カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 5月に入ってGW辺りからが、信州ではガーデニングのスタートの時期です。但し、松本は遅霜の心配がありますので、霜に弱いナス科の野菜やハーブのバジルは天気予報を眺めながら遅めに植えるなどの注意が必要です。

 さて、20年前に家を新築した際、予算が回らなかったこともあり、自分で作庭した我が家の庭。実益も兼ねて、最初の頃はハーブに凝ったのですが、その後ミント類がジャングルの様に蔓延ってしまい、結局プロの園芸店にお願いして改修してもらったのが10年前。
その際も、芝生ガーデンはエッジの処理と通路は作り直しがされましたが、芝生そのものは「素人でここまで出来れば合格!」とのプロのお墨付きをいただいて当初のままでした。芝刈りや、雑草取り、2~3年に一度の芝刈りと、毎年定期的な手入れはしているのですが、さすがに20年も経つと問題も出てきます。
それは、一部の芝が痩せて剥げてしまい、ここ数年雑草がかなり目立つようになってきたこと。そこで、今年その部分の芝生を張り替えることにしました。

 乾燥注意報も出ていて乾いていて地面が硬いと剥ぐのが大変です。そのため、出来れば雨が降った翌日に行うか、或いは張り替える部分に大量に水を撒いてある程度柔らかくしておく必要があります。
先ずは、張り替え部分のエッジを切って、鶴嘴(ツルハシ)の平らな方か、平鍬(クワ)や鋤簾(ジョレン)を使って少しずつ芝を剥いでいきます。
芝の根が残っていても構いませんが、雑草(の根)が残っていると、また生えて来るのでしっかりと取り、或る程度土が柔らかくなる様に耕してから板などで凸凹が無い様に平らに整地します。後々芝を刈る時のために、この平らにする作業が重要です。
作業が終わったら、芝を張っていきます。ベタ、市松模様など芝の貼り方にも色々あるようですが、出来るだけ余り隙間を開けずにベタ張りに近い方が芝は早く生え揃います。
芝(高麗芝)は春にホームセンターの園芸売り場などに、30㎝角で10枚一束500円程度で売られていますので、張り替えるスペースの面積を測って必要な枚数を購入します。
今回、我が家の芝生ガーデンの張り替え部分は半径2mの扇型なので、πr二乗×1/4で計算して約3㎡。従って3束購入しました。また、目土も、以前庭を改修した時にプロの園芸店の方から、この辺りは粘土質なので、川砂を使った方が水はけが良いとアドバイスをいただいていましたので、今回の川砂二袋を購入して使いました。
 以上準備作業の上、芝生を張っていきます。コーナーのカーブ部分などはハサミで楽に切れますので、形状に沿って切って張り、5㎝程の芝生の間の隙間に砂を敷き詰めて全体をならし、最後にたっぷり水を撒いて完成です。
上手く、定着してくれると良いのですが・・・。
因みに、最後の写真は張り替えてから2週間後の様子です。、まだ隙間部分へは拡がってはいませんが、大分芝の緑が濃くなってきました。

 落語「時そば」の中に、噺家によっては、
 「俺ぁ、自慢じゃねぇが、そばっ食いなんだヨォ。 わざわざ、ナガサカまで、食いに行こうってんだ、本当だぜぇ。」
と、「ながさか」に行くことが蕎麦通の代名詞であるという件を入れることがあります。
その「ながさか」・・・私メは、てっきり長坂(山梨県)だと思い、
 「そんな昔(江戸時代)から長坂は蕎麦で有名だったの?」とか、
 「そんな昔から蕎麦好きはわざわざ長坂までソバを食べにいっていたのか?」
もしくは、
 「まさか、さり気無く現代の長坂翁を蕎麦好きの代表として話の中に盛り込んだのか・・・?」
・・・などと勝手に色々考えていました。

 ところが、実際は“とんでもハップン!”で、全くの勘違い・・・でした。
「時そば」に出て来るその「ながさか」は、長坂ではなく永坂で、
『麻布永坂下にある、麻布十番の永坂更科と言う蕎麦屋の老舗。旨いが量が少なく高いと評判? 大田蜀山人も狂歌の中でその様に言っている。一文かすり取るような男に、ちょくちょく行けるような店ではなかった。 都内に有名と言われる蕎麦屋が何軒か有るが、同じように高い。その上量が少なく、ザルだと一箸入れるともう下のスノコが見えて、女性でも二枚(二人前)食べないと腹一杯にならない程である。当時は主食と言うより、お八つ代わりに食べられていたようだ。』
とのこと。
更にWikipediaに依れば、その由来は、
『1789年(寛政元年) - 信州出身の八代目堀井清右衛門(現・「更科堀井」初代布屋太兵衛)は、「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」を創業した。堀井家は、信州高遠の保科松平家の御用布屋で、信州特産の晒布を背負って保科家の江戸屋敷に出入していた。初代は堀井清助(布屋太兵衛)といい、江戸では麻布1番通り竹屋町にあった保科家屋敷内の長屋に滞在を許されていた。堀井清助は、1693年(元禄6年)の秋ここで世を去った。八代目堀井清右衛門のとき、領主保科兵部少輔から、そば打ちがうまいのを見込まれ、布屋よりも蕎麦屋の方が良いのではと勧められ、麻布永坂町の三田稲荷(高稲荷)下に「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」の看板を掲げた。』
とのこと。永坂というのは、更科、藪、砂場の江戸三大蕎麦の一つだったのです。
 因みに、名君と云われた初代会津藩主保科正之公は、家光とは異母兄弟で、信州高遠藩に預けられたことから、会津にも高遠から蕎麦職人を連れて行き、それが会津名物の高遠蕎麦になった由。同様に、松江の「出雲蕎麦」は信州松本から松江に移動した松平直正公が松本から蕎麦職人を連れて行ったことに依りますし、出石蕎麦は上田藩主の仙石氏が同じ様に上田から蕎麦職人を連れていったことに拠るのだそうで、各地に信州縁の蕎麦処が誕生しています。

 前話に続いて落語の話題で“一席”お付き合いください。
大好きだった、噺家修行を描いた尾瀬あきら氏の傑作コミック「どうらく息子」。その主人公が初めて口座で触れる落語が「時そば」でした。その口座の後で、たまたま知り合った前座が、二人で立ち寄った立ち食い蕎麦屋で、彼に師匠の「時そば」を説明します。そばを食べる“マネ”ではなくて「芸」と云い、その芸の奥深さを解説する件で、
「・・・まず割りばしを口で割る。はしでソバをたぐる時、ちょっとドンブリが揺れた・・・。いかにもソバがたっぷり入っている感じ・・・。ソバを口に入れる時、はしを口の中までしっかりと入れる。舌を上手にまわし・・・ズッ、ズッズズー・・・っと。」そして、
「寒い夜にぽつんと行燈。熱いソバと立ち上る湯気。師匠の「時そば」はいつも絵が浮かぶ。」と説明を締め括ります。
 良く知られた、古典落語の「時そば」。
因みに、蕎麦を扱った落語には他には大食い清兵衛さんが登場する「そば清」という噺もあって、「どうらく息子」でも若い噺家たちを応援する蕎麦屋の屋号がそれに引っ掛けて「そば清」でした。
そうした蕎麦を題材にした落語での或る意味“見せ場”が、手繰った蕎麦を啜る音。
聴いている客が、如何にも本物の蕎麦を啜っている様に感じないといけない。先の言葉を借りれば、行燈に二八と書かれた蕎麦屋の屋台と立ち上る湯気が目に浮かばないといけない。「どうらく息子」で落語の監修をしていた、柳家三三師匠の「そばを啜る音」についての説明に依れば、
『どんなコツがあるのかというと……口の形や舌の長さが影響するのか、実は人それぞれに方法が違う。共通点は開けた口を舌でふさぎ、せまいすき間から息を吸う』のだそうです。
また別の専門家の「時そば」の解説に拠ると、「時そば」の一番の見せ場は、「そばを食べる場面において麺を勢い良くすする音を実際と同じように表現すること」であり、しかも「そばをすする音とうどんをすする音には、確実に差異があるともされる。それをリアルに表現するのが当然で、何より落語の醍醐味」なのだとか。
 その一番の名人とされたのが、人間国宝でもあった五代目柳家小さん。小さん師匠の「時そば」は、あまりに美味しそうに食べる真似をするので客席から拍手が起こるほどで、師匠の「時そば」の後は、寄席近くのそば屋に向かう客が大勢いたという伝説が残っているそうです。
更に、『・・・小さん師匠が凄いのは、持ちネタの中に「うどん屋」というネタがあって、こっちでは最後の方で客が鍋焼きうどんを食べるシーンがあるんですが、「時そば」と続けて聞いてみると、啜る音が麺の細いそばと太いうどんでは音が違うんです。』とのこと。ナルホド、凄いなぁ・・・。
実際に小さん師匠の「時そば」を聞いてみると、確かに湯気が上がっている様な、何とも暖かそうな(卓袱)ソバの丼が目に浮かびます。「うどん屋」と聞き比べてみると、素人には麺を啜る音の違いは正直分かりませんでしたが、ナルホド、「鍋焼き」だといううどんの方が、蕎麦よりも食べるのに(汁が)熱いのが伝わってきます。
 蕎麦を啜る音は、小さん、小三治、さん喬と続く、柳家一門は皆同じ音に聞こえます。ただ、個人的には、どちらかと言うと、ソバと汁を一緒に啜る音の様に感じます(卓袱蕎麦なので、汁があって良いのですが、些か汁が多過ぎ)。そして小さん師匠の何とも言えないペーソスは、最後の弟子であるさん喬師匠に受け継がれている様な気がします。私メが一番好きな噺家である柳家さん喬師匠の弟子の喬太郎師匠の様に、枕ではハチャメチャのコロッケソバで客席を爆笑させながら、本題に入ればちゃんと古典落語の「時そば」の世界が現れて来る・・・さすがです。同じ柳家一門で、現役の人間国宝でもある小三治師匠の「時そば」は、ペーソスではなくむしろ江戸っ子の気風の良さではないでしょうか。
 その気風の良さでは、古今亭志ん朝師匠も同様。音源が残っていて、今でも聴くことが出来るだけで落語ファンとしては有難いのかもしれませんが、もし早逝されなかったら、一体どんな大名人になっていたかと何とも惜しまれてなりません。
その志ん朝師匠の「時そば」。個人的には、志ん朝師匠の啜る蕎麦の音が、汁気の無いざるそば的かもしれませんが、一番それらしい。本当にそばを啜っている音だと感じた次第です。まさに名人芸!

 さてと、ここらで私メも蕎麦でも食べに行くとしますか・・・。

 コロナ禍の中で、コンサートも寄席の生落語も中止。また、緊急事態宣言が解除されても遠出は禁止ですので、“ステイ・ホーム”状態が続いています。

 そこで、巣ごもりでのお薦めは・・・落語、です。
個人的には、生で聞いたこともある柳家さん喬師匠(三年前、「松本落語会500回突破記念例会」の「さん喬&権太楼二人会」に来演されて掛けられた「妾馬」でした)が何とも言えぬ品があって一番好きな噺家なのですが、亡くなった五代目柳家小さん(さん喬師匠は最後の弟子)や古今亭志ん朝も絶品で、音源(動画も)が色々残っており、検索すればYou Tubeの動画も結構たくさんありますので、音だけなら“ながら”でも楽しむことが出来ます。こんな状況下ですので、“コロナ鬱”にならぬよう滑稽噺で笑うも良し、また人情噺でほっこりするのも良し。TVはくだらぬモーニングショーやワイドショーばかりでウンザリですので、興味がありましたら是非お試しください。
 名人と云われた圓生や志ん生の音源もありますが、些か録音が古過ぎて音が悪いので、小さん(因みに師匠は長野市出身で、二・二六事件の時には二等兵で何も知らずに命令されて宮城の現場に居たのだとか)以降がお薦めでしょうか。

 古典落語も色々ありますが、先ずはお馴染みの「時そば」から始まり、「妾馬(八五郎出世)」や「紺屋高尾」で泣き笑い、「芝浜」や「文七元結」(明治になって偉ぶる薩長の田舎侍に対し、江戸っ子の粋を示すべく、当代の名人円朝が創作したとか。またモデルとなった文七は水引で名高い飯田の出身だそうです)でほっこりするも良し・・・。因みに、私メはさん喬師匠と志ん朝師匠の「唐茄子屋政談」に今はまっています。

 外出自粛で“コロナ鬱”という言葉があちこちで言われています。家に籠っているばかりでは本当に気が滅入りますので、登山は禁止の場所が多いので日帰りでも難しいですが、こんな時は里山歩きや庭の花や草木を愛でながらのご近所散歩がお薦めです。

 我が家の庭も、雑木林ガーデン樹下の早春のクリスマスローズに始まり、階段状花壇のビオラやチューリップ、そして芝生ガーデンのハナミズキ、更に鉢植えのシンビジウム、そしてクリスマスローズの後のポテンチュラと、今年も正に“百花繚乱”でした。
特に今年は芝生ガーデンに植えてあるハナミズキの花付きが良く、なかなか見事でした。
また、奥さまが丹精込めて世話をしているシンビジウム。昨年も花芽が付いたのですが、昨年は外の玄関先に出すのが早過ぎて遅霜にやられてしまいました。今年も三鉢共全て花芽が出てきたので、天気予報を睨みながら霜の恐れが無くなってから始めて玄関先に出した次第です。シンビジウムの花の期間は長いので、咲き始めてからかなり長く花を楽しむことが出来ます。
因みに、昨年はハーブガーデンに植えたバジルやルッコラも遅霜被害で上手く育ってはくれませんでしたので、今年はGW明けまで待って植えることにしました。
 早春から初夏への季節の移ろいながら、3月から始まったコロナ禍の中で、花たちがまるでエールを送るかの様に、我々は勿論ですが、道行く人たちの目も(多分・・・)楽しませてくれました。
【注記】
4月上旬のクリスマスローズから5月中旬まで、現在のポテンチュラとシンビジュウムの様子です。

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