カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ハーモニーホールが地震損傷での改修工事のため、あと1年くらいはあまりコンサートを聴きに行けないかな?と思い、代わりに選んだのが落語です。

 何年か前、東京に赴任された高校の先輩(この方は高校の落研OBです。奥様は合唱団の先輩)が休日奥様と寄席回りをされていて、一度生で聴いてみろと勧めてくれたもの。そう言えば、指揮者の佐渡裕さんも列車や飛行機での移動中聴いているのはクラシック音楽ならぬ落語(その時は確か桂枝雀?)だと伺った記憶があります。また、“ビッコミ”連載の落語修行を描く「どうらく息子」(尾瀬あきら)を読んで、落語そのものにも興味が湧いてきたこともあります。

 古典芸能専門の北野文芸座がある長野に比べ、松本ではそうした機会があまり無いのですが、今回地元のTV局(日テレ系に非ず)が笑点でもお馴染みの歌丸・円楽両師匠による「二人会」と称して3月2日にまつもと市民芸術館で寄席が開催されることから行ってみることにしました。ただ奥様が「気乗りはしないが、行ってもイイ」との良く分らない反応だったので、拒否ではなかったものの遅れてのチケット購入になりました。そのため、生憎最後列の席しか取れませんでしたが、ま、イイかぁ・・・。

 ところが、当日夕刻から奥様が骨折以来2ヶ月振りに娘のところへ上京されることになり、せっかくのチケットを捨てるのも勿体無いので、代わりに「笑点」好きの母を連れて行くことにしました。

 まつもと市民芸術館は駐車場が少ないのが玉に瑕。かと言って近くのショッピングモールに停めていくのも気が引けます。開場前に着いたのに、既に満車。並んでずっと待っていると、隣接の才能教育会館へレッスンに来たらしい親子連れが出て行かれ、開演15分前に漸く入ることができました。3階席は閉鎖でしたが、階段状の1~2階席は殆ど満席の盛況です。会社の後輩も奥様と来られていてご挨拶。何でも落語好きで、週末を利用して奥様と上野や浅草にも時々落語を聴きに行かれているのだとか。イイですね。

 演奏会のようなパンフレット配布も無く、開演時間になって緞帳が上がると、出囃子の後「つる」の前座噺(三遊亭楽大)に始まり、翌朝仕事があるという桂歌丸師匠が最終のあずさで帰京するために前半で。休憩を挟んでの後半は、今風に言えばジャグリングの江戸神楽(翁屋勝丸)の後に三遊亭円楽師匠がトリという構成。演奏会と同じ2時間でしたが、あっと言う間に時間が過ぎていきました。

 当日の出し物は、歌丸さんが古典落語の『紺屋高尾』。円楽さんが桂米朝師匠の自作落語(桂ざこばさんに習ったとか)という『一文笛』。
どちらも人情話で、TVの笑点の時とは一味違ったお二人の味のある話芸の世界に浸ることができました。素人の感想ながら、年の功か、或いは円楽襲名後の気負いか、75歳という歌丸師匠の方が聴く者をゆったりとさせて話にも深みがあったように思います。
ただ、オペラハウス風の芸術館ですので、TVで見る寄席の雰囲気とは随分違います。ここは、やはり浅草や上野(或いは長野の北野文芸座)の演芸場で、昔ながらの寄席の雰囲気にどっぷり浸かって聴くのが宜しいようで。

 昨年は震災直後ということで中止になった高校の伊那駅伝。
2年振りに3月18日に行なわれ、地元TV局で男子のレースが生中継されました。
この大会は、毎年男女とも全国の強豪チームが参加するので、ちょうど各競技の“センバツ大会”のような位置付けで、その年のシーズンを占う前哨戦となります。

 “伊那路に春を呼ぶ”と言われる大会ですが、当日は時折小雨がぱらつく生憎の空模様で、肌寒い一日。お陰でこちらも農作業を諦め、TV観戦をすることができました。
解説は今年も山梨学院大監督の上田さん。どこかの大会解説者のような身贔屓が無く、どの選手へも愛情が感じられて好感が持てます。またゲストに前佐久長聖監督で東海大監督の両角さん。二人とも高見澤長聖監督の育ての親。
実況途中で画面が消えたり、サブのアナウンサーが実況を無視しての割込み過ぎで些かウンザリしたのは、地方局ゆえのご愛嬌でしょうか。

 ダイジェストで放送された午前中の女子は、立命館宇治の圧勝。年末の都大路で、公立校トップで初の8位入賞を果たした長野東は、序盤の1・2区ではトップ争いをしたものの、3区で大きく順位を下げ、終盤エースの故障で走れずに残念ながら途中棄権。メンバーがギリギリの5人しかいないそうですが、4月には玉城監督のお嬢さんを始め県内のトップクラスの中学生が入学してくるそうですので、連続入賞を狙って頑張って欲しいと思います。

 さて注目の男子。昨年末の都大路、佐久長聖は高見澤新監督の下、エース両角(この春、お父さんが監督を務める東海大へ進学。先輩の村沢選手と一緒に頑張ってください)を故障で欠いたこともあってか、残念ながら過去最悪の21位。その影響が尾を引いたのか、1月の都道府県対抗も高校生が振るわずに惨敗と、散々なデビューの年となりました。

 レースは、愛知豊川工高(仙台育英から10名の選手を受け入れて問題となったのは女子同様留学生を擁する豊川高校です)が1区から終始トップで、トラックの持ちタイムでは上回る西脇工(兵庫)に逆に1分近い差をつけて大会新記録で圧勝。見事な走りでした。
 後半特に3人の1年生が頑張った佐久長聖は、2区終了時点では9位と序盤から出遅れましたが、3区から追い上げて5区で九州学院(熊本)を逆転し見事3位。しかも終盤の5・6区は1年生が区間賞の快走を見せてくれました。但し先頭とは2分の大差。しかし、全国と戦える力があることを証明する走りで、今年の都大路が楽しみです。

 留学生が20数人抜きの豊川は最後10位(但し、出場停止の明ける秋以降は仙台育英からの転校組が走りますので、愛知県予選がどうなるか?)。また留学生が走らなかった昨年の都大路優勝校の世羅は30位台。今年は、豊川工、西脇、長聖、九州学院に続き9位まで日本人だけのチームが上位を占めました。このまま年末の都大路に向けて各校とも頑張ってください。

 淡路島或いは東京23区とほぼ同じ面積のシンガポール。
87年から94年まで6年半赴任していた頃は人口250万人と言われていたのが、今や500万人とか。永住権を持つ市民が300万人と言いますから、勿論増加の大半は外国からの受け入れです。
そのため、当時は“ガーデンシティ”という形容がピッタリだったのが、今では緑が削られ、どこもかしこもビル群が立ち並んでいました。また、当時は渋滞など無縁だったのが、車の数も倍になったのでしょう、ECPやAYEなどの高速道路も渋滞しています。

 そして当時は殆ど見なかったのに、朝散歩する犬の多いこと。しかも、飼い主ではなく、その殆どがフィリピンやインドネシア人のアマさん(メイド)というのが如何にもこの国らしい。我々の駐在当時は、まだ実利・実益の無いものにはお金を使わなかった国民ですが、それだけ生活にゆとりが生まれたのでしょう。

 都市国家で何も資源の無いこの国は、当時から統制国家として如何に成長するかにえげつないほど腐心してきました。
赴任当時も毎年国土面積が増えると言われていましたが、今でも海岸を埋め立て、そこ(マリーナ・ベイ)に新しいビル群が次から次へと建設されています。
その一つが今や新たな観光スポットでもあり、日本でも携帯のCMで一躍有名になった高さ200mを超える3つのビル(タワー)の屋上を連結して設けられた、船のような形をした空中プールを持つMarina Bay Sands。
因みに、構造上責任が持てないと日系の建設会社は工事を断り、韓国系建設会社が建設工事を請け負ったのだとか。夕刻、会食前にそのスカイパークへ連れて行っていただきました。
 長さ146mというプールは2500室というホテルの宿泊客専用だそうですが、屋上の長辺340mという“Sands SkyPark”へは入場料を払えば上がれますし、またその一角にバーコーナーが設けられていて、ドリンク片手に眼下にシンガポールの街並みを眺めることができます。CMでは屋上全体がプールの様に見えましたが、実際は片側が椰子の木などが生茂る空中庭園になっていました。200mの屋上から、シンガポール・リバー沿いの高層ビル群越しにオーチャードが見渡せます。
また隣接して、コンベンションホールと世界最大のカジノやショッピングモールなどが併設されていて、中国からの観光客を中心にカジノも繁盛しているとか。
 都市国家が生きていくためには、なりふり構わぬ成長が不可欠とは言え、緑がビルに変わって行く様を見て、この国の人たちは果たして幸福なのだろうかと考えさせられてしまいました。
しかし、何も決められず閉塞感漂うどこかの国と比べ、惚れ惚れする程の国家政策の見事さには溜息がこぼれます。
反面、入国に際してはタバコには重税を課すこの国は、出国者だけにはDFSで堂々とタバコも売っていまし、カジノも自国民が賭博に染まらぬようにシンガポーリアンは入場するのには100S$が必要です。小国の智恵とは言え、これもある種のえげつなさ。

 ただ、儒教精神の残るこの国では、赴任当時はおじいちゃんやおばあちゃんの手を引いた若い子が珍しくなく、また子供を連れた家内がバスに乗ると若い子がすぐ席を譲ってくれるなど、核家族化した日本人が見習うべき点が幾つもありましたが、その良き風習は今でもちゃんと残っているでしょうか。
今回時間が無く、赴任時代の現地メンバーに会うことは叶いませんでしたが、6年間家族でお世話になり、子供たちもここで育ち、彼らにとっては第二の故郷でもある懐かしくて大好きなシンガポール。
賃金も高騰し、街には高級車が溢れています。でも、次にこの国に必要なのは、物質的に満ち足りた満足感から精神的な豊かさではないだろうか。
発展する街並みと減っていく緑を見ながら、昔への郷愁と相俟ってそんな想いを禁じえませんでした。

 2月中旬。今年はインドネシア(ジャカルタ)、シンガポール、台湾(台北)に駆け足で一週間出張してきました。氷点下10℃近い信州から赤道直下の熱帯へ。気温差40℃の世界です。

 90年代前半6年間のシンガポール駐在中に出張で何度も訪れたインドネシアの首都ジャカルタ。そして、3年振りのシンガポール。台湾は10年振りになるでしょうか。

 どこも1~2泊での駆け足の出張でしたが、震災影響だけではなく、沈滞気味の日本に比べ、どの国も熱帯の暑さばかりではなく、ムンムンとした活気が街に溢れていました。

 17000を越える島々からなるインドネシアは、2億4千万人の人口を抱え、87%がモスリムという世界最大のイスラム教国です。また、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる“神々の島”バリや、コモド・ドラゴンの住むコモド島もインドネシアという多様な国でもあります。
2010年にGDPが一人当たりUS3000$を越えたそうで、一般的に3000ドルを超えると最低限の衣食住が足りて車などの消費が爆発的に拡大すると言われる通り、インドネシアも今まさにその状態とのこと。確かに昔に比べ、ジャカルタは新しい高層ビルが立ち並び、街を走るタクシーを始め新しい車が増えました。またタイの洪水回避の影響もあるのか、海外からの投資が急増し、日系商社が造成したブカシ県などジャカルタ周辺の工業団地は既に売り切れだそうです。
一方で、地下鉄などの公共交通網の整備が遅れ、通勤時はひどい車の渋滞。また10年ほど前、10%の中国系住民が90%の経済を握るこの国の貧富の格差が発端で、中国系商店などが焼討ちされるという暴動が起こりましたが、そうした矛盾を孕みながらも、2億人を超える内需を強みに街全体に活気がみなぎり、この国の成長を実感させてくれます(写真はヒンドゥー教の神鳥ガルーダ。国威の象徴としてインドネシアの国章にも使われています。ジャカルタのスカルノハッタ国際空港にて)。
      
 3年振りのシンガポール。この国は数ヶ月も経つと街が一変しているのではないか、という感じがします(以降次話にて)。

 台湾は人口2400万人で、首都台北は260万人ですが、それ以上の大きさを感じさせます。PCやスマートフォンなどに代表されるEMSは殆ど台湾企業で、官民挙げての電子工業に集中投資してきた結果、今や“ITアイランド”と呼ばれています。アジアでは最も親日的な国。

 赴任者の皆さんとの夜の懇親会は日本食中心でしたが(気持ちは良く分ります)、移動時に空港で食べたフィッシュボールヌードルやチキンライスが、昔を思い出させてくれました。
また、台北での台湾料理で出された名物の生の蜆(シジミ)のニンニク醤油漬け。あまり食べるとお腹をこわすと言われますが、やっぱり旨いなぁ。紹興酒に良く合いました。

 帰路は日系キャリアだったので、チャイナエアで到着した桃園国際空港(台北市内まで車で1時間以上)ではなく、市中から僅か車で15分の松山(ションサン)空港から羽田へ。空港が近いとホント楽ですね。
因みに、この松山空港からは中国本土へ週550便が飛んでいるとか。台湾と中国との実態経済での蜜月度を示しています。

 昔から我が家で使っていた竹細工の「み」。
家にはプラスチック製や金属製のモノもあるのですが、しなやかさといい、丈夫さといい、昔ながらの竹製には敵いません。

 我が家では、薪ストーブ用の楢材の薪を二束ずつ運ぶのに、専らこの竹製の「み」を重宝していたのですが、父の代からですので恐らく何十年と使ってきたのでしょう。さすがに竹が折れたりして壊れてきたので、新しいのを買おうと思ったのですが、これがなかなか見つかりません。
昔ながらの色々な竹細工の製品が、今やプラスチック製品に取って代わられているのでしょう。

 次女が住んでいる成田山に続く表参道に竹細工屋さんがあったのですが、そのために成田へ行くというのも無理な話。そうかと言って、若い女性に買って来て!と頼んでも絶対にイヤ!と言われるのがオチ。

 古来信州は、原料となる篠竹(シノダケ或いはスズタケ=みすず)などの笹が生茂った場所だったことから、万葉の時代、信濃の国に掛かる枕詞が「みすずかる(刈る)」となったというように、農閑期の副業などで竹細工の盛んな土地だったようです。
会社の先輩の方によると、ご実家のある黒姫ではネマガリダケ(千島笹)を竹細工に使うために、タケノコを乱獲しないように今でも地区でその時期は“止め山(留山)”にして保護しているのだとか。

 しかし、最近ではその信州でも街中で竹細工を並べたお店を見かけることなど殆ど無いと言っても過言ではありません。

 諦めかけたところで、「そう言えば・・・」とひょんなことから残像のように浮かんで来たのは、最近はトンとご無沙汰ですが、昔カードで支払いの出来るスーパーマーケットがジャスコ(イオン)しか無かった頃のことですので、少なくとも10年くらい前だったでしょうか。
毎週末のように食料品の買出しに行っての帰り道。幹線道路の渋滞を避けてショートカットで利用していた一方通行ばかりの狭い路地に、竹細工の篭やざるが軒先にたくさん置かれた一軒の家。
あれって、もしかしたら竹細工の店だったのでは・・・?
そこで、先月季節外れの雨で午後農作業が出来なくなった日に、行ってみることにしました。
「まだあるかなぁ、もう廃業しちゃったかなぁ?・・・。」

 その店は(イオンの入っているカタクラモールからだと)、女鳥羽川の南岸の一方通行を走り、川を渡って裏町に続く通りを田楽で有名な木曽屋の所で左折して、木曽屋の前から東町通りへと東西に結ぶ狭い一方通行沿いの左側。
田楽の木曽屋なら観光用ガイドブックにも載っている筈なので、地元の方でなくてもそちらを目指して行けば分るでしょう。因みに駐車場はありませんが、近くの東町通りにコインパーキングがあります。

 ありました!
記憶通りの場所に『柏善 上原善平商店』という古びた木の看板と、せいぜい5坪ほどでしょうか、ガラス戸越しに見る狭い店の中には、天井から吊るしたり積み重ねられたりと、小さな篭やざるから昔懐かしい大きな行李(こうり)や「ぼて」まで、大小取り混ぜて所狭しと置かれた竹細工の数々。
中に入り何度か呼ぶと奥から女将さんが出て来られて、竹の「み」を探していると言うと、置いてある場所を教えてくれました。
一つは信州産という細い竹で細かく編んだ「み」。昔、我が家でも収穫した蕎麦の実などを入れたりしていたのを思い出します。そして、もう一つが佐渡島で作られたという幅広い竹で編んだ「み」。
「あっ、これです。これ!」
「はい、それならとても丈夫で、土木作業でも使いますよ。」

 早速購入です。お代は2500円とのこと。
「最近は、需要も減って、作る職人さんもいなくなっちゃってね。」
そうなんでしょうね。でも、この竹の持つ弾力性と強さは、安いプラスチックでは求められません。

 しかし、こういう店が未だ松本にもあったんですね。
感動して、お断りした上で店内の様子を写真に撮らせていただきました。
眺めていると、古めかしいどころかむしろモダンな感じさえします。細い竹で編んだものが多いので、正に“みすずかる”信州産なのかもしれません。街興しで、お蕎麦屋さんなどだけではなく、イタリアンなどの洋風レストランなどで使っても粋で面白いかもしれません。
 さて、購入した新しい竹の「み」。とても丈夫なので、きっとこれもこの先何十年も持つかもしれません。
「今度買い換える時に、果たしてこの店は残っているのだろうか・・・?」。
そんな感慨を抱きながらお店を後にしました。
時代をタイムスリップしたかのような、今や貴重な竹細工の専門店『上原善平商店』でした。

 2月下旬から松本駅の自由通路で、『報道されない命たち』と題して展示されていた小さな写真展。

 避難指示が出された福島原発の、半径20km圏内の警戒区域に置き去りにされたペットや家畜のパネル写真。立ち入りの許可を受けてのボランティアの方々の保護活動の傍ら、現地の様子を撮影したものだそうです。
勿論無事保護された動物たちもいる中で、中には間に合わずに餓死した犬やネコ、また鶏や牛などの家畜の写真もあり、その現実に辛過ぎて涙が止まらずに全部を正視することができませんでした。
普段はキャピキャピしているであろう女子高生の皆さんも眼に涙を貯め、手で口を押さえて見ています。足を停めて眺める人たちも皆無言です。

 避難に際し、泣く泣く置いて行かざるを得なかった動物たち。しかしそれは飼い主のせいではなく、ましてや彼等のせいでもありません。
動物とは言え、命に軽重などある筈もなく、なぜ犠牲にならないといけないのか、何の罪も無い彼等や飼い主はこの怒りを誰に向けたらいいのでしょうか?
写真の中の命尽きた動物たちに、犬を飼う人間の一人として「ごめんなぁ・・・」と言ってやることしか出来ませんでした。

 彼らを撮った写真集も書店に並んでいます。
原発を造りその恩恵にも浴してきた身勝手な我々人間としては見る義務があるのかもしれませんが、気にはなっても辛過ぎてどうしても手に取ることができません。
その表紙に写った野生化した柴。震災前は優しい眼をしていたであろう彼の、人間(カメラ)に向けた怒りに満ちた眼が痛いほどに悲し過ぎます。

 震災のあまりに大きな人的被害の影で、世間から忘れ去られた動物たちがいます。

【追記】
この小さな写真展は、活動に賛同した松本市内にある地元の専門学校の動物看護師学科の先生が企画したもので、東京在住の星さんご一家を中心とした民間の動物レスキュー隊(星ファミリー)が、置き去りにされた動物たちへのエサくれやペットの保護活動(特に5km圏内を重点的に活動されているとか)の傍ら撮影した写真だそうです。
彼ら自身が出掛ける度に泣きながら活動し、その都度辛過ぎる現実(「死臭漂う街」という一文からも、その想像は難くありません)に「もうやめよう!」と思いながら、保護し送り届けた時のペットたちの喜ぶ様子と飼い主の喜びの涙に励まされて今も続けているのだとか。

原発事故から3ヶ月半。「瓦礫作業の方から、ウチのプータがまだ生きていると聞いたので、お願いですからどうか助けてください!」と飼い主に懇願されて、原発近くの飼い主の家の付近でその名前を呼ぶと一目散に駆け寄って来て無事保護された秋田犬の雑種プータ。「お前がプータか?ヨシ、良く頑張った!」と、車に載せると安心したのか、星さんの体に自分の巨体を圧し掛けて移動中もずっと離れようとしなかったと言います。避難先から全員で駆けつけた飼い主ご一家は、皆泣きながらプータとの再開を喜びあったとか。

パネルと一緒においてあった説明資料に、この “動物レスキュー”のボランティア団体「星ファミリー」への活動支援(圏内にいる動物たちへのエサ代、保護した動物の健康診断や仮置きの小屋設置費用、福島への隊員の移動交通費など)の呼びかけがありました。企画された専門学校の先生の書かれた文章に、「松本から車でホンの6時間の所にこの現実があります。」という言葉に「確かにそうだよなぁ・・・」とその想いを新たにして、身勝手な我々“人間”が飲み会を数回我慢すればイイヤと思い、ホンノ気持ちばかりですが動物たちのエサ代にでもなればと寄付送金をさせていただきました(ネット送金を頼んだら、家内が上乗せをしてくれました)。
この時期でしたので、3.11まで掲示されるとばかり思っていたのですが、事情不明ながら僅か4日ほどで撤去されてしまい、展示の様子は撮影できませんでした。なお、「星ファミリー」でネット検索をすればすぐに活動の様子が見つかりますが、参考までに、
星ファミリー:三井住友銀行 吉祥寺支店 普通7316452
口座名義人 星広志(ホシ ヒロシ)

 3.11の大震災から早一年が経ちます。

 その大震災から僅か11日後に行なわれた宮城県気仙沼市立階上(はしかみ)中学校の卒業式で、卒業生代表の梶原祐太さんが泣きながら読み上げたという答辞。

 NHKニュースでも取り上げられたそうですが見ておらず、また新聞報道でも気が付かずにおりました。その後初めて知って、その一部を読んだ時、涙が溢れるのを禁じ得ませんでした。
この答辞は、その後深い感動を呼び、多くのブログやツィッターでも取り上げられたそうですから、ご存知の方も多いかもしれません。そして、昨年の「文部科学白書」にもこの答辞の全文が掲載されたそうです。

 『生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く正しく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。』

 弱冠15歳の少年の何という決意、何と重たい言葉なのでしょうか。
それに引きかえ、その後の政府、国の行政は一体何をやっているのでしょうか。
そして、この決意に我々大人はどう向き合い、どう応えれば良いのでしょうか。

 あれから、今日で丸一年が経とうとしている中、改めていたいけな15歳の少年に、その言葉を言わしめざるを得なかった殊の余りの大きさと、その発せられた言葉の重さをもう一度噛み締めています。

 先日の590話でご紹介したように、薪ストーブ横がチロルの冬の特等席。
一方のナナは人間の近くに居たいのか、家内の椅子の上かソファーの上が指定席(但しチロルに“イジられる”時は、マットを敷いてあるピアノの椅子の下へ逃げ込みます)。
まだストーブの火が怖いのか、それとも寂しがり屋なのでしょうか。
(写真は椅子の上でおくつろぎ中の、“だれぱんだ”ならぬダレたナナ。因みにナナの横の物体は奥様のお尻)

 ところが、先日の夜気が付くとナナもチロルとは反対側の大理石の上に、こちらもごろんと横になっています。
「あっ、ナナも!」と言うと、家内が「あぁ、最近ナナもたまにストーブの横に来ていることがあるわヨ。」とのこと。
ナナも、5歳にして漸く慣れてストーブの火が怖くなくなったのか、それともナナも寒がるほどの今年の冬の寒さだったのか・・・?
 暦の上では3月5日の啓蟄も過ぎ昼間の日差しもだんだん暖かくなってきましたが、朝晩はまだまだ寒い日が続きます。皆さまもどうぞご自愛ください。
でも、“暑さ寒さも彼岸まで”とか。
松本も2月29日に“春近し”を告げる「上雪(カミユキ)」が13cm積もり、今週は雨が降りましたが、予報では来週はまた氷点下まで下がり日によっては雪マークも出ています。
暫くは“三寒四温”を繰り返しながらも、春はすぐそこまで来ています。

 家内が松葉杖で自由に動けないので、平日帰宅後に“兼業主夫”として夕食準備をする際に何度か作って重宝したのがおでん。
冬ということもありますが、大根やコンニャクなどは、日を置くごとに味が滲みていくので、週末に調理しての作り置きに向いています。しかもたくさん作っておけば、2~3回分はこれで賄えます(いわば和食のカレー版?)。

 そう言えば、娘たちが1年ほど前に帰省して来た時に作ってくれたおでんがとてもコクがあったので、聞くとオイスターソースを隠し味に少し入れたのだとか。Cook Padのお薦めレシピだそうです。なるほどなぁ・・・。
松本には、昔はなぜか専門のおでん屋さんが無く、老舗の割烹「しづか」くらいでしかおでんを食べられなかったのですが(最近では、専門店かどうか分りませんが、おでんと書いた赤提灯を吊るしたお店も出現)、今やおでんは屋台のオジサマ族だけではなく、子供たちも高校近くのコンビニで時々買っていたようで、コンビニでも冬の(年中?)定番商品になりました。

 さて、おでんと言えば、大根、コンニャク、チクワや卵、そしてさつま揚げといった定番以外にも、練りモノも最近は色んな種類が出回っています。またお餅を油揚げで包んだ餅巾着もなかなかのアイデアですし、静岡の黒はんぺんもイイなぁ。良く味の滲みたおでん。特に寒い冬の夜は一層美味しいですね。

 そこで、我がイチオシのおでん種。それは、粗引きのポークウィンナーです。パリッとした皮と茹でて破れたところから出汁が滲みて、なかなかの美味。魚のすり身で作ったツミレや練り物、更にはイイ蛸などの魚介類だけではなく、牛筋やロールキャベツをおでんに入れることもありますし、ウィンナーもポトフなどでは定番の具材ですから、煮込み料理にも合う筈です。

 今回は、出汁昆布に加えて隠し味にオイスターソースを入れて煮込みました(但し、奥様はオイスターソースを入れると味が“くどく”なるので好みではないとの仰せ。またウィンナーも肉の香りや味が他のおでん種に移るのが気になるとの由。おでんには牛筋だって入れるのにナ。そう言えば、鰤アラ大根も魚の味がしてイヤだと食べませんし、美味しいのに。フ~、難しいですね)。

 では、練辛子を付けていっただっきまーす!「あら美味しい!」っと。

 時折我が家に“変なモノ”が届きます。これは、奥様が深夜の通販番組を見られていて、“♪すご~く気に入って”オーダーしたもの。
      
 今回は、12月に注文されたという“スイブル・スイーパー”なる片手で使えるコードレス掃除機。 
確かに、2階に掃除機を運び上げる時や、階段の掃除などでは、抱えたままでの重たい掃除機は大変ですし、特にチロルが抜ける毛を撒き散らす我家にとって、毎日フロア掛けをせざるを得ない掃除機は、2~3年で買い換える必需品でヘビーユーザーです。

 この“スイブル・スイーパー”。良くある米国のTVショーでの紹介商品だったので、「2台だとお得だし、子供たちが欲しかったら上げるので」と、今回も2台注文した由。
バジルソースを作った時と伊達巻の時に混ぜるハンペンで使うくらいで、あまりお使いになるところを見たことが無い“マジック・ブレッド”(第336話参照。てっきり「ブレード」=刃だと思ったのですが)同様、一抹の不安を感じつつ、大丈夫かなぁ・・・?

 電話での注文から2週間くらいで届くとのことでしたが、2週間経ち、3週間経っても一向に届きません。その内年も変わり、奥様が骨折入院中に、注文してから1ヶ月以上も経って忘れた頃に漸く宅配便で配送されてきました。

 個人的には興味も無く、また時間も無く、彼女が退院して来るまで開封もせずそのまま。
(年末年始を挟みました故)二年振りでご帰還の奥様、早速開封し、充電して翌日から使用開始です。
一般の掃除機に比べて吸引力が弱いのは止むを得ませんが、Swivelという単語の通りヘッドが自由自在に回転するので、狭いところや台の下などの掃除機がけに便利です。しかも。軽量なので片手で使えることから、奥様が松葉杖をつきつつ、もう一方の手でこれを使って掃除機掛けが可能です。

 ほう、なかなかスグレモノ。予感があった訳では勿論ないでしょうが、まるで骨折を見越したようで、今回はなかなか良い買い物だったようです。ただ、おまけの“ミニ・スイーパー”なるものは、全くのオモチャ。「本体返品の際も、これは差し上げます!」との宣伝文句も、こりゃ返される方も困るわな・・・という感じでした。

 前回誰も興味を示さなかったマジック・ブレッドと違い、今回のスイブル・スイーパーは、ワンルームとは言えロフトのある次女が使いたいと、早々と貰い手も見つかり、早速食材も一緒に送ってあげました。良かった、良かった。

 その後2ヶ月近く使用していますが、平日の朝時間が無い時は便利です。ただ我家の様に犬の毛を吸い取るには、やはり吸引力の弱さは気になりますし、しかも当初より少しずつ落ちてきたような気もしますが、奥様曰く、
「だって1台5千円だよ!オモチャみたいな値段なんだからしょうがないジャン!」
おぉそうかぁ、寛大な消費者だなぁ。
個人的には、値段が倍でも吸引力倍の方がイイと思いますが・・・。