勘弁してもらうにしても、せめて三段飾りくらいは娘たちの幸せを願って飾ってあげようと固く心に誓った次第・・・。
 「どうぞ、娘たちが健康で末永く幸せでありますように・・・」
 松本では、桃の花は早くても4月中旬を過ぎないと咲きませんが、今年は月遅れの4月3日まで雛人形を飾っておいてあげようと思います。