カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 美ヶ原登山での三城からの帰り道。
この日の天気予報で、場合によっては雨に降られてズブ濡れになるかも・・・ということもあり、帰路、途中にある扉温泉の日帰りの公共温泉「桧の湯」に立ち寄るべくお風呂道具も車に積んで朝出発していました。
下山して、三城の駐車場に到着したのが2時半過ぎ。多少雨に濡れたのと、それ以上に汗をかいたので、さっぱりすべく朝の予定通りに途中温泉に寄って行くことにしました。

 三城いこいの森から少し下ると、「扉温泉、桧の湯」との看板があり、近道らしい林道桧沢線を行くことにしました。
一台がやっとという感じの狭く曲がりくねった細い道です。三城からは峠の様な暫く上り道が続き、上り終わるとずっとカーブの連続する下り坂が続きます。細いこと以上に、むしろ時折拳大よりも大きな落石が道の所々に転がっているのが些か不気味です(しょっちゅう落石があるというよりも、あっても誰も片付ける人が居ない・・・ということだとは思いますが)。
三城経由での美ヶ原高原へのビーナスラインと扉温泉への分岐点から入るよりも、三城からですと桧沢線を通る方が遥かに近道だとはナビの地図からは察しられても、カーブの連続する細い道は結構な距離に感じられます。しかし、全線舗装されていて途中一台もすれ違わないのに、県道なのでしょうが、走りながら「何だかなぁ・・・?」。
地元の方々の生活道路や、林道なので、林業のための産業道路であれば納得ではありますが、税金を使って舗装する必要があるのでしょうか・・・。

 それはともかく、ナビ上で分岐からの道に合流するかと思った瞬間、急に建物が現れて、そこが「桧の湯」。週末で、しかも(地元の方も野良仕事が出来ない)雨降りのせいか、二つある駐車場の内、建物側は満車。反対側も含め十数台は駐車していて、こんな山の中なのに「恐れ入りました!」。小さな温泉なので、混んでいるかと心配です。
今や高級料理温泉旅館としても知られる「明神館」の代表される、松本の奥座敷というには(多分松本の奥座敷たる温泉は、歴代城主に愛された浅間か、或いは大和朝廷にも聞こえ時の天武天皇が行宮を置こうとした「束間之湯」の美ヶ原、はたまた「大菩薩峠」の白骨でしょうか)些か山奥過ぎるこの扉温泉。温泉旅館が2軒とこの公共温泉しかない、まさに山の中の秘湯と呼べる様な扉温泉の一番奥に位置するこの「桧の湯」は、山辺地区の森林組合が運営する天然温泉で、毎分300リトル自噴というアルカリ性単純泉。因みに、泉質の良さは“西の白骨、東の扉”とか。
一度は来てみたかったのですが市内からは些か遠く、この日帰り公共温泉「桧の湯」は地元の方々だけでなく、夏場に三城でキャンプする人たちの立ち寄り湯でもあるそうなので、美ヶ原登山で三城まで来た今回が絶好の機会でした。
この「桧の湯」は地元森林組合運営ということもあってか、入湯料が300円という破格の安さ。そのため、シャンプーや石鹸などの常備はありません。タオルなども含め、一回分の石鹸やシャンプーなども窓口の自販機等から購入することも出来る様ですが、知っていれば事前に準備して行った方が良いでしょう。設備が揃った他の日帰り温泉は通常600円くらいしますが、地元の方は勿論風呂道具持参で来られ、休憩も不要で入浴後はすぐ帰られるので、設備が無くてもこれで十分なのでしょう。しかも夕方で営業時間終了の様ですが、街灯も無い山道故、崖下への転落事故防止のために夜間は営業しない方がむしろ良いかもしれません。
 掛け流しの温泉は40℃くらいか少し温めのお湯で、神経痛やリウマチイなどの他、コップが置いてある通り胃腸病にも効くのだとか。アルカリ性単純泉で、試しに飲んでみましたが苦み等は無く、心持ち硫黄臭がする程度でした。
内湯と露天の外湯があり、露天の方がノンビリと長く入れ様にするためか、更に温め。露天風呂には、我が家の雑木林ガーデンのリフォームの際に縁石にも使われていますが、今では採掘が禁じられているという地元産の山辺石(松本城の石垣にも使われています)がふんだんに使われています。露天風呂は渓谷沿いで谷底を望むような緑に囲まれていて、如何にも秘湯感が漂っていて気持ちがイイ。地元の皆さんが温めのお湯にゆったりと浸かっておられました。
この日は10名ほどのお客さんで、殆ど地元の方々とお見受けしました。洗い場はL字型で8ヶ所(蛇口とシャワーから出るお湯も全て温泉とのこと)。湯舟を含め、我が家から一番近い豊科の公共日帰り温泉「湯多里山の神」よりも広めです。個人的には「湯多里山の神」の方が温度も高めでスベスベする泉質も好みなのですが、山に囲まれた様な秘湯感はこの「桧の湯」の方が遥かに上。緑が実に清々しくて、何とも癒される様で、この温泉の人気の程が分かる気がしました。

 少し温めのお湯ではありますが、入っているとジンワリと体も温まりポカポカとして、お風呂から上がっても汗が出てきます。
先に上がって入り口の椅子で涼みながら家内を待っていると(休憩室もありますが、別料金の300円。外に別の建物で蕎麦などが食べられる「かけす食堂」もあります)、キャンプか我々の様な美ヶ原登山からの帰りか、男女の若い方々も10人くらい来られました。家内も上がって来て、この温泉には満足した様子でした。
 入り口にサイン色紙と写真が飾ってあり、見ると「グレートトラバース3」と「田中陽希」のサイン。日付は僅か一ヶ月前の2019年5月20日。
因みに帰宅後調べてみると、百名山の「1」、二百名山の「2」を踏破し、現在陽希さんは「グレートトラバース3」として三百名山を踏破中。その「グレートトラバース3日記」に依れば、5月16日に159座目となる群馬・長野県境の荒船山から佐久を経て、18日に松本からは反対側の旧武石村からの焼山沢ルートから160座目の美ヶ原で山荘に一泊し、翌19日に美ヶ原から鉢伏山を経て20日に下山途中の朝一番でこの「桧の湯」に立ち寄ってから松本城にも登城し、たまたま市中で開催されていたクラフトフェアも覗いた由。
その後24日には162座目となる鉢盛山に登り、ナントその後で「ノースフェイス松本店」主催と言いますから本町の「信毎メディアガーデン」だと思いますが、5月26日には「交流会」が開かれ、多くの山好きが押し掛けたのだとか。それで松本滞在が長かったのですね。全く知りませんでした。
最近は有名になり過ぎて、陽希さんの先回りして待ち構えるファンも多くなったため、登山道の整備された百名山ならいざ知らず三百名山ともなると中には未踏のルートもあろうことから、事故防止のために陽希さんの予定ルートや現在地を公開していないのだそうですが、
 「あぁ、すぐ近くにいたんだなぁ・・・。そうか、百を含めた三百なのだから美ヶ原に寄っても当然なんだ・・・」
と、一ヶ月前のサインを見ながら暫し感慨に囚われていました。
因みに、陽希さんは5月末から八ヶ岳を縦走した後、6月上旬からは南アルプスに向かわれた由。

 トラバースとは直接関係の無い松本城やこの「桧の湯」までBSで放映されるか分かりませんが、少なくとも美ヶ原の様子が放送される日を楽しみにしたいと思います。それにしても、「桧の湯」に立ち寄ったおかげで、登山に関わる田中陽希さんの「グレートトラバース3」までもが身近に感じられて、事前に納得した悪天候の中での山行ではありましたが、最後もちょっぴり得した気分の今回の美ヶ原登山でした。
 「イェイ、ラッキー!♪」

 信州松本は梅雨の真っただ中の、6月22日土曜日。
翌週に「女性のための登山教室」参加を控えた奥様が、足慣らしをしたいとのことで、兼ねてよりこの時期に行くならと考えていた美ヶ原へ登ることにしました。
 我々の様な初心者は冬山や雪の残る春山は無理ですので、雪の消えた初夏が登山シーズンの解禁です。そしてその6月は、美ヶ原や鉢伏、高ボッチなど、松本から望む東山々系ではレンゲツツジの咲く時期でもあります。
日々更新されている王ヶ頭ホテルのブログ写真では、美ヶ原の頂上付近のレンゲツツジの群落は未だ二分咲き程度とのこと。今年は少し遅れているのかもしれませんが、レンゲツツジではなく翌週の奥様のための足慣らしが主目的で、週末のこの日は母がデイサービス日で昼間不在のため、母を送り出してから三城に向けて出発しました。
他の日を選べなかったので最初から覚悟の上ですが、この日の天気予報は曇りで、しかも午後からは雨。生憎の空模様ですが他の日を選べないので、展望の悪さと場合によっては午後の雨降りも覚悟の上で、私メにとっては(奥様は既に山梨や神奈川の山で行われた登山教室に参加済み)シーズン開幕となる美ヶ原登山です。
途中のコンビニで昼食を購入し、我が家から「三城いこいの森広場」の無料駐車場へは40分足らずで9時45分頃の到着。思い立ったらすぐ行ける、このフットワークの良さが松本からの美ヶ原登山の魅力です。
駐車場には3台ほどしか停車しておらず、週末とはいえ梅雨の最中でこの日の天気予報では登山客も少なかろうと納得。駐車場からは、王ヶ頭のテレビ塔はこの日は雲に隠れて望めません。
駐車場のトイレが壊れていたので、センターハウスのトイレを使わせていただき(勿論、こちらも有料です)、9時55分にいざ出発。今回も百曲がりコースです。

 オートキャンプ場のサイトを抜け、登山道を沢沿いに広小場へ。
暫くはなだらかな道が続くのですが、梅雨で湿度が高いせいか何だかいつもより汗が出ます。そのため下にタイツをはいていて暑かったので、広小場の東屋でスパッツの下半分を外して半ズボンにして、水分補給をしていよいよ百曲がりの急登へ。
この季節の美ヶ原登山は初めてですが、実に緑が濃い。梅雨時で先週も雨が降ったのか登山道は結構湿っていて、場所によっては水溜まりがあってぬかるんでもいます。
梅雨時で多分湿度も高いのでしょうか、予想以上に熱くて汗が出て、何度もタオルで汗を拭います。そのため思いの外バテテしまい、何度か立ち止まって水分補給をしながら樹林帯を抜けると、漸く風が通る様になって体感上も涼しく感じました。それにしても、美ヶ原では今回登るのを初めてキツく感じました。奥様によれば、それも日ごろの鍛錬不足で怠けているせいだからとのこと。
「イヤハヤ、面目無い・・・」と、些かトホホでありました。
そのため百曲がり園地へは、今回は三城の登山道入り口から1時間40分掛かりました。事前の予想通りで、この日は全く展望が利きません。周囲360度全て雲の中です。従って、アルプス展望コースを行っても何も見えないので、園地から塩くれ場を経由して、牧場内を通って王ヶ頭へ向かいました。
既に牛の放牧が開始されていて、塩くれ場にはハイカーの一団が休憩されていましたが、梅雨時のためか週末ですが観光客も疎ら。美ヶ原のシンボル「美しの塔」も霞んでいましたが、歩いている人はあまり見当たりませんでした。
美ヶ原の最高地点となる2034mの王ヶ頭。東側の谷間から雲が流れて来て、半分は雲に隠れていて全く展望が利きませんが、これも梅雨時ならではの景色なのかもしれません。初めて来られた観光客の方々にはこの日の天候は気の毒ですが、いつでも来られる我々の様な地元民にとっては、これはこれでこの時期ならではの風景として楽しむべきなのかもしれません。
しかし“この時期ならでは”である筈のレンゲツツジは、百曲がりの登山道脇に何本か咲いてはいましたが、登山道や塩くれ場からの高原の牧場内には全く見ることはありませんでしたし、小梨(ズミ)の白い花ももう散っていました。
車でビーナスラインを来ると見られるのかどうか分かりませんが、このエリアのレンゲツツジの群落は王ヶ頭より先の自然保護センター周辺とのこと。しかしホテルのブログ情報に拠ると、山頂はまだ二分咲き程度で見頃を迎えてはいないそうです。従って美ヶ原高原のこの展望コースエリアの花の見頃は、高山植物の咲く盛夏からマツムシソウなどが咲く秋口になるのでしょうか。
 王ヶ頭ホテル前の広場に12時半過ぎに到着。少ないとはいえ、観光客の皆さんはホテル内の食堂で、また登山の若いグループの方々は広場のテーブル席でお湯をバーナーで沸かしてカップヌードル等でそれぞれランチ中。
我々も広場に座って、コンビニで買ってきたサンドイッチやオニギリで昼食です。それにしても、前回は二本(1.3リッター弱)持って来て殆ど手付かずだった水が、今回は予想以上の発汗で750㏄入りの水筒はもう殆ど空。そこで、念のためにホテルの自販機でミネラルウォーターを購入して、帰路用に水筒へ補充しました。
昼食を取っている間に雨がパラパラ落ちて来ましたし、この日の天候では王ヶ鼻へ行っても北アルプスの眺望は全く望めないため、午後一からの雨予報だったこともあり、ここ王ヶ頭から早めに引き返すことにして、せっかくですので、帰りはアルプス展望コースで百曲がり園地までのトレッキングを楽しむことにしました。
 尾崎喜八『高原詩抄』に収められた「松本の春の朝」第6編(昭和17年)に、
  『(前略)夜明けに一雨あったらしく、
       空気は気持ちよく湿っている。
       山にかこまれた静かな町と清らかな田園、  
       岩燕が囀(さえず)り、れんげそうの咲く朝を、
       そこらじゅうから春まだ寒い雪の尖峰が顔を出す。
       日本のグリンデンヴァルト、信州松本。(後略)』
果たして、松本の市街地に尾崎喜八の言うイワツバメが舞っているかは定かではありませんが、この王ヶ頭ホテルに巣作りをして群舞する様に飛び交っているのは正しくそのイワツバメでしょう。
生憎この日はコース名の様なアルプスの峰々の展望は全く利きませんでしたが、さすがに美ヶ原でのトレッキングを楽しむ方々は皆さんこのコースを歩かれていて、途中何組もすれ違いました。
烏帽子岩を過ぎてもう少しで園地という所で、先方から歩いてくる30人ほどのグループが見えたので、少し広い場所ですれ違うために我々が待っていました。
登山らしく、スイマセン、コンニチワと思い思いに挨拶を交わしながらすれ違います。我々同様に三城から登って来られたという、若い女性が多いグループでした。すると家内が突然「アッ!」と言って、グループの中に居た女性の方と挨拶を交わしています。そのため、私はてっきり「女性のための登山教室」でこれまでにご一緒された方なのかと思ったのですが、続いて家内が「この前、鈴木さんの講演も山岳フォーラムでお聞きしました!」というので良く見ると、ナント、山好きが高じて東京からご家族で移住されて今松本市の観光大使にも任命されている松本在住の漫画家、鈴木ともこさんではありませんか!
その一行は、鈴木さんの山好きのお仲間か、彼女を中心とするトレッキンググループでした(後で調べると、トレッキング雑誌主催のイベント中での「鈴木ともこさんと行く美ヶ原トレッキング」だった由)。
続いて百曲がり園地では、我々よりも遥かに年配の方々の男女のパーティーが、やはり百曲がりコースを登って来られました。「今日はどうでした?」という質問に、コースの様子をお話ししました。お話によれば、先頭におられた(失礼ながら80才位のお歳とお見受けしました)年輩の女性の方が、この美ヶ原でナント百座目なのだとか。「日本百名山全山登頂達成!」となる最後100座目が、この美ヶ原なのだそうです。そこで思わず、
 「おめでとうございます!」。
お話によれば、(車で来る?)他の方々と山本小屋(美ヶ原高原ホテル)で合流してから(?)頂上となる王ヶ頭へ記念登頂されるのだとか。そこで、きっと百座達成記念のバナー(横断幕)を掲げて、記念写真を撮影されるのでしょう。
それにしても、体力のあるお若い頃に槍や穂高などは登頂されたのでしょうが、80歳近くになって百座登頂達成されるとは凄い!の一言。(山好きの方々の中では、決して珍しいことではないのかもしれませんが、我々初心者にとっては夢の様な)偉業達成の機会に遭遇させていただいたことに感激し感謝でありました。
 ご挨拶をして、我々は帰りも百曲がりコースを下ります。
暫くすると男性の方が登って来られ、道を譲るべく待っていると、ポツポツと遂に雨が振り出しました。
 「午後は雨予報だったので、我々は王ヶ鼻も行かずにこれから下るところです。」
と言うと、その男性も、
 「ヨシ、私も引き返します!今日はもう行かない方が良さそうだ・・・。」
と、もう少しで百曲がり園地だというのに、さっと踵を返して一緒に下り始めました。こういう判断(≒引き返す勇気)が山登りではきっと重要なのでしょう。
その方の下山しながらのお話によると、この日は燕岳に登るつもりで早朝中房温泉に行くと、既に夏山シーズンか第一駐車場は満車だったそうですが、ラジオが雷の電波を拾ったようなバリバリという雑音がしたために西山への登山は諦めて、逆側である東山の美ヶ原に来たのだとか。
美ヶ原登山はどれ位標高差があるのかという質問にお答えすると、片道2時間弱で三城の登山口から王ヶ頭まで500m程の美ヶ原に対して、“北アルプスの女王”2763mの燕岳は、中房温泉の登山口から燕山荘(2712m)まで片道5時間で標高差1260mとのこと(高さも登山時間も2.5倍です)。
この日は足慣らしのトレーニングと言われるこの男性。お聞きすると、地元在住のお医者様で、登山が趣味のため、地元だけでなく松本エリアの東筑の中学校から依頼されて、学校登山に学校医として毎年何校も同行されるのだとか。この日も、近く燕岳への学校登山に同行するための予行演習として日帰りで燕岳へ登る予定だったのを、登山口で雷雨を予想して断念し、反対側の美ヶ原へ(休診日である週末での)トレーニングへ来られたのだとか。
「北アルプス3大急登」とも言われるキツイ燕岳への学校登山が最近は減って(最近の若い先生は登山未経験でもあり)、代わりに、例えば山頂近くまでバスで行ける乗鞍岳やロープウェイで行ける木曽駒などへ登る学校もあるが、どちらも3000m級の山であり、いきなり2500m地点から開始する登山は逆に高山病への注意が必要とのお話に、ナルホド!と、登山が趣味の先生らしい、色々医学的な興味深いお話をお聞きしながら一緒に山を下りました。
そこで、この日の天候でバテタことや、昨年唐松でへばったことをお話しすると、こまめな水分補給が不可欠とのことで、この日も先生は習慣で水2リットルを持参されているとか・・・。
 「ちょっと重いんですけど・・・ネ」
ナルホドと、この日美ヶ原なら・・・と750㏄しか持参しなかった私メは大いに反省することしきりでした。
雨が本降りになったため、カッパを着るべく、我々は先生とは別れリュックから雨具を取り出しました。この日の雨は、山沿いのためか(松本地方の)予報以上の本降りでしたが、三城の駐車場に着く頃になって漸く小振りになりました。
 残念ながら天候が悪く、展望は全く利かぬ様な悪条件での美ヶ原登山でしたが、地元在住とはいえ、漫画家の鈴木ともこさん、百名山達成記念の方、そして学校登山に毎年同行される学校医の先生・・・。今回多くの山好きの方々にお会いして、パワーや山好きの方々の気持ちの一端に触れさせていただいて、風景への感動とはまた一味違った清々しい山の良さが感じられた、そんな素敵な山旅でした。

 先日の夜、好きな番組であるNHK総合TVの「サラめし」に続いて放送されていたのが「うたコン」。他局はつまらないバラエティーばかりで見る番組も無く、然程興味があった訳でもないのですが何となくそのまま見ていました。
たまたま、その日の出場歌手の一人が演歌の島津亜矢さん。アイドルと違い、演歌を歌う人は昔から歌が上手いというのは当然なのでしょうけれど、本来の演歌ではないポップスや他の歌手とのデュエットに唖然!その旨さに、思わず聴き入ってしまいました。

 後で知ったのは、彼女のファンであるマキタスポーツ氏が彼女を形容して付けたという「歌怪獣」というあだ名(綽名)。演歌歌手にも勿論おキレイで、ある種妖艶とも形容可能な様な美しい方もおられますが、片や魔除けフィギュアになるような天童よしみさんの様な大御所もおられ、島津さんもどちらかというとそちら系でしょうか。
従って、女性に対しては何とも失礼ですが、島津さん(の容姿ではなく、むしろその歌いっぷり)に対しての「歌怪獣」というそれが言い得て妙と思える程に納得出来る、ある意味“凄まじい”くらいに鳥肌モノの歌唱力でした。

 演歌歌手の皆さんは、嘗ての三橋美智也始め、細川たかしさんなど民謡出身の歌い手の方も多いだけに、小節はともかくその歌唱力、特に声量は皆さん折り紙付きなので、演歌を聴いている限りは目立たないのですが、演歌ではないポップスなど別のジャンルを歌うと、何故かその歌唱力に耳目を奪われるのです。多分それは、口パクの歌手などは論外としても、顔がイイだけで然程歌唱力の無い歌手(但し、歌唱力の無さ=音楽性の無さではない)とは、特にゴマカシの効かない(録音音源ではない)“生歌”になればなるほど、それが目立つのだろうと感じた次第です。

 それにしても、彼女の歌った「ボディガード」の主題歌で有名な“I Will Always Love You”は、本当に惚れ惚れする程上手かった・・・。

 奥様のお友達から今年も山蕗をたくさん頂きました。昨年は奥様がきゃらぶきを煮て、実家や友人に分けたりしていましたが、今年は奥様から、
 「暇だったら、あなたが作ったら!?」
と焚き付けられたので、「んだば・・・」とチャレンジしてみることにしました。
 そこで、ネット検索をして下ごしらえを確認。
先ずは板ずりで産毛の様な毛を落としてから、次に洗って5㎝くらいの長さに切り揃えます。続いてレシピを参考に、醤油と味醂、日本酒や酒などで煮汁を作りコトコトと煮込みます。
煮込む前に灰汁抜きをするレシピが殆どですが、家内によると、昨年灰汁抜きをして作ったら「山蕗らしい苦みが無い!」と私メから酷評されたので、二度目は灰汁抜きせずに作ったら大好評だったとのこと。
そこで、山蕗の苦み(えぐみ)を楽しむべく、今年も灰汁抜きはせずにそのまま煮込むことにしました。
落し蓋をしてとろ火で結構長い時間煮込み、煮汁も無くなってきたところで火を止めました。ところが味見をすると些か強い(コワイ=硬い)。きっと、薹が経ってコワくなった蕗のせいだろうと思い、そのままにしておきました。
後で試食した奥様曰く、
 「これじゃコワ過ぎてダメ!落し蓋して煮た?」
と言うので、「当然じゃん!」。すると奥様曰く・・・、
 「落し蓋をして、蓋もチャンとしたんだよネェ!?」
 「えっ!??、落し蓋だけでイイんでしょ!?蓋するんだったら、落し蓋要らないジャン!???」
 「あぁ、そのせいだワ!落し蓋をして、更に蓋もしなかったら柔らかくなる訳ないジャン!!そんなの常識でっしょ!?」
 「エーっ、うっそー!!!」
というようなやり取りが続きました。落し蓋をして、更に鍋に蓋をするなど・・・???今まで聞いたことがありません。
そこで調べてみると確かにありました。正確には「落し蓋」ではなく「着せ蓋」と言うのだとか。曰く、
『(前略)材料に煮汁が行き渡るように、また煮崩れを防ぐために、鍋よりひとまわり小さい蓋を材料の上に直接のせることを「落し蓋をする」と言います。特に、煮魚を作るときには欠かせません。魚の皮がはがれないように、蓋を水でぬらしてからのせます。柔らかくて煮崩れしやすいものを煮るときは、紙蓋やアルミホイルを落し蓋代わりにするといいです。
落とし蓋では水分が早く蒸発しすぎて、材料に十分火が通らないことがあります。 そんなときや、ふっくら仕上げたいときには、落し蓋をした上に普通の蓋をします。それを「着せ蓋」といいます。着せ蓋は料理の状況によって、すき間を開けたり、閉じたり、外して煮汁を蒸発させたりします。
特に魚などの様に生臭さがこもる場合は着せ蓋を鍋から僅かにずらした方が良く、このやり方を「切り蓋」と言う場合もあります。』
とのこと。ナルホド!でした。

 コワ(強)かったきゃらぶき。そのため、家内が再度落し蓋と着せ蓋をして煮込んだところ、まるで別物の様に柔らかくなりました。味もしっかりと染みて、山蕗らしいホロ苦さもあって美味!ナルホドなぁ、さすがだなぁ!これで、ご飯のお供に一年間もちそうです。たくさん出来たので、実家にも持って行ってもらいました。
それにしても、フム、「着せ蓋」ですか・・・初めて知りました。

 知り合いから筍(タケノコ)を頂きました。この時期信州で直売所などに並ぶ淡竹(ハチク)の筍です。淡竹というのは、孟宗竹よりも細いせいぜい直径5㎝程度の細めの竹(太い物でも10㎝)で、孟宗竹よりも耐寒性があるため日本海側に多く、5月下旬から6月中旬くらいがタケノコのシーズンだそうです。

信州でも店頭に並ぶ地物のタケノコはこの淡竹。因みに、雪深い北信濃が本場の根曲がり竹は、竹ではなくチシマザサ(千島笹)のタケノコ。海の恵みの豊かな庄内地方は、山国の信州とは違いタラの芽などの山菜には見向きもしないのに、地元で“赤いダイヤ”とも称されるこの根曲がり竹(月山竹)だけは毎年遭難者も出るほどに血眼になるのだそうです。シンプルに、ただ焼いて味噌を付けて食べる根曲がり竹は確かに最高です。そして、この根曲がり竹は食べるだけでなく、昔から民芸品でもある竹細工にも使われています。
一方の淡竹。奥山に行かないと採れない根曲がり竹よりは、里の竹林に生える分、昔から筍としては一般的。因みに、「ハチクの勢い」という時のハチクは、この「淡竹」ではなく「破竹」で、竹は一筋割れ目が入るとさっと割れることから名付けられたという、「三国志」からの慣用句なのだとか。
 さて、タケノコ料理と云えば、何と云っても信州だとタケノコ汁でしょうか。しかしタケノコ汁と云っても、有名なのは基本的には先述の根曲がり竹を使った味噌汁。しかも、北信(長野県北部)では必ず水煮の鯖缶が使われます。
昔、長女の高校時代に評議員で学校に行った際、長野市出身の校長先生が教員住宅に生えていたタケノコでのタケノコ汁を振舞ってくれたのですが、初めて食べる鯖缶が入った味噌汁で、これが北信の定番と教えていただき随分驚いたことがありました。
個人的には、素材の味を生かす(何も混ぜない)方が良いように思いますし、今でも根曲がり竹のシーズンになると、東信が本拠のスーパーであるツルヤでも鯖缶が山積みされているのですが、子供の頃の我が家の五目御飯やカレーにまで、時として(肉の代わりに)鯖缶が使われていたせいで、何となくですが、鯖缶だけで(醤油と大根おろしで)食べるのは好きですが、最近どんなに人気になっても、鯖缶を入れたカレーや五目ご飯などは個人的に子供の頃の貧しさの象徴の様な気がしてしまいどうしても好きになれません(結婚して家に入った家内曰く、決して農家は貧しいのではなく生活が質素だからだと云いますが、それでも子供時代の“貧しい”という印象は変わりません)。
 従って、今回の淡竹でのタケノコ料理も、味噌汁には鯖缶は使いません。
先ずは、家内の指示に従い、米のとぎ汁で茹でて灰汁抜きをします。淡竹は灰汁が少ないので茹でるだけで良いというレシピもありましたが、とぎ汁で茹でると結構な灰汁が出ました。
タケノコは頂いた三本の淡竹だけでも結構な量がありましたし、他にいただいた蕗もあったので、先ずは蕗の味を殺さぬ様に筍と一緒に薄味であっさりと煮物にしました。なお、柔らかい薄皮は「姫皮」と言って食べられるので、キレイに全て剥いてしまう必要はないのだそうです。
 続いてタケノコだけの煮物にします。こちらは多少日持ちがする様に少々濃い目の味付けです。
そして最後残ったタケノコはシンプルにタケノコ汁に。但し、北信ではないので、鯖缶は使わずに素材そのものの味が際立つ様、煮干しで出汁を採っただけで、具材はシンプルにタケノコのみ・・・です。
因みに、個人的にはタケノコの煮物が一番美味しかった様に思います。更に、煮汁が余ったので、煮たタケノコも少し使って筍ご飯も作りました。あっさりとした味に仕上がり、こちらも何とも乙な炊き込みご飯になりました。

 いただいた太くて長い三本の淡竹。結構色んなバリエーションで、竹冠に旬と書く、まさに旬の筍を存分に頂くことが出来ました。これで一週間くらいは寿命が延びたのでしょうか・・・。
 「大変ごちそう様でした!」

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