カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 草間彌生の作品展示で知られる松本市美術館で、7月12日~9月23日まで行われていた『ロイヤルコペンハーゲンと北欧デザインの煌めき』展。
シンガポール時代に、奥さまが藍色の小花模様の「ブルーフルーテッド」と呼ばれるロイヤルコペンが好きで、大物から小物までのテーブルウェアのセットを、コーヒーと紅茶のカップ&ソーサのセットに始まり、スープ皿や、プレート、ティーポット、そしてシュガーポットやミルクピッチャーの小物に至るまで殆ど集めていた(私メの酒代とタバコ代に対抗してとの仰せ)こともあり、彼女のリクエストで見に行くことにしました。この展示は、前年には横須賀などで、また松本の後は群馬の県立美術館でも行われる予定の巡回展の様でした。

 因みに、奥さまのコレクションは当初からいずれは娘たちに引き継ぐ予定で集めていたので、飾り棚や収納場所の無いマンションへの引っ越しに際し、長女のいるアメリカには破損とかが心配で送れないので(シンガポールからの帰任時の船便で、ベネチアンガラスの人形が破損してしまったことがありました)、次女が戸建てに引っ越したのを機に、我々夫婦の終活も兼ねて全て次女の家に自分たちの車で大事に運んで収納して貰ってあります。孫たちがもう少し大きく成ったら、ママ友会などで使って貰えば良いと思います。

 我々が見に行ったのは9月中旬の三連休だったのですが、会期の終盤だったせいか、企画展はそれ程混んではいませんでしたが、展示内容からでしょうか、来られていたのはさすがに殆ど女性の方々ばかりでした。
今回の企画展は、趣旨に依ると、
『冬の長い北欧では、家で過ごす時間を大切にし、生活の中に優れたデザインを取り入れてきました。本展では、デンマークとスウェーデンに焦点をあて、19世紀末から20世紀の陶磁器、銀器、ガラス器を中心に北欧デザインの魅力に迫ります。』
展示の中心は、デンマークの王立磁器製作所をその起源とすることから、ロイヤルという称号を冠するロイヤルコペンハーゲン。そして、銀製品で知られる同国のジョージジャンセン。
そして、スウェーデンからは、ノーベル賞授賞式の晩餐会で使用される食器で知られる、北欧最古の陶窯というロールストランドと、同じくスウェーデンのスモーランド地方で古くから盛んだったという、ガラス工芸作品が併せて展示されていました。
因みに、ロールストランドは1726年にスウェーデン王室御用達の釜として創業した、ヨーロッパで2番目に古い歴史を持つスウェーデンの陶器メーカーで、今年も受賞された日本人お二人が参加されるノーベル賞授賞式後の晩餐会で使用される食器は、決まってそのロールストランドの「ノーベル」なのだそうです。

 (ロイヤルコペン ブルーフルーテッド1785年)(同 水草魚図花瓶1894)
           (ロイヤルコペン 花文サーヴィス1904-22)
             (同 テーブルセッティング例)
 (ピングオーグレンダール 金彩鷺アイスバスケット1914)
                           (同 花文花器1920)

(ジョージジャンセン ソースポットとプレート、レードル)
                       (同 カトラリー 谷間の百合/ローズ)

(ロイヤルコペン 仲良し犬置物1900-03)(同 眠り猫置物1902-28、1958)
  (オレフェス 鉢 アリエル1967)    (同 花瓶 チューリップ1967)

 個人的には、ロイヤルコペンと聞くと、ブルーフルーテッドと呼ばれるコバルトブルーの小さな花模様と、後は奥さまも集めていましたが、クリスマスシーズンのイヤープレートくらいしか知りませんが、他にも花が大きなブルーフラワーや、、柿右衛門様式に代表される日本の陶磁器の様な色絵の花鳥などを描いた作品、またリヤドロの様な動物や人間の置物もありました。
他には同じデンマークの陶器メーカーというビングオーグレンダール、そこ出身だという銀製品のジョージジャンセン、またスウェーデンのロールストランドやガラス製品も展示されていました。
 企画展の後、せっかくなので常設展の草間彌生の作品なども見学。ここは企画展よりもむしろ混んでおり、鏡の部屋などは20秒ずつの入れ替えでの鑑賞で行列が出来ていて、観光で松本に来られた方々なのか、さすがは“世界の草間彌生”を実感させられました。
 見終わってから、次回の企画展が松本縁の石井柏亭展とのこと。石井柏亭は東京出身ですが、戦時中松本に疎開をして、戦後の“信州美術”界の復興発展に寄与した洋画家で、子供時代に見た彼の描いた松本城の絵が今でもとても記憶に残っています。今回は、戦時中の松本への疎開をふまえ、戦後80年での企画展とのこと。そこで早速前売り券を購入し、10月から12月に掛けて開催される次回の企画展も見に来ることにしました。

 ちょうど一ヶ月前の9月11日のことでした。この日の松本は、未明の午前1時頃から雨が降り始め、朝7時頃まで途中結構土砂降り状態の降りもあったりしました。 
午前2時過ぎに目が覚めて眠れなくて、久し振りの雨音が気持ち良くて、ベッドから起きてベランダに出て、暫くの間雨音を聞いていました。
 以前も書いた様な気がしますが、雨音にはヒーリング効果があると云われ、雨音を聞くことで、脳波にアルファ波が増加し、リラックス、ストレス軽減、集中力向上などの効果が期待出来ると云われています。

これは、雨音や川のせせらぎ、浜辺の波音など、自然界の音に含まれる、完全ではなく不規則でありながらある程度の規則性を持った「1/fゆらぎ」や、人間には聞き取れない高周波「ハイパーソニック」が脳を心地よく刺激するためで、特に穏やかな雨音はこれらの効果を高めるとされているからです。
実際に、YouTubeにも雨音やせせらぎの音など、癒し効果の音が色々登録されているので、例えば雨が降らない日でも寝る前にタイマーをセットして、YouTubeの雨音を聴きながら寝ることもあります。
そうした中で、TV画面からの音ではなく“生”の雨を見ていると、聴覚の音だけでなく視覚的にも目の前に拡がる雨に煙る実際の世界は、ネクラな性格にも依るのかもしれませんが、何となく心を落ち着かせてくれるのです(雨の写真は無いので、これまで行った“川のせせらぎ”の写真の中から、瀬音が聞こえて来そうな“阿寺ブルー”の阿寺渓谷と、同じく美ヶ原への三城からの沢沿いの登山道のせせらぎ、そして馬籠峠から妻籠へ下る途中で見つけた小さな滝です)。
 そんな風にベランダからボーっと外の雨降る様子を眺めていたら、視界の中に何だか違和感のある“黒い線”があるのに気づきました。
それは、ベランダの天井にある黒い筋の様な“物体”でした。
雨降りの深夜の暗闇の中、目を凝らすと・・・次第に視界の中で焦点を結び、その形を脳が認識して理解したのが・・・トンボのオニヤンマだったのです。
大きなオニヤンマが、しっかりとベランダの天井を掴んでぶら下がっていたのです。どうやら、このオニヤンマは久しぶりの土砂降りで、真夜中に雨宿りの場所を探して、結果、我が家のベランダの天井をその場所に決めた様なのです。
そこで、せっかくの雨宿りの邪魔をしない様に、またこの土砂降りの雨の中に飛び出して行かぬ様に、驚かしては可哀想なので、そっと静かにその場を離れてまた寝ることにしました。

 5時過ぎに起きて、雨が止んだので7時頃からのワンコたちの散歩の後、7時半過ぎに戻ってワンコたちにご飯を食べさせてから見てみると、まだベランダの天井にオニヤンマがそのまま宙吊りで止まっていました。
体長が10㎝位ありそうな、結構大きなオニヤンマです。
このオニヤンマ(鬼蜻蜓、馬大頭、学名:Anotogaster sieboldii Sélys,)は、トンボ目オニヤンマ科に分類されるトンボの一種で、日本最大のトンボとして知られます。因みに、学名の種小名"sieboldii" は、日本の生物研究に功績を残したフランツ・フォン・シーボルトに対する“献名”なのだとか。知りませんでした。
オニヤンマは、小川や水路など水際ぎりぎりの浅い水底の柔らかい泥や砂の中に産卵し、産卵から1ヵ月ほどで孵化するのだそうです。そして、何度も脱皮を繰り返し、3~5年かけて成長するのだとか。6月頃から羽化し、9月頃までの夏の間に見られ、そして漸く羽化した後の成虫は僅か1~2ヶ月の寿命なのだとか。成虫のオニヤンマは、頭部から腹の先端までの体長が9 ~11 cmほどに達し、メスの方が大きいのだそうです。
 雨宿りをしていたこのオニヤンマも、この夏に羽化した成虫で、夏の終わりと共にその寿命は尽きてしまうのでしょう。オニヤンマにとっては、ホンのひと時の平和な雨宿りだったのでしょうか。
雨の日に見つけた、夏の終わりのオニヤンマでした。

 以前、「源智の井戸」清掃ボランティアのその後の状況をご紹介させていただいた(第2013話)中で、
『複合扇状地で湧水として湧き出る「まつもと城下町湧水群」のエリアが市の中心市街地に限定されることから、どの町会もドーナツ化現象と少子高齢化で町会の担い手の減少が危惧されるのです。
もし町会での管理が難しくなった時に、行政としても全てを業者委託することは不可能ですし、日本全体の少子高齢化に伴う人口減少の中で、松本市も税収が減れば今年初めて可能になった「源智の井戸」清掃の外部業者委託も、やがては難しくなる時が必ずやって来る筈です。
そうした意味で、市民の誇るべき「まつもと城下町湧水群」がキチンと未来に引き繋がれるために、「源智の井戸」のボランティア活動が母体となって、やがて全体に水平展開されていくことが絶対に必要になると思います。』
と書いたのですが、早くもその危惧が現実に的中していたのです。

 先日、見ず知らずで集まってくださった“隊員”の皆さんの親睦を兼ねて、初めての懇親会を行いました。
余談ながら、日頃事務局を務めていただいている市の課長さんと飲み会進行での余興のアイデアを練る中で、自分たちの関わっている「源智の井戸」をしっかりと知るべく、“利き酒”ならぬ“利き水”を実施することにして、「まつもと城下町湧水群」で唯一の硬水である「源智の井戸」と、他に湧水群の中から、これも人気の「鯛萬の井戸」と“加助騒動”縁の「伊織霊水」、そして松本市の水道水の4種類を用意して貰い、課長さん以外は答えを知らず、私も含めて参加者全員で試した結果、唯一私が全問正解で、しかも「源智の井戸」の正解者は私のみ。名前だけの隊長とはいえ“面目躍如”となって、皆さんからは「さすが!」と評価いただいたのですが、本人としては「源智の井戸」をこの10年来コーヒーのドリップ用に利用させて頂いてきた者として、一応の面目が立って、取り敢えずホッと胸を撫で下ろした次第です。いずれにしても、「源智の井戸」の清掃活動を機に、自分たちが住む街の素晴らしい水資源に感心を持って貰えたら、清掃活動の副次的効果としてこんな嬉しいことはありません。
因みに、松本の水道水は、市のHPに依ると、2014年のモンドセレクションで、松本市水道原水のペットボトル「信州松本の水」が食品、飲料などの品質を審査する国際的な品評機関「モンドセレクション2014」のビール・飲料水・ソフトドリンク部門で金賞を受賞しているので、水道水としては大変美味しい水なのです。この「信州松本の水」は、松本の地下水源のうち、最も多く水道水として使われている「島内第1水源地」の地下水を採水し、非加熱除菌したものだそうです。

 さて、当日は仕事や用事等で来れない方もあり、半分くらいの出席だったのですが、簡単に清掃ボランティアに参加した思いを自己紹介を兼ねてお話しいただいた中で、お一人が
 「私は“下心”があって、参加させて貰っています。」
と切り出されたのです。
いきなり何かと思ったら、その方の仰るには、「源智の井戸」と同じく「まつもと城下町湧水群」の中の人気の井戸、「鯛萬の井戸」を毎週掃除をされておられる有志三名(たった3名です!)の内のお一人なのだとか。
 この「鯛萬の井戸」の在る下横田町は、江戸時代に松本の城下町で東町の宿場街と共に呼び込みの茶屋店の多かったエリアで、その後も“裏町”と呼ばれ、バブルの頃までは松本一の飲み屋街として賑わった場所。会社勤めの頃は私も時々お世話になりました。
この「鯛萬の井戸」は水温13.2℃という湧水群の中でも一番の冷たい水で、平成の「街なみ環境整備事業」により周辺を井戸公園として整備され、維持管理は他の井戸同様にその地元の町会などに委ねられています。
元々この井戸は大正11年に生活密着の井戸として、当時この場所に在った老舗の割烹料亭「鯛萬」に依って掘られました。その後「鯛萬」は別の場所に移転して現在はこの地にはありませんが、井戸は残り公園として多くの人に親しまれています。
因みに、割烹料亭「鯛萬」は戦前にフレンチレストランとなり、蔦の絡まるアルザス風の洋館は今でも松本を代表する老舗として人気のフレンチレストランです。
そして、その名を遺す「鯛萬の井戸」は町会の有志の皆さんに依り維持管理されているのですが、やはり「源智の井戸」同様にメンバーの方々の高齢化が進み、その活動が段々厳しくなってきており、先行する「源智の井戸」のボランティアの様子を探って、採り入れられるモノがあれば参考にすべく、ご自身が「源智の井戸」の清掃ボランティアに参加されたのだそうです。
 「もし“市長への手紙”がそんなに有効だったのなら、私たちも投書しようかと考えているんです!」
 やはり危惧していた通り、湧水群の井戸の中では上手く運営されていると評価されている筈の「鯛萬の井戸」でさえも、「源智の井戸」と同じ状況に陥りつつあるのだということを初めて知りました。
この4月にスタートした「源智の井戸」の清掃ボランティアもまだ緒に就いたばかりなのですが、早くも水平展開が必要な状況になりつつあるのです。
しかし、我々「源智の井戸」の清掃ボランティアもスタートしたばかりなので、まだそこまでの余裕はありませんが、いずれそうした事態になるだろう事は十分予想出来ていただけに、何か手助けになることが無いか、協力し得ることはないか、それこそ金は無くても“知恵”と“ズク”を出して、お互いが連携していけたらと考えさせられた次第です。
【追記】
懇親会はいつもの清掃の時の半分程の出席数でしたので、9月の「源智の井戸」のボランティア清掃の際、こちらからお願いしてその“下心”をこの日集まった皆さんにも改めてお話しいただきました。
また今回は、「市長への手紙」をふまえて、最初に私にご連絡をいただいた市の地域づくりを統括される部局の局長さんにもお越しいただいており、一緒に清掃活動にも参加していただき最後に一言挨拶も頂いたのですが、その場で「鯛萬の井戸」の窮状も併せて行政サイドにも認識頂けたので良かったと感じています(フム、先ずは仕掛け成功!)。

 5月から、ベランダで育てて来たプランター栽培の夏野菜。
大きな深鉢で、キュウリが二本、ミニトマトが二本、ナスは一本、後は大量の大葉と種から育てたサラダに使うルッコラ。
 今年は日本中が異常な猛暑続きに依り各地で水不足が相次ぎ、朝晩プランターに水遣りをしてもやはりその影響は避けられなかった様に感じました。
また暑さとは関係ありませんが、キュウリは最初の頃は順調で、何本か収穫するなど良かったのですが、途中からハダニなのか、アブラムシよりもずっと小さな虫が集って葉やせっかくの実が枯れてしまい、手許に会った野菜や花用の消毒スプレーを使ってみても殆ど効果が無く、結局十分な収穫は出来ませんでした。
一方、プランター栽培に一番向いているというミニトマトは、それなりに順調に収穫することが出来ました。
また零れ種からたくさん生えてかなり間引いた大葉や、店頭に苗が無くて種から育てたルッコラは、使い切れない程収穫して色んな料理やサラダに使うことが出来ました。
また二年目のパセリはやはり無理だったようで、途中から葉よりも花芽が伸びてきてしまいました。パセリは毎年新しい苗を植えた方が良さそうです。
そうした中で、大きな鉢に一本植えしたナスは、結構たくさん収穫出来て、真夏には少し“とぼった”様にも感じたこともあったのですが、秋口になると、またたくさんの花を付ける様になったのです。
 「秋茄子は嫁に食わすな!」
秋になると皮が柔らかくなるので、秋に収穫する茄子の美味しさを表わしたと云われる古来からのこの格言は、決して意地悪な舅の嫁いびりではなく、お腹に赤ちゃんがいる妊婦さんには「ナスは体を冷やすため、子を産む大事な嫁の体を冷やさないように」という説の方が多分正しいのではないかと思うのですが、少し涼しくなってから、その秋茄子がたくさんの実を着ける様になりました。
そして一杯に茂ってくれた大葉(青じそ)ですが、使い切れなかったので、秋になる前に柔らかそうな葉を摘んで冷凍保存にしてみました。

 家庭菜園など畑で育てるのと比べると、やはりプランター栽培は土壌の力、土の持つ保水力などがどうしても限られてしまい、なかなか満足出来るレベルとは言えませんでした。でも、日ごと少しずつ成長していく“植物”の様子は、少なからぬ“育てる喜び”を感じることが出来、朝夕の水遣りがルーティーンとなって、チョッピリですが“畑仕事”に似た遣り甲斐を感ずることも出来ました。
 今年の結果を振り返ってみると、来年はもうキュウリの栽培は諦めようと思います。その代わりに街中でグリーンカーテンとしてゴーヤをプランターで育てているカフェを見掛けたのですが、通る度に見るとプランターでもしっかりと葉が茂っていたので、ゴーヤチャンプルーは我が家の大好物でもあることから、来年はキュウリではなく同じウリ科の植物であるゴーヤをプランターで育ててみようと思っています。
ゴーヤは本来沖縄地方などでの呼び方で、和名はツルレイシ(蔓茘枝、蔓荔枝)だそうで、昔父も一度ブドウ棚の端を使って栽培したことがったのですが、当時はニガウリ(苦瓜)と呼ばれていた様に思います(多分30年以上も前だったと思いますが、その頃小学生だった子供たちは勿論、当時の我が家ではゴーヤは人気が無く、父も一年限りで栽培は止めてしまいました)。
しかし歳を取ったせいか、今の我が家では私も家内もゴーヤの苦味こそがゴーヤの美味しさだと思っていますので、塩揉みで苦みを消す様なことは一切しません。
因みに、このゴーヤの苦味の元は「モモルデシン」という成分で、このモモルデシンは水溶性のために、サッと熱湯をかけての湯通しや塩揉みをすることで苦味が抜けるのだそうです。
我が家では、この夏場に毎週とまではいかなくても少なくともニ週間に一度は必ずゴーヤチャンプルーを食べていましたので、家庭菜園としてはむしろキュウリよりもゴーヤの方が我が家の食卓への貢献度は高いのかもしれません。

 来年はエコのためのグリーンカーテンというよりも、むしろ食べるためにゴーヤを頑張って栽培しようと思います。

 二泊三日の軽井沢旅行最終日。
もうアウトレットで買うモノも無いという娘夫婦の話もあり、ゆっくりと昨夕ハルニレテラスの「沢村」で買ったパンで朝食を食べ、それから各々ホテルの温泉に入るなどしてチェックアウトまで時間を有効に使いながら過ごし、娘がこの日のランチに予約してあるという「ピレネー」という旧軽のレストランへ向かいました。

 ピレネーは軽井沢の名所でもある、紅葉の名所雲場池近くの六本辻の六差路交差点のラウンドアバウト(Roundabout)、所謂環状交差点に在るレストランだそうです。
因みに、シンガポールにもニュートンサーカスと呼ばれる環状交差点があって、赴任した当初は慣れずに戸惑ったものです。この“サーカス”という名称は、ピカデリー・サーカスに代表される英国風のラウンドアバウトの呼び方ですが、この「サーカス(circus)」というのはラテン語で「円(circle)」という意味から来ているのだとか。
ラウンドアバウトで最も有名なのは、パリの凱旋門を取り囲むエトワール広場でしょうか。12本もの道路が交差する環状交差点で、パリに来て間もない若手の赴任者が、出張者を迎えに行って凱旋門を抜けられず、段々中心に追い詰められて行ってしまったという謂わば伝説になっていました(作り話ではなく、実在のその当人は私よりも後輩で、出張者の送迎は若手赴任者の仕事でした)。
でも慣れれば或る意味単純で、(英国風に車が左走行時では)左折のみの一方通行なので、右から来る車が優先。次から次へと車が来る間は待つしかありませんが、信号で何差路を捌くよりも、結果は渋滞を避け、信号よりも遥かに短い時間で車の往来を制御可能な印象を持ちました。そして、この旧軽の六本辻のラウンドアバウトも、10年程前に渋滞緩和策の社会的実験として始まったのだそうです。
 さて、そのラウンドアバウトの六本辻の交差点に面した、林に囲まれた一軒家のビストロ「ピレネー」。
このピレネーの駐車場に入って行く道も六本辻のラウンドアバウトから直接入るので、実際には六差路ではなく七差路とも言えなくもないのですが、しかも結構狭くて、アルファードはギリギリです(こちらの道は侵入のみの一方通行で、駐車場からの出口は別にあります)。
さて人気ビストロだという「ピレネー」。店のH/Pから拝借すると、
『2004年4月、軽井沢・六本辻に誕生した一軒家のレストラン。
フランス南西部とスペイン東部を結ぶピレネー山脈では、素朴で心温まる料理が受け継がれてきました。軽井沢「ピレネー」のイメージの源はピレネー山脈を仰ぐ一軒家。店内に足を踏み入れると 存在感溢れるシュミネ(調理用暖炉)が出迎えます。
薪のおき火でじっくり炙られるのは、信州の千代幻豚や赤身肉の熟成牛、若鶏など その時期イチオシの厳選素材。焼き上がりを待つ至福の時間は、4000本以上が並ぶ自慢のワインセラーから運ばれるワインと、自家農園の無農薬野菜や日本海直送の魚介類が奏でる珠玉の前菜でお楽しみください。』とのこと。
 ホテルを既にチェックアウトして来たので、この日は当然ワンコたちも一緒。こちらのピレネーでは、屋根付きのテラス席とテラス席外の庭にもパラソル付きのテーブル席が設けられていて(雨の日の庭の席はちょっとキツイかもしれませんが)、ワンコと一緒に食べることが出来ます。なおランチは大丈夫ですが、ディナーでは子供は7歳以上とのことですので、ディナーには我が家は当分来れそうもありません。
室内には大きなシュミネと呼ばれる大きな調理用暖炉があり、薪の火でメインディッシュがじっくりと焼かれ、その暖炉の前に置かれた大皿に10種類近い前菜が盛られています(4枚目からの7枚目までのレストラン室内の写真は、H/P等から拝借しました)。
ランチは、暖炉で焼かれるメインディッシュを頼むと、このブッフェでの前菜と、ピレネーサラダとバゲットのパンがそれぞれ付いてきます。
予約で確保頂いていた席が4人掛けのテーブル席二つだったので、それぞれのテーブルに分かれて座ります。木々の茂った林の様な中庭に置かれたテーブルで、軽井沢の中心街である旧軽の六本辻交差点、六差路のすぐ横だというのに車の喧騒を全く感じないのが不思議で、木々の中にいると如何にも軽井沢の林の中に佇んでいる様な感じがします。
我々のオーダーは、娘と家内が半身の若鶏(4200円)、婿殿と私がアンガス牛のサーロンインステーキ(5500円)。どちらも暖炉の薪の火でじっくりとローストされています。
因みに、4歳以上10歳未満の子供用には、お子様用前菜ブッフェ(1200円)もある様です。孫たちは3歳以下のため、大人とブッフェを共有することで今回は不要。そのため、子供用には季節のポタージュスープ(400円)をそれぞれオーダーしました。
 先に、ブッフェの前菜を取りに行ったのですが、サラダやマリネ、スモークサーモン、手羽焼き、ポテトグラタンなどなど・・・。これがどれも美味しいのです。メインディッシュ無しで、これだけでも十分な気がする程です。ついぞ、二皿お代わりしてしまいました。更にバゲットも中がもっちりしていて、しっかり小麦の味がする・・・。
そして運ばれて来たメインディッシュ。若鶏とサーロンイン。フロアスタッフの方から、「にんにく醤油も美味しいので、お好みでどうぞ!」とのことですが、ステーキはシンプルに塩コショウだけで充分。薪でじっくりと炙られているので香ばしく、如何にも肉!といった美味しさでした。
若鶏も皮がパリパリで、肉はジューシーでローストされた旨味がたっぷり。しかも若鶏なので柔らかいことといったら・・・。こちらにはニンニク醤油を少し付けると、味変でまた違った美味しさが味わえます。それにしても、半身とはいえ若鶏の大きさといったら半端ありません。結局添えられているフレンチフライは食べ切れませんでした。最後スタッフの方にその旨謝ると、
 「いえ、大丈夫です!結構残されるお客さん、多いんですヨ!」
もしそうでしたら、女性向けには半身の半身、1/4身のクォーターサイズで十分。もしメニューに加えて頂ければ、きっと女性は喜ぶかも・・・。或いは、ご当地佐久地方の名物、若鶏の“むしり”風のモモでも良いかもしれません。
 なお、娘曰く、ここの大葉とニンニク風味のミートソースのピレネー風パスタ(3000円)が、ランチのメインディッシュとしても人気なのだとか。ブッフェの前菜は必須(だと思いました)なので、カップルなら肉類どれか一つとそのパスタで十分なのかもしれません。二人でシェアするならおススメは若鶏でしょうか。娘と家内は、若鶏ではなく信州千代幻豚のソーセージ(4200円)でも良かったと後悔していました。
 いやぁ、美味しかったし満腹になりました。そして何よりも、この如何にも軽井沢らしい美しい緑の林の中で、避暑地軽井沢でも連日30℃超えの戸外にいることを感じさせない涼しさで、むしろ爽やかさを感じながらのランチでした。
 「うーん、これぞ軽井沢!」
軽井沢の最後に、娘のチョイスで如何にも軽井沢らしい食事を楽しむことが出来ました。しかも娘たち夫婦が二週間のお礼にと、ご馳走してくれました(おかたじけ!)。

 「ピレネー」。予約が必須の軽井沢の人気店の様ですが、また是非来たいと思います。

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