カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 次女と孫たちが、亡き母の一周忌法要に合わせて、毎月育児の手助けに行っている奥さまが戻って来るのと一緒に松本へ来てくれました。
そこで、もう90歳を超えて足が弱くなって来られない家内の実家のお義母さんに初めて曾孫の顔を見せるために茅野に行くことになり、せっかくの茅野ですので、孫たちを白樺湖ファミリーランドで遊ばせてからお義母さんを実家に迎えに行って、どこかのレストランでランチを一緒に食べることにしました。

 先ずは10時半頃、白樺湖に到着して、ファミリーランドの無料駐車場に車を停めました。
「白樺湖ファミリーランド」は、白樺湖畔に立地している「池の平ホテル&リゾーツ」が運営するホテルに隣接し、メリーゴーランドやジェットコースター等の乗り物、パターゴルフ、プール、乗馬体験、アスレチック等が出来るアミューズメント施設です。
運営する池の平ホテルは、1955年開業と云いますから、我々と同世代。会社に入った頃、忘年会で泊りがけで行った記憶がありますが、正直余り良い印象は残っていません。奥さまに依れば、昔ファミリーランドに小さかった頃の娘たちを連れて来たこともあった由。
そんなこともあってか、近年では小さな子供のいる家族向けのためのキャラクタールームなどを備え、どちらかというとファミリー層狙いで、あの手この手で誘客している印象がありました。
しかし開業が私と同世代ですので施設が大分老朽化したこともあって、最近大幅リニューアルをして、新たに10階建ての本館が新築されてからは、TVCMから受ける印象では、むしろ“高級リゾート感”を(勿論宿泊料金も大幅アップし)前面に(或る意味“必死”に)押し出している様に感じられます。
ファミリーランドには結構車が停まっていましたが殆どは県外ナンバーで、皆さん勿論小さな子供さんたちを連れたヤングファミリーです。
この日は平日でしたが、入場料は全ての施設の入場やアトラクション全て乗り放題という平日フリーパスが大人料金だと5100円から入場券だけの1700円まで、内容によって料金が幾つにも分かれていました。
孫たちは上の子がまだ3歳で引っ込み思案で、アトラクションも乗るかどうかも分からないため先ずは入場券だけを購入し、乗りたいアトラクションがあったらその都度チケットを購入することにしました。
すると、案の定メリーゴーランドなどのアトラクションは「やだ~!」の一言で全て拒否・・・。そこで、少し離れた所にある森林鉄道に皆で乗ることになり、歩いて行くと1時間に一本しか運転が無くちょうど出発したところ。そこで止む無く、近くのポリーランドという北欧アスレチックとミニ動物園(どうぶつ王国)へ行って時間を潰して森林鉄道に乗車することにしました。すると、どこかの幼稚園か、保護者同伴でお揃いのジャージを着た大集団の子供たちが居て、アスレチックや動物園は園児で大混雑。そのため滑り台などの遊具は3歳児の上の孫は遊べず、結局見ているだけ。
そのため早めに森林鉄道の所に行って順番待ち。お陰で先頭の席に乗ることが出来ました。パターゴルフコースを囲むように線路が敷かれていて、色付き始めた林の中を10分程走る森林鉄道は結構楽しめた様です。
その後遊園地に戻って、アミューズメント館内にある室内のキッズルームへ。こちらは滑り台など幼児向けの室内遊具があり、まだ歩けない1歳児の下の孫も含めて楽しめました。最初からここに来れば良かったのです。
そして孫たちが気に入って終わりそうもないので、その間に家内がお義母さんを迎えに行ってくることになりました。
でもさすがに飽きて来たので、孫たちをベビーカーに載せて白樺湖畔の遊歩道を少し散策してみました。
残念ながら到着した時から一帯は霧に覆われていて、青空は望めませんでしたが、紅葉の色付きを増した高原の湖は幻想的な雰囲気でした。
因みに標高1400m、周囲約4㎞のこの白樺湖は、茅野市と北佐久郡立科町の境にあって、八ヶ岳中信高原国定公園に属する蓼科高原の池の平地区に在る高原の湖ですが、実はため池です。
元々は農業用水を確保するために建設された人工のため池で、そのため、この白樺湖は湖の周囲一帯全て茅野市北山柏原財産区が所有していて、水利権、漁業権、管理権の全てを持っているのだそうです。
なお、東山魁夷の「緑響く」で描かれて最近人気の御射鹿池も、同じこの北山地区に在るため池ですが、北八の麓、標高2100mに在り、この時期紅葉で人気の「白駒の池」は天然の堰止湖です。
 一時間ちょっとしてお義母さんも到着して合流。孫たちも教えられて「ひぃ~ばぁちゃん」と呼びながら、一緒にホテルの本館1階にあるダイニングレストランへ。
朝夕はバイキングで、ランチはアラカルトの由。孫たちがキッズルームで喜んで遊んでいたこともあり、知りませんでしたが14時のオーダーストップの10分前の入館で、急いでメニューを決定。そんなランチタイムを過ぎていたこともあり、広いレストランには我々含め3組ほどしかお客さんがいませんでした。窓も大きく自然光がたっぷり入る館内は明るくて、円形にカーブした窓側席からは白樺湖が見下ろせます。
失礼ながら料理も然程期待していなかったのですが、意外と本格派でビックリ。特にお子様ランチは、横浜に住む次女にして今までの中でもトップクラスとの評価でした。
 それにしても驚いたのは、殆どは県外からの家族連れのお客さんだろうと思いますが、平日というのにファミリーランドの混んでいたことと、新しく本館が出来た効果か、池の平ホテルの人気ぶり。
しかも白樺湖周辺は殆どの施設が老朽化して全体に活気は無く、中には閉鎖して廃墟となったホテルや旅館も湖畔には何軒もあるのです。
池の平ホテルも、昔の(泊った時に個人的に感じた)安っぽかったイメージとは様変わり。ホテルのエントランス付近にいるベルボーイやドアマンが、何だか小田急系列のリゾートホテルを連想させるようなブラウン系の制服と帽子で、昔を知る人間には何となくしっくりきませんでした。
恐らく40年振りくらいに来た池の平ホテルとファミリーランドですが、その様変わりに感心し、特に県外からの家族連れのお客さん向けの観光スポットとしての人気にビックリした次第です。

 秋の紅葉と聞いて想い浮かべるのは、紅い色ならモミジ、ナナカマド、ウルシ、ドウダンツツジ・・・。そして黄葉の方の黄色は、カラマツ、イチョウ、ナラ、そしてシラカバ・・・でしょうか。
ただ黄葉の場所、例えば高山や里山、平地、そして例え狭い日本列島でも北と南の緯度の違いに依って違いますし、何より一番は自分の生まれ育った場所、そして今棲んでいる地で、紅葉(黄葉)と聞いて各々想い浮かべる木は皆さんそれぞれ全く異なると思います。
そんな四季のある日本列島に暮らす私たちにとって、秋の恵みである紅葉(黄葉も)の中で、個人的に意外と見過ごされている身近な木がある様な気がしています。

 それは、柿・・・です。
調べてみたら15年も前でしたが、本ブログに紅葉した柿の葉の落葉する様子を一度書いたことがありました。それは・・・、
『さて、柿の葉の落葉をご覧になったことがありますか。
まるで雨が降るかのように、次から次へと赤く色付いた柿の葉が、それこそ“サラサラ”と音を立てるように散っていきます。その様は“散る”というよりも、まさに“降る”と言った方が近い感じがします。特に風の無い日は、まるで不思議な光景を見るようで、幻想的ですらあります。
ただ、家に不在の平日だと気付かないことの方が多いのですが、前日とはうって変わって葉が落ちた柿の木の様子からは、恐らく一日の中の僅か数時間でその不思議な“現象”は終わってしまうように思います。』(第169話より抜粋)
 そんな柿の木の紅葉。
他の木と違って、それは決して一定の法則や“決まり事”があるのではなく、それぞれの木に依って少しずつ紅葉の仕方が違う様に思います。紅く色付く木もあれば、どちらかというと黄色が優勢で黄葉と云った方が良い感じに色付く木もある。更に同じ木であっても、場合によっては一枚一枚、葉毎に色付き方が異なる・・・と言うよりも、「同じではない」と言った方がむしろ正しいのかもしれません。
その意味で、他の木はこの時期、紅葉或いは黄葉、そのどちらであっても殆ど“木”そのもの、若しくは例えば“モミジの永観堂”の様に木々を見る(愛でる)のだと思うのですが、柿の木の“紅葉”は赤や黄色に色付いたその葉一枚一枚が微妙に違っていて、柿の木全体としてではなくむしろ葉の一枚一枚が、例えその虫食いの跡でさえ風情が感じられて実に味わい深いのです。
 コユキとの朝の散歩道。秋の色付きが日毎どの色合いを変化させていく中で、何本か道端にある柿の木の葉が色付いて落葉しており、そうした道に落ちている落葉の中から、一枚一枚目でさっと確かめながら、その目視の中で視界に飛び込んで来た色鮮やかな葉を二三枚拾って帰り、渡米した長女のマンションから引き継いで、玄関脇に取り付けてある無印良品のコーナーシェルフの上に置かれているザクロのドイリー(=敷布或いはコースター)代わりに使っています。

 そんな身近で見つけた、“小さな小さな秋”・・・でした。 

 何日か秋雨が続いた後、久し振りに北アルプスが朝くっきりと見えた10月中旬。今年も新栗のモンブランを求めて、家で独りお留守番をさせておくのは可哀そうなので、コユキも一緒にドライブがてら小布施に行って来ました。

 小布施に行く前に、奥さまのリクエストで、翌々日からまた横浜に孫の世話に行くので、次女の所に送るリンゴと自家用のブドウを買うために須坂の産直市場に立ち寄りました。
小布施へは小布施PAのスマートICが便利で降りるとすぐ到着するのですが、須坂へは長野東ICで降りて暫く一般道を走ります。
長野東ICのすぐ近くでは、県下最大のショッピングモールというイオンモールが建設工事中でした。前評判でどんなに大きいかと思いましたが、3棟ある松本と比べてそんなに変わらない感じ。松本はあがたの森の近くで駅から歩いても10分足らずと市街地に在るので便利ですが、こちらは高速を降りてすぐではありますが、長野市の中心街からだと車で30分以上と結構離れていますので、長野市の商工会議所が「イオンが出来てパルコや地元デパートが閉店に追い込まれた松本の二の舞になる」と出店に反対している様ですが、果たしてどうなのでしょうか?イオンモールの影響がゼロとは言えないのかもしれませんが、(飽くまで私見ですが)パルコはセゾングループ全体のリストラの一環ですし、地元デパートは経営努力不足が真の原因でしょう。
京都の錦市場はインバウンドの影響もあって特殊でも、出町今出川の枡形商店街の様にインバウンド客など関係無く地元のお客さんで賑わっている商店街だってあるのですから、長野商工会議所も他責にではなく、自らの知恵と工夫で経営努力しないと所詮先はありますまい。
ただ須坂(長野?)のイオンモールの開店に依って、松本のイオンには結構長野ナンバーも多いので、それをこのイオンモールが吸収してくれれば、いまだ平日でも駐車場が混んでいる松本も多少駐車場に停め易くなるので有難い気もします。

 さて、須坂の産直市場には1時間ちょっとで到着。家内が買い物をしている間、コユキにおやつを上げて駐車場を少し散歩。
須坂には県の果樹試験場があり、長年に亘る品種改良の中からブドウではナガノパープルやクイーンルージュ、リンゴでは“りんご三兄弟”を構成しているシナノスイートやシナノゴールドを始め、最近栽培が増えているシナノドルチェなど、シナノと冠した品種がここで誕生しています。その背景には、この“須高”地区と呼ばれる須坂と下高井郡から中野に掛けての一帯が、“フルーツ王国・信州”の中でも、リンゴ、ブドウ、更に長野市川中島の桃も含め、県下では最も果樹栽培の盛んな地域だからなのです。
65年位前でしょうか・・・、幼い頃、戦前からリンゴ栽培を始めていた祖父に連れられて、汽車に乗ってこの方面へリンゴ苗を買いに来て、その帰りに善光寺に立ち寄ってお詣りした時に境内で鳩に群がられて泣いたらしいのですが、そんな半世紀以上も前からリンゴ栽培でも北信地方のこの辺りは松本エリアの果樹栽培の先輩でした。
ですので、今でも同じ産直に並ぶブドウもリンゴも、残念ながら味も価格もこの“須高”エリアの方が松本エリアよりも上。そのため次女の家では、須坂がご実家という家内の友人の方に紹介していただいた須坂の果樹農家から、シャインマスカットやナガノパープルなどのブドウを毎年取り寄せているそうです。須坂の産直に並ぶブドウやリンゴは、値段で言えば、例え産直であってももし松本で買ったら1.5倍はするでしょうか(但し、そのためだけにここへ来るのは、高速代を考えると全くのナンセンス。飽くまで小布施や長野に来たついでに買うのであれば・・・です)。そこで、この産直で独自品種であるナガノパープル、クイーンルージュとシャインマスカット、そして旬を迎えつつあるシナノスイートも購入してから、今回の目的地である小布施に向かいました。

 須坂から小布施までは僅か3㎞たらずなので、車で10分も掛かりません。この日は平日なのですが、さすがは新栗の季節。小布施は女性客中心に結構な混雑でした。
須坂からだと、国道403号線を来るとそのまま小布施の中心を通り抜けます。10年程前に「一度食べてみたい」という新栗の時期の期間限定商品、「小布施堂」の“和栗の点心”「朱雀」を食べるために、一時間並んで整理券をゲットしたことがありました(第797話)が、その朱雀はコロナ禍で事前の完全予約制となり、小布施堂本店前には次の予約時刻を告げる看板を持ったスタッフが立っていました。我々は一度食べてもたれてしまい、「もう(食べなくても)イイね!?」となりましたが、相変わらずの人気の様です。
その我々が新栗のこの時期、小布施に来ると「朱雀」に代わって食べているのが「栗の木テラス」のモンブランと、家内に依るとモンブランには合うというポットで供される紅茶・・・です(私メは頑固にコーヒーですが、第1772話を参照ください)。
この日は混雑を避けるべく平日なのですが、県下で面積の一番狭い自治体で市街地もこじんまりした小布施とはいえ、新栗の季節ということもあり、女性客を中心にこの集客力は大したものだと感心します。
NTTのCMで使われている、北斎が小布施滞在中に描いた岩松院の天井の鳳凰図や、彼の作品を集めた北斎館もあるとはいえ(個人的には中島千波館の方が好きですが)、或る意味“栗だけ”でのこの小布施人気はオドロキです。小布施は、国内の“町おこし”の代表的な成功例ではないでしょうか!
「桜井甘精堂」の駐車場に車を停め(栗の木テラスを含め店舗で2000円以上購入すると、駐車料金が2時間無料になります)、先ずは栗菓子の一番の老舗である本店に行って、ちょうどこの日の夕刻の例会(単なる飲み会ですが)に集まる友人たちへのお返しのお土産を購入。今回はコユキも一緒なので、私はコユキと外のベンチで待機。すると横の広場のテントで焼き栗を売っていて(桜井甘精堂自身でやってらっしゃる様でした)、半世紀近くも前ですが、新婚旅行で行ったパリでシャンゼリゼのマロニエ通りで買った焼き栗の香ばしい匂いが懐かしくて、一つ購入(300円)しました。
それからお目当ての桜井甘精堂の洋菓子・喫茶部門である、ケーキと紅茶の専門店「栗の木テラス」へ。カフェの方は8組ほどの順番待ちとか。残念ながらこちらにはワンコOKのテラス席はありませんので(残念ながら、小布施全体が“Dog Friendly”な街ではありません)、最初にナナと来た時は車でナナに待っていてもらいましたが、こちらはモンブランを食べるだけでなく併せて紅茶を注文するお客さんが多く、紅茶はポットで供されるので優に3杯分くらいはあって、しかも失礼ながら女性客が殆どなので“話に花が咲いて”食べ終わるのに優に一時間近く掛かります。
そこで、今回はコユキを車で待たせておくのは可哀そうなので、テイクアウトならすぐ買えますので、モンブラン(520円)を二つ購入して持ち帰ることにしました。帰りは駐車場へ店舗沿いに抜けていく小道を進みます。店舗の隣が洋菓子工房でガラス越しに眺められ、ちょうどマロンのロールケーキなどが作られていて、外までバニラエッセンスの良い香りが漂っていました。
 帰りは市街地から栗畑とリンゴの果樹園の中を走り、たった5分で小布施PAのスマートICから高速へ。ホント近くて便利です。
1時間ほどで自宅に戻り、コユキにもおやつを上げてから早速焼き栗とケーキを頂きました。家内はコーヒーではなくモンブランには合うからと紅茶。焼き栗が香ばしいのは勿論ですが、甘くて美味しい。モンブランは二つとも家内に。一つは翌日に回して美味しくいただいたそうです。

 以上、我が家の今年の“小布施の新栗”でした。

 10月上旬、マンションの3年に一度の設備点検のため、1時間全館停電となるとの通知が事前にありました。その間は、PCは勿論ですが家電製品は一切使えず、また水も出ずトイレも使用出来ず、館内のエレベーターも自動ドアも全て停止とのこと。
当初は、コユキをカートに載せて松本城まで散歩に行って、どこかワンコOKのカフェ(町を挙げて“Dog Friendly”を標榜する軽井沢に比べ、松本だけではありませんが、県内に留まらずどこもワンコOKの店が少な過ぎ!)にでも寄って来ようと言っていたのですが、奥さまはたまたまこの日お義母さんに頼まれて茅野の実家に行く用事が出来たので、止む無くコユキを連れて一人で何処かへ行くことにしました。

 松本城へは段差のある様な歩道を往復4㎞、一人でカートを押して歩くのは大変なので(次女も含め、小っちゃなお子さん連れのお母様方はエライ!・・・と、ホント尊敬します)、当初予定していた松本城方面は諦め。
そこで代わりに選んだのは、城山公園に隣接する『Gallery & Cafe憩いの森』です。渡米した長女が松本に帰って来る度に行った彼女のお気に入りのカフェで、以降我々も自宅から城山公園経由でアルプス公園までの“城山トレイル”の帰りの休憩などで時々利用しています。

「憩いの森」の店内には併設されたギャラリーがあり、また公園に面した庭にはウッドデッキのテラス席もあって、こちらは松本ではまだ数少ないワンコOKの席なのです。自家焙煎のコーヒーと、ケーキ類、そしてランチ用にサンドイッチなどの他にも酵素玄米のドリアやカレーもある由。ただオープンが10時と少し遅いので、週末のブランチには良いかもしれませんが、モーニングにはチト遅い・・・。
店内にテーブル席が7卓で、外のテラス席が4卓。室内は器楽曲などの静かなクラシック曲が流れていて、テラス席は日除けの大きなガーデン用パラソルが各テーブルに設置されているので、夏でも快適です。しかも目の前が桜の木々の向こうに拡がる城山公園。昔から松本市内の花見の名所の一つでもあり、桜のシーズンは家族連れなどの花見客で大変な賑わいですが、それ以外の季節は店名の通り、思わずふ~っと溜息をつきたくなる様な緑の中に佇む憩いの空間です。
またギャラリー&カフェと銘打っておられるように、店内には展示スペースがあって、地元作家の陶芸作品や工芸作品などが、期間での入れ替えをしながら展示販売がされていて、時々は小さな絵画展や貸切りでのミニコンサートも開催されています。
 11時からのマンションの停電時間前のエレベーターが動いている内にコユキを車に乗せて、11時過ぎに城山に到着。少し草原の広場を散歩してからカフェに向かいました。
この日は平日のせいかカフェにはお客さんは誰もおらず、我々だけ。停電終了まで、ここで小一時間過ごさないといけないので、コユキの水とおやつは勿論ですが、文庫本も持ってきました。
女性スタッフの方が動物好きで、コユキを可愛がってくれました。そこでコユキを見て頂いている間に、店内のギャラリーコーナーを除いてみると、地元作家の方の陶器が展示されていて、その中に前回家内と来た時に家内がとても気に入った、店内でラテ(メニュー表記はミルクコーヒー)用に使われているのと同じ大きなカップがあったので購入することにしました。その時にマスターに伺ったら、後日作品が展示される予定とのことだったのですが、ちょうどタイミングが合った様です。一脚3800円(税抜き)。
 実家のお義母さんの世話から戻った家内にサプライズでそのカップを見せると、奥さま曰く「え~っ!?だったら2脚買って来て欲しかったのに・・・!!」とのお叱り。
そこで、後日コユキを連れてまた家内と一緒に伺ってテラス席で喫茶した後、もう一脚購入して帰りました。ヤレヤレ・・・。

 9月23日、キッセイ文化ホール(県松本文化会館、略して“県文”)で、『まつぶん浮世絵寄席 春風亭一朝・一蔵親子会』があり、聴きに行って来ました。
以前の春風亭雛菊さんが凱旋出演したいつもの二つ目の「まつぶん新人寄席」の時に今回の開催を知り、一朝師匠は今まで一度も生で聴いたことが無かったので、その場でチケットを購入していました。
今回は演じられるネタが二席ということもあってか通常でも2500円というリーズナブルな価格設定なのですが、今回も「まつぶん新人寄席」と同様、有難いことに65歳以上はシルバー料金として更に1500円(学生も同額です)と割り引かれており、本当に有難い限りです。また、購入したのが早かったので、席はやや下手の通路側の最前列の席です。

 今回は「浮世絵寄席」と銘打ってある通り、浮世絵に描かれた江戸時代の実在の人物を題材にした落語のネタをそれぞれ師匠が演ずるという趣向。そのため、既に一朝師匠が芝居ネタの「中村仲蔵」、一蔵師匠が相撲ネタの「阿武松」をいずれも本寸法で演じられると事前にネタ出しされています。
会場は、今回も中ホールで、階段状の席は使わず、フロアのパイプ椅子だけですが、さすがは春風亭一門の大御所一朝師匠と弟子の若手実力派一蔵師匠の登場ということもああって、私の様なシルバー世代主体ではありますが、お客さんで一杯でした。

 最初に、ネタの元となった歌舞伎役者の中村仲蔵と第6代横綱となった阿武松緑之助の浮世絵をプロジェクターで舞台に投射しながら、師匠お二人を交えてのトークショーがありました。お二人は、それぞれこの日のネタを、一朝師匠は大師匠の故林家彦六から、一蔵師匠は鈴々舎馬るこ師匠からそれぞれアゲてもらったそうです。
余談ですが一蔵師匠が大柄なせいもありますが、一朝師匠は思いの外小柄でビックリしました。でも木久扇師匠張りに、大師匠(師匠は彦六の弟子故
柳朝)である彦六の声色をそっくりに真似られて会場を沸かせてくれました。
 幕が上がっての開口一番は、11月にはめでたく二ツ目昇進が決まったという、一之輔師匠の四番弟子春風亭貫いちさんで、古典落語の「熊の皮」。尻に敷かれっぱなしの八百屋の亭主甚兵衛の滑稽噺で、初めて聴くネタでしたが、声も大きくちゃんと出ていて、声が通るというのは先ずは前座として一番大事なことでしょう。
 続いての一蔵師匠。2022年9月下席より8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋と共に真打に昇進とありますので、まだ真打になって丸二年ですが、多少高座での言い回しが落語よりも講談風で、些か大仰で鼻につく感も無きにしも非ずなのですが、でも朗々としていて旨い。また決して一本調子では無く、抑える時はちゃんと抑えてメリハリも効いています。一蔵師匠は現在43歳で、入門前にトラック運転手などもやっていて入門が遅かったということもあってか、堂々としていて大柄で押し出しも良く、真打まだ丸二年とは思えません。
因みに、一蔵師匠と一緒に真打昇進となった8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋のお二人は、それぞれ二ツ目の市弥、小辰時代に一緒に「まつぶん新人寄席」で来られていました(第1177話)が、この三人は同時昇進二年目でいずれも活きの良い実力派真打です。ここで、お仲入りが15分。

 後半は、春風亭一朝師匠がトリで「中村仲蔵」。
一朝師匠は生粋の江戸っ子で、故春風亭柳朝に弟子入りし、柳朝から「女中に来たんじゃねぇんだから掃除何てやらせねぇ。ウチにも来なくてイイ。その代わり稽古をしろ!」。普通弟子入りすると、前座時代にさせられる師匠の身の回りの世話や掃除などの家事などを一切させなかったのだそうです。それで一朝師匠も亡き柳朝師匠を踏襲し、今や真打の弟子6人を抱える大所帯となった一門の弟子たちにも一切そうした家事などをさせず、落語の稽古に励ませたとか。しかし、自分だけが教えると自分の“小型”を作るだけだからと、色んな師匠に頼んで弟子たちに稽古をつけてもらったのだそうです。
また師匠は前座だった時に、寄席で出囃子を上手く吹きたくて笛を習い始め、その笛の師匠から「あなたは残りなさい」と引き留められて名取にもなり、二ツ目時代には歌舞伎座、新橋演舞場などで歌舞伎の笛を務め「落語家やめませんか」と言われたこともあったという笛の名手だそうです。この日のトークショーでも紹介されてご自身では謙遜されていましたが、師匠は千住で生まれ、大工など職人の言葉を耳にして育った江戸っ子ですが、歌舞伎の笛を勤めていた時に名優の台詞回しなどを近くで体感したことも、ご自身の江戸前落語に生きているそうです。そして今では大河ドラマなどで、江戸言葉の指導もされているのだとか。
 そんな芸が生きる、芝居噺の「中村仲蔵」。
漸く名代となった歌舞伎役者の中村仲蔵が、歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」が取り上げられた中で貰ったのが5幕目の端役である斧定九郎の一役のみ。それは「仮名手本忠臣蔵」一番の見せ場である4幕目の「判官切腹の場」が終わり、一斉に観客が我慢していた飲食をすることから、それまでは弁当幕といわれた5幕目の端役でした。中村仲蔵は自らの工夫で演じ、今の歌舞伎の定九郎の役の型を作り上げていく物語。因みに昨年8月の「松本落語会」で古今亭菊之丞師匠が判官切腹の場面の「淀五郎」を演じられましたが、淀五郎が悩んで相談に行くのがその時には既に名人になっていた中村仲蔵でした。
この「中村仲蔵」は一朝師匠の大師匠である故林家彦六が得意としたネタであり、最後のサゲもその彦六師匠から直接アゲてもらった通りに終わりました。

 この日の様に事前にネタ出しで「中村仲蔵」と指定して演じるなら、彦六からの口移しという一朝師匠が一番相応しい噺家であり、しかも歌舞伎にも精通しておられる正調江戸落語の実力者ですので、さすがはベテランとしての風格も感じられ、一朝師匠の小柄な体格がお弟子さんの一蔵師匠に負けぬ程大きく見えた高座でした。

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