カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
以前ご紹介した、昨年11月に狭山市のドッグランで開かれた保護犬団体のオフ会の時に、コユキを世話してくださった保護犬団体のボランティアをされている仮親さん(皆さん女性で“仮ママ”と称しておられますので、以降“仮ママさん”で通します)から紹介された一匹の保護犬。
推定年齢6歳くらいだろうというシーズー。仮ママさんに依れば、劣悪な環境のブリーダーから繁殖用で不要になった犬として救い出されたそうで、それまで十分な管理もされていなかったのか、毛玉が凄く、肌荒れも酷くて、中でも左の後足が骨折したまま放置されていたのか、関節が固まってしまって曲げられず動かないのだとか。保護団体と提携している動物病院で診てもらったところ、今から手術することはもう無理で回復不可能であり、足を引きずる今の状態のまま暮らしていくしかないとの診断だったそうです。
それにしても、どうしてそんな無慈悲で酷いブリーダーが後を絶たないのでしょうか。杉本彩女史ではありませんが、本当に憤りを感じます。
そして救い出され、保護団体のボランティアである仮ママさんの所に預けられてまだ間もないため人間に怯えていて、この日は仮ママさんのドッグスリング(犬用の抱っこ紐)にずっと入ったままで、外には出せないでいました。
仮ママさんに依ると、大人しいシーズーは飼い易いので人気があり、保護団体のH/Pに掲載すると普通ならすぐに引き取り手が決まるそうなのですが、この子の場合は足に障害もあるので決まるのは難しいかもしれないとのこと。そこで以前コユキを引き取った時に先住犬でシーズーのナナがいた我が家にどうかと、仮ママさんから事前に家内に打診があったのです。
そこで、ちょうど「田中一村展」を見に行くためにコユキも一緒に横浜の次女の家に泊めてもらう予定だったことから、そのシーズーに会うために狭山経由で横浜に向かうことにしたのでした。
同じシーズーのナナは4㎏ちょっとあったのですが、この子は同じ犬種とは思えない程小さくてガリガリに痩せていて、保護された時は3㎏も無く2キロ台だったとのこと。しかも毛玉が余りに酷くて、洗っても絡まったままでほぐれず、結局バリカンで一旦毛を全て短く刈り取ったということもあって、シーズーというより何だかパグの様な感じで、目が異様に大きく感じられました。
おそらくこれまでは繁殖犬としてのビジネスの道具としてだけで、一切可愛がって貰ったことなど無かったのでしょう。そのため人間を怖がって、仮ママさんのお宅でもクレートから出て来ないのだとか。ただ、ブリーダーの所で満足にエサを貰えなかったのか、或いは食べることしか楽しみが無かったのか、食欲はすこぶる旺盛で、食事の準備をしているとクレートから足を引きずりながら出て来てしっかり食べているそうで、今までの痩せ過ぎを解消してシーズーの標準体重位までは太る様にと、保護してからは少し多めに食べさせているのだそうです。
因みにボランティアの仮ママさんのお宅には、視力が無い子と、片や後ろ足が麻痺して動かない障害を持っている子と、引き取り手の無かったいずれもミニチュアダックスが既に2匹飼われていて、その上で都度ボランティアとして正式な里親が決まるまでの間の仮親として保護犬の面倒を見続ける必要もあるため、これ以上頭数を増やすことは無理。
そうした事情もあって我が家にご紹介いただいたのですが、もし家族の一員としてペットを飼うなら、寿命の長い人間の方が最後まで責任を持ってちゃんと看取ってあげないといけないので、我々夫婦の年齢もふまえると、ナナ亡き後はワンコを飼うのは正直もうコユキが最後でイイかなと思っていました。しかし、保護犬は一度見てしまうと可哀想で放ってはおけない気持ちになってしまいます。
「可哀想じゃない、もし誰も引き取り手が見つからなかったら・・・」
確かにそうなのです。「貴男が決めてイイからね」と言いながら、どうやら家内は既に我が家で引き取ることを心に決めている様でした。そこで、
「・・・じゃあ、ウチで面倒見てあげようか!?」
「えっ!?本当にイイの?・・・大丈夫?」
但し、受け入れるには先住犬であるコユキとの相性が一番重要です。多頭飼いが上手くいくかどうかは、先住犬との相性次第なのです。そこで、トライアルを兼ねて我が家でニ週間預かることにしました。
(先住犬がいない場合も、本来2週間のトライアイル飼育と、ボランティアさんに依る家庭訪問での飼育環境チェックが必須で、その上で、飽くまで保護団体が譲渡の可否を判断します。従って、受け入れ側がどんなに希望しても不可となる場合も当然あります)
救い出された保護犬の場合はどこかしら問題を抱えた犬も多く、我が家のコユキも声帯を切られていて三度ほど手術をして貰いました。ですので、むしろペットショップから購入するよりも却って高上りとなるケースもあり、安いからといって安易に引き取ることは絶対にダメで、そして飼う場合はどんなことがあっても飼育放棄せずに、責任を持って最後まで飼い続けるという覚悟が必要です。
どちらにしても我々夫婦は二人共もう65歳以上の高齢者のため、ペットショップや保護団体からも本来子犬を買ったり受け入れたりすることは出来ませんし、仮に保護団体から受け入れる場合も決して無料では無く、それまでに掛かった医療費等、二桁近い金額が必要になります。
そうした前提をふまえた上で、本来は保護団体の方に依る家庭訪問が必要ですが、我が家では既にコユキを引き取っていることもあって事前チェックは不要とのこと。そこで、11月22日、西東京のボランティアさんのお宅にクレート持参でシーズーを引き取りに、コユキも一緒に車で向かいました。コユキにとっても、仮ママさんのお宅は捨てられて埼玉の保健所に保護され、保護団体のボランティアの仮ママさんに預けられて、初めて人間に可愛がって貰った最初の住処でもあるのです。ですので、コユキの6年ぶりの“里帰り”でもあります。

コユキの時もそうでしたが、初めて人間から愛情を以って名付けられた名前ですので、今回もそのまま「くるみ」(ブログ上はコユキ同様で、分かり易い様にクルミとカタカナ表記にします)と呼ぶことにしました。
我が家から持参したクレートに、少しでも安心できる様に仮ママさんのお宅で寝ていたペットベットのまま入り、ボランティアの仮ママさんに見送られて出発。
これから信州は寒い冬に向かうのが心配ですが、「クルミ」の松本での初めての生活が始まりました。
新年 明けましておめでとうございます。
2025年、信州松本より謹んで新春のお慶びを申し上げます。

今年最初に掲載した写真は、年の暮れ12月28日の朝、薄っすらと雪を被った松本の銘水「源智の井戸」の祠横の縁起の良い南天。そして2025年元旦の朝、モルゲンロートに染まった北アルプスの常念岳です。

新年の2025年は巳年です。
脱皮を繰り返す蛇は、再生復活の象徴ともされます。能登も、ウクライナやガザも、そして日本も、どうかそれぞれの再生復活や復興の道筋がはっきりと見える年になりますように。
(写真は、今年元旦に届いた年賀状の巳年のデザインの中で、“出色”に感じた我がイチオシのレストラン「食蔵バサラ」の年賀状から拝借しましたが、創作料理の店に相応しく、干支の巳に見立てたインゲンと目に使ったのはゴマ?或いはもっと小さな紫蘇の種でしょうか・・・?)

本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。
カネヤマ果樹園一同+コユキ&クルミ💛
年賀欠礼のために寒中見舞いで開けた、今年の我が家の2024年。
昨秋の喪中のため全てキャンセルした旅行の代わりに、松の内が明けて小正月も過ぎてから電車で行った京都旅行。
その際に、長年の疑問だった東山魁夷の「年暮る」に描かれたお寺の本堂を探して辿り着いた、東山三条の「要法寺」。


同じ北信越の石川県ですし、輪島の朝市も旅行で昔行ったことがあります。そして羽田空港は次女が結婚するまで勤務していたので、どちらも他人事とは思えないくらいのショックを受けました。
しかしいくら過疎地とはいえ、もう一年も経つのに地震の爪痕がまだ至る所に残ったままこの暮れを迎えた地区も少なくありませんが、せめてこの年末年始くらいはどうか穏やかに迎えて欲しいと祈らずにはおられません。
(下の写真は、Xmasの12月25日、乗鞍岳方面の穏やかな夕映えです)

また、次女一家も安住の地を見つけて引っ越し、“月例”で毎月二週間近く家内が二人の孫の育児支援に行っています。その間、ワンコと一人だけでの“独居老人”生活も、さすがにニ週間を超えると、自炊するのが億劫になること以外は、何とか慣れて平穏に過ごしています。
そんな中で、6月には念願だった熊野古道を歩くことが出来ましたし、この11月には田村一村展に行って、どうしても見たかった「アダンの海辺」にも会うことが出来ました。
そして、11月末に迎えた二匹目の保護犬。障害のある子ですが、この12月に正式に譲渡を受けることになり、来る年は二匹で迎えることになりますがその経過はまた改めてご紹介したいと思います。
さて今年の本ブログへのアクセスは、今朝の時点で37万2千件と昨年の28万件をはるかに超え、4年前にコロナ禍で皆さんテレワークの在宅勤務等で家に居ることが多かったからであろう過去最高に並ぶアクセスを頂きました。しかも10月だけでナント6万5千件のアクセスがあり、中には一日だけで1万件のアクセスを記録した日がありましたが、一体何があったのか何だか不思議な気さえしました。いずれにせよ、ご愛読いただき本当にありがとうございました。
それでは皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。
カネヤマ果樹園一同+コユキ&クルミ💛
今回、私にとっては長かった、初めての次女の家での四日間の“横浜滞在”。前回も引っ越しの手伝いに一週間程は来ていたのですが、アパートと新居で同じ場所ではありませんでしたし、引っ越し作業に追われ“気分的にも”ゆったりとは出来ませんでした。
しかし今回の滞在の目的は、念願だった上野での「田中一村展」を観ることだけでしたので、“気分的には”随分ゆったりと過ごすことが出来ました。
そして、その今回の“横浜滞在”での楽しみだったのが、毎日のお昼の“バーガーキング三昧”だったのです。
前にもご紹介したのですが(第1917話)、その訳は・・・、マックやモスは松本市内だけでも何店舗もあるのに対して、バーガーキングが長野県下には一店舗も無いから・・・ではありません。それは、私にとってのバーガーキングは、昔馴染んだ“懐かしの味”だから・・・なのです。
昔、家族で赴任して7年間暮らしたシンガポールで、家族でテイクアウト(シンガポールではイギリス英語のTake away を使うのが一般的)したのは、専らバーガーキングでした。
シンガポールで住んでいたコンドミニアムの近くには、マックもバーガーキングも、そして赴任中に日本から進出して来て、現地でも行列が出来る程人気になったモスの第一号店もあり、はたまたサブウェイもフレッシュネスバーガーやウェンディーズの店舗もシンガポール島内にはあったのですが、我が家での一番人気はダントツでバーガーキングでした。

そんな中で、前回7月の引っ越し作業で来た時に食べた「グリルド・ビーフバーガー」(790円)は、昔入社して初めての海外出張でのアメリカ西海岸で食べたハンバーガーを思い起こさせてくれた、懐かしくて本格的なハンバーガーでした。
そこで今回の滞在中のランチには、松本では食べられないバーガーキングから毎日持ち帰って食べることにしました。


残念ながら、前回絶品だった期間限定商品のグリルド・ビーフバーガーは既に販売終了で、この時の期間限定商品は「にんにく・ガーリックバーガー」(690円)でした。
これは、『直火焼きの100%ビーフパティに、ガーリックペースト・フライドガーリック・ガーリックパウダーの3タイプのにんにくをたっぷり使用した「特製ガーリックソース」を合わせたハンバーガー』とのこと。更に、「スパイシーガーリックフレーク」を追加し、辛さと旨さがアップしたという「スパイシーにんにく・ガーリックバーガー」(790円)も期間限定で発売されていました。
そこでどちらも試して食べてみたのですが、個人的にはソースが勝ち過ぎていて、せっかくの直火焼きのパティの味を殺してしまっているという感じがしました。そして「スパイシー・・・」のソースは確かに辛いインドカレーの様な感じで、尚更でした。

味見をさせてもらった感じは、確かに「ナルホド」と言えなくもないのですが、個人的にはニンニクソース程では無いにしても、オーロラソースでソースの味を効かせるよりも、むしろスモーキーBBQワッパー(450円)の方がシンプルで直火焼きビーフが味わえて好みでした。

サイドメニューでは、婿殿のリクエストのアメリカン・スモーキーチキン(500円/4個)は、ヒッコリーのチップで燻製にしたというだけあってなかなかの逸品(日頃あまり食べない婿殿ですが、前回の引っ越しの時に私メのリクエストでのバーガーキングで、どうやら“ジャンクフードの禁断の魅力”の一端に触れてしまったようです)。

またバーガーキングのフレンチフライ(180円/Sサイズ~)は、マックのそれよりもポテトが太切りなので食べ応えがあります。
一方、バーガーキングのナゲットは粉っぽく感じてしまい、ナゲットはむしろマックの方が肉々しくて、味も含めて美味しい気がしました。

選んだのは、シンプルなBBQレタスバーガー(350円)のセットで、このBBQレタスバーガーは朝メニューにしかないメニューなのだそうですが、
BBQソースがかかった直火焼きビーフパティとシャキシャキのレタスが、とてもシンプルでイイ!
もし松本にバーガーキングがあったら、毎日とは言いませんが、週一で食べたい気がします。いつか松本にも出店してくれることを心から期待しています。
因みに、今回のこのバーガーキングの代金は、次女たちの分も含め、毎回全て私メの自腹・・・でした。
しかし、その分婿殿が(孫たちのニ週間の松本滞在のお礼も兼ねてですが)、
「じゃあ、代わりにお義父さんの好きなまいもん寿司に食べに行きましょう!」
と、最終日の夜に「金沢まいもん寿司」を予約してくれてあり、お陰さまで思う存分に光り物やノドグロの炙りなど食べさせて貰ったので、まさに“エビで鯛を釣る”結果となってしまい、「誠にオカタジケ」・・・でありました。
【注記】
商品の写真の幾つかは、バーガーキングのH/Pに掲載されたモノを使わせていただきました。
2016年からJAF(日本自動車連盟)が実施している、『「信号機のない横断歩道」における歩行者優先についての実態調査』の2024年度結果がこの11月に発表されました。
・1位 長野県 87.0%
・2位 石川県 80.9%
・3位 岐阜県 75.2%
:
:
:
・45位 福井県 34.7%
・46位 北海道 34.1%
・47位 富山県 31.6%

因みに、長野県は昨年の84.4%から更に+2.6%上昇し、9年連続1位を更新中。その理由を、TVのローカルニュースでは、
『長野県の停止率が高い理由としては、「伝統」となっている、子どものころからの交通安全教育の影響が挙げられます。
歩行者は手を上げて意思表示するのはもちろん、止まってくれた車へのアイコンタクトやお辞儀が奨励されています。』
と報道していました。
でも、1位報道以上に非常に印象的に感じたのは、次のコメントでした。それは、
『しかし、それでも長野県内で13%はまだ一時停止せずに通過しています。
横断歩道での歩行者優先は法律で定められており、県警は今後もプロジェクトを推進して、ドライバーに一時停止を呼びかけたいとしています。』
“クソ”が付くほどマジメと云われる、如何にも“信州人”らしいコメントだなと感じた次第です。
・・・と、今回書きたかったことは、決して地元長野県の“ふるさと自慢”ではないのです。


今回、初めて数日間横浜の都筑区にある次女の家に泊めてもらいましたが、その間にとても印象的に感じたことがありました。
それは、次女の家から、ショッピングモールが集結している最寄り駅である横浜市営地下鉄のセンター北駅まで歩いて行くのですが、その間に信号機の無い横断歩道が2~3ヶ所あります。そしてそこの横断歩道では、周辺が住宅街で近くに学校があるということも背景にあるのかもしれませんが、何度歩いても通り掛かった車が必ずと言っていい程横断歩道手前で停まってくれるのです。
停止率が全国トップの長野県でも、松本市内を歩いていても信号機の無い横断歩道で全ての車が停まってくれるわけではありません。最初にご紹介したローカルTVのコメントにもありました様に、「しかし、それでも長野県内で13%は一時停止せずに通過している」のです。
それが、数日間とはいえ、毎日必ず数回はその横断歩道を通ったのですが、車が来るとほぼ100%停まってくれたのです。感動する程驚きました。
もしかすると近くに大学の附属高校があって、センター北駅からの高校生たちの通学路になっているため、朝の通学時には学校の腕章を付けた係員の方が旗を持って安全指導をしていることも、ドライバーを含めここに暮らしている住民の方々の中では習慣として根付いている背景なのかもしれません。
しかしそれにしても、例えば朝の通学時でもない昼間に、この年寄りのジイサンが一人横断歩道に立って来る車が通過するのを待っていると、その来た車も必ず停まってくれたのです。それは、どの時間帯でも、またタクシーの様なプロドライバーだけではなく、且つ老若男女を問わず、「必ず」と言って良い位だったのです。
因みに、神奈川県は2024年度データでは全国19位の58.4%と全国平均の53.0%を僅かに上回っているに過ぎませんし、しかも今年は大きくジャンプアップしていて、昨年度はナント41位の29.1%というワースト10内の数字だったのだそうです。
次女の家に戻ってそのことを口にすると、7月にここに引っ越して来てからまだ5ヶ月しか経っていませんが、婿殿も娘も、そして毎月手伝いに来ている家内も、
「そう云われてみれば、殆ど停まってくれるよね・・・」
そして、このセンター北に限らず、以前次女一家はセンター南のアパートに暮らしていて、今夏に引っ越しの手伝いに来た際に、センター南の駅の近くのコンビニへ買い物に行った時も、信号機の無い横断歩道で車が停まってくれてビックリしたことを思い出しました。その時はたまたまだろうと感じたのですが・・・。
勿論、同じ神奈川県内や横浜市内でも地域差はあると思いますし、昨年のワースト10という結果を受けての停止率向上への県や市の指導や活動もあったのかもしれません。
しかし、それにしても数日間で受けた実際の印象は、
「エーっ、松本よりスゴイじゃん!長野県ももっと頑張らなきゃ!だって、まだ100%じゃないんだから・・・。」
そんな風にさえ感じさせてくれた、横浜市都筑区の“民度の高さ”でした。