カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 以前、まつもと市民芸術館で開かれた「山の日」の記念イベントの講座を聴講した時に、販促キャンペーンで頂いた日清の「カレーメシ」。
 ただお湯を混ぜてかき混ぜるとカレーライスになるという優れモノで、一般家庭ではともかく、山への携行食として登山者に人気の商品とのこと。
頂いたカレーメシの賞味期限が切れそうなので、自宅で試食してみました。
カップヌードル同様に熱湯を指定の分量注ぎ、待つこと5分。カップヌードルと多少違うのは、そこから粘り(トロミ)が出るまでグルグルと掻き混ぜること。すると、ジャバジャバとお湯ばっかりだったのが、「あら不思議!」と本当に粘り気が出て来ました。食べてみると、
 「おぉ!正しくカレーだ!!」
ややスープカレーぽいものの(もっと混ぜた方がイイか?)、ちゃんとしたカレーライスです。しかもスパイスの効いた本格派。お湯を注ぐだけでここまでちゃんとしたカレーライスになるというのは驚きでした。

 私メと同年代の方々は覚えておられるかもしれませんが、40年ほど前、カップヌードルの次期商品として日清が大々的にキャンペーンをして売り出したのが「カップライス」。記憶不確かながら、ピラフとかドライカレーもあったでしょうか?
カップヌードルに比べれば、どこの家庭でも必ずあるご飯というのは消費者の後ろめたさにつながったのか、短期間で消えた理由は定かではありませんが、出始めの頃の印象では湯戻しされたライスとしての食感が人工的で多少違和感があったとしても、少なくとも私メの様なキッチン設備の無い貧乏下宿生にとっては救世主のような存在で何度もお世話になったのですが、ビジネス的には成功しなかったのか、あっという間に世の中から消えてしまいました。
 それが、数年前にカレーメシとして復活。世界中に拡がったカップ麺程の需要は無いかもしれませんが、最近の登山ブームも手伝ってか、登山者にとっては、ただお湯を注ぐだけで(麺類よりも何となくお腹に溜まる)ご飯モノが食べられるので大変ありがたい商品として人気なのだそうです。
勿論、時代も進み、味付けや調理法なども嘗てのカップライスに比べれば格段の進歩をしているのかもしれません。
 個人的にはどうしても昔の学生時代のイメージがあったので、復活していても購入したことは無かったのですが、今回イベントのプロモーションで頂いたお陰で、十二分に(登山で)使える便利なインスタント食品として最評価(認識)した次第です。

 国民的盛り上がりを見せた、ラグビーワールドカップ2019日本大会。
日本チームがその時点のランキングで世界一位だったアイルランドを倒し、台風禍の中、全回負けたスコットランドに勝って遂に念願のベスト8に初進出。残念ながら準々決勝では今回は南アフリカに完敗ではありましたが、日本中に“にわかファン”が溢れたのも、そうしたホスト国である日本チームの快進撃があったことは間違いありません。それにしても何故これ程までに今回ラグビーが日本中で盛り上がったのか?・・・。

 そのヒントを見つけました。それは、サッカーのワールドカップのFIFAやオリンピックでのIOC同様に、大会の公式画像として、ラグビー中継などで必ず最初に放映されるラグビーの国際競技連盟であるワールド・ラグビー(World Rugby)が作成したW杯用の公式タイトルVideo。
日本大会をシンボライズした富士山から躍動するラガーマンに変わるCG 映像。その画像の中に「品位、規律」などと書かれた漢字が現れるのですが、これが「ラグビー憲章」です。
それは、品位(Integrity)、情熱(Passion)、結束(Solidarity)、規律(Discipline)、尊重(Respect)の五つで構成されていて、それぞれの定義は、
品位:「品位とはゲームの構造の核を成すものであり、誠実さとフェアプレーによって生み出される。」
情熱:「ラグビーに関わる人々は、ゲームに対する情熱的な熱意を持っている。ラグビーは、興奮を呼び、愛着を誘い、グローバルなラグビーファミリーへの帰属意識を生む。」
結束:「ラグビーは、生涯続く友情、絆、チームワーク、そして、文化的、地理的、政治的、宗教的な相違を超えた忠誠心へとつながる一体的な精神をもたらす。」
規律:「規律とはフィールドの内外においてゲームに不可欠なものであり、競技規則、競技に関する規定、そして、ラグビーのコアバリューを順守することによって表現される。」
尊重:「チームメイト、相手、マッチオフィシャル、そして、ゲームに参加する人を尊重することは、最も重要である。」
 更にもう一つ。それは、ラグビーを象徴する“ノーサイド”と“One for all. All for one”。これは、日本だけで有名な“ラグビー・ワード”なのだそうです。日本にラグビーを根付かせるにあたって、先人がラグビー文化を象徴する言葉として用いたのが広まったのだそうです。
ラグビーにおける試合終了を意味したNo sideは、今ではFull timeと言い、ノーサイドを使っているのは今や日本だけで、1970年代以降、本国英国に限らず他の国では最早死語なのだとか。
またラグビーの献身性や犠牲的精神を指す“One for all. All for one”は、フランスのデュマの小説「三銃士」の中に出て来る一節で、ラグビー精神を表すのに相応しい言葉として日本で使われたのだとか(因みに、大元は保険の意義を表現するための言葉であり、その方が理解しやすいかもしれませんが・・・)。
こうしたことから窺い知れるのは、例えば「規律」や「尊重」、そして全員での「結束」といったラグビー精神が、日本人の精神構造に実に素直に馴染むからではないか?・・・ということです。

 自分を犠牲にして勇敢に相手にぶつかっていくタックルに見る自己犠牲。どんなに“傷んでも”(大学ラグビーでは)ヤカンの水を掛けただけでピッチに戻っていく忍耐力・・・etc。
翻って、ファウルを取らんがためにイミテーションと取られかねない程に大げさに倒れ込み、時に相手への尊厳など微塵も感じれぬ程に大袈裟なゴールパフォーマンスを繰り返すサッカー。
同じ英国で生まれた競技なのに、“紳士のスポーツ”と片や“野蛮人のスポーツ”と云われる程に、どうしてこうも違うのか。
勿論スポーツの人気は、やはり強いこと、勝つことであり、ましてや過去の日本代表の様に国の代表チームが連戦連敗では、いくら競技の魅力を説いても何の意味も持ちません。やはり勝つことで注目を集め人気も高まり、競技人口が増えることで、裾野が広がり競技レベルもまた高まっていく・・・。
サッカー人気はワールドカップ出場と日韓W杯開催によって高まったでしょうし、女子サッカーもW杯優勝が大きく貢献しました(その後の成績低迷により、宮下選手らの“ブームで終わらせてはいけない”という危惧が残念ながら当たってしまっていますが)。

 10年程前の次女の学生時代。彼女の大学には、何とPTAの様な父兄会が組織化されていて、大学側の支援により県毎に支部が置かれて活動する中で、長野支部は(役員中心ですが)夏に菅平で合宿をするラグビー部の練習試合に合わせて毎年応援しに行って県産の果物や野菜ジュースなどの差し入れを行っていました。帝京や早稲田といった強豪校との練習試合。天然芝のラグビーコート(菅平には、ナント60面のラグビーコートがあるそうです)にはスタンドは無いので、それこそ目の前でタックルなどの肉弾戦が繰り広げられるのですが、そのガシッ、ゴツッといった肉体がぶつかる音の迫力はまさに息を飲むほどでした。
ですから、生で観る国の誇りを賭けた代表戦で観客が興奮するのは当然です。しかしラグビーの良い所は、フリーガンを生んだ同じ国発祥のスポーツとは思えないのですが、選手のノーサイド同様に、敵味方の区別なく同じ席で入り混じって応援し、且つお互いを尊重して諍いや中傷などが全く見られないこと。応援する側にもお互いをリスペクトするラグビー精神がしっかりと根付いていることが、ラグビーの素晴らしい点ではないでしょうか。

 それにしても、日本チームの敗退により、まだW杯は続いているのですが、何となく日本中に桜のジャージに対するロスムードが拡がっています。
“桜の勇者”たちの戦いぶりは素晴らしかったし、どの代表チームもラグビー精神を発揮した姿勢はさすがでした。オールブラックスから海外チームに広まっていった、ノーサイド後の観客の皆さんへの日本流のお辞儀も印象的でした。
そして、選手の皆さんだけではなく、キャンプ地や試合会場で迎えた観客の態度も世界中に発信されたことで、日本大会の盛り上がりに拍車をかけました。それは2020東京オリンピックに向けたプレ大会の様な雰囲気で、十分に日本流の“おもてなし”の試金石にもなったと思います。

 最後に余談ですが、大会中に配信された報道の中で、個人的に印象的だったのが、準々決勝南ア戦を前にした英国インディペンデント紙でした。曰く、
「この惑星の南アフリカ人以外のラグビーサポーターは日曜日、日本を応援することになる。彼らはルールブックを書き換えている。見るのは至福。大きな声では言えないが、日本代表は我々の目の前でラグビーの救世主となりえるのだ。“柔よく剛を制す”を体現し、美しく勇敢な戦いぶりで観衆を魅了している日本代表。」
日本だけでなく世界中で、今回の桜の勇者たちの繰り広げたスピードと創造性溢れるラグビーに対しての賞賛が拡がっていました。

 今回の蓼科滞在はナナとコユキも一緒なので午後は出来るだけ外出せず、ナナとコユキも一緒に蓼科湖を何度か散歩した以外はホテルでノンビリとワンコたちと一緒に過ごしたので、夕食はテイクアウト等の部屋食にしました。
ワンコ連れも一緒に食べられるレストランやカフェが軽井沢の様にたくさんあると良いのですが、ネットで調べても蓼科にはあまりありません。せいぜい晴れた日のテラス席OKというカフェが数軒あった程度で、余り食指が動きませんでした。そのため、蓼科のレストラン等での外食は午前中の登山やウォーキング後のランチのみ。

 登山の後に寄ったのは、蓼科湖にあるインド料理のお店「メラ・ナタラジ」。“自然派インド料理”と看板にあり、ヴィーガン向けのベジタリアンカレーの様です。隣接してインドの美術館まで併設されていて、なかなかの拘りが伺えます。
ホテル周辺には他に入ってみたいと思える店が見つからず、珍しく奥さまが「インド料理でもイイよ!」とのこと。滅多にない機会なので、気が変わらぬうちに入店しました。
結構広い店内で、我々以外は一組しかおられません。
カレーは肉や魚介類は一切無くて、メニューは全て野菜やキノコなど。ランチセットは、好みのカレーとサラダに大きなバターナンが付いて、1080円からとのこと。私メは、大豆ミートのナタラジ・カレー(辛口)、奥さまはキノコパラクというキノコ類とホウレン草のカレーをチョイス。

前回、コユキの手術で埼玉の狭山に行った時に、入院させての帰路、ランチにラーメン店とファミレス以外はインド・ネパール料理くらいしか見当たらず、その店でカレーを食べたのですが、ナン食べ放題と言いながらカレーが少な過ぎてすぐに終わってしまい、ナンを食べたくてもカレーが無くて食べられませんでした。ここナタラジのナンはバターが良く効いていますが、かなり大きくて、肝心のカレーの量も十分。大豆ミートは(素材が同じなので当然かもしれませんが)何となく食感が日本の油揚げに似た感じです。カレーは辛口とのことですが、あまり辛く感じませんでした(辛さは選べるようです)。奥さまのホウレン草のカレーは甘口でしたが、両方とも結構美味しいカレーでした。ボリュームは十分で(食べ切れないという奥さまの分も頂いて)満腹になりました。
ナタラジにはナンがあったので、一応ジャンルとしては北インド料理でしょう。お店の案内に拠れば、銀座や渋谷、原宿にもお店があり、この蓼科店は7月から11月の夏季営業とのこと。通販までしているらしく、「ナタラジ」はインド料理店としては結構有名なお店の様です(30周年とか)。
ただ、個人的にはシンガポールの今は無き「モティ・マハール」以上のインド料理店は未だ出会ったことはありません。しかも、カレーだけなら、種類は少なく小さな店ですが、松本の北インド家庭料理(家庭にはタンドーリが無いので、ナンではなくチャパティが常食)の「Doon食堂インド山」の方がお薦めです。

 翌日のウォーキングの後は、まだ時間が早かったこともあり、折角なので私メの希望を聞いてもらって、茅野の市街地の塚原まで下り、一度食べてみたかった「蕎麦の郷」へ。何でも、茅野の蕎麦店の評価がトップクラスの店で、「どうづき蕎麦」がイチオシだとか。
「どうづき蕎麦」というのは、古代からの伝統の技「水萌千本杵搗製法(みずもえせんぼんきねつきせいほう)」とかで、 茅野商工会議所が地元の機械メーカーと信州大学農学部と共同開発した「千本杵搗機」という機械を使って、八ヶ岳山麓の蕎麦の実を甘皮付きのまま低温の水につけて、人間の手でできない部分をその機械で直捏ねした生地で造られている独特の蕎麦で、この茅野市内の数店舗でしか食べられない“幻の”蕎麦なのだそうです。
既に秋の新そばになっているそうで、折角なので、その十割どうづきそば(1650円)と、奥さまは十割そば(1550円)、私メは好みの二八そば(750円)にして、三種類それぞれを食べ比べて楽しむことにしました。
どうづき蕎麦は粉を挽かず杵で突いて潰しているので、甘みもあって確かにもっちりとしています。しかし、この日のどうづき、十割、二八とも未だ出始めのせいか、「新そば」の香りが殆どしないのが残念でしたし、蕎麦の盛りの量もお上品過ぎて、自信満々なのは良いとしても、その上でも倍以上のこの値段は些か強気過ぎるのではないかと思います。
ただ、店の前を車で通る度に一度は食べてみたいと思っていた「どうづき蕎麦」でしたので、その意味で食べることが出来たのは満足、納得・・・・。蕎麦の味は人それぞれの嗜好次第とはいえ、その上で、残念ながらもう二度とここで食べることは無いだろうと思った次第・・・(蕎麦は難しい)。
 「ごちそうさまでした・・・」

 北横岳登山の翌日。この日は、以前途中までしか行かなかった横谷峡に行ってみることにしました。
ホテルのフロントで頂いた蓼科のマップに拠ると、蓼科湖から奥蓼科の横谷峡まで3.2㎞の信濃自然歩道などの散策路があるとのことなので、車を使わずにトレッキング(ハイキング?)がてら歩いて行くことにしました。

 横谷峡へは2つルートがあり、一つは石遊(いしやす)の湯や楢の木池を通る信濃路自然遊歩道ともう一つはサイクリングロードを兼ねた散策路ですが、自然遊歩道の方がアップダウンがありそうだったので先ずは往路にして、帰路は平坦そうなサイクリングリードの散策路を歩くことにしました。双方3.2㎞とのこと。
また横谷峡は、一番上流の「おしどり隠しの滝」まで行けば、片道4㎞程はありそうです。従って、蓼科湖からは往復10㎞以上のウォーキングです。
8:30にホテルを出発。自然遊歩道は車道の様で、途中作業の軽トラと何台かすれ違い。蓼科CCの横も通ります。別荘なのでしょうか、道沿いに何軒か家があり、県外車が停まっていました。
途中、林の中で大きなニホンジカと遭遇。定年前の上田への通勤時に、鹿教湯付近で道路に飛び出して来た鹿にぶつかりそうになったことがあったのですが、林野庁の職員の方々の目撃記録でも、霧ヶ峰から美ヶ原までの中信高原国定公園が県内では一番鹿の目撃数が多い地域なのだそうです。
途中にあった「石遊(いしやす)の湯」は、戦時中の鉄山の跡だそうで、鉱山から噴出した日帰り温泉だそうです。

更に歩いて行くと、楢ノ木池の近くで、まだ2歳という人懐っこい甲斐犬と元気な青年が散歩で追い抜いて行きましたが、今夏ワンコと一緒に八ヶ岳の天狗岳に登ったとかで、やはり夏に女性だけのグループで登った奥さまと天狗岳への登山話で盛り上がっていました(二人の会話中、私メとワンコは蚊帳の外で、顔を舐めてくれたりと、彼女に遊んでもらっておりました・・・)。
最後、奥蓼科の別荘地の中の急坂を上って、麦草峠や白駒の池に至るメルヘン街道(国道299号線)の横谷峡入り口に到着。9時半でしたので、蓼科湖から丁度一時間。
 横谷峡は渋川の渓流沿いに散策路が設けられていて、幾つかの滝が渓谷を彩っています。先ずは木戸口神社下にある乙女の滝からスタートです。タタラ製鉄との関連も指摘される出雲の国造り神話同様に、諏訪も建御見名方命の大古の頃から軍需用に使われた戦時中まで、石遊の湯の様な鉄の鉱山があったのですが、この渋川も川底の茶褐色の岩を見る通り鉄分が多そうで、流れは清流ですが魚は棲んで居そうもありません。きっと渋川沿いの温泉は茶褐色の鉄分の多い泉質なのでしょう(蓼科温泉の三室源泉は酸性泉で透明です)。
この横谷峡に点在する滝には、滝毎にその場所に飛散しているマイナスイオンの数が表示されています。因みに、乙女の滝は「マイナスイオン20000」。
その後、崖崩れで一旦横谷温泉旅館の敷地の中を通る迂回路を経由して遊歩道に戻ります。霧降の滝、鷲岩、屏風岩、そして冬は凍る氷瀑から一枚岩へと、渓谷沿いの散策路を歩いて行きます。渓谷沿いなので湿気は多いにしても、横谷峡のある奥蓼科も八ヶ岳の麓らしく、林の中に鮮やかな苔の絨毯が拡がっていました。
渋川の下流側から歩いていますので、当然上流に向かって上って行くのですが、結構な急坂の場所もあって、ハイキングというよりはトレッキング気分。この先に王滝とおしどり隠しの滝もあるのですが、既に一時間。4㎞近く歩いて来たのですが、まだ結構掛かりそうだったので、ワンコたちが待っていることもあり、今回も踏破出来ずに一枚岩から引き返すことにしました。
 昔は確かグリーンバレーという名前だったパークホテル。一回倒産し、現在ホテルは別資本で営業しているようですが、庭園などはかなり荒れてしまっていて勿体無い限り。横谷温泉旅館以外の奥蓼科はさびれた感じが否めません。
パークホテルの脇から、帰路の散策路を歩いてホテルの在る蓼科湖へ戻ります。往路にもあったのですが、帰りの散策路でも道端に、オモト(万年青)の実のような、直立する、小さなパイナップルのような形状をした緑や真っ赤に熟した実の付いた植物が目に付きました。中には高さ1.5mくらい大きなモノもあります。葉っぱはゴボウの葉に何となく似ていますが、赤い実が異様に目立ちます。後日ネットで調べてみると、山や林の湿り気の在る場所に生えるサトイモ科の多年草で「マムシグサ」という、何ともオドロオドロシイ名称の植物だと分かりました。
 蓼科湖から歩いて奥蓼科の横谷峡へ。横谷峡は今回も全部は歩けませんでしたが、蓼科湖から遊歩道や散策路で往復も歩いたので、12~13㎞程度のウォーキングとなり、午前中の3時間コースでしたが結構な距離になりました。
早昼を食べてからホテルに戻り、午後はゆっくりと温泉三昧。その昔、戦につかれた兵士を労わったであろう“信玄隠の隠し湯”で、現代人の我々は平和なウォーキング疲れの体をしっかりと癒すことが出来ました。
【追記】
台風19号により、蓼科の在る茅野市北山地区でも、洪水こそ無かったものの4000戸を超える大規模な停電などの災害が発生したそうです。北八でも、蓼科山では倒木等により、7合目以上で登山道が歩けなくなっているとのこと。また、大雨の度にではあるのですが、今回も諏訪湖に注ぐ上川が溢れて水がついた場所があるそうです。
謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りしております。

 日本列島を襲った12日から13日にかけての大型台風19号により、長野県内でも大きく報道された長野市内など数ヶ所で千曲川の堤防決壊に拠る氾濫や越水などにより、住宅地や農地が広範囲にわたり冠水するなどして大きな被害が出ています。
また、長野市以外でも土砂崩れや倒木などにより、道路や線路が寸断されて通行止めになったり停電するなど、県内各地に大きな被害をもたらしました。まだ被害の全容は把握されていませんが、これまでの局地的な地震や噴火はともかく、台風により同じ長野県内や身近でこれ程の大きな被害が発生したことに、他人ごとではないと大きなショックを受けています。
松本では終日雨は降り続いたものの幸い洪水などの被害はなく、また思いの外風も強くなかったので果樹などの農作物にも被害は殆ど無く、TVで災害発生を知るまでまさか同じ県内でそんな被害が出ているとは予想だにせず、むしろ夜間は台風進路に当たっていた横浜や東京にいる娘たちの状況を家内と心配していました。

 14日、家内がどうしても娘たちの所に上京しなければいけない用事があったのですが、中央線は大月~高尾間の土砂崩れで線路が埋まり、全ての特急が運休。高速バスも八王子JCTで崩れた土砂が道路を塞ぎ通行止めで、上京する術無し。一方、北陸新幹線は千曲川の決壊で車両基地が冠水し、間引き運転で長野~東京間のみ一時間に一本程度運転するとのこと。但し、篠ノ井線が明科以北で線路付近の土がえぐられて不通。しかし、高速道路の長野道が14日には通行止めが解除されていて通行可。そこで、新幹線は上田からも乗れますが、始発の長野の方が良かろうと車で家内を長野まで送って行って、長野から新幹線で上京することにしました(三才山峠は土砂崩れによる全面通行止めで、結果的に松本から上田へは行けませんでした)。
列車の運行ダイヤがJR東日本のH/Pでも分からないため、念のため早朝6時半過ぎに家を出て長野駅に向かいました。

 姨捨SA付近まで来ると、鉄道の「日本三大車窓」に数えられる通り、眼下に千曲川が善光寺平を流れるのが望めるのですが、河川敷の殆どが水が流れる川になっているのが遠目からでも見て取れ、声も出ません。更埴JCTを過ぎ、松代SA付近で千曲川に沿って走るのですが、水は引いたものの河川敷は水浸しです。
 高速を長野ICで降り、川中島を経由して長野市街地へ向かいますが、千曲川を渡る橋から見える河川敷の流されて来た流木やゴミが河川敷を覆いつくしている様子に息を飲みます。確かこの辺りは河川敷が畑として利用されてい、長芋などの畑が一面に整然と広がっていたように記憶していますが、全くその跡形もなく全て泥に覆われていました。
この辺りの千曲川は決壊してはいませんので、河川敷内に水がついただけだと思いますが、それでもこの惨状ですので、決壊し氾濫した地域は如何ほどかと想像すら出来ません。
昔、岡谷川岸の土砂崩れで応援に行った時に、土石流の凄まじさを体感しましたが、
 『信濃なる 千曲の川の細石(さざれいし)も 君し踏みてば玉と拾はむ 』
と、普段は万葉の時代にも歌に詠まれた程の優しい川が、ひとたび牙を剥いた時の洪水の恐ろしさをまざまざと思い知らされた様に思いました。
 ほぼ一時間、7:45に長野駅東口の市営駐車場に到着。
新幹線乗り場は東京方面へ向かう乗客でごった返していて、ローカルTV局のクルーも何組か来て取材していましたが、やはり一時間に一本程度の間引き運転。でも、8:24発のあさまに十分間に合う時間。グリーン以外は全て自由席で、駅ネットで予約済みのチケットを発券してすぐにホームへ向かったところ、ホームも既に長蛇の列だったようですが、幸いにも座れたようで一安心。
 こちらも帰路は焦らずゆっくりと運転し、途中姨捨SAに立ち寄り、千曲川の様子を撮影しましたが、見えませんがこの先で氾濫しているかと思うと、涙が流れて来そうで本当に辛くなります。
姨捨SAに「東部方面隊 災害派遣車両」と書かれた自衛隊車両が数台停車しており、高速道路でも自衛隊車両が何台も隊列を組んで走行していましたし、また川中島古古戦場付近の上空では、松本駐屯地から飛んで来たのか、今日も被災地に救助に向かうであろうシングルローターの自衛隊ヘリが一機上空を飛行して行きました。地元の松本駐屯地だけではなく、恐らくは東日本中心に各地から出動されて来られたであろう、任務とはいえ危険と隣り合うような大変な作業に向かう隊員の皆さんに心から感謝し、また作業の無事を祈りました(そう云えば、嘗て「自衛隊は暴力装置!」と罵った、時の政権の官房長官もおられましたが、既に鬼籍・・・)
 人種や民族間の争いを避けて、我々の祖先が辿り着いた極東の平和な島国は、一方で地震、噴火、台風と、様々な災害に見舞われる列島でした。しかし、自然を恐れつつも八百万(やおよろず)の神と崇め共存し、都度それに耐えて立ち向かい、辛さを皆で乗り越えて来た歴史があります。だから、今回も、
 『「ずく」出して、みんなで頑張るずら!!』
【注記】
緊急事態につき、「ナナとコユキのプチ旅」は一旦中断しました。
それにしても、W杯の試合中止後に釜石に残って「ラグビーよりも、大事なことがある」と、被災地のボランティア活動をされていたカナダチームには本当に感謝し頭が下がりました!!!そう云えば、東日本大震災後も、中には帰国を促す大使館や本国からの指示に従わずに、被災した釜石でボランティア活動を続けていたのも地元釜石シーウェイブスのラガーマンたちでした・・・。
  “One for all. All for one.”
【追記】
昨夕、家内は北陸新幹線の長野経由で、篠ノ井線が全線復旧したため、長野発名古屋行の特急しなので戻って来ました。しなのの自由席は一杯だった由。松本駅に迎えに行くと、張り紙やアナウンス(日本語以外でも)が繰り返しされていて、中央線は高尾~大月間の2ヶ所で線路内への土砂流入により普通になっていて、運転再開は10月末の見込みとのこと。当分、あずさ(かいじも)は動きそうもありません。中央道も復旧に1週間くらいは掛かりそうとのことで、松本から東京へは当面長野経由の北陸新幹線のみ。松本は、まだ行けるから良いですが、山梨県は(松本まで来ればともかく)完全に孤立していますので、復旧するまで物流等は大変です。

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