カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 何日も実家に居ると、松本での孫たちの“遊び”の材料が次第に“枯渇”して来ます。
都会であれば、動物園や水族館、キッズランドなど、そうした小さな子供たちが喜ぶ施設が幾つも有るのでしょうけれど、田舎ではなかなかそうはいきません。

以前松本に来た時に、娘がアルプス公園を始めとし、芳川公園や庄内公園など、松本市の公共公園は子供向けの遊具が充実していることに感心していましたが、雨の日や前日夕立ちがあった日などは、遊具が濡れていて使えないし、逆に昨今の様な猛暑の日は、遊具が火傷をする位に熱過ぎて使えないので、残念ながらそうした公園にも行くことが出来ません。
 そんなの時にお助けになるのが、先ずはショッピングモールです。
孫たちの一番人気は、イオンモール松本のキャラクターカートで、特に二人共アンパンマンが大好きで乗りたがりますが、週末などは子供たちのためにパパママたちが競って“早い者勝ち”での奪い合いになります。娘に依ると、
  「無料で乗れるなんて信じられない!有料にして貰ってもイイくらい・・・」
とのこと。
滞在中、私は用事があって行けなかったのですが、幼児連れのママさんに優しい「和み」でのランチを今回も個室で予約して、その前後にイオンモールの「キッズリパブリック」で買い物をするために、終末よりも混まない平日に家内と出掛けて行き、しっかりとアンパンマンのカートを確保して二人共乗れた様です。
 また、食料品買い出しはスーパーマーケット「ツルヤ」の中南信地区進出1号店でもある「渚ライフサイト」内の「ツルヤなぎさ店」が、ナント1年4ヶ月も掛けて7月から改装休業中(歳を取っても歩いて行けるからと今のマンションに決めたのに、まだ運転が出来る我々は良いとして、そうした事情を抱えたお年寄りは「その間は他店へどうぞ」と云われても、では実際にどうすれば良いのか、余りに“ユーザー・アンフレンドリー”な対応と云わざるを得ません)のため、結果代わりに選んだのが、松本市内の本店を閉めた井上百貨店が運営する、松本市郊外山形村のショッピングモール「アイシティー21」です。今までは殆ど利用したことは無かったのですが、市街から郊外へ向かう道路は混んでいないので、渚からは15分足らずで行くことが出来ます。そして、こちらにも「ツルヤ」が敷地内に別棟で入っています。
たまたま行った日は夏休みということもあって、アイシティーの一階モールの中央ステージで日替わりのイベントがされていて、この日は子供向けの音楽ステージが無料で40分間実施されていました。
ステージ前には椅子席も用意されていて、今回は昼前後の2公演でしたが、出演は大阪市東淀川区に拠点を置く「スキップ楽団」とのこと。
こちらの楽団は1977年に結成された、幼稚園や保育所の遊戯室、高齢者施設のロビーや食堂等、小規模スペースを会場とする公演など幅広い活動をしている音楽集団とのことで、この日はメインボーカル兼アイリッシュハープの女性、3代目リーダーというヴァイオリン、他にキーボード、ドラムスの各々ボーカルも兼ねる男性3人の計4人編成。
ステージは、アイルランド民謡の「ダニーボーイ」や童謡「雨降りお月さん」、そしてジブリのトトロから「さんぽ」などなど。
皆さん音楽の専門教育を受けられたプロミュージシャンの様で、わざとふざけては子供たちを沸かせながらも演奏はしっかりしていますし、女性ボーカルも澄んだソプラノで上手でした。子供たちも手拍子をしながら喜んでステージも大いに盛り上がっていました。
今や音楽大学を出ても、演奏人口の多いピアノやヴァイオリンなどは、著名な国際コンクール優勝の肩書か、或いは技量は“そこそこ”でも余程の美形でなければプロ演奏家として売れることはありますまい。ですので、こうした形で毎日音楽を生業に出来るのは、例え王道ではないとしても、音楽家人生としては或る意味幸せではないだろうかと、へそ曲がりの斜視的な見方かもしれませんが、手拍子をしながらそう感じて私も聴き入っていました。
最後は、音階毎に並べられた大小のフライパンを希望して前に出て来た子供たちに叩かせながら、一緒に「さんぽ」を合同演奏。いつもは次女に似て引っ込み思案の上の孫も、この日は自分から「行きたい!」と云ったそうで、下の孫も一緒に娘がサポートしながらしっかりとパーカーッションに参加していました。
 さて、また別の日のこと。
上の子が電車好きということもあって、“時間潰し”のイベント代わりに二度、マンションからすぐのアルピコ交通(旧松本電鉄)の上高地線の渚駅から二駅の松本駅まで電車で往復しました。
松本と上高地への入り口となる新島々までの上高地線は現在二両連結で、京王電鉄の3000系車両が引退し、現在は東武鉄道20000系車両3編成で運行されています(内1編成が、アルピコ社内の女性社員が描いた上高地線のキャラクター「渕東(えんどう)なぎさ」がCFなどに依って描かれた、2代目なぎさトレインです。因みに渕東も渚も上高地線の駅名)。

 大人の我々からするとたった二駅、僅か片道4分の乗車時間なのですが、彼等幼い孫たちからすると立派な“大冒険”なのでしょう。
踏切がカンカン鳴って電車が近付いて来る時から嬉しそうにはしゃいでいて、ドアが開いて乗車し、たった4分間の沿線の様子を窓越しに靴を脱いで座席に正座して眺めながら、終点の松本駅では八王子から乗って来た特急あずさが多い時は4編成も停車していたりと、乗り物好きな子供たちは電車での行き帰りをとても喜んで乗っていました。
 以上、ひと時の田舎暮らしの中で孫たちが見つけた、身近なエンターテイメントと小さな大冒険でした。

 8月お盆前。予定通り、次女が孫たちを連れて松本へ帰省して来ました。
会社の先輩女性曰く、学生時代の仲間内では、このお盆の孫たちの帰省を“夏の陣”と呼んでいるのだとか。なかなか言い得て妙!我が家の“夏の陣”も、この老体に鞭打って、いざ“戦闘開始”・・・です。
 病院勤めで松本へは来られない婿殿が休みの週末に八王子まで送って来て、八王子まで迎えに行った奥さまとそこで交代し、松本まで今度は家内が一緒にあずさでやって来ました。
会社によっては、今年最長10日間の長期お盆休暇のスタートとなる土曜日とあって、30分無料の駅駐車場は出迎えと観光の県外車で満車。早めに行って並んだこともあり、ギリギリで西口の「アルプス口」駐車場に停めることが出来ました。

 今回はホームまで迎えに行かなくても大丈夫とのことで改札口で待っていると、二人乗りのベビーカーと一緒に孫たちがしっかりと歩いてやって来ました。
二人共口々に「ジィジ!ジィジ!」とニコニコ叫びながらやって来ます。
そして、毎月の“家政婦”業の甲斐あって、いつもは“バァバっ子”の下の孫も含め、二人共「ジィジと!」と言って私と手を繋いで車の所まで私と一緒に歩いて行きます。これには家内も娘もビックリです。

 マンションに着き、家に入って暫しワンコたちを追い掛け回してから、早速松本用に置いてある二人のオモチャで孫たちは遊び開始です。
ずっと家の中に居て、オモチャとそれに飽きてのYouTube Kidsばかり視ていてもいけないので、夕刻涼しくなってから、マンション近くの公民館の広場にある滑り台とブランコの遊具で気分転換へ。
その時も、二人共「ジィジと行く!」と言って、家のドアからエレベーターに乗ってマンションを出て公民館まで歩いて行く間、二人共ずっと私と手を繋いで歩いて行きました。娘が「貴重な証拠写真だから!」と言って、それを後ろから何枚か写真に撮ってくれました。家内も、「良かったネ!!」。

 5月に横浜へ行った時には、室内用の小さな滑り台でさえも怖がっていた下の子が、公民館に在る滑り台を上からスーッと滑り降りて来たのには娘も家内もビックリの様子。そして、その“成功体験”が嬉しかったのか、何度も何度も喜んで滑っています。
特に3ヶ月ぶりに孫たちに会った私からすると、二人のたった数ヶ月の間の成長ぶりにビックリです。上の子は、単語だけだった会話が長い文章の様になりました。4月から幼稚園に行ってお友達が出来て、一緒に遊んだりしているからかもしれません。


 暫く遊んで、すぐ近くにアルピコ交通上高地線の渚駅が在って、一時間に上り下り一本ずつの電車が近づくと踏切がカンカン鳴るので、二両連結のその電車を楽しそうに見送ってから、次にお風呂に入るために家に戻りましたが、この時もしっかり私と手を繋いでくれました。
 「ジィジ冥利に尽きるでしょ!?」
 「えっ、イヤ別に・・・」

 因みに、翌日になると、孫たちは私ではなく、上の子は娘と。そして下の子はいつものバァバとしっかりと手をつなぎ、それから滞在中に二人共ジィジと手を繋ぐことはありませんでした。

 結局、そんなジィジ冥利に尽きた、たった一日だけの貴重な“ジィジの日”だったのでした・・・。

 8月、久し振りに映画を見に行きました。それは2021年7月4日から9月12日までTBS系「日曜劇場」で放送されたテレビドラマ「TOKYO MER」。
放送終了後多くの反響が寄せられた結果、2023年4月に続編となる劇場版第1作目が公開されたのですが、今年その劇場版第2作がこの8月1日から全国公開されています。
 予告編的に簡単にその劇場版の二作を紹介させていただくと、
『2023年4月に公開された劇場版一作目では、横浜のシンボル・ランドマークタワーを舞台として、爆発事故により193名が閉じ込められるという大災害に立ち向かう姿が描かれた。
映画ならではの壮大なスケール感と、仲間同士の熱い絆に、多くの観客が胸を熱くし、興行収入は45.3億円という大ヒットを記録。続編を求める声が多くあがっていた。』
そして、予告編に書かれている内容ですので、決してネタバレにはならないと思いますが、今公開されている劇場版第二作「TOKYO MER南海ミッション」は、
『TOKYO MERの活躍が高く評価され、全国主要都市に新たなMERが誕生するなか、沖縄・鹿児島では離島地域に対応できるMERの誘致活動が活発化する。指導スタッフとしてTOKYO MERのチーフドクター・喜多見と看護師の夏梅が派遣され、オペ室搭載の中型車両を乗せたフェリーで離島での事故や災害に対応する「南海 MER」の試験運用が始まるが、半年が過ぎても緊急出動要請はなく、廃止寸前に追い込まれていた。
そんなある日、鹿児島県の諏訪之瀬島で火山が噴火し、ついに大規模医療事案への出動が決まる。島では想像をはるかに超える惨状が広がっており、噴煙のためヘリコプターによる救助はできず、海上自衛隊や海上保安庁の到着も数十分後だという。噴石が飛び交い溶岩が迫るなか、南海MERは島に取り残された79人の命を救うべく高難度のミッションに挑む。』
という内容です。
 この予告編に書かれている内容の範囲でネタバレにはならぬ様に、既に視聴した者としての感想を書かせていただくと、今までのTVシリーズと第1作目の劇場版も、最後の最後には「今回も・・・死者ゼロです!」が、同じTBSだからと云えるのかどうか分かりませんが、「水戸黄門」の「この印籠が目に入らぬか!?」的な決めゼリフと分かって安心はしていても、最後の最後まで見る者にハラハラと緊張感を与えるスリリングな展開で、「あぁ、もうダメか・・・」と一旦は思わせながら、最後の最後になって「えぇーっ!?そう来たか・・・!」という唖然とする様な解決策を(都度色んなネタを駆使しながら)見せてくれるのです。その意味で、監督や、出演者や、カメラワークや、特に今回はVFXが非情に良く出来ていて、本物の火山が噴火している様な臨場感があります。
そうした中で、個人的に今回一番良く出来ていると思ったのは脚本(黒岩勉)でした。
最後の最後まで、視ている方をハラハラドキドキさせながら、そのミッションがクリアされる度にホッとすると、しかしまだそれでは終わらせないで、更に次から次へと新たに困難なミッションが現れるという、様々なエピソードがストーリーとして描かれて行って、最後の最後まで飽きさせません。
そして、その最後は“水戸黄門”的で分かっている筈なのに、  「えぇー、じゃぁ一体どうやって解決するんだろう!?」と思わせてくれるのです。
例えば、視初めて最初、また途中でも・・・、
 「南海NERって、一体何?」
 「今回はスケールダウン?」
 「TOKYO MERの他のメンバーは出ないの?」
・・・等々、南海MERの位置付けや背景等は映画の冒頭で理解出来るのですが、途中視ながらも色々疑問も浮かぶ中で・・・、でも、今回もいつもの赤塚東京都知事と白金官房長官との“女の確執”もちゃんと挿入されていて、まさか自衛隊のC‐2輸送機まで最後に登場させるとは・・・。
 最後にネタバレ的ですが何卒ご容赦いただき、個人的に一番良かったシーンを紹介させていただくと・・・、
定員オーバーの全島民を載せ全速前進で島から脱出した南海 MERが燃料が尽きた時、漁船で持って来た予備タンクにあるだけの燃料を補給し、重症者を助けるために、病院のある島までその限られた燃料で船が行き着くようにと、船への負担を減らすべく、ケガ人や子供と老人を残して、女子中学生まで含めてまだ動ける男女の島民が皆救命胴衣を着て、喜多見チーフの制止を振り切って次々と海に飛び込むシーン・・・でした。
東日本や能登などの被災地を抱えるこの国では、事の大小こそあれ、きっとこうした住民らの行動が自然に行われている筈です。
実際に、2014年11月に白馬村を中心に発生した最大震度6弱の長野県北部地震(神城断層地震)で、多くの建物が倒壊しながら、住民同士の助け合いで建物の下敷きになった人を救出し、正しく「死者ゼロ!」を達成したという事例があり、「白馬の奇跡」と呼ばれています。

 最後見終わって「いやぁ、良く考えたなぁ・・・」と、それこそ練りに練られた素晴らしい脚本だと心底感心した次第です。TV作品同様、今回も脚本を書かれた黒岩勉氏に一番の拍手を送ります。

 以上、脚本の重要性を改めて再認識させられた中で、片や翻って思い出されるのは、それとは全く真逆の作品のことでした。
それは3年前に視た、水谷豊監督・脚本・主演作品「太陽とボレロ」。
この作品はご本人主演の人気シリーズを放映するTVでの前宣伝も大きく、しかも地元松本が舞台となったので、(地元民としては)楽しみにしていた映画だっただけに、その意味でそれ以上に個人的には過去一番ガッカリした作品でした。
それは映画を視ていて、あのクライマックスに向かってのワクワク感が全く湧いてこないのです。見終わった後、暫し溜息しか出なかったのです。
その理由は、映像(カメラワーク)はともかく、脚本が酷過ぎたからでした。
細切れのちっぽけなエピソードをパッチワークの様に継ぎ接ぎしただけで、他の見応えの在る作品の様な(例えあり得ないと思っても)二重三重に張り巡らされた複雑なストーリー展開の工夫も、またはムム、そう来たか!という様な唸らされる捻りも、思わず吹き出す様なウィットも無く、途中からはそうした興味も全く消え失せ、後はストーリー展開とは全く関係無く、映画に出て来る(地元ロケ故に)場所や街角がどこかという興味のみ・・・。
「出演者全員に吹き替えではなく、実際に自身でボレロの楽器演奏をするように求め」たという“厳しい監督”であるならば、自身には更に厳しく、もっと真剣に視る者をあっと言わせるような脚本を練り上げて欲しかったと残念でなりませんでした(最後は・・・期待して視たこちらがバカだったと思って諦めるしかありませんでした・・・)。

 そんな映画もこれまでにはあった中で、今回の映画「TOKYO MER南海ミッション」は、練りに練られた(他にも、勿論洋画邦画問わず、そうした秀作はたくさんありますが)本当に視る価値のある作品でした。
余談ですが、最後の最後のエンドロールで、実際に各地の離島などで医療活動を行っている医療従事者の方々が皆笑顔で次々に登場していたのが、フィクションである本作品を実際に“現場”“現物”を感じさせて“現実”に近付ける意味でも実に良かったと感じながら、視終わってからも暫し余韻に浸っていました。

 残暑お見舞い申し上げます。
信州もご多分に漏れず、猛暑日が結構ありますが、内陸のため湿気が少なく、また猛暑日であっても朝晩は21~23℃位なので、窓を全開にしていると入って来る風が寒くて、明け方に目が覚めて窓を閉める程です。まだまだ暑い日が続いてはいますが、立秋を過ぎたせいか、その頃からは朝20℃を下回る日も出て来ました。 そんな信州松本の、2025夏の風景です。


 先ずは信州松本のシンボル松本城。朱塗りの埋橋が塗り直され、モノトーンの天守との対比が映えます(7月4日撮影)
 土用丑の日の鰻です。今年は長女が送って来てくれた鰻を自宅で戴きました(7月19日)
 7月24・25日の深志神社の例大祭“天神祭り”。氏子の各町会の16台の舞台が曳かれ、街中を練り歩きます(中町の舞台。7月24日撮影)
 松本は基本的に月遅れで節句を祝います。旧暦でないと、例えば雛祭りでは4月でないと桃の花が咲きませんし、6月にならないと柏餅に使う柏の葉も大きくなっていません。
ただ現在では保育園などは、全国に合わせて行うところもある様で、従って場合によっては2ヶ月近く飾り付けを楽しむことが出来ます。
旧暦で8月7日に行われる七夕祭。松本では七月に入ると、松本七夕人形が街のあちこちに飾られています。これは江戸時代から伝わる風習で、松本では短冊を付けた笹竹の他に、子供たちの健やかな成長を祈るために男女一対の七夕人形も一緒に軒下に吊るされます。この松本七夕人形は、全国でも唯一松本だけの伝統行事として300年間も受け継がれていて、今では街中の各商店などに飾られて松本の夏を彩っています(7月24日撮影)。
 夏と云えば、真っ赤な夕映えに映える黒い屏風の様な北アルプスの峰々。千変万化で刻々とその表情を変え、二度と同じ景色を見ることはありません。大自然が“日本の屋根”に描く、“真夏のプロジェクターマッピング”とでも云ったら良いでしょうか。自然の織り成す“芸術作品”に、暫しうっとりとする瞬間です。(同じく7月24日撮影)。
 続いて、これまた夏の風物詩の花火です。日本最大の3万発を打ち上げる夏の諏訪湖の花火には比べるべくもありませんが、松本では8月9日に薄川で筑摩の花火大会が行われ、3000発の花火が松本の夜空を彩りました。我が家でもマンションのベランダから、ビル越しに花火が眺められます。ちょうど帰省して来てくれていた次女と孫たちと一緒に、夏の風物詩を楽しみました。もう少し孫たちが大きくなったら(音が怖くなくなったら)、湖畔で諏訪の花火を皆で楽しめたらと思います(8月9日撮影)。

 お盆。ご先祖様の霊をお迎えするための“お棚”を作ります。そこに仏壇から位牌などを移動して、またご先祖様をお墓から乗せてお連れする精霊馬を作って飾りますが、キュウリの馬とナスの牛です。これは、ご先祖様を迎えるにあたって、「少しでも早く家に帰って来られる」様にお迎えは馬に乗って、そして帰る時には牛に乗って「ゆっくりとお帰りください」という気持ちを表すと云われています。私の子供の頃までは、先祖の霊をお墓にお送りする際に、この馬と牛も近所の川に“精霊流し”の様に流してお送りしたのですが、今は環境上の問題もあり川に流すことはせず、自宅で処分しています。
旧盆となる8月13日の迎え盆。松本地方では白樺の樹皮を剥いで乾かしたカンバ(「樺」、白樺の意)で、迎え火をお墓と家の玄関先でも焚いて霊をお迎えします。カンバの灯りで、お墓から家までの道筋をご先祖様に示すと云われています(送り火の場合は逆に玄関→お墓の順番で焚きます。防火上、ペットボトルに水を用意して、火が消えてからちゃんと水も掛けます)。
因みに、カンバはこの時期になると地元のホームセンターやスーパー等で普通に売られています。松本地域以外にもカンバを焚くエリアが長野県内では北信地方にもあるようですが、少なくとも諏訪地域ではそうした風習は無いようです。家内の実家でもカンバは焚きませんし、婿に入った父方の茅野に住む伯父の家でも、亡き叔父はわざわざ松本からカンバを買って来て、お盆には松本流にカンバを焚いていたそうですが、茅野出身の叔母はカンバは知らなかったそうです。
 8月16日の送り盆。カンバを焚いて送り火をして、ご先祖様をまたお墓にお連れして、今年もお盆が静かに過ぎて行きました。

  以上、今年見つけた“信州松本 夏の風景”でした。

 30年以上続いた地元町会の有志の方々に依る「源智の井戸を守る会」が高齢化に伴いメンバーが減り、遂に86歳の会長お一人になったのを見るに見かねて、近くにお住まいで井戸縁の83歳の女性が手伝われる様になり、その「お年寄り二人だけに任せてはおけない」と、60代の町会役員の方お二人も参加されて「井戸と花の会」を作り、昨年7月から井戸の清掃活動を引き継がれました。

しかし中心市街地のドーナツ化による住民の減少と高齢化で、今後ずっと続けていくことは無理なことから、年度末の今年の3月一杯で会は解散し、「源智の井戸」は市の文化財であり、そのため今後の管理を市に委ねる旨を市に申し入れたのです。
そうした地元町会の窮状が昨年8月末の地元紙「市民タイムズ」で報道され、10年来ただで水を頂いてきた身としてはいたたまれず、地元町会以外の初めてのメンバーとして参加して分かったことは、地元町会の皆さんはこれまで市の担当課とは何度も交渉したり申し入れをしたりする中で、これまでは「予算が無い」の一点張りで何も進展が無く、皆さんはもう疲れて諦めにも近かったため、そこでダメ元で皆さんに迷惑が掛からぬ様に、飽くまで私個人として「市長への手紙」に窮状を訴える投書を送ったのです。
 するとそれを市長ご自身が読まれ、これまでの担当課では進展が無かったという投書の内容から、担当課ではない別の「地域づくり課」と井戸の在る地区担当の「第2地区地域づくりセンター」の課長さんに直接指示をされ、町会長さんと清掃をしてきた我々メンバーとの数度の話し合いの結果、第2地区の地域づくりセンターが事務局となってボランティア募集が開始され、責任を感じた地区の町会長連合会の有志の方々も含め、20人程が清掃ボランティアとしてメンバー登録をされました。
地元町会はここで清掃活動から卒業とのことで、町会長さんだけが相談役として残り、当初のメンバーの皆さんは一旦手を引かれることとなったため、唯一残った清掃メンバーであった私メがそれまでのメンバーの皆さんからの意志を引き継いで、新たなボランティア組織である「源智の井戸を守り隊」の代表者として隊長を引き受けることになりました。
また肝心の井戸清掃は、今年度から市の担当課の予算申請が通り、少なくとも年度内は業者に依る月二回の清掃が開始されたことから、ボランティアは先ず月一回の清掃からスタートしました。
すると10数人が集まった第一回目の清掃の際、“三人寄れば文殊の知恵”ではありませんが、人数が多ければ色々なイデアが出るものだと感心したのは、防災備品として災害用に自費で購入したというポンプを台車に載せて運んで来てくださった第二地区の役員の方がおられ、ジョレンやデッキブラシで擦って浮かせた藻を金網ですくうのと並行して、藻の混ざった汚れた湧水を一気に汲み出し、湧き出て来る新鮮な湧水に入れ替えたのです。併せて、その排水する水を勢い良く水路に流すことで、水路用のブラシで擦った汚れを一気に流すことにも繋がりました。
こうして“文明の利器”と人数も増えた結果、これまでは有志5人での清掃活動では今までなかなか手が回らなかった、井戸周辺の水路までデッキブラシで擦って掃除することが出来たので、見違え得る様にキレイになりました。
こうして月一回のボランティアに依る「源智の井戸」の清掃ボランティアを行う中で、ボランティア募集も併行して実施しました。
すると、スタートした当初は地元第2地区の町会長さんは各町会のある意味長老さんですし、有志の方々も私の様なリアタイア組の方が多かったのですが、次第に若い方も参加してくれる様になったのです。
更に話を聞かれた地元高校が地域貢献活動の一環ということで、生徒さん達が井戸からの水路を月一回清掃してくれることになりました。
また市の方でも「地域チャレンジ応援事業補助金」を今年度新設し、地区町会だけでなく我々の様なボランティア組織も対象とすることが可能とのことで、ボランティア組織である我々の「源智の井戸を守り隊」も申請したところ、審査の結果20万円程の補助金を頂くことが出来、ずっと善意に甘えているだけではいけないので、ボランティアとしても発電機とポンプを購入し、ホースは消防法上使用期限が切れてしまっているという新品のホース(消防の消火活動以外への使用は全く問題無し)を発注先の業者から無償で戴くことが出来ましたし、また清掃活動中の万が一のケガに備えてボランティア保険にも登録メンバー全員を登録することが出来ました。
ボランティア募集スタートに際し、当初地域づくりセンターの課長さんとは、
 「“巧遅拙速に如かず”で、ボランティア活動をどうしていけば良いかは、周りからゴチャゴチャ言われても良いので、走りながら考えましょう!」
とスタートしたのですが、我々の予想以上に順調に発展拡大してきています。
 他にも色々進展がありました。
購入したポンプと発電機を試運転するために井戸に役員数人で集まった際、井桁上部の木枠を外すことが出来るということが分かったのです。大人4人で80㎏程もある八角形の木枠を外すと、これまでの用に木枠に邪魔されずに、ジョレンやブラシで井戸の中の隅々まで攪拌して藻を浮かせ、ポンプで吸い上げることが出来ます。
購入したポンプを初めて使った8月の清掃活動では、木枠の他にも分かったことがありました。今回も善意でお持ちいただいたポンプと購入したポンプの合わせて2台で、掃除後に浮いた藻を一緒に吸い上げたのですが、吸い上げる水の量が合計で毎分280ℓ、井戸の湧水量は毎分200ℓ。そのため井戸の水位がかなり下がった結果、湧水が泡を立ててブクブクと湧き出しているポイントを初めて目で見ることが出来ました。因みに、一度井戸が枯れてしまい、昭和63年(1988年)に深さ50mまで井戸を掘り下げた結果また水が湧き出したのですが、その湧水量は毎分500ℓで井戸の容量には多過ぎたので、そのため井戸横の地下にバルブを設けて、現在の毎分200ℓに調整しているのだと知りました。
また、この6月くらいから湧水量が増えて来たのですが、これは河川が夏渇水期となり、田川など毎年干上がるのですが、「源智の井戸」はむしろ冬が湧水量が減って、夏になると増えるのだとか。実際に6月頃からポンプでくみ上げても、水位が春頃に比べ以前程下がらなかったのはそれが理由でした。
考えるに、冬場は薄川や女鳥羽川などの水源となる2000m級の筑摩山系に降る雪はそのまま積もり融けることは無いのですが、春の雪解けで川や地中にも沁み込んで地下水となって、やがて夏頃に湧水として湧き出してくるからではないでしょうか。
清掃活動に関わることで、「源智の井戸」についてそれまで知らなかったことが新たに見えてきました。
 また、今回の8月の清掃活動には、20代前半の本当に若い皆さんが4名、「ボランティア松本市」で検索して行き着いたからと初めて参加してくれました(内お一人は受験生とかで、むしろ勉強に専念して貰う様にボランティア継続はお断りしました。もしUターンして来られたら、また参加してください)。
また松本市内で民家を改装して、外国人向けのゲストハウスを始められたという県外からの移住者のうら若き女性(お父様が昔松本に転勤で来られていて、自宅と松本を行き来する内に松本を気に入られたとか)が、それまで清掃に参加されていた地元町会の役員の方に偶然「この辺に自販機はありませんか」と聞いて「源智の井戸」を紹介され、飲んで美味しかったのとボランティア募集の貼紙を見て、今回仕事仲間を誘って4人でこれまた初参加してくれました。
今後のボランティア活動の継続は決して順風満帆ではないかもしれませんが、我々の様な“年寄り”だけでは何十年も続けることは不可能なので、こうした若い皆さんが参加してくださったことが何よりの喜びでした。
そして今回のハイライトは、ボランティア募集のきっかけになった「市長への手紙」を読んだ臥雲義尚松本市長ご自身が、地域づくりセンター長の経過報告を受けて自ら参加いただいたことです。しかも単なる視察ではなく、皆さんと一緒に清掃活動も1時間以上しっかりと最後までやってくださったことです。
終了後に臥雲市長にボランティアの皆さんに挨拶いただいた中で、
 「少子高齢化社会で、我が松本市も例外ではなく、これまで町会単位で行って来た色々な活動を実施するのが段々難しくなって来ている中で、町会単位ではなく、今後はその枠を超えた市民の皆さんに依るボランティアで推進していくことが次第に必要になって来ます。その意味で、この皆さんの源智の井戸のボランティア活動が、そうした今後の松本の是非モデルケースになって頂ける様に、是非頑張っていただきたいと思います。」
との激励もいただきました。
 市長の仰る通りだと思うのです。
“平成の名水百選”に選ばれた「まつもと城下町湧水群」に限っても、例えば「源智の井戸」と同じく市の文化財課が管轄する「槻井泉神社の湧水」と、湧水群の中でこちらも人気の「鯛萬の井戸」。
「槻井泉神社の湧水」では、地元町会に依る利用と管理をしています。また「鯛萬の井戸」は元々松本の有名な割烹料亭「鯛萬」が掘った井戸ですが、料亭が移転した後も井戸はそのまま残り、その後小さな公園として整備されて多くの人に利用される井戸となっています。この「鯛萬の井戸」では、町会は直接関与せず地元有志の3人の管理者の方が清掃をされておられますが、どちらの井戸も活動されている方々は高齢の皆さんです。
また他の湧水群に指定されている湧水や井戸は、いずれも地元町会が管理することを条件に市と協定を結んでいるそうですが、他の井戸は例えばポンプに依る汲み上げ式だったりして、大きな木枠で囲われて中に玉砂利が入っている「源智の井戸」と比べると掃除が容易ですし、日光が差し込んで光合成で藻が発生することも無いので藻の除去もそれ程必要が無いはいえ、管理する以上はゴミ拾いや草取りなども含めて井戸の清掃活動自体は必要であり、複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会も少子高齢化とドーナツ化現象で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって水平展開されていくことが必要だと思います。
その意味で、市長に認識も頂き若い人たちが参加してくれたことが、今後ずっと決して順風満帆に進む訳ではないかもしれませんし、ボランティア第一号としては些か大袈裟な物言いではありますが、未来への継続の“光”になってくれた様に感じた次第です。

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