カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 9月11日の新聞報道で、民間のシンクタンクの実施した調査『日本の都市特性評価』(全国72都市対象)で1位の京都市、2位の福岡、3位大阪・・・といった都市に続いて、松本市がナント全国で10位!とか(長野市も18位と健闘)。
因みに初めて調査が行われた昨年が13位だったそうですが、今年は順位を三つ上げてトップテン入りとのこと。
4位以下には、横浜、名古屋、仙台、札幌といった大都市が並び、金沢が第9位で、その次が松本市なのだそうですが、これって凄くないですか?
因みに、その“人気都市”に生まれて暮らす市民の一人としては、そんな実感(勿論自分が、生まれ育った大好きな街で、客観的に見ても良い街だとは思いますが、でもトップテンかと問われれば、そうかなぁ・・・??)はありません。
おそらく、首都圏から近過ぎずまた遠すぎず、都会ではないがそうかといってド田舎でもなく、岳・学・楽の三ガク都として自負するだけに、自然もあって(城下町で)歴史と多少文化的な匂いもする・・・というのが、外から見たところの我が松本の魅力ではないかと勝手に想像するのですが・・・。

 この都市特性評価は、都市の強みや魅力といった都市特性を明らかにする目的の調査だそうですが、分野毎の評価の合計スコアでランクされ、松本市は、「環境」(リサイクル率、日照時間など10指標)が1位、「生活・居住」(犯罪の少なさ、医師の多さなど24指標)が2位、「経済・ビジネス」は13位、「文化・交流」が15位と高かったのに対し、「交通・アクセス」は67位と低かったのこと。シンクタンクによれば、松本は『恵まれた自然と優れた居住環境で、人々が健康的に長く活躍していることが伺える』と分析されたのだそうです。
この調査では全国72都市が調査対象とのことですから、平均的には各県2都市。従って、この72に含まれない調査対象外にもっと評価されるべき都市もあるのかもしれませんが・・・。

 主観的ではなく、こうした具体的な指標で客観的に評価されるのは嬉しい限りですが、そういえば、以前仕事の関係でお会いした某大手金融機関の松本支店長さん。
県外出身の転勤族で、松本へご家族で転勤して来られたそうですが、ご家族(特に奥様とお嬢さん)が松本を気に入られてしまい、もうここから動きたくないと自宅を購入され、次の転勤先へは「単身赴任です・・・」と笑っておられました。ご自身も松本を気に入って、リタイア後に住むことを同意されたのだとか。
松本に限らず、長野県は移住先としても全国の都道府県では常にトップクラスの人気だそうですが、多分大票田が首都圏でしょうから、首都圏から近く、また適度に便利で自然が豊かというのがその理由だと思います。
 ただ、長野県は先駆けとなった減塩活動や保健師さんの保健指導などの成果により、確かに男女共トップクラスの長寿県ですが、冬の寒さ等の自然環境面の影響もあるにせよ、健康寿命ではまだまだです。出来るだけ元気に“PPK”のピンピンコロリを目指して更に努力する必要がありましょう。
そこで、個人的には(些か他責ではありますが)いつか佐久にあるという「ぴんころ地蔵」さんへお参りに行きたいと思っています。

 娘が以前空港勤務で成田に居たこともあったので、決して他人事ではないのですが、今回の台風で千葉県内を中心とした大規模停電は、いくら天災とはいえここまで長引くと、東日本の時に「想定外」という発言を繰り返した電力会社の今回もミスによる人災ではないのか・・・と疑ってしまいます。
いずれにせよ、1日も早い復旧をお祈りいたします。また、気になっているのは伊豆諸島。多くの家屋が倒壊しているとの一部報道があったのですが、その後被害の詳細が千葉中心で、離島の様子は余り報道されません。離島ではボランティアも限られてしまうでしょうし、大丈夫でしょうか?

 さて、まもなく秋分の日。さすがに残暑も過ぎて、朝晩は涼しいどころか信州は肌寒くさえ感じられます。
学生時代大好きだったオフコースの名曲「秋の気配」-“♪ たそがれは風を止めて ちぎれた雲がまたひとつになる ”ではないのですが、五感で感じる身近な“秋の気配”。
例えば音では、お盆を過ぎた頃から、日中はまだまだ猛暑だったのですが、夜になるとコオロギの鳴き声が聞こえるようになりました。
そして、いつの間にかトンボが飛び交うようになった空には“ちぎれ雲”のイワシ雲も見られるようになりました。
匂いでは、あのムッとするような夏の暑さの匂いが消えました。秋の風の匂いは、果たして何でしょうか。或る意味“匂いの無い透明感”かな・・・。秋も深まれば、落ち葉焚きや秋刀魚の焦げた匂いなど、“食欲の秋”になっていくのかもしれませんが・・・。

 個人的に、目に映る中で感じる身近な“秋の気配”、それは萩の花。
どこかのお宅の庭先や街中で咲く萩の花を見ると、“♪今はもう秋・・・”ではないのですが、秋の訪れを感じます。
こちらの写真は、隔週で水を頂きに行く、人形町(高砂通)の「源智の井戸」の萩の花です。そういえば信州松本の“名水”は年中一定した水温(確か13℃)ですが、夏はヒンヤリと冷たく感じた水が最近は暖かくさえ感じられるようになりました。これも“秋の気配”ですね。

  “暑さ寒さも彼岸まで”と云う通り、台風15号により巻き込まれる南風の影響か、涼しかった盆明けから一転し、先週は夏の暑さが戻って来ました。
 9月上旬の日曜日の朝8時半。この日も快晴で、暑くなりそうな日でしたが、二階から下のリビングに降りて行くと朝日が高い窓から差し込んでいて、西側の壁に無数の“虹”が現れていました。
所謂プリズム効果で、何らかのガラス体がプリズムの役目を果たして、分光スペクトルが現れていたのです。しかもその数は無数!と思える程で、実際は20個程でした。
そして、その光源となった“犯人たち”は、1階の吹き抜けのリビングの中心にある、設計士さんが柱を上手く使って造ってくれた飾り棚の中のスワロスキー。シンガポール赴任期間中から、奥さまが好きで集めた置物たちでした。
突然室内に出現した小さな虹に見惚れて眺めていました。ところが暫くすると、僅か数分で一つだけになり、そしてそれもすぐに消えてしまいました。なんだか、マジックを見せられたような不思議な感覚に包まれて、一瞬ボーっと佇んでいました。

 高い窓から差し込んだ光が当たったクリスタルがプリズムの様な効果を生み、そのプリズムで分光された光線がスペクトラムとして現れて壁に映写された・・・だけ・・・。
物理的に説明すれば、単にそれだけのことなのでしょうが、しかし人間は、古代エジプトやマヤの様に、太陽光の角度により夏至や冬至、或いは春分や秋分の日だけに現れる光の現象を作り出すことでその日を知り、農耕などの人間の営みに活かしてきた・・・。
ホンの一瞬の出来事でしたが、大袈裟ですが、何だかそんな人類の古の工夫すら思い起こさせる不思議な感覚に包まれました。
 家の中に現れた幾つもの小さな虹。
太陽の軌道が天窓から飾り窓のスワロフスキーを射すのはある一定期間であって、必ずしもエジプトやマヤなどの古代文明の様に春分と秋分の日の年2回、或いはストーンヘッジの様に夏至の日に年1回だけ現れる現象ではないとは思いますが、今まで20数年暮らして来た我が家ですが、迂闊なことに今回初めて気が付きました。
きっと季節の営みの中で現れるのだろう家の中の小さな虹。ちょっぴり不思議な気分にしてくれた自然現象に、暫し見惚れて眺めていました。

 今回参加した、松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」。さすがは公民館の数が全国一位という長野県の公民館行事らしく、上高地に関する独自資料のコピーも事前に用意していただいてあり、結構色々教えられ知ることが出来て楽しめた行事でした。

 例えば、その「ナルホド」や「へぇ~」と感じた幾つかを、興味を持ったので、後日自身で更に調べた内容も含めて紹介させていただくと・・・、

 上高地は、黒部に代表される様なV字峡谷の多い北アルプスには珍しく、1500mの高地に平坦な盆地が拡がっていて、長さ10㎞程の長さに対し、標高差は上高地が1500mで明神池が1530m、徳沢でも1560mと60mしかありません。これは、元々の鋭い峡谷が焼岳火山群の噴火活動に拠って、最終的には12000年前(縄文時代草創期)の大噴火で古梓川が堰き止められて巨大な湖が誕生し、その後5000年の間の土砂が湖底に堆積にいったのだそうです。しかも、12000年前まで梓川(古梓川)は高山方面の岐阜県側に流れていた(神通川水系)のだそうで、その大噴火で堰き止められ誕生した巨大湖である古上高地湖が、その後5000年前の地震等により決壊し、巨大洪水となって現在の様に松本方面に流れ下ったのだとか。そしてその決壊により古代湖は消滅し、その後更に緩やかな土砂の堆積により現在の様な平坦な上高地が誕生したのだそうです。そして、2008年信州大学の深300mの学術ボーリング調査により、古代の地層を分析した結果、このことが実際に確認されたのだそうです。
 小梨平を流れる清流、清水川。僅か200m足らずの川なのですが、河童橋に程近い清水橋から眺めると、清流にしか生えないバイカモ(梅花藻)が群生しているのが見られます。驚くべきはその水量。年間3000万トンと云われ、毎秒1000リットル換算とのこと。清水川はシラビソやコメツガの原生林に覆われた六百山に降り注いだ雨が湧水となって流れ下り、どんな大雨にも濁らず日照りの夏でも決して枯れることがなく、また僅か200m足らずを流れ下るために汚れることもないため、天然のミネラルウォーターとして上高地の貴重な飲料水源として使われているそうです(バスターミナルと、五千尺ホテの外に無料の給水場があります)。しかし年間3000万トンという清水川の水量は、六百山流域の降水量よりも遥かに多いため、地下のどこかで上高地の水脈と繋がっていて合流して湧き出しているのではないかとのことでした。不確かですが、以前、清水川は日本一短い一級河川と聞いた記憶があるのですが、果たして?・・・(橋の袂に良く在る「一級河川〇〇川」と書かれた看板は見掛けませんでした)。
 上高地は、河童橋の名前が芥川龍之介の小説に由来するなど、山に憧れた多くの文化人にも愛されて来た日本初の山岳リゾートです。その中の一人が高村光太郎。上高地のパンフレットの表紙に書かれていたのも、高村光太郎「智恵子抄」の中からと書かれていた一節である「槍の氷を溶かして来る あのセルリヤンの梓川に」。
これは彼の詩集『智恵子抄』に収められた「翻弄する牛」の一編。

  『 (前略)
    今日はもう止しましょう
    描きかけていたあの穂高の三角の屋根に
    もうテルヴェルトの雲が出ました
    槍の氷を溶かして来る
    あのセルリヤンの梓川に
    もう山々がかぶさりました 
    (後略) 』

ここでいう「セルリヤン」とは、“cerulean blue”という少し緑がかった空色のことなのだそうですが、確かに河童橋を流れる梓川の清流は青く透き通っていて、槍穂高からの雪解け水が滔々と流れ下って行きます。(因みに、テルヴェルトも深緑色のことだそうですが・・・?)
高村光太郎が智恵子との結婚を決意したのが、滞在していたこの上高地だったと云います。大正2年(1913年)、彼と智恵子は徳本峠を越えて上高地に二ヶ月間滞在し(当時の清水屋旅館。現在の上高地ルミエスタホテル)、ウェストンとも交流を持ったのだそうです。
 我々は、その清水屋ではなく、河童橋の袂に建つ五千尺ホテルのカフェで休憩です。週末ということもあって行列待ち。20分ほど待って、窓際の席に案内されました。
こちらの五千尺ホテルは、松本パルコにある地元でケーキが人気のカフェレストラン「ファイブホルン」の大元となるホテル。メインダイニングの名物はビーフシチュー。以前ネイチャーガイド付きの上高地トレッキングとそのビーフシチューランチが付いたツアーがあり申し込んだのですが、台風接近で中止になり残念ながら食べそびれておりました。一方の人気のケーキも、今や松本市内ではファイブホルンがケーキのサブスクリプションでの配達までしている人気店になりました。
或る意味“ファイブホルンのケーキ発祥の地”ですから、勿論奥様はケーキセット。我々の直前で夏限定の人気ケーキ「シャインマスカット」が終了したため、マロンケーキをご注文。でも「プチ贅沢!」と堪能されておられました。私メは水出しアイスコーヒーですが、眼前の窓一杯に拡がる、河童橋越しの岳沢を抱くように聳える穂高連峰が“贅沢なご馳走”です。

 今回が4度目?となる上高地。同じところに、そう何度来ても・・・と思いますが、来てみて感じたのは、何度来ても「さすがは上高地!」。
雲一つない快晴という天候に恵まれたというのも非常に大きいのですが、雄大な穂高の絶景と、セルリアンブルーと光太郎が称した梓川のあり得ない程の水色、そして清水川の驚くほどの透明感・・・。
更には、そんな上高地の水の流れに心を洗われた様に、ピュアな雰囲気を漂わせて槍穂高に向かう若者たち・・・。圧倒的な大自然の前では、ちっぽけな存在である人間は無意識の内に謙虚にならざるを得ないのか・・・。或いは、神々しささえも漂わせて眼前に聳える穂高の峰々が、自分の力だけでその孤高の頂きを目指す人間たちを、まるで修験者の様に純粋な気持ちにさせるのか・・・。
 四半世紀ぶりとはいえ、子供のころから何度か訪れてはいた上高地。従って然程目新しさは無かろうと思っていたのですが、例え何度来たとしても、上高地の持つその神秘的な魅力には感動せざるを得ない・・・。
上高地を素通りして、黙々と憧れの槍穂高の頂きを目指す若者たちに羨ましさを感じつつも、今回そんな印象を持った久し振りの上高地でした。

 9月7日の土曜日。松本市の城北、安原、大手、白板の四地区の公民館による合同企画「上高地ウォーキング」が開催され、事前に申し込み、我々も参加しました。当日は、3㎞と7㎞の2コースがあり、我々は当然上高地バスターミナルから明神池までの7㎞のコースです。以前、シンガポールから帰任しての夏休みに最初の家族旅行で行ったのが上高地。山の無いシンガポールから信州に戻り、山の雰囲気を子供たちに見せたかったこともあり、小梨平のコテージに泊まって、御船神事の行われる明神池より先の、「氷壁」の舞台でも知られる徳澤園までトレッキングをしました。途中、崖上からカモシカが孤高の雰囲気でじっと我々を見下ろしていたのが印象的でした。今回は、シニア層が参加の中心なのか、それより短い河童橋から明神池までの梓川沿いを歩く往復7㎞のコースです。

 当日、朝8:20分に松本教会前に集合。お弁当や水筒は参加者自身が持参で、上高地往復は市の公用車の中型バスをご厚意で使わせていただけることもあって、参加費は無料。いくら市の公民館の企画とはいえ、もし二人で上高地へ行けば交通費だけで往復でほぼ一万円するのですから(特に我々の様な年金生活者にとっては)大変有難いことです。
城北地区の参加者は20名。上高地線稲核地区の道の駅で4地区のバスが集合し上高地へ。多分、子供の頃から数えて4~5回目の上高地。マイカー規制前のは自分で運転して岩肌剥き出しで水が滲み出ていた釜トンネルを越えましたが、改良されて随分道も良くなりました。今でも奈川度ダム手前のヘアピンカーブ解消のために新しいトンネルが掘られていて既に貫通している由。
中部縦貫道はいつになるのか分かりませんが、松本・高山間のアクセスも更に快適になります。実際、ヘアピンを曲がりダム手前のトンネルに入る右手に、貫通しているという新しいトンネルの大きな口を見ることが出来ます。
 松本平からも、この日は北アルプスの峰々が遠く白馬までクッキリと見えていましたが、上高地も本当に雲一つない快晴で絶好の登山日和です。短い3㎞コースに参加されるお年寄りや家族連れなど大半の皆さんが大正池で先に降り、残り7名の参加者が終点のバスターミナルへ。
4地区40名弱が7㎞の明神池コースに参加。上高地での写真撮影の必須ポイントでもある河童橋は大混雑。私たちも全員での記念の集合写真を撮影してもらってから、10:30分に出発。河童橋を渡り、付き添いの市職員の方々の案内で一列になって対岸の梓川右岸の岳沢湿原を経ての散策路を歩きます。
年間120万人が訪れるという人気の上高地。この日は快晴で憧れの穂高連峰がくっきりと目の前に聳えています。しかも夏山シーズン終盤の週末だけに、上高地のシンボル河童橋は物凄い人で大渋滞。
但し、登山者は遠回りの3.7㎞の右岸ではなく3.0㎞の左岸を明神池まで歩きますので、右岸は涸沢から槍穂高を目指す登山者ではなく、上高地散策を目的の観光客が殆どです。
途中、立ち枯れた木々が残る岳沢湿原と梓川沿いの河原で小休憩。深い森の中で鳴き声が聞こえると思ったら、我々の前を家族なのか子連れの猿の一群が歩いて行きました。エサのせいか、野菜や残飯を漁るという穂高有明地区の猿よりは小型ですが、動植物の捕獲や採取が禁止されている国立公園内ですので暮らすには遥かに安全なのでしょう。
明神池には12時頃到着。3.7㎞の散策路を1時間半掛けて歩いて来ました。ここで解散し、バスターミナルに2:30集合とのこと。お弁当持参とのことでしたが、
 「これなら嘉門次小屋で名物のイワナの塩焼き定食(1600円とのこと)を食べても良かったなぁ・・・。」
但し、週末の大混雑で戸外のテーブル席を含め満席状態でしたので、自由時間が食べるだけで終わってしまうリスクはありますが・・・。
何度か参加されている方曰く、嘉門次小屋で豚汁がテイクアウト出来るので、それだけ買って、暖かい豚汁と持参したお弁当を一緒に食べるのも良いとのこと。
皆さん、それぞれ思い思いに昼食休憩です。我々は、先に穂高神社奥宮に参拝し、神域となる明神池を散策しました(拝観料300円が必要です)。
 北九州志賀島を本拠とした海洋民族の一族である安曇族。その守護神穂高見命(海神ワダツミの子)を祭神とする穂高神社。その奥宮がここ明神池に建ち、毎年10月に池に船を浮かべての御舟神事がこの山深い地で行われるという神秘。ご神体は正面に仰ぎ見る明神岳(標高2931m。実際は前穂から張り出した尾根の一つ)。この峰が本来の穂高岳であり、ここが神降地でもあった上高地の正面。従って、現在の上高地のシンボルとなった河童橋からの西穂や奥穂などの穂高連峰の景観は、実際は端から見ていることになります。
天然イワナやマガモが平和に暮らす明神の一の池、二の池。静かで神秘的な雰囲気を太古の昔から伝えているであろう明神池の畔に腰を下ろし、ご神体の明神岳を眺めながら何人かの参加者の人たちと一緒にお弁当を頂きました。明神橋袂の涼やかな梓川の川岸で食べる選択肢もありましたが、神秘的な明神池での昼食も何とも素敵な雰囲気に包まれてのお弁当タイムでした。
 昼食後明神橋を渡り、明神館から梓川の左岸の歩道を下り、河童橋に向かいました。この左岸は河童橋まで右岸より短く、ちょうど3.0㎞との標示。この日は徳沢か横尾山荘泊まりか、宿泊用のリュックを背負った登山者とすれ違います。観光客は別として、登山らしく皆さんお互い挨拶を交わしてすれ違います。槍穂高縦走か、しっかりとヘルメットをリュックに提げた登山者もおられ、「コンニチワ」、「行ってらっしゃい」と挨拶をしながら無事の山行を祈ります。中には欧米人のカップルや、家内も参加したクラブツーリズムの登山教室(彼女は女性だけのツアーですが)の年配者中心の一行もおられ(列のしんがりが以前同行してくれた女性の山岳ガイドさんだった由)、羨ましさが募ります。でも、我々には槍穂高は無理かなぁ・・・。せいぜい、この上高地からは涸沢止まりか蝶ヶ岳でしょうか。

 帰路の途中、河童橋手前の小梨平で、テントの張られたキャンプ場に隣接して丸太小屋風のコテージが何棟かあり、四半世紀前に、山の無いシンガポールから帰任した子供たちに山の風景を見せたいと、帰国後初めての家族旅行での上高地に来て、泊まったロフトのあったコテージだったのを思い出し、暫し家内と二人で懐かしんで眺めていました。
帰路は、河童橋に1時間で到着。まだ集合時間までに1時間あるので、ここでコーヒーを飲みながら休憩をすることにしました。
時間より早めにバスターミナルへ。マイカー規制の走りだった上高地。広いバスターミナルですが、団体客の観光バスで満車。しかも、出発直前までエンジン停止。そのためエアコンが効かないので、皆さん車外で待機。
まだ時間があったので、バスターミナルにある水飲み場の蛇口で新たに水筒に補給。岩を模した給水場に8つくらいの水道の蛇口があり、上高地の水源は清水川の湧水ですが、天然のミネラルウォーターが無料で汲み放題です。これから登る登山者は皆さんここで給水していくようです。これも上高地の大いなる恵みです。
 帰路、我々の城北地区だけ沢渡のバスターミナル隣接の足湯公園にある沢渡温泉の無料の足湯に立ち寄って、少しだけ足の疲れを取ってから松本へ帰りました。
 今回初めて参加させていただいた、市内4地区公民館合同企画の上高地ウォーキング。四半世紀振りの上高地ということもありますが、自分たちだけでのトレッキングやウォーキングと違って、勉強にもなり楽しめた日帰りウォーキングでした。

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