カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>
次女と孫たちが、亡き母の一周忌法要に合わせて、毎月育児の手助けに行っている奥さまが戻って来るのと一緒に松本へ来てくれました。
そこで、もう90歳を超えて足が弱くなって来られない家内の実家のお義母さんに初めて曾孫の顔を見せるために茅野に行くことになり、せっかくの茅野ですので、孫たちを白樺湖ファミリーランドで遊ばせてからお義母さんを実家に迎えに行って、どこかのレストランでランチを一緒に食べることにしました。

「白樺湖ファミリーランド」は、白樺湖畔に立地している「池の平ホテル&リゾーツ」が運営するホテルに隣接し、メリーゴーランドやジェットコースター等の乗り物、パターゴルフ、プール、乗馬体験、アスレチック等が出来るアミューズメント施設です。
運営する池の平ホテルは、1955年開業と云いますから、我々と同世代。会社に入った頃、忘年会で泊りがけで行った記憶がありますが、正直余り良い印象は残っていません。奥さまに依れば、昔ファミリーランドに小さかった頃の娘たちを連れて来たこともあった由。
そんなこともあってか、近年では小さな子供のいる家族向けのためのキャラクタールームなどを備え、どちらかというとファミリー層狙いで、あの手この手で誘客している印象がありました。
しかし開業が私と同世代ですので施設が大分老朽化したこともあって、最近大幅リニューアルをして、新たに10階建ての本館が新築されてからは、TVCMから受ける印象では、むしろ“高級リゾート感”を(勿論宿泊料金も大幅アップし)前面に(或る意味“必死”に)押し出している様に感じられます。

この日は平日でしたが、入場料は全ての施設の入場やアトラクション全て乗り放題という平日フリーパスが大人料金だと5100円から入場券だけの1700円まで、内容によって料金が幾つにも分かれていました。
孫たちは上の子がまだ3歳で引っ込み思案で、アトラクションも乗るかどうかも分からないため先ずは入場券だけを購入し、乗りたいアトラクションがあったらその都度チケットを購入することにしました。
すると、案の定メリーゴーランドなどのアトラクションは「やだ~!」の一言で全て拒否・・・。そこで、少し離れた所にある森林鉄道に皆で乗ることになり、歩いて行くと1時間に一本しか運転が無くちょうど出発したところ。そこで止む無く、近くのポリーランドという北欧アスレチックとミニ動物園(どうぶつ王国)へ行って時間を潰して森林鉄道に乗車することにしました。すると、どこかの幼稚園か、保護者同伴でお揃いのジャージを着た大集団の子供たちが居て、アスレチックや動物園は園児で大混雑。そのため滑り台などの遊具は3歳児の上の孫は遊べず、結局見ているだけ。
そのため早めに森林鉄道の所に行って順番待ち。お陰で先頭の席に乗ることが出来ました。パターゴルフコースを囲むように線路が敷かれていて、色付き始めた林の中を10分程走る森林鉄道は結構楽しめた様です。
そして孫たちが気に入って終わりそうもないので、その間に家内がお義母さんを迎えに行ってくることになりました。
でもさすがに飽きて来たので、孫たちをベビーカーに載せて白樺湖畔の遊歩道を少し散策してみました。
残念ながら到着した時から一帯は霧に覆われていて、青空は望めませんでしたが、紅葉の色付きを増した高原の湖は幻想的な雰囲気でした。

元々は農業用水を確保するために建設された人工のため池で、そのため、この白樺湖は湖の周囲一帯全て茅野市北山柏原財産区が所有していて、水利権、漁業権、管理権の全てを持っているのだそうです。
なお、東山魁夷の「緑響く」で描かれて最近人気の御射鹿池も、同じこの北山地区に在るため池ですが、北八の麓、標高2100mに在り、この時期紅葉で人気の「白駒の池」は天然の堰止湖です。

朝夕はバイキングで、ランチはアラカルトの由。孫たちがキッズルームで喜んで遊んでいたこともあり、知りませんでしたが14時のオーダーストップの10分前の入館で、急いでメニューを決定。そんなランチタイムを過ぎていたこともあり、広いレストランには我々含め3組ほどしかお客さんがいませんでした。窓も大きく自然光がたっぷり入る館内は明るくて、円形にカーブした窓側席からは白樺湖が見下ろせます。
失礼ながら料理も然程期待していなかったのですが、意外と本格派でビックリ。特にお子様ランチは、横浜に住む次女にして今までの中でもトップクラスとの評価でした。


しかも白樺湖周辺は殆どの施設が老朽化して全体に活気は無く、中には閉鎖して廃墟となったホテルや旅館も湖畔には何軒もあるのです。
池の平ホテルも、昔の(泊った時に個人的に感じた)安っぽかったイメージとは様変わり。ホテルのエントランス付近にいるベルボーイやドアマンが、何だか小田急系列のリゾートホテルを連想させるようなブラウン系の制服と帽子で、昔を知る人間には何となくしっくりきませんでした。
恐らく40年振りくらいに来た池の平ホテルとファミリーランドですが、その様変わりに感心し、特に県外からの家族連れのお客さん向けの観光スポットとしての人気にビックリした次第です。
秋の紅葉と聞いて想い浮かべるのは、紅い色ならモミジ、ナナカマド、ウルシ、ドウダンツツジ・・・。そして黄葉の方の黄色は、カラマツ、イチョウ、ナラ、そしてシラカバ・・・でしょうか。
ただ黄葉の場所、例えば高山や里山、平地、そして例え狭い日本列島でも北と南の緯度の違いに依って違いますし、何より一番は自分の生まれ育った場所、そして今棲んでいる地で、紅葉(黄葉)と聞いて各々想い浮かべる木は皆さんそれぞれ全く異なると思います。
そんな四季のある日本列島に暮らす私たちにとって、秋の恵みである紅葉(黄葉も)の中で、個人的に意外と見過ごされている身近な木がある様な気がしています。

調べてみたら15年も前でしたが、本ブログに紅葉した柿の葉の落葉する様子を一度書いたことがありました。それは・・・、
『さて、柿の葉の落葉をご覧になったことがありますか。
まるで雨が降るかのように、次から次へと赤く色付いた柿の葉が、それこそ“サラサラ”と音を立てるように散っていきます。その様は“散る”というよりも、まさに“降る”と言った方が近い感じがします。特に風の無い日は、まるで不思議な光景を見るようで、幻想的ですらあります。
ただ、家に不在の平日だと気付かないことの方が多いのですが、前日とはうって変わって葉が落ちた柿の木の様子からは、恐らく一日の中の僅か数時間でその不思議な“現象”は終わってしまうように思います。』(第169話より抜粋)

他の木と違って、それは決して一定の法則や“決まり事”があるのではなく、それぞれの木に依って少しずつ紅葉の仕方が違う様に思います。紅く色付く木もあれば、どちらかというと黄色が優勢で黄葉と云った方が良い感じに色付く木もある。更に同じ木であっても、場合によっては一枚一枚、葉毎に色付き方が異なる・・・と言うよりも、「同じではない」と言った方がむしろ正しいのかもしれません。
その意味で、他の木はこの時期、紅葉或いは黄葉、そのどちらであっても殆ど“木”そのもの、若しくは例えば“モミジの永観堂”の様に木々を見る(愛でる)のだと思うのですが、柿の木の“紅葉”は赤や黄色に色付いたその葉一枚一枚が微妙に違っていて、柿の木全体としてではなくむしろ葉の一枚一枚が、例えその虫食いの跡でさえ風情が感じられて実に味わい深いのです。



そんな身近で見つけた、“小さな小さな秋”・・・でした。
何日か秋雨が続いた後、久し振りに北アルプスが朝くっきりと見えた10月中旬。今年も新栗のモンブランを求めて、家で独りお留守番をさせておくのは可哀そうなので、コユキも一緒にドライブがてら小布施に行って来ました。
小布施に行く前に、奥さまのリクエストで、翌々日からまた横浜に孫の世話に行くので、次女の所に送るリンゴと自家用のブドウを買うために須坂の産直市場に立ち寄りました。
小布施へは小布施PAのスマートICが便利で降りるとすぐ到着するのですが、須坂へは長野東ICで降りて暫く一般道を走ります。
長野東ICのすぐ近くでは、県下最大のショッピングモールというイオンモールが建設工事中でした。前評判でどんなに大きいかと思いましたが、3棟ある松本と比べてそんなに変わらない感じ。松本はあがたの森の近くで駅から歩いても10分足らずと市街地に在るので便利ですが、こちらは高速を降りてすぐではありますが、長野市の中心街からだと車で30分以上と結構離れていますので、長野市の商工会議所が「イオンが出来てパルコや地元デパートが閉店に追い込まれた松本の二の舞になる」と出店に反対している様ですが、果たしてどうなのでしょうか?イオンモールの影響がゼロとは言えないのかもしれませんが、(飽くまで私見ですが)パルコはセゾングループ全体のリストラの一環ですし、地元デパートは経営努力不足が真の原因でしょう。
京都の錦市場はインバウンドの影響もあって特殊でも、出町今出川の枡形商店街の様にインバウンド客など関係無く地元のお客さんで賑わっている商店街だってあるのですから、長野商工会議所も他責にではなく、自らの知恵と工夫で経営努力しないと所詮先はありますまい。
ただ須坂(長野?)のイオンモールの開店に依って、松本のイオンには結構長野ナンバーも多いので、それをこのイオンモールが吸収してくれれば、いまだ平日でも駐車場が混んでいる松本も多少駐車場に停め易くなるので有難い気もします。
さて、須坂の産直市場には1時間ちょっとで到着。家内が買い物をしている間、コユキにおやつを上げて駐車場を少し散歩。
須坂には県の果樹試験場があり、長年に亘る品種改良の中からブドウではナガノパープルやクイーンルージュ、リンゴでは“りんご三兄弟”を構成しているシナノスイートやシナノゴールドを始め、最近栽培が増えているシナノドルチェなど、シナノと冠した品種がここで誕生しています。その背景には、この“須高”地区と呼ばれる須坂と下高井郡から中野に掛けての一帯が、“フルーツ王国・信州”の中でも、リンゴ、ブドウ、更に長野市川中島の桃も含め、県下では最も果樹栽培の盛んな地域だからなのです。
65年位前でしょうか・・・、幼い頃、戦前からリンゴ栽培を始めていた祖父に連れられて、汽車に乗ってこの方面へリンゴ苗を買いに来て、その帰りに善光寺に立ち寄ってお詣りした時に境内で鳩に群がられて泣いたらしいのですが、そんな半世紀以上も前からリンゴ栽培でも北信地方のこの辺りは松本エリアの果樹栽培の先輩でした。
ですので、今でも同じ産直に並ぶブドウもリンゴも、残念ながら味も価格もこの“須高”エリアの方が松本エリアよりも上。そのため次女の家では、須坂がご実家という家内の友人の方に紹介していただいた須坂の果樹農家から、シャインマスカットやナガノパープルなどのブドウを毎年取り寄せているそうです。須坂の産直に並ぶブドウやリンゴは、値段で言えば、例え産直であってももし松本で買ったら1.5倍はするでしょうか(但し、そのためだけにここへ来るのは、高速代を考えると全くのナンセンス。飽くまで小布施や長野に来たついでに買うのであれば・・・です)。そこで、この産直で独自品種であるナガノパープル、クイーンルージュとシャインマスカット、そして旬を迎えつつあるシナノスイートも購入してから、今回の目的地である小布施に向かいました。

須坂からだと、国道403号線を来るとそのまま小布施の中心を通り抜けます。10年程前に「一度食べてみたい」という新栗の時期の期間限定商品、「小布施堂」の“和栗の点心”「朱雀」を食べるために、一時間並んで整理券をゲットしたことがありました(第797話)が、その朱雀はコロナ禍で事前の完全予約制となり、小布施堂本店前には次の予約時刻を告げる看板を持ったスタッフが立っていました。我々は一度食べてもたれてしまい、「もう(食べなくても)イイね!?」となりましたが、相変わらずの人気の様です。
その我々が新栗のこの時期、小布施に来ると「朱雀」に代わって食べているのが「栗の木テラス」のモンブランと、家内に依るとモンブランには合うというポットで供される紅茶・・・です(私メは頑固にコーヒーですが、第1772話を参照ください)。
この日は混雑を避けるべく平日なのですが、県下で面積の一番狭い自治体で市街地もこじんまりした小布施とはいえ、新栗の季節ということもあり、女性客を中心にこの集客力は大したものだと感心します。
NTTのCMで使われている、北斎が小布施滞在中に描いた岩松院の天井の鳳凰図や、彼の作品を集めた北斎館もあるとはいえ(個人的には中島千波館の方が好きですが)、或る意味“栗だけ”でのこの小布施人気はオドロキです。小布施は、国内の“町おこし”の代表的な成功例ではないでしょうか!






1時間ほどで自宅に戻り、コユキにもおやつを上げてから早速焼き栗とケーキを頂きました。家内はコーヒーではなくモンブランには合うからと紅茶。焼き栗が香ばしいのは勿論ですが、甘くて美味しい。モンブランは二つとも家内に。一つは翌日に回して美味しくいただいたそうです。
以上、我が家の今年の“小布施の新栗”でした。
10月上旬、マンションの3年に一度の設備点検のため、1時間全館停電となるとの通知が事前にありました。その間は、PCは勿論ですが家電製品は一切使えず、また水も出ずトイレも使用出来ず、館内のエレベーターも自動ドアも全て停止とのこと。
当初は、コユキをカートに載せて松本城まで散歩に行って、どこかワンコOKのカフェ(町を挙げて“Dog Friendly”を標榜する軽井沢に比べ、松本だけではありませんが、県内に留まらずどこもワンコOKの店が少な過ぎ!)にでも寄って来ようと言っていたのですが、奥さまはたまたまこの日お義母さんに頼まれて茅野の実家に行く用事が出来たので、止む無くコユキを連れて一人で何処かへ行くことにしました。
そこで代わりに選んだのは、城山公園に隣接する『Gallery & Cafe憩いの森』です。渡米した長女が松本に帰って来る度に行った彼女のお気に入りのカフェで、以降我々も自宅から城山公園経由でアルプス公園までの“城山トレイル”の帰りの休憩などで時々利用しています。






またギャラリー&カフェと銘打っておられるように、店内には展示スペースがあって、地元作家の陶芸作品や工芸作品などが、期間での入れ替えをしながら展示販売がされていて、時々は小さな絵画展や貸切りでのミニコンサートも開催されています。


この日は平日のせいかカフェにはお客さんは誰もおらず、我々だけ。停電終了まで、ここで小一時間過ごさないといけないので、コユキの水とおやつは勿論ですが、文庫本も持ってきました。
女性スタッフの方が動物好きで、コユキを可愛がってくれました。そこでコユキを見て頂いている間に、店内のギャラリーコーナーを除いてみると、地元作家の方の陶器が展示されていて、その中に前回家内と来た時に家内がとても気に入った、店内でラテ(メニュー表記はミルクコーヒー)用に使われているのと同じ大きなカップがあったので購入することにしました。その時にマスターに伺ったら、後日作品が展示される予定とのことだったのですが、ちょうどタイミングが合った様です。一脚3800円(税抜き)。

そこで、後日コユキを連れてまた家内と一緒に伺ってテラス席で喫茶した後、もう一脚購入して帰りました。ヤレヤレ・・・。
9月23日、キッセイ文化ホール(県松本文化会館、略して“県文”)で、『まつぶん浮世絵寄席 春風亭一朝・一蔵親子会』があり、聴きに行って来ました。
以前の春風亭雛菊さんが凱旋出演したいつもの二つ目の「まつぶん新人寄席」の時に今回の開催を知り、一朝師匠は今まで一度も生で聴いたことが無かったので、その場でチケットを購入していました。
今回は演じられるネタが二席ということもあってか通常でも2500円というリーズナブルな価格設定なのですが、今回も「まつぶん新人寄席」と同様、有難いことに65歳以上はシルバー料金として更に1500円(学生も同額です)と割り引かれており、本当に有難い限りです。また、購入したのが早かったので、席はやや下手の通路側の最前列の席です。
今回は「浮世絵寄席」と銘打ってある通り、浮世絵に描かれた江戸時代の実在の人物を題材にした落語のネタをそれぞれ師匠が演ずるという趣向。そのため、既に一朝師匠が芝居ネタの「中村仲蔵」、一蔵師匠が相撲ネタの「阿武松」をいずれも本寸法で演じられると事前にネタ出しされています。
会場は、今回も中ホールで、階段状の席は使わず、フロアのパイプ椅子だけですが、さすがは春風亭一門の大御所一朝師匠と弟子の若手実力派一蔵師匠の登場ということもああって、私の様なシルバー世代主体ではありますが、お客さんで一杯でした。

余談ですが一蔵師匠が大柄なせいもありますが、一朝師匠は思いの外小柄でビックリしました。でも木久扇師匠張りに、大師匠(師匠は彦六の弟子故
柳朝)である彦六の声色をそっくりに真似られて会場を沸かせてくれました。

続いての一蔵師匠。2022年9月下席より8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋と共に真打に昇進とありますので、まだ真打になって丸二年ですが、多少高座での言い回しが落語よりも講談風で、些か大仰で鼻につく感も無きにしも非ずなのですが、でも朗々としていて旨い。また決して一本調子では無く、抑える時はちゃんと抑えてメリハリも効いています。一蔵師匠は現在43歳で、入門前にトラック運転手などもやっていて入門が遅かったということもあってか、堂々としていて大柄で押し出しも良く、真打まだ丸二年とは思えません。
因みに、一蔵師匠と一緒に真打昇進となった8代目柳亭小燕枝、10代目入船亭扇橋のお二人は、それぞれ二ツ目の市弥、小辰時代に一緒に「まつぶん新人寄席」で来られていました(第1177話)が、この三人は同時昇進二年目でいずれも活きの良い実力派真打です。ここで、お仲入りが15分。

一朝師匠は生粋の江戸っ子で、故春風亭柳朝に弟子入りし、柳朝から「女中に来たんじゃねぇんだから掃除何てやらせねぇ。ウチにも来なくてイイ。その代わり稽古をしろ!」。普通弟子入りすると、前座時代にさせられる師匠の身の回りの世話や掃除などの家事などを一切させなかったのだそうです。それで一朝師匠も亡き柳朝師匠を踏襲し、今や真打の弟子6人を抱える大所帯となった一門の弟子たちにも一切そうした家事などをさせず、落語の稽古に励ませたとか。しかし、自分だけが教えると自分の“小型”を作るだけだからと、色んな師匠に頼んで弟子たちに稽古をつけてもらったのだそうです。
また師匠は前座だった時に、寄席で出囃子を上手く吹きたくて笛を習い始め、その笛の師匠から「あなたは残りなさい」と引き留められて名取にもなり、二ツ目時代には歌舞伎座、新橋演舞場などで歌舞伎の笛を務め「落語家やめませんか」と言われたこともあったという笛の名手だそうです。この日のトークショーでも紹介されてご自身では謙遜されていましたが、師匠は千住で生まれ、大工など職人の言葉を耳にして育った江戸っ子ですが、歌舞伎の笛を勤めていた時に名優の台詞回しなどを近くで体感したことも、ご自身の江戸前落語に生きているそうです。そして今では大河ドラマなどで、江戸言葉の指導もされているのだとか。
そんな芸が生きる、芝居噺の「中村仲蔵」。
漸く名代となった歌舞伎役者の中村仲蔵が、歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」が取り上げられた中で貰ったのが5幕目の端役である斧定九郎の一役のみ。それは「仮名手本忠臣蔵」一番の見せ場である4幕目の「判官切腹の場」が終わり、一斉に観客が我慢していた飲食をすることから、それまでは弁当幕といわれた5幕目の端役でした。中村仲蔵は自らの工夫で演じ、今の歌舞伎の定九郎の役の型を作り上げていく物語。因みに昨年8月の「松本落語会」で古今亭菊之丞師匠が判官切腹の場面の「淀五郎」を演じられましたが、淀五郎が悩んで相談に行くのがその時には既に名人になっていた中村仲蔵でした。
この「中村仲蔵」は一朝師匠の大師匠である故林家彦六が得意としたネタであり、最後のサゲもその彦六師匠から直接アゲてもらった通りに終わりました。
この日の様に事前にネタ出しで「中村仲蔵」と指定して演じるなら、彦六からの口移しという一朝師匠が一番相応しい噺家であり、しかも歌舞伎にも精通しておられる正調江戸落語の実力者ですので、さすがはベテランとしての風格も感じられ、一朝師匠の小柄な体格がお弟子さんの一蔵師匠に負けぬ程大きく見えた高座でした。