カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 初めて訪ねたのが7年前の秋。そして昨年の春に二度目の見学をしたポーラ美術館。この日は一日雨予報だったので、ヒメシャラの森の1㎞にも及ぶ木道の遊歩道散策は無理ですが、館内でじっくり名画を見て、その後でゆったりと雨に煙る外の森を眺めながら喫茶室でノンビリするのも良いだろうと、この日三度目の訪問になりました。
 これまで訪ねた美術館の中では、個人的にはこのポーラ美術館と山種美術館が一番のお気に入りなのですが、例えば広尾の山種美術館などは月曜日が定休日で、以前知らずに訪ねて休館だったことがあった(事前にちゃんとチェックしなかったこちらが悪い)のですが、ポーラ美術館は企画展の開催期間中は無休とのこと。
ポーラ美術館は箱根という観光地に在るので、都会の美術館と違い、箱根には観光で来て滞在日程が限られる観光客にとって(企画展の期間中)無休というのは本当に有難い限りです。その代わり、その企画展が終わると、次の企画展への展示作品の入れ替え作業のために10日間程休館するのだそうです。

 このポーラ美術館は創業家の2代目の方が数十年に亘って収集した美術品約9500点を展示するために、「箱根の自然と美術の共生」をコンセプトに2002年9月に開館した美術館で、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ピカソといった西洋絵画を中心に、黒田清輝、岸田劉生、杉山寧など日本の絵画、東洋陶磁やガラス工芸から現代アートに至るまでの、世界的な評価の高い作品1万点を収蔵し、特に印象派のコレクションは日本最大級を誇ります。
しかし、この美術館の魅力はその収蔵作品だけではなく、箱根の国立公園の立地を生かして、ヒメシャラやブナなどの広葉樹林の中に全長約1kmにも及ぶ木道の遊歩道が設置されていて、林間に置かれた彫刻などのオブジェとその見事な大木のヒメシャラの林の中を、風の音と小鳥のさえずりを聴きながら、四季折々、例えばこの時期なら山桜や馬酔木の花と木々の芽吹きを愛でながら散策出来ることです。
ビル街の中に在る都会の美術館では決して味わえない、箱根の仙石原の森に在るからこその贅沢な癒しの時間であり、ここでは絵画鑑賞だけではなく素敵な森林浴をも楽しむことが出来ます。まさに“自然との共生”が実現されているのです。
 今回の開催されていたのは、「カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ」と題した企画展で、その説明に依ると、
『近代から現代までの美術家たちが獲得してきた「色彩」とその表現に注目し、色彩論や色を表現する素材との関係にふれながら、色彩の役割についてあらためて考察するものです。チューブ入りの油絵具を巧みに扱い、さまざまな色彩によって視覚世界を再構築した19 世紀の印象派や新印象派をはじめ、20世紀のフォーヴィスムの絵画や抽象絵画、そして色彩の影響力によって観る者の身体感覚をゆさぶる現代アートにいたる近現代の色彩の歴史を、おもに絵画や彫刻、インスタレーションによって読み直します。』
とのこと。
モネやルノワールの印象派に始まり、新印象派、20世紀のフォーヴィスムや戦後の抽象表現主義など、近代から現代にかけて、3つの展示室に分けて3部構成により西洋美術の歴史を辿ることの出来る主要な画家の重要な作品が数多く展示されていました。
“色”については、19世紀になってフランスで誕生した色彩論の発展等もありますが、ピカソの「青の時代」の「青」やレオナール・フジタの「白」に関する現代科学に依る分析結果も大変興味深かったです。
 その中で特に印象に残ったのは、坂本夏子という方の作品でした。「タイル」と「シグナル」と呼ぶドットの有機的な「色」の組み合わせで描いて行く作品の、まるで日本画の花鳥風月にも通ずる様な、一瞬時が停まったかの様に無音の“静寂”を感じさせるその色彩の美しき緊張感・・・。

そして、スポットライトと組み合わされた「ステンドグラス」の背後の壁に映し出された色彩の不思議な幻影・・・。
「絵を描くことは、終わりのない課題を解き続けること」という坂本夏子女史。何だか“描く哲学者”と言ったら見当違いでしょうか・・・??
他の作家の作品でも「半透明な布を支持体にして、水を多く含んだアクリル絵具を布に沁み込ませた」というグオリャン・タンという作家の作品。「もしかしたら」と、何となく気になって会場に居たスタッフの方に尋ねるとちゃんと調べて下さって、結果は予想した通り「シンガポール出身の方だそうです」。
嘗てシンガポールに7年間暮らしてお世話になった身として、当時の現地の人たちは先ずは“衣食住”を豊かにすることに精一杯(と感じました)で、例えばシンガポール国立博物館に行っても作品は昔の中国や欧米の作家中心で自国の作家の作品などは無く、また毎月聴きに行ったシンガポール交響楽団(SSO)の定期でも聴衆は殆ど白人ばかりだった(因みに楽団員も殆どが欧米や中国出身の演奏家ばかりで、例えば当時のコンマスはシンガポールに移住したパヴェル・プラントル氏でチェコ出身。娘がピアノを習っていたマルチナ先生が奥さまでした)時代を知る者として、“衣食足りて礼節を知る”ではありませんが、2023年から日本フィルハーモニーの首席指揮者に就任したカーチュン・ウォン氏とこのグオリャン・タン氏も同様に、国が成熟してシンガポールでも漸く芸術分野にそうした才能ある人材が出て来たことを知って感慨ひとしおでした。
坂本夏子、グオリャン・タン始め、展示されている色彩のマジックの様な作品を見ていると、何だか不思議な色彩感覚に包まれるようでした。
その最たる世界として、今回の企画展の中にも草間彌生の「無限の鏡の間 ―求道の輝く宇宙の永遠の無限の光」と題された2020年の作品を展示した個別の部屋があり、時間限定、人数限定でその部屋に入室して鑑賞出来るとのことで、そこだけは順番待ちの行列だったのですが、松本市美術館でも見られる作品同様に、今回は特に息苦しくて耐えられる自信が無い様な気がして家内共々遠慮しました。
また企画展とは別に、今回のコレクション展として、ポーラ美術館が新たに収蔵したというピカソの版画芸術の最高傑作とされる『ヴォラール連作』全100点などが展示されていてこ、ちらも見応えがありましたました。
 このポーラ美術館で有難いのは、最近では他の美術館や絵画展でも少しずつ増えては来ましたが、多くの絵画作品がフラッシュ無しでの撮影がOKなこと。展示では撮影禁止の作品のみNo Photoのマークが付いています。
コロナ禍の影響もあったようですが、クラシックコンサートでも同様に(最近のコンサートでは、カーテンコール時のみ撮影OKという演奏会が都会では増えています)、SNS等で写真を掲載して貰うことで拡散して集客に繋げようとの狙いだそうですが、本当に良いことだと思います。
コンサートホールも美術館も上品ぶって“お高く”留まることなく、(モナリザさえも撮影OKのルーブルを始めとする海外の美術館同様に)お客目線に立って如何に喜んで足を運んでもらうか、更に子供たちも含めて今後のファン層拡大に如何に繋げるか・・・の方が、経営面においても遥かに重要だと思います。
この箱根には「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」をはき違えた様な、二度と行く気にもならない成金趣味の“これ見よがし”の美術館もありましたが(どうやら有名作品を所蔵していること自体に意義≒自慢に感じておられているのか収集の中心軸がハッキリせず、また展示内容でも例えば重要美術品だという銅鐸や埴輪に考古学的に重要な情報である出土地が記載されていないなど、学術的な作品紹介や時代背景等の解説が不親切だったり、展示品リストの通し番号が展示作品自体には書かれていなかったりとお粗末の一言)、そことこのポーラ美術館とではその精神に雲泥の差を感じます。
 国立公園の林の中に佇む様に建てられたポーラ美術館。景観を圧迫しない様に、周囲の木々よりも低い地上高8mの高さに収められたという、地上2階地下3階という5層の建物で、建物そのものも作品でしょう。最上階である2階に入口があって、そこからエスカレーターで下って行く構造です。
地下2階の常設展の展示を見終わり、地下1階の「CAFE TUNE」へ。斜面を活かして、自然光も取り入れられた地下1階とは思えぬ開放的な空間で、天井までのガラス窓が開放的で、その向こうにはヒメシャラの森が拡がるオシャレで素敵なカフェです。
前回は1Fのレストラン・アレイで優雅にランチをいただきましたが、今回はしっとり濡れた雨の森を眺めながら、絵画鑑賞後ノンビリゆったりとカフェタイムを楽しみました。

 箱根二日目。この日は快晴で、朝ワンコたちと散歩に出掛けながら、
 「あぁ、今日金時山に登れば富士山がキレイに見えるだろうなぁ・・・」
と少々恨めし気。奥さまからは、
 「だったら、独りで登れば!?」
とつれないお言葉・・・。
 そこで今日は、ワンコもOKな箱根の観光スポットに行くことにしました。
キャリーやクレートに入れて顔を出させなければ、箱根登山鉄道もロープウェイもJRや他の私鉄同様に乗車可能なのですが、ホテルから乗るまでの移動が大変なのでパスして、車移動です。
まだナナが元気だった5年前には強羅公園へも行きましたが、公園からの景色や園内のバラなどの植生は見事だったのですが、ワンコ連れには階段が多くてカートだと大変でした。そして、箱根園は駒ヶ岳へのロープウェイも乗ってコユキと2年前に行きましたし、その後箱根神社にも一緒に参拝しています。また仙石原に在る箱根湿生花園には、ナナとコユキで4年前に行き、ドッグカートに入って園内を回りました。
ですので、ワンコOKの箱根のスポットはある程度行っているのですが、今回選んだのは二度目となる箱根湿生花園です。
この箱根湿生花園は箱根町の町立で、日本で初めての湿生植物園だそうです。場所は同じ仙石原の平地に在り、3万㎡の広さの園内の湿原や草原に、約1700種種の植物が四季折々の花を咲かせていて、広い園内には木道などがあって、抱っこするかカートに入れればワンコも入園OKです。こちらは平坦な湿地帯に拡がる植物園で整備された木道もあり、「強羅公園」の様な急坂の傾斜地を活かした公園ではないので、ここならコユキとクルミもドッグカートに入って一緒に散策することも出来ます。

 4年前の入梅前に初めて入園した「箱根湿生花園」では、その時はガクアジサイが見事でした。今回は4月下旬なのでまだ山桜が咲いていましたが、シャクナゲがとりわけ見事でした。信州で庭木や山で見るシャクナゲに比べ、株も花も見違えるほど大きくて華やかです。
また、残念ながら満開の時期はもう過ぎていましたが、可愛いカタクリやまた湿地らしくミズバショウ(水芭蕉)の株もあちこちにたくさん見られましたが、それにしても信州の栂池自然園や梓川の島々谷で見た清楚なミズバショウに比べて葉の大きいこと。まるで別の植物の様で、むしろ名前の由来の芭蕉布の原料となる南国の芭蕉を連想するくらい巨大な葉でした。
園内には湿地帯復元のために養生中という広い湿原があり、その向こうには煙を上げる大涌谷や、初めて来た時に見たすすき草原も望めました。その広々とした湿原は何だか雄大な尾瀬の様で、このままで木々を植えずとも良いのかもしれません。
他にもニリンソウがたくさん咲いている群落があったりして、カートにワンコたちのせたまま木道をゆっくり歩いて楽しむことが出来た、春の湿生植物園でした。

 さて、話が前後して恐縮ですが、4月20日から4泊5日で、今年も恒例の春の箱根旅行に行って来ました。
いつものホテルのキッチン付きのドッグヴィラに滞在し、奥さまがお疲れ気味とのことだったので、今回は残念ながら例年は私たちの“登山シーズン解禁”となる金時山登山は諦めて、この旅行では温泉に浸かってノンビリまったり過ごしたいとの仰せ。
天も(“八甲田山”の様には見放さず)奥さまに味方した様で、数週間前までは4泊5日の滞在中ずっと雨予報だったのですが、天も気が変わったのか直前になって雨予報が減って後半だけになりました。
雨の日は元々の予定通り温泉三昧にして外出は諦めることにしますが、例え山は登らずとも、ワンコも一緒なので天気が良いのに越したことはありません。
 箱根へは、中央道を大月から河口湖経由で、そこから富士五胡道路と須走道路でと高速を走り、御殿場から乙女峠を越えて箱根の仙石原を目指します。松本からは200㎞ちょっと、3時間の行程です。ワンコが一緒だと車での移動が前提になりますので、一日5時間くらいの運転が適度な移動範囲でしょうか。その意味で箱根は近くて楽です。
昔、若い頃にハワイへ行く家族を送って、松本から成田空港まで往復600㎞を運転して、最後疲れて死にそうになったことがありました。しかし、念願だった熊野古道を歩くために、昨年意を決して行った南紀白浜へは松本から520㎞あったのですが、ACCのお陰で思った程は疲れずに行くことが出来ました。ですので、今や高速道路で行ける場所なら“ACC頼み”で車でも行けるかもしれませんが・・・。
今回初めての旅行になるクルミも後部座席でコユキと一緒にずっと大人しくしてくれて、途中双葉SAで休憩しておやつを食べ、我々も軽くランチです。本当は今回も箱根への手前の乙女峠のFUJIMI CAFEでワンコも一緒にランチ休憩にしたかったのですが、曇っていて富士山も見えそうもないので諦めて、双葉で休憩にして箱根へ直行しました(写真は以前の撮影で、晴れた日のFUJIMI CAFEのテラス席です)。

 仙石原では先ず、昨年来た時は店舗ビル改装のために長期休業中だった「相原精肉店」で名物のローストビーフやミートローフなどの総菜を購入し、合わせてこれまた箱根の別送族御用達のAコープ(別送族向けのスーパーマーケットはAコープしかありません)に立ち寄り、今晩の食材を確保してからホテルに向かいました。

 私たちが初めて箱根に来たのは、7年前の秋でした。
知り合いの方から、使わないからと小田急の株主優待券を譲って頂き、それで(私メの念願だった)小田急のロマンスカーの先頭車両に乗車するのが目的でした。そこでナナを妹に預けて、紅葉が始まっていた11月上旬に、あずさ、ロマンスカー、箱根登山鉄道と乗り継いでの電車旅で来たのが初めての箱根旅でした。
以来、松本からは車だと3時間と手軽に来れることから、ワンコ連れで殆ど毎年の様に春先に訪れる場所になりました。
箱根の魅力は、シーズン解禁となる金時山登山、幾つもの素敵な美術館、そしてグルメ類も色々豊富で、中でも小田原までは小一時間と山の中の箱根は意外と海が近いので、 とりわけ“山国信州人”にとっては垂涎モノの新鮮な地魚が味わえること・・・でしょうか。
4泊5日の中で、移動日を除くと一日自由に使えるのは三日間です。今回は金時山登山はしませんので、朝晩は温泉三昧ですが、昼間はワンコたちと一緒にどこか観光スポットに行って、また雨の日にはノンビリ美術館に行き、そして昨年は大雨で諦めた小田原漁港で地魚の海鮮丼とアジフライに二年ぶりに舌鼓を打ちたいと思います。

 ワンコとの散歩で松本城から向かったのが、昨年オープンした築120年の古民家を改装したという「町家カフェ 茶noma」(ちゃのま)です。
ネットで縁側の席はワンコOKという記事を見つけ、日本で一番“Dog Friendly”だと個人的に感じる軽井沢と違って、残念ながら我が松本ではなかなかペットOKという店が少ないことから、初めて行ってみることにしました。当初奥さまは「小昼堂」のテラス席を希望されたのですが、今回は新しいペットOKの店を開拓してみることにしました。
余談ながら、インバウンドを別とすれば、少子高齢化社会の我が国で、これからの観光産業における国内需要を喚起する要諦は、“ペットと老人”を如何に遇するかだと思っています(ですので、是非ワンコOKの店を増やしてください!)。

 さて、この町家カフェ「茶noma」は、その名の通り築120年以上の歴史ある町屋で、1時間1人500円(ワンドリンク付き)で利用できるカフェスペースとして昨年4月にオープン。
明治26年築の建物内には、職人技の建具や明治、大正、昭和の貴重な調度品や昔の家具調ステレオといったレトロな家電などが幾つも置かれていて、また京都の庭匠が造ったという手入れの行き届いた奥庭、それに面した縁側や茶の間で、毎日ご主人が汲んで来られる「鯛萬の井戸」の湧水で淹れたコーヒーや抹茶などを飲みながら休憩することが出来ます。
東京でTV番組制作会社を独立後経営していたという松本出身の70歳のご主人が、それまでこの家で一緒に暮らしていた弟さんが亡くなられ、御年92歳のお母上が一人きりになられたことからご実家に戻られて、“城下町のお休み処”としてこの古民家を活かそうとされたのだとか。ご主人に「宜しければ」と誘われて、家の中を案内頂きました。
女鳥羽川の南、江戸時代の商人街に在る“蔵の街”中町同様に、三の丸に当たる武家屋敷だったこの辺り(大名町~小柳町)も明治期に大火で焼け、そのためこの家も耐火用に土壁が分厚い蔵の構造を町家に取り入れた“蔵町家”という建築様式が用いられている由。「壊すのは簡単でも、建てるのはもう無理」と大工さんに言われ、何とか建物をそのまま活かすことを考えた結果の“町家カフェ”なのだそうです。
GW中のこの日は、東京で息子さんと暮らされているという、如何にも“都会風”(≒ナント形容すれば良いのか分かりませんが、どう見ても田舎の方には見えなかった)で“松本らしからぬ”奥さまもおられ、連休中は旦那さま独りでのワンオペは大変なので手伝いに来られたのだとか。
麻布台のマンションに居た長女が昨年二月に渡米するまでは、毎月上京しては“ニセ港区女子”を気取っていた家内と、東京暮らしと松本暮らしの話で盛り上がっておられました。
因みにペットは奥庭の縁側ではなく、玄関脇の縁側でのみ同伴が可能とのことで、少々狭くてペットとノンビリとはいきませんでしたので、我々はドッグカートのキャビンを外して前庭の平らな縁石の上に載せて対面する形でドリンクを戴きました。
改装に手伝いに来られた方がワンコ連れで、その時にいつもここで休憩して貰っていたので、そのままオープン後もここがワンコ連れの定席になったのだとか。ネット記事で見た時は、てっきり奥庭に面した縁側席がワンコOKで、そこでならゆったりくつろげそうだと思ったので、チョッピリ残念でした。でも、奥さまやご主人と、東京や松本のことなど、昔話も含めて話が弾んで、昔、祖母が家に来た人を誰でも家に上げてお茶と漬物でもてなしていた様に、何だかご近所のお宅に伺って「お茶でも飲んで行きましょっ!」的にまったり過ごすことが出来ました。
惜しむらくは、ご主人一人では今は止むを得ませんが、市販の茶菓子ではなく、出来ればいつか奥さまの手作りのスイーツが食べられる様になるともっと良いだろうと思います。
 さて、GW中の別の日ですが、また城山へのウォーキングへ前日行ったことから、今回のこの日はワンコと一緒にドッグカートで深志神社と四柱神社にお参りして子供や孫たちのことをお願いしてから、松本城公園で少しワンコを散歩をさせることにしました。元気なワンコなら家から松本城公園まで散歩で歩いていけるのですが、コユキもクルミも小型犬で、保護される前の繁殖犬時代の悪徳ブリーダーのせいで体に障害を抱えており、長い距離を歩かせるのは心配なので、ドッグカートで乗って目的地まで向かいます。
そう云えば、昔会社員時代に電車で諏訪に通っていた時に、休日前急に飲みに行った時は、月決めで借りていた駅裏の駐車場に車を停めたままだったので、翌日の土曜日早朝にチロルとナナと一緒に、お散歩がてら自宅の沢村から松本駅まで3㎞しっかり歩いて、帰路は車でワンコも一緒に帰ってきたのですが、ワンコたちはいつもの散歩コースとは異なる駅までの道を嬉々として歩いてくれたのを懐かしく思い出します。
閑話休題。この日の天神さまの深志神社は混んではいなかったのですが、中町から縄手通りに向かうと、通り一杯の人の波で、老舗のタイ焼き屋さんやベーカリーのスヰトにも順番待ちの行列。しかも、お目当ての四柱神社も初詣の時以来の参拝客のお詣りの列が出来ていて、ワンコも一緒なので並んでのお詣りは諦めて、今回は遠くからお参りをしてお城へ向かいました。
しかしこちらも凄い人出で、天守閣への入場は3時間待ちとのこと・・・。
(現在松本城では電子チケットが導入されていて、それだと希望する日時で入場可能ですので、GWなど混雑する時は事前にそちらを購入するのがおススメです。しかも松本城も入場料が値上げされたのですが、電子チケットには旧開智学校との国宝二つの共通入場券もあって、そちらだと値上げ前と値段が然程変わらないのでお得です)
やはりGW中は松本市内もどこへ行っても混んでいるので、「小昼堂」のワンコOKのテラスでの休憩も断念して家に戻ることにしました。

 まさに五月晴れと言えるようなGW中の快晴の一日。
“風薫る”という言葉が相応しい朝、コユキとクルミをドッグカートに載せて、散歩がてら松本城公園へ歩いて行ってみました。

 現在、松本城では幾つかの工事が行われています。
一つは今年の1月から始まった、松本城公園内の旧博物館の解体工事です。工事は今年の10月末までの予定で、 工事に伴い南側入口土橋の通路が狭くなっていて、「本来の登場ルートである、太鼓門から入城しましょう」という呼び掛けが行われています。これは、嘗ては大名町から松本城を結ぶ現在の土橋はなく、本来のお城の正門である東側の市役所側にある太鼓門から黒門へ至り、本丸へ入城するのが登城ルートだったからです。
この旧市立博物館は「日本民俗資料館」とも言っていて、国の史跡である松本城内では新たな建設が出来ないことから、昨年秋に大名町に新たに建設移転され、古い建物が解体されているのです。
元々この場所には城主の私邸の古山地御殿(こさんじごてん)がありました。
松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられていて、その一つが古山池御殿です。そして、博物館が建てられた後も、館内には井戸が残されていたのですが、これが「ててまがりの井戸」。
「ててまがり」とはカタツムリのことで、嘗ては外縁部が、でんでん虫の殻のように見えたことからその名が付いたのだそうです。
古山池御殿は城内で最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっていました。明治になって廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に旧制松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、この井戸はその時代も現役として活用されていたそうです。
因みに火事で焼けた本丸御殿の跡地は、明治時代には松本中学のグランドになっていて、昼休みにはヤンチャな学生が天守閣の屋根に登り、鯱鉾(しゃちほこ)の様に逆立ちすることもあったとか・・・。
 また、昨年の11月から今年の12月まで、内堀南西部の浚渫(堀の中の堆積物を取り除くための作業)が行われています。
説明書きのパネルに依ると、
『松本城のお堀の浚渫のため、松本城公園内で作業を実施しています。
・11月18日(月曜日)から令和7年12月末までの間、北西トイレの南側に浚渫した土を脱水するための設備が設置されます。
・11月25日(月曜日)から令和7年12月末までの間、内堀の南西部に操船管理室が設置されます。また、操船管理室周辺で浚渫台船の組み立て作業等を行います。
・令和6年12月中旬から令和7年12月末までの間、内堀南西部の浚渫を行います。』
とのこと。

ヘドロが堪り水深も浅くなってしまい、内堀浄化は永年の課題だったのですが、国宝ということもあって工事方法については色々試行した結果、現在の方法が決定されて漸く工事の運びになり、先ずはこのエリアを皮切りに、内堀の浚渫工事が順次進められて行きます。
ブラタモリで紹介された様に、松本城の堀の水は湧水が使われていて、水そのものはキレイなだけに、一日も早く透き通ったお堀が蘇って欲しいものです。
 そして内堀の北西の角に在る埋橋。朱塗りの八ツ橋型の橋はモノトーンの城とのコントラストが美しい撮影スポットです。しかし老朽化が進み、平成23(2011)年の県中部地震(松本地震)以降、通行止めになっています。
松本城は天守閣は国宝ですが、この赤い埋橋は昭和30(1955)年の天守解体復元工事に伴って、当時の議会の提案によって観光用に建設された橋で、文化財として整備される対象ではないのですが、松本城を訪れる観光客にとっては、撮影スポットとして人気がある場所です。特に雪の日は真っ白な雪景色の中に佇む黒いお城に赤い橋が良く映えます。
しかし、江戸時代当時にはなかったもので文化財的価値が無いとのことから、建て替えは認められないのですが、市が文化庁と数回にわたって協議を重ねてきた結果、「橋の建て替えは極めて困難だが、既存の橋脚を用いた修理であれば可能」ということで、今回修理が行われています。但し、完成しても昔の様にこの橋から城内(埋門)への入退出は出来ません。
 また、現在松本城では先述の通り懸案だった内堀の浚渫工事が進められていますが、嘗ての松本城の堀は、本丸に近い方から内堀、外堀、総堀の三重になっており、現在残っている堀の面積の約4倍の広さがありました。しかし、明治維新を迎えると、堀は徐々に埋め立てられ宅地として利用され、南・西外堀も大正8年から昭和初年にかけ埋め立てられたとされています。
市ではその外堀跡を嘗ての水堀に復元させるため、絵図資料や発掘調査等をもとに、水をたたえた堀の実現に向けて、調査・研究を進めてきました。そして、長年宅地などになっていた外堀跡を10年程前から買収を進め、昨年秋に全ての用地を取得出来る目途がつき、併行して移転と発掘作業が進められてきました。
南側では既に発掘調査も終わり埋め戻されて空き地になっていますが、発掘を担当した文化財課が所属する市の教育委員会のテントだけが在りました。国の史跡なので、復元工事もそう簡単ではないと思いますが、因みに松本城のお堀の水はお城周辺で湧き出す湧水が使われているのですが、今後復活する外堀を満たすのにも十分な湧水量なのだそうです。その「平成の名水百選」にも選ばれている松本城下の湧水を湛えた外堀が復活するのが今から楽しみです。
(内堀浚渫工事の図と外堀の完成予想図は市の資料からお借りしました。また掲載の写真は当日だけでなく、これまで何日間かで撮影したモノです)

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