カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 新型コロナウイルス感染拡大防止に向けての緊急事態宣言。
ちょうど見頃を迎えていた3月の三連休に、上野や目黒川などへの花見での外出により、結果その後の感染拡大に繋がったという反省もあり、4月8日からの緊急事態宣言に伴い、対象都府県のみならず全国的に密閉密集密接の三密を避けてという雰囲気が高まっています。

 3月28日に開花宣言が出された松本城。今年は、そうした状況を受けてライトアップも中止されていますし、“天下第一の桜”と称される高遠城址公園は園内閉鎖とか。H/Pには「来春のお越しをおまちしております」の案内がされていました。桜に罪がある訳もありませんが、何だか可哀そうで悲しくなります。業平ではありませんが、一層の事、
 『 世の中に絶えて桜の無かりせば 春の心はのどけからまし 』
とさえ思ってしまいます。
しかし、『 国の専門家会議においても、3月19日に出した提言で、「(三密を避けた)外出機会を確保することは日々の健康を維持するために重要で、ひとりでの散歩や限られた人数での散歩などは感染リスクが低い」と発表しています。』ので、巣ごもりでストレスを溜めない様に、人との距離を保つことを心がければ、むしろ戸外に出ることは奨励されています。
 そこで、今年も咲いた桜。折角ですので、4月9日の木曜日。早朝ウォーキングを兼ねて歩いて松本城公園に行ってみました。
数日前、用事があって本町の郵便局と銀行に行った時は、女鳥羽川沿いの桜はまだ三分から五分咲き程度だったのですが、その後朝晩の寒さはともかく、日中に20℃を越える様な暖かな日もあったためか、9日の松本城の桜は一気に満開近くなっていました。
 お堀端は散策される方がチラホラ。コロナ対策でお城は天守閣は閉鎖中ですが、代わって本丸庭園は8時半から無料開放されています。園内にも加藤清正公の“駒つなぎの桜”と云われる枝垂を始め、ヒガンザクラやソメイなどの桜も何本かありますので、“桜の回廊”となるお堀端と併せて花を愛でることが出来ます。
さすがに、二の丸の松本城公園も、黒門から入場する本丸庭園も人は疎ら。入り口に除菌スプレーが置かれていました。五層六階の松本城天守閣。乾小天守、
 本丸と、お堀端、そして女鳥羽川沿い。本来なら、さくらまつりで夜間はライトアップがされるエリア。高遠もそうですが、「来春のお越しをおまちしておりますと」と、今年は来ていただけない代わりにせめてもの写真で雰囲気でも感じていただければ幸いです。
 桜は、来年も必ずちゃんと咲いてくれます。コロナなんかに決して負けずに・・・。

 今回の新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、都市圏に緊急事態宣言が出されるなど、異常事態が続いています。
私たちも、今週ワンコ連れで行く予定だった旅行をキャンセルし、定例の食料品の買い出し以外の外出は自粛。自宅に留まる日々が続いています。
そのため記載するネタに事欠く状態で、これまでの様に定期的にブログを更新することが難しくなってしまいました。そのため、今後は何か思うことや話題が出来た時に不定期で掲載していくつもりです。出来れば、最低でも週イチでは更新していきたいと思いますので、今後とも宜しくお願いいたします。
なお10年間続けてこのブログも既に1500回を超えておりますので、TVのアーカイブではありませんが、この際もし宜しければ過去の記事をカテゴリー別にでもご覧いただければ幸いに存じます。

 気分が滅入る様な不安な日々が続きますが、皆さまにおかれましても、どうぞくれぐれも体調管理にはご留意くださいますよう。
「コロナなんかに負けるな!!」
頑張りましょう。

 都市圏を中心に新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、3つの密を避けてと、専門家の意見を踏まえて各首長などから外出や宴会などに対する自粛要請が叫ばれています。

 春分の日の三連休の次の週末となった3月28・29日。
28日には松本城の桜の開花宣言が出されたのですが、翌29日は未明から雪が降り始め、松本では季節外れの大雪警報も出て、結果15㎝の積雪となりました。松本ばかりではなく、首都圏にも広く降雪があり、TVのニュース画面などに映された渋谷のスクランブル交差点や原宿などは通勤の方だけか、確かに人通りは疎らで外出自粛が浸透しているのが分かりました。きっと、この季節外れの雪も外出気分を妨げていたのでしょう。或る意味“天の配剤”だったのかもしれません。
 せっかく桜も咲いたのですが、恒例の松本城の桜のライトアップ「光の回廊」もやはり中止とか。残念ですが、今年ばかりはやむを得ません。娘たちも、久し振りにアルプス公園にでも行って松本での花見に集まろうと話していたのですが、首都圏の外出自粛でこれも中止です。
松本は月遅れなので、2月末からこの4月まで飾っていたお雛様。今日片付けることにします。例年の娘たちの幸せだけでなく、今年は一日も早いコロナ禍の収束を願わずにはいられませんでした。
 せっかく春が来たというのに、今年ばかりは“春きたれども・・・”。
気ばかりが滅入りますが、今はじっと我慢、我慢・・・。それにしても、新型コロナウイルスを恨まざるを得ません。

 新型コロナウイルス禍で3月に予定していた旅行もキャンセルしてしまいましたが、春分の日の三連休を前にして、或る程度感染拡大を抑え込めているという報道もあったので、せめて近間にナナとコユキも連れてドライブに行くことにしました。
選んだ行先は木曽奈良井宿です。奈良井は、旧木曽郡楢川村から平成の合併により現在は塩尻市になっていますが、個人的には奈良井宿はやはり木曽路の宿場町で、塩尻市と云われてもピンときません。塩尻はせいぜい本山宿まででしょうか。
さて、前回の日帰りでの横浜往復で、コユキもクレートに入らずに車に乗ることに多少は慣れた筈。今回はクレートも持たずに、奥さまとナナと一緒に後部座席に座ります。そうは言っても、どこへ連れて行かれるのかという不安での緊張はいつも通り。すぐにはリラックスという訳にはいかない様子です。
 奈良井へはいつも通り、奈良井川の堤防道路から洗馬を抜けて、本山で国道19号へ合流します。途中、塩尻から朝日村一帯での畑から巻き上げられた砂嵐に初めて遭遇。地元紙に依れば朝日村のレタス苗の植え付けに農家の方がゴーグルを着けて作業をしているとのことでしたが、そうした畑から舞い上がった土埃なので或る意味農家の方は自業自得かもしれませんが、住宅地では勿論洗濯物は戸外には干せず、ひどい日には数センチ庭先に砂が積もるなど、いくらこの春先の風物詩とはいえ、ここまでひどいと最早公害のレベルでしょう。

国道19号に入って、日出塩と贄川の間、カーブが連続し道幅が狭くなる桜沢地籍で新しいトンネル(1.5㎞とのこと)の掘削工事が行われていました。
この桜沢が尾張藩と松本藩の境界で、平成の合併までは木曽郡楢川村と塩尻市の境界でもありました。奈良井川の谷合で両側に山が迫り、国道脇に「是より南 木曽路」の石碑が建っています。ここを車で通過する時には、
「さぁ、いよいよころから木曽路に入るんだ。」
と、急カーブが続き事故の多い木曽路の国道を運転するのに気を引き締めたものですが、トンネルが開通したら一体この碑はどうなってしまうのでしょうか?・・・。因みに、中山道の馬籠宿・落合宿間に「是より北 木曽路」の碑が在って、この碑と対を成しています。
 松本の自宅からは1時間半。ガラガラかと思っていた駐車場には、意外と車が停まっていました。しかし、県外車を含めて普通車だけで、前回来た時の様な大型観光バスは一台もありません。やがり、コロナ禍で観光ツアーは自粛されている様です。
中山道六十九次で江戸から来ると、街道で一番の難所と云われた鳥居峠を控えて旅人が歩を休めたのが、この“奈良井千軒”と云われて栄えた奈良井宿。東西1㎞に亘り、今も江戸時代にタイムスリップしたかの様な町並みが続きます。今回はドッグバギーも積んで来たので、江戸側からは下町、中町、そしてクランクになっている「鍵の手」を曲がり、朝ドラ「おひさま」のロケも行われた上町へと、久し振りに宿場の端から端まで歩いてみることにしました。
さすがに三連休ですので、我々の様なワンコ連れなどの観光客が多少は歩いておられましたが、奈良井は1㎞にも及ぶ長い宿場ですので殆ど疎ら。自粛、自粛では息が詰まりますから、きっと皆さん同じ思いなのでしょう。しかし、インバウンドの団体やツアー客の姿は全くありません。いつもの週末に比べれば閑散としています。
まだ11時半でしたが、奈良井宿で唯一ワンコOKというお蕎麦屋さん「越後屋」で早めにランチにすることにしました。
こちらは、ウナギの寝床の様な間口の狭い町屋の建物は、中に入ると奥までずっと続いていて想像以上に広いのですが、奥のテーブルではなく、二階へ上がる階段で仕切られた入り口から入ってすぐのスペースにある4卓だけは、ペットも一緒でOKとのこと。女将さんから、
 「ワンちゃん、出してもらって構いませんヨ!」
とのことでしたが、しかし背もたれの無い和風の椅子で小型犬でも座りにくいので、店内でもそのまま二匹一緒にバギーに載ったままにしました。人間より先に、おやつを食べて水を飲ませてから、我々の食事の注文です。
一応手打ちとの書かれていた店先の看板に、私メはザル(2枚)、奥さまは温蕎麦で木曽名物のすんき蕎麦。それと五平餅。
ソバは手打ちとのことでしたが、まぁ観光地ですから・・・。でも奥さまの頼んだすんきは自家製らしく大変美味!それと、それぞれ小鉢で付いて来たお漬物の中の木曽らしい赤かぶ漬けも美味しかったです。先人の知恵でもある、塩を使わないすんき漬けは、山奥で塩が貴重だった昔から木曽地方に伝わる国内でも珍しい発酵食品。赤かぶの菜を使います。
コロナ禍で、食べている間のお客さんは我々だけ。女将さんも手持無沙汰の様で、給仕をしながら世間話です。3.11の時は、その後放送された朝ドラ「おひさま」のお陰で奈良井宿は観光客が増えて助かったそうですが、今回は収束するまでは止むを得ないでしょうね、とのこと。
因みに、奈良井宿は町並み保存で電柱を地中化していたため、「おひさま」の時は昭和初期にタイムスリップして、ロケ用にとわざわざ木製の電柱を建てたのだとか。
 食後、中町から上町を経て鎮め神社まで。
戻る途中で、いつも閉まっていた「クローマ」が開いていたので覗いてみました。こちらは本物の草花を使ったアクセサリーを販売している店で、何年も前、上の娘と家内がブローチを購入しました。
眺めていると、バギーに入っているナナを認め、
 「そのワンちゃんはシーズーですか?」
聞けば、17歳になるシーズーを飼われていて、若い頃ナナと同じ病気をして今でも薬を飲み続けているそうですが、頑張って17才になるとのこと。
 「シーズーは意外と強いのかしら・・・ネ?」
まるで同じような境遇に、何とも励まされました。
その後、私メは今回も看板犬のいる喫茶店にワンコたちの一緒に入りたかったのですが、奥さまは寄らずに直帰して、午後遅くなると売り切れてしまう人気店に寄って、明日の来客用のお団子を買って帰りたいとのことで、食事も含めて1時間程度の滞在だけで早々に奈良井宿を後にしました。
 帰路は家内は助手席に乗って、ワンコたちだけで後部座席に。
半分以上はバギーに乗っていたとはいえ、お出掛けに緊張して疲れたのか、二匹で仲良く寝ていました。

 最近、後継者問題も含めて、長い間親しまれて来た老舗店舗の店じまいが目立ちます。
松本でも、3年ほど前に土蔵造りで親しまれていた中町のカレーの「デリー」が閉店してしまいました。確か、私が中学生くらいの頃開店したと思います。カレーではカツカレーの「たくま」も閉店してしまいました。
“蔵の街”中町に相応しいデリーの建物は、松本民芸作家のギャラリーとして再出発するとのこと。
 最近地元紙で、大名町にある古書店「」が閉店するという記事を見ました。「青翰堂」は古本だけでなく、切手や古銭も扱っていて、切手収集に熱中していた小学生の頃、お年玉やお小遣いを貯めては、「見返り美人」や「月に雁」に代表される切手趣味週間の切手やや国際文通週間の「東海道五十三次」の切手など、自分が集める前に発行され値段が高くなっていた切手を一枚、また一枚と買い集めるのが夢で、買えるだけのお小遣いが溜まると、それを握りしめて自転車に乗って「青翰堂」まで勇んで買いに行ったものでした。
その「青翰堂」は、松本城天守を模した三層の建物。閉店を知らせる記事に依れば、
『「若い山バトの羽」を意味する「青翰」。なじみだった画家が名付けた。時代の流れを読み、新たな感覚と価値観を提案する店に―との思いが込められている。松本出身の花岡重雄さん(故人)が終戦直後、中心市街地に創業した「花岡書店」が前身。現在地に移転したのをきっかけに現店名に変更した。
郷土誌、歴史、美術書、文学書、和紙を糸でとじた明治時代を中心とした「和本」など学術関係の他、漫画、女性向け雑誌なども置く。古い記念切手や海外の切手、戦中の絵はがきなども扱った。
国宝松本城天守が1950~55年の「昭和の大修理」で覆われ、姿を見られなくなったのを寂しく思った花岡さんが、それまでの店舗を現在の形に建て替えた。「祖父(重雄さん)は商売好きでサービス精神旺盛だった。人が思い付かない、すごいことをやったなと思う」と2代目店主、頼充さん(84)の長女(56、山形県)。
頼充さん夫妻が高齢となり、経営が難しくなったため店を畳むことに。頼充さんは「約70年の長きにわたり、多くの人に来店してもらい、感謝しかありません」。借り手は既に決まっており、貸店舗として再出発する。』
私も、昭和の大修理で松本城の天守閣が見られない観光客のために、店舗を松本城を模した三層のミニ天守閣に改築。街の名物として、店をバックに記念撮影をしていくお客さんが絶えなかったそうです。
私メは切手だけで古書を購入することは無かったのですが、今は亡き先代の店主さんには子供の頃お世話になりました。

松本城に行った折、大名町まで足を延ばして「青翰堂」まで行ってみました。前日が最終営業日だったらしく、店は閉まっていて中に入ることはかないませんでしたが、子供の頃のお礼をして帰って来ました。
「子供の頃お世話になりました。長い間ご苦労様でした」

 旧制高校があったからとはいえ、以前の“学都”松本は地方都市としては異常なほど本屋さんが多かったのですが、少子化やネット社会、そして子供たちがゲーム依存で本を読まなくなったことも手伝って、本屋さんがどんどん減ってしまいました。そして、古書店とはいえ「青翰堂」もその中に含まれてしまいました。
書店数というのは、或る意味その都市の文化度を測るメジャーだとか。残念ですが、また一つ松本の老舗が姿を消してしまいました。

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